時に拳を、時には花を   作:ルシエド

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第二殺二章:胡蝶の夢

 敵は反則なまでに強力。

 だが、竜児は諦めなかった。

 それでも折れた心は戻らない。

 何度膝が折れようと、幾度心が折れようと、竜児は諦めない。

 勝てる可能性は微塵もなく、竜児に希望など見えていない。

 それでも諦めない心が、竜児の強さの源泉だった。

 

 弱い彼の敗北は、運命で定められていたかのように決定的で。

 運命さえも覆す、奇跡を起こす心の光は、諦めない彼の心の中で輝く。

 

「ウルトラマン!」

 

 誰かが叫んだ。

 夏凜だったかもしれないし、友奈だったかもしれないし、樹だったかもしれない。

 少年はその声一つで奮い立つ。

 人間の声はただの空気の振動。そこに力など何も無い。

 自分に向けられた声を力に変えるのは、いつだって声を受け止める心だ。

 

「―――ぶっ刺され」

 

 負けてたまるか。

 滅びてたまるか。

 立ち向かう力を。

 運命を、切り開く力を。

 少年の想いが条理を超えて、メビウスブレス本来の力を引き出していく。

 

 ―――左手のメビウスブレスから、闇を切り裂く光の剣が飛び出した。

 

 光速で飛び出した光の剣は、闇を切り裂く光の特性、物質を貫く物質の特性を両立し、メビウスに噛み付いていたマデウスオロチの胸部をザックリと貫いた。

 メビウスが腕を横に振れば、熱したナイフでバターを切るようにスッパリと切れる。

 胸部から横一直線に切り裂かれ、九頭龍の体から赤黒い血が吹き出した。

 なんという切れ味。

 なんという威力。

 なんという熱。

 『鋭さによる切断力』と『熱による溶断』を完全に両立したような剣に、切り裂かれたマデウスオロチは悲鳴を上げた。

 

 巨人の樹海(メタフィールド)の中において、メビウスの剣は聖剣の領域に在る。

 

「ふざけんなよ脚本家気取り……!

 過去の文章で僕が一回も使ってない技なら、脚本家でも知らないだろ……!?」

 

 天の神が脚本家気取り、神気取りで全ての運命を操作しようとも。

 脚本家が知らない技と設定をキャラが勝手に繰り出して、脚本家に修正の間を与えない奇跡的な奇襲を成立させれば、混乱させることくらいはできる。

 

 脚本介入は、言うなればマデウスオロチの固有能力だ。

 気合いで起こした脚本レベルでの奇襲で深い傷を付ければ、脚本への介入は、少しくらいは妨害できるということなのだろう。

 事実、今現在脚本への介入は無い。

 

(こいつ)が今即興で出した、僕の中の強さのイメージだッ!」

 

『リュウジ君の中の強さのイメージはカリンちゃんの剣だったのか。

 今出しているメビュームブレード、僕が普段使ってるものより日本刀寄りの形状だよこれ』

 

(言われてみると、僕の中の強さのイメージあれだったのか……)

 

 急速に再生するマデウスオロチが元の状態に戻るまで、おそらくあと数十秒。

 ウルトラマンの活動限界時間まであと1分30秒。

 もたもたしてはいられない。

 竜児はメビウスブレスから生えたメビュームブレードを構え、前に踏み込んだ。

 

「袈裟斬り!」

 

 踏み込み直後に繰り広げられる、0.001秒の攻防。

 夏凜は"袈裟斬り"と叫んだ。

 彼女はここまでの戦いで、マデウスオロチが雷を吐く直前のモーションを見切っていた。

 オロチは夏凜の読み通り、そのモーションから雷を吐く。

 九頭龍はメビウスを雷速の攻撃で迎撃した。

 竜児は「なんで?」とすら思わず夏凜の声に従う。

 光の剣が振り下ろされた。

 

 結果、刃と雷は同時に放たれ、雷撃はスパリと両断される。

 

 人間の目と反射神経で見ると、何が起こったかすらよく分からない。

 視認すら困難な、0.001秒の攻防。

 雷速攻撃を光の斬撃が両断するという、神速のやり取りであった。

 

『前へ!』

 

 メビウスの声に従って、前へ。

 首を食い千切ろうとしてくる頭の二つを両の拳で殴って、足を狙って来る頭をローキックで蹴り飛ばす。

 だが頭の一つを迎撃しきれずに、巨人は腹に風の砲弾を喰らってしまった。

 

(……クッ、素のスペックからして高い……!)

 

『マガオロチは一筋縄で行く相手じゃない。

 おそらくはこの状況も織り込み済みなんだ。

 脚本介入能力を万が一、一時的に封じられても、その短時間で倒し切れないように』

 

 カラータイマーが点滅を始める。

 命の残量、残り一分弱。

 メビウスの全身は、全身を牙で食い千切られたこともあって、血の噴水の如く光の噴水が吹き出していた。

 

(というか、傷が、深い、キツい)

 

『動きのキレが……この痛みで、仕留め切るには……』

 

 怪獣は一秒ごとに再生を進め、巨人は一秒ごとに力を失っていく。

 もはや普通に攻めていても勝ち目はない。

 九の頭が大気を切り裂き、巨人の手足が防戦一方ながらも縦横無尽に振り回される。

 

『リュウジ君、ここで死ぬかもしれない覚悟はある?』

 

(あるよ! 手があるならさっさと教えて!)

 

 即答する竜児。

 メビウスはその技を教えるのを躊躇った。

 それは余りにも危険な技だった。

 ウルトラ兄弟の一人、ウルトラマンタロウがかつて編み出した技。

 あまりにも危険な技であったため、タロウですら封印していた技。

 地球を守るため、メビウスが自分の命すらも顧みずに獲得した技だったから。

 

『一つ、通じるかもしれない技がある』

 

(それは?)

 

『メビュームダイナマイトだ。

 今ある力を体内で暴走・炸裂させ、僕らの体ごと密着した敵を吹き飛ばす技』

 

(―――!)

 

 つまり、自爆技である。

 

『タロウ教官はウルトラ心臓で復活できた。

 僕もメビウスブレスで復活できる。

 でも、僕と一体化している君が、自爆の後に復活できる保証は……』

 

(やろう)

 

『……リュウジ君』

 

(やる前からしくじることを考えていたら、その先には行けないんでしょ? さ、やろう)

 

 勇者が援護をしてくれる。

 僅かに出来た時間の余裕に、メビウスはバック転で後ろに下がった。

 メビウスの全身が燃える。

 爆発寸前の火薬の如く燃え上がる。

 

『今の君に必要なものはただ一つ! 技でも、力の加減でも、思い切りの良さでもない!』

 

 メビウスの声に、かつてない迫真さが宿った。

 竜児が生きるか、それとも死ぬか。メビウスにすら分からない。天の神にも分からない。

 神のみぞ知る、という表現すら生易しい先の分からぬ博打。

 

『必ず、生きて帰るという覚悟だ!』

 

 燃え上がる巨人が、怪獣めがけて飛び込んだ。

 

「……必ず、生きて!」

 

 巨人が怪獣に抱きつく。

 九頭龍は抱きついて来た巨人の全身に噛み付き、引き剥がそうとする。

 竜児は巻き込まないために、夏凜にだけテレパシーを送った。

 

『夏凜! 皆を下げて!』

 

「! 皆、敵とウルトラマンから距離を取って!」

 

 夏凜が樹を抱え、友奈が東郷を抱え、風が先導して五人が跳んで距離を取る。

 

 

 

「『 メビュームダイナマイトッ!! 』」

 

 

 

 "世界が壊れる"。

 巨人が自爆した瞬間、勇者の誰もがそう思った。

 結界内の空気、大地、樹海、空でさえもが爆発の衝撃で揺れていく。

 その衝撃で揺れなかったものなど、結界内のどこにも見えない。

 世界が壊れるかもしれない、と人間が思ってしまう、そんな規模の爆発だった。

 神樹でも一撃で折れかねない、そんな威力の爆発だった。

 

 だが、マデウスオロチは死んでいなかった。

 全身を焼け爛れさせ、頭のいくつかは機能不全寸前で、腹の右半分は裂けていて……それでも、死んではいなかった。

 九頭龍怪獣(バーテックス)はウルトラマンと勇者に背を向け、結界内から逃げるようにして撤退していく。

 メビウスはそれを見届け、倒れた。

 

『リュウジ君! リュウジ君!』

 

 メビウスの意識は平然と残っている。

 自分の体を内側から爆発させ、肉体が木っ端微塵になっても平然としているメビウスの精神力はどうなっているのか。到底人間には真似できそうにない。

 そう、真似できないのだ。

 竜児は自分の肉体が木っ端微塵になる激痛と消耗で、巨人形態のまま気絶してしまっていた。

 樹海化が解ける。

 変身が解ける。

 怪獣も巨人も勇者も誰も死なぬまま、この日の戦いが終わる。

 

『……怪獣は、固有能力すら使えない深手を負った状態。

 そこに、神樹のブースト付きのメビュームダイナマイトを当てた。

 それでも……倒しきれないとなると……リュウジ君の使える技の威力では……』

 

 今日は切り抜けた。

 だが次の戦いは?

 次の戦いで、怪我を治しきったあれに勝てるのか?

 あの敵を倒す火力を、竜児メビウスでは出せないということを、メビウスが一番によく分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜児は誰の目にもつかなそうな路地裏の祠の前で目を覚ました。

 見覚えのある路地があった。竜児のバイト先に近い路地裏だった。

 どうやら、神樹が気を使ってここに飛ばしてくれたらしい。

 

「バイト行かなきゃ」

 

『正気!?』

 

「自分だけの勝手な都合でバイト休んで、皆に迷惑かけたくないだろ」

 

『いやそれはどうなんだろう……?』

 

 全身傷だらけなのに、そんなことを言っているのはちょっとズレがある。

 肉が抉れている箇所も、十や二十ではないのだが。

 

「近くの大赦の隠し施設行って、着替えと包帯だけ貰ってこよう。

 全身に包帯巻いて、長袖長ズボンでネックも隠して……まあいけるかな」

 

 そそくさと大赦施設に入り、着替え、出て来る竜児。

 世界が四国だけになっているとはいえ、大赦は実質世界を支配しているようなものなので、大赦構成員ならこういうバックアップを受けられるのは強みである。

 

「と、いうか、巨人の姿の時はもっと傷深かったような気がするのに」

 

『僕らは壊れないメビウスブレスを、ウルトラ心臓の代わりにしてる。

 体を一度爆砕して、その後に破片を再構築したんだ。

 だから君の全身の傷も、再構築の過程で多少は治すことができたんだと思う』

 

「不幸中の幸いか……運が良かったかな、こりゃ」

 

 全身に致命傷クラスのダメージを負っていたので、全身を爆砕してから再構築すると、逆にダメージが減るというこの矛盾。

 メビウス自身も、こんな経験をしたことはなかった。

 ウルトラマンの強固な皮膚をあんなにも簡単にズタボロにするとは、マデウスオロチの牙は恐ろしいにもほどがある。

 

「とにかくバイトに行かないと。……あれ?」

 

 道を進むと、砕けた道路、潰れた車、それらを囲む人混みが見えた。

 救急車やパトカーまで見える。

 救急車の横には、竜児の友人のバン・ヒロトの姿まで見えた。

 竜児は彼の親がやっているうどん屋に行こうとしていたのに、どうしたのだろうか。

 

「ヒロトじゃん、どしたのそんなとこで」

 

「ああ、リュウさん。わりー、今日のバイトは中止だ」

 

「何? どうしたのさ」

 

「うちの両親が交通事故にあっちまってさ。怪我は軽いみたいなんだけど」

 

 竜児の息と思考が止まる。

 

「―――」

 

「なんかよく分かんねえ事故なんだよな。どうなってんだこれ……」

 

 大赦の人間なら、事故現場を見れば分かる。

 これは交通事故であって、交通事故ではない。

 

「俺は両親に付き添って病院行くから、リュウさんも気を付けて帰れよ。

 親とダチが連続して事故にあったりしたら、俺は遠慮も恥もなく泣くかもしれない」

 

「……そっか。分かった。お大事にね」

 

 救急車に乗って行ったヒロトを見送り、竜児は砕かんばかりに歯を食いしばる。

 

「メビウス」

 

『なに?』

 

「樹海化は、世界を塗り替えて起こるんだ。

 だから樹海にダメージが行くと、それは現実にフィードバックされる。

 樹海のダメージがそのまま、交通事故などの『災い』として現れるんだ」

 

『!』

 

「僕らが……僕が倒せていれば……すぐに、倒せていれば」

 

 後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。

 

『メタフィールドはウルトラマンの体を構成する物質と同質の、ネクサスの命の一部。

 四国を包む結界そのものが、神樹の命と体を削って構成されているものならば……そうか』

 

 壊れた道路、潰れた車、救急車が去った後も残る血痕。

 全てが、少年の心をかきむしる。

 平然であらねばと頭は思うも、心は平然としてはいられない。

 

「あのバーテックスが暴れてたのが、僕らの活動時間から考えて三分以内。

 大して破壊もしてなかったはずだ。

 怪獣は神樹様の破壊が目的で、樹海の破壊はそのついでだったはずだ。

 それでも……僕らの無力は……こうして現実で形となって、僕らの前に現れる」

 

 胸が苦しい。

 

「皆生きてるんだ。

 この世界の色んな場所で生きてるんだ。

 誰かが犠牲にならないとやっていけないような世界でも。

 みんな、みんな……自分が危ないことも知らずに、幸せに生きてるんだ……」

 

 こういった形で犠牲になる人達がいるなんてことは、初めから分かっていた。

 分かっていたことだ。

 そう自分に言い聞かせ、割り切って、その痛みと苦しさを乗り越える。

 

「頑張らなきゃな。負けてなんていられない」

 

『ああ』

 

「必要な犠牲ってもんはある。

 じゃあ必要以上の犠牲なんてもんは要らない。

 必要以上の犠牲なんてものを、これ以上出してたまるもんか」

 

『その意気だ。僕らで力を合わせれば、きっとあいつにだって勝てるはずだ』

 

「よし、奴の攻略法を考えながら、今やれることをやろう!」

 

 竜児は大赦に現状、敵戦力、有効策が見つかっていないことを報告。

 脳内でメビウスと話し合いながら、ヒロトの家のうどん屋に向かった。

 

「やっぱ後片付けもされてないな……」

 

 おそらく、ヒロトの両親が食材の追加買い出しに行った時に事故にあってしまったのだろう。

 店の中は営業中断時のままで、包丁や鍋もしまわれていなかった。

 下ごしらえした食材も冷蔵庫に入れられていない。

 竜児はメビウスと話しつつ、店の片付けを始めた。

 

「そもそも奴らどうやって怪獣二体を融合させてるんだろう。どうやってるんだろう」

 

『あれは"ライザー"。

 二つ以上の異なるものを融合昇華させる光の国の新兵器だ。

 いくつもあるものではないし、今はベリアル軍と宇宙警備隊しか持っていないはず……』

 

「今は敵の武器の出自を気にしていられる余裕なんてないよ」

 

『うん、それもそうだ』

 

「大切なのはどう攻略し、どう倒すかさ」

 

 メタフィクション能力と言い換えてもいい、現実改変に近い能力。

 友奈は凡ミスを強制された。

 竜児は敗北を強制された。

 マデウスオロチは加速度的に無敵性を増していった。

 まぐれ当たりを一発当てるだけならまだしも、これを現状戦力だけで倒し切るのは不可能だと思われる。

 煮詰まった思考を、携帯の着信音が現実に戻した。

 

「春信さんからだ」

 

 夏凜のお兄ちゃんからのメールを開く。

 メールの内容は、面白い情報提供であった。

 

「夢と現実の区別がつかなくなった人の相談が、相談所に急増?」

 

『これは……』

 

 春信のメールの内容によれば、自分が夜に見ている夢の方が現実で、この現実の方が夢だと思うようになった人が急増したらしい。

 夢に現実味を感じるようになったのか?

 現実に現実味が感じられなくなったのか?

 そこは定かではないが、多くの人が"夢と今とどちらが現実なんだろう?"という悩みを抱えてしまっているらしい。

 

「胡蝶の夢……あの怪獣の特性と、何か関係があるのか?」

 

『そういえば、マックスから聞いたことがある。

 マックスの時は、"世界と魔デウスを書いていた"脚本家は夢の中に居たと』

 

「夢?」

 

『その脚本家は、夢と現実の区別がつかなくなっていたそうだよ。

 ウルトラマンの世界を書いている自分が現実なのか。

 怪獣とウルトラマンの戦いを見ている自分が現実なのか。

 どっちが現実の自分なのか分からないまま、脚本を書いていたらしい』

 

「胡蝶の夢、か……

 じゃあ間違いないな。

 天の神は、その夢の世界にこちらの世界から自分の端末を送り込んだんだ。

 そっちの夢の世界で脚本を弄ってる天の神さえ倒せれば、なんとかなるかも」

 

 メビウスが困惑する感情が、繋がった心から竜児に伝わる。

 

『それは……意図的にできることなんだろうか?

 魔デウスはこの形式の干渉ができる限り、無敵で最強だ。

 僕らが見る夢、僕らの世界を夢として見ている世界、そこにどう行くんだい』

 

「んー……例えば、なんだけどさ」

 

『?』

 

「"絵の中から飛び出して現実の人間を皆殺しにする"

 ってキャラを僕が漫画に描いたとするよ?

 このキャラが僕が描いた漫画の中から飛び出して、僕を殺すのかな」

 

『それは無理だと思う』

 

「"小説の中から飛び出して執筆者を殺す全能のマデウスオロチ"

 と設定したキャラを僕が小説に書いたら、僕はマデウスオロチに殺されるのかな」

 

『それも無理だと……あ』

 

「そう、無理だ。

 作者や脚本家がそう設定したとしても、無理なものは無理」

 

 メビウスも気付いたようだ。

 

「"脚本家が全能と設定したキャラは全能"って主張は、そもそも矛盾してると思わない?

 本当に全能だったら本から出てくるし、そうじゃないなら設定が間違ってるんだから」

 

『……なるほど!』

 

「つかそんな変なキャラばっか出してたら仕事無くなるわ。

 他ライターがその最強キャラ自殺させかねないわ。

 無敵って設定したから無敵ですー、なんて通るか。

 文章ってのは相応の説得力か納得力がなきゃ、設定ごと消されちゃうもんなんだよ」

 

 脚本家が敵で勝てるわけがない! と手早く諦めることはしない。

 この世界は創作の世界だったんだ、どうしようもない! と嘆くこともしない。

 その程度で心が折れてしまうような安っぽい信念で、竜児は動いてやいないのだ。

 

「足りてないのは、この状況を打開できる理屈だけさ。

 僕は諦めてない。敵が脚本家だろうと諦める気はない。

 僕らが負ける脚本があっても、脚本に逆らってもっと上質な本編を完成させてやるんだ」

 

『そうさ、大切なのは諦めないことだ』

 

 光絶えない心は負けない。

 竜児の本質は知識を溜め込む研究者だが、眼鏡を指で押し上げてパッと名案が湧いて来るなら苦労はしない。

 何かしらの新知識、新発想、ひらめきが欲しいところだ。

 

「手がかりは『胡蝶の夢』、か」

 

 夢と現実の区別を曖昧にさせ、夢の中の人間に現実の脚本を書き換えさせる、あるいは現実の人間に夢の脚本を書き換えさせるのが魔デウスの力だ。

 ならば、避けては通れない話がある。

 それが『胡蝶の夢』の逸話だ。

 

 ある男が蝶になって飛ぶ夢を見た。

 男は考える。

 自分が蝶になった夢を見たのか? 蝶が人間になった夢を見ているのか?

 どちらが、本当の自分なのだろう?

 そんな小話が、胡蝶の夢である。

 

 今、世界は天の神の端末が見ている夢として在るのかもしれない。

 マデウスオロチを早めに倒してしまわないと、どんな大惨事が起きてもおかしくはない。

 

「後はあれだね。僕右利きだから左手から生えるメビウスの剣めっちゃ使いにくい」

 

『……ごめんね』

 

「こっちこそ左利きじゃなくてごめんなさい」

 

 問題と言っていいのかちょっと判断に困る問題も発生していた。

 

「良い剣だとは思うんだけどね。

 夏凜はああいう軽くて切れ味のある、手に持たなくてもいい剣は好きそうだ」

 

 普通人間は利き腕があるし、喧嘩でも利き腕パンチに頼りがちだ。

 友奈のように親から習った護身術で両手足を自在に動かす少女、夏凜のように両手の剣を巧みに操る少女の方が、普通じゃないのである。

 どうしたもんかなー、と片付けが終わりそうになった頃。

 店の外から声が聞こえてきた。

 

「あれ、閉まってるよ東郷さん」

 

「友奈ちゃんがうっかり定休日を間違えた……ってわけでもなさそうね」

 

「そんなうっかりしたことないよ? どうしたんだろう、何かあったのかな」

 

 固まる竜児。

 どうしよう、と一瞬迷う。

 "リスク増やしたくねえな"という心と、"もしかしたらさっきの戦いで彼女ら何か掴んでるかも"という藁にもすがる心が、心の天秤を左右に揺らす。

 よし、頼ろう。竜児はすがることに決めた。

 そのくらい、マデウスオロチを倒す方法を思いつける気配がなかったのである。

 

「どうぞ」

 

「あ、熊谷君だ」

 

 店に客として招き入れるのはちょっと問題があったので、竜児はあくまでクラスメイトに対する好意として、彼女らを店に招き入れた。

 

 

 

 

 

 人間は飯と酒で口が軽くなる、と言われることもある。

 実際に、人間は飯や酒をあおりながら親しい人間と会話していると、時々普段言いそうにないことをポロっとこぼしてしまうものだ。

 だから子供から大人まで、人と人の親交を深めるための有用な方法として、"一緒に飯を食べる"という手段が愛用されているのである。

 

 友人とうどん食ってる時にポロっとこぼれた本音、それこそがその人物の心に秘めた本音に一番近いものであることは間違いない。

 日々の希望や日々の不満、そういったものが友人との食事中にはポロポロこぼれる。

 だからこそ、竜児は勇者の監視に便利なこの店のバイトとして働いていたのだ。

 

 店に来たのは、結城友奈と東郷美森の二人のみ。

 竜児は二人をカウンター席に案内し、お冷とおしぼりを出しつつ店の状況を友奈に説明した。

 

「―――って感じで、今は皆居ないんだ。

 腹減ってるなら、僕が何か適当に作ってあげられるけど」

 

「本当!? わー、ありがとう!」

 

「あ、財布出さなくていいから。

 うどんの代金も要らないよ。

 材料費とかは僕の奢りってことで、後で店主さんに言ってレジにお金入れとくから」

 

「え? でもそんな、熊谷君に悪いよ」

 

「バイトが店主の居ない内に勝手に店開いてたって話が広がったらどうなると思う?

 勝手にうどん作って金取ってたって噂が広がったらどうなると思う?

 バイトが誰も居ない店で、店と違う味出して、稼いでたって言われたらどうなると思う?」

 

「……ああー」

 

「あくまでクラスメイトに好意でまかない作った、って程度の話に収めてほしいんですよ僕」

 

「……うーん……でも……」

 

「納得出来ないなら、ゲロのお礼ってことでどうかな?」

 

「……あっ。あはは、そう来たか。それじゃあ熊谷君のゴチになっちゃおうかなー」

 

「待って友奈ちゃんゲロのお礼って何? 日常の中で絶対に聞かなそうなワードなんだけど」

 

 竜児の本心の内訳を割合で見ると、1/3は打算。

 マデウスオロチを倒す手がかりが欲しいという打算。

 1/3は店のため。

 今後もこの店に来てください、という、店のためを思っての店の好感度を稼ぐ行為。

 1/3は返礼。

 竜児は本当に、友奈に恩返しをしたいと考えていた。

 

 が、店主に黙って店開いて金を取るなど最悪。

 食中毒を出せば二倍最悪。

 不味いと言われれば三倍最悪だ。

 金を取らず、ちゃんとしたものを出し、美味いと言わせる。

 三重のセーフラインを越えなければならないが、竜児にはそのセーフラインを越えて行ける自信があった。

 

「ご注文をどうぞ」

 

「私は東郷さんとおんなじので」

 

「東郷さんの注文を二人分ね。東郷さんは?」

 

「うーん……」

 

「僕はレパートリーだけなら店主さんより多く持ってるけど。メニューに無くても出せますよ」

 

「じゃあ」

 

 東郷の目が、一瞬鋼鉄の頑強さを垣間見せた。

 

「―――護国っぽいうどんを」

 

 竜児の中の自信が揺らぐ。

 やべえどうしよう、と心が揺らぐ。

 夏凜が東郷美森のことを『核融合地雷』と呼んでいたことを、自分がそれに心中で全面的に同意していたことを、竜児は今更ながらに思い出していた。

 

「―――じ、時間をください、東郷さん」

 

「はい。期待して待ちますね」

 

 しばらく経って。

 

 竜児はメニューにも無いうどんを、東郷の注文に応じて二杯仕立て上げる。

 

「かつて創業70年の老舗として名を売っていた小山製麺の系譜。『美人うどん』です」

 

「わっ、うどんの色が……いち、に、さん、し、五色もある!」

 

「いただきます」

 

 慌てふためく友奈をよそに、東郷は優雅な所作でうどんを口元に運んだ。

 ひとくち食べて、東郷の表情が変わる。

 

「ダシはアゴ、煮干し、昆布、鰹節。

 魚介系のスープの裏に見える鶏ガラスープ。

 これはうどんの技法を基軸に置きながらも、ラーメンの技法を加えているものと見ました」

 

「流石は鬼の東郷。そこの細かな味に気が付くとは……」

 

 あくまで讃岐うどんの味を維持しつつも、ダシの種類を増やしラーメンのダブルスープ技法(魚介系のダシと動物系のダシを組み合わせる)を組み込んだ、いわゆるニューウェーブ系のうどん仕立て。

 

「具材は鴨、ネギ……隠し味はショウガと……

 麺の食感と味をシンプルに引き出す、讃岐うどんとのスープとは似て非なる系譜……」

 

 スープと具材の自己主張を強めにしてあるのは、どことなく往年の名店『釜あげうどん 長田 in 香の香』のやり方を参考にしているようにも感じられた。

 ツルツルシコシコの讃岐うどん麺の長所は僅かながらに失われていたが、それでも十分な歯ごたえと、五種類の別個の風味の麺が舌に楽しい。

 噛みごたえは似ているのに、五種類のうどんをいっぺんに食べている気分であった。

 

「熊谷君、なんでこんなに色が違うの?」

 

「黒米、もち麦、きび、赤米、玄米が麺に練り込んであるからさ、結城さん。

 もちろん五種類の麺なんてそのまま出したら味が喧嘩する。

 だから今回はちょっと練り込んだ雑穀の割合は抑えて、スープの味を濃くしてる。

 黒米は体を若々しくする。

 もち麦は体の中を綺麗にしてくれる。

 赤米は肌を綺麗にしてくれる。

 きびは免疫力を高めてくれる。

 そして玄米は栄養豊富で体のバランスを取ってくれる。だから、五つ合わせて美人うどん」

 

「ほへー」

 

 食べた女性を美人にしてくれるから、このうどんは美人うどんと名付けられた。

 

「黒米、もち麦、きび、赤米、玄米……はっ、まさか!」

 

 そして、東郷は気付く。

 

「そう―――五穀(ごこく)うどんです」

 

「―――つまり、護国(ごこく)うどん」

 

 完璧な礼儀作法で座ったまま頭を下げ、東郷は感服の意を示す。

 

「感服いたしました。

 うどん屋でバイトをしているだけのクラスメイトと思っていた自分が恥ずかしい」

 

「いえいえ」

 

 竜児は調理に使った道具を洗うふりをして、うどんを食べている二人の会話を盗み聞く。

 二人はこっそり隠語を使って誤魔化しつつも、メビウスの話をしているようだ。

 

「お話してみたいよね、東郷さん」

 

「お話できるのかしら。友奈ちゃんはできると思ってるのよね」

 

「できるよ、きっと!」

 

 どうやら、メビウスと話をしてみたいと思っているらしい。

 

 竜児は大赦の上司にメールする。勇者のウルトラマン印象は良好らしいと。

 引き続き色々聞き取れ、と上司からメールが返ってくる。

 踏み込みすぎでしたでしょうか、と上司にメールで相談する。

 構わんそのままでいい、と上司からメールが返ってくる。

 

 引き続きそういうことやって見張るように、とメールが来たところで、別の上司から電話がかかってきた。

 

「結城さん、東郷さん、ちょっと電話に出て来るから適当に食べてて」

 

「店員が赤の他人をレジの前に放置して出て行くのはどうなんでしょうか」

 

「僕は勇者部の人を信じてるから大丈夫。過去の君達の信頼実績っすよ、東郷さん」

 

「……そうですか」

 

 友奈は嬉しそうに、東郷は気恥ずかしそうにした。

 竜児はクラスメイト面して大赦に彼女らの会話内容を送信していたので、その反応に果てしない罪悪感を覚える。

 店の裏に回って、少年は着信に応対した。

 

「もしもし、竜児です。どうかしましたか安芸先輩」

 

『今あなたがメールした相手から話が来て、様子見の電話をした方がいいと思ったのよ』

 

 電話をかけてきたのは、春信と同じ竜児の三人居る上司の一人、安芸であった。

 竜児からは安芸先輩と呼ばれている。

 これは上司というより、一時期同じ職場の先輩後輩としての関係性が先にあったから、だと言われている。

 

 眼鏡の似合う女性であり、大赦では裏で「熊谷竜児は安芸の知的さに憧れ、彼女の真似をして伊達眼鏡を掛け始めた」ともっぱらの噂だ。

 これは大赦で竜児がそういうキャラだと認識されている、ということの証左でもある。

 

「―――って感じです、今は。

 どうなんでしょう、ちょっと踏み込みすぎな気はするんですが。

 でも二人の談笑の近くにいられるのであれば、より多く内心は見えそうな気はします」

 

『個人的にはいいと思う。

 見られていると思っていない状態で、友人と食事をしながらお喋りをする……

 自分の内側をポロッと漏らしやすいのはこういう時でしょう。

 彼女の周りの人間のキャラクターを把握するのにも役立つわ。

 店主と客という位置付けなら、あっちを観察しててもさして不審がられないでしょうし』

 

「です、よね」

 

『……元気そうだった?』

 

「え? ああはい、二人共仲良さそうで、元気そうですよ」

 

『……そう』

 

 電話の向こうで、安芸先輩が言い淀むような、言葉を選んでいるような、言葉を選びすぎて結局何も言えなくなっているような、そんな気配がした。

 

『あなたが気をつけるべきは、情に流されてとんでもない失敗をすることだけよ』

 

「……そうですね」

 

 選んで出て来た言葉がそれですか、と竜児は心中でツッコミを入れつつ、安芸のストレートで的確な指摘に胸をグサグサ刺される。

 

『職務に忠実なのは当然ですが、あなたがその仕事を与えられているのには理由があるわ』

 

「それは勿論、大赦でも数少ない勇者と同年代で……」

 

『これから話すことは、誰にも漏らさないように』

 

「?」

 

『あなたを大赦の庇護下に置きつつも、あなたを大赦の中枢から離したがっていた人が居た。

 大赦というあなたの居場所を守りながらも、綺麗な場所に居させようとした上の人が居た』

 

「!」

 

『それが誰かは言いませんが、あなたなら推察はできるでしょう』

 

 春信さん、と竜児は思って、ジーンとする。

 

『あなたは生真面目だから、組織と個人の板挟みになることもあるでしょう。

 そうなった時は思い出しなさい。

 あなたはあなたにしかできないことをするために、その場所にいるのだと』

 

「……肝に銘じておきます」

 

『それと、あなたの有給が溜まっていることを』

 

「学校の時間なんて全部休日みたいなもんじゃないですか」

 

『普通の学生は学校をサボりたくて仕方ないものよ』

 

 ピッ、と通話が切れる。

 通話の終了を見計らって、メビウスが話しかけてきた。

 

『うどんってそんなに美味しいの?

 僕も食べた覚えはあるけど、国民食になるほどだったかな』

 

「うどんの良さに疑問を持つとうどんの暗黒面に落ちるよ」

 

『うどんの暗黒面……!?』

 

「うどんのダークサイドの誘惑は強烈だから」

 

『うどんのダークサイド……!?!?!?』

 

 竜児は軽くカウンター席の彼女らを覗く。

 うどんはどうやら食べ終えられているようだ。

 通話しながら片手で細工していた砂糖菓子を皿に乗せて、ミント、花の形にスライスしたマンゴーを添えて彼女らの前に運んだ。

 

「どうぞ、デザートです」

 

「おお、砂糖細工に私達の名前が彫ってある……」

「にくい演出ね」

 

「讃岐和三盆の砂糖細工のミントマンゴー添えでございます」

 

「徳川吉宗の享保の改革で生み出された、讃岐の誇り讃岐和三盆。

 1700年代に生み出された歴史ある上質糖で、その舌触りは絶品。

 『盆の上で砂糖を三度"研ぐ"』と言われた製法は現代ではほとんど失われたもの……

 徳島の阿波和三盆ではなく、香川の讃岐和三盆を選ぶ心意気に、大和の心意気を感じる……」

 

「東郷さんが謎の『分かってる感』出してる!」

 

「東郷さんにだけは僕も下手な一品出せないなコレ……」

 

 うどんに和三盆を組み合わせた気遣いが、東郷の変なスイッチを入れてしまったようだ。

 

「あ、そうだ」

 

 友奈は思いついたように、口を開く。

 

「樹ちゃんについて、何か知らない?」

 

 そして、竜児に問いかけと頼み事をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間の心の動きに敏い友奈は、当然のように樹が何かを抱えていることに気付いていた。

 友奈曰く、"夜が来る度に変になってる"とのこと。

 事前に情報を得ていた竜児は、"胡蝶の夢だな"と当たりをつける。

 

 何か気付いたら教えてほしい、と東郷から頼まれた。

 何かあったら気遣ってあげてね、と友奈から頼まれた。

 クラスメイトへの気軽な頼み、喩えるなら社交辞令と重みに差が無い軽いものであったが、竜児は真面目に受け取ってしまった。

 大赦に連絡。

 安芸先輩から"戦闘に問題が出る前に解決しなさい"とお墨付きが出る。

 

 かくして翌日、竜児は犬吠埼樹の悩み調査を達成すべく、隠密行動を開始した。

 

(何故また図書室に居る……)

 

 そして図書室で樹を見つけてしまう。

 また図書委員の仕事を押し付けられたのだろうか?

 あの男子の問題が何も解決していないと見せつけられた気がして、竜児はちょっとしょぼんとなった。

 

「~♪」

 

 なのに、何故か樹は先日ほどどんよりした気持ちであるようには見えなかった。

 本の整理をしながら歌を口ずさんでいて、どこか誇らしい仕事をしているようにすら見える。

 しかも、歌が上手かった。

 声色が心地良い。

 リズムの取り方も良い。

 カラオケとか好きなんだろうか? なんて思う竜児であった。

 いつまでも聞いていたい気持ちになってきたが、断腸の思いで声をかける。

 

「歌、上手いね」

 

「わひゃああああああああああああああああ!?」

 

「うわあああああああああああああああああ!?」

 

「きゃあああああああああああああああああ!?」

 

「ストップ! ここでストップ! 相手の声に驚くのここでやめよう!」

 

 絶叫セッション。歌ってたのを聞かれたと気付いた樹の驚愕の規模たるや。

 恥ずかしがり屋の彼女はこれを過剰に恥に感じただろうから、下手したらもう会話ができない……と、竜児は予測したのだが。

 

「あ……熊谷先輩。こんにちわ」

 

(あれ?)

 

 樹は自分の歌を聞かれたというのに、顔を赤くして照れただけで、逃げ出す気配も無い。

 竜児は会話打ち切りで逃げられることも想像していたので、少し拍子抜けだった。

 何か、変だ。

 

「こんにちわ、樹さん。またあの男子に仕事押し付けられたん?」

 

「あ、違うんです。実はですね、今朝にあの男の子達に謝ってもらえたんです」

 

「……ほほぅ」

 

 樹がはにかむ。

 

「もうしないって、約束してくれたんです。

 でもそれはそれとして、今日は大事な試合形式の練習があるらしくて。

 それを聞いて、私から進んで委員の仕事を代わったんです。今度は、私の意思で」

 

「……勇者部かぁ」

 

「はい! 人のためになることを勇んでやる。それが、勇者部です」

 

 前回と同じく委員の仕事を代わっているだけなのに、その心の状態は正反対だった。

 樹は前回無理に押し付けられていた。

 今は望んで人を助けている。

 そういう違いがあるからだろう。

 ここの心の動きは犬吠埼樹らしいと、竜児は思えた。

 

「樹さんは歌手にならんの? 歌上手かったけど」

 

「え!? そ、そんな……」

 

「なれそうだと思うんだけどな、上手いし」

 

 大赦は勇者を見張っている。

 樹が歌手になるため、伊予乃ミュージックのボーカリストオーディションの資料請求をしていたことも、もうその応募期限が迫っていることも、全て把握している。

 樹には夢があるのだろう。

 歌で誰かの為になれる、そういう者になりたいという夢が。

 竜児は樹の意図を探るという意図と、樹の夢を後押しする意図で、その言葉を口にした。

 

 竜児は、樹が何がなんでも誤魔化し、照れた様子を見せると思っていた。

 

「……実は私、オーディションに応募しようと思ってたんです。変ですよね?」

 

(!)

 

 そしてまた、樹らしくない返答に、嫌なものを感じ取る。

 

「好きになれた歌で、夢を追いかけたくて……

 だからとっても勇気が必要で……だから録音しても送れなくて……悩んでた、んですけどね」

 

「過去形?」

 

「……も、もういいじゃないですか、こんな話」

 

 犬吠埼樹は内気な恥ずかしがり屋だ。

 自分の夢を気楽に語れないタイプ。

 ましてや他人に近い竜児に、自分の夢を語れるはずがない。

 夢をこんなに適当に、過去形のように語れるはずがない。

 

 何かがおかしい。

 何かが歪んでいる気がする。

 己の夢を胸張って掲げられない謙虚な少女が、こうして夢を語れるということは。

 自分の夢を語ることが些事になってしまっているほどに、彼女の内側に、とんでもなく重い問題が発生しているということだ。

 

「歌上手いんだから何か一曲歌ってみてくれない? 僕聞きたいなあって」

 

「ここでですか!?」

 

「大丈夫大丈夫、戸と窓を締め切ってれば意外と音漏れしないし。

 ドアの近くで僕が見張ってるから、誰かが図書室に来ればすぐ分かるよ」

 

「……例えば、どんな曲ですか?」

 

(あ、これはヤバい。これで『歌えるわけないです!』って拒絶が出ないのはヤバい)

 

 ダメだ。

 これは、胡蝶の夢の影響が出過ぎている。

 上手い感じに探って早期に対応しないと不味そうだ。

 

 何が不味いか、理由は二つ。

 竜児が前回に話した時に違和感がほとんどなかったこと。

 つまり表面上は取り繕えていたことが、重症の証明になっていたこと。

 そして今は、その取り繕いが破綻しかけているほどに限界であるということ。

 犬吠埼樹は、夢見るように地に足がついていない。

 

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 『胡蝶の夢』だ。

 竜児は携帯電話にイヤホンを繋げて、イヤホンを樹に渡しつつ、どうしたものかと悩む。

 

「これをお願いするぜ。THE ALFEEの『英雄の詩』を」

 

「はい、イヤホンお借りしま……ん? んん? あのこれ、結構激しいやつでは……」

 

「樹さんのちょっといいとこ見てみたい」

 

「応援が棒! おだてが棒読み!」

 

 イヤホンを樹に渡す前に、イヤホンを念入りに除菌ティッシュで拭く竜児を見て、なんやかんや気遣いの人なんだなと樹は思った。

 片耳にイヤホンをハメて、竜児のリクエストの曲を聴く。

 いい曲だった。

 

「あ、でもこれ、いい曲ですね。

 夢破れた人への応援歌かな? とも思ったけど……

 実際はラブソングでもあって、全体としてはヒーローソングみたいな」

 

「そうそう。樹さんには見る目が……じゃなくて聞く耳があるな」

 

「この最初がいいですよね。

 主人公のひとり語りでしょうか?

 見えない壁に囲まれている主人公。

 息が詰まりそう、っていう主人公の弱音。

 その中で好きな人の微笑みだけを心の支えにしてる、っていうラブソング風の導入」

 

「……そこに思わず共感しちゃうんだよな、僕は」

 

「この歌の主役は夢破れた男の人なんでしょうね。

 夢破れて、悔しくて泣いてます。

 思い通りにいかなくて泣いてます。

 何か大きな目標に全力で挑んで、叶わなくて、心が折れちゃったんでしょうか」

 

「いいよな、思わず共感しちゃう」

 

「そして最後はラブソング風にしめる。

 君だけを見る、君だけを信じる、ずっと君だけを愛し続ける……

 いいですよね。とってもいい。

 愛を語りながらも、夢破れた人への応援歌で、やっぱりヒーローソング、みたいな」

 

「皆、好きな人が出来たらそんくらいの愛になるもんじゃないのか。普通」

 

「はー、熊谷先輩は恋をしたことがないんですね多分」

 

「と、突然の辛辣! そこまで言われなくちゃならないことだろうか!?」

 

 樹が生暖かい目で竜児を見つめる。自分も恋愛処女のくせに。

 

「まあだからかその一途な部分にも、思わず共感しちゃうんだよな」

 

「『思わず共感』以外の語彙をどこへやってしまったんですか、熊谷先輩」

 

「君の心の中に」

 

「無いです」

 

「無いのか」

 

「ちょっとなら、ほんのちょっとなら、歌ってあげる気はあります」

 

「あるのか」

 

「あります」

 

 樹はもう一度聞いて、自分のリズムで曲を噛み砕き、優しい声色で歌い出す。

 体感的には、夢の中で歌っている気分なのだろう。

 危ない兆候だった。

 

 竜児は歌に耳を傾け、目を閉じる。

 夢見るような心地で聞いている気分なのだろう。

 危ない兆候だった。

 ファンになりそうだった。

 大赦としては致命的である。

 

 もし竜児が暑苦しいまでに熱い男の歌ではなく、穏やかで心を撫でるような女性の歌をリクエストしていたなら、クラっと来ていたかもしれない。

 単純に、竜児の好みの感じの歌声だった。

 

「……どうですか?」

 

「ファンになりそう。ぶっちゃけ大好きなタイプの声。ヒットするよこれ」

 

「お、大袈裟ですっ」

 

 褒められて、照れて、けれど瞬時に落ち込んで、何か思い詰めたような表情へ。

 可愛らしい百面相が樹の顔の上に現れる。

 

「やっぱりこれ、夢なんでしょうか。

 私の歌がこんなに直球に褒められるのって、なんだか都合がいい気がします」

 

「僕は普段もっと変なことしてるからまあ、現実なんじゃないかと思うよ」

 

「現実……現実だと、私も思ってます。思いたいんです。でも、現実感が薄いんです」

 

 現実感が薄すぎて、現実が夢に見えてしまう苦悩を、つい樹は漏らしてしまう。

 

「変な夢でも見た?」

 

「―――!?」

 

「図星っぽいな。うちのクラスや、うちの店のお客さんにも居たよ、そういう人」

 

 大嘘である。

 胡蝶の夢の被害を受けている人が多いというのは、大赦経由の情報だ。

 

「……夢を、見るんです。

 とってもリアルな、私が今いる現実と同じくらい、現実感のある夢を」

 

「……」

 

「お姉ちゃんと居ると楽しいんです。

 友達と居ると楽しいんです。

 楽しくて、嬉しくて……

 ふと気が付くと、次の瞬間に目が覚めて現実(ゆめ)が終わりそうな、気がしてしまうんです」

 

「怖いかい?」

 

「怖いです。とっても。幸せだ、楽しい、って思った瞬間に夢が終わってしまいそうで」

 

 樹の現実感は半ばが『向こう』に、半ばが『こちら』にあるようだ。

 『向こう』でオロチの端末となっているもの、あるいは『こちら』でオロチを倒してやらなければ、終わりは来ない。

 終わりが来ない限り、繊細な樹の心には過剰な負荷がかかり続ける。

 

「夢の中で、私は大学を出たフリーターなんです。

 高校生の時にも、大学生の時にも夢を追いかけて、失敗して。

 "音楽が好き"っていう中学生の頃の気持ちも忘れかけてて。

 中学生の時に音楽の夢を持ってしまった自分を、ずっと後悔してるんです」

 

「それは……」

 

「夢の中の私にはお姉ちゃんもいない。勇者部の友達もいない。

 一人です。ずっと一人なんです。

 あの夢の方が私にとっての現実なんじゃないかって、思えてならないんです。

 フリーターは夢の中で、姉と友達に恵まれた樹という幸せな日々を、夢見てるのかも……」

 

「樹さん」

 

「もう、何を本気で頑張ったらいいのか、私、分からなくなってきてるんです」

 

 こういうの私だけじゃないんですか、と無言で訴える樹の目に、竜児は首肯で応えた。

 樹がうつむく。

 

「幸せで、楽しくて、嬉しくて。だからこの世界が夢に思えてしまって」

 

「そりゃ樹さんの思い込みだ」

 

「そう思いたいんです。私もこの現実がちゃんとした現実だと思いたいんです。でも」

 

 泣きそうな樹の顔があった。

 涙は流れていなかった。

 だから、竜児には樹の悲しみを拭うことができなかった。

 

「思ってしまうんです。

 私の、歌を歌っていきたいこの夢は……

 私は……自分に都合の良い夢の中で、叶わなかった夢を見てるんじゃないのかなって……」

 

 夢の中の夢。

 それほど儚いものもない。

 夢の中で歌手になる夢を見ても、夢の中の夢など現実になろうはずもない。

 

 眠りに見る夢。

 現実のような夢。

 将来に見る夢。

 全てがごっちゃになって、勇者部で唯一明確な将来の夢を持つ樹を、笑えないくらいに追い詰めてしまっている。

 追い詰められた樹は、更に現実感の喪失も相まって、今の状態になってしまっていた。

 

『胡蝶の夢が、こんなに人間を追い詰めてしまうなんて……』

 

(……ほっとけない。こんなのほっとけないよ、メビウス)

 

 知らない他人の前で歌ってみせることができる程度には、樹がこの現実に覚えている現実感は薄れてしまっている。

 夢の方に、現実感を引っ張られてしまっているのだ。

 

「樹さん」

 

「……はい」

 

「今僕が思ってるのは、夢の中でもクソ真面目でいようとする君への驚愕だ」

 

「えっ」

 

 よく考えてみれば分かる。

 この現実が夢の中だと思い始めているのなら、つまり樹はここが夢だと思いながらも、夢の中で能動的に人助けをしていたことになる。

 でなければ、図書委員の仕事を代わってここに居ない。

 

「要するに君は夢の中でも現実でも、ズルいことはしようとしない人なわけだ。

 そんなんだから、よろしくない周りに利用されて嫌な思いもしてしまうわけで」

 

「は、はい」

 

「さっき自分に都合の良い夢って言ったな。

 いや、そんなわけがないだろう。

 君を利用してた男子は、まさに昨日君に嫌な思いさせてたじゃないか」

 

「それは」

 

「そこそこに良い人もそこそこに悪い人も、君の人生にはいっぱい居たはずだぞ」

 

 眼鏡をゆっくりと押し上げる。

 

「君の周りにいい人が集まってるのは、君がいい人だからだ。

 君の周りに優しい人が集まってるのは、君が優しい人だからだ。

 君が周りの人に幸せにしてもらえているのは、君が周りを幸せにしてるからだ」

 

「―――」

 

「変な思い込みに惑わされるな。全ては君の行動と想いが自分に返って来てるだけなんだ」

 

 嫌なことがあっても、自分の人生は輝いていると言い切れる樹。

 自分の人生に辛いことがあっても、自分の人生は幸せだと思える樹。

 いいことばかりの人生でもないだろうに、それでも彼女は自分の人生を夢のようだと言い切っていて、だからこそこんな苦悩を抱えてしまっていた。

 きっと自分の大切なものを失っても、樹は自分の周りの幸せを噛み締めていくのだろう。

 

 その人生を、"夢だから幸せだったんだ"なんて思わせたくない。

 竜児のその感情は、怒りのようで、優しさのようでもあった。

 熱い感情であることだけは、間違いない。

 

「第一、樹さんのお姉ちゃんはそんなに理想的? 欠点とか見えてこない?」

 

「……そ、それはその……お姉ちゃんの名誉にかけて、黙秘します」

 

「じゃあ全然理想的な姉でもないし、君に都合の良い姉でもないだろう。

 ただ単に、君が世界一大好きなだけの姉だ。君にとって世界一大切なだけの姉だ」

 

「!」

 

「僕はよく知らないけどさ。

 家族って面倒臭いものらしいじゃん。

 長所があって、欠点があって、好きだったり嫌いだったりして、それでもずっと家族で」

 

 樹に都合のいい世界なんてない。都合のいい友人も居ない。都合のいい家族も居ない。

 ただ樹は、短所も長所も一緒くたにして『大好き』だと思っているだけだ。

 友達に対しても、周囲の者達に対しても。

 姉に対しては、特にそうだろう。

 

「僕は孤児だから、兄弟姉妹がいる人は見てるだけで羨ましい」

 

「熊谷先輩……」

 

「いいの? そのお姉ちゃん、夢の登場人物ということにしてしまって」

 

 竜児が問う。

 樹が悩む。

 5分、10分と時間が流れ、樹の胸の奥で想いが整理されていく。

 樹はようやく、この苦難を前にして、現実をひっくり返すような『自分だけの強い想い』を吐き出した。

 

「……したく、ないです。夢じゃなくて、現実のお姉ちゃんでいてほしいです!」

 

「よし」

 

 それでいい。

 それでいいのだ。

 世界がクソみたいな現実を押し付けてきたなら、嘆くのではなく吠えればいい。

 ふざけるな、と叫んで跳ね除けることをまずは考えるべきなのだ。

 

「君は歌も上手いんだから、夢の中でしか歌を評価されないみたいな幻想も捨てとけ」

 

「え、あの、その」

 

「僕は君の友達じゃない。家族でもない。仲間でもない。

 君にお世辞を言う義理もなければ、おだてる義務もない。それでも信じられない?」

 

「は、はひ、えと」

 

「僕と君が仲良くないっていうこの現実と、それでも褒められたって現実、信じてみなよ」

 

「……!」

 

 赤の他人でも褒めたくなる歌だったよ、と竜児は至極私的な感想を述べる。

 

「歌の夢、追いたいんじゃないのか。

 一回はその夢が追いたくて、オーディションに応募しようとしたんじゃないのか」

 

 ふざけんな、あんな怪獣ごときにこの子の夢を邪魔させてたまるか、と思うと、竜児の言葉にも熱が入る。

 樹にはそれが、赤の他人の夢でも本気で応援できる、熱い男の善意に見えた。

 

「君がその夢を見て、その夢を追いたいと決めた時、胸に湧いた勇気を。無駄にしないでくれ」

 

「……はい!」

 

 勇者が勇気を無駄にする瞬間なんて見たくない。

 それは、100%竜児の私情であった。

 メビウスは竜児の心の中で呟く。

 

『そうか。君は、この子の夢が好きなんだね。夢を見ている人が好きなんだ』

 

 胡蝶の夢なんてものに、少女の夢を殺させたくなかった。ただ、それだけのこと。

 

「ありがとうございます! 先輩のおかげで……」

 

「ストップ、ストップ、樹さん」

 

「へ?」

 

「僕のお陰なんてとんでもない。君、ちょっと僕を過大評価してるよ」

 

「え……ええ?」

 

「君と僕はほとんど赤の他人だ。

 赤の他人に背中押されたって効果はたかが知れてる。

 君がその夢の苦悩を振り切れたのは、君の心に最初からあった力なんじゃないか」

 

「それって……」

 

「誰が背中押しても結果は同じだったと思うよ。

 君の中には最初から、苦悩にぶつかり越えて行ける勇気があった。

 夢と現実に向き合う勇気があった。

 誰かに背中を押されて、自分の勇気で越えて行く。君は勇者部の名の通り、勇者だった」

 

「……勇、者」

 

 樹は激励を受け、ちょっと立ち直る。励まされた樹は、感謝の意を込めて頭を下げた。

 

「赤の他人にここまで言わせたんだ。まず君が話しに行くべきなのは、別に居るんじゃないか」

 

「! ……お姉ちゃん」

 

「駆け足!

 "お姉ちゃんを夢の産物だと思ってごめんなさい"って言ってきな!

 言い終わって、犬吠埼先輩とちょっと話したら、もうここが夢だなんて思えなくなるから!」

 

「はい!」

 

 "君は蝶ではない"と確信させるのに必要な最後の一手は、人間な姉と話させること。

 まあこれで大丈夫だろう、と竜児は信じることにした。

 思った以上に熱くなってしまった。

 思った以上に説教臭くなってしまった。

 

 樹が基本受け身の少女だったから成功した、というのもあるだろう。

 夏凜相手にあんな説教臭い理屈の畳み掛けをしたら、必ずどこかで猛反発と猛反撃を喰らっていたに違いない。

 怒らない樹だからこそ、竜児はあそこまで踏み込めたのだ。

 

 受け身の樹の心に変化をもたらすには、竜児もグイグイ押していくしかなかった。

 会話の押し引きではなく、竜児の方からガンガン押していくしかなかったのだ。

 

 だが逆に言えば、それは。

 受け身の樹の在り方が、勇者に対し踏み込みすぎないようにしていた竜児から、大きく踏み込む行動を引き出したということ。

 樹が、竜児に一線を越えさせたということ。

 彼のスタンスに、大きな変化をもたらしたことを意味していた。

 

『行っちゃったね』

 

「どうせすぐ戻ってくるよ。

 図書委員の仕事サボれるほど、彼女は不真面目でも世渡り上手くもないから」

 

『……あ、そうか』

 

「夢、夢。僕も夢欲しいな。

 というか、あんなにも大好きでいられる兄弟姉妹なら、そっちの方が欲しいかも」

 

 樹の姉への想いが肌で感じられた。

 それが、竜児の"兄弟が欲しい"という欲をちょっとかきたてる。

 

『今は僕が、君の兄代わりだよ。……僕じゃだめかな?』

 

「……ちっくしょう、不意打ちでそういう超嬉しいこと言わないでくれよ……!」

 

 メビウスの不意打ちに、竜児は尋常でなくグッと来た。

 

 ちょっと、ほんのちょっと、嬉しくて泣きそうになったらしい。

 

 

 

 

 

 竜児の読み通り、樹は程なくして戻って来た。

 ちょっと気恥ずかしそうにしていて、けれど地に足がついた表情をしていて。

 胡蝶の夢が彼女にもたらした悪影響は、姉のおかげで全て消えてようだ。

 

「私、自分の思い込みよりお姉ちゃんを信じます。

 あんなお姉ちゃんが夢の存在なわけがないって、信じます。

 お姉ちゃんがいる場所がきっと、私にとって一番大切な現実なんです」

 

「ん。ブラボーな答えだ」

 

 強い。

 彼女の心は、掛け値なしに強い。

 この現実に覚える現実感が薄れているのはそのままだろうに、強い心と意志で『こちらが現実』だという認識を定めているようだ。

 

「……それと、熊谷先輩、アレは忘れてください」

 

「何を?」

 

「その……さっき、図書室で歌ってたりしてたこととか……」

 

「CDに吹き込んで欲しかったなって」

 

「忘れてください!」

 

 いや、強い心というのはどうなのだろうか。

 先程の自分の姿を思い返して、樹は顔を真っ赤にしていた。

 羞恥心にはまだまだ弱そうなご様子。

 

「あとやるべきことは一つだな」

 

「え? 何かありまし……あ」

 

「オーディション! 応募しよう!」

 

「あぅぅ」

 

「夢だと思って暴露したのが今更恥ずかしくなったのか、愛い後輩め」

 

 オーディションに応募しようとしていたことも。

 勇気がなくて送れてなかったということも。

 胡蝶の夢のせいで、樹は暴露してしまった後である。

 

「しょうがない、伝統の勇気が出るおまじないを教えよう」

 

『ちょっとリュウジ君』

 

「この眼鏡を使った、勇気が出るおまじないだ」

 

『広める気かいリュウジ君』

 

 宇宙に広がるセブンの輪。

 

「デュワッ! ……と、こうすると、勇気がもりもり湧いて来るらしい」

 

「……本当ですか? バカにしてませんか?

 熊谷先輩はそういう人じゃないとは思いますけど」

 

「これで勇気が湧くプロセスは科学的に立証されてるよ」

 

「え、本当ですか!?」

 

「うん(大嘘)」

 

 竜児がなまじ知恵袋として知られている人間だったので、竜児が語るおまじないを樹は信じ込んでしまう。なんというか、純粋だ。

 

「デュワッ!」

 

 そして、樹は恥ずかしそうに真似をして眼鏡を掛けて、ちょっと気合いの入った顔になる。

 

「……なんだか、勇気が出て来た気がします! 先輩!」

 

「いいね後輩!」

 

『セブン兄さん。地球人は今日も元気みたいですよ』

 

 竜児の言い分を参考にするならば。

 これは勇気が出るおまじないで、勇気が貰えるおまじないではない。

 おまじないで出た勇気は、最初から樹の中にあったものだろう。

 

「綺麗にしてるスペア伊達眼鏡が一つあるから、それを明日まで貸してあげよう」

 

「スペア伊達眼鏡とは一体……?」

 

「その勇気が切れない内にオーディションに応募しに行くんだ! 駆け足!」

 

「は、はい!」

 

「車に気をつけて帰りなよ! また明日!」

 

「また明日! あ、今日は本当にお世話になりました!」

 

 樹が駆けるように帰路につく。

 家に帰ったらすぐにオーディションに応募するのだろう。

 よく分からない情動が奔って、竜児は無性に嬉しくなって、思わず走る少女のその背中に大きな声をぶつけていた。

 

「見る夢を間違えんなよー! ちゃんとした夢見ろよっー!」

 

 樹は振り向きもせず、手を大きく振って応える。

 

 人間を見守る巨人・メビウスは、感慨深そうな声を出していた。

 

『行っちゃったね、イツキちゃん』

 

「彼女は勇者の中では一番未熟で、一番幼く、一番弱く、一番評価の低い子だ。

 でも、成長しようとしている。進歩しようとしている。

 ならその心は誰よりも絢爛なんだよ。

 僕は何の努力もせず強者で在る虎よりも、強くなろうと頑張る子猫こそを尊敬する」

 

『君らしい』

 

 樹も将来、音楽というものをいっぱい世に出していくのだろうか。

 竜児は未来に思いを馳せた。

 

「音楽だって文明さ。天の神はこれも根絶やしちゃったから、これも復興していかないとね」

 

『君達の未来は大変そうだ』

 

「でも、楽しみだ」

 

『そう思えるなら、人間(きみたち)はいつかきっと勝てるよ』

 

 人類の進化とは何か?

 それは、個人という個体の成長である。

 それは、文明という総体の進歩である。

 個体と総体が『上』や『先』を目指して変化していく。それが人類の進化である。

 

 それは、人類が皆望んだものであり、天の神が否定したものでもあった。

 

 天の神は、人の思い上がりを裁くべき罪であると語っている。

 

 犬吠埼樹にも進歩するな、成長するな、自信を持つなと神は言うのだろうか?

 竜児はふと、そう思った。

 もしもそう言われたならば、言った神を自分は許さないだろうと、竜児は思った。

 

「よし大赦にメール送ろう。

 『勇者樹のメンタルケアのため、公平なオーディションが行われたかはチェックすべき』

 ……チェックすべきです、って送ろうと思ったけど、これ流石に贔屓が過ぎるか」

 

『あはは、君の好きなようにすればいいんじゃないかな』

 

 メールを送って、大赦に勇者の報告をして、その最中に竜児は一つ思いつく。

 

「ん? 歌? 音……波動……音の拡散……音楽のエントロピー解釈……」

 

 蓄積された知識が、樹との会話というきっかけを得て、発想という実を成した。

 

「―――これだ。マデウスオロチを、これで倒す!」

 

 樹の苦悩と、苦悩からの脱却の過程が、彼に勝利の方程式を伝えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜児はその後大赦に連絡を入れ、協力を依頼。

 ひとまず自宅に帰ったのだが、そこには何故か夏凜が居た。

 

「ねえ、私ご機嫌麗しくないんだけど」

 

「ご機嫌麗しゅうはそういう意味で使う言葉じゃないよ」

 

「機嫌取ってほしいなーなんて」

 

「雑! 前フリが雑!」

 

 しゃあないので夕飯を作ってやることにした。

 夏凜はどことなくムスっとしているのだが、その怒りを竜児に向けているわけでもないので、どうにも心情が読み取れない。

 

「夏凜、なんかあったの?」

 

「別に。心配してた樹がいつの間にか立ち直ってて、私何やってんだろとか思ってないし」

 

「……あぁー」

 

 夏凜はいいやつだ。

 樹が何かを抱えているのに気付き、樹を助けてやろうと自分なりに四苦八苦し、何かする前に解決してしまった樹を見てしまったのだろう。

 友達を自分の手で助けようとしたが、空振りに終わってしまった夏凜。

 スネてるのだ。

 要するに。

 

「どうぞ、故なか卯のすだちおろしうどんです」

 

「いただきます!」

 

 スープではなく、しっかりカツオ出汁を取った醤油ダレ。

 タレの塗られた讃岐うどん麺に、大根おろしと青ネギが添えられ、すだちの絞り汁が軽くかけられていた。

 ダシの旨味、醤油の塩気、大根おろしとネギとすだちの風味が高度に折り合っている。

 さっぱりとした美味さがあり、七月の暑さの中でも食べやすい仕上がりになっていた。

 

「食べてて。僕ちょっとやることあるから」

 

「何よ。飯くらい一緒に食べればいいのに」

 

 すだちおろしうどんをかっこむ夏凜の前で、竜児はノートパソコンを叩き始めた。

 大赦の勇者専用アプリ開発部所が動いているのを確認しつつ、送られてきた胡蝶の夢被害者の証言、その全てに目を通していく。

 総じて、被害者は現実性を感じられていないという。

 

(だとすればやはり、この現象は『現実性のエントロピー増大』……)

 

 夢というミルクと、現実というコーヒーが、何故か両方共コーヒー牛乳になり始めていた。

 どちらが現実なのかもあやふや。

 

(夢を現実性0とする。

 現実を現実性100とする。

 言うなれば夢というのは、現実性が存在しない現実性の真空なんだ。そう解釈する)

 

 この現実性の真空を、科学か呪術の枠内に収めなければならない。

 

(『夢の中の人間が作り上げた夢』が。

 『現実の人間にとっての現実』を塗り潰す。

 真空側から、非真空側へと流れ出す現実性……

 いや、この場合は非現実性が流れ出してるのかな? これに逆行するには……)

 

 熱湯と冷水を混ぜると、熱湯から冷水へ熱が移動する。

 この移動する熱を、夢側から現実側への一方的な現実改変であると、竜児は解釈していた。

 仮説の域は出ていなかったが。

 

(―――量子もつれを使っての『時間の矢の局所的反転』。これしかない)

 

 ミクロなレベルでは物理法則は時間に関して対称でもある。

 時間は未来にも進むし、過去にも進む。

 だがマクロなレベルでは、全てのプロセスには優先的な方向がある。

 時間は絶対性を持ち、エントロピーは逆転しない。

 ……けれど、現象をただ起こすだけなら、時とエントロピーは逆転させられる。

 

 ミクロなレベルでの時間の矢の反転を、呪術で出来る限りマクロなレベルに引き上げる。

 しからば、"夢の人間が現実を変える"という脚本現実改変を、"現実の人間が夢を変える"という逆向きの干渉に変えられるかもしれない。

 胡蝶の夢の舞台の上では、夢も現実も無いので奇妙な話だが。

 

(そも、夢と現実の境界が薄れているのなら、逆方向での干渉ができるのも道理)

 

 竜児が狙っているのは一つ。

 

(現実性をエントロピーとして解釈し、勇者システムを送り込めるはずだ)

 

 『こちら』の世界から、『向こう』の世界への、勇者の投入である。

 

(その媒体として音楽を使う。そうだよな、夢と現実を繋ぐ理屈はシンプルでいい)

 

 竜児の中で、理屈と理論が完成した。

 仮説を実際の理論・技術として組み上げて、大赦の開発部に送り、ノートパソコンのフォルダ内の論文を漁る。実証データを眺める。

 そしてまた、新しくプログラムを組み上げ、大赦に送る。

 

『これはまた、膨大なデータだね』

 

「データってのは、先人が見つけて積み重ねてれば誰でも使えるんだ。

 だから技術と文明は後の時代に行けば行くほど優れてる。これが、人の知恵って奴の強みさ」

 

 アドベンチャー、アドベンチャー……と呟きつつ、竜児はキーボードを叩く。

 

「僕らは先人の知識を貰う。

 僕らは未来に知識を残す。

 こういうのもまた、文明の強みってやつだ」

 

 竜児のやることはいつも同じ。

 ひたすら勉強、知識の応用、そして実装である。

 うどん食いながら夏凜が画面を覗いていた。

 

「何やってんのこれ?」

 

 竜児の眼鏡が光り輝く。

 

「夏凜、ポアンカレ予想の証明ってあるじゃん?

 単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相であるってやつ。

 あれの呪術研究で宇宙がトーラスかどうかを注連縄で証明するってのあったじゃん?

 これイーガンのトーラスを押し潰さずに平らにするスケールモデルなんだけどさ。

 イーガンは創作で下位の次元から上位の次元に干渉する過程を考察してたわけなんだよ。

 ポアンカレ予想って高い次元から順に証明されてたわけだろ?

 微分幾何学や位相幾何学よりも遥かに簡易な過程で行われた呪術注連縄証明で……」

 

「短くお願い」

 

「僕が現実でマデウスオロチと戦うから、夏凜達は夢の中でシナリオ書いてる奴倒して」

 

「へ?」

 

 夏凜がキョトンとした。

 

「勇者アプリをアップデートする。

 勇者達が寝た後、勇者アプリを通して皆の夢の中に勇者の力を送る。

 君達は夢の中で勇者になって、脚本に手を加えてる敵を倒すんだ」

 

「夢の中で戦うなんて、また難儀そうな……」

 

「だから、樹さんにヒントを貰ったアラームを使う」

 

「アラーム?」

 

 音楽。歌。あれが良いヒントになった。

 

「寝てる時に聞いてる音楽は、夢の中でも聞こえることが多い。

 脳がそういう風に情報を処理しているからだ。

 だから就寝中、勇者アプリに音楽を流させる。

 すると現実と夢で同じ音楽が耳に聞こえて、二つの世界は音楽で繋がるのです」

 

「へー、なんか面白いもん考えるわね」

 

「現実と夢の意識を繋げられる媒体ってそんな多くないから……」

 

 寝てる人の目を開かせても、肌を叩いても、起こしてしまいかねないわけで。

 起こさないように夢と現実の両方に共通の情報を送り、意識を繋げるなら、人を起こさない程度に優しく柔らかい音楽を聞かせるのが一番だ。

 

「樹さんの好きな歌を、喩えるなら目覚ましのアラームにする。

 これを聞いたら全員が寝たまま『起き』られるようにする。

 要するに明晰夢だ。

 目覚めた君らは勇者の力で、向こうの世界で脚本弄ってるバーテックスの類を潰す」

 

「なるほど、シンプルね。……あれ、それ樹の好きな音楽にする必要ある?」

 

「いや別になんでもいいけどね。

 とにかく、夢の中で

 『現実でああいう作戦立ててた!』って思い出してもらえればいい」

 

 上手く行くのか? いや、分からない。

 何せマデウスオロチの攻略自体、人類は初めての挑戦なのだから。

 

「夢の中の夏凜達がちゃんと目覚められるかは、三割ってとこかな」

 

「三割!?」

 

「五人居るんだから、一人が

 "ここは夢だ!"

 って気付ければ、後の四人に呼びかけてもらうだけでいいんだよ」

 

「って言ったって……」

 

「五人全員が目覚めない確率は16.807%。悪い賭けじゃないと思う」

 

 夢で勇者が勝てなければ?

 勇者が夢に行っている間に巨人が負ければ?

 世界は終了。分かりやすい。

 

「だから夏凜、頑張って。

 最高の結果を見せて、僕が一番頼りにしてる勇者のままで居てほしい」

 

 しからば竜児にできることは、信じて頼りにすることだけだ。

 それが、良い感じに夏凜の琴線に触れた。

 

「ご機嫌麗しゅう感じになってきたわ」

 

「その使い方はちげえっつってんだろ」

 

 ご機嫌麗しゅうございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大赦からメールが来た。

 勇者アプリの緊急アップデートが完了したらしい。

 夏凜からメールが来た。

 勇者への説明と、準備が終わったらしい。もう勇者は皆寝に入ったそうだ。

 安芸先輩からメールが来た。

 神樹様はこちらの状況を把握し、夜、皆が寝静まった時間に結界に緩みを作って、夢の時間と戦いの時間を合わせてくれるらしい。

 春信からメールが来た。

 ただの応援だった。

 竜児の気合いが入った。

 

『脚本で倒されていないなら倒せない。

 脚本に手を加えてオロチを援護する者もいる。

 それなら、マデウスオロチは地球人の言うところの"神"に近いのかもしれない』

 

「かもね。尋常な手じゃ倒せない」

 

 限りなく全能。

 それはまさしく神の御業だ。

 脚本を改変できるのなら、その存在はまさに神と言っていい。

 

「僕さ、ウルトラマンを神って言ったじゃん」

 

『言っていたね』

 

「日本においてはさ、神はどこにでもあるものだったんだ。

 災害は神の怒り。

 天災は神の裁き。

 星は神の光。

 夜の闇は夜の神と、八百万の神々に見立てられる妖怪の世界。

 人間はよく分からないものを、神や妖怪に見立てて畏れた。

 地球規模で見れば、そういう例はどこにでもいくらでも散見される」

 

 もう、皆寝静まった頃だろうか。

 静かな竜児の語りは、マデウスオロチの襲来への恐れで、少し堅い。

 

「僕らが言う神様はね。『人智を超えた者』って意味なんだ」

 

『人智を超えた者……』

 

「だから昔は災害も神様だった。

 地震も、台風も、津波も、落雷もね。

 神樹様もそう。天の神もそう。君達ウルトラマンもそうなんだ」

 

『僕らは神様のように全能ではないよ』

 

「神樹様も、きっと天の神もそうさ。

 あの御方達も全能じゃない。

 もしかしたら皆、メビウスみたいな力が大きいだけの宇宙人だったりしてね」

 

 竜児がメビウスブレスを優しく撫でた。

 

「災害も神様だったけど、神様じゃなくなった。

 人間の文明と技術が発展して、それが神でないと解明されたからだ。

 雷という神は、落雷というラベルを貼られて神でなくなった。

 人間の文明と技術の進歩は、神様を神様じゃないものにしていくものなんだよね」

 

『天の神はそれに怒ったのかな?』

 

「知らないよ。僕の推測だもの。でももしそうなら、ちょっと同情しなくもないぜ」

 

 もしも、もしもの話だが。

 人類が天の神に裁かれず、文明を過剰に発展させていったなら、神樹様は『神』ではなく『人間に好意的な樹木』のラベルを貼られたのだろうか。

 天の神は『恐ろしい神』ではなく、『敵対的な宇宙生物』の名札を貼られていたのだろうか。

 もしかしたら、天の神にはその未来が見えていたのかもしれない。

 

「神様は人智を超えた者。

 いつか人智の範囲に入り、神様でなくなるもの。

 人間が勝てない神も、いつか『人間が勝てなかった』『神と呼ばれていたもの』に変わる」

 

 神様はいつか過去形になってしまうんだ、と竜児は言った。

 

「僕ら人間も、今はどうしようもなくウルトラマンを神と思っちゃうんだよ。

 本当は良き友人として助け合って、肩を並べて助け合えるのが一番なんだと思う」

 

『……ゾフィー兄さんは、そういう考え方が好きだろうね』

 

「嬉しかった。

 保留にしちゃったけど、メビウスが兄になってくれるって言ってくれて嬉しかった。

 でもその時改めて確信したんだ。なんていうか、その、さ」

 

 竜児は気恥ずかしそうに頬を掻き、言葉を続ける。

 

「暖かいんだ、君達は。……ウルトラマンは、神様じゃないんだよね、やっぱり」

 

 竜児は褒め言葉のように、『ウルトラマンは神じゃない』と言った。

 

「僕はウルトラマンが好きだよ。

 神樹様のことも好きだ。

 神に対する尊敬がなくなっても、きっとこの好意は消えない」

 

 時間が止まる。

 

「でも、人の夢を潰そうとする魔デウスとかいう神様は、好きになれそうにない」

 

 夢で夢を潰しかけたその所業を、許せない。

 マデウスオロチを許せない。

 樹の魂を吐き出すような苦悩を思い出している内に、世界は樹海の形に変わった。

 

(僕だけの力で戦う)

 

 左の腕にはメビウスブレス有り。

 少年の傍らに共に戦う勇者無し。

 遠く彼方に、神樹へと一直線に向かってくるマデウスオロチが見えた。

 胡蝶の夢の世界にて、脚本を書き換える誰かが倒されるまで、一人で奴と戦わねばならない。脚本家が除かれた後も、一人でマデウスオロチを倒し切らなければならない。

 

 竜児の体に、全身を噛み砕かれ、その後自爆した痛みが蘇る。

 ぶるりと全身が震えた。

 震えた手の中、握られた手の汗が指先を伝う。

 オロチの牙の鋭さは、思い出すだけで恐ろしい。

 

 メビウスだけでも傍に居てくれて助かった、と竜児は心中で感謝した。

 

『僕の兄……レオ兄さんなら、こう言うかな』

 

 オロチが迫る。少年が震える。

 けれどメビウスは、怪獣を見据えて目を逸らさず、逃げずに歯を食いしばり立つ竜児の勇気を、丁寧に導く。

 

『男はいつも一人で戦うんだ。

 自分自身と戦うんだ。

 最後に頼るべきは、自分自身なのだから』

 

 夢と現実に立ち向かう樹の中の勇気を、竜児がちゃんと見ていたように。

 恐怖と怪獣に立ち向かう竜児の中の勇気を、メビウスがちゃんと見ていてくれた。

 

『どうか自信をもって。

 君は仲間が居ないと戦えない男じゃない。

 仲間が居れば強くなれる男だ。

 一人でも戦える。一人でも守れる。

 仲間がやってくれるまで、君一人で世界と神樹を守れるはずだよ』

 

「ありがとう、メビウス」

 

 少年は眼鏡を外し、かけ直す。

 

「デュワッ!」

 

 勇気が出るおまじないを、後輩に教えたのだから。

 先輩の方が"勇気を出せません"なんて言えるわけがない。

 頑張って、頑張って、勇気を出した。

 

「僕一人でも、かっこいいとこ見せないとな!」

 

 擦られるメビウスブレス。吹き上がる光の柱。

 

「『 見せてやる、僕らの勇気を! 』」

 

 ∞の形に形成された炎の光が、少年を巨人の姿へと変えた。

 

「『 メビウーーース!! 』」

 

 神樹を目指すメタの化物。

 その前に立ちはだかる赤き巨人。

 巨人は神樹を、世界の命をその身で庇い、悠然と樹海の中心に降り立っていた。

 

 だがマデウスオロチは、既にウルトラマンの攻撃全てに対し無敵である。

 

「行くぞ!」

 

 放たれる光の刃、メビュームスラッシュ。

 だがマデウスオロチの皮膚に触れた途端、光の刃は砂糖菓子のように崩壊してしまった。

 オロチは既に、メビウスの攻撃全てに対する無敵耐性を得てしまっている。

 

 メビウスの足が突然腐り落ちた。

 突然、突然にだ。

 マデウスオロチに睨まれたからだろうか?

 九頭龍のバーテックスは、この正念場で突如新しい力に目覚めたらしい。

 

「あ……ああああああああ!?」

 

 両足の足首から先が腐り、ウルトラマンの体重で潰れる。

 足が潰れた激痛と、足が失われてしまったことで、竜児は叫びながら膝を折る。

 九つの首が伸び、巨人の全身を食いちぎりにかかった。

 

「―――! メビュームシュートぉ!」

 

 だが、折れない。諦めない。

 竜児は前のめりに倒れる体で、抜き撃ち気味にメビュームシュート。

 オロチの頭の一つにメビュームシュートを叩き込み、メビュームシュートの反動で後ろに吹っ飛んで、腐った足を樹海に突き刺し必死に立った。

 腐り足で立つ巨人、そのはるか後方にて神樹が輝く。

 

「諦めるか! 僕は! 僕達は!」

 

『今、この地球を守る!』

 

「『 ウルトラマンだ! 』」

 

 神樹を守る。世界を守る。でなければここに居る意味がない。

 その時、小さな奇跡が起こった。

 樹海が大地から伸び、ウルトラマンの足に絡む。

 樹海が彼を支えてくれる。

 足首から先がなくなり、立っていられなくなったはずのメビウスは、力強く大地に立った。

 

「うぬぼれるなよ、邪悪な天の神の使い」

 

『僕ら二人に残された、最後の力が枯れるまで!』

 

「ここから一歩も、退()がらないっ!」

 

 胡蝶の夢。二つの世界で同時に戦う、巨人と勇者の希望(バトン)リレー。

 

「貴様の三流バッドエンドの脚本は、必ず僕らが打ち砕くッ!!」

 

 巨人は決して諦めず、勇者の希望のバトンを待った。

 

 

 




 量子もつれを利用した時間の矢の反転、それによる冷たい原子核から熱い原子核への自然な熱の移動は、2018年1月に現実で出た最新論なので本来これ使えちゃうのズルなんですよね
 まあこの世界では発表以前にあった研究データと基礎理論が海を渡って、偶然日本に渡っていたということで。それを使ってくれるキャラが居たということで
 よくやった竜児君


【原典とか混じえた解説】

・アドベンチャー
 劇場版ウルトラマンガイアにおいて主人公高山我夢が開発した時空移動メカ。
 竜児が今回勇者システムアップデート時に参考にした、『先人の残してくれた知識』。
 この世界には設計図と基礎理論のみが存在する。

 劇場版ウルトラマンガイアは、TVウルトラマンガイアという番組を見ている現実世界に、別世界から願いを叶える赤い玉が現れ、物語が始まる。
 子供達の願いがウルトラマンガイアをTVから現実に呼び出し、TVからは怪獣も飛び出し、しまいには創作の最強怪獣までもが具現化してしまう。
 最悪なことに、ウルトラマンだけがそこでTVの世界に帰らされてしまった。
 現実の世界に、TVで見た怪獣だけが残るという最悪の事態。

 だがガイアの変身者・高山我夢は諦めず、TVの世界の住人の身でありながら、「僕は彼らの世界を救いたい」と自分が開発した時空移動メカ・アドベンチャーに搭乗。
 TVの世界から現実の世界へと飛び出し、現実の世界で暴れる怪獣をウルトラマンと成って討つ……というストーリー。
 主人公は奇跡ではなく、あくまで科学で世界を救いに跳んだ。
 脚本の中の創作のキャラが、現実の世界を救いに飛んだのだ。

 竜児が参考にしたのが西暦時代の、このアドベンチャーの設計と基礎理論となる。
 知識とは先人から受け継ぐもの。
 先人が未来の者達に残した希望である。

 この映画ではティガ・ダイナ・ガイアの三人のウルトラマンがTVの中から現実世界を救いにやって来ており、映画のキャッチコピーでは
 「TVでは共闘できない彼らも現実でなら共闘できる!」
 と言わんばかりであった。好き放題か。
 映画自体のシナリオ構成や画作りも傑作中の傑作です。

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