時に拳を、時には花を   作:ルシエド

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第二殺三章:樹の宝物

 時は少々巻き戻る。

 樹海化が起こる二時間ほど前のこと。

 夏凜は仲間の勇者四人の端末を預かり、大赦でアップデートした端末を四人に返し、今回の敵の特性である『脚本改変』と『胡蝶の夢』の説明を始めた。

 

「胡蝶の夢……またなんというか、反応に困るわネ」

 

 夢と現実の境界をあやふやにし、夢と現実の関係性を逆転させ、夢の中で脚本を書き換えることで現実を塗り潰す。

 地の文を操るようなその万能性。

 風は理解し、理解してしまったことで苦笑しているが、友奈はぼんやりとしか理解できなかったようだ。

 

「東郷さん、分かった?」

 

「ここは分かっておかないといけないやつよ、友奈ちゃん」

 

 東郷が友奈に補足を始める。

 ふむふむ言っている友奈の横で、実体験から深くこの案件を理解した樹が、"自分が何を見ていたのか"に対し複雑な感情を抱いていた。

 

「胡蝶の夢……」

 

 各々が現状を噛み砕く中、夏凜は端末を眺めて呆れた顔をする。

 

(よくもまあ、アップデートが間に合ったものだわ)

 

 夏凜は大赦の方がどのくらい頑張ったかは知らない。

 だが竜児が本気で根を詰めてカタカタキーボードを叩いていたのは知っている。

 勇者システムは基本的にアプリケーションだ。

 ハードではなくソフトである。

 開発にはハードもソフトも時間がかかる……が。

 

 ハードは物質の加工であり、ソフトは数字の集合体だ。

 有能な人間の集まりがあれば、ソフトの開発・新機能実装にかかる時間は、ハードのそれよりはるかに短縮できる。

 言うには容易いが、この短時間で仕上げるには相当な労力が費やされたに違いない。

 マデウスオロチに対応するアップデートは急務だったとはいえ、相当な人数が相当な無理をしたのは確実だ。

 大赦の仮面で皆が顔を隠していたなら、夏凜はその苦労を想像することもなかっただろう。

 

 彼らの仮面の下には、竜児のあの真剣な顔みたいな顔があるかもしれない、と夏凜は益体もなく思っていた。

 

「だから皆で部室に集まったんだ」

 

「ええ。実は意味があるか分からないけど……

 寝袋で皆で一緒に、出来る限り同タイミングで寝ましょ」

 

「お泊まり会だね夏凜ちゃん!」

 

「友奈ぁ! 緊張感!」

 

 今日は部室でお泊まり会。

 少女達は夢で、夢の現実の中で脚本を弄る敵を討つ。

 

「じゃ、夢の中で!」

 

「「「「 夢の中で! 」」」」

 

 彼女が眠りについてから、約一時間後。

 樹海化が始まり、神樹が勇者を除外し竜児だけを樹海に取り込んで、樹海化した世界の中で怪獣と巨人の戦いが始まる。

 そして同時に、天の神の端末は執筆を始め、勇者達は胡蝶の夢に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 好きな音。好きな曲。好きな歌。

 街を歩いている時に、好きな歌が聞こえたような気がした。

 夢の中で樹は首をかしげる。

 現実の端末が、イヤホンを通して現実の樹の耳へ音を流し、それが夢の中の彼女の耳にて再生されているのだ。

 夢の中(げんじつ)の樹の耳と、現実(ゆめ)の樹の耳が、同じ音を捉えていた。

 

(なんだろう)

 

 ああ、バイトに行かないと。

 フリーターなんだから食いっぱぐれてしまう。

 いつまでも音楽の夢なんて追ってられる身分じゃないもんね。

 

 そんな風に考えながら、樹は平和な街中を歩いていた。

 空は何にも覆われていない。綺麗な青空だ。

 歩き続ければ四国の外にも、日本の外にも行けるだろう。

 ただただ平和で、神様なんていない、夢のような世界。

 なのに閉塞感だけが、樹の心の隣にあった。

 

 何がしたい? と言われても何も応えられない。

 大学を出てフリーターになって、よく分からない苦しさの中を流れている。

 世界から浮かんでいるような不快感の中で、樹は公園のベンチの上に立っている、十歳前後の眼鏡少年を見かけた。

 

「デュワッ!」

 

 あ、熊谷先輩だこれ。

 

 夢の中の樹は、その生涯で一度も熊谷なんて名字の人間と会ったことがなかったくせに、そんなことを思ってしまった。

 

「勇気出た出た」

 

 少年と樹の目が合う。

 

「今、夢の中でデュワッ!ってしてたんだぜ僕。

 でっかいモンスターに噛まれて痛くて目が覚めたんだぜ」

 

「へぇー……そうなんだ」

 

「ふわぁ……寝足りない……おやすみ」

 

 アホっぽいなあ、と樹は思う。

 いや、知識が豊富なだけであの先輩の基本のノリはこうだった、と樹は思う。

 熊谷なんて名前の先輩、一度もいたことがないはずなのに。

 

 揺蕩うような気持ちで、樹は自分が掛けている眼鏡に触れた。

 眼鏡は目が悪くなってしまった中学の時からずっと付けている。

 なのに、何故か、今は。

 度が入っているこの眼鏡に、不可思議な違和感しか感じない。

 "私って眼鏡掛けてたっけ"としか思えない。

 

「デュワッ」

 

 カチリ、と夢と現実の意識が噛み合った。

 耳に届いていた音が繋がる。

 現実の自分と夢の中の自分が聴いていた"特殊な目覚ましアラーム"が、音を通して二つの意識をピシリと繋げた。

 姉の居ない夢を、姉持つ妹の現実が、しかと塗り替える。

 

「……眼鏡、明日、先輩に返さないと」

 

 ここに夏凜が居たなら、現実の竜児が戦闘中に噛まれた痛みで気絶して、この夢の中で少年として目覚めて、夢の中で寝ることで現実に戻った――現実で気絶状態から目覚めた――というややこしい経緯をちょっとは理解できていたかもしれない。

 樹は厚着していた上着を脱いで、すやすや寝ている少年に――夢の中の竜児に――優しくかけてあげた。

 

「行かなきゃ。皆の現実を、皆の夢の中に連れて来ないと」

 

 樹は走った。

 仲間を探しに走った。

 まず見つけたのは、姉の風。

 

 風は保育園で子供達の面倒を見る保母さんをしていた。

 二十代半ばで、落ち着きと包容力が溢れ出すような、母性溢れる女性。

 

「お姉ちゃん!」

 

「なあに樹? ―――樹! そうだ、私は!」

 

 呼びかけ一つで意識が還る。

 竜児達がアップデートした勇者システムと、歌を使う特殊な目覚ましアラームシステムは、どうやらかなり効果的であったらしい。

 

「樹、夢の中のあなたっておっぱい大きいのね」

 

「お姉ちゃん!」

 

「夢の中で夢見てしまったのね。いいのよ、ここは夢なんだから」

 

「お姉ちゃん!」

 

「現実でも大きくなるといいわね!」

 

「お姉ちゃあああああああんっ!!」

 

 走って走って、二人で見つけたのは友奈。

 夢の中の友奈は理想的な歳の重ね方をしていた。

 とても綺麗で、無理がなく、どこか優雅で、落ち着きがある。

 おそらく年齢は30を超えているだろうが、彼女の中の『立派な大人のイメージ』が、とても真っ当なことがよく分かる、そんな姿だった。

 

「友奈先輩!」

 

「樹ちゃん? ―――樹ちゃん! そうだった!」

 

 樹の呼びかけが、友奈の意識を覚醒させる。

 友奈は樹を見てストレートに感想を言おうとして、分厚いオブラートに包んだ感想を言った。

 

「樹ちゃん、欲張りなんだね!」

 

「いっそはっきり言ってください……」

 

 そして最後に、三人で東郷を発見した。

 東郷は高校生をやっていて、元気に動く足でスポーツを楽しんでおり、たくさんの友達と校庭を走り回っていた。

 樹、風、友奈が揃って口を閉じる。

 東郷の願いがそこにあった。

 東郷の悲痛がそこにあった。

 元気に走り回る東郷を見ているだけで、現実の車椅子の東郷を皆思い出してしまう。

 

 胸が苦しくて、それでも"現実はここじゃない"と言い聞かせ、樹は美森の名を呼んだ。

 

「東郷先輩!」

 

「……樹ちゃん? ―――ああ。そうだ。この足は、私の足じゃない」

 

 悲しみと喪失感は一瞬のみ。

 これが夢であることを嘆く様子すら見せずに、東郷は普段動いていない足を指先で撫でる。

 瞳に宿る光は強い。

 東郷の心に在る芯地の強さを、皆はまた再確認していた。

 

「さあ、行きましょう! 風先輩、友奈ちゃん、樹ちゃん!」

 

(夢の中の私でも、東郷先輩の胸よりは小さいから、何の違和感も持たれてない……!)

 

 そして樹の胸に、東郷だけが言及しなかった。

 

「あとは夏凜だけど……」

 

「風先輩! あれを! ビルの谷間です!」

 

 友奈が叫び、ビルの谷間を指差す。

 そこには直径5mほどの、黒く染まった人間の腕が集合したような醜悪な怪物がいた。

 それに立ち向かう、二十歳前くらいの年齢の夏凜がいた。

 両者はビルの谷間を飛び回り、勇者の力とバーテックスの力をぶつけ合う。

 

「夏凜の援護行くわよ! 勇者部ぅ、ファイトー!」

 

「「「 ファイトー! 」」」

 

 勇者の力は、夢の中でも五人の少女を戦士に変えてくれていた。

 

 銃弾が飛ぶ。

 東郷の力がバーテックスを回避に動かせた。

 大剣が舞う。

 風の力がバーテックスの触手を削ぎ落とした。

 糸が絡みつく。

 樹の力がバーテックスを縛り上げた。

 

 そして、友奈のアームハンマーがバーテックスを叩き落とす。

 叩き落され、墜落し、バーテックスは地面に深くめり込んだ。

 

「せええええやあああああッ!!」

 

 トドメは、夏凜が体ごと当たるようにして突き刺した二刀。

 夏凜は体の中心に二刀を揃えて突き刺し、左右に開いて、バーテックスの体を真っ二つに切り裂いたのだった。

 封印の儀で御霊を露出させる必要もなく、端末としてのバーテックスは消滅した。

 

「ありがと。四人揃って来てくれて助かったわ」

 

「樹が皆を集めてくれたのよ」

 

「樹が? やるじゃない、樹……背もだけど胸大きくない?」

 

「ほっといてください!」

 

 樹は眼鏡の位置を直して溜息を吐く。

 なんか竜児みたいな所作ねこれ、と夏凜は首を傾げた。

 

「夢の中の私、眼鏡を使ってたみたいで。

 運が良かった……じゃ、ないか。先輩が助けてくれたのかな」

 

「樹?」

 

「大丈夫、勇気はばりばり有るよお姉ちゃん!」

 

「……んんん?」

 

 今の樹には、デュワッの加護がある。

 一言で言えばプラシーボ効果の加護だ。普段よりちょっとイケイケになっている。

 

「それより行くわよ!

 この怪物が私達の世界を好き勝手してた、執筆部屋に!」

 

 夏凜に先導され、勇者達は"世界の文章"がある部屋に向かう。

 誰よりも先に覚醒していて、誰よりも先に重要な場所と敵の位置を特定し、戦闘を始めていた夏凜は、樹と並ぶ二大MVPであった。

 

「ここがあの怪物の居た部屋よ。

 私がここに殴り込んで、あいつとの戦闘が始まったの」

 

「殺風景な部屋ですね。壊れたドアと、壊れた窓と、パソコンしかないです」

 

 画面の中には、メビウスとマデウスオロチの戦いを描写する文がある。

 メビウスが劣勢だ。

 バーテックスが地の文に書き込んだマデウスオロチの無敵性など、メビウスの勝ち目を潰す要素のせいで、メビウスが圧倒されてしまっているのである。

 

 誰もキーボードを叩いていないのに、画面の中の文章はどんどん進んでいく。

 

「勝手に画面の文が進んでる……じゃあ、これが……」

 

「りゅ……大赦の話によると、余計なものは見ない方がいいらしいわ。

 余計なものを見ても観測はできないって聞いてたけれど。

 紙でもパソコンでも、書かれている媒体を壊せばその時点で干渉は止まるそうよ。

 それで胡蝶の夢となっていた二つの世界は切り離されて、現実は現実に成り戻るんだって」

 

「でも文章見る限り、この流れで帰っても私達とウルトラマンまとめて死ぬんじゃないのこれ」

 

 どうするか。

 どうするべきか。

 ウルトラマンの窮地を文章の向こうに見た勇者達の中から、一人だけが前に飛び出した。

 

「樹!?」

 

 どうなるかなんて分からない。

 

 それでも、踏み出す勇気があれば―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立ち続ける心の強さ。

 もはや支えはそれしかない。

 足の腐敗は、既に太腿辺りにまで及んでいる。

 腐った両足を樹海のツタに支えてもらい、メビウスは本当に一歩も下がっていなかった。

 

 メビウスは新技・メビウスディフェンサークルで、マデウスオロチの口から吐かれる七属性の破壊を受け止めていく。

 避けられない。

 避ければ神樹に当たってしまう。

 ここから一歩も引けはしない。

 

 カラータイマーが赤く点滅を始めてから、既に30秒が経過していた。

 

 円盾(サークル)はオロチの攻撃を防ぎきれない。

 マガタノオロチは、それ一匹でウルトラマンの一軍を凌駕する。

 魔デウスの力が無かったとしても、樹海に強化されたメビウスを真正面から押し潰せるほどの強豪なのだ。

 その攻撃は、メビウスの防御壁を何度も貫き、何度も砕く。

 

 その度にメビウスは防御壁を再生し、神樹に当たりそうな攻撃をその体で止める。

 何度でも、何度でも。

 カラータイマーの点滅から、40秒が経過。活動限界まで残り20秒。

 全身から光の血を吹き出しながら、それでもメビウスは一歩も引かない。

 

 この世界のためならば、ウルトラマンはいくらでも体を張れる。

 体を張ってしまう。

 ゆえにこその、必然の死はやってきた。

 残り10秒。力尽きたメビウスの膝が折れ、目から光が失われる。

 

 「頑張って!」

 犬吠埼樹の応援の声が、世界を越えて巨人に届きました。

 ウルトラマンは負けません!

 

 優しい声だった。

 

「僕達は、絶対に、負けないっ!」

 

 巨人は叫ぶ。

 残り5秒。

 心の光を吹き上がらせて、光の出血の分を補い、巨人は跳び上がる。

 優しい少女の声を力に、マデウスオロチに腐った足で飛び蹴りをぶち込むウルトラマン。

 無敵のはずの怪獣が、痛みに悲鳴を上げた。

 君のおかげだ、とウルトラマンは心で樹の声を受け止める。

 

 「負けるなー!」

 結城友奈の声が、世界を越えて巨人に届きました。

 ウルトラマンの傷は全部治りました。

 ウルトラマンの体力が全回復しました。

 ウルトラマンがパワーアップしました。

 怪獣がなんか弱くなりました。

 頑張って、ウルトラマン!

 

 勇気をくれる声だった。

 体力全快、気力全快。

 カラータイマーは青へと戻り、全身の傷も癒えていた。

 ウルトラマンは結城友奈に心の底から感謝する。

 

 「そんなトカゲぶっ飛ばせー!」

 樹ちゃんのお姉様の声が、世界を越えて巨人に届きました。

 樹のきゃわいい応援こそが、何よりもウルトラマンの応援となるのだ!

 おねーちゃん!

 でも、なんだかんだ頼りにしてるわ! 頑張れウルトラマン!

 ウルトラマンは左手の剣をでっかくして、敵をストレートに切り裂いた!

 

 力強い声だった。

 光の剣がオロチの首を、九つの内三つほど切り落としていく。

 不思議な力で伸びた剣は、不思議な力の後押しを受けて、本来ならば与えられないようなダメージをオロチへと叩き込んだのである。

 チームリーダーとして頼りにできる人だ、とウルトラマンは心中で呟いた。

 

 「情けない姿見せてんじゃないわよ!」

 と、あたしの声が巨人に届く!

 巨人はガーっと行ってバーっとかわしてガツンと殴る!

 ふっとぶ怪獣!

 殴った後はドガンと蹴る!

 吹っ飛ぶ怪獣!

 つよいぞすごいぞウルトラマン!

 

 語彙増やしなよ、とウルトラマンは思った。

 マデウスオロチが吹っ飛んでいく。

 

 はあ? なんですって!? なによその反応ー!

 巨人は巧な剣技でスパスパと敵を切り裂いた!

 こんなんでいいんじゃないの普通。

 

 マデウスオロチの残り六つの首の内、四つが煌めく斬撃に切り落とされる。

 オロチがいかに抵抗しようと、三好夏凜の剣筋を思わせるこの一閃は防げない。

 三好夏凜の助言はいつも的確であると、ウルトラマンは思った。

 

 「あと一息です」

 と、東郷美森の声が、世界を越えて愛国の巨人に届きました。

 愛国の乾坤一擲!

 戦艦大和の主砲が如き巨人の愛国拳が、怪獣を撃ち抜きます。

 怪獣は無様にも反撃。

 されどその程度の一撃、巨人の愛国と大和魂に敵わぬもの也!

 吐き出された炎も、既に敵わぬ蟷螂の斧! 愛国の腕撃に弾かれ轟沈!

 

 お前愛国って何回書いた、とウルトラマンはワンツーパンチ。

 残る二つの頭も狙って、二連の拳で殴り潰す。

 小説を書くと愛国と書かずにはいられない東郷の文章は、メビウスの身体能力にコテコテの身体能力ブーストをもたらしていた模様。

 ありがとう、とウルトラマンは東郷に向けて呟いた。

 

 五人の勇者が、遠い世界からウルトラマンを援護します。

 皆の封印の儀の力が届いて、バーテックスの御霊が露出します。

 頑張れウルトラマン!

 私達も、ずっと傍に居るから!

 

 御霊が露出する。

 マデウスオロチのカラータイマーが露出し―――龍の尾が、新しい頭になった。

 九つの頭が潰れてもマガタノオロチは死にやしない。

 御霊を、そして残った最後の頭を、潰さなければ。

 

 強敵を前にしたウルトラマンの耳に、勇者の御伽噺の一節が届きます。

 

 巨人が走る。

 走る勢いのまま、マデウスオロチに蹴り込んだ。

 

 勇者は傷付いても傷付いても、決して諦めませんでした。

 全ての人が諦めてしまったら、それこそ、この世が闇に閉ざされてしまうからです。

 

 オロチの巨体が吹っ飛んで、浮いた体にメビウスのメビュームスラッシュが突き刺さる。

 手裏剣のように手刀から光刃を連打するメビウスが、オロチを切り刻んでいく。

 

 勇者は自分が挫けないことが皆を励ますのだと、信じていました。

 そんな勇者を馬鹿にする者もいましたが、勇者は明るく笑っていました。

 

 オロチは地に落ち、苦し紛れに雷を吐く。

 巨人は避けない。

 腰に手を当て胸を張り、熱い胸板で雷を受ける。

 

 意味がないことだと言う者もいました。

 それでも勇者は、へこたれませんでした。

 

 無傷。

 胸板で雷を受けたにもかかわらず、巨人には傷一つ付いていなかった。

 巨人が避けずに庇った神樹にも、傷は一つも付いていない。

 

 皆が次々と魔王に屈し、気が付けば勇者は、ひとりぼっちでした。

 勇者がひとりぼっちであることを、誰も知りませんでした。

 

 マデウスオロチが、後退(あとずさ)る。

 

 ひとりぼっちになっても、それでも勇者は戦うことを諦めませんでした。

 諦めない限り……希望が終わることはないからです!

 

 巨人は敵を逃がさない。

 

 希望を信じる心がある限り、ウルトラマンは絶対に負けません!

 

 ウルトラマンが口を開いた。

 

「ありがとう」

 

 それは本来、ウルトラマンの声帯の仕様もあって、人間には決して届くことのない、巨人の口から発された―――心からの言葉、だった。

 

 巨人の力がスパークし、巨人の頭上に浮かび上がる光の∞。

 

「『 メビュームシュートッ!! 』」

 

 放たれた必殺光線は、バーテックスの御霊を粉砕。

 

 その全身を光で貫き、爆散させた。

 

 ウルトラマンと勇者は負けません。

 いつまでも、この世界を守って行くのでした。

 めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

(ウルトラマンの一人称って僕だったんだ)

 

 つまらないことを考えながら、樹はてくてくと歩いていた。

 普段は聞こえないウルトラマンの声が聞けた……いや、『読めた』と言うべきか。

 それがちょっと新鮮だったようだ。

 昨日の戦いは、勇者達皆にウルトラマンへの親しみを感じさせていた。

 

(ウルトラマンって何か好きな食べものあるのかな……いや、そもそも何か食べるのかな)

 

 ウルトラマンは何者なのか? というのが先日までの樹の認識だった。

 今は、ウルトラマンは何が好きなんだろう? と思っている。

 その思考の変化がそのまま、勇者部にとってのウルトラマンへの認識の変化だった。

 

 樹は下駄箱に移動して、そこでバッタリ竜児と会った。

 

「あ」

「あ」

 

 気まずさがない。

 気恥ずかしさがない。

 会話の中に嫌な沈黙が流れることもない。

 二人は普通に、普通の知り合いのように会話を始めた。

 

「ありがとうございました。お返しします」

 

「役に立った? 僕の眼鏡」

 

「とっても。本当に助かりました」

 

 樹が竜児のスペア眼鏡を返す。

 あの夢の中で、夢の中の樹が眼鏡を掛けていたことが、なんとも奇妙な縁を通して彼女を助けてくれたのだから、運命とは面白い。

 樹の"とっても助かった"に、竜児は首を傾げた。

 

「伊達眼鏡ってそんなに役に立つかな……?」

 

「……言われてみると不思議な話ですね……」

 

 あはは、と樹は笑って誤魔化す。

 その様子を見て、竜児は樹がちゃんとオーディションに応募したということを理解した。

 一言で言えば、肩の荷が下りた雰囲気になっている。

 

「ま、音楽とかの道に進むなら応援するよ。応援しかしないけど」

 

「嬉しいです」

 

「……手助けとか特にしないよ?」

 

「はい。それでも嬉しいです」

 

 途絶えぬ笑顔。

 声援だけでも百人力だと言わんばかりの言い草。

 気持ちだけでも、力に変える精神性。

 ここに、樹を勇者たらしめる心根があった。

 竜児の口元も思わず緩む。

 

「いい名前してるなあって前から思ってたけど、名前の通りになりそうだな、樹さん」

 

「へ?」

 

「へ? って、君の名前は『樹』じゃないか」

 

「樹ですけど……」

 

「……『樹』は、木と壴と寸。

 壴は太鼓の鼓の左側にもあるよね?

 これは立てられた楽器を示し、寸は叩く手を意味する。

 つまり木の前で太鼓を叩いてる姿を表した漢字なんだ。音楽の漢字なんだよ」

 

「音楽の漢字……」

 

「樹木の成長を音楽で促す漢字。

 また、作物の豊穣を願う漢字でもある。

 ただし神世紀においては、これは神樹様を祀るという意味合いもあるんだ」

 

「ほへぇー……」

 

「木の前で楽器を叩いて祈る漢字だから、そりゃそうもなる。

 しかも『樹』と書いて『いつき』だろう?

 『いつき』と言えば『(いつき)』だ。

 斎は神聖、神を祀る場所、神に仕える人という意味を持つ。

 これでもかっ! ってくらいに、君の名前には祝福が込められてるんだよ」

 

「……知りませんでした」

 

 樹は呆気に取られている。

 普通、中学生がこの手の知識を備えていることはないので仕方無いかもしれない。

 知らないことを教えられた感嘆と、自分の名前に込められた意味への驚愕と、その二つの裏に隠れた嬉しさ。樹の心は、この三つでいっぱいになった。

 

「これは君が間違いなく親に愛されていたっていう証だ。

 名前の漢字一つ、読み三文字に、ご両親はありったけの愛を込めたんだ。

 神樹様の祝福がありますように、って。

 知らずにやってたなら凄いけど、君はその名前に込められた意味の一つを体現した」

 

「お父さんと、お母さんの、愛……」

 

「これで『私の名前はいい名前じゃないです』とか謙遜したら僕が怒る」

 

 そう言われて、樹は理解する。

 竜児は樹の名前を褒めていた。

 竜児は樹の両親を褒めていた。

 名前一つで、心底褒めていた。

 樹もなんだか急に気恥ずかしくなってくる。

 

「ちなみに僕も名前は誇りだ。

 親から名前は貰えなかったが、夏凜のお兄様から良い名前を貰えたのだよ」

 

「カッコイイですよね、ドラゴンー、って感じで」

 

「滝を登りきった鯉は竜になる。竜児とはいずれ竜になる未熟な鯉の意なのです」

 

「あ、あれ? そっちなんですか?」

 

 ドラゴンじゃなかった。

 

「鯉だから、『鯉口』なんだってことさ」

 

「鯉口?」

 

「刀の鞘の口元部分のこと。

 あと、服が汚れないように上着の袖口を絞って、代わりに汚れる部分のことだね。

 僕の名前は要するに『鞘』『汚れを受ける』って意味が裏に据えてあるんだよ。

 刀を収めてしまう場所。戦うものを平穏の中で包むもの。あと、代わりに汚れるもの」

 

 竜児は今、きっと自分の名前を誇るあまりに、うっかりと口を滑らせてしまい、口を滑らせたことにも気付いていないのだろう。

 樹を信用してしまったために、彼が見せてしまった一瞬の隙だった。

 

 樹は夏凜から竜児が幼馴染だという話は聞いている。

 拾われっ子だという話も聞いている。

 そういう情報の断片はあるが、樹はそんなに頭が良くはない。

 推測や予測もそんなに得意ではない。

 けれど、竜児の名前の由来から、夏凜の操る二刀をどうしても連想してしまう。

 

(偶然……だよね?)

 

 偶然であればいい。

 だけど、もし。

 それが偶然でなかったら?

 樹の名前は親の愛の塊。なら、親が居ない竜児の名前は?

 

(夏凜先輩が刀を使ってるのは、他の勇者と違って生身でそれを修行してたから。

 夏凜先輩はずっと生身で二刀を使う修行をしてたと言ってた。

 子供にああいう刀の使い方を教えるのは、やっぱり三好の家だろうから……)

 

 鞘。汚れを防ぐもの。

 そういった意味合いを、誰にも気付かれない形で、名前に込められていた竜児。

 偶然なのか必然なのか、鞘に収める刀の技を修めた夏凜。

 本当に偶然なのか?

 

「元はもっと違う名前だったけど、その名前の一部を書き換えてこの名前にしたんだって」

 

「熊谷先輩は、竜児先輩じゃなかったのかもしれないんですね」

 

「元は花っぽい感じだったらしいから、こっちの方がなんやかんやカッコよくて良かったかも」

 

 最初に決まっていた名前があったというのなら。

 変えられた後の名前がこれだというのなら。

 三好の家が彼に与えた名前が、これであるというのなら。

 彼には、最初から将来三好の家の役に立つ生き方と役目が求められていたということで。

 

 樹の中で嫌な想像が膨らむ中、竜児はニカッと笑って、眼鏡の位置を直す。

 

「ま、樹さんもいい名前だよ。僕の名前に負けず劣らず」

 

 竜児は自分の名前を誇りに思っている。

 何の含みもなく。

 何の皮肉もなく。

 竜児の笑顔につられて、樹も自然と笑ってしまった。

 

 なんだか、考えるだけ無駄、悩むだけ余計なことのような気がしてしまった。

 結局全て樹の想像でしかない。

 邪推でしかないのかもしれない。

 もしかしたら、とっくに終わった過去の話なのかもしれない。

 じゃあ考える意味なんて無いに決まっているのである。

 

 他人に求められた人生ではなく、自分で選んだ人生を進む。

 それを、樹は他の誰でもなく、この先輩に求められたのだから。

 この人はきっと大丈夫だろう、と樹は特に根拠なく思った。

 

「んじゃ、また明日。

 君の名前は君だけの宝物で一生使うものなんだから、大事にしなよ」

 

 下駄箱から外に向かおうとする樹とすれ違うようにして、竜児は下駄箱から校舎内に歩を進めていく。

 他に誰も居ないその空間で、すれ違う彼を樹が呼び止める。

 

「あの!」

 

 樹は『奇縁の出来た他人』に聞いた。

 

「私、歌手になれると思いますか?」

 

 竜児は『応援している勇者』に応えた。

 

「なれるさ。夢を追いかけてればきっとなれる。僕なんかよりずっとデカい人に」

 

 竜児は、巨人になれる人として、そう言った。

 

「……!」

 

 樹の反応も見ないまま、竜児は駆け足気味に階段を駆け上がっていく。

 

『ああ、なれるさ。君達二人共、僕よりずっと大きな人に』

 

(乗っかんな!)

 

『嘘じゃないよ。僕はそうなってほしいと思っていて、そうなれると思っている』

 

 竜児は天然で、樹は天然で、メビウスも天然で。

 竜児が樹を気恥ずかしくさせて、メビウスが竜児を気恥ずかしくさせて。

 なんだか見ていて面白い、天然の三角関係が完成していた。

 

 

 

 

 

 樹にとって、竜児は他人だ。

 また話しそうな気もする。

 もう話さないような気もする。

 家族や友達とは違って、明日話しているか、来週話しているか、来年話しているか、そういう見当が全くつかないのが他人だ。

 

 けれども、難しそうで分からないことがあったなら、あの人間図書館さんに聞きに行こう、と樹は心に決めていた。

 下駄箱を開けると、樹の靴の上に手紙が置いてある。

 

「あれ?」

 

 古風に封蝋までしてあった。

 開いて読むと、中にはとても達筆な字で、樹の予想になかった文が並んでいる。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 貴方の歌を通りすがりに聞いた者です。

 貴方の歌はとても素晴らしいと思います。

 自分は貴方の歌を聞き、一発で全てが好きになりました。

 自信を持ってください。

 いつか貴方がプロになった時、サイン貰えたらうれしいです。

 頑張ってください。

 

 匿名のファンより

 

■■■■■■■■

 

 

 

 樹は思わず、真っ赤になった顔を、その手紙と両手で覆った。

 

「樹ー! ちょっと待ってて、今履き替えるから!」

 

「あ……お姉ちゃん」

 

 風が三年生の下駄箱の方に向かって、靴を履き替える。

 そう、三年生の下駄箱だ。

 普通学校の下駄箱は、学年ごと・クラスごとに分かれている。

 

 この手紙を入れた男は、匿名で貫き通せると思ったのだろう。

 こっそり下駄箱に手紙を入れておけば、名もなき人間の応援として背中を押せると思っていたのだろう。

 だから予想していなかったのだ。

 二年生の自分が、樹の下駄箱に手紙を入れた直後に、一年の下駄箱前に居る姿を、その樹当人に見られてしまうだなんて、思ってもみなかったのだ。

 樹が眼鏡を返していた時、その人は内心どんな気持ちだったのだろうか。

 

「おまたせー。どうしたのよ樹、くすくす笑っちゃって」

 

「先輩は二年生なのに、一年生の下駄箱がある方から来てたよねさっき、って思ってた」

 

「え、なにそれ。なぞなぞ?」

 

 彼が頭良いキャラで通せない理由がよく分かる。

 ちょっと間抜けすぎるし、ちょっとアホすぎるし、ちょっと人情味に溢れすぎていた。

 

「何よその手紙?」

 

 姉の問いに、樹は手紙を抱きしめて応えた。

 

「私の宝物」

 

 手紙と一緒に、もう二度と来ないかもしれない、図書室での不思議な想い出も抱きしめた。

 

「見せなさいな! ……こ、これはラブレター!」

 

「!? ラブレターじゃないよお姉ちゃん!」

 

「いやだってこれ……熱烈よ熱烈!

 これはお祝いね! 赤飯……いいえ、うどんだわ! うどんでお祝いよ!」

 

「おねーちゃーんっ!!」

 

 もう、犬吠埼樹がこの現実を夢だなんて思うことはない。

 

 現実はいつだって、夢に見る世界よりも素敵なものと、ままならなくて思い通りにならないことと、その両方で満ちていたから。

 

 

 




安芸「眼鏡を布教しろなんて言った覚えはない」

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