時に拳を、時には花を   作:ルシエド

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第三殺一章:恐怖の円盤生物

 受付の銀河さんに頭を下げて、竜児はウルトラマンの資料を覗いていた。

 銀河さんは受付席で暇そうにラノベを読んでいる。

 竜児は資料を総当たりで探ってみたが、あまり有用な情報は残されていなかった。

 ライザー。

 セブンのカプセル。

 融合昇華による怪獣型バーテックス。

 どれも参考になりそうな情報がない。

 西暦の終わりが三百年前で、資料を移送できる状況でもなく、あっという間に四国以外が燃え尽きてしまったのだから無理もないが。

 

 どうにかして敵のフュージョンライズだけでも止められないものか、と竜児は眉間を揉む。

 

「ライザー。ライザーかぁ。なんとかして機能停止させられないものか」

 

『ヒカリが相当頑丈に作っていたから、難しいんじゃないかな』

 

「ウルトラマンヒカリ?」

 

『そう、そのヒカリ。

 思えば僕よりもヒカリの方が、君には相性が良かったもしれないね。

 ヒカリは研究と発明を得意とする、頭脳の優れたウルトラ兄弟だ。

 それに僕とは逆で、右腕のナイトブレスから剣を出すウルトラマンだったから』

 

「やだよ、他がどんなに優秀でも僕はメビウスがいい。他のウルトラマンはいいよ」

 

『あはは』

 

 右利きだからメビウスの左手剣が使いづらいとか言っていたくせに。

 

「スペースビーストの観測データ使っても、記憶技術の開発も進まないぃ……」

 

『僕もそう詳しいわけではないけれど……リュウジ君は慎重に進めてるよね』

 

「……はい、そうです。慎重になりすぎて進みが遅くなってます、ハイ。

 慎重にもなるさ。だって何か失敗したら怪獣出てきそうじゃんコレ。

 研究で一番大事なのは、事故やバイオハザードを起こさないことなんじゃないかなって」

 

『僕は間違っていないと思うな。君の判断は、君自身が信じてあげないと』

 

「うん」

 

 勇者システムも日々改良されている。

 竜児もまた、竜児なりに研究と学習を続けて進歩していかなければならない。

 

「……怠けたいけど、怠けちゃいかんのよな。

 僕の怠けって、すぐ他人にしわ寄せが行きそうだし……」

 

『少しは休むことも必要だよ!』

 

「赤の女王仮説、赤の女王仮説! やれる時にやれるだけやっておかないと!」

 

 赤の女王仮説とは、『生物が生き残るには進化し続けなければならない』という仮説である。

 生物は皆増え、環境に適応した変化をし、常に進化を続けている。

 その中で進化を止めればどうなるのか?

 当然、滅びる。

 ならば、生物は生き残るために進化し続けるしか無い。

 

 1973年に、リー・ヴァン・ヴェーレンがこれを提唱した。

 仮説の名前は、鏡の国のアリスにおける赤の女王の台詞、「その場に留まるためには、全力で走り続けなければならない」を参考に名付けられた。

 要するに、リー・ヴァン・ヴェーレンはこう言っているわけだ。

 生存競争とはただそれだけで、血を吐きながら続ける悲しいマラソンなのだと。

 

 その場に留まるためには。

 そこで『これまで通り』を続けるためには。

 人は常に全力で走り続けなければならない。

 全力で勇者が戦い続け、全力で神樹が踏ん張り続け、全力で大赦がシステムを進化させ続けなければならないというわけだ。

 

 怪獣型の敵(バーテックス)があの手この手で人間を追い詰める進化をしてこない保証など、この世のどこにもないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高湿と猛暑がセットで来る季節になってきた。

 オロチ戦では珍しく事実上無傷で戦いを終えることができたので、竜児も肌を隠す長袖長ズボンを履かないでいられたのは、実によいことである。

 夏服でも学校は暑い。

 風が吹いても学校は熱い。

 ウルトラマンと融合していても、竜児の肌はじっとりと汗をかいていた。

 

(海にでも行きたいねえ)

 

『樹海ならいつも行ってない?』

 

(海じゃない! いや海だけど!)

 

 本日最後の授業の先生、サコミズ先生が授業の終わりの号令をかける。

 竜児は早速携帯を開いた。

 大赦からのメールが来ている。

 内容は、神樹様が生み出してくれている食料、インフラの流通度合いの報告書をチェックし、捏造がないかどうかチェックせよとの指令が一つ。

 そしてもう一つ、神樹様の結界の状態も目視でいいので確認しておけという指令であった。

 

(神樹様、今日もありがとうございます)

 

 竜児は神樹様の神棚に向かって、心の中で手を合わせる。

 普通、四国だけの世界になってしまえば、人間は西暦の時代と変わらないような生活を送ることなどできやしない。

 衣食住からインフラに、世界を守る結界と、神樹は人間達が生きていくのに必要なものを全て一から作ってくれている。

 大赦の人間に限らず、現在の地球人は誰も神樹に頭が上がらないのだ。

 

 勇者は神樹を守る。

 ウルトラマンになった竜児も神樹を守る。

 神樹が折られれば世界は終わり。

 見方を変えれば、彼らの戦いはタワーディフェンスゲームをずっとやっているようなものだ。

 

「リュウさーん、やっと教室戻って来たかー」

 

「お、ヒロトー。ヒロト君のご両親の怪我はその後どうですかな」

 

「バイトで何度も元気な姿見てんだろ? 医者も完治の太鼓判押したよ」

 

 バン・ヒロトの両親の怪我もすっかりよくなった。

 軽い怪我だったとはいえ、竜児からすれば気が気でなかったことだろう。

 完治したという話を聞いてホッとする。

 

 誰も指摘しない。指摘できない。

 竜児がかの店でバイトしているのはあくまで大赦の仕事の一環であり、そこの店主夫妻や、その息子であるバン・ヒロトと付き合いを始めたのも、全ては打算だ。

 現に竜児は、この関係が打算であると認識していた。

 打算の関係に罪悪感を抱いていた。

 打算の関係なら、そんな風に心配してしまえばいつかやっていけなくなってしまうだろうに。

 誰も、そこを指摘してくれなかった。

 

「そういやなんか東郷さんがリュウさん探してたけど、どうかしたんか?」

 

「……心当たりないな」

 

 ヒロトが横目で教室のドアの方を見る。

 竜児がそちらを見れば、東郷の車椅子の一部がちらりと見えた。

 何か聞いてみるか、と竜児は自分から行こうとする。

 そして"何監視対象に自分から接近しようとしてんだ!"と自分を叱り、踏み留まった。

 

(いけないいけない。

 どうも樹さんにグイグイ踏み込んでから、距離感が狂ってる気がする)

 

 人によっては、樹にもっと堂々としろ! と怒る人もいるだろう。

 樹をいじめたくなる人もいるだろう。

 逆に樹を守りたいと思う者もいる。

 気弱な彼女に面倒事を投げようとする者も、それを防ごうとする者もいるはずだ。

 樹は受け身で、人は皆各々自分らしい接し方で彼女に接していく。

 

 新しい出会いがあれば、相手の性格と属性に新しい自分を引き出されるのもまた人間だが、樹との一幕で顕れてしまったこの変化は、竜児からすればあまりよろしくないようで。

 

「応対にお困りのようだな」

 

「ヒルカワ!」

「ヒルカワ君!」

 

「ここは俺に任せろ」

 

「帰れ」

「帰って」

 

「まーまー、何考えてそうかくらいは探りを入れて来てやるよ」

 

 竜児の内心をどう想像したのか、ヒルカワが名乗りを上げる。

 ヒロトと竜児がそれを止める。

 が、ヒルカワは静止を無視して"東郷が何用なのか"を探るべく突撃して行った。

 

「あれでヒルカワも、リュウさんを友人として助けてやりたいと思ってんのさ」

 

「分かってるよ。あれであのゲス外道のノリが無ければ僕もなあ」

 

 教室の外に出ていくヒルカワ。

 対応する東郷と、その車椅子を押していた友奈。

 東郷と友奈の表情が、時間経過で徐々に引きつっていく。

 

「「 あの野郎、東郷さんの胸しか見てねえ 」」

 

 原因は、ヒルカワの視線にあった。これはダメそうである。

 男として、クラスメイトとして、いや人間として、最低の視線の動きであった。

 

「あ、颯爽登場した夏凜が窓からヒルカワ君投げ捨てた」

 

「なんだかなぁ……」

 

 友奈がヒルカワの視線から東郷を守り、夏凜のウルトラハリケーン投棄が炸裂する。

 ヒルカワは窓から外へと転がり落ちていった。

 数分後、ヒルカワは葉と枝まみれの姿となって、竜児とヒロトのいるクラスへと戻って来た。

 

「ただいま」

 

「おかえり」

 

「東郷めとんだポーカーフェイスだ。表情がまるで読めなかったぞ」

 

「そりゃ君は胸しか見てなかったからね」

 

「何が目的なのかさっぱり探れなかった」

 

「そりゃ君は胸しか見てなかったからね」

 

「胸のデカい女は頭が悪いって言うが、あいつの頭がどんな形してたかも分からなかった」

 

「そりゃ君は胸しか見てなかったからね」

 

「だが頭が悪いのは本当かもな。何言ってるのかさっぱりだった」

 

「そりゃ君は胸以外に意識向けてなかったからね」

 

「後は頼むぜ、リュウさん」

 

「君何しに行ったんだよ!」

 

 女の子を不快にさせただけに終わったヒルカワ。

 本気で何も友人のためになっていない。

 得られたのはヒルカワの中の満足感だけであった。男とは悲しい生き物よ。

 

(男はいつも一人で戦う。最後に頼るべきは、自分自身。

 ウルトラマンレオは良いこと言うな。僕は最初から一人で立ち向かうべきだった)

 

『レオ兄さん……地球人は個性的ですよね本当に……』

 

 竜児は東郷のいる場所を盗み見る。

 いつも一緒にいる友奈と美森の姿がチラりと見えた。

 複雑な気持ちが胸中を駆け巡る。

 もしも何か、東郷美森が竜児の知識を頼って何かを相談したがっていた場合、竜児はその悩みをそのまま上に報告しなければならない。無神経に。最低に。

 他人の悩みを他に漏らすという最低を、していかなければならない。

 

(東郷美森。……鷲尾、須美)

 

 元・鷲尾須美。現・東郷美森。

 竜児は先の戦いで戦った勇者であると聞いている。

 足の自由とその記憶も、その時に満開と散華で失ってしまったのだと。

 戦いの恐怖、喪失のトラウマ。そういった記憶をほとんど奪われた車椅子の少女が、その力を敵だけに向けるよう、見張り続けるのが竜児の仕事だ。

 

 前世代の勇者の最後の戦いは、神世紀298年10月の『空海全壊の合戦』であったと聞く。

 東郷はその戦いの最後に瀬戸大橋跡地で回収された、とも聞く。

 ただ、竜児はその戦いについて人から聞いた話しか知らない。

 "鷲尾須美"については、聞いた話しか知らないのだ。

 

 竜児が持っていた東郷の知識は、初めは人から聞いたものしかなかった。

 今はそうではない。

 自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で東郷を見つめてきた。

 大赦が東郷の欠点を書類にして送ってきても、昔の竜児ならいざしらず、今の竜児がそれを信じるはずがない。

 

 変わっているところもあるが、東郷の性格は基本的に真面目で誠実。

 西暦時代の日本が好きで、幼少期から歴史を多く学んでいる。

 堅実で凝り性、聡明ながらも粘り強い。

 責任感が強く、責任を果たせるだけの十分な能力も備えている。

 責任感の強さは、有事に視野を極端に狭くしてしまい、判断力を著しく低下させてしまうこともあるが、裏を返せばそれほどまでに桁外れの集中力を持っているということでもある。

 

 東郷が好感を持てる人間であればあるほどに、罪悪感は膨らんでいく。

 東郷の境遇と過去が悲惨であればあるほどに、世界や大赦へ恨みを持って当然だという竜児の認識と、危機感が一緒に膨らんでいく。

 

 全てを明かして、謝りたい気持ちがあった。

 全てを明かして、ただのクラスメイトからやり直したい気持ちがあった。

 それが出来ないから、彼は今日も大赦をやっている。

 

 昨晩にも、竜児は大赦の指示であまりよろしくないことをしていた。

 

 

 

 

 

 あれは昨晩のことだった。

 竜児は自宅に来ていた夏凜と、"バーテックスが予想されていた周期の通りに来ない"という話をしていた。

 それが思ったより長引いてしまって、彼女の夕飯を台所で作り始める。

 作って出すのは、当然うどん。

 

「故丸亀製麺の『ごろごろ野菜の揚げだしうどん』だぞー」

 

「いただきます」

 

 鮮度が良く、よく味の染みたゴロゴロとした大きな野菜。

 その合間に見えて食欲を誘う美味そうな鶏肉。

 そして、その二つの土台となるツルツルシコシコなうどんの三重奏。

 

「ちょっと野菜多くない?」

 

「栄養バランスです。しっかり食え」

 

『そうだよカリンちゃん。

 嫌いな野菜があると、僕の昔の仲間のテッペイさんのような反応をされてしまうよ。

 テッペイさんはトマトが嫌いだったんだ。

 それで、宇宙人に体を乗っ取られた食堂のおばちゃんにトマトを山盛りにされてしまってね』

 

「いや別に私は野菜が嫌いってわけじゃ……待って何その宇宙人の話!?」

 

 全体的に、思わずガツガツ食べてしまうタイプの、旨味の宝庫な野菜スープを思わせる。

 大根はよく汁が染みて上手い。

 芋はほくほくしてるのに、汁が染みると更なる旨さが出て来る気がする。

 ニンジンは加熱の程度が良いからか甘みが強く感じられ、これまたスープの味とよく絡む。

 大根やニンジンを花の形に切っているのは、彼のこだわりか、彼女への気遣いか。

 

 根菜は何種類も入れられていたが、総じて癖がなく、野菜本来の甘味や旨味を引き立てられていて、スープにも野菜の旨みを出している。

 オリジナルの『ごろごろ野菜の揚げだしうどん』とは違い、鶏スープと煮干しスープであっさりめに仕立てた味は、おそらく夏凜に合わせたものだろう。

 彼女が煮干し好きなので、彼は食事にこっそりこういう小細工をすることが多い。

 

 富山の名店『麺家 一鶴』の鶏煮干しラーメンを僅かに想起させる味だが、味の仕立てはしっかりと讃岐うどんの流儀に沿っていた。

 

「飯食ったらまたすぐパソコン? 大赦の下っ端って大変ね」

 

「しゃあない。僕が帰る場所なんてあそこしかないんだから」

 

「で、今は何やってんの」

 

 夏凜が問い、竜児が答える。

 夏凜が妙な顔をして、梅干しを食べた時のような表情になった。

 

「"外見の女性らしさの優劣と勇者の相関関係レポート"ぉ?」

 

「うん」

 

「えー、何よそれ。勇者って容姿基準でも選ばれんの?」

 

「さあ」

 

「さあって」

 

「いや、上司の上司くらいの人がさ。

 勇者って容姿が優れてる子が多いじゃないかって話出してさ。

 今過去資料を漁って、外見の評価を数字化して、統計取ってるとこ」

 

「統計取れるほど勇者っていっぱい居たっけ?」

 

「いません」

 

 現世代勇者に前世代以前の勇者の存在が開示されていないのもあるが、それを抜きにしても統計が取れるほど勇者の容姿情報は揃っていない。

 それに、だ。

 

「それ、竜児が女の子の容姿のどの辺が好きかっていう参考にしかならないんじゃないの?」

 

「やっぱりそう思う? そう思うよな?

 これ誰もやりたがらないから僕に回ってきた仕事だよ絶対」

 

「下っ端は悲しいわねー」

 

 容姿の優劣で神樹様が勇者決めてんじゃない?

 と思うのはいい。

 だが容姿の優劣なんて、所詮個人の好き嫌いだ。

 竜児が勇者の容姿を採点して統計を取っても、採点者が竜児だけな時点で、それは竜児の好き嫌いの判断基準にしかならない。

 

 明らかに、"とりあえずあいつにやらせとこう"程度の、研究にする気の無いお仕事であった。

 

「僕しか採点者が居ないのが問題なんだよな……」

 

『分かった。じゃあ僕も協力しよう』

 

「「 ……宇宙人のウルトラマンが? 」」

 

「『この銀色のツノがいやらしい』とか言ってそう。ウルトラマンだから」

「『この赤一色の肌の波が魅力的』とか言ってそう。ウルトラマンだから」

 

『ひどいよ二人共!』

 

 何故この二人は時々急に息が合うのか。

 

「当然、私は高得点なのよね? 完成型勇者はいつでも一番を取るものだもの」

 

 夏凜が、自分の最高得点を疑わない顔をした。

 それは自分磨きを続けてきた彼女の自信でもあるし、竜児が自分を最高評価にするという無条件の信頼でもあった。

 

「……はぁ」

 

 竜児君、ためいき。

 

「夏凜、採点は公平で、相対じゃないといけないんだ。

 夏凜より女の子らしい子がいたら夏凜に満点はやれないんだよ」

 

「なんですって!?」

 

「夏凜は言うなれば縁日で美少女の仮面を買ったゴリラ!

 僕が両手で腕相撲しても片手でねじ伏せる美少女ゴリラだ!

 外面を見れば線の細い可憐な花、ケチのつかない美少女なのにその筋力はなんだ!

 身の程を知れ! 思い上がるな!

 夏凜アルゴリズム(ALGORITHM)を一部並べ替えて抜粋して夏凜GORILAにしたって許されるよ!」

 

「―――他の誰が許しても私は許さないからね」

 

 ザッ、と竜児が逃げる。

 ザッ、と夏凜が逃げ道を塞ぐ。

 逃げ道を塞いで、夏凜はジリジリと距離を詰め、竜児を壁に追い詰めた。

 

「普通の女の子は花に触れるように接しなきゃいけないと思ってるからさ僕。

 虚偽は書けない。嘘は書けない。そう、花のような女の子には相応の採点を……」

 

「じゃああんたがゴリラに触れるように私に接した案件はどうなるの?」

 

「許して」

 

「許さない」

 

 ウルトラマンパワー!

 竜児の身体能力は、メビウスの合体前と比較して、三倍以上に跳ね上がっているのだ!

 7秒で取り押さえられた。

 取り押さえた夏凜が、取り押さえられた竜児の腕を取り、関節を極める。

 

「三好ゴリンに腕を折られてしまう!」

 

「私の項目は全部満点に直しておきなさい! 大赦の公式文書でしょうが!」

 

「僕は暴力には屈しないぞ! 容姿の褒め言葉は思ったままのことしか言わんからな!」

 

 うどんを食って腹の満ちている夏凜は無敵だ。そりゃ無敵だ。

 生身人間状態で、夏凜に勝てる勇者もウルトラマンもいない。

 夏凜は竜児を取り押さえた状態で、竜児が採点していた東郷の項目を見た。

 

「ところで東郷の容姿配点ちょっと高くない? ねえ」

 

「黙秘権を行使します。裁判長夏凜は即座に被告竜児を解放するように」

 

「やーよ」

 

 しょうがない、そこにおっぱいがあるのだから。

 本当にしょうがない。

 しょうがなかったのだ。

 

 そんなこんなになってしまったが。

 パソコンの画面を見た夏凜は、竜児が夏凜の項目に振っていた外見の採点を見て、その得点に特に不満も持たず彼を許してやったとかなんとか。

 

 

 

 

 

 それが、昨晩のこと。

 今の竜児は、勇者部の外見を採点して大赦に送信するような最低男。

 女の子の外見を他人と比べ、採点して、職場に送っている時点で、竜児の自己評価は最低レベルにまで落ち込んでいるのだった。

 三好春信の「女の子の外見は比べちゃいけないよ」という教育の賜物である。

 

(基本的に僕は、常時東郷さんに合わせる顔が無い人間なんだが)

 

 美森は、教室の竜児を見つけてしまった。

 竜児は頭の中でいくつものパターンを想定し、会話を無難に終わらせる返答集を作り、東郷の言葉を待ち受ける。

 何を言われても万全の体勢。

 さあ来い、と竜児は唾を飲み込んだ。

 

 そして、東郷が懐から紙を取り出す。

 あれは、大日本帝国軍が使っていた書状の形式! と竜児は思ったがもう遅い。

 東郷が広げた紙には『有之呂能以能有能那加耳波利乎以連天於伎万之多』と書かれており、竜児はその謎の文字列を見た瞬間、制服の尻ポケットを慌てて指で探った。

 東郷の口元が上がる。

 

「この文字を見てその反応……やはり、熊谷君は」

 

「……はっ!」

 

 竜児はハメられたことに気付いた。試されていたことに気付いた。

 そして、"合格点を取ってしまった"ことに気付いた。

 

「え? どういうこと?」

 

「友奈ちゃん、これは金光明最勝王経音義。

 当て字を含む、いろは歌の漢字変換よ。

 8世紀頃には記録に名を残し、時代の流れと共に消えゆき……

 昭和の終わり頃には、皆の記憶から消え始めていた漢字のいろは」

 

(やられた……東郷さんめ、僕の上を行ったか……)

 

 それに照らし合わせれば、こうなる。

 以呂波耳本へ止(いろはにほへと)千利奴流乎(ちりぬるを)

 和加餘多連曽(わかよたれそ)津祢那良牟(つねならむ)

 有為能於久耶万(うゐのおくやま)計不己衣天(けふこえて)

 阿佐伎喩女美之(あさきゆめみし)恵比毛勢須(ゑひもせす)

 

 竜児は漢字とそれに対応するいろはのひらがなを紙に書き出し、友奈に見せて、解説(補足)した。

 

「『有之呂能以能有能那加耳波利乎以連天於伎万之多』。

 これで『うしろのいのうのなかにはりをいれておきました』となるんだ、結城さん」

 

「それひと目で読んだんだ……いのう? いのうって何?」

 

「衣嚢。ポケットのことだよ」

「衣嚢。ポケットのことよ」

 

「二人共日本語のこと話してるのに、英語の会話よりよく分かんない感じになってる……」

 

 竜児は漢字の文字列を見て、それを読み、びっくりしてうしろのポケットを探ってしまった。

 これが護国の心。愛国の精神。大和魂だ。

 

 愛国力が高い者のみを引っかける、巧妙な罠であったと言えよう。

 竜児はまんまとその罠にかけられてしまったのだ。

 余計な知識を集める癖が、ここで完璧に裏目に出てしまっていた。

 護国偏差値の平均を50、東郷の護国偏差値を100とすれば、竜児は護国偏差値80の問題を解く稀有な資質を見せてしまったのである。

 

 大赦の一人として、あってはならない迂闊な失敗!

 

「実は、熊谷君に頼みごとがあって……」

 

「ええと、この前フリで聞くのは何でしょうか」

 

「この謎の漢字の暗号、熊谷君ならば解けるのではないかと。

 絵図からして太平洋戦争時の資料を暗号化したものだと思ったの。

 大赦に検閲されて消される可能性を考えて、文章部分を暗号化したのでは?」

 

「あー、そういうのあるって聞くなぁ」

 

 大赦の人間になんてもの読ませようとしやがる、と竜児は顔で笑って、心で泣いた。

 これ上に報告していいのか? どうなんだ? と竜児は服の下にしっかり冷や汗をかいていた。

 心が悩む。

 保留か報告か。

 とりあえず安芸先輩に、セーフかアウトか聞こうと決めた。

 どうせ大赦に報告はするんだろうけど、と竜児は忠犬気質の自分を自嘲する。

 

「この文章の文字列は……

 木、火、土、金、さんずい、イ、身の七種のへんのみ。

 色、青、黄、赤、白、黒、紫の七種のつくりのみ。

 七×七の四十九音で五十音に近い暗号を作るこの暗号……『忍びいろは』かな」

 

「忍いろは?」

 

 車椅子を押していた友奈が首を傾げた。

 

「実際に使われたかどうかすらも不明な、存在と解読表だけが語られる幻の暗号だよ」

 

「……?」

 

 友奈は更に首を傾げた。

 首が90°くらい傾げられている。

 

「……ほら、く+ノ+一=女で『くのいち=女忍者』みたいな」

 

「あー! そういうの!」

 

 傾げられていた首が戻った。

 

「僕が見る限り、延宝4年の忍術書『万川集海』を安直に直訳に使ってそうな感じが」

 

「延宝4年なら旧世紀の1676年? それはまた、古い書物を……」

 

「万川集海は藤林左武次保武の著作ですね。

 ただ、今話した感じでは、東郷さんなら難なく解読できるかと。

 確か図書館の寄贈書一覧の端っこに写しが一つ乗っていたような気が」

 

「助かるわ。今ここで軽く説明してもらっても?」

 

「覚えてるんでなんなら書き出しますよ。僕も忙しくは無いですし」

 

 横文字が足りない。

 カタカナで書ける言葉が足りない。

 コテコテの漢字だらけの会話が、わいわいと竜児と東郷の間で盛り上がる。

 ミリオタ寄りの愛国厨と、ジャンル問わない知識厨が、だ。

 友奈は思う。

 

(いちごと大福が出会ってしまいました、みたいな)

 

 思考の例えが可愛らしかった。

 

「東郷さん、熊谷君、二人とも仲良くなれそうだね!」

 

「え、どうだろう?」

「ううん、どうかな……?」

 

「ええええええ、こんなに話合ってるのに?」

 

「僕ら、話は合っててもなあ」

「一番好きなものが何か、という点であまり気が合わなそうな気がするわ」

 

「例えば僕が、大日本帝国海軍の機械式暗号・コーラル暗号の話をしたとしよう」

「でも私は米英の呼称である機械式暗号ではなく、九七式印字機三型と呼んでほしいと思ってしまう」

 

「知識の共有や共感は楽しいけど、互いの趣味に踏み込めない感がある僕ら」

「それは大日本帝国陸軍が好きな人と、大日本帝国海軍が好きな人の違いというか」

 

「ねえ」

「ねえ」

 

「これで仲良くなれそう判定にならないんだ……なにゆえ……?」

 

 友奈にはよく分からない。

 竜児と東郷の妙な距離感の理由が分からない。

 分かってもらえないそれを説明すべく、竜児と東郷はあたふたし始めた。

 

「えーと……スランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ村はご存知ですか東郷さん」

 

「知りません。友奈ちゃん、ほらね? 私とはジャンルが違うでしょう」

 

「ほらねって言われても……ん? 待って何その村の名前!?」

 

「イギリスウェールズ北部のアングルシー島にあるスランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ駅から行けるスランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ村をご存知ない?」

 

「「 ご存じないです 」」

 

 竜児はちょっと離れていたヒロトを見た。ヒルカワを見た。他クラスメイトを見た。

 全員が首を横に振る。

 

「俺らもご存じないです」

 

 竜児は『日本以外の知識』を例に挙げた。

 東郷ならばそれを知らないだろうと思って例に挙げた。

 が、それで東郷じゃなくとも知らないような、世界で一番長い地名――今はもう無い――を挙げるのはちょっとどうなのだろうか。

 

 友奈が気を使って会話を繋ぐ。

 

「そ、そのスラン星人村? って何かな」

 

 スランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ村だよ、とツッコんでいい流れではなかった。

 ただ、友奈の優しさに竜児は心中で涙した。

 

「……世界で一番長い名前の、遠い村さ」

 

 その時クラスで、スランヴァイルプールグウインゲルゴウゲールウクウィールンドロブウリスランダスイハオゴゴゴッ村の名前を覚えた者はいなかった。

 友奈のせいで、皆がスラン星人村と覚えた。

 イギリスはもう滅びてるので特に反論できない。

 

『ウクバールの説明をヒカリから聞いた時と同じ気持ちになったよ』

 

(どこだよウクバール)

 

『遠い街さ』

 

(……だからどこなの!?)

 

 ずっと監視対象だった者と、監視していた者。

 東郷美森と熊谷竜児。

 二人が初めてまともに接触した瞬間、これまでにない化学反応が発生した。

 ―――爆発である。

 

 筆舌に尽くしがたい感じの爆発であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《 ヤメタランス 》

《 シルバーブルーメ 》

《 フュージョンライズ! 》

 

《 シルバーランス 》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一日、二日、と時間は流れていった。

 竜児や勇者の気が緩む頃、第三のバーテックスがやって来る。

 樹海の中に放り出されて、竜児は参考書を投げ捨て、メビウスブレスを出現させた。

 

「くっ、ウクバールの話が面白くて反応遅れちゃった!」

 

『地球人はこういう話好きなのかなぁ』

 

「帰ったらまたお願い!」

 

 樹海化した世界の中で、少年はメビウスブレスを擦り上げる。

 

「『 メビウーーース!! 』」

 

 メビウスの姿へと変わり、一も二もなく勇者と合流。

 敵の姿は見えないが、仲間を守る位置取りを選んだ。

 

「ウルトラマン!」

 

 樹が可愛らしく反応して手を振ってきたので、竜児も手を振り返す。

 竜児は夏凜にテレパシーしようとして、ふと思った。

 テレパシー以外の意思疎通手段は無いのかと。

 テレパシーは竜児の声が露骨に出てしまう。

 なので夏凜にしか使えない。

 マデウスオロチの時のように、何かしら意思の疎通手段があれば、勇者の行動を誘導できるようになり、勇者をより安全に守れるのでは? と竜児は考えたのだ。

 

(そういうのない? メビウス)

 

『ウルトラサイン……じゃ、駄目かな』

 

(ウルトラサイン?)

 

『光の国のウルトラ戦士が通信用に使用する記号信号さ。

 知識が無いと読めないけど、情報を圧縮して一瞬で送れるんだ。

 300万光年の彼方にくらいなら一瞬で送れるけど……あ。

 地球人と融合したウルトラ戦士が、地球人に主導権渡した状態で使うと、どうなるんだろう』

 

(どうなるんだろうって、日本語になるんじゃ?

 それとも自動変換されてそっちの言葉になるとか?

 ウルトラマンの言葉も、ウルトラサインの書式も、僕知らないよ)

 

『ウルトラサインは個人の個性もそのまま出るんだ。

 ゾフィー兄さんのウルトラサインを、一目見ればそうと分かるように。

 僕の体を使っている今の君がウルトラサインを出したら、どうなるのか分からないな』

 

 試しにウルトラサインを出してみる竜児。

 "今日も一緒に頑張ろう"という文字列を出す気で出した。

 出た! ……出た、のはいいのだが。

 

(……漢字のいろは歌で出た)

 

『……漢字のいろは歌で出たね』

 

 漢字のウルトラサインなど、光の国の歴史上初めてではないだろうか。

 しかも竜児と東郷にしか読めないやつ。

 必然、東郷さんの反応はとてつもないものでした。

 

「ウルトラマンから愛国の魂を感じる……!」

 

「これは愛国の魂じゃなくて、『何百年も生きてそうだな』とかそう感じるべきでは……?」

 

「何百年も前に日本にあった言葉を使ってくれた……数百年規模の愛国……!」

 

 東郷が感激し、友奈が教室で聞いた解説を四苦八苦して風・樹・夏凜に解説し、風と樹は東郷をなだめにかかる。

 夏凜はずっとアホを見る目で巨人を見ていた。

 誰がこの事態の原因なのか、夏凜だけがよく分かっていた。

 

 東郷は辛抱たまらんといった風に、メビウスを見上げて叫ぶ。

 

「ウルトラマンメビウス! 日本は好きですか!」

 

 下手なこと言えないな、と竜児は手控えた。

 "ええ"、とシンプルな漢字ウルトラサインを手の上に出す。

 

「……! 日本が好きなあなたが好きです! 戦友として!」

 

 もし普通の人間がこんなことを言ったとしても、東郷は同志の人間を見つけたことで少し喜んだだけだっただろう。

 この反応は、ウルトラマンが言ったからだ。

 このとっても大きな味方が愛国(に解釈できる)の文言を放ってしまったから、東郷は目をキラキラとさせて、この巨人と国防をしていく興奮で身を包んでいる。

 

 "日本を好きになってくれた巨大な宇宙人"なんて、東郷からすればワード一つとっても国防力が高すぎる。

 ウルトラマンは愛国の士であると。

 メビウスは国防の徒であると。

 東郷美森は確信していた。

 

 今や彼女は、戦艦大和を見る目でメビウスを見ている。

 

『ミモリちゃんにしか通じないウルトラサインとかいう謎の能力を生み出してどうするの?』

 

(どうしようか……いや本当にどうしよう……)

 

『"ウルトラマンにしか読めない"と俗に言われるのがウルトラサインだけど……

 これは"日本人にしか読めない"? "同類にしか読めない"? どっちなんだろうかな』

 

(なんだろう。まずった気がする。気軽にやっちゃったことが大失態みたいな)

 

 竜児が後頭部を掻いて―――勇者随一の気配察知能力を持つ、夏凜が真っ先に違和感を感じ、空を見上げた。

 

「メビウス、頭上!」

 

(!)

 

 敵は見えない。だが空気が揺れて見える。

 焚き火の直上の空気のように、僅かに光が屈折して揺れている。

 メビウスは勇者達を庇うように踏み込み、闇雲に剣を振った。

 何かを切った、そんな気がした。

 

『だいぶ上手くなってきたじゃないか、メビュームブレードの扱い方』

 

(慣れと練習だよ!)

 

 何を切ったのかも分かってないメビウスの肩に夏凜が乗って、刀を振るう。

 メビウスの首を狙って飛んで来た何かが、バッサリ切られて地に落ちた。

 耳と気配で敵を見ている夏凜には、今の一撃がメビウスの致命傷となる未来も、それを狙って攻撃した敵の殺気も見えていた。

 

『ありがとう、夏凜!』

 

「気を付けて。敵は多分、見えないだけでその辺にいるわ」

 

 竜児のテレパシーを受けて、夏凜は仲間全体に声をかける。

 

 すると、徐々に皆も目が慣れてきたのか、そこにいた怪獣型バーテックスの姿を視認することができるようになっていった。

 

「クラゲ……?」

 

「いや……全身が半透明で、頭の上だけがクラゲのシカよ! 気持ち悪い!」

 

「う、うねうねしてる……」

 

 それは、薄水色の半透明のシカ。

 それも、首から上がクラゲになっているシカだった。

 首から上のクラゲ部分には、クラゲの特徴とも言える無数の触手が生えている。

 何より、そのクラゲのような部分には、特徴的な意匠が見られた。

 

『アウト・オブ・ドキュメント……シルバーブルーメ!?』

 

 メビウスの驚愕をよそに、半透明のシカは空へと駆ける。

 この怪獣の種別は"円盤生物"。

 遠く宇宙の彼方から飛んで来る円盤と、生物の特徴を併せ持ち、その飛行速度はウルトラマンと競えど負けはしないだろう。

 

 怪獣は空に逃げた。

 空中戦に誘っているのか?

 ウルトラマンの三分の時間切れを狙っているのか?

 いずれにせよ、追う以外の選択肢はない。

 三分が過ぎれば手遅れになる。

 

(空中戦か。やったことないけど……)

 

 竜児は地に立つ勇者達と、空を駆ける怪獣を交互に見た。

 

(……勇者は基本的に飛べない。やるしかないか!)

 

 巨人の力で飛び上がる。

 空中戦を最も得意とするバーテックス。ありそうであまりなかったタイプだ。

 浮かんでいるバーテックス、飛ぶだけのバーテックスならいくらでもいるだろうが、"空の天井"近くまで飛び上がる高々度の飛翔タイプはそう見ない。

 

(当たれ!)

 

 竜児の放つメビュームスラッシュ。

 牽制技として優秀な光刃が、かわせないはずの速度で飛んだ。

 シルバーランスは、それをひょいひょいと避けていく。

 この程度の速度には当たってやらない、と言わんばかりに。

 

(飛行能力は、おそらく奴の方が上! 最高速度も、旋回力も、加減速力も!)

 

 メビウスの飛行速度はマッハ10。

 これで三次元立体飛行を可能とする、人から見ればまさしく次元違いの存在だ。

 だがシルバーランスは、確実にメビウスを超える飛行速度と飛行能力を有していた。

 『走行速度』ならメビウスに負けているシルバーランスだが、『飛行速度』の勝負に持ち込めたなら、走行速度など関係があろうはずもない。

 

(なら、接近して組み付いて地に落として……!)

 

 空中戦が駄目なら、多少のダメージを無視して組み付き、不格好でも地面に降ろしてしまえばいい。

 そう考えた竜児だが、接近することも難しかった、

 シルバーランスの触腕が、何十本も一斉に動き、メビウスを攻撃してきたのだ。

 

「くっ!」

 

 触手ではない。触腕だ。

 その一つ一つがパワフルで、一本一本がメビウスの腕より頑丈に出来ている、変幻自在・剛力無比の触腕の集合体。

 迂闊に近寄ってしまったせいで、メビウスはその一本に殴られてしまった。

 顔面一発、それだけで意識が遠くなる。

 触腕の一本の一撃だけで、意識が飛びかける。

 

『力を抜いて、落ちるんだ!』

 

 数十本の触腕のパンチラッシュを喰らっていたら、まず確実に殴殺されていたはずだ。

 だが、そうはならない。

 メビウスの助言を聞いた竜児が、力を抜いて飛行能力を解除して、自由落下でパンチラッシュの全てを回避する。

 そして再度飛行を始め、シルバーランスへと向かって飛翔を再開した。

 

『リュウジ君! この流れはダメだ! ここで安直に攻めるのはマズい!』

 

「だけど!」

 

『君は二体の怪獣を相手にして地上戦の経験を積んだが、空中戦の経験は0だ!』

 

「―――っ!」

 

『地球人が未経験の初空中戦で無理をしたら、間違いなく―――』

 

 シルバーランスが輝く。

 シュウ、と奇妙な音が空に響き渡った時には、もはや全てが手遅れだった。

 

 

 

 

 

 空からメビウスが落ちて来た。

 勇者達の表情が、驚愕の一色に染まる。

 カラータイマーは点滅していない。目につく外傷もない。

 なのに、メビウスは地面にめり込んでピクリとも動かない。

 

「メビウス!」

 

 夏凜が駆け寄り、メビウスが――竜児が――夏凜の方に首を向けた。

 

『あーだっる。何もする気おきねーわ。夏凜ちゃんおねがいしまーす』

 

「は?」

 

 テレパシーが飛んで来て、夏凜はまず自分の耳を疑う。

 次にこれは声じゃないからと、テレパシーを受け取る自分の頭を疑う。

 最後に竜児の正気を疑った。

 

『バーテックスとか君達だけで倒しておいてよ。

 僕がやらないといけないわけでもないし。ここで寝て待ってるからさ』

 

「……は?」

 

『リュウジ君! リュウジ君! 駄目だ、この現象は……』

 

『あー遊び道具持ってくりゃ良かったなー。

 時間潰すのどうしよ。怪獣倒されるの待ってるだけでも暇だしなあ』

 

 なんだ、これは。

 

「お、お姉ちゃん……」

 

「落ち着いて樹。これは明らかに変よ」

 

「友奈ちゃん、空で何があったか見えた?」

 

「東郷さんのライフルのスコープで見えなかったら、誰も見えてないよきっと」

 

「……何かされたに決まってるでしょ! でなきゃこいつがこんなになるわけない!」

 

 『怠けている』。

 

「普通だったら、こいつが大事な事柄を途中で放り出すわけないでしょうが!」

 

 叫ぶ夏凜の前で、困惑する勇者達の前で、メビウスは怠けている。

 正確には竜児だけが怠けていて、メビウス本人は怠けているわけではない。

 巨人はメビュームブレードを出したまま、敵の方を見もせずに、寝っ転がってその場で怠け続けている。

 そんなメビウスにトドメを刺しに、空からシルバーランスが降って来た。

 

「! こんの、大馬鹿っ……!」

 

 夏凜がメビウスの体を引っ張り、逃がそうとする。

 おそらくは"いつもの癖"というか、"竜児の体を引っ張って逃がそうとする感覚"で。

 当然ながら巨人の体は動かない。

 

「メビウス! メビウス! ほら正気戻って!」

 

 風は首にマウントを取って、メビウスの頬を叩いた。思いっきり叩いた。正気に戻れ、正気に戻れと連呼しながら。

 

「お、重っ……!」

 

 樹は糸を張り巡らせて敵の巨体を受け止める網の天井を作ったが、ほんの数秒の時間稼ぎが関の山で、網の天井はシルバーランスの体重であっという間に千切られる。

 この重みは、樹では支えられない。

 

「巨体の急所を狙って砕くならまだしも、怪獣と質量勝負は……!」

 

 東郷は銃撃で対応した。

 撃って砕ければ、と無心になって引き金を引きまくる。

 それでも届かない。それでも敵わない。

 シルバーランスにダメージはあっても、この短時間では仕留めきれない。

 

 そして、友奈は。

 

「だああああああああああっ!!」

 

 ―――怠けているメビウスが、ブレードを出しっぱなしにした左腕を、抱えるように持った。

 

「だりゃりゃりゃりゃりゃぁっ!!」

 

 メビウスにとっても、勇者にとっても、シルバーランスにとっても予想外の行動。

 友奈はメビウスの左腕を武器のようにぶん回し、メビュームブレードを縦横無尽にぶん回し、メビウスを殺しに来た多数の触腕をスパリスパリと切り捨てた。

 小さい少女の体が巨人の腕をぶん回すのは、近くの風の視点から見ても、「すげえ」としか言いようのない勇姿である。

 

「な……なんつーこと考えるの、友奈……!」

 

 とんでもない。

 豪快な行動の割に剣筋は素直で、光剣に切り捨てられた触腕は地に落ちる。

 ぼとりぼとりと地に落ちていく。

 シルバーランスは、触腕を切り捨てられたそのタイミングで、そそくさと四国結界の外へと逃げ出していった。

 

「撤退……?」

 

 引きの判断が異様に早い、と夏凜は感じた。

 そう感じたのは夏凜だけではないようで、他の四人も怪訝な顔をしている。

 

「なにこれ? なんか、なんか変じゃない?」

 

 夏凜の言葉に、仲間達は返答しなかった。面倒くさかったからだ。

 

「……まあいっか。考えるのも面倒臭いし」

 

 夏凜は、現状を考察することを『怠けた』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 竜児は自分で自分がよく分からないという思いと共に起床した。

 何故自分が怠けたのか。

 何故あんなにもよく分からない自分が居たのか。

 それを自分以外の人に教えてほしくて、夏凜にメールする。

 返事がない。

 夏凜に電話をかける。

 返事がない。

 嫌な予感がして、夏凜の家に走って向かう。

 

「夏凜ー、いる?」

 

「いるわよ、なんか用?」

 

「なんか用って……って、なんでこの時間に制服着てないんだ? 学校は?」

 

「サボるわ」

 

「……は?」

 

 体調悪いのか? と思いつつ、家に上がらせてもらう。

 夏凜の堂々たるサボり宣言の割には、夏凜の顔色は悪くなかった。

 試しに竜児は朝飯にあっさりとしたうどんを作ってやることにする。

 

「んまんま」

 

 モリモリうどんを食う夏凜。これで体調不良の線は消えた。

 体調不良を隠しているという線も消えた。

 ならば何故、サボりとは無縁に思える三好夏凜が、学校をサボろうなどと言い出したのか?

 

(体調悪くないのに、病気とかもないのに、怠けてる……? あの夏凜が……?)

 

 夏凜は朝飯を食い終わり、ソファーで横になる。

 

「じゃ、私はここでだらだら寝てるから」

 

「おい」

 

「なーんかもう学校行く気しないのよね」

 

「ふざけんな君な、僕がそんな適当な理由の怠けを許すと思ってんのか」

 

 竜児は夏凜を自転車の荷台に乗せて、鍛錬不足の足で必死にペダルをこいだ。

 これ以上うだうだやっていたら、本当に二人揃って遅刻してしまう。

 

「ぜぇ、ぜぇ、僕に、二人分の体重、軽く学校までもってくような、体力、無い……」

 

「いぇーい楽ぅー」

 

「普段の夏凜が出さないような気の抜けた声で……!」

 

 竜児は走った。

 学校に繋がる道を走った。

 街中を走って、走って、走って……他の誰もが、街中を動いていないことに気付いた。

 

 車が走っていない。電車が走っていない。

 店は開いていない。会社が動いていない。

 寝っ転がっている人はいるが、立って走り回っている人はいない。

 

「街が……いや、世界が……終わってる……」

 

「はー? 何言ってんのよあんた。ちょっと疲れ溜まってんじゃない? 休んだら?」

 

「……」

 

 背中に感じる夏凜のぬくもりが無ければ、竜児はもっと絶望していたかもしれない。

 学校に着いて、ベンチに夏凜を座らせて、大赦に電話をかける。

 この番号は大赦の備えた緊急コードだ。

 何があっても断線しないようになっていて、ここに通話がかけられると、ワンコールの間に通話を繋ぐ規則になっている。

 なのに、いつまで経っても繋がらない。

 

「……大赦が、動いてない? いやまさか……まさか」

 

 110番通報。

 繋がらない。

 119番通報。

 繋がらない。

 三好春信の番号。

 繋がらない。

 安芸先輩の番号。

 繋がらない。

 

「あー、ねむい。ねえリュージ、なんで学校なんて行く必要あんのかしら」

 

「……全員が、今の夏凜と、同じ状態……?」

 

 今の夏凜は、怠けていて電話にも出られない状態だろう。

 大赦も、警察も、救急も、消防も、他の皆も、皆が今もしその状態だとするならば。

 竜児は夏凜を勇者部の部室に放り込み、学校を駆け回った。

 草場で寝ているやつがいた。

 職員室の前でゲームをしている生徒がいた。

 校長室で玉遊びをしている先生方がいた。

 おそらく、"自分の学校の授業をサボって他の学校の校庭に遊びに行っている"人間すらも何人かいるだろう。校庭には違う学校の制服もちらほら見えた。

 

 皆、怠けている。

 仕事を怠け、学業を怠け、遊んだり休んだりしている。

 何かを頑張ろうとする心を失っている。

 竜児は校舎内を走り回って状況を把握する過程で、花壇に座ってまったりしている友奈の姿も見つけてしまった。

 

「結城さん!」

 

 友奈が振り向く。

 目と目が合ったその瞬間に、竜児の記憶の中の友奈像と、目の前に居る友奈の姿が、一瞬ズレにズレて見えた。

 

「あ、熊谷君だー。ね、私だっこして、教室まで連れて行ってくれないかな」

 

「え゛」

 

 少年の思考が停止する。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

「―――」

 

「なんだかね、やる気とか全然出なくて。

 やらなくちゃー、って気持ちも尽きてて。

 やりたいな、って思いも全然ない感じでね。階段登るのもめんどくさいんだ」

 

 少年は、怒るような心持ちで心底思う。

 こんな状態のこの人は、見たくなかったと。

 

「教室行かないといけないって、わかってるのにねー」

 

「……無理して教室に行く必要はないよ。

 ほら、勇者部の部室に運んであげるから、そこで大人しくしてて」

 

 友奈を横抱きにして――いわゆるお姫様抱っこして――勇者部に運んで、椅子に座らせる。

 竜児が夏凜と友奈を放り込んだ勇者部に、少し遅れて樹と風もやって来た。

 

「あ、熊谷先輩だ。おはようございます」

 

「ん? 何ー、今勇者部は閉店休業中ですよー」

 

 樹は部室に入るや否や、テーブルにくてっとうつ伏せてふにゃっとした顔で動かなくなった。

 風は部室に入るや否や、椅子に座って無言で携帯を弄り始め、他の人に話しかけもしない。

 やる気がない。

 怠けている。

 これほどまでの"時間を無駄にしている感"は狙って出せるものではない。

 胸がムカムカしてきて、竜児は感情を抑えた声で風に話しかける。

 

「……犬吠埼先輩。部室がこういう雰囲気だと、人助けに支障が出るんじゃないですか」

 

「え、なんでそんなことしないといけないのよ、面倒臭い」

 

「―――」

 

 もう、竜児の胸中は痛いやら苦しいやらで、いたたまれなくなった。

 何もかもが見たくなくなって、逃げ出すように竜児は勇者部部室から飛び出して行く。

 

「メビウス、これって!」

 

『あやふやだったけど、これで分かった。おそらくこれは、ヤメタランスだ!』

 

「ヤメタランス?」

 

『ジャック兄さんが戦った、宇宙人に利用されていた怠け怪獣だよ。

 この怪獣は生物を怠けさせる放射能を放出して、皆を怠け者にしてしまうんだ」

 

「怠け者……って」

 

 屋上に駆け上がる。

 駆け上がった竜児が、ウルトラマンとの融合で超強化された視力にて、街を見渡す。

 街は―――終わっていた。

 

「限度があるだろ!」

 

 働いている人間はいない。

 動いている車や電車もない。

 開いている店も、物の流通も、社会の活動も一切無い。

 子供から大人まで全ての人が例外なく、頑張っていない。怠けている。

 

 それは、人体で例えるのなら、全ての細胞が活動を止めてしまった人体。

 すなわち死体。

 何もかもがやる気を失い、活動を止め、流動を止め、死体と化した停止の街。

 

 四国の世界は、東の端から西の端まで、順調に終焉を迎えていた。

 

『ウルトラマンなら耐性がある。

 けれどウルトラマンでも、気を抜けばすぐに効果が及んでしまう。怠けてしまうんだよ』

 

(なんてことだ、こんな、こんな……

 待てよ、結城さんがあの状態なら。結城さんがいつも車椅子を押していた東郷さんは?)

 

 普段竜児が使おうとしない――使いたくない――勇者システム端末の位置検索で、東郷の居場所を検索する。

 普段ならちょっと面倒な申請が必要だが、今は緊急事態だ。

 学校から少し離れた場所に、東郷の端末の反応があった。

 

(この状況、まずはとにもかくにも勇者全員の所在確認! 安全確保!)

 

 とにかく、一も二もなく駆けつける。

 駆けつけた竜児が見たのは、溝に車椅子の車輪がハマってしまい、抜け出そうと一人四苦八苦している東郷の姿であった。

 

「東郷さん!」

 

「あ……熊谷君!」

 

「今車椅子を持ち上げるからちょっと待ってて……ん、んんっ! ぐうっ!

 ……今テコの原理をバッチリやれそうな棒探してくるから、ちょっと待ってて」

 

「……し、仕方ないわ。車椅子も私も、重いもの……」

 

「は? 僕の身体能力が足りないのが悪いんですけど?

 だから自分の体重が重いとか言わなくて良いんだよ。多分標準より軽いから、多分」

 

「……ごめんなさい」

 

 自分の腕力が足りないという悲しみを背負う竜児。

 重くて持ち上がらないという悲しみを食らう東郷。

 両者均等に、ハートにダメージを受けていた。

 竜児の体重フォローも、今は虚しく響くしかない。

 竜児は腕力ではなく、テコの原理の計算にて溝にハマった車椅子を持ち上げる。

 

「本当にありがとう。

 友奈ちゃんもいつの間にか居なくなってて、私どうしたらいいかって……」

 

「……クラスメイトだから、当然のことをしただけだよ」

 

 本来、車椅子の可愛い女の子がこんな状況になっていたなら、通りすがりの誰かが手を貸しているのが普通だ。

 誰も助けないという方がおかしい。

 この道は、本来それなりの数の人が通る大通りなのだから。

 

 だが、誰も東郷を助けなかった。

 外出を怠けていて、この道を通らなかったから。

 この道を通っていても、人助けを怠けていたから。

 せめてピンチのタイミングで友奈が傍に居てくれたなら、何か違っただろうに。

 

 誰も助けてくれないこの状況は、車椅子の彼女にはどう見えていたのだろうか。

 自分以外の皆が怠けて動いていない状況で、自分だけではどうしようもない窮地に陥ってしまった時、どんな気持ちだっただろうか。

 動かない足と動かない車椅子は、東郷の心に何をもたらしていたのだろうか。

 

 彼女がここで一人どういう気持ちで居たのか、想像するだけでかなり怖い。

 

「大丈夫? 学校行けそう?」

 

「ええ、大丈夫。気を使ってくれてありがとう」

 

(東郷さん、影響が他の勇者より薄い……?

 そうか、精霊だ。

 精霊は神樹様より引き出され、勇者に憑き勇者を外敵から守るもの。

 満開と散華で精霊は増えるから、東郷さんだけは精霊が三つ付いてるんだ)

 

 東郷美森は真っ当だ。

 驚くほど正常な精神状態を維持している。

 ウルトラマンと融合している竜児と同じくらいに、シルバーランスの怠け放射能の影響に抵抗できているように見えた。

 

(……逆に言えば、シルバーランスの放射能は、精霊一体じゃ防ぎきれないのか)

 

 東郷を除いた四人の勇者は、今回の戦いにおいて戦力として数えられないかもしれない。

 が、今は未来に控えた戦いよりも、優先して考えるべきことがある。

 

「東郷さん、学校まで車椅子押しても大丈夫?」

 

「え?」

 

「僕が車椅子を押した方が東郷さんにいいのは分かる。

 でも、親しくない人に車椅子と体を預けるのって怖そうだな、って思ったんだ。

 親しくない人には背中を預けるのも怖い人は怖いでしょ。

 だから、東郷さんの車椅子をそんな気軽に押すのもなーと思いまして。

 東郷さんが結城さんに車椅子を押すのを任せてるのは、全幅の信頼の証だろうしさ」

 

「……ふふっ」

 

「何故そこで笑い?」

 

「友奈ちゃんも、出会ってすぐの頃ずっとそういうの気にしてたことを思い出したの」

 

 東郷は、無神経に自分の車椅子を押そうとした人を何人か知っている。

 実際に無神経に押した人も何人か居た。

 東郷が安心して車椅子を任せられるのは、家族か、友奈か、勇者部くらいのものだった。

 

「そうね。車椅子を押してもらうのは、命を預けるようなものだから」

 

 ゆえに、これは妥協である。

 妥協であり、竜児を試すような選択である。

 竜児の押し方に不安を感じたら、すぐにでも彼には車椅子から離れてもらうつもりで、美森は彼に笑顔を見せた。

 

「熊谷君、お願いできますか?」

 

 その笑顔に試されているような気がして、竜児は姿勢を正した。

 

 信じられる人間かどうかを、東郷に試されているような気がした。

 

(重い)

 

 車椅子の持ち手を掴む。

 路面の段差は勿論のこと、極力路面の凸凹や小石も踏まないようにして、できるかぎり東郷を揺らさないよう優しく押していく。

 遅すぎてイライラさせないように、速すぎて怖がらせないように、東郷の理想の速度に寄せることを意識して、記憶の中の友奈がやっていた速度を極力再現して押していく。

 東郷の車椅子は重い。

 それは、東郷の体重が重いという意味ではない。

 

 車椅子をただ押すだけでも、手に残る車椅子の重みが、そのまま『東郷の命の重さ』であるように感じられるということだ。

 

(仮とはいえ信頼の重さなのかな、これって)

 

 例えば、交差点で車が来た時に竜児が急に車椅子を押せば、東郷は死ぬ。

 精霊に守られた勇者はそんなことでは死なないが、東郷がそれを知らない以上、そこを考慮する必要は全くない。

 東郷は交差点で彼に車椅子を押されれば、そこで自分が死ぬことを理解している。

 自分の足が動かないということは、足代わりの車椅子を誰かに押してもらうということは、そういうことだ。

 

 東郷は今、自分の体と命を乗せた車椅子を、竜児の手に預けている。

 

(いや、信頼の重さだけじゃなくて……命の重さか)

 

 普段何気なく見ていた、車椅子を押す友奈と、友奈に車椅子を預けている東郷の姿が、竜児には明日から全然違うものに見えるだろう。

 

 車が勢い良く走る道路の傍でも、車椅子が横転しかねない段差の近くでも、押されれば死んでしまう交差点の前でも、東郷は信頼して友奈に車椅子を任せていた。

 友奈はその信頼を受け止めていた。

 東郷は車椅子ごと転べば、状況次第で二度と立ち上がることはできない。

 そんな東郷の体と命を、友奈はいつも責任を持って手で押していた。

 

 東郷はいつも全てを預けていて、友奈はいつも全てを預かっていた。

 それは、愛のような時と場合で揺らぐものとは違う、『絶対の信頼』である。

 二人の間では命を預けることは当たり前のことであり、助け合うのは息をするにも等しい事柄だったのだ。

 

 竜児の車椅子を押す手に、彼なりの優しさが更に込められる。

 車椅子をただ押すだけで、こんなにも優しさを込めることになるだなんて、竜児は今日まで全く思いもしていなかった。

 

「東郷さん、どうかな?

 何か駄目なところはない?

 結城さんが100点だとしたら僕何点くらい?」

 

「60点」

 

「……厳しい」

 

「赤点は30点よ」

 

 くすくすと、東郷が笑う。

 車椅子に毎日のように乗っている人の感覚を、竜児はちょっとナメていた。

 ナメているから、気付かない。

 

 車椅子は人の心を映す鏡だ。

 乗っている人ではなく、押す人の心を映す鏡だ。

 雑な人、適当な人、他人を軽く見ている人の心は、車椅子の押し方に分かりやすく出る。

 逆に、優しい人や他人を気遣える人の心もまた、車椅子の押し方に分かりやすく出る。

 技術のある押し方と、優しくしようとする押し方は、全然別のものだからだ。

 

 自分の心を隠せていると思っているのは竜児だけで、東郷にはちゃんと全部見えている。

 

(今の内に、勇者の状況だけでも整理しておこう)

 

 分かっているようで分かっていない竜児は、頭の中で勇者の状態を整理する。

 

(東郷さん以外は全滅か。

 樹さんはまあ元々アクティブからちょっと遠い人だった。

 結城さんは意思が強いんであって、心の根っこは意外と普通だ。

 夏凜は普段から頑張り屋だけど、意志ががっつり萎えてる。

 犬吠埼先輩は、生来の性格の熱量が多くて、怠けても活動ができてるってことかな?)

 

 『生来熱量の多い性格』の風は、『意識して楽しそうに快活に生きていて』、楽しそうに快活に人助けするのを怠けている。

 『性格の根底が普通』な友奈は、『意識して勇者らしく振る舞っていて』、『意識して善人として在ろうとしていて』、怠けで全てが吹っ飛んでいる。

 『鍛錬が日常』な夏凜は、鍛錬という日常が怠けで吹っ飛んでいるものの、他の一般人よりちょっとはマシに見えた。

 大人しい樹が怠けるともうふにゃっとしかしていない。

 

(勇者を部室ひとまとめにして……ひとまとめにした後、僕はどうする?)

 

 シルバーランスは怠けさせる。

 怠けるとは『頑張らない』ということだ。

 友奈のような『頑張る子』に対し、この異能は強烈なメタとして機能する。

 

 そも勇者とは、自分よりも強い者に立ち向かう勇気を持つ者。

 感じた恐怖を、奮い立てた勇気で踏破する者だ。

 つまり勇者とは、恐怖と強者に"意識的に"立ち向かい、"意識して"勇気を振り絞り、"意識的に"頑張って奇跡を起こす者でなければならない。

 生まれつきの心の強さではなく。

 怠けず、頑張り、心強く在ろうとするこそが肝要。

 それが勇者のスタンダードなのだから、ヤメタランスの能力は一種の勇者殺しであると言えるだろう。

 

 "頑張って勇気を振り絞ること"も、怠けている状態ではできるはずがない。

 

(メビウス)

 

『僕らは半分が人間、半分が巨人だ。

 前回の戦いでは半身の君が怠けてしまった。

 次の戦いで、もう一度同じことがあれば、どうなるかは分からない』

 

(僕の気合い次第か。……負けられない。負けたくない。

 怠けになんて、負けたくない。無理矢理に怠けさせられる勇者なんて、もう見たくない)

 

 『頑張らなくなった友奈』と、『頑張らなくなった夏凜』を見せられたことで、竜児は自分でも信じられないくらい腹が立っていた。

 ふにゃっとしている樹も、このままでは夢を追うどころの話ではない。

 

(あ。東郷さんが怠けてない理由……ああ、そうか。

 怠けたくても怠けられない、生真面目な人だからか。

 確かに"怠けたくても怠けられない真面目"な人って多くはないな)

 

 怠けないようにしよう、と意識して、怠けない人間もいる。

 だがその逆で、根が生真面目で怠けたりサボったりするのが苦手な人もいる。

 要するに、相性なのだ。

 精霊複数憑きと、怠けに強いという東郷のこの精神性。

 シルバーランスが勇者に対し相性が良いように、東郷美森は奇跡的に、シルバーランスの能力に対し相性が良い存在であったらしい。

 

 友奈とは対照的だ。

 普通の少女の心が、偉大な勇気の意志に引っ張られる友奈のスタンスは、シルバーランスとかなり相性が悪い。

 

 竜児の手により勇者部まで運搬された東郷は、部室内の友人達を見てぎょっとした。

 やる気0。

 ここまで怠けオーラを噴出している仲間達を、東郷は見たこともなかったのだろう。

 イースター島のモアイと彼女らを並べて"どっちがやる気ありそう?"とモブに聞けば、十人中六人がイースター島のモアイの方を選ぶレベルである。

 

「後で必ず戻って来るから、ここを動かないで」

 

「どこへ?」

 

「街の様子を見てくる。僕は今日、まともに動いてる人を東郷さんしか見てない」

 

 竜児は自分と東郷しかまともに動けていないこの世界で、自分がいない状態で東郷にあまり動いてほしくない。

 今の東郷が車椅子ごと転んだら、それを助け起こしてくれる人は誰もいないのだ。

 改めて、今の世界が切羽詰まっていることを実感する。

 

 竜児は勇者部を離れ、大赦の施設に向かって走り、その過程で端末から情報を取得し始めた。

 

「食料供給経路……全停止。

 インフラ……ほぼ全停止。

 社会機能……ほぼ全停止。

 神樹様の四国結界……状態観測さえ不能……ああちくしょう」

 

 四国は西暦の終わりからずっと、食料にエネルギーにインフラと、文明に必要なものの全てを神樹に供給してもらっている。

 その全てが止まっているということは、それは、つまり。

 リュウジには答えが見えていた。

 だが、その答えから目を逸らすように、現実の問題に手を入れていく。

 

 信号は全て赤信号にして事故防止。

 火事も起こさないよう最低限の工作もしていった。

 今火事が起きたなら、おそらく誰も逃げない。誰も火消しはしない。

 火傷した人を運ぶ救急車は来なくて、消防車も動くことはないだろう。

 街の大半が焼け落ちても、おそらく誰も動くまい。

 今の自分にできることをして、警察も消防も病院も動いていない四国の絶望的状況で、致命的な大破壊が起こらないよう工作していく。

 

 大赦が有事に備えた下準備をしていなければ、彼が大赦の人間でなければ、ここまでスムーズにことは運べなかっただろう。

 ……その大赦も、既に機能の全てを停止してしまっているのだが。

 

『リュウジ君! 怪獣(バーテックス)だ! 気配を感じる!』

 

「え? 樹海化もまだ……」

 

 水平線、水平線の上に見える木の壁、その上に乗った不可視の結界。

 空に見えるよう加工されていた、四国を包む神樹の結界。

 そこに小さな穴が空き、そこからシルバーランスの触腕が侵入し始めていた。

 

「……な、あ、うあああああああッ!!」

 

『撃つんだ! 生身でも感覚は変わらない! メビュームスラッシュだ!』

 

 竜児が叫びと共に、メビウスブレスから光刃を放つ。

 人間態でも発射可能な光の刃は、シルバーランスの触腕の先端を切り裂いた。

 触腕が結界の外へと逃げていく。

 シルバーランスが結界を壊したのか?

 結界を壊して、人間の世界へ攻撃を始めたのか?

 いや、違う。

 

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『神樹を構成する土着神が、格の低い方から順に怠け始めているのかもしれない』

 

「そんな……そんなことになったら、この狭い世界が……

 神樹様! 神樹様! 正気に戻ってください!

 人間(ぼくら)はまだ、貴方の加護無しに生きていける状態にありません!」

 

 神樹は、人の祈りに応えるのを怠けた。応対は無い。

 

「神樹様っ!」

 

 叫び神樹に祈る竜児の視界の中で、またシルバーランスの触腕が侵入を始めた。

 

「じょ……冗談だろ……!?」

 

 樹海化は起こらない。敵が来ても、世界の形が変わらない。

 神樹は、人間に食料を渡すことを怠けている。酸素を作ってやることを怠けている。物資を与えてやることを怠けている。結界を張ってやることすら怠けている。

 そして、今では。

 ―――()()()()()()()()()()()

 

 竜児は一連の戦闘の流れを思い出し、シルバーランスの基本戦略をようやく理解した。

 

「怠けで逃げられなくなった人間を、誰も逃さず、殺すつもりなのか……!?」

 

『シルバー……ブルーメ……!』

 

 "絶対に逃がさない"。

 

 怠けさせるというほんわかした能力の裏に、絶殺の意志が隠されていた。

 

 

 




●融合怠惰水鹿 シルバーランス

【原典とか混じえた解説】
・円盤生物 シルバーブルーメ
 ウルトラマンは見たことないけどシルバーブルーメの名前は知ってる、という人がいるほどのトラウマ怪獣。
 名前の由来はドイツ語の『銀の花』。勇者と同じく密かに花の名を冠している。
 主人公と共に戦っていた防衛隊(仲間)を全員殺害。
 主人公の恋人、親友の弟分も殺害。
 主人公と親しい子供の家族まで殺害。
 ウルトラマンを嘲笑うように一般人の虐殺も行った。
 レギュラーキャラの一掃である。
 その急襲速度は、宇宙用の高性能レーダーの端に映ってから防衛基地を手遅れの状態に持ち込むのに十数秒もかからないレベル。主な武器は触手、溶解液、毒ガス。

・なまけ怪獣 ヤメタランス
 本来は特殊な放射能をばら撒くだけの善良な怪獣。
 この怪獣がばら撒く放射能は、周囲の人間を怠け者にしてしまい、ウルトラマンでもなければ抵抗できない。
 そのウルトラマンですら影響から完全に逃れることは困難である。
 更にこの放射能の影響を受けた人間が別の場所に行けば、その人間の周囲の人間も放射能の影響を受けてしまうため、被害は無限に拡大し、やがて社会が崩壊する。
 周囲のものを無差別に喰らい、肉体を無限に拡大してしまう能力等も持つ。
 『帰ってきたウルトラマン』では戦闘機を操縦していた戦闘員が操縦を怠け、戦闘機は一直線に街に落ちて大爆発、というありえないような怠けが発生した。

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