運命は突然に
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――その頃の私は、とてつもなく不機嫌で、とてつもなく苛立っていた。味方なんてだれもいなくて、居場所なんてどこにもなくて、お父さんとお母さんが嫌いで、そしてなにより、流されるだけの、なにもできなかった自分が、一番大嫌いだった。
散々泣いて、散々叫んで、それでも現実は変えられなくて。すっかり不貞腐れた私は、一人きりの世界に閉じこもることを選んだ。 今だったら、思春期ならではの自己嫌悪と思い込みだったと思えるし、まさしく若気の至りだったけれど。
その時の私は、そうすることでしか不満を訴えられなかった。
学校の昼休み。一人ぼっちだった私は、弁当箱の包みを片手に、行くあてもなくふらふらと廊下を歩いていた。昼休みは始まったばかりで、廊下は賑やかにざわついている。
(あー、どうしよう)
私はお弁当を食べる場所を探していた。教室で一人食べるお弁当はなかなかに鉛の味で、おなかの下のほうに変なたまり方をしてしまう。嫌いなものが入っていたら、より一層。
開いていた窓から顔を出して、校庭を覗きこむ。
まだ人の姿はないけれど、のちのちグラウンドを使いに生徒が下りてくるだろう。それに、あんな土埃が舞いそうなところで、ご飯なんて食べられない。
(どうしよっかなあ。図書室だとご飯食べられないし、空き教室使うのも、ちょっとハードル高いよね)
悩みながら窓の外を眺めた。
外は風が強くて、木の葉がざわざわと音を立てて揺れている。差し込む日差しは柔らかで、晴れ晴れとした青空は爽やかだった。
(……やっぱり外に出てみようかな。いい天気だし)
強風でも、場所を選べば被害に遭わずに済むかもしれない。探してみれば、人目につかない場所が見つかるかもしれない。少なくとも、校舎の中よりは圧倒的に人が少ないはずだ。
そうと決まればと階段の踊り場に出ると、数人の男子がたむろって談笑をしていた。まさかもう食べ終わったわけじゃないだろうだから、だれかを待っているか、どこで食べるかを相談しているのだろう。
目立たないよう、ひっそりと脇を抜けていく。
「なあ、屋上って上がれたんだっけ?」
「屋上? 鍵は閉まってないって、先輩に聞いたけど」
聞き捨てならない単語が聞こえて、危うく振り返りそうになる。ここにきて、屋上という選択肢が増えるとは。
「え、屋上って入れんの!? だったら今から行ってみようぜ」
「馬鹿、お前知らねえのかよ。屋上には、ほら――」
「あっ」
(な、なに?)
気になりすぎて、階段の途中で立ち止まる。
階段を下りた先なので彼らからは見えないが、こちらも彼らの表情が読めない。黙り込まれてしまうと、なにが起きているのかまったく分からなくなる。
仕方ないから、私は来た道をもう一度引き返した。今度は正面から顔を見ると、男子たちはみんな、ひきつった顔をしているところだった。
すぐに戻ってきた私は不自然極まりなかっただろうに、気にも留めずに彼らは続ける。
「うっわ。それ、あそこだったっけ」
「そうだよ。だから不良たちもあそこには近づかないんだって。出た瞬間、咬み殺されるって噂」
「怖えー!」
(……犬?)
この学校では、屋上で闘犬でも飼っているのだろうか。
「この前は、校舎裏でたむろってた三年生が片っ端からやられたらしいよ」
「群れると音もなく現れるっていうよな」
「昨日も体育館に出たらしいぜ」
(しかも放し飼い!?)
一体なんなんだこの学校は。そんな危険な動物を野放しにしているのか。
まだまだ気になるところがあったけれど、男子たちはぞろぞろと階段を下っていく。追いかけたらさすがに気付かれるだろう。諦めた私は天井を見上げた。
この天井の上の上。屋上に、得体のしれない化け物がいるのだろうか。
(まさか、そんなのが本当にいるわけないよね。学校の怪談とか七不思議なのかも)
――そのときの私は、彼らの話を噂話だと受け止めていた。そして、どうしても屋上に行きたくなってしまった。
怖がり方が大げさで現実味を感じなかったし、屋上という響きに、あらがえないときめきを感じていたのだ。
今までの学校の屋上は使用禁止だったから、屋上で食べるお弁当と、屋上から見る眺めに、強い憧れが芽生える。
(ちょっと行ってみよっと。人がいっぱいいたら戻ればいいんだし)
それに、あんな噂が出ているくらいだ。この学校の生徒なら、さっきの男子たちのように怖がって避けているかもしれない。
決心した私は、軽快に階段を上る。学校の構造はまだよく覚えていなかったけれど、階段を上ってればいいのだから簡単だ。すぐに屋上へと辿り着いた。
解放されているのは本当らしく、鉄製の扉の前に、立ち入り禁止の張り紙やバリケードなどはない。
扉の取っ手を握って、少しだけ押してみた。わずかに開いた隙間から風が吹き込み、髪が後ろになびく。
(……だれか、いるのかな)
人が少なかったら少なかったで気まずいものだ。カップル一組しかいない空間に飛び込みでもしたら大惨事なので、私は注意深く扉を押していく。
隙間から外の音が入ってくるけれど、そのなかに人の話し声は混ざっていない。
今度は顔を扉に近づけて屋上を覗く。見える範囲にあるのは遠くにあるフェンスだけで、人の姿はない。――それなのに。
(……なんだろう、この感じ)
ジワリと嫌な感覚が胸に広がっていく。覗いているのは私なのに、まるで私が見つめられているような感覚。このまま屋上に出てしまったら、なにかとんでもないモノに襲われてしまいそうな、そんな不安。
――あれは第六感だと察せるほど、当時の私は鋭くなかった。
(もしかしたら本当にナニかいるのかも、なんて)
扉を半開きにしたまま逡巡する。行くか、戻るか。戻るとしたらどこに向かえばいいのか。
考えている間にも下からは賑やかな喧騒が聞こえるし、開いた扉からも校庭で騒いでいる生徒の声が聞こえてくる。もう食べ終わった生徒がいるらしい。
他に行くあてもないし、このままだと昼ご飯を食べる前に昼休みが終わってしまう。
(一回。一回、まず出てみよう。そんで、なにかいたらダッシュで逃げよう!)
――引くという選択肢は、私にはなかった。
悩むだけ悩んだ私は、覚悟を決めて扉を開ける。外の風が勢い良く吹きこんで、私はぎゅっと口元を結んだ。周囲を見渡しても、さっき見た通り屋上にはだれもいない。嫌な予感とは裏腹に、屋上は貸し切り状態だ。
見上げた先にある青空と太陽に猜疑心を吹き飛ばされ、ほっとしながら足を踏み出した、その瞬間。
「ひゃっ!?」
ドアノブを握っていた腕が悲鳴を上げる。だれかに、右腕を掴まれていた。
咄嗟に引き戻そうとしても無駄で、勢いよく屋上へと引っ張り出される。そしてそのまま、扉の隣の壁へと叩きつけられた。打ちつけられた背中の痛みに目を瞑ると、首元に固い感触。
(な、なに? なにが起きてるの!?)
顔を上げようにも、首を圧迫されているから動かしようがない。私は恐る恐る目を開けてみた。
顎の下にあるせいで、押さえつけている物の形は目では見えなかった。でも、肌に伝わる感触から、円筒状の棒のようなものであることがわかる。
棒の端に持ち手があるのは、視界の端でかろうじて確認できた。黒い持ち手を、白い手がしっかりと握っている。カンフー映画に出てくる二本セットの武器――名称はなんだったか。
いや、道具の名前なんかはどうでもいい。問題は、いきなり首に棒状のものを押しつけてきた不届き者はだれなのか、である。
正面に立っているのが男子生徒だということは制服でわかるが、喉をこんなもので圧迫されていては、目前の顔なんて確認できるはずもない。
「君、だれの許可を得てここに来たの?」
こんなことをしておきながら、問いかけてくる声はやけに落ち着き払っていた。淡々としているが、声音には不穏な気配が漂っている。
「……っ」
声が出せないうえに、圧迫された喉では呼吸もままならない。答えられるわけのない状態なのに、彼は答えを待っていた。
(こ、殺される……!)
冗談ではなく、本気でそう思った。酸欠と恐怖で気を失いそうになったところで、ようやく喉元から武器が下ろされた。
「ハッ……ケホ、ゴホ、ゴッホ! うえ」
息ができるようになった途端、激しく咳きこんで涙が出る。
逃げなければと思うものの、後ろは壁で、前には男。丸まった背筋を伸ばす間もなく、先ほどと同じ棒が私の顎を押し上げた。今度は、強制的に目を合わせられる。
目が合った、という言葉で済ませていいのだろうか。それほどまでに強い衝撃が脳を揺さぶった。
これまでに見たどの瞳よりも、その瞳は強い色を宿していた。これまでに見たどの瞳よりも、その瞳は私に恐怖を抱かせた。
(――ヤバい。コレハホントウニヤバイ)
本能が全力で危険を告げていた。あの嫌な感覚がこの人の殺気のせいだと気づいても、もう遅い。
「……ねえ」
相手の瞳しか見えていなかった私は、やっと顔全体を見るだけの余力を取り戻した。本来なら顔の近さに狼狽えるところだけれど、この状況でそんな余裕あるわけがない。
「僕の眠りの邪魔をしたら、どうなるか知ってるかい?」
どうやら、彼はひどく怒っているようだ。口の端はわずかに持ち上がっているが、機嫌が悪いことは、雰囲気からも伝わってくる。そしてこのタイミングで思い出すのもどうかと思うけれど、武器の名前はトンファーだ。
私がなにも言えずにいると、彼は切れ長の瞳を細めた。
「君、咬み殺すよ」
ゾクリと肌が粟立つ低音に、それでも私はまだ状況が理解できずにいた。
(な、なにこの人! なんでこんなことされなきゃいけないの!?)
私はただ、屋上に出ようとしていただけである。どこにも立ち入り禁止なんて書いてなかったし、ここはこの人の私有地でもない。
それなのに、どうしてこんな目に遭わされなければならないのか。
「……君、女だからって僕が手加減すると思わないほうがいいよ」
理不尽に対する憤りが表情に出ていてしまったのか、彼はそう言いながらトンファーを持つ腕に力を込めた。
(そんなの期待してるわけないじゃん!)
こんなことをしてくる相手に期待する人間が、どこにいるのだろう。息苦しさを感じながらつま先立ちで彼と対峙する。このままだと、咬み殺される前に窒息してしまう。
(こうなったら――)
追い詰められた私は、拘束されていない足で彼の足を蹴飛ばした。
「ワオ」
予備動作も付けられなかった拙い蹴りは、彼の足をほんの少しかすめるだけに終わる。
しかし彼は驚いたように目を瞠ると、なにを思ったか、私を解放した。力が抜けた足が崩れて、その場にへたり込む。
「――ゲホッ!」
またもや酸欠で顔が熱い。呼吸を整えるべく口を開けるが、吐く量が多くてなかなか空気が入らない。
私が呼吸を整えている間、目の前の黒い靴は微動だにしなかった。
見下ろされているのが分かるし、早く逃げ出したいのはやまやまだったけれど、体はまだ動かせない。
「反撃、するんだ」
落とされる声。先ほどまでの不穏な空気は感じないものの、顔を上げる勇気はもちろんなかった。
「君、名前は?」
もう危害を加えるつもりはないらしい。しかし、トンファーの先端が視界に入って、私の気持ちを落ち着かなくさせた。
「名前」
視界の隅でトンファーが揺れる。
「……相沢」
やっと会話が成立した。そういえば、彼は何度も問いかけを寄こしていた。答えてほしかったのなら、答えられるように配慮してほしかったけれど。
しゃがみこんだ彼が、私と目を合わせる。反射的に体が強張るが、彼は気にしていない。
「僕は雲雀恭弥」
「……はあ」
自己紹介のような声のトーンに少し力が抜ける。先ほどまでの振る舞いを、忘れてしまっているのではないだろうか。
(っていうか、なんでこの人、制服違うの)
並盛中学校の制服はブレザーなのに、彼は学ランを肩に羽織っていた。
「君の名前はなに?」
「……え、相沢利奈?」
なぜ二度聞かれたのかわからず、自分の名前なのに疑問系で答えてしまう。
しかし、恭弥はどこか納得したような顔で立ち上がった。
「そういうこと。僕の睡眠を邪魔する人は許さないんだけど、今回は特別に大目に見てあげるよ」
――もうすでに、十分痛い目を見た気がするのだけれど。彼の基準からしたら、まだ手ぬるいほうだったらしい。
「次に一歩でも入ったら、容赦なく咬み殺すから」
振り子のようにトンファーを振りながら、彼は言った。
トンファーの本来の使い方を思い出して、腕が震える。トンファーは、首を絞めるための道具ではない。相手を殴りつけるための武器だ。
「……わかった」
本当はなにもわからないけれど、こう答える以外の術がない。
彼は何者なのか。どうしてこんなことをされたのか。一切合切まるで見当がつかないけれど、とにかくこの場から逃げ出さなければならない。
立ち上がった私は、ドアノブを引っ掴むと彼の視線から逃がれるように体を滑り込ませた。
――それが私、相沢利奈と、彼、雲雀恭弥の最初の出会いだった。