「ヒバリさんと見回り!?」
叫んだ利奈の頭に、後方から拳が振り下ろされた。
垂直に落とされた拳は脳天に当たり、利奈の視界に星が飛ぶ。
「いっ――たーい!」
あまりの痛みにしゃがみこんだ利奈は、恨みがましい目で犯人を振り返った。
近藤は素知らぬ顔で前方を向いている。
――ぶしつけに大声を出したのは悪かったけれど、だからって問答無用で拳骨を食らわせるのはなしだと思う。
痛みに耐えてよろよろと立ち上がった利奈は、滲んだ涙をぬぐい、気を取り直して同じ内容を繰り返した。今度は、言葉遣いに気を配って。
「ヒバリさんと、二人だけで見回りに行くんですか?」
「そうだよ」
正面に座る恭弥は、日誌から顔も上げずに答えた。
(そうだよって――)
話が違う。
振り向ける状態ではないが、おそらく、後ろの二人も渋い顔をしているだろう。
――時計の針を二周ほど巻き戻したお昼頃。
副委員長からの伝言を携えて、風紀委員が利奈の教室へとやってきた。
「通学路の見回り、ですか?」
風紀委員の来襲。昼休みの弛緩した空気が一瞬で吹き飛ばされたわけだが、それを気にしたら話もできないので、利奈はあえて無視をした。
「お前には、三班とともに見回りに参加してもらう。放課後、校門前に集合だ」
そのうち名前を知るだろう彼は、それだけ言って帰っていった。
(見回り、かあ。
そういえば、初めてちゃんと風紀委員を見たのも、見回りしてるところだったな)
直後に恭弥と遭遇してしまったために、記憶にはほとんど残っていないけれど。
見回りというと、学校帰りに校則違反をしていないか、素行不良の生徒がいないかを調べるのだろうが、並中の校則はじつに緩い。
制服での買い食いも、下校時の寄り道も禁じられていないし、拘束する校則がひとつもないのだ。
ゆえに見回りなんて、風紀委員の存在を誇示するだけの行為に思えるのだが、並盛中学校の風紀委員は、一味違った。
取り締まり対象が、並中生だけでなく、道行くすべての人々にまで広がっているのだ。
(これもう町ぐるみでやればよくない!?)
いっそ並盛中学校風紀委員ではなく、並盛町風紀協会などに肩書を変えるべきなのだが――メンバーが全員並中生のためか、まだ委員会活動の枠に収まっている。
というよりも、中学校の風紀委員だからこの程度で済んでいるという状態で、町ぐるみの組織にしてしまうと、暴力団と遜色ない集団になってしまう。
恭弥の卒業後の動向が気になるところではあった。
学校外での活動ということもあって、危険度は朝の取り締まりの比ではない。
並盛町で幅を利かせている風紀委員に反感を持ち、逆転の期を狙っている組織も少なくはないそうだ。なんの組織かはあえて聞いていない。
いつどこで襲われるかわからない。しかし、風紀委員である以上、負けることは許されない。たとえなにがあっても倒れてはならない。
そんな戦場さながらの指導を、三班班長の吉田から聞いている際に、五班の近藤から招集があった。
そこからの予定変更で恭弥と二人で行けと言われたのだから、オーバーリアクションになるのも無理はなかっただろう。
周囲の敵に気を配るはずが、身近にいる味方に注意しなければならなくなったのだから。
「君は一番弱いんだから、一番強い人と組むべきでしょ」
書類仕事が終わったのか、使っていたペンを卓上のホルダーに差して立ち上がる恭弥。
部下の焦りも知らずに、悠々としている。
「……相沢」
後ろからの声にビクッと背中が跳ねる。
このドスの利いた声は、戦場の風紀委員こと、吉田の声だ。
「わかっているな?」
その一言で、言わんとしていることはわかった。
――雲雀恭弥の足を引っ張ったら、容赦はしない。
どうやら、味方はだれ一人存在していないようだ。
__
恭弥に続いて校門を出る。
神出鬼没の風紀委員長の姿にみんなが釘付けになったおかげで、後方の利奈には一切視線が向かなかった。しかし、利奈の気は晴れない。
(ヒバリさんと二人っきりかあ。なんかあったら恐いし、やだなー)
平社員と社長が外回りをするようなものだ。
しかもその社長は、ミスをしたら即切り捨てるであろう、ワンマン社長である。
「ねえ」
振り返った恭弥が、訝しげに眉を落とした。
「遠くない?」
「そ、そうですか?」
恭弥の気まぐれを警戒するあまり、つい距離を空けすぎていた。五メートルは離れすぎたか。
慌てて近づくも、隣なんて歩けないし、真後ろにいるのもどうかと思うので、結局、二、三歩分、引いてしまう。
なにもしがらみがなかったぶん、町を案内してもらっていた時のほうが、まだ気を抜けていただろう。
(ダメダメ、これじゃ胃がもたない。もうちょっと気を楽にしよう)
「日によって場所が違うって聞いたんですけど、今日はどのあたりを見回りするんですか?」
「裏通り」
「裏……通り」
響きだけで嫌な予感が膨れ上がってくる。
「三班は表通りを巡回してるからね。小動物がはびこるなら、裏通りでしょ」
「ね、狙いに行くんですね」
もはや気を抜くどころではない。
「裏通りと言っても、路地裏に入ったりはしないよ。それだと見回りじゃなくなるし。
今日のところは君の世話もあるから、普通に見回るだけにしておくよ」
ガチガチに肩に力を入れる利奈を見て、恭弥が訂正を入れた。
一応、新米の面倒をちゃんと見てくれるつもりでいるらしい。
「そうだ、先に言っておかないといけないことがあった。
僕の邪魔をしたら容赦なく咬み殺すから、そのつもりで」
――先行き不安どころの騒ぎではなくなった。
それでも、見回りしていた裏通り自体は平和だった。
下校する並中生は恭弥に気付くとそそくさと通り過ぎるし、道の往来で事件が起きることもなく、町内の人は普通に商売をしている。
恭弥がちょくちょく店に入っては、怪しげな雰囲気で会話をしてたり、封筒を受け取っていたりしていたけれど、似たようなことはこの間もやっていたので、特筆事項ではない。
(疲れた……!
病院の人に頭下げたり、店の人に頭下げたり、すっごく緊張したし、心臓に悪かった!)
しかし、そんな見回りももうすぐ終わりである。
家に帰ったら堪えていたぶんを発散しようと、ガラス越しに恭弥を見つめていると、後ろから肩を押さえられ、すぐわきの細道に、無理やり引っ張り込まれた。
(も、もう!?)
声を出そうとするより前に、口を手で塞がれる。
その手がジワリと汗ばんでいて気持ち悪かったので身じろぎをすると、それを抑え込むように抱きすくめられた。非常に気持ち悪い。
「じたばたするなっ!」
「おとなしくしろ」
複数人に囲まれて、抵抗ができない。足は半分宙を浮いていて、利奈はなすすべなく路地裏へと飲み込まれた。
「捕まえたか!?」
「ああ、あいつの女だ」
興奮したようなささやき声。その上擦った声に、利奈は心の中で突っ込みを入れた。
(ちっがーう!)
あれよあれよと空き地まで連れて行かれ、集まっている輩のリーダーであろう男の前へと引き渡される。
いかにも悪いことしてますといった顔つきの男は、利奈の顔を検分して、つまらなそうに身を引いた。
「これが雲雀恭弥の女か。……ガキだな」
どうやら、期待にはそぐわなかったようだ。あの恭弥の彼女ということで、相当に高い理想を抱いていたのだろう。ほかの人も似たような反応をしている。
それなら、一目見た瞬間に違うとわかってほしいのだけれど、口をテープで塞がれていてはなにも喋れない。
「それより、あいつはまだ気付いていないんだな?」
「まだ店にいる。間違いない」
「しっかし、まさかあの雲雀恭弥に女がいたとはな」
(だから違うんだけどね)
それにしても、どれだけ不良たちの恨みを買っているのだろう。
どうせ手当たり次第ボコボコにしているんだろうけれど、風紀委員に入って昨日の今日でここまでされるとは思っていなかった。
そもそも、彼らはいつ利奈の存在に気付いたのだろう。
まさか、ついさっき知ったばかりで、こんな大胆に動けるとは思えない。
「で、何人集まる?」
「あと十人。武器も用意してるところだ」
まだ声は上擦っているが、先ほどの緊張からの震えではない。
瞳は興奮でぎらついているし、口元から覗く歯は獰猛だ。
この並盛町を支配している恭弥を倒せれば、並盛町での立場は一変する。
恭弥の彼女(勘違い)を人質にすれば、楽に天下が取れると思っているのだろう。
(卑怯な手口……)
そもそも、恭弥に彼女がいたとして。その彼女を人質にとれたとして。
あの恭弥が、恋人の身を案じて戦えなくなるなんてことが、はたしてありえるのだろうか。
(いやー、ないな。部下にすらあれだもの)
認識のズレを正してあげたくても、声が出ないのだから仕方ない。
若干冷めた気持ちでいる利奈の前で、徐々に人が増えていって、空き地に展開していく。
やはりリーダーは最奥に位置するようで、利奈は拘束係の男とともにその隣に立たされた。
ここからだと、路地の先まで見えるはずなのだが、男たちで視界を塞がれている。
息をひそめた静寂のなか、重量のあるものが壁に激突する音が聞こえた。
「来たか」
声に緊張はあれど、怯えはない。準備が万端に整っている証だろう。
近づいてくる打撃音。それにともなって聞こえてくるうめき声。
「がはっ!」
恭弥に吹っ飛ばされた男が、路地から空き地まで滑り込んでくる。その男から目を上げると、トンファーを血で染めた恭弥がゆっくりと現れた。
仲間だけど、登場の仕方が物騒なのでそんなに喜べない。
「おっと、そこまでだ」
隣の男が利奈の肩に手を置いた。
後ろの男が腕に力を籠めるので、利奈は痛みを逃がそうと身をよじる。
「それ以上近付くなよ。わかっているだろうがな」
金属音が鳴ったので利奈は下を向いて、そして見なければよかったと顔をそむける。
男はナイフをちらつかせていた。
「お前の女だろ? 傷をつけられたくなかったら、おとなしく俺たちの言うことを聞いてもらおうか」
――だれが。恭弥の口がそう動くのはわかったが、男たちには聞こえなかったようだ。
一斉に恭弥を取り囲む。
「ほら、お前もなにか言えよ」
もう意味のないガムテープをはがし、男が利奈に初めて声をかけた。
ひりひりと痛む口を拭いたいけれど、両腕の拘束は解けていない。
「雲雀恭弥が来たんだぜ? 助けを求めたらどうだ」
(……助け、ねえ)
声を出す許可が与えられたので、利奈はまっすぐに恭弥を見た。恭弥もまっすぐに見返してくる。その目は、黒く澄んでいた。
「……僕が最初に言ったこと、覚えてるよね」
――覚えている。
「邪魔したら咬み殺す、ですよね」
答えた利奈の声は、おそらく恭弥には届いていなかっただろう。
利奈が口を開いた瞬間。
どんな返答が出るのかと待っていた男たちの油断を突く形で、恭弥が足を踏み込んだ。
横一線にトンファーが空間を切り裂き、容赦なく喉元をえぐられた男たちが、喉を押さえて後退る。
「なっ!?」
「てめえ!」
動揺する男たちのなかで、いち早く恭弥に飛びかかった男が、次の犠牲者だ。
掬い上げるようにトンファーで顎を砕き、通り過ぎざまに肘鉄でトンファーを叩き込む。
「ぐあっ!」
やり方がえぐい。
うわあと内心で引いている利奈をしり目に、男たちは戦闘態勢に入る。
「おい! こいつがどうなってもいいのか!?」
ナイフをちらつかせて脅しても効果はない。恭弥はこちらを一切見ていなかった。
ここにきて作戦ミスに気付いたって、もはや手遅れだ。
振り下ろされた鉄パイプをなんなく受け止め、がら空きな腹に靴のつま先で蹴りを入れる。転がった男に蹴躓いた男も、眉間にトンファーを打ち込まれて昏倒した。
次々に男たちの屍が転がっていく。
そんな光景を目の当たりにする利奈の表情に、怯えはない。
まだ男たちは半分残っているし、ナイフは胸元で光ったままだが、すっかり落ち着き払っていた。
なぜそこまで落ち着いていられるかというと――
(二度目だとインパクトがなくなるよね)
――そう、もう二回目なのである。
今は復路だが、往路でも利奈は男たちに絡まれた。
その男たちは、風紀委員にしては弱そうな利奈が一人でいたので、これ幸いとちょっかいをかけにきたのだ。しかし、それだけでも容赦なく恭弥に屠られた。
救急車を呼んだのも利奈だし、救急隊員に頭を下げたのも利奈だ。ついでに、男が店に突っ込んで窓を割ったので、店の店員にも謝らなければならなかった。
(またヒバリさんにケータイ借りて呼ばなくちゃ。……病室、埋まっちゃわないかな)
遠い目をする利奈に、自身と他人の心配をする余地はない。
「この野郎!」
「おらあ!」
「はい、おやすみ」
雑魚は何人集まっても雑魚だと言わんばかりに、圧倒的実力差で薙ぎ散らす恭弥。
男たちの流した血が道路を汚し、大量殺人のあった現場みたいになってきている。
「さて」
しばらく暴れまわった恭弥は、ふと動きを止めて残り人数を数えた。
といっても、あとはリーダーと、利奈を捕らえている男のみである。最初の場所からまったく動いていなかったので、ほかの連中と一緒にやられずに済んだ。それだけだ。
「あと二匹か」
「そ、それ以上近づいたら――」
もう恭弥は足を踏み込んでいる。
リーダー格の男は利奈に向けていたナイフを握り直すと、迫ってくる恭弥の顔面に向けてナイフを投擲した。
「ヒバリさん!」
恭弥は顔を傾けるだけでナイフを避け、そのまま男の鳩尾にトンファーを叩き込んだ。
「――っ! グハッ!」
唾を飛散させ、首謀者は気を失う。
残るは――
「ひ、ひいいい!」
最後の標的となった拘束係は、自棄になって利奈を突き飛ばした。
「へ?」
まさか、最後の最後で人質を捨てるなんて。
突き飛ばされた先は恭弥の動線で、丸くなった恭弥の瞳に、自分の顔が映った。恭弥の腕は、既に弧を描いている。そのまま円を描けば、利奈の横顔を打ち抜けるだろう。
そしてそのまま男に襲いかかれば、それで終了だ。
(――!)
覚悟を決めた利奈の体に、衝撃が走る。地面にしりもちをついたが、顔に痛みはなかった。
突き飛ばした男の足音が遠ざかっていく。
(ヒバリさんは!?)
なんと、恭弥も地面に膝をつけていた。
舌打ちとともに立ち上がった恭弥は、すぐさま男に追いついて、その短い逃走劇に幕を下ろす。
「いつまで座ってるつもり」
あれだけの乱闘を終えた後なのに、恭弥の息は一切乱れていなかった。
なにもしていない利奈だって、こんなに鼓動が早まっているというのに。
「す、すみません」
戦闘中は落ち着いていられたけれど、終わってから震えがやってきた。最後の最後で、危ない目に遭ったからだろう。
辺りを見渡すが、とんだ惨状である。もしかしたら、一人ぐらい死んでいるかもしれない。
「はい。また救急車呼んであげて」
携帯電話を渡され、リダイヤルで総合病院に電話をかける。
搬送人数を伝えると電話口から悲鳴が漏れ聞こえたが、無理もないので聞こえなかったことにしておいた。
「五分ほどで、来てくれるそうです」
「そう。じゃあ、行こうか」
襲撃犯がどういった人間なのかは、興味がないらしい。
それでも、恭弥の声はどことなく弾んでいた。
「まさか、一日で二回も釣れるなんてね。久々に運動できたよ」
「そうですか……」
不良たちは、大きな思い違いをしていた。
利奈は決して、人質にはなりえない。
なぜなら利奈は、不穏分子たちへの餌でしかないのだから。
『僕に歯向かう小動物は多いんだけど、襲いかかる勇気もない小物揃いでね。そんな小動物が、裏でちょろちょろ動いているのは不愉快だ。
だから、きっかけを作って誘い出そうと思ってる』
恭弥は、気まぐれで利奈の世話役を担当したわけではなかった。
恭弥は利奈の脆弱さを利用して、自分に歯向かう輩を集めようとしたのだ。
まさか、ここまで早く効果を発揮するとは思っていなかったようだが。
(聞いたけどさ! 邪魔したら咬み殺すからねとか言った後にさらっと言ってたけどさ!
本当にこんなの来るんだったら、もうちょっと念押ししてほしかった!)
もはや隼人に声をかけたときの緊張など、鼻で笑えてしまうほどの修羅場をくぐってしまった。
――ちなみに、これに味を占めた恭弥によって、利奈の見回りは恭弥と二人で行われることになった。
それは利奈が五班に配属するまで続いたが、その間、何回攫われ、何人を病院送りにしたかについては、機密事項として伏せておく。