「その登場の仕方はよくないと思いますよー。おもに心臓にー」
ソファに寝転がっていたフランが脈絡なく呟いたので、利奈は反射的に入り口を振り返った。
しかし、そこに人の姿はない。
だれもいないじゃないと体勢を戻そうとした利奈だったが、フランは続ける。
「貴方が一人で来るなんて珍しいですね。監視ですかー?」
「……え?」
フランの目はしっかりと入り口に向いている。
しかし、だれもいない。
「侵入者が入ってきたので、丁重に接待しているところなんですよー。
ああ、あっちの人は知ってます? こっちも?」
利奈の前のめりな視線などものともせずにフランは喋り続けている。
相手の反応に応える仕草もしているから、まるで本当にだれかがいるみたいだ。
(いない、よね? 私だけ見えないの?)
すかさず恭弥を確認するが、恭弥もフランに怪訝な顔を向けている。
冗談にしてはいささか滑稽だ。
自分に注がれている二人の視線に気づいたのか、フランはやっとお喋りをやめて体を起こした。
「ちょっとちょっとー。やめてくださいよー、その顔ー。
変人を見るような目で見ないでくださーい」
「え、えっと……そんなこと、思ってないよ?」
思っていることを見事に言い当てられ、つい否定してしまう。
「一秒で見破れる嘘つかないでください。ミー、結構ガラスのハートなんですよー」
それこそ、一秒で見破られる嘘だ。
ソファに座り直したフランは、何事もなかった顔でチョコレートを口に放り込んだ。
「……ねえ、だれかいるの?」
フランが話しかけていた空間に視線を送りつつ、小声で尋ねる。
「気にしないでください。危害は加えてきませんから」
「気になるよ!」
フランの言い方だと、部屋にだれかが存在して、しかもまだこの部屋にいることになる。
「ねえ、だれがいるの。どこ? 意地悪しないで教えてよ」
「んー。本当になにもしないっていうか、できないんですけどー」
カリカリとカエル頭を掻くフランだったが、恭弥からも無言の圧力をかけられ、ため息を漏らした。
「ミーがジャンキーだと思われるのもなんですし、そこまで言うなら見せますよ。
もともとは師匠の作ったものなんですけどね」
「作ったって――ひっ」
その瞬間、なんの前触れもなしに利奈の目前に少女が出現した。
――いや、出現したわけではないのだろう。フランの態度からして、彼女はずっとそこにいたに違いないのだから。
小学生くらいの女の子だろうか。少女の色素の薄い目はずっと揺るがずに利奈を見つめていて、ずっと観察されていたことは明らかだった。
「……貴方、あのときの人?」
自分の存在が認識されたからか、少女の唇が流暢に言葉を紡いだ。
思いのほか淡々とした声で話しかけられ、恐怖よりも困惑が勝る。
「え?」
「生き返ったの?」
戸惑う利奈にかまわずに少女は続ける。
語尾が上がっているから、なにか質問されていることだけはわかった。
「えっと、私、英語話せないんだ……」
「……」
どうやら彼女も日本語はわからないらしい。
それなのに答えを待つような顔でじっと利奈を見つめている。目の色は極限まで薄めた金色だ。
助けを求めてフランに視線を送ると、フランは大げさに身を引いた。
「えー、イタリア語もわからないんですかー?
姿見せて声出させてそのうえ翻訳って、ミーが過労死しちゃいますよー」
「イタリア語!? 英語もわかんないのに、イタリア語なんてわかるわけないじゃん!」
「自分の無学を棚に上げて逆ギレしないでくださーい。
話進まないんで、簡単に日本語訳つけますけど」
また少女が口を開いた。
「骸の仲間?」
日本語が出てきて、利奈はようやく安堵した。
瞳の色と同じくらい色素の薄い金髪に、静脈すべてが見えてしまいそうなほど真っ白な肌の少女。それでも、言葉がわかるだけで親しみが持てるのだから我ながら単純である。
「違うよ。私はヒバリさん――あの人の仲間」
「ヒバリ」
恭弥を手で示すと、少女はそちらに目を向け束の間黙り込んだ。
そして視線を利奈に戻すと、表情を変えないまま恐ろしいことを言い放った。
「セイ、ヒバリが嫌い」
――このときの利奈の心情は、一言では言い表せない。
静かな部屋なので本人の耳にも届いているはずなのだが、恭弥は一切反応を示さなかった。
「言ってることは気にしないでいいです。自我はほとんどありませんから」
フォローなのか事実なのか、フランが付け足した。
(自我がない子に嫌いって言われる方が傷つくと思うんだけど……!)
利奈の心配など全く気にもかけず、爆弾を投下した少女は利奈の隣に腰を落とした。
実体はないようで、ソファが沈む感触はない。ホログラムのリボーンのようなものだろう。
「貴方、なに?」
少女はなおも尋ねる。
「私は利奈。貴方のお名前は?」
「セイ」
答えながら、少女は利奈との距離を詰める。脳の錯覚か、なんとなく肌が触れあっているような感触があった。
見上げてくる少女は、口元に小さな笑みを浮かべている。
「セイは利奈好き。とても、うれしい」
「あ、ありがとう……」
初対面にも関わらず、少女は幸せそうに微笑んだ。どこか作り物めいて見えるのは、見慣れない外国の子供だからだろうか。
「あー、これ思考だた漏れですねー」
なぜかフランが訳知り顔に呟くが、好かれる理由に見当がつかない。
なんにしろ、好きと言われて悪い気はしなかった。
「フラン、この子ってどういう子なの? むく――六――フランの仲間?」
「ではないですねー。師匠のペットみたいな感じですー」
「ペット……?」
「ところで、ムクロクフランってミーのあだ名です? 絶望的にダサいですけど」
セイは、プラプラと足を振りながら利奈とフランのやり取りを眺めている。
真っ白なワンピースから覗く手足は人形のように白くて細い。
豪華なドレスを着せたら人形と見違いそうなほど、その姿に生身の人間らしさは感じられなかった。
(ひょっとして、前に骸さんと会ったときにもそばにいたのかな?)
この時代の骸と会ったのは一度きりだけど、そのときはだれも少女の存在に触れていなかった。
そのときに同席していたのだとしたら、少女にとって初対面ではないのだろう。
「その人は師匠と契約した人にしか見えないんですよー。
ミーの場合は幻術遣いなので例外ですけど」
「じゃあ、クロームも?」
「クローム姉さんは契約してますからー。
まあ、してなくても姉さんなら見えたんじゃないですか」
契約がどういうものなのかはわからないけれど、とりあえず幽霊の類ではないようだ。
もし幽霊だったならば、骸との契約とやらはまったく関係ないはずなのだから。
『待たせたな』
今度はちゃんと、ドアが開いた。
M・Mと一緒に千種が来たので、利奈はソファから立ち上がった。
「柿本君! 久し――ぶりっていうのはちょっと変かな」
「いや、久しぶりでいいよ。一年は会ってなかったし」
差し出された投影機を受け取ると、リボーンの映像が揺れる。
「もうお話終わったの?」
『ああ、バッチリとな。直接じゃねえが、骸本人とは話ができた』
無事に話ができたのなら、その本人がここにいることは、言わなくてもいいだろう。
投影機に見えないところで、フランが唇に指を当てている。
(どんな話してたんだろう……。そんなに難しい話じゃなかったみたいだけど)
顔色を窺うが、M・Mの表情に陰りはない。千種はいつもと変わらず無表情だ。
少なくとも、今回の件で敵に回ることはないだろう。
「……じゃあ、そういうことだから。犬がこっちに来たらめんどいからさっさと帰って」
「城島君もいるの?」
「いたらめんどくなるから部屋に引っこませてる」
「犬兄さん、すぐに怒りますからねー。カルシウム足りてないんですよー」
「……フランのせいだって突っ込むのもめんどい」
確かにフランと犬は相性が悪そうだ。
煽れば煽るだけ激昂するだろうし、千種は面倒くさがってあいだに入らないだろうから、行くところまで行ってしまう。
容易に想像できる光景に苦笑していると、M・Mが話しかけてきた。
「ちょっとあんた」
「はい?」
「クローム髑髏は知ってる?」
突然の質問に、利奈は目を瞬かせた。
「……友達ですけど?」
「そう。どんな子」
質問というよりは詰問に近い、強い口調だった。
どうしているかならとにかく、どんな子かと聞かれても答えに困る。
M・Mの目つきは険しく、少なくともクロームの身を心配しての問いではないことはわかった。
「あの、どんな子って……例えば?」
「だから、どんな女なのかって聞いてんのよ! 骸ちゃんをたぶらかす泥棒猫の子供時代が!」
「は?」
(泥棒猫? クロームが?)
クロームのイメージとあまりにかけ離れた言葉だったために、思考停止する。
そんな利奈を前にして、M・Mは憎々しげに爪先を鳴らした。
「あの女、いっつも骸ちゃんに引っ付いてて目障りなのよね。せっかくだからあの化けの皮剥がしてやるわ。
ほら、友達だっていうなら本性くらい知ってるでしょ? 言いなさいよ」
顔を寄せるM・Mに、利奈は唇を引き結ぶ。
するとM・Mは小さく鼻を鳴らした。
「なに、知らないの? 友達っていうのはリップサービス?
そうよね、あんな根暗な女にわざわざかまうのなんてあんたくらい――」
M・Mは、利奈の言った友達という言葉の意味をまったく理解していなかった。
いや、理解していても同じことを言っていたのかもしれない。
どちらにしろ、利奈はM・Mが言い終えるのを待たなかった。
「クロームの悪口言わないで!」
顔の距離を無視した大声に、M・Mは思い切り身を引いた。
怒りを目に宿して、利奈は毅然とした態度で首を上げる。
「なんでそんなひどい言い方するの? 貴方にそんなこと言われる筋合いなんてない!」
利奈の豹変にM・Mはしばし気圧されたが、すぐさま態勢を立て直した。
「なによ、あんた、あんな女の肩持つの? いつだって骸ちゃんの後ろに張りついてるだけのお荷物じゃない。利用されてるだけなのも知らないで」
「違う! クロームは修業頑張ってるし、お荷物なんかじゃない! それに、貴方なんかと違ってすごく優しくていい子なんだから!」
「はあ!? 私があの女に劣るっていうの!? あんまり調子に乗ってるとあんたでも殺すわよ!?」
激昂したM・Mが脅しをかけるが、利奈の心は乱されなかった。
いくらなんでも、怒気と殺気の区別くらいはつく。
それに、本当に殺すタイプの人はすでに手を出しているか、何食わぬ顔でやり過ごしておいて後ろから刺すだろう。
だからこそ、絶対に手を出されないという自信の元、利奈は挑発的に微笑んだ。
「やれるものなら、どうぞご自由に。でも、骸さんが知ったら驚くんじゃないかな」
「うっ……、骸ちゃんの名前を気安く口に出すんじゃないわよ! このブス!」
「そっちこそ、今の顔ひどいから。鏡見てみなよ」
「きいいいい!」
やみくもに罵声を飛ばすM・Mと、その罵声を使った口撃を仕掛ける利奈。
男性陣から見て、利奈が優勢なのは明らかだった。
巻き込まれないように壁に張りついていたフランは、壁を伝うようにして恭弥のとなりに立った。恭弥はというと、室内には一切目もくれていない。
なおも続く女二人の罵り合いを耳に入れつつ、フランは恭弥との初めての会話を試みた。
「……あの人、いつもあんな感じですか?
ヴァリアー邸にいたときより――まあ、わりとあんな感じだった気もしますけどー」
ヴァリアー邸では借りてきた猫のようだったとはいえ、M・Mと正面切って罵り合うほど強気な性格だとは思っていなかった。
追い詰められなくても猫を噛むネズミもいるのだなと、フランは認識を新たにした。
「……そうだね。いつも通りだよ」
恭弥がゆるりと顔を室内に向ける。
利奈の性格を重々承知している恭弥からすれば、珍しい光景ではなかった。
いつもは負け犬のように遠くから吠えていたけれど、今回はどうやら勝ちを奪えそうだ。
恭弥の予測通り、口喧嘩は利奈に軍配が上がる。
怒りと屈辱で涙目になりながら、M・Mは利奈の眼前に指を突きつけた。
「っ覚えてなさいよ!
今回はアルコバレーノがいるから見逃してあげるけど、次同じことやったら間違いなくただじゃ帰さないから! それまでせいぜい死なずにいることね! ふん!」
捨て台詞とも負け台詞とも取れる言葉を投げつけながら、M・Mは足音荒く部屋を出て行った。
ドアがひどい音を立て、廊下を歩く足音がここでも聞こえてくる。
(勝った……! いつも負けてばかりなのに勝った……!
よし、じゃあ早くかえ……帰り……)
勝利に酔いしれる利奈だったが、倒した敵がいなくなったことで、瞬時に我に返った。
侵入者が住民を追い出して、いったいなにをやっているのだろう。しかも、男性三人の目の前で。
恐る恐る壁側に視線を流すと、遠い目をした千種やフランを通り過ぎて恭弥と目が合い――
「……」
恭弥に、無言で顔を背けられた。
(ヒバリさんにまで呆れられた!?)
女子として大事なものを失ってしまったことを悟り、利奈はその場に崩れ落ちた。
「利奈?」
初めて聞くような声は少女の声なので、セイのものだろう。
そういえば彼女もいたのだったと、静かに首を振る。
『さて、用事も済んだしそろそろ帰るか』
何事もなかったかのような声が手元で響く。
通信機越しにリボーンにも聞かれていたことを思い出し、利奈は弾かれたようにリボーンに食いついた。
「ま、待って! リボーン君、ひょっとして今のって……」
『ん? なにかあったのか? こっちで話してたからあんま聞いてなかったんだが』
これは優しい嘘だろう。そんな都合よく退席しているわけがない。
しかし、この嘘に縋りつかなければ、通信機越しにさらに大勢の人に聞かれていたという予想が現実になってしまう。
「……ううん、なんもなかった。なにもなかったよ」
「顔真っ赤で説得力皆無ですけど」
「フラン、私のチョコあげるから黙ってて」
「ハーイ」
フランの口止めはこれでいいだろう。
あとは、ため息をついて部屋を出ようとする千種の腕を掴めばそれでいい。
「……なに」
「今の、だれにも言わないで……!」
「言わないよ、めんどい」
ほうっと息をつく利奈を横目に見ながら、チョコレートをポケットに入れるフラン。
そして思った。骸が作ったセイが一部始終を見ていたのだから、口止めなど無意味なのにと。
「――懐かしいですねえ」
別室で寝そべっていた骸は、くつくつと楽しそうに笑っていた。
__
「よかったの?」
「なにが」
訪問者が帰り、静かになった建物内で、M・Mは不機嫌を顔に出しながら窓際に頬杖をついていた。
門は閉じているし、二人の姿はもうそこにはない。
無言の千種に、M・Mは頬杖を解く。
「いいのよ、言ったってなんにもならないもの。
私が知ってる利奈はあんなに子供じゃなかったし」
窓に背を預け、そしてふと、呟く。
「言い合いなんて初めてしたわ。……わりと気が短かったのね、あの子」
その口元には、寂しげな笑みが浮かんでいた。
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すっかり長居してしまったせいで、並盛町に戻ったころには夕方になってしまっていた。
炎のような夕日がそこここを赤く染め、その緋のなかで、二人が乗ったバイクが一本道をまっすぐに走る。
「すごくきれいな夕焼けですね」
少しずつ動く夕日を眺めながら、利奈は呟いた。
こんなにきれいな夕日を眺めたのはいつぶりだろうか。いや、そもそも夕方に外に出た記憶がない。
「そういえば外に出るの、屋上に行ってから初めてです。すごく新鮮」
太陽に当たらずに暮らしていたせいか、日の光や暖かさがたまらなく愛しくなってくる。
ミルフィオーレファミリーに勝てば、この窮屈な生活を終わらせられる。決戦まで、あと少しだ。
「絶対勝ちましょうね、ヒバリさん」
「当たり前のこと言わないで」
返ってくると思ってなかった返事がきて、利奈は吹き出した。
夕焼け空は、血のように鮮烈な赤だった。それでも、利奈は心の底からその空をきれいだと思えた。
川も土手も赤色に染まって、それがただただ美しい。それでいいのだ。
――この場所でなにがあったかなんて、二人は知らないままでよかった。
これで第二部四章終了です。
そして記念すべき百話! 到達! しました! お祝いに感想や評価をくださるとうれしいです!
五章のチョイス編は五話くらいで終わる予定ですが、アニオリの設定をうっかり混ぜてしまったので、最終章の六章の話数が不透明になっています。アルコバレーノ編もⅠ世ファミリー編もなかった。でも第三部のラスボスが目立ってたのは記憶に残っている。