潜められた毒
利奈は白蘭に強い殺意を抱いているが、そのじつ、白蘭のことはほとんど知らなかった。
そもそも、直接会ったことすらないのだ。
画面越しに数分顔を合わせただけで、交わした言葉は会話にすらならなっていない。それでも、そのほんの少しの接触で、白蘭は利奈の心を粉々に砕いてみせた。楽しくて仕方がないという顔で。
そして利奈は、殺したいほどの強い憎しみ――なんて生温いものではなく、殺すためならなんでもするという覚悟を抱き、育てながら再会の日を待った。
「やっ、ようこそチョイス会場へ」
気さくに声をかけてくる、笑顔の青年。
その茶目っ気のある表情と柔らかい物腰を見て、彼の正体を当てられる人はいないだろう。
白い髪と白い肌。今日は黒い上着を着ているが、最初の真っ白な隊服の印象が尾を引いて、どうしても純白を連想させる。
しかし、見た目の清廉な白に反し、中身は最低最悪、どす黒く染まった悪の化身だ。
――ミルフィオーレボス、白蘭。
すべての元凶。己の欲望のために次々と人を動かし、操り、殺め、世界を我が物にしようと画策している、とんでもない独裁者。
元来、毒のある生き物は、毒を持っていることを周りに伝えるために毒々しい色で自身を覆う。
だが、白蘭は白だ。禍々しい毒を持っていながら純白でそれを覆い隠し、近づいたものに容赦なく毒を注ぎ込む。
白は無垢。だが無垢なものが清いとは限らない。無邪気に物を壊す幼子のように。
白蘭の瞳が、ボンゴレファミリーの顔を順に追っていく。
客人の顔ぶれを確認するそぶりながらも、獲物を品定めするかのような冷たさで。
それを悟らせまいと口元に称えられた笑みは、完璧すぎてかえって氷のような冷笑に思えた。少なくとも、利奈の目には。
白蘭の瞳は強い殺意で見つめる利奈をいとも簡単に通りすぎ、そして正面に戻る。
それから彼は、チョイスの説明をしながらゲームの準備を進めていった。
知り合いと話すときのように、屈託なく。殺したはずの相手にも親しげに。ゲームが楽しみで仕方がないというように、嬉々として。
――白蘭は、そういう人間だった。
___
決戦の日。
ボンゴレファミリー関係者は、全員で指定された神社に向かった。
戦うのは守護者たちなのに、なぜ非戦闘員である利奈たちまでもが一緒なのか。
疑問に思うところはあったけれど、過去から来た人間は全員連れてくるようにと、白蘭から指定があったらしい。
「お揃いの服って、なんだかワクワクしますね!」
「ねー。制服みたいだから、同じ学校に通ってる気分」
ハルと京子の様子はいつもと変わらない。
馴染みのある並盛神社が指定場所だから、あまり気負わないでいられるのだろう。
こうしていると、学校の行事かなんかで訪れたような雰囲気である。
(私は全然余裕がないわけだけど)
先ほどから心臓の音が痛いくらい聞こえている。握りしめた手のひらはじっとりと汗ばんでいる。
その原因はただひとつ――恭弥が十二時目前になっても、集合場所に現れないからだ。
個別修業を受けている武も来ていないが、利奈の憤りは恭弥にだけ向いていた。
(なんでこんな大事な日に……!)
武はともかく、恭弥は来ない可能性が捨てきれない。だからこそ、現場は混乱を極めていた。
「ディーノさん、ヒバリさんに念押ししてくれましたよね……?」
こっそりついてきてあっさり利奈に見つかったディーノに話を振ると、ディーノはウームと唸った。
「言ったは言ったが……あいつの事だからな」
不安しか生み出さないディーノの言葉に、ただでさえ蒼白になっていた正一が目を剥いた。
「ちょっと困りますよ! 戦力が減るのはもちろん、条件を守らなかったからって不利な要求を突きつけられたりでもしたら……!」
「だよな……。よし、待っててくれ。今からちょっと恭弥探してくる!」
「ストップ!」
捜索しに行こうとするディーノの腕にすかさずしがみついたら、綱吉がまったく同じように反対側の腕を取っていた。考えていることは一緒のようだ。
「じっとしてください! ディーノさんまでいなくなったら、どうすればいいんですか!」
「でも、恭弥が……」
「相沢さんの言う通りです! すれ違いになるかもしれませんし!」
「そりゃそうだが、このままじゃ――」
「あー、もう! 雲の守護者だからって、なにもこんなときまでふらふらしてなくっても!
うっ、お腹痛くなってきた……」
「大丈夫? 飴食べる?」
しゃがみ込んだ正一と、気遣うように隣に座り込むスパナ。
隼人はこれ見よがしに舌打ちするし、周りはみんな不安そうな顔をしている。
その後、空から転送システムが現れ、時間ギリギリで二人が飛び出してくるまで、利奈は生きた心地がまるでしなかった。
――そんな一幕もあったが、遅れてやってきた二人の力も加わって、一行は白蘭との対面を果たした。
直接対面するのは初めてで、利奈は殺意をありったけ込めた視線で白蘭を睨む。
しかし、白蘭が利奈と視線を合わせることはなかった。
全員の顔を確認していたときも、白蘭の目は利奈の顔を素通りしただけだった。
――所詮、白蘭にとって利奈など取るに足らない存在なのだろう。
せいぜい、昔遊んだおもちゃのひとつだったというだけで。
転送されたのは、高層ビルの屋上だった。周りはさらに高いビル群に囲まれている。
この無人のビル群が戦いの舞台だというのだから、驚きだ。
「白蘭さん!」
正一が叫んだ。
さっきは腹部に当てていた手で、胸元を強く握りしめている。
「この戦いで――チョイスで僕たちが勝ったら。本当に、7³を手放してくれるんですよね?」
声はわずかに震えていたが、それは恐怖や不安のせいではないだろう。
かつての友人の言葉に白蘭は眉を下ろした。
「正ちゃんはせっかちだなあ。
もちろん、7³は勝者のものだよ。じゃないとこの勝負の意味がなくなるでしょ?」
あっさりと答える白蘭のとなりで少女が吹き出した。
「ぷぷっ、どうせ勝てっこなんてないのにぃ。
びゃくらーん、あの人、どうせ負けるのに勝ったときのことなんて考えてるよー?」
こちらのメンバーの何名かがムッとしたが、口を出す場面ではないと判断したのか、声には出さなかった。
少女はおかしそうにもう一度プフッと笑い、白蘭にしがみつく。白蘭のそばに控えていた長髪で背の高い男が、彼女をブルーベルと呼んだ。
(……あの子もミルフィオーレの守護者? 格好は他の人と一緒だけど、私たちよりも年下だよね)
利奈は真6弔花を知らない。それどころか、ここに至るまでの経緯すら知らない。
だから、白蘭が引き連れてきた守護者たちのなかに、γたちの姿がないことを訝しんだ。
もっとも、ミルフィオーレ側にいた正一やスパナがこちら側に来ている時点で、いろいろと察するべきなのだが。
(んー。でも、こっちもランボ君が守護者だったりするし。
ほかの人は見るからに強そうだけど、あの子が相手だったらなんとかなるかも)
そんなことを考えられるのは利奈くらいだろう。
γがその少女よりも下の立場だったと知っていたら、そんな希望を抱けるはずもないのだから。
白蘭に促され、綱吉が白蘭とルーレットを回す。
投影されたルーレット結果を見ていたら、自陣で小さな悲鳴が聞こえた。
そちらに目を向けると、いったいいつのまに接近していたのか、ハルと京子、そして背後から二人を守るビアンキの前に、ミルフィオーレの守護者が立っていた。
(なに、この人……)
その容貌に利奈はゾッとする。
長く伸びた髪に、クマのある不健康な目。顔を斜めに横切る大きな傷。
年はブルーベルの次に若いだろう。腕に抱いたぬいぐるみはボロボロで、禍々しさが感じられる。
ボンゴレ全員の視線を集めながら、見た目通りのいびつな喋り方で、少年は二人に話しかけた。
「僕チン、デイジー……。これ……あげる」
二人に差し出されたのは一輪の花。――しかし、その茎は折れ、枯れるを通り越しすでに朽ちかけていた。
ハルが息を呑み、京子がキュッと唇を引き結ぶ。
「いけませんよ」
「ガハア!」
涼しい顔をした男が、蔓のようなものを伸ばして少年を回収した。
よりにもよって首を引っ張ったために少年が苦悶の表情で鼻血を出し、それを眼前で見てしまった二人が、今度こそ悲鳴を上げる。
「な、なんなのだ、貴様ら!」
了平が二人を庇うように前に立つと、血を流すデイジーを抱えながら、男は優雅に微笑んだ。
「すいませんね、驚かせてしまって。
デイジーはきれいなものに目がないのです。……その子たちのように、いずれ滅びゆく美しいものが」
ハハンと笑うその男に、利奈は言葉を失った。
(あの人、怖……!)
物理的な怖さではなく、どちらかというと白蘭に似た、人の精神を揺さぶる怖さを持った男だ。
ドン引きしながら見つめていると、おもむろに男がこちらに顔を向けた。
その目は間違いなく利奈を捉えていて、利奈はビクッと肩を揺らす。
(なん、で、私?)
彼はデイジーを手放すと、だれにも指摘されない自然さで颯爽と利奈の前まで来た。
先ほどと同じ優美な――本心がまったく読めない微笑を浮かべ、腰を折る。
「初めまして。貴方のことはよく知っていますよ」
「え?」
「白蘭様に捕らえられていましたよね。映像を見ました。傷の具合はいかがですか?」
(傷……)
あのときのことを思い出して、じわりと毒が心臓をなぞった。その隙に桔梗が距離を詰める。
近づいてきた顔は目元を強調するような化粧が施されていて、きれいというにはあまりにも整いすぎていた。
咄嗟の事態に反応できない利奈の手を取り、男は続ける。
「自己紹介が遅れました。私は桔梗。真六弔花のリーダーを務めています。
以後、お見知りおきを」
「あ、ちょっと……!」
親しげな言葉とともに絡められる長い指。鉄のように固く、冷たい。
背筋を這いあがる悪寒とともに危機感を覚えた、そのとき。
「おっと」
桔梗の顔があった場所で、見知ったトンファーが空を切った。
横一閃に描かれた軌道が今度は斜めに振り上げられ、桔梗は軽やかなステップでそれを躱す。
やっと動けるようになった利奈の前に立つのは、両手にトンファーを構えた恭弥だった。
「ねえ、なに勝手に手を出してるの?」
怒っている。顔は見えないが、その声には苛立ちが多分に含まれていた。
恭弥の言動に、桔梗はなにかを察したような表情を浮かべた。
「ハハン、そういうことでしたか。それは失礼いたしました」
その含み笑いで言外になにを言われているのかを悟り、利奈は瞬時に口を開いた。
「違うから! そういうんじゃないですから!」
「ちょっかい出すなら僕にしてよ。相手してあげるから」
「恭弥、論点がずれてるぜ」
そこでディーノに引き寄せられ、利奈はディーノの背後へと隠された。
図らずも、京子たちと同じ構図になっている。
「なあ。わかっているとは思うが、俺たちは真剣勝負をしに来たんだ。
変なちょっかい掛けてこっちを惑わそうとしたって無駄だぜ。……なあ、ツナ」
「え!? あ、はい、その通りです!」
ミルフィオーレ守護者の奔放な行動に翻弄されていたのがまるわかりの態度だったが、綱吉は思い切りよく頷いた。
利奈はというと、ディーノの後ろで必死に心を落ち着ける。
(あー、びっくりした。……すっかり油断してた)
戦いに参加しないからと油断していたら、この有り様だ。
恭弥が助けてくれたのは予想外だったが、おかげで醜態をさらさずにすんだ。
絡められた指と火照る顔の熱を振り払うように手で顔を仰ぎ、もう一度白蘭を睨む。
ニコニコと笑う白蘭の目には、やはり利奈は映っていなかった。