見たこともない乗り物に乗せられて、利奈たちは戦いの跡へと運ばれた。
負傷者は正一とスパナで、正一の方にはすでにリボーンたちが向かっているそうだ。
同じ基地ユニット内にいた二人がなぜバラバラになっているのかという疑問は、損壊した基地ユニットを目にした瞬間に霧散した。
「ひどい……」
京子の言葉はみんなを代弁したものだった。
攻撃を受けてからビルに衝突したようで、ビルに押しつけられる形で基地ユニットが傾いている。このなかにスパナがいるのだと思うとゾッとした。
「スパナ!」
「利奈!」
ビアンキの声を背中に受けながら、基地ユニットへと乗り込む。今のところ基地が崩れる心配はなさそうだが、中にいるのなら早く外に連れ出さなければならない。
「スパナ、どこ! スパナ――って、山本君!?」
「相沢?」
床が斜めになった基地内に入ると、ビルにぶつかって破損した壁の近くに、武の姿があった。そばには椅子があり、そこからスパナの金髪が覗いている。
「スパナは無事!?」
「今見つけたところだ。命に別状はなさそうだけど、頭を打ったみたいで気絶してる」
武は見たところ無傷だったが、机に伏したスパナは頭から血を流していた。
そっと髪の毛をかきわけて傷口を確認してみると、おでこの上にわずかな裂傷が確認できた。
(ほかに怪我してるところはないみたいだし、これくらいなら安静にしてれば問題ないはず)
「どうだぁ! 生きてたかぁ!」
「ひゃっ」
「スクアーロ?」
壁に反響するスクアーロの声にびっくりする利奈だったが、武はもっと驚いた顔で入り口を見た。
スクアーロが一緒に来ているとは思っていなかったようだ。
「なんだ、お前もいたのか」
入ってきたスクアーロは、基地内の惨状にも目をやっている。観覧席ではなかの映像が見られなかったから、お互い見るのはこれが初めてだ。
基地ユニット内は外見によらず機器が多く、メローネ基地で壊したあの部屋と似ていた。思っていたよりも狭く感じるのは、ずっと俯瞰から眺めていたせいだろう。
「とにかく一回連れ出そうぜ。スクアーロ、揺らさないように手伝ってくれ」
「チッ、しょうがねえなぁ。利奈、先に外に出てろ」
「はい」
力仕事なら彼らに任せたほうがいい。
せめてもの助力として、転がる瓦礫が邪魔にならないよう、爪先で蹴飛ばしながら外に出る。ビアンキたちはユニットの入り口で待っていた。
「もう、一人で入ったら危ないよ」
「ごめん」
「それで、スパナさんは?」
京子はイーピンを、ハルはランボをだっこしている。不安げな顔の二人に、利奈は緩い笑みを向けた。
「大丈夫、ほとんど怪我してなかったよ。
山本君がなかにいて、スペルビさんと二人で連れてきてくれるって」
「そっか、よかった……。あっ、来たみたい」
武とスクアーロがスパナの腕を担いで外に出てきた。
意識を取り戻したようで、スパナは痛みに顔を歪めている。
「見せて」
ビアンキが利奈と同じようにスパナの傷口を検分する。
「血塗れ! 血塗れだもんね!」
「ランボちゃん、シーっです!」
なぜかテンションを上げるランボを、ハルが小声で窘める。
ビアンキの目から見ても傷は軽傷だったようで、ビアンキはそっと額から指を離した。
「……正一はどこ?」
「そこの角を曲がったところにいるわ。それより、傷の手当をしないと。まずは消毒ね」
「はい!」
観覧席のあったフロアには医務室もあったので、そこから治療用具を拝借してきている。観覧席にある物はご自由に使ってくださいと言われていたから、本当に遠慮なくいろいろ頂いた。
脱脂綿と消毒液を用意しようと利奈が袋を破くが、スパナは小さく首を振った。
「いい、そんなに大した怪我じゃない。それより、早く正一のところに――」
「でも、ちゃんと治療しないと!」
「そうです! 血が出てるんですから!」
京子とハルが言い募るが、スパナはもう一回首を振った。
「……ここに晴の守護者がいないってことは、正一が重傷を負っているんだろう?
それに、白蘭たちが来る前にボンゴレたちと合流しないと」
(……そうだ、白蘭たちが)
ミルフィオーレが勝利してしまった今、7³は白蘭のものとなる未来が確定している。
特殊な能力があるとはいえ、おしゃぶりと指輪でどう新世界を創るつもりなのかは想像もつかないが、ここで時間を無駄にするわけにはいかないとスパナが考えるのももっともだ。
スクアーロも同じように考えたのか、肩に乗せていたスパナの腕を荒く担ぎ直した。
「こいつがこう言ってんだ。連れてくぞ」
「あ、ああ……」
「待って。せめて止血を」
「消毒液と絆創膏の用意できました!」
「……早えな」
利奈は手当の準備を止めていなかった。
早急に向かったほうがいいという考えには同意するが、それはそれ、これはこれだ。
「ほら、消毒するよ」
消毒液をたっぷりと染みこませた脱脂綿を掲げると、スパナがいやそうに眉を寄せた。染みて痛むだろうけれど、傷口を化膿させるよりはマシだ。
両脇の二人に少し屈んでもらって、傷口のついでに顔に垂れた血の痕も拭っていく。白い脱脂綿がたちまち赤く汚れていった。
「利奈、うちのポケットから飴出して」
「……食べるんですか?」
「……? 食べるから出してって言ってる」
なんというか、スパナはどんなときでもマイペースだ。
「あー、いいなー! ランボさんも食べたーい!」
そしてランボはそれを上回るマイペースである。
スパナの許可を得て、ランボにも棒付き飴を渡した。
袋から出した飴をスパナとランボ、両方に口に入れてあげると、スパナはわずかに背筋を伸ばし、ランボは静かになった。
スパナの歩幅に合わせてゆっくりと曲がり角を曲がると、道路に仰向けになった正一と、取り囲むみんなの姿が見えた。
正一の声を聞き取るように綱吉と隼人が膝をついていて、ほかの人は立ったまま正一に顔を向けている。
(生きてた……!)
京子とハルも、同じように安堵の表情を覗かせている。最悪の事態を予想していたから、正一が生きているというだけで救われた。
綱吉に倒されたはずのトリカブトと、幻騎士を殺した桔梗も近くにいるのが気になったが、干渉する様子はない。戦いが終わった以上、手を出すつもりはないようだ。
近づいていくうちに、利奈たちにも正一の声が聞こえるようになってきた。
綱吉の声に続き、了平の糾弾がはっきり耳に届いたところで、正一が記憶を消された過去を語った。
話の流れを知らない利奈には話が読めなかったが、そのあとの正一の言葉に、だれよりも早く反応した。
十年バズーカでみんなをこの世界に飛ばしたのが、子供の頃の正一だったと明かされたのだ。
「なんで入江さんが……!?」
利奈をこの世界に引きずり込んだのは、この時代の綱吉の意思によるものだったはずだ。子供の頃の正一にどうこうできるものではないだろう。
「ん……そこに相沢さんがいるのかい? ……ウグッ」
「入江さん! 動いちゃだめだ!」
正一が無理に身を起こそうとして、綱吉に止められる。利奈は慌てて正一の傍らに膝をついたが、正一の負傷具合に唇を噛みしめた。
応急処置はされているものの、左わき腹を貫かれたようで、白いシャツが血塗れになっている。口元には吐血の跡もあるし、本来ならば話ができる状態ですらないのだろう。
それなのに正一は、申し訳なさそうに眉を落とした。
「ごめん、勝てなかった……」
「……っ」
利奈は無言で首を振った。こんな重傷を負っている正一を責めるわけがなかった。
(こんなひどい傷……死んじゃったかも、知れないのに)
モニター越しに見るのとはまるで違う。これが命を賭して戦った結果なのだ。
我慢できずに流れた涙が、頬を伝って地面に落ちる。せめて泣き声だけはあげないようにと、利奈はさらに唇を強く噛みしめた。綱吉が息を呑み、隼人が目を逸らす。
「……どうしても、君に謝りたかったんだ。君には、辛い思いをさせてしまったから……」
「そういや、一番最初にこの時代に飛ばされたのが利奈だったな。どうしてこいつを一番に選んだ」
よく見たら、綱吉の陰にリボーンが隠れていた。
リボーンは利奈の涙には触れずに、淡々と話を進めようとする。それがリボーンなりの気遣いなのだろう。綱吉も気を取り直すようにして正一に向き直った。
「そうだよ、なんで相沢さんが最初だったの? 京子ちゃんたちと一緒だったら、相沢さんだってミルフィオーレに捕まったりしなかったかもしれないのに……」
その言葉に痛いところを突かれたようで、正一がくぐもった声を上げた。
しかし痛みを飲みこんで質問に答える。
「本当は、リボーンさんだったんだ。綱吉君の家庭教師だったリボーンさんに最初に来てもらって、みんなのサポートに回ってもらうつもりだった」
「なら、どうして? どうして相沢さんが?」
「……この時代の綱吉君の意思だ」
「ええっ!?」
綱吉たちが驚くが、利奈はまったく驚かなかった。それならば、この時代の綱吉が書いた手紙と齟齬がなかったからだ。
(沢田君は、自分が私をこの世界に引きずり込んだって書いてた。沢田君が決めて、入江さんが連れてきたんだ)
「そもそも、彼女は計画に含まれていなかった。それをこの時代の綱吉君が、予定を変更して相沢さんを転送したんだ。
日時や場所を指定して転送できるかを確認するために。そして――」
そこで正一は言い淀んだが、利奈の眼差しに困惑がないのを受けて、続きを口にした。
「――この時代に死んだ人間でも、十年前と入れ替われるかを確かめるために」
「えっ!?」
「おい、それって――」
二人の視線を感じたが、利奈は目を合わせようとしなかった。正一から目を逸らしたくなかったからだ。
それに、周りにいる大人たちの反応を見れば、正一の言葉がそのままの意味であることを悟れるだろう。知らないのはミルフィオーレの人間だったスパナくらいだ。
「そんな、そんなことのために……?」
愕然とした口調で綱吉が呟く。
衝撃を受けるのは当然だ。未来の自分が、死んだ友達を実験台に利用したのを知らされたのだから。
「もちろん、それだけが理由じゃない。むしろ、目的はほかにあったんだと思う。
だけど――それを僕の口から言うのはフェアじゃないから」
そう言って目を閉じた正一は、きっと脳裏にこの時代の綱吉の姿を描いていた。
利奈も目を閉じれば綱吉の顔を思い出せる。
綱吉は優しく利奈を受け入れてくれた。――当り前だ。自分で呼び寄せたのだから。
それでも、たとえ実験台として選ばれただけだったとしても、綱吉を恨む気持ちは芽生えてこなかった。だって、いつだって綱吉は利奈の身を心から案じてくれていたのだから。
「過去の僕は、相沢さんの次にリボーンさん、リボーンさんの次に綱吉君と、指示通り順番に当てていった。どうなるのかも知らずにね。
それっきり僕はそのことを忘れ、手紙の勧め通り海外の大学に進み、白蘭さんと友達になる」
そしてその五年後、正一はすべての記憶を思い出した。
滅亡にしか続かない未来。五年間育んできた友情。世界を救わなければならないという重圧。様々な葛藤を乗り越え、正一はスパイとして生きていくことを決意する。
そんな彼に、ある意味では希望であり――ある意味では絶望となりえる分析結果が突きつけられた。
数多あるパラレルワールドのなかで、この世界が白蘭に勝つ可能性のある、唯一の世界線であることが判明したのだ。言い換えれば、ほかの世界はすべて白蘭が掌握する世界となるのだが、八兆分の一という確率に、綱吉が絶句した。
(八兆分の一……。存在していること自体がおかしいくらいの奇跡)
それは、今の正一が未来の正一から指示を受けて作った未来だからというわけではない。
逆なのだ。ほかの世界とは決定的に違う繋がりがあったからこそ、未来の正一は過去の自分に未来を託したのだ。その決定的な違いとは、つまり――
(入江さんが、綱吉君と出会った未来)
敵として出会うはずだった二人が、敵になる前に出会った世界。
接点のない二人が学生時代に知り合いになっていたからこそ、作られた物がある。それがチョイスでも使われていた、ボンゴレ匣なのだ。
(ほかの世界にはなかった武器を沢田君たちが手にした。だから、ほかの世界と違う未来が作れたんだ)
この時代では、強力なリングと匣を持っているものが戦いを制する。
だからこそミルフィオーレファミリーはすべてを蹂躙できたのだろうし、ボンゴレファミリーは戦いに敗れたのだろう。
――利奈の考えは現実とは微妙に食い違っていたが、おおよその展開は追えていた。
だけど、それももはや無意味だ。
(未来の沢田君が死んでなかったって、今の沢田君がミラクルな成長をしてたって。もう、どうにもならない……)
「そ、君たちの負け」
雌雄は決した。終わったあとでなにを言っても、負け犬の遠吠えにしかならない。過去のやりとりを持ち出したところで、惚けられればそれで終わりだ。負けた人間の言葉に価値などない。
「往生際が悪いなあ。もう勝負は終わったんだよ。今さらなにを言ったって無駄だってば」
勝ち誇る白蘭はしかし、切り札の存在を忘れていた。あるいは、もう破り捨てたものだと見誤っていた。
世界のあらゆる知識を共有できる白蘭でも、初めての出来事は共有できない。
「正ちゃんはよく頑張ったほうさ。正ちゃん以外の人だったらここまでもたなかったよ。でも、それももう終わり」
勝者がすべてを手にできるとは限らない。
人生というゲームにおいては、いたるところに逆転の札が眠っているのだ。
「だれが相手だろうと、僕を止めることはできないよ!」
切り札。一番強いカード。もしくは――ジョーカー。
「それはどうでしょうねえ」
霧が形を作る。招かれざる客の姿を。あるいは、待ち焦がれていた人物の姿を。
「僕に限って」
槍を手にした男の右目には、六の文字が刻まれていた。