廊下の光景は、一言でいえば惨状そのものだった。
見慣れた廊下は跡形もないほどに崩れきっており、壁の中に埋め込まれてた鉄筋がむき出しになっている。バチバチと聞こえる音は炎の爆ぜる音であり、そこらじゅうで火の手が上がっている。壁はコンクリートなので炎は広がっていないけれど、廊下に積まれていた段ボール箱はすでにだいたいが燃え尽きてしまっていた。中に入っていたであろうネジなどの備品が、いたる所に転がっている。
そして鳴り続ける警告音が、緊急事態であることをより一層強調していた。
(思ってたよりひどい……。
火事だったら、すぐに戻ってユニと外に避難しなきゃいけないけど)
天井を見上げてみる。
いたるところから火の手は上がっているけれど、煙はまったく充満していない。地下だから空調設備が行き届いているのか、灰色の煙はすべて天井の穴に吸い込まれていた。
工事の途中でなければ、スプリンクラーも作動していたかもしれない。
それと、利奈から見て右側の廊下の突き当たりは、壁がまったく崩れていなかった。右側の損傷は、左側の壁が壊れたせいでできた亀裂の影響のみであり、廊下の左側だけがやたらに被害が大きかった。
(これって、爆発が左で起きたってことだよね。みんながいる方……)
左に曲がった通路の部屋で、男女に分かれて着替えをしていた。
今の爆発がどちらかの部屋で起きたもののなら、その部屋の人はだれ一人無事では済まないだろう。
(……ううん、それはなさそう。
ユニがいるかもしれないのに、いきなり部屋を壊したりはしないはず。たぶん、今のでセキュリティーとかをぶっ壊したんだ)
警報が鳴ったのは爆発よりも前だった。つまり、侵入者に反応してセキュリティーが作動し、それを壊すためにこんな派手な攻撃を仕掛けたのだろう。どんなセキュリティーシステムだって、装置を丸ごと破壊されてしまえばどうしようもない。
経験と知識からそう結論づけて、廊下を左側へと進んでいく。
(右に逃げたいところだけど、私たちをおびき寄せるための罠かもしれないし……。
それに、私がユニと逃げたってなんにもならないんだよね。捕まって終わっちゃう)
敵は一人とは限らない。負傷者を被害のない場所へ誘導してそのまま一網打尽というのは、兵法としては王道である。
それに、どうせ敵に見つかったところで、まさか利奈がユニの隠れ場所を知っているとは思うまい。抵抗せず、なにも知らないふりをしてやり過ごせばいいだけだ。場慣れしてしまっているので、そういう演技は大得意である。
とはいえ、見つからないに越したことはない。足音を隠しながら、慎重に歩を進める。
耳も澄ましているけれど、警告音と炎の音が邪魔をして、聴覚はあまり役に立ちそうになかった。
(なにもこんなに早く来なくたってのに。
せめて、着替えくらいさせてくれたってさー……)
欲を言えば、食事を取る時間も欲しい。正午に集合だったから、今日はまだ昼ご飯を食べていない。鉄かなにかの焼ける匂いが食欲を減退させてくれているけれど、それでもおなかは空っぽだ。
おなかをさすりながら歩いていた利奈は、わずかな変化に気付いて足を止めた。
(なんか、暑い?)
そこらじゅうで炎が上がっているのだから、暑くなるのは当然だ。
でも、一歩進むごとに剥き出しの顔に熱が当たるようになった。廊下の端で、赤い炎の切れ端が舞っているのが見える。
(すぐそこに敵がいたりして。……ちょっと物音が聞こえるかな)
角の先に人がいそうな気配がする。
利奈でもわかるくらいだから、複数人の気配だろう。さらに耳を澄ました利奈は、聞こえてきた声に思わず破顔した。
(こういうときにスペルビさんの声って便利だなー。はっきり聞こえる)
しかし、聞こえてきた内容からして、安堵していい状況ではないだろう。
予想通り、角を曲がったところに敵がいて、その先にスクアーロが対峙している。そして攻撃されていることをスクアーロが伝えているところからして、スクアーロがみんなを庇っているのだろう。配置としては最悪だ。
(回り込めばみんなと合流できるけど、時間がかかるし……。とりあえず、もうちょっと近づいて敵の声を――)
スクアーロと対峙しているのなら、姿さえ見せなければ気付かれることはないだろう。
修学旅行のキャンプファイアーの熱さを思い出しながら、利奈はジリジリと距離を詰めた。
__
「で、ユニ様はどこだ? さっさと出せよ、バーロー」
ザクロの言葉に、綱吉はハッとして振り返った。
爆発と敵の登場で確認する暇もなかったけれど、ザクロの指摘通り、女性陣のなかにユニの姿はない。
「ビアンキ! ユニはどこ!?」
尋ねると、ビアンキは口元を隠しながら目を伏せた。読唇術を避けての行動だ。
「……利奈と一緒にいるわ。ユニの服を探しに、二人で部屋に戻ってたの」
言われてみれば利奈の姿もない。
クロームたちが、不安そうな顔で目配せをしあっている。そしてその視線は、ザクロの背後にも向けられていた。
利奈の部屋は京子たちの部屋と同じ区画にある。ザクロの背後、その道を右に行けばすぐにその部屋に辿り着けてしまう。
(どうしよう、絶体絶命だ……!)
利奈たちにはザクロに抗う術がない。
ユニはリングを所持していないようだったし、利奈にいたっては炎すら点せないのだ。
異変に気付いた彼女たちがこちらに来たら、ユニがザクロに捕まってしまう。
「聞こえてねーのか? ユニ様はどこにいるって聞いてんだよ。さっさと答えねーとこの隠れ家もろとも消し炭にすんぞ」
「ひいい!」
脅しではない。すでにザクロは嵐の炎をこちらに放出していて、スクアーロがいなければ今頃全員焼け死んでいる。
「落ち着け、ツナ。こいつらはユニに危害は加えねえ。居場所がわからなければ、アジトごと爆破はできねーはずだ」
「でも、このままじゃ……!」
ユニと利奈がいつザクロの後ろから出てくるかわからない状況で、落ち着けと言われても無理があった。
下手に動いてザクロに居場所を特定されるわけにもいかないし、完全に膠着状態だ。
「……埒が明かねーな」
いつまで経っても姿を見せないユニに業を煮やし、ザクロが炎の火力を上げる。
スクアーロも雨の炎の出力を上げているが、匣戦になったら綱吉たちを庇っているスクアーロが不利だ。
「さっさと居場所を吐け。じゃねえと、お前らまとめて一瞬であの世行きにすんぞ」
ザクロが匣を取り出した。スクアーロも匣を出すが、この狭い廊下で力のぶつけ合いになれば、綱吉たちもただでは済まないだろう。このままだと、京子たちにも危険が及んでしまう。いざとなったら、彼女たちだけでも外に逃がさなければならない。
しかしそこで、恐れていた事態が訪れてしまった。
「やめてください」
凛とした声が、正面から聞こえてきた。
「……あ?」
怪訝そうに振り返ったザクロが、にやりと口角を上げる。
「待ってたぜ、ユニ様」
赤い炎のなか、ユニが立っていた。
ずっと出る機会を窺っていたのか、その額には大粒の汗が滲んでいる。
「ユニ! 来ちゃだめだ!」
今さら遅いことはわかっているけれど、そう叫ばずにはいられなかった。
盾となるものがひとつもないなかで、それでもユニは毅然とした顔でザクロを見据えていた。
「彼らに手出ししないでください。貴方の狙いは私でしょう」
「こいつらのために身を差し出すって? そりゃあ、ユニ様が素直に捕まってくれるのなら、こいつらを殺す必要はなくなるけどな」
ザクロの言葉に、ユニは首を振った。
「いいえ、そうではありません」
「……あ?」
ユニが一歩後ろに下がり、いまだ燃え盛る炎へと身を寄せる。
「なんの真似だ?」
「……その人たちに手を出したら、私はこの炎に飛び込みます」
「ユニ!」
とんでもないことを言い出すユニに、女子たちの悲鳴が上がる。本気であることは、覚悟を決めた彼女の瞳を見れば一目瞭然だった。
今にも帽子に火が燃え移りそうなのに、ユニはまったく動こうとはしなかった。
「……チッ」
舌打ちしたのは、ザクロではなくリボーンだった。
守らなければならない存在が危険に身をさらしているのだから、歯噛みする気持ちはわかる。でも、この位置関係ではユニを庇うことも、ザクロに攻撃を仕掛けることもできない。ザクロが攻撃を躱せば、銃弾がユニに被弾する可能性があるのだ。
だから、ザクロが炎を消してもだれも動き出せなかった。
「ユニ様よぉ。捨て身の献身とは恐れ入るが、ちいとばかり無茶が過ぎたな」
「来ないで。来たら飛び込みます」
「そんなわがままが通用するかよ、バーロー。白蘭様は無傷であることを望んでるが、自分から火に飛び込んじまったんじゃーしょうがねえ」
ユニの命懸けの静止もむなしく、ザクロが足を踏み出した。
(止めなくちゃ!)
ユニが捕まるのを黙って見過ごすわけにはいかない。
各々が武器を手にしたところで、スクアーロが叫ぶ。
「動くなぁ!」
「ひい!?」
敵味方双方に向けて放たれたその怒号に、綱吉は匣を落としかけた。中にいるナッツが抗議の声を上げる。
(び、びっくりした……! 心臓まで止まるかと思った……!)
スクアーロはこの場にいるだれよりも早く匣を展開していた。
狂暴そうな顔をした巨大なサメが、まるで海の中であるかのように浮いていた。
「お前ら、俺の指示があるまで動くんじゃねえぞぉ! これはヴァリアー作戦隊長命令だぁ!」
「お前が命令してんじゃねえ! ボスは十代目だ!」
(ボスとかそういうの今はどうでもいいんだけど!?)
とはいえ、作戦隊長の肩書を出してまで指示を出したということは、スクアーロにはなにか考えがあるのだろう。
ザクロも、匣を展開してはいないものの、足を止めてスクアーロに向き直った。
「今の動くなってのは俺にも言ったのか?」
「当たり前だぁ。そう簡単に欲しいもんが手に入ると思うなよぉ」
「……まあ、一人もぶち殺さないで帰るっつうのもつまんねえよな」
ザクロが再び手を掲げ、またも目には見えない炎を灯す。スクアーロも剣を構えた。
無言の応酬のあと、先に動いたのはスクアーロのサメだった。合図もなしに飛び出して、大きな尾びれで雨の炎をザクロへと叩きつける。
迫りくる青い炎の波を前に、ザクロは身体を動かさなかった。
「舐めてもらっちゃ困るぜ」
(匣を出さない!?)
スクアーロの攻撃を、ザクロはリングの炎だけで受け止めた。
底の見えない強さに綱吉は度肝を抜かれたが、スクアーロはそこでにやりと口元を上げる。
「今だぁ! そいつを連れて逃げろぉ!」
「……あ?」
脈絡のない言葉にザクロがわずかに眉を寄せた、そのとき。
(相沢さん!?)
ザクロの後方で、利奈がユニに手を伸ばしていた。
__
スクアーロがユニを連れて逃げろと口にする前に、利奈はスタートを切っていた。
ユニが身をさらしてからずっと、息を潜めて機を窺っていたのだ。
(動くなって言われてなかったら、敵に飛びかかってたけど!)
それがわかっていたから、スクアーロはあんなに声を張り上げたのだろう。
近くにいる人の鼓膜が心配になるほどの大音量だった。
スクアーロは利奈の名前を呼ばなかった。でも、スクアーロがヴァリアーでの肩書きを仰々しく口にしたとき、彼の次の言葉は自分への指示であると確信していた。
ヴァリアー作戦隊長の命令に従わなければならないのは、ヴァリアーで下っ端見習いをやっていた利奈だけだったのだから。
利奈は信じていた。
この状況なら、スクアーロはユニとの逃走を指示するだろうと。だからすべてを聞かずとも、ザクロが振り返る前に、綱吉たちが意味を理解する前に飛び出せたのだ。
そして、スクアーロも信じていた。
利奈がユニと一緒にいたのなら、必ず物陰で機会を窺っているだろうと。だからこそ、利奈を組み込んだ作戦が立てられたのだ。
そんな以心伝心で腕を伸ばす利奈の顔を、ユニは驚きの表情で見つめていた。
ザクロとスクアーロの衝突を懸念していたところに利奈が飛び出してきたから、意表を突かれてしまったのだろう。炎のせいか、瞳の中で星のような光がチラチラと揺れていた。
利奈は伸ばした腕でユニの手を取らずに、勢いそのままユニの肩を掴んで引き寄せた。
ユニの身体は抵抗なく腕に収まり、その背を押して元の通路へとUターンする。
ザクロたちの方へは一瞬たりとも目を向けなかった。それが最善だとわかっていたからだ。
「ユニ! 走るよ!」
「は、はい!」
ようやく思考が追いついたのか、ユニが腕のなかから出て走り始める。
「お前の相手は俺だぁ!」
ザクロの声は聞こえず、スクアーロの声だけが耳に届く。
一人でゆっくり静かにひっそり暴れたいという、最後で矛盾するスクアーロの言葉に内心首をひねりながらも、利奈は出口へと走り続けた。
守らなければならない女の子の手を、強く握り締めながら。