六月に入ってから、利奈の風紀委員ライフは多忙を極めた。
新しい学級に慣れた影響か。それとも衣替えの解放感からか。風紀を乱す生徒が目立つようになってきたのだ。
六月でこれなら、夏休みに入ったらどれだけ増えるのだろう。
早くも夏休みの委員会活動が憂鬱になってくる。そもそも、夏休みに委員会活動がある委員会ってなんなのだろうか。そこも含めて億劫である。
(部活動も塾も入ってないし、暇といえば暇だけどさ。
だけど、騒動に巻き込むのはやめてほしい……)
どちらかというと、外の敵のほうが厄介だ。
配属が決まってやや落ち着いたものの、校外に一人でいると、たびたび絡まれてしまう。
絡んでくるだけならまだいいけれど、捕まってしまうと手間が増える。利奈の携帯電話の着信履歴は、ほとんど並盛中央病院の電話番号で埋まってしまった。
携帯電話は、一週間前に買ってもらったばかりだ。
おねだりしていないのに買ってもらえたけれど、おそらく委員会活動が原因になっている。腕なんか、プール開き前になっても長袖を脱げないくらい、あざだらけだ。
委員会で柄の悪い人ともめるからと説明したので、嘘はついていない。
「相沢さん、ジャージ着てて暑くないの?」
「あー……冷え症で」
「顔の汗がひどいけど。それに、なんでそんな隅でこそこそ着替えてんのよ」
花の鋭い指摘に息を呑んだ利奈は、ごまかすように笑みを浮かべた。
「し、思春期だから?」
「なに言ってんだか」
風紀委員活動初日にノートを借りて以来、授業に遅れたときは、京子にノートを写させてもらっている。その縁もあってか、なんとはなしに話すのはいつもこの二人だ。
(長袖着てれば怪我はわからないんだけど、着替えてたら見えちゃうもんね。
生傷なんて、見せたくないし)
でも、もうすぐ水泳の授業が始まる。
水着だと肌が隠せなくなるし、いざとなったら、見学するしかない。
(体育の成績落ちちゃうかなー。
打撲の痕が消えてくればいいんだけど、どうせまたすぐできちゃうし。湿布貼っても、水に濡れたら剥がれちゃって――ってあれ)
半袖シャツ、長袖セーター、スカートと順に着ていって、手提げの中身が空になった。
すべてを身につけた利奈は、左腕に顔を向けて、手提げ袋にまた戻した。
「……ない」
手提げ袋を持ち上げて、畳んだジャージを広げてみても、なにも落ちてこない。
一か月半くらい前ならそれでよかったけれど、今の利奈は風紀委員だから、もう一つ残っていなければならなかった。つまり、風紀委員の腕章がなくなっていた。
(お、落ち着こう。もしかしたら、教室で外したかもしれないし)
わざわざ腕章だけ教室で外した覚えなんてないけれど、見てみないとわからない。
そもそも、セーターから腕章を外した記憶すらないのだけど、調べてみなければ、あるかないかはわからない。
(ありませんでしたー!)
机の中。ロッカーの中。さらには教室中を歩き回ってみたけれど、腕章はどこにも落ちていなかった。
朝来たときにはあったはずだ。
遅刻者の取り締まり時になかったら、班員のだれかが気付いて注意してきていただろう。
だけど、そこから先、いつまで腕章があったかなんて、覚えていない。
どこで落としたのだろう。絶望が利奈の頭を染め上げる。
風紀委員の証である腕章は、風紀委員の命といってもいい。なくしたなんて委員長に知られたら――利奈の命もなくなってしまうに違いない。
(どうしよう……!)
もしかしたら、焦りすぎて見逃していたのかもしれない。物が勝手にどこかへ行くはずはないのだから。
見直そうと、机にぶら下げていた体操着袋に手を伸ばしたら、通り過ぎろうとしていた男子の足とぶつかった。
「あ、わりっ!」
「ごめん」
二人して体を引く。
「よく見てなかった。大丈夫か?」
「うん、全然。私もいきなり手伸ばしたから」
焦りすぎて周りが見えなくなっていた。落ち着かなくちゃと、顔にかぶさった髪を耳にかける。
「なにかあったのか」
利奈の顔は、よほど青くなっていたのだろう。
男子は利奈の机の前にしゃがみこむと、その長い腕を机の上で組んで、利奈を見上げた。
この生徒の名前は山本武。だれからも慕われている、クラスの人気者だ。
ろくに接点のない異性の同級生――しかも風紀委員――相手でも、分け隔てなく接してくれるのだから、好感を持たれるのも当然である。
ついでに、野球部エースで爽やかイケメンでもあった。マイナスポイントがどこにもない。
(……ひょっとしたら、腕章のこと知ってたりするかな)
男子は教室で着替えていたのだし、腕章が落ちているのを男子が見つけて、拾ってくれている可能性は高い。
交友関係の広い武なら、拾った男子から話を聞いている可能性もある。
「あ、あのさ」
「ん? どうした?」
聞き返されて、ハッとする。
今のところは、利奈が腕章をなくしたことはだれも知らない。武に話してしまったら、そこからみんなに伝わってしまう。
(ないのは事実、なんだけど。広められたら困るし、隠しておいたほうがいいよね。
でも、聞いてみないと落ちてたかもわからないし――でもでも、落としたなんて言っちゃったら、クラス中で笑い者に――)
目を泳がせながら葛藤する。
とりあえず、この場はごまかしてしまおうと視線を合わせたら、武がニカッと歯を見せた。
「言うだけならタダだぜ?」
――さすが、クラスの人気を二分する男だ。圧倒的頼もしさを感じる。
屈託のない笑顔に後押しされ、利奈は恐る恐る口を開いた。
「私、腕章を落としたの」
「腕章?」
「――風紀委員の」
付け足すと、武は利奈の左腕に目を向けた。いつも腕にあるはずの腕章が、そこにはない。
「どこで落としたんだ?」
「それがわからなくて。気付いたのが今さっきで」
「ああ、体育でか。それでジャージ見ようとしてたのな」
納得する武。
「いつ落としたかはわからないんだけど、学校来るときにはあったはずなんだ。
山本君、知らない?」
「んー、俺は見てねえな。
ちょっとみんなに聞いて――」
それはいけない。
利奈はすんでのところで、身を起こそうとする武の腕を押さえた。
「だ、駄目! 待って!」
「どした?」
「もし、なくしたのが先輩たちに知られたら……!」
その先は考えるだけで恐ろしい。
反省文で済むのなら、原稿用紙何枚だって書けるけれど、肉体言語を操る彼らが、そんな反省で許してくれるとは思えない。
必死な顔で縋る利奈に、武は苦笑交じりで頬を掻いた。
「あー……そうだな。腕章なくしたなんて言ったら、ヒバリ怒るよな」
「そう! だからこっそり――あれ?」
利奈は目を丸くした。
「山本君、ヒバリさんと知り合いなの!?」
これまで恭弥を呼び捨てにしてきた人間は、みな恭弥の敵であった。
それなのに、武の呼び方には親しみが感じられる。
「んー、知り合いっていうか、顔見知りだな。
なんかちょくちょく出くわすっていうか――」
「へえ、そうなん――」
「よく戦うっていうか!」
「へええええ!?」
聞き流せずに思いっきり声を上げてしまった。
まだ勝ったことないんだよなー、なんて晴れやかな笑顔で続けられて、困惑してしまう。
(や、野球勝負ってこと? いやでもヒバリさんが野球なんてやらないだろうし、でも山本君がヒバリさんと戦うのも変だよね? そりゃ友達多いけど、それを群れてるっていうのはいくらなんでもあんまりだし。じゃあ一体なんの勝負を――)
「んじゃ、俺も腕章探すの手伝うぜ。
みんなには、なにか落ちてなかったかさりげなく聞いてみるからさ」
思考が追い付いていない利奈を置いて、武が話を進める。
恭弥との接点は謎のままだが、利奈の窮地に協力してくれるようだ。
「ありがとう。助かる!」
「困ったときはお互いさまだって。見つかったらこっそり渡すな」
そう言い置いて、武はさっそく仲のいい友達に声をかけにいく。
「なあ、ちょっとその辺に布落ちてなかったか? 輪っかの形の」
「輪っかあ? リストバンドか?」
聞き方がだいぶ直球だけど、贅沢は言っていられない。
武が手伝ってくれるのは心強かった。
(私もあとで職員室とかに行ってみよっと。落とし物で届けられてるかもしれないし。
それでも見つからなかったら――ごまかさなくちゃ)
授業を受けながら、これからの予定を立てていく。
風紀委員に出くわしたら一発でバレるから、今日のところは顔を合わせないようにしておこう。幸い、今日の放課後に委員会活動は――
(あーー!)
バンッと机を叩いてしまい、全員の視線が利奈へと集まった。
先生もギョッとした顔で振り返る。
「どうした、相沢」
「なんでもないです……」
消え入りそうな声を出しながらも、利奈の脳内は荒れ狂っていた。
(お昼になったら、絶対に会うじゃん! 忘れてた!)
風紀委員に入ってから数日後には、風紀委員仲間たちと一緒に昼食を食べるようになっていた。
風紀委員の会議も兼ねて、みんなで食事を食べる習慣があったのだ。なんとなく班ごとに固まるので、いかに失言を減らし、はたかれる回数を減らすかが、勝負のカギとなっている。
(必ず一緒に食べろとかは言われてないけど、今日は夏に向けていろいろと計画立てたりするって言ってたよね……。行かなかったら、サボりだって思われるだろうし……)
夏になると町内でのイベントが増える。
なにか問題が起こらないよう、風紀委員は町内のイベントすべて把握し、風紀を守るために活動しなければならない。
――包み隠さずありのままにいうと、厄介事がおきないよう監視する代わりに、ショバ代として風紀委員が活動費の徴収をするわけで、今日はその会議があった。
(どうしよう。会議休むにも、休むって連絡するためには風紀委員のだれかに会わなきゃいけないし。腕章なくしたのバレないように、風紀委員とは絶対に顔合わせられないし。
いっそジャージで参加――って絶対怪しまれる!)
もはや授業などそっちのけで頭を抱える利奈。
しかし、時計の針は利奈にはお構いなく、秒針を進めていくのであった。