新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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期待がなければ失望もない

 

 部屋に入り、後ろ手にドアノブを閉める。

 去っていく足音が消えるのを待ってから、利奈はそっと一歩を踏み出した。

 

『これ食べ終わったらすぐ寝なくちゃいけないの。明日は日が昇る前に行かなきゃだから』

 

 髪飾りはすでに外していた。ふわりと香るシャンプーの匂いは甘い。

 

『いちいち炎を注ぐより、雲桔梗解除したほうが早いんじゃないかって? ぷぷっ、匣兵器は使った本人にしか操れないのよ。知らないんだ』

 

 床は布張りなので、足音を消す必要はなかった。

 姿勢を一定に保っていれば、衣擦れの音はほとんどしない。

 

『みんな一人一部屋よ、当たり前じゃない。ブルーベルも白蘭と同じ、一番おっきな部屋がよかった』

 

 部屋の明かりはついたままだった。

 まだ起きているのか、電気を消し忘れているのか、寝落ちしているのか。いずれにせよ、もう引き返すわけにはいかない。

 

『またつらくなってきた? 炎がなくなってきたみたいね。あとは寝るだけなんだからいいじゃない』

 

 利奈はウソをついていた。

 見張られたり拘束されずにすむように、雲桔梗に苛まれているふりをしたのだ。

 食べている最中に何度も催促されたら煩わしく感じるもので、ブルーベルの炎の注入量は、そのたびに増加していった。利奈の思惑通りに。

 

 白蘭は昼間と同じソファにいた。机の上には電話と体温計、それから同じパッケージの菓子袋が大量に乗せられている。

 やっと部屋全体を眺める余裕ができたわけだが、やはり一番いい部屋だけあって無駄に広い。ソファとその周りしか使ってないのがもったいないくらいだ。

 絨毯の毛足も長く、素足なら気持ちよさそうだった。ガラス片や氷が落ちているけれど、寝ぼけて落としでもしたのだろうか。

 

(ずれないように柄を両手で持って、位置と角度の確認。即死させるために、頸動脈を狙う)

 

 目を閉じている白蘭の顔を見下ろす利奈の表情は、普段と変わりのないものだった。

 心も落ち着いていて、感情はむしろないに等しい。

 

(標的が跳ね起きた場合、首は諦めて胴体を狙う。暗殺が困難な場合は戦力を削ぐことに注力。太い血管がある太腿も有効)

 

 教科書を読み上げるような単調さで作戦を確認していく。

 

 殺気は出してはいけない。暗殺を特別なものだと思ってはいけない。

 料理をするかのように、日常的に行っている行動だと脳に誤認させなければ。包丁の代わりに暗器を握り締める。

 白蘭以外の人間相手ならできそうになかったが、白蘭相手ならできそうだった。吸血鬼に杭を打つ狩人も、こんな心持ちだったのかもしれない。心のなかで炎が燃え上がる。

 

 呼吸は止めていた。腕をわずかに上げて、そのまま――

 

「そこでやめたほうが身のためだよ」

 

 昼間と変わりない声が利奈の耳朶を打った。

 

(やれ!)

 

 下から聞こえてくる声を無視して、腕を振り下ろそうとした。しかし、動かない。

 

「……匣の開匣条件って知ってる? それぞれの匣を開けるには、その匣に適した炎を注入しないといけないんだ。でも、例外がある」

 

 ゆっくりと白蘭のまぶたが開いた。紫色の瞳が利奈を捉える。

 

「大空の炎だけは、すべての匣を開匣できる。さすがに力のすべてを使うことはできないけれど、こうして――」

「……っ」

 

 かんざしが手から滑り落ちた。

 立っていられなくなって、利奈は絨毯に膝をつく。

 

「君の力を奪うくらいはできる――っと。

 言い忘れてたけど、君の指輪には僕と桔梗、二人分の雲桔梗が仕込んであったんだ。彼にだけ任せるわけにもいかないしね」

 

 それは完全に想定外だった。

 大空の炎の特性は知っていたけれど、戦闘以外で使われる可能性までは考慮していない。

 

 俯く利奈の顔を覗きこんだ白蘭が、ふむと唸って思案顔になる。

 

「思ってたより動揺はないか。血の気も失せてないし、炎をちょっと弱くしすぎたかな?」

 

 もとより成功するとは思っていない。

 利奈の奇襲すら防げないくらい弱っていたならば、護衛をそばに控えさせていただろう。独裁者は暗殺をもっとも警戒するものなのだから。

 

 そして白蘭の言ったとおり、昼に比べて雲桔梗の影響が少ない。

 身体に力は入らないものの、じわじわと体力を吸い取られていくあのいやな感じはほとんどしなかった。ブルーベルの炎がまだ身体に残っているおかげだろう。

 

「……そっか、雨の炎。つくづく君たちは僕の計画を狂わせるのが上手だね」

 

 隠そうともしない殺意を笑顔に混ぜ込み、白蘭が電話の受話器を外す。

 ダイヤルを押す白蘭を、利奈は見ていることしかできない。絨毯に染みていた飲み物が手を濡らす感触が気持ち悪かった。

 

「寝てるところ悪いね。お客様が間違えて僕の部屋に来ちゃったみたいだから、部屋に案内してあげてくれる?

 ううん、ゆっくりでいい。ちょっと話があるから」

 

 受話器を置く音がやけに重く響いたが、利奈は顔を下げなかった。

 人質ならば殺されはしない。だれかが殺されることもない。だれも死なないのならば、なにをされたって最悪ではない。最悪がないのなら、最低には耐えられる。

 

 白蘭と目が合い、利奈は口を開けた。

 

「私はあんたを許さない」

「僕は許されたいと思ってない」

 

 不穏な声が間髪入れずに返ってくる。

 

(怯むな……!)

 

 おそらくこれが白蘭と話す最後の機会だ。夜明けになったら、白蘭はユニを捕らえに飛び立ってしまう。

 その前に、この男に言いたいことを言い終えなければ。

 

「私じゃあんたは殺せないけど。でも、あんたの計画は絶対に失敗する。だれかが貴方を殺す」

「それがボンゴレだって?」

「……」

 

(そうじゃないほうが、よかったんだけど)

 

 白蘭を倒せるのは、もう綱吉しかいないだろう。

 利奈などがわかるものではないが、信じられるのだ。綱吉なら、どんな絶望的な状況だって覆せると。

 

 しかしそれは、綱吉が白蘭を手にかけることを意味する。

 今まで何度命を狙われても、命懸けの戦いをしても、けして相手の命を奪わなかった綱吉に、人を殺させなければならなくなる。

 打倒白蘭を掲げる彼らは、そのことに気付いているのだろうか。それとも、綱吉ならばだれも死なせずに終わらせられるのだろうか。

 

「その前に、だれかが殺されることは考えないの? また君のせいでだれかが死ぬかもよ」

「私のせいじゃない」

 

 するりと出た言葉に虚勢はなかった。

 何度も何度も反芻した問いの答えを、利奈はもう知っている。

 

「全部、全部あんたのせいだ。この世界をこうしたのは、こうなったのは、貴方がやったこと。それを私たちのせいにしないで。

 殺された人たちは――私は、あんたに殺されたの。それに――」

 

 そこで利奈は目をつり上げた。

 

「沢田君は死んでなかったから! 勝手に友達殺さないでくれる!?」

「……ああ、そういえば綱吉君は死んではいなかったんだっけ」

 

 つまらなそうに白蘭はソファにもたれかかった。

 封の開いた袋から鷲摑みでマシュマロを取り出して、無造作に貪る。指の隙間からマシュマロが転がるけれど、一切気にしていない。

 

「君たちはほんと人の裏をかくのが好きだよね。正ちゃんといい、綱吉君といい、骸君といい。

 骸君は君を人質にすればおとなしくすると思ってたんだけどなあ……」

「……どういうこと?」

 

 意味が理解できずに尋ねると、白蘭は顔に作り笑いを貼りつけた。

 

「どういうことって、君に人質の価値がまったくなかったってことさ。

 邪魔しなかったら君の命は保障するって言ったのに、骸君はおとなしくしていなかった。僕の権利を横からかっさらっていった。

 GHOSTの代わりに出所したのは、禁弾実験を行っていたマッドサイエンティスト」

 

 白蘭の手のなかのマシュマロが握りつぶされた。初めてわかりやすく怒りを態度に出す白蘭に、利奈は口を挟めない。

 

「残念だったね。骸君は君の命なんてどうでもよかったみたい。

 君を気遣う仕草は全部演技。助けようとしていたのも、僕たちを油断させるためのパフォーマンス。利用するだけ利用して、用済みになったらポイだ。ひどいよねえ」

 

(そんな――)

 

 白蘭の言葉に利奈は目を丸くした。

 白蘭の言う通り、骸は利奈を見捨てたのだろう。利奈は骸の仲間ではないし、助ける義理もない。だからこそ、利奈は思った。

 

(――そんな当たり前のこと、貴方に言われなくてもわかってるけど……?)

 

 むしろ、なにを思って利奈を骸への人質にしようとしたのかと、利奈は本気で訝しんだ。

 骸の行動を封じたいなら、彼の仲間であるクロームを人質にするべきだったろう。

 霧の守護者であり、幻術に長けているクロームを同じ手段で捕まえられるかは、さておくとして。

 

(え、ほんとなんで私が人質になると思ったの?

 クロームが無理だったから代わりに私選んだとか……? それで私に価値がないとか、八つ当たりすぎない?)

 

 ようするに白蘭は、人の情というものを過信しすぎて失敗したらしい。

 自分にないものだからこそ最大限に利用しようとして、その結果、骸に出し抜かれたのだ。

 白蘭に一泡吹かせることに協力ができたのだから、喜びはしても悲しみはしない。むしろ、それで利奈を失望させて鬱憤を晴らそうとしている白蘭に、失笑を禁じ得ない。

 

(――なんて言ったら本当に殺されそうだから、やめておこう)

 

 いくらなんでも、ここぞというときの分水嶺は見極められた。銃を突き付けられた状態で近づくほど馬鹿じゃない。

 

「そろそろよろしいですか?」

 

 いつのまに控えていたのか、桔梗が部屋の入り口に立っていた。

 服装は昼間と一緒だけど、髪を下ろしているし目元の化粧も落ちている。寝ていたところを起こされ、わざわざ着替えてやってきたのだろう。

 明日は早いのだし、こうやって二人の睡眠の邪魔ができただけでも、暗殺しに来た甲斐があるのかもしれない。このまま殺されるのなら話は別だが。

 

「うん、いいよ。僕の愚痴に付き合ってもらっちゃったし、そろそろ寝かせてあげて」

「ええ、いい眠りをプレゼントしますよ。ひょっとしたら、もう目覚めなくなるかもしれませんが」

「――っ」

 

 ゾッと血の気が引いたのは指輪のせいだ。

 白蘭と桔梗、二人分の雲桔梗に炎を吸われ、息が荒くなっていく。

 

「心配しなくても、僕の方はもうすぐ効果が切れるよ。それまで頑張って耐えてね」

「……この、人でなし!」 

「うんうん。君はそうやって怒ってる顔がかわいいよ」

 

 今度は肩に担がれた。扱いが雑になっているのはやはり、暗殺を企てたからなのだろう。

 髪が垂れさがって白蘭の姿が見えなくなる。

 

「明日、あんたが負けるの、楽しみにしてるから!」

「ハハン、威勢がいいですね。あまり興奮すると本当に死にますよ」

「……死んじゃえ! ばーっか!」

「うん、おやすみー」

 

 限界は思っていたよりもずっと早かった。部屋を出るのも待てずに、利奈は再び失神した。

 




 みなさん、思い出してください。
 主人公は未来に来る直前、仲間の安全と恭弥や同級生の命をちらつかされながら、リング争奪戦の戦場に放り込まれているんです。
 未来の骸ともほとんど話していないうえに、犬が助けようとしていたのも気絶していたために知りません。ついでに、黒曜編のあれこれと記憶操作。

 ……むしろ期待するほうがおかしいですよね?

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