二回続けて失神して意識を落としたわけだが、失神というのは睡眠と違って、体力はほとんど回復しない。
電子機器で例えるならば、きちんと記録を保存し、正規の手段で電源を落として充電するのが睡眠であり、なにも記録を保存していないのに充電が切れて電源が落ちてしまうのが失神である。
電池が完全に切れてしまったものは、充電を始めるのにさえ時間がかかる。失神してしまうほど体力が尽きていると、睡眠に移行するのでさえ困難だ。
そして人の場合、意識は気を失う前の状態で断線しているだけなので、意識が戻ったときには記憶はそのままつながっている。
なので、部屋から出るところで気を失った利奈は、なぜ部屋に戻されているのだろうかと困惑することになった。
目の前にいるのは白蘭と桔梗、そしてさっきはいなかったはずのザクロ。
三人が横並びになっているのを見て、利奈は混乱しきりに布団に口元をうずめた。
(……ん、布団? ここベッド!? え、じゃあ白蘭の部屋じゃなくて寝室?
私、また気絶した!?)
何時間経っているのかと腕時計を見れば、あれから五時間も経過していた。
利奈が状況を理解したところで白蘭が口を開く。
「おはよう。よく眠れた?」
「……いいえ、おかげさまで」
寝ていない。桔梗に抱えられた状態で目をつむったら、こうなっていたのだ。
五時間経ったのに体力はまったく回復していないし、むしろさきほどよりも血の巡りが悪かった。唇に温度がないし、指先も凍えている。
「もうすぐ出掛けるから、一応声をかけておこうと思って。次に会うときには全部終わってるだろうしね」
上機嫌な白蘭に返す表情が作れない。睨みつけるほどの余力もなく、うつろな瞳を白蘭に向ける。
「おいおい、もうほとんど死んだみたいな顔してんじゃねえか。ほんとにこいつが白蘭様を暗殺しようとなんてしたのか?」
「してましたよ。仕置き代わりに雲桔梗を発動させたままにしていましたから、ほとんど死人状態ですが」
体も起こせないから、彼らの顔を見るのも一苦労である。目を閉じたら、そのまま眠るように死んでしまいそうだ。
「綱吉君たちに伝言があったら聞いてあげるよ。
返事がもらえるかどうかはわからないけど、これが最後になるだろうからね。ほら、彼らも心配してるだろうし、心残りはなくしてあげたいじゃない?」
「さすが白蘭様、お優しい」
すかさず桔梗が太鼓を叩く。
「あっ、ユニちゃんは大丈夫。あの子は連れてくるから直接話せるよ。
ユニちゃんは恐がりだけど、君がいたら少しは落ち着くんじゃないかなあ」
相変わらず、息をするように人を脅す男である。
綱吉たちの皆殺しと、ユニへの人質になってもらうという話を織り交ぜた白蘭の提案に、利奈は静かに首を振った。
「いいの? これが最後だよ?」
「……最後になるのはあんたたちでしょ」
綱吉たちが勝てば、白蘭たちと会うのはこれが最後になる。
別れの言葉をというのなら、それは目の前の彼らに宛てたものになるはずだ。そして、殺戮者に手向ける言葉などない。
言葉にする気力はなかったものの、利奈の意図を組んだのか、ザクロの表情が剣呑なものへと変わる。さりげなく桔梗が視線で制すると、かったるそうに両腕を服のポケットにしまいこんだ。
白蘭は相変わらず笑顔のまま、利奈の言葉に頷いた。
「そうだね。利奈ちゃんのことをうっかり忘れちゃったら、ここでさよならだもんね。
桔梗に雲桔梗解いてもらうのも忘れちゃうかも」
「……」
「あはは、大丈夫。心配しなくても、チェックアウトの時間になったらホテルの人に見つけてもらえるよ。
その前に僕が世界を創り直しちゃうかもしれないけどさ」
巨大な妄想は作り物のなかで披露していただきたいところだ。
どんなに強大な力を持ったところで、白蘭は神にはなれない。こんな人間を神とは認めない。
「白蘭様、そろそろ」
「うん。ブルーベルも起こさなくちゃね。たぶんグッスリだろうから」
「ハッ、これだからガキは」
「ザクロ、それは私たちに返ってきますよ」
白蘭たちが部屋を出て行こうとする。雑談する彼らは、もう利奈の存在を頭からはじき出していた。
「白蘭!」
咄嗟に叫んだ。足を止めた白蘭の顔を睨む。
「だれもあんたに負けたりなんかしない!」
横たわったまま叫ぶのは至難の業だった。しかし、ここで意地を見せなければ呼び止めた意味がない。
「……だれもっ、あんたの思い通りには、ならない! あんたは、神になんてなれない!」
(言えた……!)
気力を振り絞った利奈は、荒く息をつきながら天井を仰ぐ。
息切れで眩む視界に、真顔の白蘭が入りこんだ。
「だからなんだよ」
「っ!」
反射的に本能が身を引こうとするものの、ベッドの上ではそれはかなわない。
「なけなしの力をはたいて願望を謳って、それで満足した?
無力だから仕方ない、術中にはまってるから仕方ない、殺せなかったから仕方ない――なら、そのせいで死んでも仕方ないだろ」
こめかみを白蘭の手が掴み、そのまま枕に押しつけられる。
その手を払うために腕を上げる力すら、利奈には残されていなかった。
「君たち見てるとイライラするんだよね。思春期真っただ中の子供たちが、わかりやすい正義をかざして自己陶酔に浸ってんの。
私たちは負けない? みんなを守る? 世界を救う? 言ってて恥ずかしくならないの? そんな大言壮語」
瞳孔の開いた瞳に、歪んだ口元。笑顔で飾らない白蘭の顔は、まさしく悪魔の形相だった。
「現実を見てみなよ。僕がいなくたって、この世界は日々病魔に侵されているじゃないか。
終わらない紛争、差別、格差! 世界のいたるところで小競り合いやら戦争やらが起こってる! それら全部に首を突っ込むかい? 答えはノーだろ!」
「……ぐぅっ」
頭が軋む。声にならないうめき声が口から漏れ出た。
「結局、君たちは目の前のことしか見えてないのさ! たまたま目の前にわかりやすい悪があるから、薄っぺらい偽善でそれを滅ぼそうとする! 手の届かないところの悪は見なかったことにしてね!
くだらない! じつにくだらない! それなら、全部壊して一から創り替えたほうが早いじゃないか!」
「……うあっ」
興奮しきりに叫んだ白蘭だったが、すぐさま興味をなくした顔で利奈の頭から手を外した。
「……まあ、大人に与えられた世界で生きてるだけの君にはわからないか。
世界はもともと不条理で、どうしようもないほど腐りきってて、守る価値なんてないんだよ」
色のない声音にはどこか諦観と寂しさが含まれていた。だが、すぐさまそれを上塗りするような喜色を浮かべ、白蘭は微笑む。
「うん、決めた。この世界に希望なんてないって、君みたいなお子様でもわかるように僕が丁寧に教えてあげよう。
お友達の死体を見せつけられたら、いやというほどわかるでしょ?」
ゾッとするほどの猫撫で声だった。
くるくると変わる表情と声に、どれが本当の白蘭なのかわからなくなってくる。あるいは、本当なんてないのかもしれない。
「君には地獄を見せてあげる。恐怖にまみれて絶望に歪んだ死に顔を。血で塗りつぶされた凄惨な地獄絵図を。
理想を謳った君がいつまで正気を保っていられるか、楽しみにしているよ」
ひとひらずつ花弁をちぎっていくかのようにして笑う白蘭を、利奈は薄目で見上げていた。
(地獄……?)
痛みのせいで、言われたことが半分くらいしか頭に入らなかったけれど、とりあえず盛大に喧嘩を売られたことだけはわかった。
ならば、命を賭けてでも買わなければならない。風紀委員という不良集団は、舐められたら終わりなのだから。
生殺与奪の権が完全に握られている状況で、それがどうしたとばかりに利奈は吐き捨てた。
「地獄を見るのはお前だクソ野郎」
直後、鼻に衝撃が訪れる。
「あうっ」
ベシッと鼻の頭に物が落ち、瞳にじわりと涙が浮かぶ。
(なに、ガラス? なんでこんなの――)
藍とピンクの四角いガラスには見覚えがあった。
それは利奈が身に着けているものの普段は視界に入らない物で、いざというときの武器であり――なぜか今、利奈の顔の真横に突き刺さっていた。
ぎこちなく首を動かすと、目の横に銀色の棒が見える。それ以上は考えたくなくて、利奈は冷や汗を流しながら視線を落とした。
(……そういえば、白蘭の部屋に忘れていったんだっけ)
ゆらりと枕元の気配が動き全身が硬直するが、白蘭はなにもせずに離れていく。
その気配が部屋から出たところでベッドが蹴飛ばされたけれど、それ以上の追撃はなかった。シンとした部屋で、心音だけがやたらに大きく響く。
どうやら、彼らは戦場に赴くようだ。
(に、逃げなきゃ……)
このままでは、遅かれ早かれ殺されてしまう。
綱吉たちが勝ったところで、手に嵌められた雲桔梗の指輪を外してもらわなければどうしようもない。生命エネルギーを吸いつくされて死ぬだけだ。
白蘭なら、負けた腹いせに利奈を道連れにすることも厭わないだろう。あの男は、人の嫌がることを率先してやる。
(連絡を取らなくちゃ……財団……ヒバリさんに……)
さすが白蘭の腹心というべきか、桔梗が利奈を運んだのは電話が置いていないほうのベッドだった。
ベッドから落ちるだけならまだしも、もうひとつのベッドをよじ登って電話を取る体力は利奈には残されていない。下手に動けば、タイムリミットが縮むだけだろう。
(チェックアウトまで……耐えれば……助けを呼べるけど……。チェックアウトって、何時だろう……)
うつらうつらとまぶたが落ちてくる。
いっそ寝てしまったほうが体力を温存できるかもしれないと思う一方、そのまま二度と起きられないのではないかという恐怖もあった。
動いてもじっとしていても死が待っているという極限のなかでは、行動を決めることさえ困難だった。
しかし、無理に答えを出す必要はなかった。
これまでだって、利奈がどんなに知恵を絞ろうが、結局はなるようにしかならなかったのだから。
「相沢ぁ!」
途切れかけた意識を引っ張り出すような怒号が聞こえた。
瞑りかけていた目を見開いた利奈の視界を、大きな影が覆いつくす。
(クマ? ううん、そんなわけ――怪物!?)
ギョロリとした瞳、でこぼこな顔、歪んだ唇。それに見合った筋骨隆々な身体に、利奈は一瞬、呼吸の仕方を忘れた。
「寝てる場合か! とっとと起きろ!」
知らない財団職員だった。顔に見覚えはないけれど、財団職員は肌でわかる。
(……あれ?)
一人だけ、心当たりがあった。
もしかしたら彼かもしれないという程度の心当たりだけど、人を殺めていそうなオーラと、戦場で名を馳せていそうという印象を同じように抱いた人物が、十年前にも一人だけ存在していた。
ただ、こちらの彼はいそうという予想ではなく、いるという現在形の印象を抱いてしまったのだけれど。
目を細めて観察を続ける利奈に、彼は鼻を鳴らす。
「ハッ、どうした。俺がわからねえのか。お前が風紀委員だっつうんなら、俺のことは知っているはずだがな」
「……もしかして」
不遜に見下ろす男に、利奈はぽつりと呟いた。
「吉田さんですか?」
戦場の風紀委員――改め、戦場の風紀財団職員吉田は、見た人を震え上がらせる残虐な笑みで、それを答えとした。