ここにきてようやく日常系の番外編です。(今までの番外編と挿話を眺めながら)
ツナたち三人組+元ミルフィオーレ二人と飲み会する話。
夢を肴に一杯
沢田綱吉とは十年来の付き合いである。
中学生のころ、同じクラスだったのをきっかけに友人になった。社会に出てからは就職先の取引相手にもなったけれど、それで関係性が変わったりはしていない。
クラスで一番の落ちこぼれだろうが、マフィアのボス候補だったであろうが、ボンゴレファミリーのボスになろうが、綱吉は綱吉だ。
そうはいっても、綱吉は世界最高勢力マフィアのボスであり、利奈はその守護者である雲雀恭弥の部下にすぎない。社会人である以上、公私の線引きは大事である。
よって、わざわざ本社ビルまで出向いてきた綱吉に深々と頭を下げられた利奈は、この場面を関係者に見られたら大変な騒ぎになるなと、おぼろげに考えた。
当然、綱吉もその点には配慮していて、個室に案内するまでは本題を切り出したりはしなかった。
しかし二人きりになった瞬間にボンゴレとしての外面を剥がし、直角に腰を折ったのだ。
「本当にごめん! どんなに謝っても許されることじゃないと思ってるけど。
きちんとけじめはつけさせてほしい」
綱吉が謝っているのは、利奈を死なせてしまった件についてではない。
綱吉はボンゴレとしてすべての決定を下したのだし、それを謝罪することは過去の自分の行動を過ちだったと認めることに他ならない。もしそんなことで謝ったりなんかしたら、利奈はだれよりも大きな声で怒鳴っただろう。
「わかったから、頭上げて。えっと、過去の私が大変なことになったんだっけ?」
「いや、大変なことになってる――と、思うん、だけど」
いまいち要領を得ない返事なのは、確認する術がないからだ。
十年前に戻された利奈は今とは違う時間軸を歩んでいて、今の利奈とは繋がっていない。よって、今の利奈にはそれを思い出せないのだ。
(並行世界を共有できる敵と戦ったってのも、私が死んだってのもまだ実感ないのに、戻った私のこと話されてもな……。事実確認もほとんどしてないし)
SFみたいな話だが、自分は一度殺されていて、敵が倒されたことによって蘇ったらしい。
最初は、財団職員有志による壮大な悪ふざけかと思った。
でも、涙腺などないと思われていた強面連中が、涙を流して利奈との再会を喜ぶものだから、すぐにその可能性は消え失せてしまった。
それに、財団内にはミルフィオーレとの戦闘資料などが数多く残されている。いやでも、すべて事実だと認めるしかない。
(戦闘に参加した関係者は記憶が残っているけれど、途中で死んだ人はミルフィオーレの記憶が全部なくなってるみたい。どうりで変なところで寝ていたわけだ)
あの土手が、利奈の殺された場所だったらしい。
そうなると、そのすぐあとに殺されたらしい犯人二人の姿がなかったのは疑問だが、白蘭という諸悪の根源がいなければ、日本に来ることのなかった人間だったのだろう。本来進むべき道から外れた人は、元の道へと引き戻されるらしい。
(まあ、それは置いといて)
風紀財団ですら山のように事後処理が溜まっているのだから、十代目ボンゴレである綱吉に、こんなところで油を売っている時間などあるわけがない。とはいえ、このまま綱吉を帰してしまったら、しばらくは連絡が取れなくなるだろう。当事者から情報を得る機会をみすみす逃す手もない。
眉を落とす綱吉に、利奈はにっこりと笑いかけた。
「――というわけで久しぶりの飲み会始めまーす! かんぱーい!」
「乾杯!」
「乾杯」
「あはは、乾杯」
「え!? これ、そんなノリなの!?」
「てめえこら、利奈! 遊びできてんじゃねえんだぞ、俺たちは!」
乾杯の音頭とともにジョッキを掲げると、三人がジョッキを鳴らし、二人が声を張った。
持ったジョッキを勢いよくテーブルに打ち付ける隼人を、苦笑気味の綱吉が抑える。
「まあまあ、みんなでお酒飲むのが久しぶりなのは事実なんだし」
「ですが、物事には形式というものが――」
「堅苦しくしなくてもいいんじゃねえか? 利奈本人が楽しくやりたいって言ってんだからさ」
すでに半分以上ジョッキを空けた武が、ジョッキを置いてニッと歯を見せる。
これ以上は言い募っても無駄と判断したのか、隼人はため息をついて枝豆を摘んだ。
さやを押し出して豆を口に運ぶ隼人を、正面に座るスパナが物珍しげに見つめる。
「ビールに枝豆。ジャパニーズ飲みニケーション」
「はい?」
「あっ、気にしないで。スパナは日本文化オタクなんだ。サラダどうぞ」
「ありがとうございます」
隣に座る正一に皿を渡され、頭を下げる。
料理はいつも取り分ける側だけど、今日はゲストなのでありがたく頂いておく。正一は几帳面な性格をしているようで、トマトやゆで卵の数を、いちいち数えながら皿に取り分けていた。
「ビールも来たし、一回正一たちの紹介しとこうぜ。利奈は一応初対面って感じなんだろ?」
「うん」
今日の飲み会、もとい説明会にぜひとも参加したいという人がいるとのことで、予約人数が二人増えた。
この居酒屋は風紀財団の息のかかった居酒屋なので、突然の人数変更も、周囲に音漏れしない個室もすぐに対応してもらえる。
料理が豊富で値段も手ごろなので、プライベートでもよく使う、行きつけの居酒屋だ。
みんなの視線を受け、正一が居住まいを正して利奈に向き直る。
「えと、はじめまして、入江正一です。
僕は……なんて言えばいいんだろう。白蘭さんを倒すために白蘭さんの部下をやってたっていうのが、一番わかりやすい自己紹介かな。
ミルフィオーレファミリーに所属していたけど、今はボンゴレファミリーの技術者です。
その、今回はとてつもなくご迷惑をおかけしまして――」
「正一君、それはあとで。ほら、スパナが自己紹介まだだから」
左隣に目をやると、枝豆をおいしそうに咀嚼していたスパナが、キョトっと目を瞬いた。
「ん? ウチのこと、覚えてないの?」
「死んだ人間は記憶がねえんだよ! 来る前に言っただろうが!」
「まあまあ、獄寺君……」
店主が来て、武のジョッキを換えていく。
ついでに枝豆をもうひとつ頼んで、やっとスパナが枝豆から手を離した。
「ウチはスパナ。ミルフィオーレで技術者やってたけどクビになって、ボンゴレに拾ってもらった」
「スパナは俺の武器の調整をしてくれたんだよ。正一君も、戦闘で使う道具とかをいろいろと作ってくれて」
「そうなんだ。よろしくお願いします、スパナさん、正一さん」
両脇に一回ずつ頭を下げると、正一は口元を、スパナは目元を複雑そうに歪ませた。
「……えっと、なにか変でしたか?」
「ああ、いや。十年前の相沢さんには入江さんと呼ばれてたから……」
「スパナでいい。利奈は覚えてなくても、ウチは覚えてる」
「だから、覚えるもなにもほぼ別人だって言ってんだろうが……!」
隼人が空のジョッキを置き、深くため息をつく。どうやら今日は深酒になりそうだ。
アルコバレーノたちの計らいで、利奈以外の過去メンバーは、十年前の自分の記憶を同期させられているらしい。利奈だけ除外されているのは、記憶の同期作業のあとに被害者が生き返ったからだ。よって、こうした齟齬が生まれている。
(これは想像以上にややこしくなりそう……)
やはり、この説明会を設けたのは正解だった。
ミルフィオーレファミリーの行いや、それに対するボンゴレ関係者の対応などは資料に目を通せば把握できるけれど、こういった個人的なつながりについては、各々に確認を取るしかないだろう。
ほかのみんなが覚えているのなら、利奈も記憶しておかなければならない。ただの記録としての記憶であったとしても。
「それより、俺もいろいろと聞きたいことがあるんだ。利奈がミルフィオーレに捕まってたとき、正一とスパナが面倒見てたんだろ? そのときの話とか」
「だからお前は! こういうのは時系列に進めんのが常識だろうがっ! 先に俺と十代目が利奈を見つけたところから話させろ!」
「おっ、獄寺乗り気だな」
「聞きたい聞きたーい!」
十代目ボンゴレの右腕を名乗るだけあって、隼人は進行と仕切りが上手い。
ジョッキを抱えて囃し立てると、隼人は大きく胸を張って未来での出会いを話し始めた。一方、スパナは醤油にワサビを溶かしていた。
リング争奪戦直後の自分が召喚された話を聞いているあいだにも、頼んだ料理が次々と運ばれてくる。
運んでくるのは若いアルバイトではなく、この店の店主だ。個室を予約すると暗黙の了解で店主が料理を運んできてくれるので、遠慮なく話を続けられる。
「ささ、どうぞー。いっぱい頼んだので、いっぱい食べてくださーい」
今日のお代は綱吉持ちなので、量をあまり気にせずにじゃんじゃん頼んでおいた。成人男性が四人もいるのだから、料理が残ることはないだろう。テーブルに皿が溢れないように、空いた皿は逐一回収して積み上げておく。
日本文化オタクのスパナは、居酒屋メニューが届くたびに目を輝かせている。なんだか、外国人の観光に付き添っている気分だ。
「美味しい……!」
「そうなんですよ。ここのつくね、すっごく美味しいんです」
ここのお店は炭火焼きを売りにしており、火で炙る料理はすべて絶品だ。だから焼き鳥はどれを選んでも当たりなのだが、その当たりのなかでも、つくね串が段を抜いて人気であった。一口頬張れば、軟骨のコリコリした歯ごたえと肉汁のうまみに虜となり、一人一串どころか、一人で二串も三串も頬張ってしまう。
「お酒も美味しい。全部美味しい。もいっこ食べていい?」
「スパナ、ご飯食べに来てるんじゃないんだから……」
正一は自身の説明責任を果たそうという意気込みが強く、最初の一杯以外ずっとウーロン茶を頼んでいる。
実行犯であり、なおかつすべての遠因となった人なのだから、リラックスしろという方が無理なのかもしれない。
みんながあれやこれや、それぞれの視点から出来事を話し終え、鍋に締めのうどんが投入されたところで、利奈は万感の思いを込めて唸った。
「いやー……ヤバいね、うん」
ハチャメチャにもほどがあった。
重傷を負っている日に十年バズーカを打ちこまれたところで、その非情さに驚いたし、その次の日にはミルフィオーレに拉致されていて、展開の速さに引いた。
しかも正一の話によると、ミルフィオーレのボスである白蘭は、利奈が捕まったことを綱吉が死んだ原因に仕立て上げ、利奈の精神を壊そうとしたらしい。
マフィア関係者でもないただの女子中学生に、いったいなにを背負わせようというのだろうか。
「えっと、その女子中学生って君のことだけど……?」
「私であって私じゃないから……もうほとんど別人だし……」
「少しは気にしろ。なんで俺たちの方が憤ってんだよ」
正面の三人も初めて聞く話だったらしく、白蘭のくだりで一様に嫌悪をあらわにしていた。三人があまりにも真摯に憤慨してくれたので、利奈は声を出す必要すらなかったくらいだ。
その後も中学生利奈の受難は続き、独立暗殺部隊ヴァリアーに放り込まれるわ、チョイス後にアルコバレーノの少女とともに分断されるわ、またもやミルフィオーレに人質に取られるわ。散々な目に遭ったあと、ようやく彼女は平和な過去に戻された。
――しかし、彼女が戻されたのはリング争奪戦の夜ではなく、その二日後の昼なのである。
つまり、彼女の受難は終わらない。
(そりゃあ沢田君も謝りに来るし、入江さんも顔面蒼白で頭下げるよね)
ちなみに正一は申し訳なさのあまり胃を痛め、そこで飲み会が終了となった。
「大丈夫かな、正一さん。明日に響かなきゃいいけど」
「酒の飲み過ぎってわけじゃないから、そんなに心配しなくていいと思うぜ。
どっちかってーと、スパナのほうが危ねえんじゃねえか?」
「最後、寝ちゃってたもんね……」
武と二人で夜の繁華街を歩く。
二次会を始めるのにちょうどいい時間帯なので客引きも多く、視界に入れないように歩くのも一苦労だ。
ちなみに、今は私服だから普通に声をかけられているけれど、これがスーツ姿だったらアルバイトの大学生以外は一切寄り付かなくなる。高級品とはいえ特徴のないスーツなのだが、彼らは敏感に、触れてはいけないものを嗅ぎ分けるらしい。
正一が胃痛でダウンして、スパナが慣れない日本酒で寝落ちしたので、綱吉と隼人がその二人を、そして武が利奈を家まで送ることになった。
綱吉たちはみんなボンゴレアジトで寝泊まりしているし、武は実家に戻る予定だったので、この振り分けが最良というわけだ。
「私が死んでる間にいろいろあったみたいで……。山本君も大変だったんでしょ?」
「ん? ああ、まあな……」
死亡者リストのなかには、武の父親である山本剛の名前もあった。
利奈と同様に生き返っているはずだが、それでも、親を死なせてしまった負い目は消えないだろう。
「どうだった? お父さん」
「親父も利奈と一緒で記憶はないから、元気なもんだよ。
様子見に家に帰ったら普通に働いてて、お前、こんな時間に仕事はどうした!? って怒られちまった」
「ふふっ、山本君のお父さんらしい」
「だろ。あははっ」
思い出しておかしくなったのか、武も快活に笑った。
利奈の住所は武も知っているので、酔いに任せてゆるゆると大通りを歩く。車の通りはまばらだけど、まだまだ人通りは多い。
「ほんと、夢見てたみたいだったよ。
本当に夢でしたーって言われても信じられるくらい、全部元通りだもんな」
感慨にふける武に、利奈はなにも応えられない。利奈はその悪夢を共有していない。
悪魔に脅かされた記憶を抱えるのは、新しい未来を紡ぐ過去の自分だけだ。
「せめて十年前の私の記憶くらいあればよかったんだけどね。
どんな感じ? 記憶が増えるのって」
「んー、なんて言えばいいんだろうな。
思い出すっていうのとはちょっと違ってさ。最近こんなの見たよなーって、バーッて思い返す感じ?」
「思い返す?」
武の足が小石を蹴飛ばした。数回跳ねて、生け垣に落ちる。
「難しいな。俺はツナや獄寺と会ったところで十年前と入れ替わったんだけど、そっからの記憶は十年前の俺目線だからさ。なにがあったかは思い出せるけど、なに考えてたかまではわかんねーんだよ。自分の記憶じゃないっていうか」
「自分だけど自分じゃない。見たけど自分の体験じゃない。……映画みたいな感じ?」
「それだ! 観たばっかの映画!」
うまい例えに辿り着けたからか、武が嬉しそうに人差し指を掲げる。
話しているうちにいつのまにか家のそばまで来ていて、自然と足が止まった。
改めて武の顔を見てみると、ほとんど酔っていないようで、いつもと変わらない顔をしていた。顎の傷に目をやってしまうのは、もはや習性だろう。
十年前に戻った武もこの傷を負うのだろうかと、そんなことを考えてしまう。
「ありがとね、送ってくれて」
「礼はいいぜ。俺がやりたくてやってんだからさ。
むしろ、礼言うのはこっちの方だし」
「え?」
聞き返すと、照れくさそうに武は眉を下げた。
「俺は十年前の利奈には会ってないからさ。今の利奈見るまで、利奈が生きてるって実感なくて。だから、会えたときは本当に嬉しかったんだぜ」
「……」
「ははっ、利奈はピンとこないだろうけどさ!」
(……本当に、なんで覚えてないんだろう)
みんなが利奈にお帰りと言った。生きていてくれて嬉しいと言ってくれた。
でも、利奈がただいまと言ったところで、違うのだ。彼らが望む利奈は、本当は。
「みんなの知ってる私は、もういないんじゃないかな」
「いるだろ、ここに」
躊躇いもせずに武は応える。そのまっすぐな瞳に気遣いの色はなく、どこまでも誠実だった。
いつだって武は欲しい言葉をくれる。それも、本心からの言葉を。
「さっきも言っただろ。俺の知ってる利奈はお前だって。
ツナたちだってそう思ってるし、ヒバリだってそうだと思うぜ。なっ!」
「うん!」
強く頷くと、武が眼前に手のひらを広げた。
すかさず自分の手を打ち付けて、利奈は歯を見せて笑う。社会人になってから、ハイタッチするのも久しぶりだ。
「じゃ、そろそろ帰るね。おやすみ」
「じゃあな!」
片手を上げて武が背を向ける。
武はきっと、一度も振り返らないだろう。だから利奈も、最後まで見送らずに家の門をくぐった。
またすぐに会えると、知っているから。