新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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小さな瑕疵

 

 世界の命運をかけた戦いが終わりを告げた。

 表向きの平和は取り戻せたものの、戦いに関わったものはそれぞれ、事後後処理に余念がない生活を送っている。

 戦い漬けの毎日から、書類漬けの毎日に代わるわけだ。

 

 それは、ボンゴレファミリーと同盟を組んで戦いに参加していたキャッバローネファミリーも同じことで、ボスのディーノは終わらない書類の山に埋もれていた。

 

「あー、……だるい」

「休憩終わったばかりだろ、ボス」

 

 項垂れるディーノの顔の傍らには、休憩中に淹れられたコーヒーが置いてあった。

 黒い水面はカップの下半分にも達していないし、ロマーリオにも立ち上る湯気が視認できるくらいだ。

 

「だらだらしてたって仕事は終わんねえぜ。

 休憩は休憩、仕事は仕事。切り替えが大事だっていつも言ってるだろ」

 

 真っ向からの正論に、ディーノは机に押し付けていた額をむくりとあげる。

 その目には不満の色がありありと浮かんでいた。

 

「休憩つったって、執務室から一歩も外に出てないんだぜ? 体動かさないと休んだ気がしないし、ちょっとくらい――」

「んなこと言って、出てったら帰ってこないだろうが。

 まあ、どうしてもっつうんなら、今日に限ってはそれでいいんだけどよ」

「ん? なんだ、なんかあったか?」

 

 含みのあるロマーリオの言葉にディーノが目を細める。

 今日はなにも予定は入っていなかったはず――と記憶をたどっていると、電話がベルを鳴らした。

 

 このさい、目の前の書類から逃避できるのなら、どんな連絡でも構わない。

 そんなよこしまな思いで受話器を取ったものの、聞こえてきた明るい声に思わず相好を崩した。

 

「おお、利奈か。どうした?」

 

 ディーノ個人の携帯電話ではなく執務室に掛けてきたということは、仕事関係の連絡だろうか。そう思って尋ねたディーノだったが、利奈の返答に目を丸くした。そして、苦笑いを浮かべながらロマーリオに視線を送る。

 

(やってくれたな、ロマーリオ)

 

 ロマーリオに秘密にされていたようだが、今日は利奈が遊びに来る予定だったらしい。

 まったく知らされていなかったディーノは口パクでロマーリオを咎めるが、ロマーリオは愉快そうに肩を揺らした。

 

「知ってたら、仕事に手がつかなかっただろ?」

 

 そんなことはないと即答できないのが悔しい。

 昔から、弟分の国に行く前夜は仕事が手につかなかった。

 

 利奈はもうイタリアまで来ているらしい。すでに空港も出ているようで、空港のアナウンス音も騒々しい雑踏も聞こえない。

 よくよく耳を澄ますと、ピアノの音がわずかに聞こえてきた。どこかの店に入ったのだろうか。

 

「……俺が食べたいやつ? ケーキ?」

 

 利奈は洋菓子屋にいるそうで、手土産にケーキを買ってくるつもりのようだ。

 ふらっと入ってみたら思いのほかケーキの種類が豊富だったそうで、自分で選ぶのを諦めて電話をかけてきたらしい。

 

「おいおい、そんなに種類があるのか。覚えきれねえって……」

 

 次々と読み上げられるメニューに、ディーノも手を上げた。

 現物を見るついでに利奈を迎えに行きたいところだが、腕組みするロマーリオの視線からして不可能だろう。

 寄り道せずに帰ることはないと、自分でもわかっている。

 

「利奈が食べたいやつ全部買ってきてもいいぜ。どうせ全部なくなるだろうし。

 ……ん? 利奈は食べないのか?」

 

 ホテルのラウンジでアフタヌーンティーを楽しんだばかりだそうだ。

 苦渋に満ちた声を出す利奈に噴き出しそうになったが、機嫌を損ねかねないので、なんとかこらえた。

 

「じゃ、とりあえず利奈が気になったのだけ教えてくれ。そこから俺が選ぶ」

 

 折衷案としてそう伝えると、利奈がケーキを選び始めた。

 漏れ出ている声を聞きながら待っていたら、ふと利奈の声が不自然に止まった。だれかに話しかけられたようで、二言三言その相手に返答している。

 

「どうした?」

「あ、いえ、なんでもないです」

 

 さっきまでイタリア語で話していたのに、利奈の返事は日本語だった。潜められた声に、ディーノはその理由を察した。

 

(なんだ、ナンパか)

 

 イタリアでは珍しくもない。ただ、男と電話をしている女を狙うのは、いささか感心できなかった。

 

「やっぱ実物見ないとよくわかんねえな。一回写真で――っておい、またかよ……」

 

 さすがイタリア男、断られても簡単には諦めない。

 会話を遮られたディーノもだが、利奈も不機嫌そうな声を出している。

  

「利奈、しつこいようなら俺が相手を――ん?」

 

 声が不自然に小さくなり、受話器を耳に押し付ける。

 イタリア男が店のタルトについて話している声と、感心したような利奈の相槌が耳に入った。

 店の常連客だったのだろうか。それならば、下心ではなく親切で声をかけた可能性もある。

 

(いや、下心もあるな。俺と近そうだし)

 

 どっちにしろ、利奈がイタリア男の親切を受け入れたので、手短に通話を切られてしまった。まんまとしてやられたディーノは、受話器を置いて椅子に背中を預けた。

 

「どうした、かっさらわれたか?」

「ああ、取られちまった。俺から奪いとるなんて、なかなか見どころのあるやつだったよ」

 

 苦笑しながらコーヒーを飲み乾す。

 利奈が来たら、ケーキに合う苦さで淹れ直してもらうことにしよう。

 

(さて、利奈が来るまでもう一頑張りするか)

 

 こうして利奈の到着を待てるのも、未来を取り戻した恩恵のひとつである。

 仕事をさぼってばかりだったと余計な情報を吹き込まれないためにも、ディーノは本腰を入れて仕事に意識を集中させた。

 

 

―――――

 

 

「ありがとうございました。おかげで、美味しいケーキが食べられそうです」

 

 店員から受け取った紙袋を手に、ケーキ選びを手伝ってくれた男に礼を伝える。

 この店一押しのケーキとタルトを教えてもらったので、一ホールずつ購入した。ディーノには食べないと伝えたけれど、少しくらいなら食べても響かないだろう。

 

「かわいい女性の役に立てたのなら光栄だよ。……あ、かわいいだと大人の女性には失礼かな?」

「そうでもないわ」

 

 息をするようにかわいいと言われたが、イタリアではただの挨拶だ。でも、かわいいと言われて悪い気はしない。ありがたく受け取っておく。

 

「イタリアには仕事で?」

「プライベート。今日の便で着いたの」

「大変だね。でも、日本から来たのなら空の旅も快適かな」

「ええ」

 

 日本人だと当てられるのは珍しくもない。むしろ、地元民でないと断定されたことの方が珍しい。

 イタリア語は母国語並みとディーノからお墨付きを頂いているし、持っているバックも小ぶりなものだ。服装で見抜かれたのだろうか。 

 

「この店は焼き菓子もおいしいんだよ。

 僕も初めのころはタルトばっかり選んじゃったけどね」

「常連なの?」

「そうでもないけど、この通り種類が多いでしょ? 全制覇したいって言われたから、全部買ったことがあるよ」

「羨ましい」

 

 思わず本音を出してしまった。彼女にでもせがまれたのだろうか。

 

「でも、僕の一番のお薦めは隣の通りにある洋菓子店かな。古い店だけど、そのぶんシンプルなケーキがおいしいんだ」

「また今度試してみる。イタリアにはよく来るから」

「それがいいよ。それと、ほかにもいろいろとおいしい店を知ってるんだ。

 甘いものたくさん買ったから」

 

 彼の言わんとしていることに気付き、利奈は慌ててタルトを掲げた。

 

「そろそろ行かなくちゃ。タルトが駄目になっちゃう」

「御土産って言ってたね。電話の彼に?」

「ええ、彼に」

 

 彼という言葉には何種類か意味があるが、ここは安直に誤解してもらいたい。

 男は優美に微笑んだ。

 

「きっと、その仕事相手の彼らも喜ぶと思うよ。本当においしいから」

「……ありがとう」

 

 (やっぱりだめか)

 

 考えてみれば、彼氏との電話を切ってナンパ男に関わる女もいないだろう。恋人と二ホールもケーキを食べることもないだろうし。

 

「もし、僕が薦めたケーキをその人が気に入らなかったら、僕の責任だね。

 結果を知りたいから、電話番号を教えてくれるかな」

 

 直球で連絡先を聞かれ、利奈は曖昧な笑みを浮かべた。それで引いてくれるほど、この国の男は易しくない。

 だから利奈は、横に首を振った。

 

「……ごめんなさい、教えられない」

 

 取り繕えないほどに声は強張っていた。

 ここにきて利奈は、如才ない振る舞いを捨て、警戒の眼差しを男に向ける。女としてではなく、人間として。

 

(この人は、だめだ)

 

 心の奥底で本能が警鐘を鳴らしている。

 この男と関わってはいけない。この男と接触してはいけない。この男に気を許してはいけない。関わったら最後、塗り替えられてしまうと。

 

(この人自体はそんなに怖くないけど。でもなにか、知っちゃいけないなにかを隠してる)

 

 不穏な気配はない。見た目は派手だが、物腰は上品だ。

 長年培ってきた防衛本能が反応するような危なっかしさも感じない。

 それなのに、じわじわと恐怖心が胸の底から湧いてきて、じっとりと肌を汗ばませる。

 

 利奈の表情が変化していくのを無言で見つめていた男は、ふっと息を吐いて親しげな微笑みを消した。

 

「覚えがなくとも、魂には染みついているものなのですね」

 

 びくりと体が震える。

 丁寧に紡がれるイタリア語からは、先ほどまでの気さくさは霧消していた。

 

「ああ、心配しなくても私と貴方は初対面ですよ。

 ええ、一度も会ったことがありませんとも。幸運でしたね」

「なに、言って――」

「貴方が心配することはなにもありませんよ。私にはもう、悪魔の声は聞こえませんから」

 

 そう言って男は自身の胸に手を当てた。昔を懐かしむような声に、わずかに哀愁が混ざる。

 

「怖がらせてしまったみたいですので、そろそろお暇させていただきましょうか。

 申し訳ありません、偶然お見かけしてしまったもので。

 彼にもよろしく言っておいてください」

「彼って?」

 

 声が乾く。男が笑う。

 

「電話の彼ですよ。ほかにだれがいるんですか?」

 

 とぼけているのか、そうでないのか。もう判断能力が機能していない。

 

「楽しかったですよ。素直な貴方とお話できて。

 もう会うことはありませんが、もし出会ってしまったらそのときはどうぞ、お手柔らかに」

 

 男の声が脳内を回る。我に返ったときには、店内に一人取り残されていた。

 ふと紙袋に目を落とすと、2つに折りたたまれた紙片が乗せられていた。接近させた覚えなどないのに。

 

(……なんだったんだろう)

 

 まるで白昼夢を見ていたようだ。

 利奈は書かれている文字を認識してしまう前に紙片を千切り、店の屑籠に捨てた。

 

 覚えのない痛みに、戸惑いながら。

 




これを持ちまして、未来編完全終了です。
話は終わりますが、未来は未来で続いていくでしょう。

次回からいよいよ継承式編。
警察沙汰になった波乱の幕引きからの日常が幕を開けます。
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