ささやかなお願い
面会謝絶となっている病室の扉が、ゆっくりと右に動いた。
テレビ画面から顔を上げた利奈は、訪れた見舞客に疲れた笑みを向ける。
実際に疲れ切っていた。
未来から戻ってきたのはいいものの、行方不明扱いだったために病院では上を下にの大騒ぎ。すぐさま最上階に連れて行かれて検査と事情聴取。そのあとで親との再会だったために、元の世界に戻れた感動など、どこかへ飛んでいってしまった。
「ヒバリさんが裏から手を回してくれてたみたいだから、大事にはなってないみたいなんだけどね。ニュースとかにもなってなかったし」
テレビの電源はもう切ってある。
夕方のニュースは地震の話でもちきりだったが、未来から戻ってきたタイミングで起きた地震だったようで、実感が一切ない。並盛町は地震が起きにくい地域だからたいした被害はなかったと、朝の回診に来た院長が言っていた。
「それで、相沢さんの両親はどうだった? 納得してくれた?」
「ばっちり。私、ほとんど話してないし、執事さんがだいたい説明してくれたみたいから。執事さんっていうか、執事役の人?」
警察からの事情聴取は、例によって風紀委員からの圧力もあり、数分で終わった。
しかし、両親には風紀委員の圧力は通じない。どうしたものかと困り果てていたのだが、間一髪、リボーンが手配したボンゴレの事後処理班が現れて、事を穏便に片付けてくれた。
「大金持ちのペットの猫が逃げ出して、その猫が車に轢かれそうになったのを助けて私が
車に撥ねられたって、なんかドラマみたいな設定だよね、あはは」
笑いながら見舞いに訪れた綱吉と隼人、それからリボーンに視線を投げかける。
綱吉はぎこちなく口元を引きつらせ、隼人は眉をしかめ、リボーンはいつもの無表情ながら、ひょいと帽子を傾けた。
「大事にするわけにはいかねーからな。意識不明で病院に運ばれてたってのが一番だろ」
「なんというか……ほんと、ごめん」
「十代目が謝る必要はありません! 調整ミスったあいつらが悪いんす!」
「でも……」
利奈が行方不明になったことも前日の連絡網で伝わっていたそうで、同級生とその家族には周知の事実となっている。
綱吉たちも、連絡網で利奈が大変になっていることを知ったらしい。
「いいっていいって。
私よりも病院の人が大変だったと思うよ。いきなりこっちに合わせなきゃいけなくなっちゃったんだから」
玄関を通って受付に行った姿は、多くの人に目撃されている。しかしそれは、目覚めた利奈が状況を理解できずに病院から出てしまったという、夢遊病じみた設定でなんとか切り抜けた。
院長は恭弥と懇意にしているので、ボンゴレが言った話が正しいと言えば、院長も即座にそれに応じる。日頃の癒着が活きたわけだ。
「そういえば、執事役のリボ谷さんが慰謝料ですって、すっごい金額お母さんに渡してたみたいなんだけど、あれ大丈夫なやつ?」
「え!?」
初耳だとばかりに綱吉が勢いよくリボーンを見やる。
入院費込みで旦那様の愛猫を助けていただいたお礼ですと言っていたが、あれは迷惑料だったのだろう。利奈への口裏合わせ料も含まれているに違いない。
「誘拐騒ぎまで発展しかけてたからな。利奈が風紀委員でヒバリが手を回してなかったら、今頃全国ニュースで報道記者が病院まで詰めかけてたぞ。
金で収まるなら安いもんじゃねえか」
「そう、か? まあ、それで丸く収まるんならいいのかな……」
「ちなみに払った慰謝料はボスのお前もちだからな。出世払いにしといてやる」
「えーーーー!? っと!」
病室であることを思い出して綱吉が口を噤むが、一人部屋なのですぐに口を開き直した。
「どういうことだよ、リボーン!」
「どういうこともなにも、迷惑かけたのはボンゴレだろうが。つまり、ボスであるお前に責任がある」
「俺、ボスじゃないし! それに、そんなお金――」
「大丈夫です、十代目! ボンゴレファミリーは世界トップのマフィアですから、就任したら、そんな金すぐに用意できます!」
「どこも大丈夫じゃないんだけど!?」
目をキラキラさせる隼人には不安材料しかないし、相変わらず、綱吉と隼人は意志の疎通ができていない。
「ちなみに、ボスにならねーってんなら融資ってことで容赦なく利子をつけてくからな。マフィアから金を借りて、踏み倒せると思うなよ」
「うわあ、悪徳。頑張ってね、沢田君」
「味方がいない!?」
綱吉は嘆くが、もうお金は受け取ったあとである。
容赦なく退路を断ち、取り返しがつかなくなってから口にするのだから、リボーンも狡猾だ。
いや、利奈が言わなければ、触れなかったのかもしれない。そう考えると、申し訳なくなってきた。
「そういえば、学校にはいつから来れそうなの?」
借金問題はとりあえず置いておくことにしたようで、気を取り直した顔の綱吉がそう尋ねる。忘れさせねえぞと、リボーンがひらひらと借用書をちらつかせているが、視界に入れていないようだ。
「明後日だから、木曜日かな。今日いろいろ検査したんだけど、明日結果が出るんだって。
結果出るの昼ごろらしいから、明日も休みなさいって」
「そっか……」
綱吉たちはもう学校に通っている。学校帰りにそのまま来たようで、久しぶりの制服姿だ。
昨日も見舞いに来てくれようとしたそうだけど、口裏合わせやらなにやらで忙しいからと、リボーンが止めたらしい。
面会謝絶なのにどうやって通してもらったのかはわからないけれど、見張りがいるわけでもないし、こっそり忍び込んできたのだろう。見つかったら怒られそうだ。
「学校どう? 私の話とか出てる?」
「うん。でも、わりとみんな普通だったよ。えっと……ほら、相沢さん、風紀委員だったから」
「あー……」
幸か不幸か、風紀員の肩書が作用して、さほど関心を集めていないらしい。
行方不明になったのが休日だったというのも、影響しているだろう。平日だったら、あらぬ噂が立つところだった。
「そういえば、近隣にある風紀委員の敵対組織はもう全滅してるらしいぞ」
「ええ!?」
「んなっ!?」
「マジっすか!?」
世間話のように物騒な話題を出され、三人で悲鳴を上げる。
とくに利奈は布団を勢いよく跳ね飛ばしてしまい、机の上にあったペンが壁まで吹っ飛んでいった。
「風紀委員の敵対組織ってことは、ヒバリが?」
「ああ。つっても、未来に飛ぶ前のヒバリがだがな」
「どういう意味だ?」
「俺たちから見て数か月前のヒバリがやったってことだ。こっちに戻る前の出来事は変わんねーからな」
てちてちと足音を立ててリボーンがペンを拾いに行く。
しかし利奈は知らされた衝撃の事実に頭がいっぱいで、掛け布団を掛け直す余裕さえなかった。
(き、聞いてないんですけど?)
当たり前だ。まだだれにも会ってないのだから。
風紀委員への連絡は病院が自主的にしてくれたけれど、利奈はまだだれとも連絡を取っていなかった。携帯電話はとっくの昔に電池切れだし、小銭すら持っていない。充電器だけでも母に持ってきてもらうべきだった。
「自分のとこの人間が突然行方不明になったら、敵対組織を疑うのが筋だからな。
雲雀のことだから、単身で乗り込んで好き勝手暴れたんだろ。リング争奪戦も消化不良だっただろーしな」
「そっか、そんなのあったね……」
「ひえー! ヒバリさん、こわっ!」
利奈は頭を抱えた。
利奈たちにとってはとっくの昔の出来事になっているが、この世界ではあの戦いからまだ数日しか経っていない。
リング争奪戦で別れてそのまま行方不明になったとはいえ、まさか恭弥が敵対組織を壊滅させていたなんて。
(だから未来で会ったとき、あんなに機嫌悪かったんだ……。
……ちょっと待って。一日でそれなら、あのときには――)
未来で再会したときにはすでに一ヶ月以上経過していたはずだ。
一日で周辺の組織が壊滅したのなら、一ヶ月あれば――
(ううん、考えるのやめよう。なかったことだし。なかったことになったし。うん、そうしよう)
見当違いでとはいえ、一掃できたのなら喜ばしいことだろう。風紀委員と敵対する組織なんて、世間から見てもいい組織ではないのだから。
「校舎はどうなってるの? 体育館とか崩壊してなかったっけ?」
気の毒な敵対組織はさておいて、話を学校の話題に切り替える。
リング争奪戦でどこもかしこも壊されていたけれど、なかでも体育館は了平の拳で柱まですべて全壊していたはずだ。
冷静に考えるととんでもない事態だが、匣兵器なんてものがあるのだから、もうなんでもありなのだろう。――あのときの了平は、匣兵器なんて使っていなかったけれど。
「心配ないぞ。土日のあいだに建て直し済みだ」
「……建物って、そんな早く作れたっけ」
「できたみたい。ヒバリさんが見ても問題なさそうだったし、たぶん完璧に直ってるよ」
「へー。ヒバリさんがオッケーならオッケーだろうけど」
恭弥が検分して異常ナシなら、だれも文句は言わないだろう。彼ほど学校を熟知している人はいない。
「あ、それに、なんかヴァリアーとかディーノさんとかも未来の記憶が伝わってるみたいで。だから、リング争奪戦のあとのこともいろいろ丸く収まったみたいなんだ」
「そうなの!? よかった、どうなったんだろうって思ってたから」
結果を目にはしていないが、勝ったのは綱吉たちだったのだろう。
綱吉たちが勝利していなければ、未来でボンゴレになっていたのはXANXUSだったはずだ。
(じゃあ、ヴァリアーとの関係はとりあえずマシになったってことだよね)
そういう形でも、決着がついたのならば喜ばしい。共闘までしたのに、また話が振り出しに戻るだなんてあんまりだ。
胸を撫で下ろしていたら、ほとんど黙っていた隼人が悪態をついた。
「ケッ、べつにお前に心配される謂れはねーんだよ。十代目がボスになんのは天地創造前から決まってたんだからな」
「それは大げさじゃ?」
「あ゛あ?」
「だから俺はボスになりたいわけじゃないんだって……!」
綱吉の控えめな主張は、例によって隼人の耳には届かない。
もっとも、十年後の綱吉は抵抗むなしくボンゴレファミリー十代目ボスの地位についてしまっていたのだから、それが隼人の正しさを証明してしまうのだが。
「でも俺は本当に継ぐつもりはないから! そうだよ、未来なんて変わっていくものだし!」
「その場合、お前が道半ばで命を落とす以外ありえねーがな」
「うぐっ、怖いこと言うなよ!」
「十代目! 俺が! 俺がいる限りそんな未来はありえません! ご心配なく!」
ふんっと胸を張る隼人の目は綱吉に心からの忠誠を誓っている目で、そのひたむきさは、確かに右腕を自負する者の目だった。
それに比べると綱吉の目はオドオドと泳ぎっぱなしで、ひどく頼りない。
それでも、綱吉のおかげで未来が救われ、みんな揃ってこの世界に帰ることができたのだから、人は見た目では測れない。
普段は頼りなく見えても、最後に頼れるのは綱吉なのだ。
「……そうだ、沢田君にちょっとお願いしたいことがあったんだけど、いいかな」
「え、なに……?」
不安そうな顔をする綱吉ににっこりと笑いかける。
心配しなくても、見舞いにまで来てくれた友人に無茶なお願いはしない。
「わざわざお願いするのもちょっと変かもだけど、私もみんなみたいにあだ名で呼びたいなあって。京子もハルも、沢田君のことあだ名で呼んでるでしょ?」
「え……!」
ボンゴレアジトでは同じ屋根の下で暮らしていた仲である。
あの頃はずっといっぱいいっぱいだったけれど、今なら普通の友達として接してもいいだろう。
綱吉は面食らって目を丸め、それからじわじわと頬を染め上げていった。
「うん、別に、かまわないけど……」
「お前、見境ねえのか?」
「ちがっ――茶化すなリボーン!」
今日一番の大声で綱吉が怒鳴りつけるが、リボーンは涼しいものである。
照れているのを指摘された恥ずかしさでさらに顔を赤くさせながら、綱吉はまた視線を泳がせた。
「じゃ、じゃあ、俺も名前で呼ぼっか。えっと、利奈……でいいかな? さん付けたほうがいい?」
「いいよ、利奈で。私もツナって呼ぶね」
「う、うん」
「……」
背中に影を背負わせた隼人が、文句のありそうな顔で睨みつけてくる。
隼人に限って、自分も綱吉をあだ名で呼びたいというわけでもないだろうから、綱吉を気安く扱うなという牽制の視線だろう。こうなるともう、忠犬ではなく番犬だ。
「そだ、獄寺君も名前で呼んでよ。十年後の獄寺君も、なんか私のこと呼び捨てだったし」
「はあ!? だれが呼ぶか!」
隼人も瞬時に顔を赤くしたが、これは怒りによるものだろう。
隼人とも同じ屋根の下で過ごしたはずなのだが、こちらは一向に距離が縮まらない。むしろ、怒鳴られることが多くなった気がする。
「相沢より利奈の方が呼びやすいでしょ。私は獄寺君って呼ぶけど」
「おまっ、――だれが名前で呼んでいいっつった!? 果たすぞ!」
「えっ、呼んでないのに怒んないでよ」
「獄寺君落ち着いて! 俺たち見舞いに来たんだから!」
前のめりになった隼人を綱吉がなだめる。
綱吉に止められたからか、見舞客だったことを思い出したのか、剣呑な舌打ちを残しながら隼人は後ろに引いた。
「俺たち、そろそろ帰るね。また学校で」
「うん、じゃあね沢田君。じゃなかった、ツナ」
苗字呼びに慣れ過ぎたせいか、あだ名は少し喉に引っかかった。
綱吉は手を振ってくれたが、隼人はなにも言わずに出て行ってしまう。
「またな。お前の親に連絡先を渡してあるから、なにかあったらそこに連絡するんだぞ」
「わかった、ありがとう。……あ、でも、それリボ谷さんが出るんじゃ?」
髭を生やした老年の執事を思い出して尋ねるが、リボーンは意味ありげな笑みだけを残して病室をあとにした。
――後日、あれがリボーンの変装だったと聞かされた利奈は、驚きのあまり持っていた教科書をすべて床に落とした。