結局、アーデルハイトとは和解できないまま、彼らと別れた。
玄関で靴を脱いでいると、いつもなら出迎えには来ない母が、スリッパを鳴らしてやってくる。
「おかえりなさい。友達来てるよ」
「……え゛?」
「なに、その声」
心の底から信じられないという声が出た。
この町でも友達と呼べる人はできてきたものの、住所を教えた友達は一人もいない。
身構えつつリビングに向かった利奈だったが、カチコチに体を強張らせて椅子に座るクロームに、一気に力が抜けた。
「よかった、クロームか……」
クロームがぎこちなく頭を下げる。
母親がいるせいか、肩ところがマグカップを包み込む指先まで、人形のように固くなっていた。
(鈴木さんがさっきの件で先回りしてたらどうしようとか、また骸さんがだれかの体使ってるんじゃないかとか考えちゃったよ……。クロームならいいや、うん)
クロームにも住所は教えていないけれど、大方骸から聞いてやってきたのだろう。ちなみに骸にも住所は教えていないけれど、そこはもう突っ込むのも不毛なのでやめておく。
「他校のお友達でしょ。玄関で利奈の帰り待ってたから、家に上がってもらったの。
帰り、いつもよりだいぶ早かったじゃない。委員会は?」
「休んでいいって。あっ、私ジュースね」
食器棚を開けた母に飲み物を頼みながら、クロームの腕を引く。
じわじわとクロームが家を訪ねてきてくれたうれしさが込み上げてきた。
「私の部屋いこ! お母さん、お菓子もちょうだい」
「その前に手を洗いなさい。退院直後に風邪引いて再入院したら恥ずかしいよ」
「はーい」
クロームは物珍しげな顔で母とのやりとりを見ていた。
お菓子と飲み物を受け取って階段を上り、自室に入る。
「ベッド座って。お菓子、ここに置くね」
ローテーブルにお菓子とジュース、床にバッグを置いて、制服の上着を脱ぐ。
クロームは部屋の中をキョロキョロと見渡していた。
「……利奈の部屋、物がいっぱいあるね」
「あはは、全然捨てらんないんだ。クロームは――部屋、どこ使ってるんだっけ」
どんな部屋なのか聞こうとしたところで廃墟に住み着いているのを思い出し、質問を変えた。
黒曜ランドは電気と水道が通ってはいるものの、建物内はどこもかしこもボロボロだったはずだ。この前通された部屋も部屋中が荒れ果てていたのはもちろんのこと、窓にはヒビが入っていた。
「客室使ってる。この前の部屋のそば」
「そっか。部屋はどんな感じ? 窓とかヒビ入ってないよね?」
「大丈夫、雨は入ってこないから」
「……それ、大丈夫って言わないと思う」
認識の違いに不安になりながら、持ってきたお菓子を物色する。
見慣れたお菓子のなかにひとつ、見たことのないチョコレートが混ざっていた。一粒指で摘まむと、クロームが声を漏らす。
「それ、私が持ってきたお菓子……」
「これなに? チョコボール?」
「麦チョコ。美味しいよ」
クロームが手土産に持ってきてくれたものらしい。ポイと口に放りこむ。
「……どう?」
「うん、美味しい。初めて食べた」
食感は軽く、噛むとすぐになくなっていく。ひょいひょいと摘まんでいたら、クロームも麦チョコを口に入れた。味わうようにゆっくりと咀嚼しているから、きっと好物に違いない。 その一粒を飲み込んでから、クロームは思い出したように顔を上げた。
「入院って、なんのこと? さっき、利奈のお母さんが言ってた」
「……あー」
利奈の一件を彼女たちは知らないようだ。
「めちゃくちゃ大変だったんだよ、私。戻ったばっかでお医者さんとお巡りさんに囲まれたりして」
「……どうして?」
よくぞ聞いてくれたとばかりに、戻ってきてから今日までの出来事をクロームに話す。
行方不明扱いで警察沙汰になっていたり、リボーンの口裏に合わせてありもしない交通事故をでっち上げたり、意味のない検査結果を待ちながら、壊滅した闇組織に手を合わせたり。 かと思えば、復帰早々屋上で委員長二人が火花を散らしたりするのだから、気の休まる暇がない。
「炎真君と話してたら、粛正委員の鈴木さんに睨まれちゃってさ。ツナの話したらもっと怒るし。あんまりボンゴレとの仲はよくないみたい」
「そうなんだ」
「クロームは知ってた? 弱小ファミリーって言ってたから、そんなに有名じゃなさそうだけど」
「知らない。骸様なら……知ってるかもしれないけど」
「あー」
マフィア殲滅の野望を持つ骸なら、どんなファミリーの情報も耳に入れているかもしれない。彼にとってはどのファミリーも等しく攻撃対象であり――
(……ちょっと待って。
大丈夫かな、継承式。マフィアの殲滅会場になったりするんじゃ?)
突如降ってわいた疑問に利奈は戦慄した。
世界各国のマフィアが一堂に会する機会を、あの骸が逃すだろうか。いや、逃すはずがない。なにか仕掛けてくるに決まっている。
世界中の強豪マフィアがひしめき合ううえに、ボンゴレの今のボスとその守護者、そして次の代のボスと守護者が揃うのだ。リング争奪戦でポールを破壊するのに使った爆弾を用意すれば、会場ごと吹き飛ばすことだって可能である。
(どうしよう。とんでもないことに気付いちゃった! このままじゃ継承式どころかマフィアまでなくなる……! マフィアがなくなるのはいいことだけど、人が死ぬのは……)
「利奈……?」
無言でいたら、クロームに顔を覗き込まれた。大きな瞳に、強張った自分の顔が写る。
「……なんでもない。あっ、骸さんたちは未来のこと知ってるの?」
「うん、みんな知ってる。頭の中に、いきなり未来での記憶が入ってきたって言ってた」
記憶の宿り方は哲矢と同じらしい。
哲矢以外の風紀委員は記憶が引き継がれていないが、ミルフィオーレに関わった人すべてに記憶を与えていたら、こちらの未来まで大きく変わってしまうだろう。
(未来の骸さん、普通に外出てたもんな……。未来だと一緒に戦ったりしてたし、少しくらい優しくならないかな……)
哲矢も未来での記憶が作用したのか、若干話し方が未来寄りになっていた。
未来の骸がどんな性格かわかるほど一緒にいなかったけれど、いい方に作用してほしいところだ。
(ツナがボスになってたってことは、あの世界だと継承式は無事に終わったんだよね。
クロームがいるから、さすがに全部爆発させたりとかはしないだろうけど、なにもしない骸さんとか想像できないし……うーん、なんとか止めないと)
参加しない利奈に危害が及ぶことはないとはいえ、ツナたちや至門生のみんな、ディーノとロマーリオ、そしてヴァリアーが危険にさらされるとなるとじっとしてはいられない。
――ヴァリアーに関しては、返り討ちにしてくれそうな安定感があるとはいえ。
「ねえ、利奈」
クロームの呼びかけで我に返る。
そういえば、クロームがなんの用事で家まで来たのかを聞き忘れていた。
「今度、黒曜ランドに来てほしいの。骸様が、利奈に会いたいって」
「……」
(……どうしよう、罠の匂いしかしない)
継承式のことを考えてしまったせいで、会いたいという言葉の裏を考えてしまう。
継承式には参加しないものの、ほかの参加者と同じ学校に通っているし、風紀委員ならば至門生の情報も入手できてしまうのだ。
さすがにシモンファミリーに狙いをつけてはいないだろうが、マフィアである限り、いつか標的になり得るだろう。
「……ヒバリさんがうるさいから、どうだろ。用事があるとか言ってた?」
「未来のことが聞きたいんだって。ほら、利奈はいろんなところに行ってたでしょう」
「行ったね、いろいろ」
大半は拉致された結果だが、敵味方いろいろな組織に関わった。一番頼りになったのがこちらで脅威だったヴァリアーというのも、奇妙なものである。
(未来の話か……。未来のことって極秘扱いだったりするんじゃないかな……)
リボーンから一切口止めされていないけれど、それは話さないのが当たり前だからだろう。 だれかに言ったところで、記憶に異常があると判断されて再入院になるだけである。
「クローム、私それ断れると思う? 断ったら骸さん怒るかな」
「怒りはしないと思うけど……利奈はいやなの?」
「いやっていうか……」
寂しそうに眉を下げないでほしい。骸が嫌いなわけじゃなく、骸の悪事に荷担してしまうのがいやなのだ。そしてついでに委員長の目も怖い。
(どうせ断っても無駄なんだろうけどね。今日みたいに骸さん自身が家に来るかもしれないし……怖っ! え、すごく怖い!)
ニコニコと笑顔で待ち構える骸を想像すると悪寒が走る。
手段は選ばない人だから、前みたいにやんわりと母を人質に取る可能性だってあるだろう。断るのは得策ではない。
利奈は考え、ひとつの結論を出した。
「……あー、じゃあさクローム。クロームは日曜日暇?」
「……? うん、予定ないよ」
「ならさ、黒曜ランド行く前に京子たちとケーキ食べに行かない?」
こちらの要件を口にすると、クロームはまんまるに目を見開いた。こうなったら取引である。
「ほんとはこの前の日曜日に学校の友達と食べに行く予定だったんだけど、私の行方不明騒動で潰れちゃって。せっかくだからクロームとハルも誘おうって話になったんだよね。
京子とハル、それから花っていう同じクラスの友達が来るんだけど、クロームもどう?」
質問を質問で返すように誘い返すと、リビングにいたときのように完全に固まってしまった。今度は髪の先まで微動だにしない。
(どうせ断れないなら、諦めて違うこと考えた方がいいよね。
同じ日にしちゃえばケーキ食べたあとに一緒に行けるし)
「どう? すごく有名なケーキ屋さんらしいんだけど」
「……」
「ハルは京子が呼んでくれるし、花はクールだけど意外と面倒見いいから、そんなに緊張しないで話せると思うよ。ケーキ食べるだけだし」
「ちょ、ちょっと待って!」
容量が限界を迎えたようで、クロームが顔を手で隠してしまった。つむじと髪の束が震えている。
ボンゴレアジトでも京子たちと打ち解けるまでには時間がかかっていたし、クロームにとっては大変な決断なのだろう。でも、引っ込み思案のクロームがすぐに断らなかったのというのが、もう答えだった。
「……ケーキは好き?」
頷いた。
「京子たちとまた会いたいって思う?」
また頷いた。
「じゃあ、行こうよ」
動かない。
急かしすぎたかと反省していると、クロームが顔を上げた。耳まで真っ赤で目は潤んでいたけれど、それでもクロームは口を動かした。
「……行く」
利奈が飛びつくように抱きつき、二人ともベッドに沈みこんだ。