昼休み。京子たちと机を並べてお弁当を食べる。
昨日と同じく、教室の一角は円を描くように机がなくなっていて、その中心でSHITT・P!があんこを頬張っていた。
「見んのやめなさい、胃もたれするわよ」
花はSHITT・P!に欠片も視線を向けずにサンドイッチを摘まんでいた。
そうは言われても、缶詰のあんこをスプーンで頬張っている姿はなかなかに目を引きつける。飲み物もないのに、よくあんこだけをずっと食べられるものだ。
「飽きないのかな、あれ」
利奈の問いに答えて京子が体をひねった。
「あんこだけだと飽きちゃいそうだよね。パンとかご飯とかあればいいんだけど」
「……あんた、あんこおかずにご飯食べれんの?」
花の言葉に、京子は心外とばかりに目をしばたく。
「えー? だって、あんことご飯があればおはぎができるでしょ? あんこはパンに塗っても美味しいし」
「へー、今度やってみよ」
「私は当分あんこはいいわ……あれ見てると食欲なくすし」
花がうんざりした声を出す。確かに、見ているだけで口の中が甘ったるくなってくる。このままだと花が本当に食欲をなくしてしまいそうなので、利奈は話題を切り替えた。
「昨日クロームに会ったんだけど、クロームも日曜日、大丈夫だって」
「ほんと? ハルちゃんも昨日電話したら是非行きたいって言ってたよ」
「おー!」
ハルなら断らないと思っていた。トントン拍子に話が進んでいる。
「じゃあ五人ね。時間どうする?」
「三時でいいんじゃないかな。おやつの時間だから」
「楽しみ! ご飯抜いちゃおっかな」
甘いものは別腹というけれど、どれもこれもおすすめでは、いくらおなかが空いても足りないだろう。いっそ朝から抜いた方がいいだろうか。
「やめなさい、逆に食べられなくなるから。
待ち合わせ場所どうする? クロームって子は店の場所知らないんでしょ」
「だから私、先に待ち合わせして合流しよって言っといた。いろいろ話したいこともあるし」
おもに未来のことでと、京子にだけ目配せを送る。うまくサインが届いたようで、納得した顔で頷かれた。
「クロームちゃんに会うの楽しみだな。黒曜中学校って学区違うから、全然会えないよね」
「ハルも学校違うしね」
「緑中でしょ? あそこって偏差値高いって聞いたけど」
「へー、頭いいんだ」
緑女子中学校に通っているのは知っている。よくよく考えてみれば、私立中学校に通っている時点で成績の優秀さは窺えただろう。
「その調子だと、優等生キャラってわけじゃなさそうね」
「全然。いつも敬語だけど、頭よさそうって感じじゃないし」
「ハルちゃんはすっごく元気で明るい子だよ。クロームちゃんもおとなしくていい子だし」
「それだけ聞くと、足して二で割るとちょうどいい感じ」
「あー、確かに」
その場にいない二人の話で盛り上がっていたら、ふと背後に気配を感じた。振り返ると、もう食べ終わってしまったのか、バットを担いだ武が立っていた。
「なに?」
「今、クロームとかハルとか聞こえたから。ハルって、三浦だよな?」
「そうだよ」
「やっぱそうか。二人がどうしたんだ?」
武は未来に行く前からその二人とは知り合いだった。未来では修行漬けで食事以外での接点はなかっただろうけれど、やはり気になるのだろう。
「日曜にみんなでケーキ食べに行くの。だからその相談、みたいな」
「日曜日……?」
「そ。女子会だからあんたはだめよ」
「もう、花ったら」
京子は窘めたが、利奈は内心強く花の牽制を賞賛した。武を誘ったなんて知られたら最後、女子の顰蹙を買うばかりか、当日に人数が倍以上に膨れ上がる可能性もある。武には悪いが、百害あって一利なしだ。
「ああ、いや。日曜っつったら水野と部活行く約束したなって」
「水野? そんな名字の人いたっけ」
なにかと全学年分の生徒名簿に目を通す機会が多いけれど、初めて聞く名字だった。
「転入生だよ。ほら、俺より背が高くて筋肉質なやつ」
「……あー」
登校時にらうじといた、無口な同級生を思い出す。そういえば、武が気にかけているとリボーンから説明があった。
「あいつ、ちょっと部活で浮いててさ。だから一緒にピッチングしようぜって誘ったんだ」
「ピッチングって?」
耳慣れない単語を聞き返す。
武の参加していた秋の大会はみんなと観戦したものの、大まかなルールくらいしか覚えられていない。
「ピッチャーの練習だよ。水野が本気でボール投げて、俺が取るやつ。
あいつピッチャーだから、速い球投げられたらほかの奴らも認めてくれるだろ?」
にかっと笑う武はどこまでも好青年である。
「へえ。すごいね山本君、自分だって練習あるのに転入生まで気にかけて。私なんて自分のことだけで手いっぱ――あー!」
「おっ、どうした?」
「なによもう、急に立って」
みんなの注目を浴びながら、時計を確認する。当たり前のように十二時を過ぎていて、利奈は頭を抱えた。
「休んでるあいだの社会のプリント、今日の朝までに出せって言われたんだった! どうしよ、完全に忘れてた!」
「あーあ」
「今から出せばいいんじゃねーか?」
「だよね! ちょっと行ってくる!」
グズグズしてはいられない。お弁当箱の隅に残ったご飯を掻き込んで、風呂敷を結ぶ。
「机片付けとくよ」
「ありがと! ごめんね!」
京子の申し出をありがたく受け入れ、利奈は疾風のごとく駆け出した。
社会の先生はちょうど職員室で午後の授業の準備をしていたところで、そこまで焦る必要はなかったのにと、プリントを受け取ってくれた。これが風紀委員の班長相手だったら、無言の圧に頭を押されて、じっとりと脂汗を流すことになっていただろう。
頭を下げて職員室を出ると、そのタイミングで声をかけられた。
「おお、相沢!」
京子の兄の了平だ。相変わらず了平の声ははっきりとよく響く。そういえば、未来から帰ってきてから一度も話をしていない。
「こんにちは、先輩。ちょっと久し振りな感じがしますね」
「そうだな。職員室に行っていたようだが、なにかあったのか?」
気遣わしげな視線を向けられる。未来で世話になった十年後の了平の面影と重なって、頼もしさを感じてしまう。
「出し忘れてた宿題出してきただけです。先輩はどうしたんですか?」
「うっ――!」
目的を聞かれたのでこちらも聞き返しただけだったのに、痛いところを突かれたとでも言いたげな顔で了平はのけぞった。この反応はおそらく、妹に知られたくない内容だったのだろう。第一声以外の声の音量も控えめだったし、いつもの覇気がない。
「なにかあったんですか? 体調悪そうですけど……」
「わかるか? じつは、すこぶる気分がよくないのだ」
「ええ!? 大丈夫ですか!?」
風邪を引かなそうなタイプと言うと意味が変わるが、病気とは無縁そうな人物なだけに、利奈は驚いた。見た目は元気そうだけど、未来の怪我もまだ完治していないだろう。もしかしたら、人知れず後遺症に苦しんでいたのかもしれない。
「病院行きます? それか、リボーン君に相談するとか!」
「うむ? いや、そういった類いのものではないのだが……すまん! 言い方が紛らわしかったな」
言いながら了平は左右を確認した。
「京子は近くにいるか?」
「京子なら教室ですよ。……京子には内緒の話ですか?」
「ああ、頼む。その……じつはだな」
声を潜める了平に固唾を呑む。家族にも内緒となると、これはいよいよ重大な秘密なのではと、利奈も息を止めた。
了平はギュッと眉間にしわを寄せると、次の瞬間、勢いよく両目を見開いた。
「じつは――説教の呼び出しを受けている!」
「わー! 心配して損したっ!」
心の底からどうでもいい理由だった。本当に心配してしまったぶん、了平よりも大きい声が出る。
(心配かけたくないからじゃなくて、京子に叱られたくないから黙ってろってことか! まったく!)
「人騒がせですね! いったい、なにやらかしたんですか」
「説教と言っても校則を破ったわけではないぞ! 極限にクラスの奴と揉めただけだ!」
「喧嘩したのに威張らないでください!」
腕を組んで仁王立ちする了平の顔に反省の色はない。やはり十年経たないとあの頼もしさは生まれないようだ。
「言っておくが、暴力は振るってないぞ! 京子にも止められているからな!
ただ、同じクラスの転入生があまりにも突っかかってきおってな! 授業中だということを忘れてつい立ち上がってしまった!」
「戻ってきたばっかでなにやってるんですか、もう。……え、転入生?」
さらりと流しかけたけれど、転入生が相手となると話が変わる。転入生と言えば至門生、至門生と言えばシモンファミリーだ。
「シモンの人と喧嘩したんですか?」
「ああ。どうもあいつは最初から俺を目の敵にしていてな。一昨日の補習中もバカだなんだと散々バカにしおって! 一緒に補習を受けている時点でお前もバカではないか!」
「先輩先輩、落ち着いて! ここ、職員室の前ですよ!」
話しているうちに腹が立ってきたようで、声を荒げ始めた了平を宥める。どうも話を蒸し返してしまったようだ。
「ところで、その転入生ってどんな人ですか? 鈴木さん……ではないですよね?」
「青葉紅葉だ! あの男、それ以来、事あるごとに突っかかってきよる! もう我慢ならん!」
「だから落ち着いて! あんまり騒ぐと京子にバレますよ」
「ヌグッ」
京子の威力は絶大だった。名前を聞いた途端、了平は口をつぐみ、握りしめていた拳を下ろし、いからせていた肩を落とした。普段は人のことなどまるで気に留めない了平も、妹にはとことん弱いらしい。
(転入生にバカにされ続けたら腹も立つだろうけど。これじゃ説教どころか反省文だな)
復帰早々に赤点で補習を取り、そのうえ呼び出しとは。京子にバレたらただではすまないだろう。愛する妹に窘められるのは相当堪えるようで、了平は神妙な表情で頭を垂れた。
「むう……京子にはあまり心配をかけたくないが、バカにされるとどうも黙っていられなくてな。悪いが、京子には黙っていてもらえないだろうか」
「わざわざ言いませんよ、そんなこと。でも、職員室で暴れないでくださいね。風紀委員案件になったら、さすがに黙っていられなくなっちゃいますから」
「うっ。わかった、気をつけよう。では行ってくる」
リングに上がるボクサーさながらの気迫をまとってはいるが、ただ説教を受けに行くだけだと思うと滑稽である。それほどまでの覚悟ははたして必要なのだろうかと疑問に思いながらも、利奈は職員室に背を向けた。
(転入生と喧嘩かあ。青葉紅葉って……眼鏡の人かな?)
転入生の顔を順番に思い浮かべる。一人は学校に来ていないから、消去法で考えれば眼鏡をかけた生徒が青葉紅葉なのだろう。見るからに頭の良さそうな顔をしていたので違和感があるけれど、思い返してみれば、屋上でリボーンの軽口に突っかかる程度には沸点が低い。人物像は合致していた。
(あれ、私、その青葉さんと学校に来てない人以外はもう大体顔見知りじゃない? SHITT・P!さんはべつとして、鈴木さんも委員会的には関係してるわけだし……)
つまり、まんまとリボーンの目論見通りになっているというわけだ。それがなくても風紀委員として彼らには注意を払っただろうから、遅かれ早かれこうなっていたのかもしれないだろうけれど。
(って、さっそく至門生見つけたし)
人気のない廊下の先で、上を見上げている至門生を発見した。教室のプレートを見ているようだが、理科準備室になにか用でもあるのだろうか。
(呼び出し? ……ちょっと違うか)
今度は隣の理科室のプレートを確認している。キョロキョロと辺りを伺っているが、どうやら道に迷っているようだ。
(そうそう、転校したばっかだと教室どこにあるかわかんなくなっちゃうんだよね。移動教室のときなんて、同じクラスの人について行かなきゃだったし。)
今ならば人に聞いたり話しかけたりできるけれど、あの頃は人との交流をすべて避けていた。懐かしさを感じながら、利奈は転入生へと近づいていく。足音に気がついた転入生が振り返る。レンズの奥の瞳が利奈を捉えた。
(あ、青葉さんだ)
話に出てきたばかりの人物に利奈は驚いたが、それよりも先に紅葉が口を開いた。
「おお、ちょうどいいところに。そこの下級生、職員室の場所は知っているか」
渡りに船と言わんばかりの声に、利奈は無言で頷いた。さすがにもう校舎内の教室は覚えたし、職員室なら今行ってきたばかりである。
「職員室に呼ばれているのだが、一向に辿りつけなくてな。時間があれば連れて行ってもらいたいのだが」
こちらから尋ねる手間が省けた。職員室はこのちょうど真下にあるから、口で説明すれば済むだろう。
「職員室、下の階にあるんで階段降りればすぐですよ」
「悪いが、行き方は道行く生徒に何度か聞いている。しかし結局覚えられないから、案内を頼みたい」
「……はい、そういうことなら」
どうやら本当に見た目と能力が伴っていないらしい。風紀委員でも一番華奢に見える人が最強で最恐なのだから、見た目だけで人を測るのは浅はかだと知ってはいるけれど。
先導するために前を歩くと、紅葉はほっとしたように息をついた。
「いやはや、いつになったらたどり着けるかと思った。親切な生徒も一人はいるのだな」
「一人?」
やけに引っかかる物言いだ。利奈の声音にそれを感じ取ったのか、紅葉は鷹揚に腕を上げた。
「ああ、気を悪くしないでくれ。同じクラスに救いようのないバカがいてな。結局、これから職員室に行くのも、そのバカと二人で呼び出されたせいなんだ」
利奈は一瞬、了平と顔なじみであることを告げるか告げないかで迷った。しかし、了平と知り合いだと言った場合の利点がなかったので、しらばっくれる方を選ぶ。
「そうなんですか。転校したばっかなのに、大変ですね」
「まったく、バカは短絡的で困る!」
こちらも了平と同様、怒りは静まってないようで、鼻息荒く腕を組んだ。仕草が了平と瓜二つである。
せっかくだからこちらの言い分も聞いておこうと、利奈は歩く速度を緩めて後ろを振り返った。
「なにがあったんですか?」
「あいつがあまりにもバカだったからそれを指摘しただけだ。結局、バカはバカであることすら受け入れられんらしい。嘆かわしいことだ」
上から目線な態度に、了平が怒っていた理由の説明がついた。そこまで面識がない人にバカと呼ばれて、抵抗なく受け入れる人は少ないだろう。
「うーん。でも、いきなり人のことをバカって言うのは、ちょっとあれじゃないですか。難しいですけど」
「いや、あれは正真正銘の真性バカだ。そして結局とても失礼なやつだ。僕の名前を罵倒した」
「えっと?」
「僕は青葉紅葉という。青々とした葉に秋の紅葉。あの男、名前を聞いた途端、極限に矛盾した名前だと笑い出した。皆の前でな!」
「それは……ひどいですね」
どうやら了平も彼に失礼な態度を取っていたようだ。一人の証言を鵜呑みにしてはいけないのだなと、利奈は心に刻んだ。都合の悪い場面を隠した了平には、次に会ったときに釘を刺しておこう。
そこで職員室についてしまい、利奈は話を切り上げた。
「ここが職員室です。先生の座席表はここに」
ドアに貼られている座席表を指差す。わざわざ確認しなくても了平がすでに待っているからわかるだろうが、建前上伝えておく。
「なにからなにまですまないな」
「いえいえ、これくらいは。またなにかあったら気軽に声かけてください」
人当たりよく応えるが、紅葉は若干顔を曇らせた。
「……いや、次からは違う人に頼もう。結局、アーデルハイトに睨まれたくないからな」
「え……」
紅葉の視線が腕章に向けられ、利奈は言葉の意味を理解した。仲間が敵対している組織の力は借りられないということだろう。先導する利奈の腕章に目を留めていたようだ。
「あ……じゃあ、失礼します」
なんともいえない気まずさを感じつつ頭を下げると、紅葉は思いがけない言葉を口にした。
「待ってくれ、まだ名前を聞いてない」
「え? でも……」
先に距離を置く発言をしたのは紅葉だ。困惑するが、紅葉は誇らしげに胸を張った。
「風紀委員に頼ったらいい顔はしないだろうが、一生徒と知り合いになるのまでは止められていない。それに結局、後輩女子と親しくなるのは、やぶさかではないからな!」
「……」
(最後のがなかったらなあ……)
しかも最後の一言の方が熱量が高かったために、残念さが際立ってしまう。
「二年の相沢です」
「相沢か。覚えやすい苗字だな。結局改めるが、僕は青葉紅葉。三年生だからその敬語は崩さないでくれよ」
ピシッと指を立てる青葉に、利奈は苦笑交じりの笑みをこぼした。
このあと、予想通り職員室で二人のいざこざが勃発するのだが、それは利奈のあずかり知る問題ではなかった。そしてそのいざこざは京子の耳にも入るのだが、結果は言うまでもないだろう。