連行された先は、当然応接室。
迫る恐怖に押しつぶされそうになりながら中に入った利奈は、数十秒後、押し殺せなかった悲鳴を存分に上げた。
「え!? もうヒバリさんにバレちゃったの!?」
教室に戻った利奈は、げっそりとした顔で自分の席に座った。
よほどひどい顔をしていたのだろう。三人はすぐさま事情を察して席に集まってきた。
ぼさぼさになった髪を手櫛で整えながら、利奈は頷く。
「今日に限って図書室に来て。すぐに見破られちゃったよ」
「ヒバリさん恐るべし……!」
そういえば、すぐに応接室に移動してしまったけれど、恭弥はどの本を借りに図書室に来たのだろう。恭弥の読みそうな本なんて、まったく思い浮かばない。
「あ、そうだ。リボーンっていう子も見かけたんだけど、沢田君もう会ってる?
迷子になってたみたいなんだけど」
「ブフッ! り、リボーン!?」
「沢田君の弟でしょ? いつの間にかいなくなっちゃって」
「い、いや、あいつは弟とかじゃ! 親戚の子っていうか、ちょっといろいろと事情があって!」
「それと獄寺君、だれかれ構わず恩人の話しないでよ。誤解だっていちいち言うのめんどくさいんだけど」
「あ? なに指図してんだ、風紀女」
「風紀女……」
「とにかく、俺とあいつは無関係だから! なにかあっても俺には一切関係ないし! あんなのと一緒に――いってー!」
あだ名付けが安直すぎる。それと、綱吉の狼狽具合がひどい。手を机の角にでも打ち付たのか、一人で悶絶している。
「ところで、その弁当なんだ? うまそうだな」
一人能天気な発言をするのは武だが、平然と弁当を食べ始めた利奈も、相当能天気に見えただろう。しかし、休み時間には限りがあるので、さっさとおなかをいっぱいにしなければならない。
「ヒバリさんにもらったの。なんか食欲なくなったから、欲しかったら持ってけって。
いらないなら処分しといてって言うし、遠慮なく」
「ははっ、なんかヒバリらしいな」
高そうな箱に入った、高そうな幕の内弁当だ。――それはこの町でも五本の指に入る老舗懐石料理店の品で、利奈の思ってる数倍は値段の張るものだが、利奈は知らない。
おなかが空いていたからついチラチラ見てしまったけれど、そんなに飢えた目をしていたのだろうか。なんにせよ、せっかくもらったのだから、今食べてしまおう。
俵型に整えられたご飯を箸でつまみ、口の中に運ぶ。ごま塩も振ってあるし、ご飯だけでもとてもおいしい。
「やっぱり、ヒバリさんには怒られた?」
「んー。ヒバリさんはなにもなかったけど、ほかのみんなが恐かったかな」
とくに竹澤、と脳内で付け足す。
騙す相手に選ばれたのがよっぽど気に障ったのか、応接室に入ってすぐに制裁を与えられた。思い出すだけで痛みが蘇ってくる。
「ヒバリさんに殴られなかっただけましだけど、やっぱり痛いよね。とんでもなくひどい目に――っ、思い出しただけで頭が」
「そ、そんなに!? 女子相手でも容赦なー!」
こめかみを押さえる利奈を見て、三人が顔を青くする。
頭の上に手を置かれて、そのまま万力のように締め付けられたのだ。そのうえ親指と小指でこめかみをぐりぐりと圧迫されたものだから、威力は絶大だ。
大声で喚き散らして、もう絶対やりませんと誓いを立てて、やっと放してもらった時には、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。
そんな状態で事情聴取をさせられたのだからたまったものではないが、それを見せられた側も相当だろう。恭弥の食欲がなくなったのは、利奈の痴態が原因なのかもしれない。
それはそれとして、茄子のお浸しが信じらないほどにおいしい。
「いろいろとごめんね、迷惑かけちゃって。ずっと腕章探してくれてたんでしょ?」
「うん。でも、全然見つからなくて――力になれなくてごめん」
「っ、十代目が頭を下げることはありません! そもそも、そんな大事なものを簡単になくしたこいつが悪いんですから!」
「おっしゃる通りです……」
腕章をなくして、見つけられなくて、関係ない三人を巻き込んだ挙句、ごまかすために風紀委員に嘘までついたのは紛れもなく自分の所業だ。言い訳もできないし、穴があったら入りたいくらい申し訳なく思っている。
「気落ちすんなって。学校でなくしたんなら、きっとそのうち出てくると思うし。
ほら、探し物って探してない時に見つかるだろ? 大丈夫だって!」
しょんぼりと肩を落としていると、武が慰めてくれた。前向きな言葉にちょっとだけ元気づけられる。
「で、ヒバリの野郎はなんて? 腕章なくすような奴は、風紀委員には必要ないってか?」
「ううん。私もそう言われちゃうかなーっとか、思ったりしたんだけど――」
なくした経緯を伝え、いったいどんなキツい言葉がくるのだろうかと身構えていたけれど、恭弥は驚くほど淡白だった。
「新しい腕章は渡さないけど、そのまま活動していいって。
あと、なくした腕章はほかの風紀委員たちで見つけるから、探す時間あるなら委員活動に精を出せって――あ、それは大木さんだった」
あまりの寛大さにほかの人の顔色まで窺ってしまったが、不服を抱えていそうな人はいなかった。利奈が探し回ると目立つからおとなしくさせておこうという考えなのかもしれないが、それにしても優しすぎる。
こうなると、あとでなにを要求されるかわかったものではないけれど、少なくとも、今日一日分の寿命は延びた。
「だから、山本君たちももう探さなくて大丈夫。本当にありがとう」
「見つけられなかったのに礼言われるのもあれだよな。でも、無事にカタついてよかった」
「ほんとそれだよね。ヒバリさん、本当におっかないし」
綱吉は実感のこもった言い方をする。みんなからダメツナと呼ばれてしまうほどダメダメな彼だが、いったい恭弥になにをしたのだろうか。
(肩の荷は下りたけど、ほんと、いったいどこ行っちゃったんだろう)
腕章がなくても、委員会活動には支障がない。それどころか、目印となる腕章がないほうが利奈にとってはありがたいのだが、自由な時間は、そう長くは続かなかった。
彼らはなんと、わずか一時間足らずの間に、腕章を見つけ出してしまったのだ。
自主的に日誌を書いていた利奈は、頭に乗せられたそれを見て感嘆の声を上げた。
どこにあったのかと聞けば、外に落ちていたと大木が答えた。
それならいくら校内を探したって見つからないけれど、外で落ちていたわりに、腕章は汚れていなかった。昨日の雨の影響で、午前中は校庭もぬかるんでいたのに。
(昇降口入る前に落としてたってことだよね。腕章落とすタイミングなんてなかったんだけどなあ。
まっ、戻ってきたからいいけど)
いそいそと腕章をつけようとした利奈は、指先に感じた引っ掛かりに手を止めた。
よく見ると、腕章の縁部分の刺繍糸が、ほつれてしまっている。
さらによく見ていたならば、生地にも切り込みが残っていたし、匂いを嗅いでいたら不自然な香料の匂いがしたのだが――利奈は深く考えずに、腕章を嵌めた。
――そう、話は一時間前に遡る。
利奈にとってはまたもやトラウマの場所、体育館裏。
そこに集まっているのは、利奈が風紀委員に入る要因となった上級生たち。利奈が不在であることと、彼女たちの表情がくすぶっていることを除けば、先日の出来事を再現したような構図になっている。
「は? あいつ、風紀やってんの?」
偵察係である二年生の報告を受けた三年生女子が、一斉に眉を顰めた。しっかりとメイクを施しているおかげで底上げされた顔面偏差値が、中身の汚さに比例して下がっていく。
「見た感じだと、普通に委員会活動していました。ほかの風紀委員とも普通に話してて、罰とかもなかったみたいです」
「なにそれむかつく! それじゃこれ盗んだ意味ないじゃん!」
そう言って、三年生が右手の腕章を掲げた。言うまでもなく、利奈の腕章である。
「腕章なくしたら絶対ボコにされると思ってたのに、マジありえないわ。
あいつ、ガチでひいきされてんじゃね?」
「でもさ、それ探してオロオロするあの子超ウケたじゃん。バレたらヤバいから、あんまりちゃんと見らんなかったけどさ」
「うんうん」
「そうだけど……あいつ全然堪えてないんでしょ。だったら意味ないし」
更衣室で腕章を盗むのは簡単だった。
クラスメイトから避けられているのか、一人離れたところで着替えていた利奈の衣服を特定するのは容易であり、盗んだ腕章は、三年生が自分のバッグに隠してしまえば、絶対に見つからない。
本当ならもっと早く復讐するつもりだった。
しかし、風紀委員に入った利奈に手を出すのはリスクが高く、どう貶めてやろうか考えている間に、一ヶ月が経ってしまった。
そして、せっかく間接的に利奈に危害を加える方法を思いついたのに、この結果である。腹が立たないわけがなかった。風紀委員に入って調子に乗っている二年生を、痛い目に遭わせなければ気が済まなかった。
――その二年生は二年生で十分に痛い目に遭っているのだが、学校外での出来事を彼女たちは知らない。
「どうする、これ。持ってたらヤバいでしょ」
「捨てちゃう? ゴミ箱入れちゃえばわかんないよ」
「……いいこと思いついた」
一人が筆箱から小さなハサミを取り出すと、全員が察した顔で笑みを浮かべた。笑っているはずなのに、その顔は先ほどよりもずっと醜悪であった。
「バラバラにしちゃってさ。あの子の机の上に置くのはどう?」
名案だとみんなして笑う。
「きっと必死こいて隠すと思うよ、ウケる」
「そこ写真撮っておこうよ。それバラまいたら、委員会にいられなくなるんじゃない?」
「天才! じゃ、切り刻んじゃおっか」
そうと決まればと腕章をハサミに挟む。手始めに、風紀の文字を真っ二つに――
「痛っ!」
風を切る音とともに、ハサミを持つ手に痛みが走った。
――その拍子に腕に力が入り、腕章の端がわずかに切れたが、それはだれにも気付かれなかった。もし彼に気付かれていたら、彼女たちの辿る末路は、もっとひどいものになっていただろう。
武器を投げた彼は、世界で一番、その腕章に価値を見出していたのだから。
「……やあ」
恭弥は微笑む。いっそ人を惹きつけられるほどに優美な笑みだが、だれひとり見惚れはしなかった。それでいて、顔をそらせないほどに、凄みを帯びていた。
「毎回同じところで群れるんだね。わかりやすくていいよ」
恭弥は、ブーメラン代わりに使ったトンファーをくるりと回した。
そして、草むらに落ちた腕章に視線を移すと表情を一変させる。
「それ、返してもらおうかな」
怒気のこもった声を合図に、どこからともなく風紀委員が現れる。
既視感のある光景に恐怖がフラッシュバックしている女子生徒たちの間を縫って、風紀委員の一人――近藤が、腕章を確保した。
「どうぞ」
差し出された腕章を見た恭弥が、目を細めた。無事に取り戻せた安堵からか、それとも、奪われたことへの怒りか。
「やっぱり、君たちが犯人だったね。――大木、これは相沢に渡しといて」
恭弥の言葉に頷いて、大木がその場をあとにする。
「さて」
唇を舌で舐め、恭弥は女子生徒たちをねめつけた。
恐怖で固まるさまは草食動物と同じだが、彼女たちは草食ではない。強さもないくせに、数の力で小動物を支配しようとする。そんな小手先だけの動物を狩るのはつまらないが、放置して数が増えるのも気に食わない。
「言わなくてもわかると思うけど」
「――あっ」
恭弥が手を上げると、風紀委員が一糸乱れぬ動きで女子生徒たちを囲みこんだ。
ここも前回と似ているが、違う点がまたもやふたつ。ここに恭弥が残っていることと、彼らの表情に、一切の容赦がないことだ。
「せっかく、見逃してあげたのに。風紀委員に手を出した罪は重いよ」
円が、縮まっていく。関節を鳴らす風紀委員たちにじわじわと追い詰められ、三年生たちが身を寄せ合う。しかし今回は、どうあがいても地獄が待っていた。
「い――いやあぁぁぁぁ!」
彼女たちの最後――いや、最期の悲鳴は、校庭にまで響き渡った。