「山本がやられたって本当か!?」
隼人の声が静寂を打つ。利奈が顔を上げると、息を切らせた隼人が了平に迫っているところだった。病院まで走ってきたようで、外ハネの髪がいつもより乱れている。
「ああ。今、そこで手術を受けている」
了平が見上げた先では、手術中と書かれたランプが無表情に光っていた。
それを見た隼人は束の間、息を飲んだが、すぐに視線を剥がして廊下を見渡した。この場には救急車に同乗した利奈と了平のほかに、至門生三人とランボが集まっている。
「いったいなにがあった! やったやつは捕まえたのか!?」
「いいや、俺と相沢は倒れている山本を見ただけだ。犯人はいなかった」
「お前らはなにか見てねえのか!」
紅葉とらうじの視線がそろう。その先でアーデルハイトがゆっくりと口を開いた。
「残念ながら、私たちもなにも。校門前に救急車が駐まっていたので、気になって様子を見ていたのです。そしたらそちらの雨の守護者が……」
「俺もアーデルハイトと同じで、サイレンの音で事件に気付いた。了平と手分けして校内を見回っていたからな。その場にはいなかった」
「おいらはランボさんと公園で遊んでたんだ。アーデルハイトから電話をもらって来ただけだから、役には立てないな」
利奈は直前に薫を見かけていたけれど、あの急ぎようでは救急車が来たころには学校から離れていただろう。アーデルハイトは仲間全員に連絡したと言っていたし、きっと血相を変えてこちらに向かっているに違いない。
「獄寺、お前は沢田の居場所を知らないか? ほかの守護者には連絡が取れたのだが、沢田は家にまだ帰っていないらしい」
「……十代目は、九代目に呼ばれて顔を合わせられているはずだ」
「九代目というのは、現ボンゴレですか?」
アーデルハイトが話に割り入る。
「ああそうだよ。継承式は明日だからな」
「では、継承式の確認のために?」
「っ、そんなこと今はどうでもいいだろうが!」
感情を爆発させるように、隼人が拳を壁に叩きつけた。その壁の向こうでは、武が緊急手術を受けている。
焼き焦がすような眼差しを受けながらも、アーデルハイトは無表情にその殺意を受け止める。先に目を逸らしたのは、隼人だった。
「獄寺。沢田に連絡は取れるだろうか」
「……ああ」
「あっ、電話はあっちの待合室で――」
ふらりと隼人の身体がよろめく。隼人の瞳は不安と恐怖で揺れていて、利奈はそれ以上言葉を続けることができなかった。かわりに紅葉が口を開く。
「……大丈夫か、あいつは。そこの女子にも気付かなかったぞ」
その言葉で、全員の視線がベンチに座る利奈に注がれた。このなかでただ一人、病院の寝間着を着ている利奈へと。
――病院についてすぐ、利奈は病院スタッフによってシャワー室へと連れていかれた。感染症にかかる可能性があるから、血をすべて洗い流すようにと言われたのだ。
そこで備えつけられている鏡に目をやった利奈は、自分が人にどう見えていたのかを目の当たりにして仰天した。
制服や靴は自分でもひどいとわかっていたけれど、血のついた手で触ったせいで顔まで血塗れになっていた。おまけに頬にはべったりと血の手形まで張り付いていて、駆けつけた救急隊員にギョッとされた理由に合点がいった。どうりで、執拗に怪我の有無を聞かれたわけだ。
そんなわけで、明らかに一人だけ浮いた格好をしていたのにもかかわらず、隼人はまったく気がついてなかった。それほどまでに動揺していたのだろう。なんだかんだ文句をつけながらも武とはずっと一緒にいたのだから、動揺しないわけがないのだ。そう考えると、これから武の重傷を伝えられる綱吉がどうなるかなんて、考えるまでもなかった。
未来でだって仲間が傷つくのをいやがっていた彼だ。きっと、だれよりも深く傷ついてしまう。
「さきほどはすまなかったな、アーデルハイト。あいつもいきなりのことで混乱していて」
「いえ、こちらこそ配慮が足りませんでした」
了平が年長者らしく謝ると、意外にもアーデルハイトはあっさりと頭を下げ返した。もっと苛烈な人だと思っていたけれど、冷静沈着な人物だったらしい。
そしてほかにも意外というべきか、紅葉とらうじも一切取り乱していなかった。
何日か前、ボンゴレ反対勢力に綱吉が襲われるという事件があったらしい。そのうえ、ギークファミリーという殺人に特化したマフィアもその反対勢力に殺されていて、彼らはずっと綱吉の身辺を警護していたそうだ。
言われてみれば、大事な式典の前日だからとはいえ、三年生の了平までもが教室周りをうろついているのは妙だったのかもしれない。
(そうだ。継承式、明日だったんだ……)
しかし、武がこんな容態では式典どころではないだろう。
反対勢力は、警護の固い綱吉を諦め、部活終わりで油断していた武を狙ったに違いない。継承式に出席する守護者を狙ったのだ。
(継承式がなくなると、山本君をあんな目に遭わせた敵の思い通りになっちゃう。でも――)
自分のせいで友達が殺されかけた、いや、生死の縁を彷徨っている状態で、綱吉が継承式になんて参加できるわけがない。それを知っててやったのだとしたら、なんて卑劣な犯人だろう。
(……許せない)
姑息で残忍な手を使ってまでみんなを陥れようとする犯人に怒りが湧いてくる。
どうして武があんな目に遭わされなければならないのだろう。どうして綱吉が傷つかなければいけないのだろう。利奈は彼らの友人としての怒りが抑えられなかった。
そんな利奈を、アーデルハイトは無表情に見つめていた。
――
綱吉が病院に到着してすぐに、一同は待合室へと移動した。気が動転していた綱吉が、手術室の扉を開けてしまったからだ。
すぐになかにいた医師たちによって閉め出されたが、手術中の武を見てしまったのだろう。その場にへたりこんだ綱吉を隼人が支え、なかば引きずるようにして手術室から遠ざけた。
椅子に座ったきり微動だにしない綱吉にクロームが水を渡そうとしたが、綱吉は顔も上げずに首を振る。
九代目の宿泊していたホテルは町外にあったようで、綱吉が来るころにはクロームと薫も駆けつけていた。武の父にも了平が電話したけれど、営業していた寿司屋の店じまいに時間がかかるそうだ。夏祭りの夜に食べに行ったことがあるけれど、武と同じく、快活で明るいお父さんだった。
「……最初に山本を見つけたのは相沢だったな」
綱吉への説明を促す了平に、利奈は小さく頷いた。
「最終下校時間になるから、居残りしてる人がいないか見回りしてたの。一階の部室のドアがひとつだけ開いてて……なか見たら、人が倒れてて。――私、野球部の部室って知らなかったから、山本君だって気付かなくて!」
「それで巡回していた俺が相沢の悲鳴を聞きつけたのだ」
声を震わす利奈に待ったをかけるようにして、了平が説明を引き継ぐ。
「相沢は懸命に止血しようとしていたが、辺りはもう血の海だった。相沢が救急車を呼んでいるあいだに、俺と我流の晴の活性の炎で治療を試みたが……」
我流というのは、あのカンガルーの名前だろう。シモンファミリーは我流どころか炎の意味もわからないだろうが、空気を読んでか意味を尋ねたりはしなかった。
利奈とクロームは泣いていたし、隼人は怒りをあらわにしている。いつもならにぎやかなランボも、周りの空気に当てられて、らうじの肩に乗ったまま不安げな顔をしていた。数日前には、あんなにみんなで笑い合えていたのに。
「そういえば、水野は山本と一緒にいなかったのか? 同じ野球部だろう」
「あ――」
「ああ、いなかった」
先に帰る姿を見たと利奈が言う前に、薫が了平の問いに答えた。
「昨日は一緒にキャッチボールをしたが、今日は俺だけ先に帰った」
「そうか。なら山本は一人になったところを狙われて……」
「クソ! あのバカ油断しやがって!」
やるせなさを吐き出すように隼人が怒鳴る。綱吉に電話をかけてからはいつも通りに振る舞う隼人だったが、ふらつく姿を見てしまったせいで痛々しさが拭えない。
シモンファミリーはこんな状況でも平静を保ったままだ。武と仲がよかったはずの薫でさえ、態度が少しだけ寒々しいものの、表面上はいつもと変わりなかった。
これが、マフィアとして生きてこなかった綱吉たちと、マフィアとして生きてきた彼らの差なのかもしれない。
(一人になったところを狙われたってことは……犯人は水野君がいなくなってすぐに山本君を襲ったってことだよね)
薫は犯人を見ていない。そして薫の後ろ姿を目撃した利奈も犯人を見ていない。利奈が校舎B棟まで歩いて行く途中にB棟から出てきた人はいなかったし、そこまでのあいだに視界を遮るものはなかった。
つまり犯人は、薫が部室から出て、利奈がその後ろ姿を目撃するまでのわずかなあいだに武を襲い、逃げ去ったということになる。かなりの早業だ。
(部室の外には血がついてなかったってことは、凶器は持ち帰ってないってことかな。ううん、すぐに袋に入れれば血は下に落ちないし……。
……あれ? でも、ちょっと待って。水野君が帰ってから私があそこに行くまでって何分あった? 私が水野君を見かけたときにはもう部室にはいなかったってことは――、っ!?)
鋭い視線に射貫かれ、顔を跳ね上げる。正面に立つアーデルハイトが、まっすぐに利奈を見つめていた。
「……なにか、思い出したのですか?」
アーデルハイトは怯むことなく利奈に尋ねる。首筋にひやりとしたものを感じながらも、利奈は緩く首を振った。
「いえ……なにも」
「そうですか。……しかし、ボンゴレ十代目の守護者を倒すほどの強者となると、やはりギークファミリーを倒した犯人と同一であると考えるべきですね」
アーデルハイトの意見に、利奈は思考を切り替える。
見落としがなければ、武は一撃で屠られていた。不意を突いたにしろ、回避も反撃も許さなかったのならば相当の手練れだったのだろう。立ち去る速さから考えて、暗殺のプロである可能性が高い。
アーデルハイトの言葉に紅葉が同意し、了平と隼人が悪態をつく。
ギークファミリーとやらを倒した人物については手掛かりがないようで、そうなると武を襲った人物を特定することもできないのだが、そこに待ったをかける人物が現れた。
「犯人を見つけることは可能だぞ」
「リボーンさん!」
リボーンの登場でボンゴレ守護者たちが歓喜の声をあげる。綱吉の家庭教師を務めるリボーンは、彼らにとっても頼れる存在だ。依然顔を上げない綱吉に目を配りながらも、リボーンは希望を口にした。なんと、犯人の手掛かりを見つけたというのだ。
(部室に手掛かりが……?)
リボーンはここに来る前に、事件現場である野球部の部室を調査してきそうだ。部室は事前に恭弥に連絡して封鎖してもらっているが、まさか手掛かりが残っていたとは思わなかった。
「ただ、すぐに犯人がわかるようなもんじゃねえし、ボンゴレの機密に関わる内容でな。
わりーが、シモンと利奈は席を外してくれねーか?」
「え……」
名指しされ、声が漏れる。
利奈はボンゴレファミリーに所属していない。ボンゴレの機密について話すなら、除外されるのは当たり前だ。それでも、こうやって明確に線分けされたのは初めてで、戸惑いが顔に出てしまう。
「相沢はいてもいいのではないか? 山本を最初に見つけたのは相沢だ。もしかしたら、なにかひらめくかもしれん」
「いや、そういう類いの手掛かりじゃねーんだ。それに、下手に精通していると犯人に狙われる可能性が高まるからな。利奈は知らねー方がいい」
リボーンの言葉に少しだけ安堵する自分がいた。それと同時に、こんな状況で仲間はずれ扱いだとか、そんなどうでもいいことを気にしてしまう自分が情けなくなった。武は守護者というだけで襲撃されたというのに。
「くれぐれも気をつけて行動しろよ。お前たちが狙われる可能性もあるんだからな」
最後にかけられた言葉は、利奈ではなく、シモンファミリーに向けられたものだった。
そして綱吉は、待合室についてから一度も顔を上げず、そして最後の最後までなにも喋らなかった。魂が抜け落ちてしまったかのように。