シモンファミリーとともに待合室を出る。
自分だけが部外者なのもあってどうにも場違い感が拭えないが、とりあえず最後尾で縮こまっておいた。スリッパが間の抜けたような音を立てるので、足音も消す。
「結局、これからどうする」
紅葉が周囲を見渡した。手術を受けているのは武だけのようで、待合室付近にほかの患者関係者の姿はない。
「全員で残るのは得策ではないが、このまま帰るわけにもいかんだろう」
アーデルハイトに話が振られる。彼女はしばし沈黙したのち、ゆっくりと首を振った。
「いえ、一度戻りましょう。ここにいないみんなとも今後の相談をしなければならないし、食事も済ませないと。なにかあったらボンゴレ守護者から連絡が来るでしょうし」
そういえば、SHITT・P!やジュリーはともかく、炎真がここにいないのは意外だった。武と仲のいい印象はないものの、ほかのシモンファミリーが半数以上来ているなか、炎真の姿がないことには違和感を覚える。
(……そういえば、学校も休んでたっけ。風邪でも引いてるのかな)
なにかと運が悪いイメージがあるけれど、まさか継承式直前に熱を出してしまったのだろうか。それとも、綱吉のようにシモンファミリーの重鎮と話をしているのだろうか。
ここにはいない炎真に思いを馳せていたら、先頭を歩くアーデルハイトが振り返った。
「貴方はこれからどうするんですか?」
「私も帰ります」
武の容態は気にかかるけれど、手術が終わるまで待つことはできない。
親には帰りが遅くなると先に伝えているけれど、これ以上遅くなるようなら事情をすべて話す必要があるだろう。しかし、学校側にも警察側にも今回の件を隠している状況で、本当のことを母に伝えるわけにはいかなかった。同級生が重傷を負った話などすれば、瞬く間に保護者全体に知れ渡ってしまう。
「では、我々が家まで送りましょう。リボーン氏の言っていたとおり、この状況での単独行動は危険です。貴方は第一発見者でもあるのですから」
アーデルハイトの言うとおり、この状況下で狙われる可能性がもっとも高いのは第一発見者の利奈だ。利奈本人は犯人を見ていないが、現場に入る利奈を犯人が目撃していた可能性は充分にある。不穏分子として排除されてもおかしくはない。
だからありがたい提案ではあったものの、利奈はぎこちなく首を横に振った。
「もう迎え呼んでるから大丈夫です。それに、この格好じゃ帰れないですし……」
たどたどしく応じながら、薄い病院着に手を当てる。
いくら暗くて人気が少ないといっても、こんな格好で外を出歩けるはずがなかった。家に帰った途端、質問攻めにあうのはわかりきっている。アーデルハイトも、それはそうですねと納得顔で頷いた。
「ところで、貴方はなにか気がつかなかったのですか?」
「え、なにがですか?」
「さきほどのリボーン氏の発言です。現場に手掛かりが残されていたとのことでしたが」
部屋を出たときから、その件について聞きたいと思っていたのだろう。四人の視線がそろって利奈を刺した。
「ぶしつけな質問だとはわかっています。ですが、明日の継承式を警護するにあたり、押さえておくべき情報だと思いまして。我々は現場を見ていないので、貴方の記憶が頼りなのです」
「……そう、ですよね」
ボンゴレの機密事項とリボーンは言っていたけれど、継承式が明日に迫っている今、犯人の情報はできる限り手に入れておきたいだろう。同盟ファミリーとして、彼女たちも犯人検挙には全力を尽くしたいと思っているに違いない。
「……すみません、山本君の応急処置でいっぱいいっぱいで。手掛かりとか、そういうのはなにも」
「ではなにか気になるものなどは? 現場付近になにか落ちていた、とか」
「……うーん」
倒れている武を見つけてからは気が動転していたし、見つける前のささいな記憶は武を見つけた瞬間にあらかた吹っ飛んだので、なにも思い出せそうない。
そもそもあのときは、あれをしでかした犯人にまで頭が回らなかった。今思えば、もっと辺りにも注意を払っておくべきだったろう。犯人が引き返してくる可能性もあったのだから。
手術室の廊下を通り過ぎようとしたアーデルハイトが立ち止まった。手術室前に人の姿があったからだ。追いついた利奈もその後ろ姿を捉え、小さく声を漏らす。
そこにいたのは、武の父親だった。急いで店を閉めてきたのだろう。仕事着のままで、頭には布を巻いている。こちらが近づくまでもなく武の父は振り返り――利奈たちは身を固めた。
「おお、武の友達かい? 悪いね、こんな時間まで」
にへりと笑う武の父に、利奈は深く頭を下げた。そしてひっそりと冷や汗を流す。
(今、ちょっとだけ怖かった……)
一瞬、刃のような殺気が身体を刺した。至門生たちもそれを感じ取ったようで、距離を詰めようとしない。ここは武の友人である自分が取り持つべきだろうと、利奈は両者のあいだに立った。
「こんばんは。えっと、こちらは並中に編入した至門中学校のみなさんです。山本君とは……あー……」
関係性をどう説明したものかと言い淀むと、一歩前に出たアーデルハイトが礼儀正しく頭を下げた。説明がなくても、彼が武の父であるとわかったのだろう。
「初めまして。鈴木アーデルハイトと申します。私たちは山本君の学友でして、手術を受けていると聞いてこちらに。大人数で押しかけてしまって申し訳ございません」
如才なく自己紹介を済ませるアーデルハイト。後ろで三人も頭を下げた。
「いやいや、うちの倅のためにわざわざ来てくれて嬉しいよ。で、お嬢ちゃんは……」
「あっ! ごめんなさい、クラスメイトです」
肝心の自分の紹介を忘れていた。
利奈からすれば武の父親であり行ったことのある寿司屋の店主だが、彼からすれば見ず知らずの子供だろう。制服を着ていないから、アーデルハイトたちと同じく、至門生と思われているかもしれない。
「山本君とは友達で。沢田君や獄寺君は今ちょっと待合室にいるんですけど、たぶんすぐに戻ってくるとおもいます」
「あ-、武のマブタチの!」
綱吉たちのことは知っていたようで、表情が明るくなる。
「そんな、なんか悪いねえ。うちの武のことだから、そんな心配しなくてもすぐケロッとした顔で出てくるよ! もう夜だし、親御さんも心配するから今日は帰んな」
明るく振る舞う武の父だが、それが空元気であることは一目瞭然だった。もうすでに病院スタッフから説明を受けたあとなのかもしれない。
「そうですね。ご迷惑になるかもしれませんし、一度ロビーに行きましょう。貴方も」
「はい。あの、それでは……」
「息子のためにありがとよ。あんたたちも、帰り道は気をつけるんだぞ」
その言葉はリボーンと重なった。
__
もう一度手掛かりについて心当たりがないか念押しされてから、利奈はシモンファミリーと別れた。別れたといってもシモンファミリーが帰っただけなので、一人きり、だれもいないロビーの長椅子に座りこんだ。蛍光灯の白い明かりが目に焼きついてしまいそうで、剥き出しの足の爪に目を落とす。
迎えが来るまでそこまで時間はかからないだろうし、ここなら不審者が現れてもすぐに人を呼べる。診療時間はとうに過ぎているので入り口は閉め切られており、冷えた静寂が利奈を包んだ。
(……ほんとに、夢みたい)
まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかった。どうして日常はこんなにも脆く儚いのだろう。どうして、日常はあっという間に壊されてしまうのだろう。にじむ視界のなかで青色のスリッパが揺れている。
(……私、なにもできなかった。笹川先輩が来てなかったら、山本君死んでたかもしれない)
時間が経つにつれて、犯人への怒りよりもやるせなさが大きくなっていく。仕方のないことだった。自分にできることは全部やった。暗示のように唱えてみても、なにもできなかったという無力感が肺を満たしていく。
だって、全力を尽くせていたのなら、こんなに悔しくなんてならないはずなのだ。かといって、ではなにができたのかと考えてみても、結局なにもできない自分が浮き彫りになって、自己嫌悪でいっぱいになっていく。
(私も笹川先輩みたいな力があったらよかったのに。私にもみんなと戦える力があればよかったのに。そしたら、こんなみじめにならなかったのに)
ボタボタと涙の雫が落ちていく。このまま溶けて消えてなくなってしまいたいなんて思っていたら、かすかな足音が耳に届いた。
迎えが来たと思って、あわてて涙を拭く。しかしそこにいたのは利奈の迎えではなかった。
「……古里君?」
声まで涙でにじんでいた。勢いよく鼻をすすってごまかそうとしたものの、それはそれで恥ずかしいということに気付き、手のひらで口元を覆う。炎真はその一連の動作には頓着せずに、遠くから小さく頭を下げた。そして、ゆっくりとロビーへと足を踏み入れる。
「こ、こんばんは。古里君も来てくれたんだ」
「うん。明日の準備があったから、ちょっと遅くなったけど。……手術はどう?」
「わかんない。まだ終わってないと思うし、私も今、迎え待ってるところだから」
「そうなんだ」
泣いているところを見られただろうか。下手に顔に触ると涙の跡に気付かれてしまいそうで、前髪をいじってごまかした。顔を見られるのが怖くて、炎真の顔がまともに見られない。 早く立ち去って欲しいという利奈の願いもむなしく、炎真は一人分間隔を空けて利奈のとなりに座った。
「……古里君?」
「なに?」
一人でいるから気遣ってくれたのだろうか。でも今は泣き顔を見られたくない気持ちの方が大きい。
「えっと……私はいいから、みんなのとこ行ったほうがいいよ。沢田君たち、手術室の前にいるからさ」
そもそも気遣われるべきなのは、一足先に帰る利奈ではなく、手術が終わるまで待ち続ける綱吉たちだろう。
今はひどく落ちこんでいる綱吉も、炎真が駆けつけてきてくれたと知れば励まされるに違いない。しかし炎真は、気のない声でああ、と応えた。
「彼らには会わないでおくよ。僕が行ったって邪魔になるだけだし」
「え……」
投げやりな言葉に面食らう。一瞬、自虐かと思ったけれど、それにしては言い方に妙に棘があった。
「古里く――」
「それより、相沢さんは大丈夫なの? 最初に見つけたって聞いたけど」
炎真の視線が目元から頬を追う。思わず頬に手を当てると、残っていた水滴が指についた。これでは強がったって無意味だろう。
「……あはは。ちょっと大丈夫じゃない、けど。ううん、そういうので泣いてたんじゃないの! ちょっと自分がいやになってただけ」
「……?」
「……ほら、私なにもできなかったからさ」
これ以上泣くわけにはいかなかったので、天井を見上げる。白い光が目に染みて、それはそれで涙が出そうだったけれど、なんとか続ける。
「私ね、今ならなんでもできると思ってたの。ヴァリ――あーっと、知り合いの施設でいろいろ教えてもらっててね? 護身術みたいのとか、応急処置とか、パルクールとか。それでいろんなことができるようになって、委員会活動とかもこれまで以上に活躍できるって思ってたの」
口ではマフィアの一員ではないただの一般人だと言っておきながら、傲慢な気持ちがあった。なにせ、未来であれだけの修羅場をくぐり抜けてきたのだ。戦争のない世界なんて、余裕で生きていけると思っていた。
「……でも、山本君があんなことになったとき、なにもできなくて。笹川先輩が来てくれなかったら、私、山本君を死なせてたかもしれない」
了平が来なかったら、きっとパニックになったまま救急車も呼べずにいただろう。もしそうなっていたら、武をその場で死なせていたかもしれないのだ。そう考えると、なんでもできるという思い上がりがただただ恥ずかしくなってくる。
力を得て傲慢になるなんて、とんだやられ役ではないか。
「それにね、私、思っちゃうの。私がもっと早く部室に行ってたら、山本君助けられたんじゃないかって。……まだなにかできたんじゃないかって思っちゃうの、なにもできないのに」
もしも過去に戻れたら、なんて考えたって意味はないけれど。それでも、武を一人きりにしなければ襲われずにすんだのではと考えずにはいられない。なにもできなかったから、なにかできたかもしれないという可能性を探してしまう。
利奈の自虐を、炎真は静かに聞いていた。そのうえで、ゆっくりと口を開く。
「……気を悪くさせたら謝るけど」
「うん」
「相沢さんがそこにいても、山本君は襲われていたと思う」
「……うん」
(わかっている。わかってるけど)
頭ではわかっている。武が帰るまで部室にいたところで、そのあともずっと一緒にいられたわけじゃない。武の襲われる場所が変わるだけだ。わかっていても考えてしまうのだ。
「もしかしたらって考えるのはわかるけど、考えたって過去は変わらないんだ。
だから僕は……相沢さんがそこにいなくてよかったと思ってるよ。そこにいたら、相沢さんも襲われてただろうから」
炎真の言葉には真実味があった。だから利奈は頷くしかなかった。
「ごめんね、変なこと言って」
「ううん。……僕も同じようなこと考えたことあるから」
「炎真君も?」
炎真は丸めていた背をさらに丸めた。前髪に隠れて横顔が見えない。
「僕のファミリー、弱いから昔からずっと迫害されててね。たくさんいやなことがあったんだ。思い出したくないことも、たくさん」
「そう、なんだ……」
ボンゴレファミリーが巨大マフィアだったから、てっきりシモンファミリーもそれくらい権力のあるマフィアなのだと思いこんでいた。上級生のイジメに無反応だったのは、暴行されることに慣れきってしまっていたからなのかもしれない。
「……過去はなかったことにはできないし、変えられないけど。でも、僕たちは過去を背負って生きるしかないんだよ。つらくても、悲しくても。だって、そうしなきゃ浮かばれなから」
炎真は自分に言い聞かせるようにそう言い切った。
炎真にも辛い思い出があるのだろう。それでも利奈を気遣って過去を明かしてくれた炎真に、利奈はありがとうと答えた。