ベルとマーモンがこちらに来たことで、ほかのヴァリアー幹部たちも利奈の存在に気付いたようだ。ぞろぞろとこちらにやってくる。体格がいいうえにいろんな意味で個性的な三人は目立つことこのうえなかったが、視線が集まるのは見た目のせいだけではないだろう。
(なんか、ディーノさんのときよりも注目されてる……)
ディーノに向けられていたのは羨望の眼差しだったけれど、彼らに向けられているのは畏怖の眼差しだ。わかりやすい違いをあげると、前者は前のめりで、後者は腰が引けた感じになっている。
「よう、お前も来ていたのか」
真っ先に声をかけてきたのはスクアーロだった。親しげな声音は未来での彼と変わりがなく、利奈はほっとしながら頭を下げた。
「こんにちは」
「髪、切っちゃったのね。でも似合ってるわ」
「ありがとうございます!」
ルッスーリアの声にも棘がない。
(よかった、初めましてに戻ってない)
未来での記憶はユニの力によってこの時代に受け継がれているが、この時代の彼らがどう受け止めるかは彼ら次第である。ただの夢、あるいは今の自分には関係ないものとして捨て置かれていたならば、こんなふうに話しかけられはしなかっただろう。
未来での出来事がなければ、スクアーロとは初対面で、一度会ったレヴィも幻術のせいで利奈を認識しておらず、ルッスーリアにいたっては、ベッドに貼り付けにされた彼を見張っていた敵側の人間という認識になっていたはずだ。つくづく、未来の記憶があってよかったと思う。
「なんだ、ずいぶんと打ち解けているみたいじゃないか」
仲間たちの様子に、マーモンが意外そうな声を出した。
利奈がヴァリアー邸にいたあいだ、マーモンだけは任務で屋敷内にいなかった。なので、利奈がヴァリアー邸に預けられてからの出来事をマーモンは知らない。
「あら、言ったじゃない。信じてなかったの?」
「聞いたけど、ここまで打ち解けているとは思ってなかったよ。スクアーロは言葉を濁してたし」
「え、濁したんですか?」
思わず仰ぎ見ると、スクアーロは気まずそうに顔を逸らした。その反応に利奈は少なからずショックを受ける。
(私がツナたちの友達だからいやになったのかな……。
スペルビさんのおかげで私、レヴィさんに暗殺術とか教わり始めたのに……)
――まさにそれがスクアーロの言葉を濁した理由なのだが、利奈は気付かない。
未来の自分が傷心の少女を慰めようとした結果、発言を大いに誤解され、挙げ句その少女が復讐者としての道を歩み出したなんて、直視したくもない負の記憶だろう。
先ほどから一言も言葉を発していないレヴィも、受け入れがたい記憶だったのか下を向いている。それでも未来での恩人に変わりはなく、利奈は控えめながらも声をかけた。
「レヴィさん、未来では大変お世話になりました」
「……ああ」
やはり返事が素っ気ない。仕方のないこととはいえ、一抹の寂しさを感じてしまう。すると、利奈の心情を察したのか、ルッスーリアがレヴィの肩を小突いた。
「ちょっとレヴィ、辛気くさい顔しないの。この子、誤解しちゃってるじゃない」
「え……?」
「気にしなくて大丈夫よ。この人、自分の贈ったプレゼントだけ身につけてないのにふて腐れてるだけだから」
そう言ってルッスーリアは自身の髪を指さした。それと同時にレヴィの視線が地面ではなく利奈の左腕――ルッスーリアたちから贈られた腕時計に向いていたことに気付き、合点がいく。
未来での出来事だが、レヴィからは餞別の品として仕込み針のついたかんざしを贈られている。今は髪を短くしてしまったけれど、未来ではずっと髪に挿していた。どうやらレヴィは、それを気にして口を開かずにいたらしい。
「いや、べつに気にしてなど……!」
「さっきからジロジロ見といていまさらなに言ってんのよ。まったく男らしくないったら!」
「だから腕時計など見ておらん! お前の勘違いだ!」
「じゃあこいつの身体舐め回すように見てたってことかよ。お前、見境ねえな」
「最低だね」
「ぬう!?」
流れるような罵倒でレヴィが窮地に追いこまれる。そんなわけがないのだから堂々と否定すればいいのに、レヴィは冷や汗をだらだら流している。目も激しく動いているし、第三者から見れば完全に黒だろう。
恩人を犯罪者にするわけにはいかないので、利奈は急いでスーツの内ポケットからかんざしを取り出した。
「ほら、ちゃんと持ってきてますよ! レヴィさん」
「ぬっ」
レヴィが露骨に嬉しそうな顔になった。言葉数が少ないけれど、反応はわかりやすい。
「武器は常に持ち歩けって言われてましたから。今はつけられないですけど、髪を伸ばしたらまたつけます」
「あ、ああ」
「なに鼻の下伸ばしてんだよ」
「なっ!? そ、そんなことはない!」
こういうときに執拗に絡むのはベルだが、今日はなにかが欠けているような気がする。なんというかあと一歩、とどめの一撃というか。致命傷のような毒舌が。
(あっ、そっか。フランがいないからだ)
なにか足りないと思ったら、ここにはフランがいないのだ。こういうときフランなら、レヴィが黙り込むような鋭い毒舌を差し込んでいただろう。それか、ほかの人にも被弾させていた。
(未来の世界で私よりちょっと上くらいだったってことは……今は小学生くらい?)
フランは骸の弟子だと言っていたが、この時代ではまだ骸はフランと出会っていない。つまり、ヴァリアーの面々とも面識がないわけだ。つまり、未来の出来事を受け取っても、それが本物であるか確認する術がない。ただの夢として片付けられてしまっているだろう。
「おい、利……いや、ミル」
人目を気にしてか、スクアーロもベルと同じあだ名を使った。
辺りに目を配らせている様子からただごとではないと察し、利奈はスクアーロのそばに身を寄せる。それに合わせて身をかがめたスクアーロだが、長い髪が垂れ、利奈の顔に当たった。
「悪い」
軽く謝りながら、スクアーロは流れた髪を耳にかける。
「お前、山本については知ってんのか?」
「……山本君、ですか?」
スクアーロの眼差しは鋭かった。
スクアーロはすでに綱吉たちと会っている。つまり、幻術で作られた武とすでに顔を合わせている。そのうえで利奈にこの質問を被せたということは、スクアーロは武が幻術であると見抜いているのだろう。スクアーロは未来で武に修行をつけていたし、そばには幻術を扱えるマーモンも控えている。クロームの幻術も容易に看破できただろう。
(……ツナはみんなと九代目にしか話してないって言ってたから、たぶんヴァリアーのみんなには話してないよね。だったら――)
「山本君がどうかしたんですか? 今日はまだ会ってないんですけど」
嘘は言っていない。綱吉たちが秘密にしていることを勝手に話すわけにはいかないから、ここは知らないふりをしてとぼけるしかないだろう。
まっすぐにスクアーロの瞳を見つめ返すと、スクアーロは曲げていた背筋を伸ばした。
「……いや、いい。ただ確認しただけだ」
スクアーロはそこで話題を打ち切る。演技だと気付かれたどうかは微妙なところだ。
話が終わったところで、周囲の人たちが動き始めているのが目に入った。式の時刻も近づいてきているし、会場へ向かうのだろう。
「そろそろ私たちも移動する? あんまり早いのもあれだけど、遅すぎても角が立つわよ」
「立たせとけ、そんなもん。どうせボス不在でとやかく言われんだあ」
「来ないんですか!? その……ボス」
「ボスが来られるわけがないだろう。こんなくだらない茶番に」
不満そうにレヴィが鼻を鳴らした。XANXUSを信奉している彼にとって、この式典はめでたいものではないだろう。不服を態度で表すレヴィは、XANXUSの不在をうっかり喜びかけた利奈には気付いていない。
(そっか、いないんだ。……よかったあ)
いつ現れるのかとひそかに戦々恐々としていたのだが、どうやら欠席だったらしい。
未来であの威圧感に気圧されて以来、XANXUSにはどうも苦手意識があった。XANXUS本人はおそらく、利奈の存在自体を覚えていないだろう。できればもう出会いたくない人物である。
ボンゴレに属する組織として継承式には参加しなければならないが、XANXUSに賛同の意思がないため、幹部のみを参加させたのだろう。スクアーロの言うとおり、もうすでに角は立っている。
「そういえば、貴方は行かないの? あの子たちはとっくに城に入ったみたいだけど」
「あ、私は式には出られないので。ここでご飯食べて待ってます」
「そうなの? じゃあちょっと……困ったことになるわね」
そう言ってルッスーリアが辺りを見渡す。
この時間になると残る人と残らない人は明確で、みんな次々にグラスを置いていた。ヴァリアーがどう動くのか、こちらを観察している人も多い。
「一応、顔は隠してるよ」
マーモンが呟いた。そういえば、式典に参加するというのに、マーモンだけはいつものコートを着てフードを被っている。ドレスコードに引っかかりそうだけど、式場に着いたら脱ぐのかもしれない。
「べつに気にしなくていんじゃね? こいつ図太いし、さっきだって一人だったろ」
「……え、私の話?」
ベルの言葉で自分を指差す。利奈はもちろん顔を隠してなどいない。隠されたのは名前くらいだ。
「でも、私たちが声かけちゃったから目立つでしょう。変なのにちょっかいかけられてもいやだし……そうだレヴィ、この子にかんざしつけてあげて」
「は?」
「はい?」
二人の声が重なって、利奈のイという音が高く響いた。
なにがどうなってそんな結論になったのか、二人して疑問の眼差しを向ける。
「にぶちんねえ。いいから、贈ったかんざしを挿しなさい。持ってるだけなのももったいないでしょう」
「でも、私、髪が……」
「なら胸に挿せば? 花の代わりになるだろ」
ベルは完全に面白がっているけれど、なにが面白いのかがわからない。
レヴィ以外の全員の視線がやれと言っていたので、利奈はかんざしをレヴィに差し出した。レヴィも、理解できていない顔で、おずおずとかんざしを受け取る。
「いったいなんなんだ……」
レヴィがぼやくが、利奈も同じ気持ちである。
心持ち胸を張って構えると、指を震わせながらレヴィがかんざしを挿した。身長差がありすぎてレヴィの胸板しか見えなかったけれど、指が離れた瞬間、安堵のため息が聞こえた。
みんなに見せると、ルッスーリアが満足げに頷いた。
「これで一安心ね。さ、行きましょ」
「え、なにが一安心なんですか?」
「変なのに声かけられても相手にしちゃダメだよ。君、すぐに人についていくから」
「こいつが面倒事に巻き込まれるかどうか賭けようぜ、マーモン。俺、巻き込まれるほう」
「ちょっと!」
縁起でもないことを言いながら去って行くベルに吠えるも、周りの目を気にして利奈は息をついた。ヴァリアーがいたことで空けられた空間は埋まらず、利奈を中心に円ができている。
(……私もヴァリアーの一員だって思われたかな)
新たな誤解に辟易とする利奈の胸ポケットで、かんざしのガラス細工がきらめいた。
ーーかんざしを異性に贈る行為が求愛を意味すること。そして、衆目環視のなかでそれを行なうのがこのうえない牽制になりえることを、当事者二人だけが理解していなかった。
なので、すさまじい勢いで自身の話題が場を席巻していることなど、利奈は知るよしもなかった。
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異変は内側から訪れた。
庭にいた利奈が城を仰ぐと、周りの人たちも同じように訝しみながら、城を見上げた。
「なんだ、この音は」
「ホイッスル?」
式典が行われているはずの城から、甲高い音が聞こえてくるのだ。
城のなかの音がここまで聞こえるのだから、なかではきっととんでもない大音量が響いているのだろう。防犯ブザーのような音だと、利奈は思った。
「警報か? 火災かなにかじゃないか」
「おいおい、冗談じゃねえぞ。なんだって式の最中に火災なんか――」
通り過ぎた人が声を荒げたところで、爆発音が轟いた。
高周波が聞こえたときには困惑しただけの群衆の空気が、瞬時に切り替わる。継承式で何事かが起こったのは明白であり、彼らをマフィアモードに戻すには充分であった。
ちなみに利奈は、最初の高周波の時点で城の入り口をくぐっていた。庭園で異常がなかったので、ずっと城のほうを警戒していたのだ。
火災が起きていたのか、城内には煙が充満している。すぐにでも現場へ向かおうとする利奈だったが、城内の警備員に行く手を阻まれた。
「止まれ! ここから先へは――」
「雲雀恭弥の部下です!」
警備員の言葉を遮る。耳をつんざく高音はいまだやんでおらず、近づくほどにひどくなっていた。怒鳴らなければ、目の前の相手にすら声が届かない。
ここで押し問答をしている暇はないので、利奈はとにかく権力に頼ることにした。
「十代目沢田綱吉の守護者、雲雀恭弥の部下です! 緊急事態なので通してください!」
「っ、あ!」
相手が意表を突かれた隙にとなりをすり抜ける。あとで咎められる可能性はあるけれど、今はそれどころではない。
会場となっていたホールは、すっかり無残な有様になっていた。
結婚式場を思わせる厳かな佇まいのホールだったろうに、今は煙と瓦礫、そして倒れ伏した人々で地獄絵図と化している。煙はただの煙幕だったようで、息苦しさは感じない。しかしあまりにも煙が充満していて、どこに恭弥たちがいるのか、まるでわからなかった。
(ひどい……。とにかく、入らなきゃ)
怪我をしている人がいる。倒れている人がいる。でも、戦っている人の姿はない。犯人はすでに逃げたあとなのか、それとも爆弾かなにかが設置されていたのか。音はすでに止まっているが、あの音はなんだったのか。
わからないまま歩く利奈だったが、ようやく綱吉を見つけた。しかし声をかける前に、男の声が響く。
「金庫が破られています!」
(金庫? 強盗?)
綱吉たちを狙った犯人と同一人物なのだろうか。疑念を抱きながら、金庫があると思われる部屋へと近づく。ホールの横に壁と同じ柄の、隠し扉のような分厚い扉があるのだ。
「危ない!」
部屋の前に立っていた男が、仲間によって地面に押し倒される。その頭上を鋭い凶器が通り過ぎ、大理石の床に突き刺さった。まだなかに犯人が残っていたのだ。
となると迂闊には近づけないはずだが、綱吉たちはなにかに引かれるようになかに入っていく。ならば部屋を覗くくらいと利奈もあとに続いたのだが、そこに不審者の姿はなかった。
代わりに。
「……なんで?」
みんながいた。並盛中学校に転入してきたばかりの、至門生たちが。ボンゴレファミリーに招待された、シモンファミリーの面々が。
炎真が、立っていた。