考えてみればわかることだったのかもしれない。
シモンファミリーが襲撃犯だったならば、並盛町で不審者の情報が出なかった理由にも、山本武を襲った犯人を利奈が認識できなかった理由にも、すべて説明がついてしまうのだ。
犯人はそこにいた。利奈が目撃できなかったのではなく、見ていたのに見逃しただけだった。薫が立ち去ってから利奈が現場に入るまでのあいだに犯行を遂げたのではなく、ほかの部員がいなくなって利奈が現れるまでのあいだに武を襲ったのだ。
そんな簡単なことに、利奈はまったく気付かなかった。それどころか、犯人を見かけたことをだれにも話さなかった。話していれば、だれかが勘づいてくれたかもしれないのに。立ち去っていく犯人を、のんきに見送ってしまった。
――その結果がこれだ。
綱吉たちと対峙するように立つシモンファミリー。その中心に立っているのは古里炎真。いつも下を向いていた瞳は今はまっすぐに綱吉に向いており、激しい怒りに揺らめいていた。
彼は語った。山本武を襲った理由を。継承式を狙った理由を。
語られたシモンファミリーの歴史は凄惨たるもので、利奈はそれをまるでテレビのニュースのような感覚で聞いていた。だって、あまりにも話の規模が大きすぎるのだ。
炎真の話が事実なら、ボンゴレファミリーはシモンファミリーを裏切ったばかりか、責任のすべてを押しつけ、シモンファミリーのマフィアとしての尊厳を地の底に叩き落としたことになる。ならばこの構図は、被害者の子孫が加害者の子孫を糾弾している図になるのだろう。つまり彼らは、出会う前から綱吉たちの敵だったのだ。
綱吉どころか、髭をたくわえた老人――おそらく九代目ボンゴレだろう――すらも、その歴史を知らなかったようで、最初は言葉を失っていた。
一番ショックを受けたのは綱吉だったろう。自身の祖先がそんな過ちを犯していたうえに、綱吉本人もそんな組織のボスを継がされるところだった。友達は深く傷つけられ、友達になれたと思っていた人には最初から敵にしか見られていなかった。
「どうだいツナ君。君の身体には、裏切り者のボンゴレの血が流れているんだ」
絶望したっておかしくない。すべてを投げ出したってだれも責めやしない。
でも綱吉は、今回に限って己の宿命から逃げだそうとはしなかった。
「……ボンゴレの血が流れているのは否定しない。過去に起きたことも今の俺では確かめられないし、絶対にないとも言い切れない」
綱吉の口調はいつもと違った。揺らがない声色は彼の信念を表すかのようにまっすぐだった。
「だがそれでも、ひとつだけ命をかけて言えることがある。――ボンゴレⅠ世は、そんなことをする男じゃない!」
「……!」
もはや議論は無用だった。シモンはすでに事を起こしているし、和解するつもりなど、はなからなかったに違いない。彼らは自分たちの正体を隠すために、ギークファミリーを殺めている。もう引き返せないところまで来ているのだ。
「シモンファミリーはここに宣言する。古里炎真が十代目のシモンボスを継承し、ボンゴレへの復讐を果たすことを誓う」
――ちぎれていく。繋がっていたはずのものが、目の前で引きちぎられていく。
「――この戦いは、シモンの誇りを取り戻すための戦いだ」
炎真の宣言をもって、戦いの火蓋が切られた。
【罪】と呼ばれる初代シモンの血が彼らのリングに力を与え、攻撃で飛んだ瓦礫が襲いかかってくる。利奈は避けようともしなかったが、だれかのリングが攻撃を防いだ。しかし、それすらもどうでもよかった。現実的なことがなにも考えられなかった。
かりそめの友情がちぎれ、炎真と綱吉が敵としていがみ合い、傷つけ合う。それが利奈にはとても――とても、苦しかった。
(どうして、こんなことになったの)
最初から綱吉たちを殺すつもりだったのなら、どうして転校なんてしてきたのだろう。シモンファミリーが受けた仕打ちをやり返すつもりだったとでもいうのだろうか。だとしたら、みんなの笑顔は、あのやりとりは、全部偽物だったのか。騙されたみんなは、絶望に浸る間もなく戦わなければならないのか。
「っ!?」
前に立っている二人の背中が消えたと思ったら、左右の壁が轟音を立てた。炎真の攻撃が二人を左右に弾き飛ばし、二人の身体を壁にめりこませたのだ。そして考える猶予も与えられないうちに今度は恭弥とクロームの身体が宙に浮き――
「ヒバリさん!」
二人の身体が天井に叩きつけられ、天井にクレーターを作った。だが、炎真の攻撃は止まらない。宙に浮かんだ四人の身体がまるで磁石のように引き寄せられ――利奈はとっさに目をつぶった。綱吉の叫び声と鈍い音が場を満たし、悲鳴が漏れかける。
(こんなのやだ!)
蹂躙だ。圧倒的な力の前に為す術もなく四人が倒れ、立ち上がろうとした四人が炎真の力で再び床に沈んだ。見えない攻撃が四人の身体を押し込んで、床に大きな円状のくぼみを作っていく。まるで、透明な球状の物体が押しつけられたようだった。
「ボンゴレリングが!」
九代目の守護者の声で、四人のリングが砕けたことを知った。
ボンゴレリングはボンゴレファミリーの象徴であるばかりか、匣を開ける大事な鍵である。それが砕けてしまったということは、多大なる戦力の喪失、つまり、最大の対抗手段が失われたことを意味する。
「やめろ!」
仲間の身を案じて綱吉が宙を飛んだ。一直線に向かう綱吉を炎真は避けず、迫りくる綱吉の腕を装甲のついた腕で受け止める。二人がぶつかり合った瞬間、目が眩むほどの光が辺りを焼く。光は綱吉と炎真、二人のリングから溢れ出していた。
「なぜだ炎真! なぜお前みたいなやつがこんなことを!」
「……君がそうさせたんじゃないか」
遠く離れた炎真の表情は、光のせいでほとんど窺い知れなくなっていた。それでも、綱吉の渾身の叫びも届かないほど、その声には失望がにじんでいる。
「僕は君を見てきた。君は僕の想像していたボンゴレ十代目とは違った。僕と似ているとすら思ったよ。だから今までのボンゴレとは違う、ツナ君とならきっとわかり合えるって思ったんだ。……それなのに君は!」
みんなを蹂躙した攻撃が綱吉を襲う。弾き飛ばされた綱吉が天井に叩きつけられ、衝撃でまた天井がめりこんだ。
(このままじゃ、全滅だ)
九代目ファミリーは武器を構えない。
彼らもわかっているのだ。未来の武器を手にした綱吉たちが敵わないのなら、ほかの人間がシモンに対峙できるわけがないと。
それでもディーノとヴァリアーがシモンを止めようと部屋に乗り込んできたが、すぐに床や天井から生えた鋭利なガラスに囲まれ、動くことすらできなくなった。後ろの壁に張り付いていた利奈は巻き込まれずにすんだが、戦う術がない以上、同じことである。
「帰ろう。このままじゃ簡単に殺してしまう。ボンゴレにはもっと、シモンの苦しみを味わわせないと」
あまりの力の差に興ざめしたように、炎真たちが身を引いた。そのなかで一人、ジュリーが気を失ったクロームへと歩を進める。
「クロームちゃんは連れてくよ。デートの約束してるからね」
そう言ってクロームを抱え上げるジュリーに、利奈はようやく行動の自由を取り戻した。
身動きが取れないディーノたちを迂回し、床のくぼみの前に立ってジュリーを睨みつける。
「クロームを放して!」
「やっほー、かわいこちゃん。今日も相変わらず怒ってんね」
この状況でもジュリーの軽薄な態度は変わらなかった。空気の読めない言動に、アーデルハイトが背後で眉間にしわを寄せている。
「悪いけど、もう帰んないといけないからさ。今度ゆっくりお茶しよ。……ああそれと、たぶんもう学校行くことないからよろしく!」
にこやかに笑ってジュリーが背を向ける。その拍子に、クロームのつけていたボンゴレリングが床に落ちた。
「待て! クローム!」
「ツナ君は自分の心配をしたほうがいいよ」
とどめとばかりに炎真の攻撃を浴び、綱吉が血を吐いた。今度は利奈の耳にもボンゴレリングの割れた音が届く。
これでボンゴレリングが五つも破壊されてしまった。いやそれよりも、このままではクロームが連れ去られてしまう。
「やめて! クロームを返して!」
城の壁が砕かれた。太陽が差しこみ、シモンファミリーが逆光で見えなくなる。
止めなければならない。でも、どうやって止めろというのだろう。
綱吉の言葉ですら届かないのなら、同級生なだけの利奈の言葉など届くはずもない。そもそも、利奈は彼らに騙されていたのだ。
(でも……!)
「炎真君!」
声を振り絞って炎真の名を呼んだ。
綱吉はもう呼び捨てにしていたけれど、利奈にとってはまだ炎真は級友だ。騙されていたとはいえ、交わした言葉すべてが偽物だったわけじゃない。
『僕のファミリー、弱いから昔からずっと迫害されてね。たくさんいやなことがあったんだ。思い出したくないこともたくさん』
思えば、炎真たちはずっとほかのファミリーを嫌悪していた。利奈を警戒していたアーデルハイトを炎真が宥めたのも、利奈がマフィアではなかったからだろう。過去を打ち明けてくれたのも、敵ではないと思ってくれたからかもしれない。
『過去はなかったことにはできないし、変えられないけど。でも、僕たちは過去を背負って生きるしかないんだよ。つらくても、悲しくても。だって、そうしなきゃ浮かばれないから』
――昨日の夜に炎真が言った言葉の意味が、今ならわかる。炎真たちは祖先の無念を晴らそうとしていたのだ。
彼らにとって、これは生きるための最後の抵抗だったのだろう。誇りを捨てるのはマフィアとして死ぬことと同義で、だから彼らは生き続けるために反旗を翻したのだろう。
今までに受けたシモンファミリーの屈辱を背負い、彼らは歩く。光の下へ。それがたとえ、地獄の業火だったとしても。
「待って! 行かないで!」
道の先に希望はない。それでも、絶望を振り払うようにして彼らは歩む。歩んでしまう。行ってしまったら、もう戻ってくることはできない。
「炎真君!」
炎真は言っていた。利奈が部室にいなくてよかったと。部室にいたら、武と一緒に襲われていただろうと。
端から見れば犯人の一味による当てこすりに思えるかもしれない。でも、あのとき隣に座った炎真の言葉は、彼の本心から出たものだと信じたかった。炎真は利奈の身を案じ、そして利奈の心情を慮った。そこに嘘や打算はなかったはずだ。
だから――
「行かな゛いで、炎真君!」
ありったけの想いをこめて叫んだ。声が反響して、零れた涙が床に落ちる。そこでようやく炎真が振り返った。
目と目は合わなかった。ばつが悪そうに伏せられた瞳はいつもと同じで、なのに決定的になにかが変わってしまっていた。
「……ごめんね」
それだけ言って、炎真は顔を逸らす。たまらず利奈は走り出した。
「君、待ちなさい!」
「利奈!」
後ろから聞こえる呼びかけの声を無視して、炎真の背中を追う。言葉が届かないのなら、行動で示すしかない。
そのときの利奈は間違いなく冷静さを欠いていた。だから、自らの意思に反して足が止まると、あっけなくその場に転んでしまった。
「痛っ。……え?」
かろうじて床に両手はついたものの、打った左膝が痛みを訴える。すぐに立ち上がろうとしたが、左足が言うことを聞かなかった。
(なに? なんで動かないの!?)
何度も見てきた炎真の攻撃が頭をよぎるが、彼がやったのなら全身が床にめりこんでいるはずだ。
動かない左足と何度か格闘して、やっと利奈は足が動かない理由に気がついた。左足首がなにかに固定されていたのだ。どうして動かないのかがわかればあとは簡単で、利奈は歯を食いしばりながら後ろを振り返った。
――気を失っていたはずだ。もし意識があったならば、たとえ全身の骨が折れていようが立ち上がっていただろう。
倒れ伏す恭弥は武器のトンファーを手放していた。それなのに右腕が、利奈の足をしっかりと掴んでいる。力の入らない体勢のまま足を引っ張るけれど、拘束はびくともしなかった。
「離して。離してヒバリさん」
腕は緩まない。もうシモンファミリーの足音は聞こえなくなっていた。
行き場のない感情が爆発して、利奈は嗚咽をあげて泣き始める。
「どうしてっ……!」
――どうして、行かせてくれないのか。
問いかけに返事はなく、部屋のなかに利奈のむせび泣く声が響き渡った。