九代目守護者がもたらした知らせは、これ以上ないほどの朗報だった。バージョンアップ成功もあって盛り上がる一同だったが、高まった熱にすぐさま冷水が浴びせられる。
「ヒバリ……テメエ、今なんつった?」
地を這うような隼人の低音に、利奈は額を指で押さえた。恭弥は注がれる視線などものともせずに、同じ言葉を繰り返す。
「君たちと行動するつもりはない」
(……あちゃー)
綱吉と了平はいつものあれかという顔をしているが、九代目ファミリーは恭弥とは面識がない。だから恭弥の発言をどう捉えたものかと、様子を窺っていた。
本来ならば、すぐさま会議に向かうべき場面だというのに。身内として申し訳なくなる。
「この期に及んでまだそれを言うのか……! お前も炎真を倒したいんじゃねえのかよ!」
「あの小動物を咬み殺すのは僕だよ。でも、それとこれとは話が別だ。羊の群れに加わるつもりはない」
「俺たちのどこが羊だってんだ! ……っておい、話は終わってねえぞ!」
興奮冷めやらぬ隼人に背を向けて、恭弥が窓を開ける。外開きの窓を押し返すほどの風量ではないものの、緩やかな風が髪とカーテンを揺らした。
開け放たれた窓から見える景色に隔たりはない。利奈から見えるのは庭園に植えられた木の天辺くらいだが、窓の縁に立つ恭弥にはここからの景色すべてが一望できているだろう。床と窓のあいだに隔たりはないが、窓の外にバルコニーはない。下を向けば、真下にある地面がそのまま見えるはずだ。窓の外に手すりの類いは一切ない。――そう、窓の外にはなにもないのである。
にもかかわらず一歩を踏み出した恭弥に、男性陣が息を呑んだ。恭弥の身体が重力で沈み、綱吉が甲高い悲鳴を上げる。
「わああああああ! 落ちたああああ!」
「ヒバリ!」
あわてた様子で了平が外を覗き込む。着地する恭弥を認めたようで、その肩がわずかに下がった。
「逃げられちまったな」
リボーンはなんてことのないような顔をしているが、九代目守護者は目を白黒させている。利奈としては肩身が狭い。
「こうなったらあいつはほっときましょう十代目。どうせそのうちフラッと現れますよ」
「うむ、そうだな。ヒバリならば問題あるまい」
「……あの、ちょっといいですか?」
控えめに手を上げると、利奈に視線が集まった。
「ヒバリさんの代わりに私が参加するのって、だめですか? あとでヒバリさんに伝えますので……」
最終決定権を持つのは現ボンゴレボスの九代目なので、こわごわと九代目の反応を窺う。九代目は鷹揚に頷いた。
「君が雲の守護者の代理を務めるというのなら、私は構わないよ。ガナッシュ、すぐに準備を」
「はっ!」
弛緩しかけていた空気が、九代目の一声で引き締まる。そこに先ほどまでの好々爺の面影はまるでなく、マフィアの首領としての一面が垣間見えた。
__
会議室に集められたのは、九代目一派と十代目一派、それからヴァリアーを代表してスクアーロに、同盟ファミリー筆頭のキャバッローネファミリーボス、ディーノの計十三名。雲の守護者代理を務める利奈は、十代目守護者のなかでは末席にあたる椅子についた。縦に六脚の椅子が並ぶ長テーブルには、大判の世界地図が一枚広げられている。
左には了平で、反対側にはディーノ。そして真向かいにスクアーロ。恵まれたことに、慣れ親しんだ人たちに囲まれた席である。
守護者でもない利奈の登場に、九代目守護者とスクアーロは怪訝な顔をしたが、ディーノだけはすぐに理由に思い至ったようで、苦笑を浮かべていた。進行役は九代目守護者のなかで一番の若手と思われるガナッシュだ。
「まずはシモンファミリーの主張の正否を確認すべく、ボンゴレイタリア本部に確認を取りました。ですが――」
ガナッシュからの連絡を受け、イタリア本部は資料室にあるありとあらゆる文献や蔵書、はては古文書まで調べ上げたそうだが、結果は空振りに終わったそうだ。
いや、この場合、空振りに終わったのが進展だった。なぜならば、ある時代以降のシモンファミリーの資料が、何者かの手によってすべて破棄されていたことが露見したからである。
(ボンゴレのだれかがシモンファミリーの情報を隠した。だから、アーデルハイトさんの言ってたことは正しかったって事だよね……)
彼らの主張に信憑性が出てきたことで、場の空気が重苦しくなってくる。
ボンゴレに所属していない利奈とディーノはともかく、ほかの人たちはボンゴレファミリーの一員だ。組織が昔行っていた隠蔽行為に、思うところがないはずがない。
「で、どうやって探し当てたんだ? シモンのアジトは」
ただ一人、リボーンだけが何事もないような顔で続きを促す。
シモンファミリーの潜伏先は、初代シモンが初代ボンゴレに宛てた手紙のなかに記されていた。ふたつのファミリーが結成される以前に出された手紙だったために、隠蔽者の目からうまく逃れられていたようだ。
地図のなかでガナッシュが指差した場所は、一切線が引かれていない無地の部分。つまり、海だった。近くに日本列島があることくらいは利奈でもわかったが、それ以外はなにひとつ読み解けない。
(太平洋に浮かぶ無人島。シモンの聖地)
綱吉によると、去り際にアーデルハイトは聖地という言葉を口にしていたらしい。となると、初代シモンが一族全員を集めたというその島に彼らはいるはずだ。
(……そこでみんなが戦うんだ。みんなも、シモンのみんなも、ボンゴレもヴァリアーも、ディーノさんも。殺し合いに……なるのかな)
色めきだす九代目ファミリーを前にして、利奈は一人俯いた。しかし、怖じ気づいてはいられない。
(切り替えなきゃ。山本君をあんなにしたのは水野君だし、クロームをさらったのは加藤ジュリー。九代目だって、守護者のコヨーテさんをやられてる。もう、どうしようもないんだ)
ここからはマフィア間の争いだ。私情なんて挟んでいられない。
炎真はボンゴレの殲滅と、全世界のマフィアの再組織化と支配を示唆していた。ここで止めなければ、事は世界大戦にまで発展してしまう。これはもはや戦争なのだ。そう言い聞かせることで、感情をまぶた裏の暗闇で押しつぶそうとした。だから――
「戦うのは僕だけにしてください。
山本もクロームも、守護者とかマフィア仲間じゃなくて、友達で……俺は友達を助けるために戦いたい。これは、戦争なんかじゃないんだ!」
綱吉のまっすぐな言葉がまぶしくて、伏せた瞳から涙が出そうになった。
(そうだ、ツナはこういう人だった)
綱吉は一度だってマフィアらしくあろうとしたことはなかった。いつでも綱吉は綱吉のまま、友達のために拳を振るう人だった。だからこそ、みんなも綱吉についていくのだろう。
「俺たちもお供させていただきますよ!」
「うむ、俺たちには極限に行く資格があるな。友人として!」
隼人と了平が綱吉に同調する。
代理人の利奈に発言権はないが、同意を示すために胸を張って前を向く。しかし、正面に座るスクアーロの表情は芳しくなかった。九代目守護者もそろって苦い顔をしている。ボンゴレの次期後継者が、敵地に単体で乗りこむと言い出したのだから、当然の反応だろう。
「甘っちょろいこと言ってんじゃねえぞ、沢田ぁ! こいつはマフィア間の大戦争だぁ!」「違う! 俺たちはシモンと戦争をするんじゃない! 友達を助けに行くんだ!」
その友達に炎真は含まれているのだろうか。いや、たとえ含んでいなかったとしても、綱吉は炎真を殺したりはしないだろう。綱吉はそういう人間だ。だからこそ、ここまでこれたのだ。
「この期に及んでまだそんな綺麗事を言うのか、テメエはぁ!
いいか、よく聞けぇ! いくらリングをボンゴレギアに生まれ変わらせたと言っても、テメエらはもう二人やられてんだぁ! それなのに自分たちだけで戦うなんざ、自殺行為だろうがぁ!」
相手は七人。こちらは戦闘不能状態の武だけを除いたとしても六人。拉致されたクロームや、まだ幼いランボを除けばさらに人数は減る。
利奈だって、彼らだけで戦うことの無謀さはわかっていた。なにも、自分たちだけで戦う必要などないのだ。ボンゴレの力を借りれば、戦いを優位に進められるだろう。
(でもそれは、ツナらしくない)
「静かにしたまえ!」
九代目の声が二人の口論を打ち消した。
継承式が中断されてしまった以上、ボンゴレの全指揮権はいまだ九代目の手に握られている。つまり、綱吉の意志がどうであろうと、九代目の決定には逆らえない。
不安を抱えながら九代目を仰ぐと、思いがけず九代目と目が合った。九代目はわずかに頷き、そして沙汰を下す。
「シモンファミリーの討伐は、ボンゴレⅩ世とその守護者に一任する」
「なっ!?」
「このクソジジィ!」
(クソジジイって言った!?)
どさくさ紛れの悪態にギョッとする。九代目の決定が衝撃的だったせいか、スクアーロの発言を咎めるものはいない。九代目守護者は驚愕しているし、綱吉も自分の懇願がまさか通るとは思っていなかったようで、同じように驚いている。隼人は嬉しそうに歯を見せ、了平は当然といった顔で頷いた。
「ただし、リボーンも同行すること。そしてリボーン、お前からシモンへの攻撃は一切禁ずる!」
「わかった」
妥協案としてリボーンがお目付役に任命され、会議が終わった。船の手配の話が始まるなか、となりのディーノに肩を叩かれる。
「利奈、今、外に恭弥がいた」
「え!?」
即座に振り返るが、窓の外に人影はない。
偶然通りかかったのか、あるいは聞き耳を立てていたのか。とにかく、アジトの場所を伝えなければ。
「ごめんなさい、ちょっと行ってきます。えっと、アジトの場所は――」
「緯度と経度を覚えてけ。それで済む」
「はい、ありがとうございます!」
まだふて腐れた顔をしているスクアーロに礼を言い、部屋を出る。
敷地内にはまだ黒服の男たちが多く残っていたけれど、恭弥はすぐに見つけることができた。わざわざ学ランに着替えていたからだ。
「ヒバリさん!」
背中に声をかけるが、恭弥は足を止めない。向かう先にあるのは、行きで乗ってきた車が駐まっている駐車場だ。
「シモンのアジトの場所、わかりました! 無人島だそうです!」
「聞いた。詳細は草壁に報告しといて」
「……あ、はい。わかりました」
思っていたよりも食いつきが少ない。微妙な違和感を抱きながらも、利奈は頷いた。
今日は草壁は同行していなかったが、恭弥の口振りからすると、もうあらかたの事情は説明しているのだろう。ボンゴレと同じように、船の手配を進めているのかもしれない。
(私はボンゴレ側の船に乗ったほうがいいのかな。そしたらなにかあったときにすぐに報告できるし)
利奈にできることといえば、せいぜいボンゴレと風紀委員の中継役くらいだろう。首脳会議にも代理人として参加が認められたし、綱吉たちも恭弥の動向は掴んでおきたいに違いない。
「私、沢田君たちと一緒に行ったほうがいいですか?」
車が見えてきたところで恭弥に問う。
病院で隼人の電話番号を聞いておいたから、並盛町に帰ってからでも連絡は取れる。あとは泊まりがけになることの家族への説明だけだ。
「必要ない」
「わかりました。じゃあ――」
「君は来なくていい」
恭弥の言葉で思考が止まった。思わず足も止まるが、恭弥はかまわず歩き続けるので、距離が開いていく。
運転席から降りた運転手が、後部座席のドアを開けている。
(え、ええ? なんで来なくていいって言われたの?)
普通に考えれば待機命令だろう。しかし、今の言い方は拒絶の色合いが強かった。この件から手を引けと言われた気がして、利奈はつんのめるようにして前に出た。
「どうしてですか? なんでそんな!」
車のドアに手をかけた恭弥が初めて顔を見せた。眉間にできたしわが、不機嫌さを物語っている。しかし怯んではいられない。
「私も行きます! 行かせてください!」
「二度言わせないで。役立たずはいらない」
「やっ――!?」
面と向かって放たれた暴言に、今度こそ利奈は絶句した。
(やく、役立たず!? そこまで言う!?)
確かに今回、恭弥の役に立った場面はない。犯人の正体には気付けなかったし、炎真たちを止めることもできなかった。恭弥に失望されても仕方がない。しかし、それを理由で置いて行かれるというのは納得がいかなかった。
恭弥が車に乗り込み、運転手が物言いたげに利奈を見る。しかし利奈は動かなかった。
「もうほっといていいよ」
淡々と運転手に指示を出す恭弥。運転手が失礼にならないようと利奈に一礼し、運転席へと戻っていく。恭弥が口を動かすと、サイドミラーが開いた。
「で、どうするの相沢。そこでずっと突っ立ってるつもり? それとも、小動物の群れに加わるかい? さっきも群れに交ざってたみたいだけど、君はいつから小動物になったのかな」
やけに饒舌なのは怒っているからだろう。利奈が会議に参加していたこともどうやら怒りの一因らしい。
「あれはヒバリさんが! ヒバリさんが出てったからじゃないですか! 言っときますけど、あのあとめちゃくちゃ空気悪くなったんですよ!」
「へえ」
「興味がない……!」
のれんに腕押しぬかに釘、聞く耳もたずの馬耳東風。ぐぬぬぬといきり立つ利奈とは対照的に、恭弥は冷ややかに釘を刺す。
「とにかく、そういうことだから。風紀委員を名乗るのなら、僕の命令に従ってもらうよ。
それがいやなら、腕章外して好きなようにやればいいさ」
「そんな……! ヒバリさんだって犯人見つけるために継承式参加したじゃないですか! 私が群れたっていうならヒバリさんだって――」
「出して」
エンジン音とともに窓が閉まる。
「ちょっ――」
叫ぶ暇すら与えられずに車が走り出した。木の葉を巻き上げて消えていく車を呆然と見送るしかない。
「ふ、普通、置いてく……?」
こんな山奥の辺鄙な城に、公共交通機関などあるわけがない。これで半強制的に綱吉たちに頼らざるを得なくなってしまった。
(だから風紀委員も辞めさせられるってことで……うん)
いろいろ言いたいことはあるが、言う相手がいないのではどうしようもない。もしかしたら今日は、なにひとつ思い通りにいかない日なのかもしれない。
――
「じゃあ、準備ができしだい俺の家に集合で!」
「了解っす!」
「では、あとでな」
並盛町に戻った綱吉は、商店街で仲間たちと別れた。
シモンの聖地に乗りこむ前に、それぞれ家に戻って着替えを用意することになったのだ。その他の宿泊道具は九代目が用意してくれる手はずになっている。
それに、一人暮らしをしている隼人はともかく、綱吉と了平は家族に外泊する旨を伝えなければならない。了平は修行と称して山に泊まりこむこともあるそうなので、外泊の許可は簡単に取れるそうだ。
綱吉も、こういうときばかりは寛容な母に感謝するべきだろう。今日だってスーツで家を出た綱吉を、母は一切見咎めなかった。
商店街から出ようとした綱吉は、ふと後ろ髪を引かれて背後に目を向ける。リボーンが顔を上げた。
「どうした?」
「いや、利奈は大丈夫かなって思って」
恭弥を追って出て行った利奈は、その恭弥に置いていかれたと憤慨しながら戻ってきた。
だから同じ車で並盛町まで帰ってきたものの、行きたいところがあるからと言って、利奈は駅前で車を降りた。バス乗り場に向かっていたから、さらにどこかに移動するつもりなのだろう。表情からして、今回の件と関係ある場所であることは間違いない。
「あいつはクロームと仲がよかったからな。もしかしたら、黒曜の奴らに聖地の場所を伝えに行ったのかもしれねえぞ」
「……それだけならいいんだけど」
「ん?」
「いや、だって利奈――」
戻ってきたときの利奈の表情を思い出し、身震いする。
置いてくなんてひどいよねとわざとらしく唇を尖らせていたけれど、あれは演技で――
「ほんとに、ものすごく怒ってたみたいだから。それこそ、ヒバリさんが本気で怒ったらああなるんじゃないかってくらい」
「……やべえな」
綱吉の言葉を受け、リボーンも振り返る。当然そこに利奈の姿はなく、二人は意味ありげに顔を見合わせた。