疑惑の思惑
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空は爽快で、海は雄大だった。
透き通るような空の青と、吸い込まれそうな海の青。どちらも同じ色なのに、ふたつはけして混ざり合うことなく一本の線を引き続けている。
景色が一切変わることがなくなってから、どれくらい時間が過ぎただろうか。
ほかの三人が外に見向きもしなくなったなか、利奈だけは飽きずに海を眺め続けていた。
海を見るのは初めてではないが、船に乗るのはこれが初めてである。それだけでも心が躍るというのに、初航海の船はボンゴレ御用達の大型船だった。
異国の大海原を三隻の大型船で突っ切るというのはじつに壮大で、目的が目的でなかったらはしゃぎ倒してしまっただろう。それこそ船室を出て甲板の先端に立ち、潮風を胸いっぱいに吸い込んで――
「そろそろ座ったらどうですか」
抑揚のない声が妄想を打ち切った。
小さな丸窓から手を離し、振り返る。けだるげな空気を纏う骸からわずかな苛立ちを感じ取り、利奈は開けた丸窓をそのままに窓から離れた。
丸いテーブルを四角く囲む四つの椅子。千種と犬が骸の隣を陣取っているので、利奈は骸の正面、つまり船首に背を向けた席に腰掛けた。
二人も骸と同様、いや、それ以上にこの状況に退屈しているようだった。千種は軽く目を閉じているだけだが、犬は椅子をゆらゆらと行儀悪く揺らしている。そんなに暇を持て余すのなら、トランプでも持ってくればよかったのにと思う。
「犬、落ち着きなよ」
行儀の悪い犬を窘める。
正式に骸と手を組むことになったので、犬と千種も今は仲間だ。二人は揃って微妙な顔をしたけれど、異を唱えはしなかった。未来での記憶がいいほうに作用していたのかもしれない。
「暇なんだからしょーがねえだろ。こんな部屋に何時間も閉じ込められてうんざりびょん」
「しかたないでしょ、となりにツナたちいるんだから。それにすごく豪華な部屋じゃない。ねえ、骸さん」
「そうですね。長々と滞在するにはいい部屋かもしれません。外を歩く見張りの姿もよく見えますし」
「……」
利奈が眺めていた窓からも、この部屋を窺うボンゴレ構成員の姿は目についていた。骸たちの前科を思えば当然の処置である。
いや、あちら側からはなんの命令もなく、一番いい船室まで用意してもらえているのだから、寛容すぎるくらいだろう。部屋を出ていないのも、あくまでこちらが自主的に行っていることだ。
(ツナの超直感が厄介だからって、あっちのみんなより一時間早く乗船したからなー。海に興味ないんなら退屈か)
――超直感というのは、綱吉が持っている潜在能力である。第六感の上位互換だとでも思えばいいと、骸は言っていた。
第六感とはすなわち勘のことだが、綱吉の超直感は幻覚すらも見破れるらしい。おまけに、過去に綱吉を窮地に追いやった骸は存在を察知されやすいそうで、だからこそ、念には念を入れた行動を取らざるを得なくなった。いわば、骸の自業自得だ。
「確かにその通りですが、人から言われると頭にきますね」
「いひゃひゃひゃひゃ! ちょ、八つ当たりしないでくらさい!」
向かいから伸びてきた手に頬を摘ままれ、利奈はバシバシと机を叩いた。
「クフフフ、よく伸びる頬ですね。千種見てください、美味しそうなお餅ですよ」
「はあ……」
千種はまるで興味がないという顔をする。
「暴力反対! 暴力反対! 仲間じゃないですか!」
「残念ながら、鉄拳制裁制度を採用してますので。仲間になったからにはこちらの流儀に従ってもらいます」
「風紀委員となにも変わらない……! って、なんで骸さんがリーダーなんですか! 契約は対等ですよ!」
「……覚えてましたか」
舌でも打ちそうな声音で呟き、ようやく骸が手を離す。利奈はすかさず立ち上ると、距離を取りつつ痛む頬を押さえた。
何度か窮地に追いやられたことはあったが、物理的に手を出されたのは初めてだ。正直、油断していた。
犬がニヤニヤするので、軽く椅子を蹴っておく。
「……船、止まった?」
くだらないじゃれ合いをしているあいだに、船の揺れが止まっていた。目的地に着いたのだろうか。
暇を持て余していた犬が一番に窓に飛びつき、顔を押し込まんばかりに身を乗り出す。
「んあ? なにもねーんらけど」
「ええ?」
利奈もとなりの窓に顔を近づけた。
小窓はやや高い位置にあり、利奈の身長ではつま先立ちになる必要がある。背伸びしながら島らしきものはないかと目をこらしたものの、島どころか、鳥や船さえも見当たらなかった。
「ほんとだ、なんもない」
「だろ?」
初代シモンが初代ボンゴレに宛てた私信を頼りに遠路はるばるここまで来たものの、手紙に書かれていたシモンの聖地とやらは、影も形もない。
窓を変えて綱吉たちが乗っている中央の船にも目を配ってみるが、異常事態が起こっている様子はなかった。つまり、ここが座標付近であることは間違いがない。
「読みが外れたと言うことですか?」
淡々とした声で千種。いつのまにか座っていた二人が立ち上がっている。
「いえ、たとえ見当外れだったとしても、島自体は存在していなければおかしい。つまりこれは――」
「ああ!」
犬が叫び、利奈は窓に張りついた。すると目の前の海が変わり始める。
「え、ええ?」
「なんら!?」
「これはこれは……」
まるで薄いガラスが貼られていたかのように、目の前の景色にヒビが入っていく。そしてその隙間から違う空間が広がり、徐々にガラスの向こう側の景色が姿を現していった。
「島ら! 島が出たびょん!」
さっきまでなにもなかった場所に、島が現れた。しかも島と船とは目と鼻の先で、こんなに近くに島が隠れていたことに驚く。
「これって幻術ですか!?」
「似たようなものですが、これほどの規模となると個人の力では無理がありますね。おそらく、なにか大がかりな装置を使っているのかと。……まだ幻術は使えないようですが」
船が再び動き出すが、すぐにとなりの船が大きな衝突音を上げた。綱吉たちが乗っている船である。
今度はさすがに船室を出て構成員に理由を尋ねたが、ここから先は浅瀬になっていて、この船の大きさでは近づけそうにないらしい。船には小型のボートも用意してあったので、綱吉たちはそれで島に上陸することになったそうだ。
「この島なら大型船で攻め入れませんし、小型船で近づく輩はすぐに迎撃できますからね。籠城戦にはうってつけだ」
「でもこれじゃ、私たち島に入れませんよ。近づいたらすぐに見つかっちゃう」
綱吉たちが乗った小型ボートが島へと進むのを見送りながら、途方に暮れる。
綱吉たちは無事に島へと辿り着けそうだが、ボンゴレ構成員が大挙しようものなら、すぐさま沈められてしまうだろう。
炎真の能力があれば、小型船など、あっというまに沈没船になってしまう。
綱吉たちが島へと上陸するのを見届け終えたところで、船室のドアが外側から開かれた。
「こちらへ。九代目がお呼びです」
「ええ、わかりました」
九代目は綱吉たちと同じく中央の船に乗っている。
となりどうしとはいえ、船と船の往来は容易ではない。綱吉が使ったのと同じボートに乗って、真ん中の船へと移った。
簡単な身体検査をこなし、衆人環視のなか、九代目の元へと案内される。九代目の部屋は利奈たちがあてがわれた部屋と同じ船室で、外から九代目とその守護者の姿が見えた。室内にいるのは二人だけだ。
「二人はここで待っていてください」
「わかりました」
「あ、じゃあ私も……」
「なにを言ってるんです」
二人にならって半歩下がろうとする利奈を骸が呼び止める。
「僕と貴方は対等の契約を結んでいるのでしょう? 代表者として話し合いに参加するべきです」
「は、はい」
やんわりと窘められ、利奈は骸のとなりに並んだ。骸を連れてきたところで利奈の役目は終わっているようなものだが、勝手に降りることは許されないのだろう。話し合いに混ざったところで、意味があるとはべつとして。
骸とともに入室する。
内装も家具も、先ほどまで使っていた部屋とまったく同じだ。それなのに、悠々と座る九代目と後ろに控える守護者の佇まいが、室内の雰囲気をより重厚なものに仕上げていた。利奈の脳内に、ある単語が頭をよぎる。
「座ってくれたまえ」
「失礼します」
頭を下げて椅子に腰を落とす。
スーツを着た大人二人に、中学生が二人。正面の二人の注意が骸へと向けられるなか、利奈はこの場面に似通った状況を、脳内でもう一度呟いた。
(なんか、面接試験みたい)
一回そう思ってしまったら、そうとしか思えなくなってしまう。
年嵩の九代目は校長先生で、長身の守護者は面接担当の教師。となれば、となりの骸は一緒にグループ面接を受けることになった同級生だろうか。
――マフィアのボスとその守護者、そして大量殺人犯相手に脳天気な幻想を描く利奈を尻目に、会合は始まった。
「まさか、貴方に直接お目にかかる機会があるとは思いませんでしたよ。ボンゴレⅨ世」
口火を切ったのは骸だった。感慨深げに呟かれた言葉には、利奈でもわかるくらいの皮肉が含まれていた。やはり骸にとっては、九代目は敵対するべき人間であるらしい。
対して九代目は、和やかな表情を崩さない。
「わしはいつか出会う日が来ると思っていたよ。君が綱吉君の守護者を引き受けてくれた日からね」
これは皮肉だろうか。利奈には判断が難しかったが、骸は当てつけと受け取ったのだろう。机の下で人差し指が動き始めた。
「……ああ、そういえば門外顧問とは先に顔を合わせていましたね。彼は今なにを?」
「家光か。あやつは今、CEDEFの潜入捜査で連絡が取れる状況におらんのじゃ」
「それは災難でしたね。彼がいれば調査も容易だったでしょうに」
(……門外顧問? チェデフ? 家光って、日本人の名前だよね?)
知らない言葉ばかりだけど、門外顧問という響きからは重要人物の匂いがした。ヴァリアーと同じく、マフィア界でしか知れ渡っていない名称なのだろう。
骸はさらに続ける。
「リング争奪戦での彼の働きは、なかなかのものだったと思いますよ。ああ、そういえば――」
その瞬間、利奈は猛烈にいやな予感がして骸を見た。しかし、遅かった。
「リング争奪戦といえば、身体の具合はもうよろしいのですか? だいぶ深手を負わされたと聞いていましたが」
――それが逆鱗であることは、火を見るよりも明らかだった。
立ち上る殺気にひっくり返りそうになる利奈の椅子を骸の腕が止め、前に踏み出そうとする守護者の身体を九代目が腕で制した。
両者の視線がぶつかり合い、永遠にも思われた沈黙ののちに。九代目がにこやかに微笑んだ。
「おかげさまで、すっかりよくなったよ。まさか君に身を案じてもらえるとはね。いや、ありがとう」
「……いえ、べつに」
一切他意のない感謝の言葉に、鼻白んだ様子で骸が話を切り上げる。
守護者の殺気も解け、骸の手が利奈の背中から外される。しかし利奈は非難の意味を込めて骸を睨みつけた。
(こ、怖かった……びっくりした……! やめてよね、いきなり!)
嫌味の応酬や爆弾の投下は、部外者がいないところでやってほしい。まさかあんな唐突に喧嘩を売り出すとは思っていなかったから、動悸が止まらなかった。
これならまだ、空気を読まずに妄想を口にしていた方がマシだったろう。
「さて、そろそろ本題に入るとしようかの。
察しはついていると思うが、我々はこれ以上あの島に近づけそうにない」
「でしょうね。のこのこ近づいたところで、いい的にしかならないでしょう」
よく普通に話し始められるものである。いや、マフィアにとっては、あの程度の応酬は嗜みのひとつなのだろうか。
利奈があまりにも萎縮してしまったせいか、九代目の後ろにいる守護者が外の守護者に合図を送って、チョコレートを数個用意してくれた。物欲しげな目配せを無視して、全部一気に口に放り込む。一粒一粒愛おしむように食べるべき味がするが、おかげで少し落ち着いた。
その合間にも話は進む。
綱吉たちには無線や発信器を持たせていたそうだが、彼らが島に着くのを待たずに、早々と信号は途絶えたそうだ。つまり、綱吉たちが島でどうなろうと、こちらでは察することができない。どうやら、島に妨害電波がかかっているようだ。
食料と宿泊道具は渡しているそうなので、そちらの心配はいらないだろうが、様子がわからないのは不安である。それでも闇雲に敵地に突っ込むわけにはいかないので、今は待機するしかない。
そろそろ話も終わるかと思われたそのころ、骸が言うべきものか悩んでいるようなといった態度で口を開いた。
「ひとつ、いいですか?クロームのことなんですが」
「うん、なんだい?」
「じつは……困ったことがありまして」
「……?」
骸にしては、ずいぶんと歯切れが悪い。膝上の指の動きが早くなり、かねてからの懸念事項であったことが窺えた。
「昨夜、クロームにかけていた幻術が解かれたのです。それもクロームの意識がない状態で、強制的に」
「っ、それは――」
九代目の視線が利奈に向いた。
骸の言葉を理解しているか確認されていることはわかったが、骸からなにも聞かされていなかったために、戸惑いしか返せない。ゆえに、九代目が続きを口にすることはなかった。
「ここに来るまではわかりませんでしたが、どうやら、あの島には幻術への妨害策が張り巡らされているようです。
ボートに乗ったときに幻術を飛ばしてみましたが、途中で見えない壁のようなものに阻まれました」
(いつのまにそんなことを……)
言われてみれば、やたらと島のほうを見ていたような気もする。あのときもなにも言っていなかったが、ひょっとして、犬や千種にもこの話はしていないのだろうか。もしそうならば、利奈が思っているよりもクロームは深刻な状況にあるのかもしれない。
「それで、その状態でクローム君は大丈夫なのかね?」
「それはなんとも言えません。ですが、ここにいる利奈によると、クロームを連れ去った加藤ジュリーは、以前からクロームの周囲をうろついていたようです。クロームの身体情報についても、あらかじめ調べ終えていた可能性が高い」
「ほう。じゃが、もしそうでなかった場合、クローム君の身体が心配じゃ。せめて、クローム君の安否くらいは確認できんかの。島自体が幻術で隠されていたのじゃから、少なくとも島の内部では幻術は使えるはずじゃ」
九代目の提案は一理あった。
島に入れずとも、幻術の阻まれた地点よりも内側に入れれば、骸の幻術もクロームに届くだろう。安否を確認するくらいの余裕はあるはずだ。しかし骸は首を横に振る。
「僕もその手は少し考えましたが、どうも危うい臭いがしまして」
「どういうことかね」
「……どうにも、クロームを拉致したことが気にかかるんです。ボンゴレへの復讐のほかに、なにか別の思惑があるような気が」
「思惑、ですか?」
ようやく声を発する間が与えられた。なにも言葉を挟めないまま話が終わりそうだったので、少しほっとする。
(あの人はデートの約束がどうとか言ってたけど……どう考えても人質だったよね)
でなければ、ほかのシモンファミリーがいい顔をしないだろう。クロームが人質に取られたからこそ、綱吉たちは血相を変えてここまでやってきたのだ。
「貴方の言う通りですが、クロームが攫われていなかった場合を想像してみてください。
継承式を妨害した宣戦布告をしてきたシモンを、ボンゴレが放置すると思いますか?」
「……そっか、落とし前! クロームを攫わなくても、沢田君たちはここまで来なきゃいけないんですね!」
不届き者にケジメをつけるのは、どこの世界でも同じだ。ましてや、マフィア界というものは面目に重きを置く世界だ。襲名の場を穢された十代目が代表して落とし前をつけるのは、道理である。
九代目も頷いた。
「わしが言うよりも先に綱吉君からシモン討伐の話が出たのは、クローム君と山本君の件があってのことじゃろう。しかしそれがなくても、綱吉君にはボンゴレ十代目を継ぐ者としてここに来てもらっていたはずじゃ。
なるほど。つまり、クローム君が君への人質であった可能性があると」
「骸さんの!?」
二人が至った結論に動揺が隠せない。
もしそれが真実だとしたら、利奈は彼らの思惑通りに、まんまと骸を連れてきてしまったことになる。
「いや、まだこれは推論にすぎんよ。そもそも、六道君を連れてくることを、わしは一切考えておらんかった。君が提案し交渉役を務めなければ、顔を合わせて話すのはずっと先になっておったじゃったろう。その点ではとても感謝しているよ」
「でも……」
「僕もそれは同意します。いくら前もって準備をしていたとしても、貴方の無理無茶無体まで計算に組み込むことは不可能でしょう」
「……なんか、馬鹿にしてません?」
九代目の慰めの言葉に乗っかる形で罵倒する骸に利奈は眉根を寄せた。
そもそも、クロームの件で違う可能性を示唆し始めたのは骸だったはずだ。
「だから、あくまでも推測の域ですよ。
話を戻しますが、幻術への妨害がなされたままであるのなら、内部でクロームへの幻術を補っている可能性が高い。……腹立たしいですが」
ようするに、今は様子見するしかないという最初の結論に、回りまわって戻ってきたということである。
なんだかドッと疲れてしまったけれど、九代目との初の会合は、そんなふんわりとした結論で終わりを告げた。
継承式の翌日のことである。