昨日の敵は今日の友という言葉がある。
利奈にとってそれは骸だったりベルだったりするのだが、そこに白蘭を加えるのは、どうしても無理があった。この先なにがあろうが、あの白蘭に全幅の信頼を置くことは不可能だろう。それほどの傷を、白蘭という男は刻みこんだ。
今回の治療の件もそうだ。双方にとって損のない取り引きだというスクアーロの説明を受けてもなお、不安は完全には消えなかった。
しかし利奈の懸念を尻目に、武の容態は順調に快方へと向かっていた。
クロッカンが病室を訪れたさいには、内臓の治療も終わっていて、治療器具も酸素チューブと点滴以外はすべて外されていたそうだ。残る問題は身体がちゃんと動かせるかどうかだが、そればかりは武が目覚めてからでないとなんともいえない。
「腹に穴空いた程度で錆びる腕なら、この俺が直々に切り落とす! そんなやわな剣士に育てた覚えはねえからなぁ!」
朝食の席で、スクアーロはそう豪語した。
非情とも取れる発言だが、ディーノによると、武に対する信頼の裏返しでもあるらしい。じつはスクアーロ自身も、リング争奪戦で鮫に襲われ、生死を彷徨ったばかりなのだ。しかしこの通り、完全復活を遂げている。
「待ってください、鮫って鮫ですか?」
「ああ。念のためにダイバーを手配していたんだが――」
「学校に鮫連れてきたんですか!?」
なんでもないことのようにディーノが話を進めようとするが、受け流すには情報量が多すぎる。学校で鮫が放てる場所というとプールしかないけれど、鮫とも戦わされたのだろうか。そもそもなにがあったら、マフィアの跡目争いに鮫を用意する発想が生まれるのか。
(あー、でも、獄寺君とベルの戦いも爆発する仕掛けがあったって、マーモンから聞いたっけ。ひどい仕掛けばっかり!)
最後の大空戦でも守護者に致死性の猛毒を仕込んでいたし、主催者による外部攻撃がひどすぎる。主催者はボンゴレに恨みでもあったのだろうか。
今さらながらリング争奪戦の理不尽さに思いを馳せていると、ディーノが弾かれたように利奈に顔を向けた。
「そういえば、大空戦のときあそこにいたよな!? なんでお前あそこにいたんだ!?」「あ゛」
濁った声が口をついた。
これは完全にやぶ蛇である。未来のことでうやむやになっていたであろう記憶を、今さらうっかり掘り起こしてしまった。フォークからミニトマトが転がり落ちる。
「言われてみりゃ、妙なガキが入りこんでやがったな。……そうか、あれはお前か」
スクアーロも乱入者の存在を思い出したようだ。利奈だったのならば納得だとでも言いたげな顔でパンをかじる。一方ディーノは、これまでに見たことのない厳しい顔で利奈を見据える。
「で、なんで学校にいたんだ? 危険だってわかってたよな」
説教モードの声に、利奈はぎこちなく目線を逸らす。コーヒーを飲んでいる骸に助けを求めたいが、骸はボンゴレ構成員に変装している。下手に疑いの目を向けさせるわけにもいかず、八方塞がりのまま、再びディーノと向き直った。
「その、ちょっと学校に忘れ物しちゃって……」
「学校はチェルベッロが見張っていたはずだ。どうやって校内に入った」
「ちょ、ちょっと前すぎて覚えてないです」
「利奈」
「ご歓談中、失礼」
折よく会話を中断させられる。しかし遮ったのは骸ではなく、通信機を手にしたクロッカンだった。どこからか連絡が入ったようだ。
(助かった……!)
難を逃れたと安堵する利奈だったが、そんな感情はたちまち吹っ飛ぶこととなる。
通信機から耳を離したクロッカンが放った一言。その一言で、全員が一斉に立ち上がった。
「やっと目覚めやがったか!」
「ロマーリオ!」
「すぐに車を出してくる」
「わ、私、荷物まとめてきます!」
武の意識が戻ったならば、もうここにいる必要はない。グラスに残ったジュースもそのままに、利奈は自室へと引き返した。
連絡を受けたクロッカンによると、朝の定時連絡の直後から覚醒の兆しはあったそうだ。
病院に向かう道中でも、脳や身体に異常はないことや、武本人が綱吉たちの元へと向かう意志を見せたことが報告された。状況についてはまだ説明されていないが、周囲の様子であらかた事情を察したのだろう。継承式が狙われていたことは知っていたのだから。
「今はとにかく時間が惜しいからな。説明はここでもできるだろ。利奈、いけるか?」
「大丈夫です」
武には伝えなければならないことがたくさんあった。彼が重傷を負ってから、本当にいろいろなことが起こったのだ。シモンファミリーのこと、初代ボンゴレのこと、それから――
「来たぞぉ」
駐車場で待っていたら、ボンゴレ構成員に付き添われた武が姿を見せた。利奈はすぐさま車を降りる。
いくらか痩せていたが、足取りはしっかりとしていた。数日前まで集中治療室に入れられた人にはとても見えない。
武がこちらに気付いて目を丸くする。その驚いた表情に――利奈の思考は熱を失った。
「スクアーロ! なんでこんなとこに」
「なんでもクソもあるかぁ! ぽっと出のファミリーなんかにやられやがって!」
「お、お待ちください!」
スクアーロが腕を振り上げようとするのを、武に付き添っていたボンゴレ構成員が押しとどめる。
「治療は終わりましたが、傷口はまだ塞がっていません! あくまで重傷者として扱ってください」
最先端医療を駆使したといえ、やはり数日での完治は不可能だったようだ。
晴の匣があれば自然治癒に頼らなくても傷を治せるが、この時代には了平の持つ物しか存在しない。そして、了平はここにはいない。傷口が開かないよう、安静にしている必要があった。
「そう言われておとなしくしているような人間がマフィアをやれるかぁ! だよなぁ、山本!」
「ハハッ、だな」
笑う武の顔に陰りは見えない。目に見えるところに怪我がないから、本当になにもなかったように思えてしまう。それでも、利奈が見たあの光景は、けして夢ではないのだ。
武の瞳が改めて利奈を捉える。
「相沢も来てくれたんだな。心配かけてごめんな」
利奈はなにも言えなかった。それどころか、唇を動かすことすらできなかった。凍りついたように硬直する利奈に、武が困惑する。
「相沢?」
「どうした、利奈」
「っ」
無防備だった背後からディーノに呼びかけられ、肩が跳ねる。それでやっと身体が動かせるようになり、利奈はぎこちなく微笑んだ。
「退院おめでとう、山本君」
「おう」
「時間がありません。みなさん、車に乗ってください」
骸扮する陸奥が乗車を促す。武は疑うことなく陸奥を受け入れ、指示通りに車に乗りこんだ。利奈もそれに従ったが、心のなかはひどく錆びついていた。
――気付いてしまったのだ。
あれほど待ち望んでいた武の回復が叶い、その武と対面した今になって。本当に叶えたい願いは、これではなかったと。元気になった武に会いたかったのではなく、退院を喜ぶみんなの姿が見たかったのだと。
(なんで私――私がここにいるんだろう。なんで私が最初に来ちゃったんだろう。山本君に一番会いたかったのは、私じゃないのに)
病院に集まったときのみんなの顔が頭に浮かぶ。仲間のために駆けつけた彼らは今、仲間のために遠い海の果てで戦っていた。
クロッカンが淡々と事のあらましを伝えている。
自身が倒れたせいで綱吉が継承式への参加を決めたことを、武は唇を引き結んだまま聞いていた。
(……至門のみんなに裏切られたって聞いたら、山本君、どう思うだろう)
心臓がいやな音を立てる。
至門中学校のみんなが――炎真が敵だと知ったあのとき。綱吉はひどく傷ついていた。混乱し、動揺し、仲間を害されて怒ったけれど、ずっと傷ついていた。
綱吉だけじゃない。みんな、心も体も傷つけられた。倒れ伏したみんなの背中は今でも忘れられない。忘れられるわけがなかった。
(私のせいだって知ったら……山本君、どんな顔するだろう)
たった一言だったのだ。水野薫が直前に部室を出るのを見たと、あのとき病院で伝えていれば。そうすれば、こんなことにはならなかったのだ。
手のひらが震えてくる。握りしめていても脈打つ心臓は痛く、呼吸が浅くなっていくのを感じた。いっそこのまま気を失えたら、どんなに楽だろう。心の動揺をそのまま表に出してしまえたら。
(……駄目。逃げちゃ駄目。戦うって、決めたんだから)
恭弥に拒絶された時点で、利奈が負うべきだった責務は終わっている。それでも反発してここまでやってきたのは自分の意思だ。今さらこんなはずじゃなかったなんて弱音を吐くくらいなら、家で泣き寝入りしていればよかったのだ。――そんなみじめな平穏を選ぶくらいなら、いくらだって傷つこう。
一度戦うと決めたのなら、最後まで自分の意志で立たなければならない。何者であったとしても。何者でもなかったとしても。
「山本。お前、やられたときのことは覚えてるのか?」
クロッカンの説明のあと、ディーノは武にそう尋ねた。硬い表情のまま、武は頷く。
「覚えてる。話聞いた感じだと、俺が薫の持ってるリングを見ちまったせいでああなったんだろうな。着替えてたら、薫がリングを落としてよ。それを俺が拾った」
大人たちが目配せを交わす。確かに、彼らも継承式でそんなことを言っていた。見られていなければ、手を出したりはしなかったとも。
(だから、なにか見なかったかってあんなに聞いたんだ。あとで私が変なこと口走らないように。……悔しい)
思い返してみても、アーデルハイトの態度に不自然な様子は一切なかった。あの言動で彼らに疑いを向けるのは不可能だったろう。彼らは狡猾で巧妙だった。ボンゴレに寄り添う態度を見せながら、そのじつ、その首を淡々と狙っていたのだ。
もしあのとき、薫の姿を見たと口にしていたら。そのときは、その情報が綱吉たちの耳に入る前に利奈も殺すつもりだったのだろう。そして、武を襲った犯人が目撃者を襲ったに違いないと、第三者目線で語るのだ。そうなったら、死んでも死にきれない。
車が高速道路に入った。景色がコンクリートの壁に遮られる。ロマーリオが運転するリムジンは、ほかの車を次々と追い抜きながら進んでいった。行きと同じ道ならば、あと三十分ほどで港に着くだろう。
「で、その薫ってやつはどんな野郎だ? 武器はなにを使ってた」
スクアーロが武との顔の距離を詰める。やはり、弟子を倒した相手の情報は気になるようだ。しかし武はうーんと唸る。
「あんま覚えてねーんだ。薫のリングから炎が出たと思ったら、腹をいきなり貫かれちまって」
「う゛お゛ぉ゛い! 油断してんじゃねえぞぉ!
貫かれたってことは刃物か? まさか剣じゃねえだろうなぁ?」
「剣……じゃなかったな。刃物でもなかった。尖ってたけど結構でかかったし。でも、血を払ってたときの動作は長物だったな」
「長物で尖ってるといったら、槍かレイピアか? だが至近距離じゃ――」
「そこまでにしとけ、二人とも」
武器考察に熱が入りそうになる二人にディーノが待てをかける。それと同時に肩を引き寄せられ、利奈の身体は難なくディーノの腕に収まった。
血の気の失せた利奈の顔を見て、二人がそろって口を噤む。
「あ、べつに、私のことは気にしなくても……」
「声に説得力がないぞ、無理すんな」
トントンと二回叩き、ディーノの腕が肩から離れた。話の邪魔をしたくなくて耐えていたけれど、息を殺していたのはお見通しだったらしい。
(やっちゃった。二人が真剣に話してたのに……)
あのときの話がでたら、当時の記憶を蘇らせずにいるのは無理があった。回復した武が目の前にいるとはいえ、いやむしろ、そばにいるからこそ生々しく細部まで思い出せてしまう。
「ほんと、本当に気にしなくて大丈夫です、時間もないし。スペルビさん、続けてください」
「いや、いい。ここでなに話そうが、結局はやるかやられるかだからなぁ。……そういや、こいつのボンゴレリングはどうなってんだ?」
露骨に話を逸らされた。しかしボンゴレリングの強化をしなければならないのは事実なので、おとなしく引き下がるしかない。
武のボンゴレリングは炎真の攻撃による破壊を免れていたが、ほかのリング同様、タルボによって岩の形に変えられている。死ぬ気の炎を最大量注ぎ込まなければならないし、失敗すれば二度と使えなくなるという制限があった。
「なあに、ツナたちも成功したんだ。お前もできるさ」
ディーノはそう言うが、武は病み上がりだ。ボンゴレギアの原石は九代目が所有しているため、バージョンアップは島に上陸する直前になるだろう。となると、武の体力が持つかどうかの心配も出てくる。
(でも、やるしかないんだ)
もうあとには引けない。時間もない。武を信じるしかないのだ。
汽笛の音が平穏の終わりを告げる。
「負けんじゃねえぞぉ、山本! 同じ相手に二度負けやがったら、タダじゃ置かねえからなぁ! 切り叩いてなめろうにしてやる!」
「ああ、わかってる。でも――」
一瞬、配慮するように利奈に視線を向けたが、それでも武は笑みを作った。
「あいつは今も、俺の友達だぜ」