『そういえば、よく山本君にボンゴレギア渡しましたね』
ぽろっと口から零れたというような、利奈の言葉を思い出した。
山本武にボンゴレギアの原石を預けたのは、そのほうが効率がよかったからだ。原石をギアに変えるのはたやすいが、島に行けない骸がギアを持っていたところで宝の持ち腐れである。それならば、クロームが救出された場合を想定して武器を渡すほうが、建設的だろう。
理由はそれだけだったが、訳知り顔が気にくわなかったので二の腕を抓ってやった。
鉄拳制裁には慣れていると豪語していたが、抓られるのには耐性はなく、ひたすら悶絶していた。笑える反応だ。
(情だの仲間だの、まったくくだらない)
単純な人間の思考回路は読みやすい。
大方、彼らに対して仲間意識が芽生えているのではなどと、くだらない想像を膨らませていたのだろう。利奈自身が両者に対して仲間意識を抱いているので、単純にそのままイコールで繋げようとしたに違いない。
「クッフフフフ」
「なにがおかしいんですか?」
「いえ。やり方が愚直すぎていっそ好感を持ってしまいそうだと思って」
利奈のことは憎からず思っている。でなければ対等な契約は結んでいないし、いろいろと便宜を図ったりもしなかっただろう。しかし、だからといって弱みになるかといえば答えは否だった。
「なるほどなるほど。自分自身と同義だと認識しているクロームたちでは効果がなかったから、若干劣る人間を用意した、と。――苦し紛れにしても、もう少しマシな悪あがきはできなかったのですかね。D・スペード」
骸の挑発に利奈――ではなく、D・スペードの生み出した幻覚が微笑んだ。
――山本武が島に向かってから、すでに一日経っている。
流れこんだ記憶から、初代シモンに届いた手紙がジョットの名を騙った偽物であったことや、ジョットが事態を把握したのはシモンファミリーが敵陣に孤立してからであることなどが明らかとなったが、重要なのは、だれがその筋書きを考えたかにある。
――D・スペード。ボンゴレ初代霧の守護者。彼こそが初代ボンゴレを裏切りシモンファミリーを壊滅させた張本人であり、そして現代のシモンファミリーを煽動してボンゴレファミリーを潰そうとしたこの舞台の黒幕である。
本来ならばこの時代に全盛期の姿で存在していること自体あり得ないのだが、身体に執着しなければ、方法はいくらでもある。それこそ骸のように、だれかに憑依して身体と精神を自分のものにしてしまえばいいのだ。
死を厭って身体を捨てるなど術者の風上にも置けないが、骸をおびき出すのにクロームの内臓を消して餌にするような外道だ。人としての誇りなどないのだろう。子孫に業を負わせてまで警戒した初代シモンの判断は、正解だったわけだ。
つい今し方、Dが幻術で作った味方――クローム、千種、犬、M.M、フランと戦わされ、躊躇うことなく錫杖で貫いたばかりだが、ひょっこりと登場した利奈に、苦笑いを浮かべずにはいられなかった。
確かに彼らに比べれば信頼度は劣るが、それで骸を倒そうなどと考えているのならば浅はかである。なので鼻で笑ったわけだが、利奈は余裕ありげに背を向けた。
「私だって、私じゃだめなことくらいわかってますよ。私の役割は狂言回しです」
「狂言回し?」
「はい。もしくは出題者、ですかね。じゃあ問題! 骸さんの弱点を突くために、どうしてわざわざ私が現れたのでしょーっか!」
くるりと回転し、茶目っ気たっぷりに頬に指をあてる利奈。大げさな身振りは、狂言回しという役割に沿った演技なのだろう。骸が答えずにいると、その人差し指を前に突き出した。
「ヒントいち! 切り札は私以外の人物です!」
骸に心当たりはない。中指が増える。
「ヒントに! 未来の骸さんが私を見殺しにしたことと関係があります!」
骸に心当たりはない。薬指が増える。
「ヒントさん! 骸さんが救えなかった人物です!」
骸に変化が起きた。小指が増える。
「ヒントよん! 黒曜ランドでその子の話をしましたけど、覚えてます?」
骸が一歩踏み込んだが、利奈はその場で回転し、錫杖の穂先を避けた。そしてとうとう五本の指が揃う。
「ヒントご! ――そろそろ向き合ったらどうですか? 見殺しにした亡霊と」
回転の勢いを活かし、弧を描いた利奈の手がゆるりと暗闇を指し示す。壁に敷き詰められたトランプがパラパラと剥がれ、その隙間から少女が現れた。
白い髪だ。白い肌だ。白い服だ。金色に輝く拳銃を手に歩く少女に、骸は目を奪われてしまった。壁一面のトランプが崩れ落ちていくなかで、利奈はセイの髪を指先で撫でる。
「若いときの後悔って、けっこう根深く心に残るんですよね。十年後でも忘れられないくらいですから。
わざわざ幻術でお人形を作って、魂を戻すために復讐者の牢獄からエストラーネオファミリーの科学者を連れ出して。人体錬成でもするつもりだったんですかね?」
問いに返す言葉はなかった。問いすら耳に入らなかった。骸の目に映るのは、純白の少女ただ一人だ。天井のトランプまですべてが崩れ落ちて景色が元の礼拝堂に戻り、幻術と現実の境界を曖昧にさせた。
(っ、呑まれるな)
しかし本能が白旗を上げている。
ただ一人、この世で殺せない人間が出てきてしまった。殺せるわけがない。殺させてしまったのだから。しかし、Dの目論見通りに事を進めるわけにもいかない。
錫杖を構え直す骸だったが、その構えを見た利奈が愉悦の笑みを浮かべる。骸の構えは相手を貫くためのものではなく、相手の攻撃を防ぐものだった。
「あ、そうだ。誤解がないように言っておきますけど、黒曜ランドで見たあの子は幻術で作ったやつじゃないですよ? 私も見たときびっくりしましたもん」
それは利奈としての台詞か、それともDとしての感想か。
「骸さん、私に幻術かけとくなんてひどくないですか? 加藤ジュリーが解いてくれなかったら、ずっとかかったままだったんですよ。どんな幻術かけてたんです?」
本物の利奈は理由を知っているので、これはDとしての質問だろう。骸に答える義理はない。
「まあいいですけど。それでこの子が見えるようになってたみたいですし。たぶん、骸さんと精神が繋がってたからこそ見えてたんでしょうね」
やたら饒舌に喋るのは時間稼ぎだろうか。
早鐘を打つ心臓を押さえつけ、食い入るようにセイの動向を見つめる。感情の欠落した顔のセイに、利奈の言葉は耳に入っていないようだ。関心のないものにはこんな調子だったと、思い出したくもない記憶が蘇る。
「最期になにか伝えたいことはありますか? せっかくの機会ですし、私のことは気にせずにどうぞ」
「……どうせ幻覚だ」
「それでも後悔は少ないほうがいいじゃないですか。死んでから嘆いても死人は戻りませんよ? 私はべつとして」
軽口が煩わしい。あとで本人に会ったらもう一回頬でも抓っておこう。
逆恨みのようにそう決定づけていると、出入り口のほうから慌ただしい足音が聞こえてきた。音の数からして、沢田綱吉とその一行だろう。ということは、十代目シモンのほうは片がついているらしい。
「やっときた。じゃ、そろそろ終わりにしよっか」
利奈がセイの肩を叩く。すると、初めてセイが顔を上げた。
彼女は幻術だ。それはわかっている。しかし、その瞳に映る自分の顔がどうなっているのか、想像することはできなかった。がらんどうの瞳に映るのは、はたしていつの自分なのか。
「Sei」
――聞き慣れた。もしくは、懐かしい声が耳朶に触れる。
ゼンマイ仕掛けの古びた人形のように、黄金色に輝く銃口が向けられる。あのとき訪れていたかもしれない展開が、何度も夢で見た光景が、悪意によって実現される。
引き金に掛けられた指が動くのを、骸は凍りついたように見つめることしかできなかった。
「arrivederci」
その声に、感情は乗っていただろうか。発砲音とともに胸から鮮血が噴き出した。
____
炎真の案内で地上にある礼拝堂へと走った綱吉は、そこで不可思議な光景を見た。
まず目に入ったのは、胸から血を流す骸だ。室内に入る直前に聞こえた音は、やはり銃の発砲音だったようだ。かろうじて立ってはいるが、身体が大きく前後に傾いでいる。
次に目が向いたのは、骸に銃を向ける子供だ。金色の銃を構える、真っ白な髪の少女。人を撃ったあとだというのに、人形のように無機質な顔をしていた。
そして――
「待ってたよ、みんな」
――いつものように快活に笑う、相沢利奈がいた。
「どういうこと!? なんでこんなとこに利奈が!?」
骸と子供だけだったら、そこまで驚かなかっただろう。
炎真を助ける前に骸がこの島に来た気配がしたし、クロームの身体に憑依しているのだとわかる。子供に関してはだれなのかまったくわからないけれど、それはそれとして受け入れることができる。
だがしかし、学友であり恭弥の仲間である相沢利奈がここに存在していることに、まったくもって理解が追いつかなかった。
「落ち着け、アレは幻覚だ」
武の肩に乗ったリボーンが、戸惑う一同に冷静に声をかける。それを受けて武が大きく息をはいた。
「びっくりした。マジで利奈がいるかと思ったのな」
「でも、なんでDがあいつの幻覚なんか作って……!」
隼人の疑問の言葉に、綱吉も遅れて疑問を抱く。
Dと骸が戦っていたのは明々白々だが、利奈と骸に接点なんてあるはずがなく、利奈の幻覚を作ったことの意図が読めない。
(ヒバリさんならひょっとして――ヒイッ!?)
唯一見当をつけられそうな人に顔を向けると、恭弥は至極不機嫌そうに利奈の幻覚を睨みつけていた。自分の部下が利用された――だけとは思えない迫力である。当人たちが冷戦状態にあることを知らない綱吉は、ただただその気迫に震えた。
(いやいや、今はそんなことより骸か!)
あの子供も幻覚なら、骸が受けた銃弾も幻術でできたものだろう。しかし幻術での戦いは、相手の攻撃を受けたと認識した時点でダメージとなる。リング争奪戦での骸とマーモンの戦いもそうだった。ならば、骸の負った傷が致命傷になってもおかしくはない。骸の首がガクンと前に垂れる。
「骸!」
「……」
反応はない。ダラリと下がった腕に握られているのはいつもの三叉槍ではなく、シャラシャラと飾りが揺れていた。
「あーあ、もうちょっと早く来れたら助けられたのにね。やっぱり出来損ないの世代じゃこんなもんかあ」
「ああ゛!?」
クスクスと笑う利奈にいち早く反応したのは隼人だった。いつものように詰め寄ろうとする隼人を、武が後ろから羽交い締めにした。
「落ち着けって! アレ利奈じゃねえんだから」
「そうだよ! Dなんだから警戒しないと!」
そう言いながらも、見た目が利奈なうえに武器も持っていないので、どうにも警戒しづらい。隼人も同じだろう。
「チッ、厄介な見た目しやがって!」
吐き捨てるように叫ぶ隼人に、利奈は大きく首を傾げた。無邪気にというよりは、悪意たっぷりに。
「あれ? まさか怖いの? 丸腰の女の子相手にびびってるの? あはは、ボンゴレの右腕ってそんななんだ。
……ま、そこの十代目もビビりだもんね。しかたないか」
「……果たす! てめえ、女だからって調子に乗ってんじゃ――」
「落ち着けっ」
「グァッ!」
押さえ切れなくなった武の肩から、リボーンが跳び蹴りを食らわせた。悲しいことに、身長差のせいで後頭部直撃のクリーンヒットである。
「挑発にのんな。幻術に絡め取られたら思うつぼだぞ」
「で、ですが……」
「それに、幻術のエキスパートが戦ってんだ。邪魔すんのも野暮ってやつだ」
「うん?」
今度は自然な仕草で疑問符を口に出す利奈。ゆっくりと首を動かしてから苦笑する。
「……なんだ、まだ意識あったんだ」
いつのまにか、骸は槍を構え直していた。その穂先は、銃を持つ子供ではなく丸腰の利奈へと向けられている。
「ふふ、私狙います? いいですよ。その子は殺せないですもんね」
「……」
骸の唇が動いたが、離れた綱吉たちに声は届かない。読唇術の使えるリボーンだけは、骸の唇が「殺せない?」と動いたのがわかった。
骸の肩が小刻みに揺れる。肩の揺れは次第に大きくなって、やがて堪えきれなくなったように骸が顔を上げた。その顔に浮かんでいるのは――喜色。
「……クッフフフ。クハハハハハハ!」
(骸が壊れた!?)
胸から血を流しながら高笑いする骸に綱吉は震えた。骸とは初対面の炎真も、怯えた顔をしている。しかし骸は綱吉たちなど眼中にないまま、利奈を鋭い目で睨みつけた。
「やはり……旧時代の人間は、作戦も古ければ脳みそも凝り固まってますね……。いいでしょう、教えてあげましょう」
骸の身体が動いた。距離を取ろうと後ずさる利奈だったが、骸の槍は前ではなく横へと繰り出された。すなわち――
「なっ!?」
「うわっ!」
無防備な少女の首に、槍の穂先が突き刺さる。
「馬鹿なっ! お前にその娘は殺せないはずでは!」
利奈の声でDが驚愕する。骸は少女の幻に目をやって一度だけ睫毛を伏せると、喉の奥で笑いながらDへと視線を戻した。
「それこそ愚かな思い違いです。いいですか、セイは――絶対に、僕を撃たないんですよ」
容赦なく骸が槍をねじる。抜かれた傷口から血が噴き出し、少女は声も出さずに崩れ落ちた。幻覚だとわかっていても、顔を逸らさずにはいられない。そして綱吉は、逸らした目線の先で飛び出す人影に目を見開いた。
(ヒバリさん!?)
Dの注意が完全に骸に向いたこのタイミングで、逃走の隙も与えずに恭弥が一撃を叩き込んだ。無防備な腹にトンファーがめりこみ、利奈の口からつばが噴き出す。
「ぐぁ……、がはっ!」
「君、いい加減目障り」
崩れ落ちて膝をつく利奈を、恭弥は不機嫌そうに見下ろす。
「ヒバリさん、容赦ねー!」
「仮にも仲間だろ……」
さきほど殴りかかろうとしていたはずの隼人でさえドン引きしている。さすが、冷酷無慈悲な並中風紀委員長である。
「ヌ……フフ……。さすが、アラウディを彷彿させるだけはある……」
利奈の身体がDのものへと変わっていく。もう決着はついているようで、骸も恭弥も動かない。
「これが……十代目ボンゴレファミリ-。ヌフ……ヌフフ」
「あっ! 幻術が解けて……」
「ジュリー!」
Dの身体すら変容し、持ち主であるジュリーの姿へと変わっていく。やっと元の姿に戻ったのだ。しかしDはまだ唇を動かす。
「ヌフフ……全力で戦うのが……楽しみだ……」
「クフフ、負け惜しみを」
「……感謝……するぞ、六道……骸」
ついにジュリーの身体が動かなくなった。
「ジュリー!」
「あっ、炎真!」
飛び出した炎真につられて綱吉もあとを追う。炎真がジュリーの身体を揺するが、反応はない。
「ジュリー! ジュリー!」
「なあ、これって……」
「心配はありませんよ」
骸がボンゴレギアを解き、ムクロウが姿を現す。Dが負けたからか、胸の傷も消えていた。
「僕が倒したのはDの精神ですから。その男は無傷のはずです。いささか疲労はあるかもしれませんが」
「そっか、よかった……」
(じゃあ、これで全部終わった……のかな)
炎真とは仲直りできたし、これでクロームも救出できた。すべての黒幕であるDも骸が倒したし、これで一件落着のはずだ。
じわじわと喜びを感じる綱吉だったが、事件はこれで終わりではなかった。
一同が仮初めの決着に団らんしていた、そのころ。
骸は――骸の身体は――船上にある骸の肉体は――本物の利奈の首に手を掛けていた。