新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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夢か幻か

 骸が目を覚ましたと思ったら、いきなり身体を拘束された。

 混乱したのは利奈だけではなく、そばに控えていた犬も千種も、意図が読めないと言わんばかりに目を丸くして硬直している。仲間であるはずの三人がこうなのだから、ボンゴレ構成員たちに状況が理解できるはずがない。向けられる懐疑の視線に、利奈は目を白黒させた。

 

(え、なんで? なんで私、後ろから首掴まれてんの?)

 

 首元の手に力は入っていないものの、後ろ手に固定された左腕は引き剥がせそうにない。これで相手がレヴィだったら、首を圧迫されて本日分の訓練が終わっていただろう。しかし今は暗殺の訓練を受けているわけではないし、骸にこんなことをされる覚えもない。ゆえに、利奈はただただ困惑していた。

 

「あ、あの、骸さん?」

 

 首が動かせないから、表情を窺うこともできない。身長差があるから、呼吸音も耳に入らなかった。固定された視界に映るのは、船の甲板と青空だ。

 

「あの、クローム、どうなりました? クロームの身体には入れたんですよね?」

 

 骸は今の今までクロームの精神に接触していたはずだ。

 島を覆っていたという蜃気楼が解け、島は本来の不気味な外観をあらわにし、骸を阻んでいた防御壁も解かれた。忌々しげに顔を歪めた骸が、言葉少なに自身の身体を守るようにと二人に告げ、眠ってから十数分。突如動き出した展開に戸惑っていたところに、これである。 戸惑いながらも問いかけると、かすかに骸の身体が震えだした。

 

(え、泣いてる? ……まさか、クロームになにか)

 

 最悪の事態を想定して血の気が引く利奈だったが、それが途方もない勘違いであることを、九代目霧の守護者クロッカンの叫びが告げた。

 

「九代目、後ろに! あいつは六道骸ではありません!」

「利奈! 逃げろ!」

 

 千種が珍しく声を荒げたそのとき、初めて骸が声を発した。

 

「ヌハハハハハハハハハッ!」

 

 それは、高らかな勝利の咆哮であった。

 尋常ではない骸の態度に、ボンゴレ構成員たちが一斉に銃を構え出す。するとマフィアを憎悪している犬が、歯を剥き出しにした。

 

「お前ら、骸様になにする気だ!」

「犬、あいつも言ってただろ、あれは骸様じゃない」

「っ、そんなわけ――」

「うん、身体は骸様だ。でも――中身が違う」

 

 千種は見透そうとするように目を細め、犬は信じられないという顔で目を丸くした。いまだに身動きすらできない利奈は、だれともつかない者の腕のなかにいるという事実に嫌悪感丸出しで叫ぶ。

 

「離して! 貴方、なんなの!」

「ん-?」

 

 初めて利奈を認識したかのような態度で、男は利奈を見下ろした。首元の手に顎を押し上げられ、オッドアイと視線がかち合う。赤い右目に描かれているのは、漢数字の六ではなく―

 

「……スペード?」

「おや、私がだれだかわかったのですか?」

 

 利奈は見た記号をそのまま口にしただけだが、奇しくもそれが正解だった。首元の手が離れたと思ったら、ダンスのように身体の向きを変えられて男と向かい合う。そして男は利奈の手を掴んだまま、優雅に一礼した。

 

「改めまして、ごきげんよう。D・スペードと申します」

「D・スペード!?」

 

 瞬間、九代目守護者が一斉にリングに炎を灯した。しかしすぐさま九代目がそれを制する。

 

「やめるんじゃ、お前たち」

「ですが九代目、やつは――」

「ああ。じゃが、肉体は六道骸だ。無体はできん」

「おやおや、そちらにいらっしゃるのは九代目ボンゴレですか。いやはや、なんともおあつらえ向きな」

 

 三百六十度包囲されているにも関わらず、Dを名乗る男はゆっくりと船上を見渡した。動作はのんびりとしているが、一切隙はない。ゼロ距離にいる利奈が暗殺を試みたところで、すぐさま返り討ちにあうだろう。もっとも、骸の身体に凶器を突き立てる非情さは持ち合わせていなかったけれど。

 

「なるほど、六道骸は九代目と手を組んでいたのですね。これはいささか予想外でした。彼はマフィアを憎んでいたはずですが」

「……本当に、Dか?」

 

 ガナッシュが訝しみながら男に問いかけた。その声色には、Dであるはずがないという疑いが多分に含まれている。

 

 ――D・スペード。Dと書いてデイモンと読む。ボンゴレファミリー、初代霧の守護者だ。

 彼は貴族だったが、当時の堕落しきった貴族社会に嫌気がさし、不正や腐敗を正すボンゴレファミリーへの加入を決めたらしい。そして霧の守護者とあって、幻術のエキスパートでもあった。彼の武器、魔レンズ越しに睨みつけられた者は、次の日には海に浮いていたという。まさに、底知れぬ霧のような男だ。

 ボンゴレファミリーの発展に最も尽力した男であり、それでいて、初代ボンゴレのジョットを裏切った男でもある。彼はボンゴレを最も強大なマフィアにするために、ありとあらゆる手段を使って邪魔になるものを排除した。その証拠に、ボンゴレⅡ世はジョットの意志を継ぐことなく、ボンゴレを泣く子も黙る凶悪なマフィアへと変えていった。さらにさらに、Dは二代目ボンゴレの霧の守護者も勤め上げた。

 そして現在のボンゴレファミリーは、穏健派の九代目が継承した今でさえ、最強マフィアとしてマフィア界に君臨している。

 

 なぜ利奈がD・スペードの経歴を事細かに知っているのかというと、前日に予習していたからにほかならない。

 昨日骸が見た、ふたつの記憶。そのどちらにもD・スペードの姿があったのだ。

 ひとつめは、ジョットの代わりにDがコザァートを助けに行こうとする場面。もうひとつは、助けに行くと見せかけて、Dが手下にシモンファミリーを全滅させようとする場面。――もっとも、その作戦はジョットに見抜かれており、Dを除いた初代守護者全員が手下に成り代わってシモンファミリーを救出したのだが。

 

 そしてここで、ガナッシュの問いに戻る。D・スペードが、ここに存在するわけがないのだ。

 それは九代目ボンゴレであるティモッテオが老人であることと、初代ボンゴレのジョットが綱吉のひいひいひいおじいさんであることからわかるだろう。この時代に生きているはずがないのである。

 

(タルボおじいさんも初代から仕えてるって噂あったけど……ものすごいおじいさんになるんじゃ)

 

 利奈は生前のDの姿を知らない。ゆえに、骸の身体に巣くう魂を、とんでもない年寄りだと誤認した。

 

「遠路はるばるようこそいらっしゃいました、九代目ボンゴレ諸君。その様子ですと、過去のあらかたについてはもうご存じのようですね」

「……D。いったいお前は、なにを企んでおる」

 

 ボンゴレと敵対していることは確かだ。でなければ、骸の身体を使って利奈を拘束したりはしないだろう。

 

「シモンファミリーの子供たちになにを吹きこんだ。……血の洪水事件も、お前が仕組んだことじゃろう」

「おや! そこまで察しがついていましたか」

 

(血の洪水事件……?)

 

 聞き慣れない単語に耳を留める。その事件についてはなにも聞かされていないが、名称からして、ろくでもない事件であることだけは伝わってきた。

 

「彼らと十代目を敵対させてなにをするつもりじゃ。まさか、自分の手で作り上げたボンゴレを、自分の手で破壊したくなったとか抜かすつもりじゃなかろうな」

「いえ、その通りですよ」

「え!?」

 

 さすがにDの顔を凝視してしまう。

 

「貴方を選んだダニエラもだいぶ耄碌していましたが、まさかあんな軟弱者を十代目に据えようとするとは。正気の沙汰とは思えない」

「じゃからボンゴレを壊すと? ずいぶん勝手な話じゃのう」

「あくまで現ボンゴレを潰すだけですよ。そして、新しいボンゴレを作り上げる」

 

 ついに守護者たちがリングを構えた。九代目が一言命令を下せば、人質の利奈ごとDを葬ろうとするだろう。しかしDはゆるりと肩をすくめた。

 

「あいにくと、貴方たちに構っている時間はありません」

 

 Dが左手を虚空にかざす。すると、禍々しいほどに黒い炎が、ぽっかりと空間に口を開けた。

 

「なんだ、あの色は!」

「大地の七属性か!?」

「ボス!」

 

 守護者たちが攻撃許可を求めるが、九代目は許可を出そうとはしなかった。骸と利奈の身体を慮ってのことではないだろう。死ぬ気の炎に慣れていない利奈でさえ、その炎圧の強さを感じ取っていた。つまり、この船に乗るだれもが、Dとの圧倒的な力の差を認識していたのだ。

 

「それでは滅び行く旧ボンゴレのみなさん、ごきげんよう。次に会うときには手土産を持ってきますよ。――沢田綱吉の首をね」

「なっ!」

 

 最後の一言が、利奈を傍観者から当事者へと引き戻した。それと同時にDが利奈から手を離し、黒い炎のなかに入っていく。利奈はよろけて一歩後ろに下がったが、すかさず反動をつけてDへと手を伸ばした。

 

 捕まえたとして意味があるのか、黒い炎にはどんな効果があるのか、そんなことを考える時間はなかった。Dがこれから綱吉の元へ行こうとしていることと、綱吉に危害を加えようとしていること。それだけわかっていれば、利奈が手を伸ばすには十分だった。

 

「待ちなさい!」

 

 利奈の手がDの背中に触れるより先に、Dの身体が炎に呑まれる。利奈は臆することなく炎に手を入れたが、その手は虚空を切った。炎のなかにあるはずのDの身体は消え失せていた

 目一杯腕を伸ばしたものだから、支えを得られなかった身体は大きくバランスを崩す。

 

(わわわ、転ぶ転ぶ!)

 

 顔から床に打ち付けそうになるのを、前転することでなんとか防ぐ。途端、利奈は身体を震わせた。

 

(さ、寒い……! なんで!?)

 

 炎に突っ込んだはずなのに、熱気ではなく寒気でどうにかなりそうだ。黒い炎は冷気を纏うのだろうか。

 

(そんなことよりDは――Dは……え? だれもいない? ……え?)

 

 ――どうやら、受け身を取り損ねて気絶してしまったようだ。そして今は夢のなか、そうに違いない。でなければ、現状に説明がつかない。

 

「……ここ、どこ?」

 

 思わず呟けば、息が白い煙になって広がった。

 日の当たる甲板にいたはずなのに、なぜか日の当たらない洞窟のような場所で膝をついていた。利奈がいるのは長い廊下で、左右にあるのは等間隔に並んだ檻。刑務所を連想させるが、檻のなかにいる人は、妙な機械に拘束されている。

 

(なんなの、なんで私こんなとこに……あの炎に飛び込んだから?)

 

 幻術、死ぬ気の炎、リング、匣。あれだけいろいろあったのだから、そのなかのひとつにワープする能力があってもなんら不思議ではない。気絶しているのでなければ、Dのワープに巻き込まれてしまったらしい。そしてDはすでに行動を起こしているようで、遠くから騒ぎの音が聞こえてくる。

 

(……ここはあの島じゃないよね? 気温違いすぎるし。ってことは、ツナたちと戦ってるわけじゃない。うん、きっとそう)

 

 とはいえ、ここでじっとしているわけにはいかない。Dがなにをしているのか確認する必要があるし、第一、寒すぎて動かないと凍えてしまいそうだ。利奈は歯の根を鳴らす。

 

 牢獄は薄暗く、陰湿で、陰鬱だった。囚人たちは全員目を閉じていて、意識がない。顔の下半分を覆っている酸素マスクのようなもので、麻酔を嗅がされているのだろうか。にもかかわらず、身体はガチガチに拘束されていた。手足と首には枷がつけられているし、身体には大きな鎖まで巻き付けられている。そしてそこまで厳重に警戒されるだけあって、みんな人相が悪い。

 

(もしかして、マフィアの刑務所? ってことは、海外? ううう、なんでこんな寒いの……)

 

 海風が強いからとジャケットを着ていてよかった。でなければ、寒さでうずくまるしかなかったかもしれない。

 背中を丸めながら歩くが、周囲への警戒は怠らなかった。檻をひとつひとつ確認していたおかげで、利奈はそれを見逃さずに済んだ。囚人のなかにただ一人いた、己の味方を。

 しかしそれに気付いてしまったせいで、利奈はDのことも忘れて檻へとしがみついた。冷えた鉄に肌が張り付きそうになるのも構わず、利奈はその人物の名前を呼ぶ。

 

「笹川先輩!」

 

 名も知らぬ囚人たちのなかに、京子の兄が混ざっていた。綱吉と行動を共にしていたはずの、笹川了平が。

 

(うそ、なんで。ここ、やっぱりあの島なの? なんで先輩が檻のなかにいるの!?)

 

 顔が半分隠れているとはいえ、彼が了平であることに疑いはない。利奈は檻を揺らしたが、鋼鉄の檻はびくともしなかった。了平を助け出すには鍵が必要だ。

 

「待ってて先輩、今鍵を――」

「おやおや」

 

 わざとらしい声に息が止まる。動揺していたせいで、とっくにやんでいた物音にも、高らかに鳴る靴音にもまったく気付けなかった。もっとも、気付けたところで逃げ場などなかったのだが。

 

「いけませんねえ、跡をついてきてしまうなんて。……たしか、そんな童話がありましたね。兎を追いかけて穴に落ちて、そして不思議の世界に迷い込む」

 

 すでにDは骸らしさを脱ぎ捨てていた。

 顔立ちは骸のままだが、もう声が違う。髪は足まで伸びているし、服装も昔の貴族のような恰好になっている。ボンゴレの紋章が入っているところを見ると、現役時代に来ていた戦闘服なのかもしれない。そして、甲板にいたときよりも、とんでもなく強くなっていた。

 ここにきてようやく戦闘力を察知できている自分を自覚したが、状況はそれどころではない。孤立無援の状態で敵と相対しなければならないのだ。咄嗟に了平のいる檻を身体で庇った利奈を、Dは笑った。

 

「ヌフフ、心配しなくても彼に危害は加えませんよ。私の狙いはあくまで十代目ボス候補です」

 

 発言の真偽は読めないが、殺気は感じない。それでも利奈は、寒さと恐怖に身を震わせながら異を唱えた。

 

「……つ、沢田君を殺したら、私たちも殺すんでしょう。だったら、同じじゃない」

「まさか。そんなことはしません。そもそもお前はボンゴレですらない。ねえ、風紀委員さん?」

 

 その言葉に、胸がじわりとざわついた。利奈のことを前から知っているような口振りである。

 

「さっきも言ったとおり、私は忙しいのでね。塵芥に構っている時間はないんですよ。……でもまあ、情けくらいはかけてあげましょう」

 

 距離を詰めるDに、利奈は目を見開くことしかできない。足が動かないのは寒さのせいか、恐怖のせいか。

 

「かわいそうに、そんなに震えて。すぐに暖かいところにつれていってあげますからね」

 

 Dの指が利奈の頬を撫でる。手袋越しだからか、指先はゾッとするほど冷たかった。

 

「不思議の国のアリスのラストを知っていますか?」

「あ、アリ、ス?」

「ええ。兎を追いかけたばかりに、不思議の国に迷い込んだ哀れなアリス。女王に首を刎ねられそうになったアリスは最後にこう叫ぶのです。『これは全部夢だ!』と。アリスが叫んだその瞬間、トランプ兵たちはトランプに戻り、そのトランプに埋もれたアリスは夢から覚める。こんなふうに」

 

 Dが指を鳴らすと、頭上に大量のトランプが舞い上がった。紙吹雪のように舞うトランプが利奈の視界を塞いでいく。

 

「や、なに、これ……!」

 

 幻術だとわかっているのに、トランプが当たる感触はリアルだ。顔を守ろうと腕を上げると、すかさずその腕をDに掴まれた。

 

「さあアリス、現実に戻りましょう。もっとも――」

 

 足下に小さな穴が出現した。それはみるみるうちに大きくなり、あの黒い炎だとわかったときには身体が飲み込まれていた。落ちていくさなか、Dの声が耳に届く。

 

「現実のほうが、悪夢かもしれませんがね」 

 

 ――かくして、真打ちが舞台上に姿をあらわした。端役の黒子を伴って。

 

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