炎真の拳はDを吹っ飛ばしたが、もちろんそれで決着というわけにはいかなかった。
薫の属性技で二人は回避を余儀なくされたし、鬼ごっこならばと、今度はアーデルハイトの属性技で人数差を大きく覆された。何百体という氷の彫像が同じ方角を向いている様は、悪い白昼夢のようだ。本当に夢に出かねない。
一体一体倒していたらキリがなかっただろうが、炎真が物言わぬ彼女たちを自身の能力で無力化し、さらには綱吉とのコンボ技でDにXカノンを叩き込む。その攻撃は惜しくも隼人のボンゴレギアに阻まれたものの、二人の連携能力の高さはもはや疑いようがない。まるで昔からずっとコンビを組んでいたみたいに、息がぴったりなのだ。
自身のギアを敵に利用されたことも相まって、隼人が異空間で歯がみする気配がした。
「よろしい、ならば本気を出しましょう」
負け惜しみのような台詞ではあるが、実際、Dは本気を出していなかった。なぜかDは大空と大地以外の属性をすべて使えるわけだが、これまでは小出しに能力を展開するだけだった。いわば、小手調べである。なので、本気を出すとなるとすべてを解放することになるのだが、それがどういうことかというと――
「え、ダサい……」
すべてのギアを展開するということは、すべての武器を同時に身につけるということにほかならない。つまり、つじつまの合わない、統一性のない、実用性のためにセンスを捨てた恰好になるのである。
手に錫杖、腰に二対の刀とトンファー、右側頭部に角、左肩にドリル、両肩からダイナマイト、腰にもダイナマイト、そして極めつけに背中から生えた八つの虫の足。ごちゃごちゃと装着しているせいで、実用性すら捨て去っている感が否めない。せめて虫の足を外せと言いたいところだが、外したところで焼け石に水なのは間違いなかった。
「利奈、それ以上油を注ぐのはやめなさい。あのうちの一体が来たら死ぬんですよ」
「だって……虫が六匹」
「利奈」
わかっている。次はさすがに命がないことくらいはわかっている。
でも、ほかのみんなみたいに、純粋に能力値だけを考えることは利奈には出来なかった。これでも多感な女子中学生なのだ。一言言わずにはいられなかった。
だって、あの恰好のままDが六人に増えたのだ。距離があって小さく見えているぶん、いっそう昆虫のようだった。黒ずくめだったら悲鳴を上げていた。
しかし、そんな姿に身をやつしただけあって、Dの戦闘力は格段に上昇していた。六対二という人数差もさることながら、使える手札の多さが厄介だ。ジャブと袈裟斬りを躱して炎真が反撃するも、グローブで防がれてそこを刀に斬りつけられる。綱吉が助けにいこうとしても、もう二人のDが綱吉の行く手を阻み分断する。
「っ、この!」
空中で逆立ちした綱吉が、二人のDの顔を同時に蹴り上げた。しかしそれは幻覚で、Dにダメージは与えられない。
「ああ、もう! イライラする!」
人の武器を奪ったうえ、人数を増やすなんて反則だ。綱吉たちも手をこまねいている。
「ねえツナ君、分裂したDたちは幻覚で出来てるんじゃないかな!?」
炎真が叫んだ。いくらなんでも、人が六人に分裂するのは無理がある。増えた五人は幻覚だと考えるのが妥当だ。しかし、それだと炎圧も六倍に増えていることの説明がつかない。綱吉の超直感でも、偽物は見つけられていなかった。
「あれは偽物のなかに本物が混ざっているのではなく、本物のなかに偽物を混ぜているのです」
上空で観察していた骸が口を開いた。
「なにが違うんですか?」
「そうですね……。六つの箱のうちのひとつに宝箱があるのではなく、宝箱が六つあって、開けようとすると中身が別の宝箱に移動するようなものですかね。相手の攻撃はどれも本物ですが、こちらが攻撃しようとすると偽物と入れ替わるのです」
「うええ!? そんなのズルじゃないですか」
「熟練の術士がよく使う手ですよ。経験を積んだ術士ならば見抜けますが、生憎と僕はこのとおり」
自虐するように骸が翼を振るう。その体では、たとえ見抜けたところで加勢はできないだろう。
「術士……」
骸の言葉を受け、クロームがぽつりと呟く。優秀な術士なら、ここにも一人いた。
「そうだよ! クロームなら――」
「だめですよ」
「ヒンッ」
余った二人のDが音もなく現れ、利奈は悲鳴ごと息を飲み込んだ。咄嗟にクロームの腕を掴む。
「貴方たちは観客だから生かされているのです。舞台に上がろうとするなら、容赦なく殺しますよ」
「おやおや。それだけの力を身につけておきながら、あまり余裕がないようですね。人の身体をこれでもかと使っておいて。 ……人の身体で!」
やはり骸の不満はそれらしい。利奈だったら、自分の体をこんなふうにされたらもう怒りすら湧かない。ただただ泣く。呪う。
「手出しするつもりはねーぞ。お前はツナたちがぶっ飛ばすからな」
やはりここでもリボーンは手を出さないつもりらしい。
恭弥や骸の態度からしてリボーンも相当に強いはずだが、今まで一度だって戦いに参加したことはない。家庭教師として、教え子に全幅の信頼を寄せているのだ。
その挑発ともとれるリボーンの態度に、Dはクスクスと笑う。綱吉たちに負けるはずがないと確信しているのだろう。今だって、圧倒的な戦力差に二人は手をこまねいている。二対一でアレなのだから、三対一になってしまったら――考えるまでもない。
「ちょっと待って! なんでそんなに強いボンゴレにこだわるの!? なんでそこまで!」
マフィアに常識は通じないとはいえ、いくらなんでも常軌を逸している。
自身が所属している頃ならばわかる。実際にDは、ボスのジョットを騙してまでボンゴレの弱体化を阻んだ。しかし今はもう、彼は表舞台の住人ではないのだ。にもかかわらず謀略を巡らせ、人の身体を乗っ取り、ボンゴレを一から作り替えようとしてまで、Dは最強のボンゴレに執着していた。そこには、個人の野望を超えた、もはや狂気じみた執念が感じられる。
「残念ですが、子供の時間稼ぎに付き合ってる暇はありません。そこでお友達が殺されるのを黙って見ていてください」
「D!」
二人のDが戦闘に加わる。二人でも手一杯だった綱吉は、背後に回った三人目のDに後ろから頭を殴りつけれた。どちらかが脱落すれば、その時点で勝負は終了だ。六対一では話にならない。炎真も三人のDに翻弄され、加勢どころではなかった。
「こうも物量に差があると厳しいですね。最強のボンゴレを作り直すと豪語するだけのことはある」
「最強……」
確かにDは強い。たとえボンゴレ守護者が全員で立ち向かったとしても、勝ち目は薄いだろう。
でも、それでも。Dにボンゴレを乗っ取らせるわけにはいかない。綱吉を弱者と切り捨てた男に、最強を名乗らせるわけにはいかない。
綱吉は切り捨てていい存在じゃない。綱吉がいなければ、綱吉でなければ、未来は白に染まっていた。炎真は救われなかった。もっとも戦いを嫌う綱吉がだれよりも前に立って拳を振るうから、みんな命懸けで綱吉に応えるのだ。
「ツナ君! 僕ごと全部のDを焼き払うんだ!」
炎真は自身に六人のDを吸い寄せながら叫んだ。
綱吉の攻撃をまともに受けたら、まず自身の命はないと知りながら。
「撃ってボス! 私が古里炎真を守るから!」
先ほど利奈を守ったときと同じように、クロームが炎真を庇う。
情を捨てられない綱吉の意を汲むように。
「まったく、困ったお転婆娘ですね」
骸がなけなしの炎を放ち、クロームのバリアを強化する。
これで骸はすべての力を使い果たした。
強さというのはきっと、こういうことを言うのだろう。Dの目指す強いボンゴレに、みんなはいない。いったいだれが、Dの作るファミリーを愛するのだろう。いったいだれが、そんなファミリーを守ろうと思うのだろう。
「綺麗事はたくさんだ! ボンゴレはなにより強くなくてはならない!」
力にこだわるDは、みんなの強さには気付かない。武装が解け、髪や服がボロボロになっても、異端である綱吉を認めようとはしない。
綱吉を殺そうとするDを、だれも止められなかった。
クロームと骸は力を使い果たして動くことも出来なかったし、リボーンは突如現れた長身の黒ずくめたちに行く手を阻まれた。炎真は這ってDの足にしがみついたが、一蹴りであしらわれた。――でも、そのわずかな隙が利奈を突き動かした。
「……それはなんの真似ですか?」
綱吉は全身の骨を砕かれた。Dに放ったXX BURNERで、気力も体力も底をついている。もうきっと打つ手はない。
それでも、綱吉の心臓はまだ動いている。綱吉はまだ生きている。ならば、利奈が身を呈するには十分だった。
「……殺させない。ツナは絶対に殺させない!」
綱吉に縋りつき、絶対に退かないと誓うように服を握りしめる。綱吉はもう、覆い被さる利奈に反応できないほどに衰弱しきっていた。
これは最善の一手ではない。こんな、背中から斬りつけてくださいといわんばかりの体勢、どうかしている。でも綱吉を庇うには――とどめの一撃を防ぐには、これしかなかった。立ち塞がったところで、炎真と同じように一蹴されて終わりだ。文字通り命を懸けなければ綱吉は守れない。不思議と身体は震えなかった。覚悟は決まっていた。
綱吉の命を犠牲にすれば、あるいは、Dを殺せたかもしれない。今の弱っているDならば、髪飾りに仕組んだ針で首を貫けたのかもしれない。――いや、きっと利奈では殺せないだろう。あるかないかわからない勝ちの目のために、綱吉を囮にはできない。利奈だって、友達を犠牲にしてまで得る勝利はないのだ。
「そこをどきなさい。力のない小娘を殺しても目覚めが悪いだけだ」
「どかない」
「まったく、どこまで私の」
「っ、あ!? ぐっ……!」
なんの前触れもなく、サッカーボールボールのように脇腹を蹴り上げられた。放しそうになった右手の指に力を込め、脂汗を浮かべながら歯を食いしばる。しかしそれをあざ笑うように、Dは靴底で利奈の背中を踏みつけた。クロームが悲鳴を上げるが、利奈には届かない。
「そんなに心中したいというのなら、望み通り一緒に首を刈りとってあげましょう。海で悠長に待っている九代目ボンゴレへの土産にちょうどいい」
「う、あ……!」
綱吉の首を庇いたいのに、足で押さえつけられて身体が動かせない。チカチカと脳で危険信号が光るが、もう抵抗すらできなかった。
せめて殺そうとする相手の顔くらい拝んでおこうと、かろうじて自由な首を動かす。これから斬られるであろう部位だけ動くなんて、とんだ皮肉だ。
(ああ、でもだめだ。首、そんなにひねれないや)
仰向けの状態で真上を向くのは不可能だと、頑張ったあとに気付いてしまう。見えるのはDの足と地面と――蹴り飛ばされて転がっていた炎真だけだった。
(最期に見るのが炎真君か……やだなあ、仲直りできてないのに)
いや、そもそも喧嘩にすらなっていなかったか。利奈の言葉を炎真は聞いてくれなかった。こんなとこまで追いかけてきたのに、会話すらできていない。
(ツナとはちゃんと話せたのかな。二人が仲直りしたんなら、いっか……)
そう思うしかなかった。だって、心残りを作ったりしたら、きれいに死ねなくなってしまう。だから、炎真と合わせることなく目を閉じた。