吹っ飛んだDの体から、乾いた音を立ててなにかが落ちた。
落ちた衝撃で蓋が開いたが、細い鎖のついた丸い懐中時計である。懐中時計といえば、不思議の国のアリスで白ウサギが手に持っていたのを思い出す。だからDは、追いかけてきた利奈をアリスと見立てたのだろうか。
「それ、なに……?」
「ボンゴレの紋章が入ってますね」
綱吉が拾い上げ、そしてせつなげに顔を歪めた。
「写真が入ってる……」
「写真?」
覗き込もうとしたら、骸にも見えやすいように綱吉は腕を上げてくれた。リボーンは綱吉の肩に乗る。
「ほんとだ。これ、もしかして――」
「プリーモファミリーだ」
「……なんか、全員見覚えのある感じ……みんな似すぎじゃない!?」
初代ファミリーは、十代目ファミリーとまるで瓜二つの顔をしていた。初代の雲の守護者なんか、表情といい立ち姿といい、髪色を変えれば未来の恭弥とそっくりである。
(この和服の人も山本君っぽいし、Dも骸さんと同じ顔だし――全員血が繋がってるとかないよね?)
綱吉は初代の子孫なので顔が似ていても不思議ではないが、純日本人であるはずの恭弥が初代雲の守護者と瓜二つなのは説明がつかない。どうりで、恭弥と戦ったときにDが初代と比べたわけだ。
しかし、ただ一人、だれにも似ていない、守護者ではない人物が写真に写っていた。
「だれだろう、この女の人。きれい……」
「見たことねー顔だな」
「エレナです」
「っ!?」
か細い声に硬直する。
「まだ、生きて……!」
クロームが遠くで立ち上がろうとするが、骸が首を振った。
「もう、彼に戦う力はありません」
上半身しかないが、Dの恰好はいつのまにか普通の服装になっていた。かろうじてこの世に留まっているといった具合で、体の輪郭線はぼやけている。今にも塵になって消えてしまいそうだ。
「エレナ……私の……私の、光」
写真のなかで、Dとエレナは寄り添い合っていた。恋人同士だったのだろう。
しかし、疑問は残る。初代のボンゴレに造反していたはずなのに、なぜDはこの写真を懐中時計に忍ばせていたのか。
「なにも私も、最初からプリーモに反目していたわけじゃありません。私もエレナも、あの頃のボンゴレファミリーを心から愛していたのだから……」
Dがボンゴレファミリーを愛しているのはわかっていた。でなければ、ここまでボンゴレに尽くす生き方は出来なかっただろう。――その生き方が、多くの人々を苦しませたとはいえ。
生前の――人の体に乗り移る前のDは貴族だった。エレナは侯爵の娘で、腐敗した貴族に嫌気がさしていたDの考えに共感し、二人は親しくなった。
ジョットを紹介したのは、エレナのほうだった。そのころのボンゴレファミリーは勢力を伸ばしていたころで、Dにとっては最高の時代だったそうだ。
コザァートの助言で結成されたファミリーは、あらゆる腐敗を正していった。貴族も政治家も、マフィアも警察も。市民を脅かすありとあらゆるものを排除していったのだ。二人にとって、黄金時代だったに違いない。ボンゴレファミリーはすべてを正し、そして排除するべきものがなくなったとき――亀裂が、生じた。
戦うべき相手がいなくなったジョットは、拳を下ろそうとしたのだ。巨大化した組織が本来の目標を失って暴走しないよう、争いを止めようとした。そしてその結果が――
「私があのとき、プリーモを正せなかったせいで……エレナを、救えなかった」
「……」
ジョットが戦力を減らしたせいで、Dたちは強襲された。Dがジョットを説得できなかったせいで、エレナを救えなかった。エレナは、ボンゴレが弱くなったせいで殺された。
愛する者を失った慟哭と後悔が、歪んだ信念を生み出した。弱きを守るための力よりも、強きを屠るための力を求めてしまった。その結果がこれだ。
(そんな力、求めてなかっただろうに)
心優しき女性が、血塗れの強さを求めるはずがない。だって、エレナが愛したころのボンゴレは、正義のためだけに拳を振るっていたのだから
だから、綱吉が言ったエレナの本心が偽りのものであることはすぐわかった。自分のせいで狂ってしまったDを、愛するボンゴレを歪めてしまったDを悲しく思わないはずがない。感謝を伝えるとしたら、それはDと天上で再会したときにだろう。
エレナの人となりを聞いただけの利奈でさえそう思ったのだ。Dが気付かないはずがない。それでも、Dがエレナに最後に伝えようとした言葉は、救えなかったことへの謝罪だった。
本当は、ずっと伝えたかった言葉だったのだろう。しかしDは、足を止めてしまわないよう、エレナの愛したボンゴレを失わぬよう、悔恨に蓋をして血の道を歩き続けた。
「お前は生きすぎたんだよ、D。安心してエレナの元に行ってやれ。
待たせてんだろ?」
「フフ……確かに、いささか待たせすぎましたね」
「ちゃんと謝ったほうがいいですよ。……いろいろと」
これから消えゆく人に暴言は吐けず、様々な感情を飲み込んでそれだけ口にした。でも、きっと彼女はDを許してあげるだろう。心優しく、正しい女性だったのだから。
「ボンゴレのことはツナに任せろ。お前が心配して化けて出てこないですむくらいには鍛えてあるからな」
「ちょ!? なに言ってんのリボーン!」
どさくさまぎれに綱吉に重圧を背負わせるリボーン。
しかし、こうなっては綱吉も頑張るしかないだろう。Dの想いを託されてしまったのだから。
すべての未練が消えたDの体が、塵となって風に吹かれていく。これでようやく、彼は自分で作り上げた妄執から解き放たれたのだ。
「十代目ー!」
余韻を吹き飛ばすように、隼人の大声が空を割った。
すっかり忘れていたが、Dが死んだことで、ようやくあの幻覚空間から解放されたようだ。
「炎真!」
そして、復讐者の牢獄に拘束されていたみんなも戻ってきた。どうして彼らが投獄されていたのかはわからない。男性陣は全員ボロボロで、薫以外の男子はなぜか上着を着ていなかった。本当に、なにがあったのだろう。服を着ている薫も、シャツに袈裟斬りの血の染みがついている。
「利奈、僕を僕の元へ」
「あ、はい」
ムクロウを抱えたまま、倒れた骸の元へと向かう。クロームはすでに骸の元へと辿り着いていた。
「骸様……」
骸の体はボロボロだった。不可抗力だったとはいえ、何度も綱吉の攻撃を浴びせられたのだ。最後に殴られた頬はひどく腫れ上がっていて、唇も切れて血が出ていた。
あまりにひどい有様に、クロームがポロポロと涙を流した。利奈はそっとムクロウをクロームの横に置く。
「なにを泣く必要があるのです。僕たちはDに勝ったのですよ」
「はい……」
「大丈夫、すぐにティモッテオさんに連絡して救援呼ぶから!」
「うん……」
「利奈、あまりその名前を口にしないほうがいいですよ」
足音が聞こえて振り返ると、ひとしきりの再会を終えた綱吉がこちらにやってきた。骸の惨状に、眉を落とす。
「骸……ごめん」
「だからなにを嘆くのか」
「え!?」
「ああ!?」
声はムクロウではなく、骸の口から聞こえた。ようやく元の体に戻ったのだ。しかし、全身の痛みに顔を歪めている。
「リボーン! こっちにも救急箱!」
「ちょっと待ってろ」
リボーンは了平の体に包帯を巻くので大忙しだ。
「あ、じゃあ私が――」
「聞け」
「わあい!?」
立ち上がりかけたところで三人の復讐者が現れ、利奈は奇声を上げた。
そういえば、この人たちは結局なんだったのだろう。第三者とはいえ、脱獄囚が暴れていたのだからもう少し手伝ってくれてもよかったのに。
「D・スペードの討伐ご苦労。褒美として、お前たちにシモンとコザァート、誓いを交わしたその後の過去を伝える。八番目の鍵だ」
「八番目!?」
光の粒がそれぞれの頭上へと飛んでくる。そのうちのひとつが頭上に現れ、利奈は驚いた。
「え、私も!?」
「討伐に参加した者にもだ。二人の過去へ誘え」
頭のなかに映像が流れる。
それは、とても穏やかな光景だった。子供たちが楽しそうに水遊びしていて、大人たちがそれを見守っている。炎真にそっくりな人は、きっとコザァートだろう。赤子を抱いている人はアーデルハイトに似ていた。つくづくみんな似すぎである。
この場所はきっと、利奈たちがいるこの島だ。Dの奸計を逃れた彼らは、人目を避けるようにひっそりと、だけど豊かに暮らしていた。けして、日陰だけの時間を過ごしていたわけではないのだ。
「ジョットとはもう、一生会うことはないだろう」
コザァートはそう言い切った。諦めたような、でも未練はない、そんな瞳で。
「だけど、俺たちは信じているんだ。
いつになるかはわからない。でも、俺たちの意志を継ぐ後継者が現れて、いつか――」
場面が切り替わり、自室にいるジョットが映し出される。ジョットの手元にあるのは小さな布の袋と、書き終えたばかりの手紙。椅子から立ち上がったジョットは窓に手をかけて空を見て――コザァートと同じように微笑んだ。
そしてそこで過去が終わる。
「……そっか。俺たち、やったんだね」
ようやく実感が湧いてきたのか、綱吉が呟いた。少しだけ後ろめたそうな顔をして、シモンのみんなが頷く。
これで終わり。これで大団円。――そうは問屋が卸せない。
「ちょっと待った!」
感動の空気をぶち壊したのは、なにを隠そう利奈である。みんな、ギョッとしたような顔で固まった。
(わかってる。私が騒ぐのは違うってわかってる。空気読めてないのはわかってるけど!
このままハッピーエンドなんて許せない!)
「炎真君!」
「はいっ!」
炎真は満身創痍の状態でジュリーに支えられていたが、利奈の語気に気圧され、直立不動の体勢を取った。その炎真の鼻先に顔を近づけ、利奈は強く睨み上げる。
「私、言ったよね? 行かないでって」
「あっ――」
「行かないでって言ったよねえ!」
喉も裂けんばかりに声を張る。継承式のときも、全身全霊で呼びかけた。
「待ってって言ったのに! 聞いてくんなかった! あんなに、私、呼んだのにっ……!」
結局、利奈が言いたいのはそれだった。
あんなに頑張って、こんなに大変な思いをして、それで伝えたいのがこんな文句だけなのだから、本当にどうしようもない。だけど、どうしても言いに来れずにはいられかったのだ。だってあそこで止まってしまったら、もう二度と立ち上がれなかった。――Dのように。
(ああもう! そんなこと知りたくなかった! 全部全部炎真君のせいだ!)
じわりと涙が込み上げてくる。炎真とジュリーがギョッとするが、利奈はもう堪えきれずに泣き出した。声を上げて。引き裂かれんばかりに。
そしてシモンファミリーには利奈にもの申す者はいなかった。なぜなら全員に共通する負い目だったからだ。まさか彼らも、部外者の利奈に一番責められるとは思っていなかっただろう。
「あー……なんだ、炎真」
収拾がつかないほど号泣する利奈に、ジュリーがやっと口を開いた。ジュリーはあの場にはいなかったが、なんとなく事態は察したようだ。
「ここはアレだ、謝れ。精一杯謝れ」
「あ、えっと――」
「絶対許さないから」
「ええっと」
「よし、じゃあ一発殴ってチャラにするってのは?」
軽い調子で提案するジュリーを、利奈は仄暗い眼差しで見据える。
「……私、本気でやったら骨折るけど、いい?」
「よーし、今のなしで!」
「その、相沢さん、本当にごめん。あの、このタイミングだと信じてもらえないかもしれないけど」
「……絶対に許さない」
謝ってほしいわけじゃない。後悔してほしいわけでもない。ならばどうしろという話だけど、あのとき思い止まってくれればよかったのだ。止まるわけがないことなんて、わかっているけれど。
女の子が身も世もなく駄々をこねる様は、それを囲んで同じくらいの年の少年少女が沈黙している様は、なかなかに地獄である。しかしここには空気を読まない、いや、読もうともしない人間が一人残っていた。
「ねえ」
簡潔な呼び声だった。しかし利奈は、即座に泣き止み先ほどの炎真と同じく直立不動の姿勢を取った。
(そうだ、みんなが戻ってきたってことは、ヒバリさんも一緒に来てるってことだった……!)
炎真への怒りが大きすぎて、恭弥のことをすっかり忘れていた。自分が、恭弥の命令を無視してここに来ていたことも。
「そろそろ言い訳を聞かせてもらおうか」
首根っこを掴まれる。首筋にわずかに触れた指先が冷たい。
利奈は恐る恐る振り返って、そして後悔した。据わった目をした恭弥がそこにいたのだ。襟首を引っ張られ、引きずるように炎真から引き剥がされる。
「ひ、ヒバリさん? いったいどこまで」
「決まってるでしょ。並盛に帰るんだよ」
「うええ!?」
恭弥は確か、ヘリコプターでこの島に来ているはずだ。つまりこれから、逃げ場のない密室空間に閉じ込められるのである。しかも、尋問お説教コースで。
「ちょっと待ってください、私今すごくおなか痛くて……」
「知ってるよ。内臓破裂してるんじゃない?」
「えええ!? ちょっと!」
さすがに聞き逃せずに踏ん張るが、恭弥はかまわずに襟を引いた。首がしまり、息が止まる。
「破裂してるかどうかはわからないけど、ここにいたってどうしようもないだろ。ちゃんと病院には連れてってあげる」
「だったら船のほうが――なんでもないです」
もう一度凝視されたら折れるしかなかった。
恭弥の振る舞いに慣れていないシモンファミリーはポカンとしているし、慣れているボンゴレファミリーからは同情の眼差しを送られる。
(こ、こんな情けない最後ってなくない!? あんまりじゃない!?)
黒子の分際で大騒ぎした報いだろうか。しかし、それにしてもひどい最後である。
情緒も風情も一切ないまま、利奈の長い長い戦いは終わった。とんだ一人相撲ではあったものの、言いたいことは言い切れた。
さっき見た記憶と同じような青空を仰ぎ、せめて体罰はなければいいなと強く願った。
第三部、これにて完結です。
長編は原作ラストまで書きますので、次の第四部が最終章となります。内容的にあまりボリュームはないかも?