再び十三時間の復路――今度はビジネスクラスだった――はあっというまに終わった。ぐっすり眠ったのだから当然だ。
むしろ、今までよく起きていられたものである。時差のせいでずっと昼が続いていたけれど、日本にいたらとっくに眠っている時間だ。
日本へと帰還した利奈は、まず空港で電話をかけた。
夜九時の便で十四時間のフライトをして、フランスとの時差は七時間。日本に着いた時点で夕方六時だ。そこから迎えの車に乗って一時間半。目的地に着いたときには、またもや夜になっていた。体内時間がごちゃごちゃになっている。
「お疲れ様でした」
使用人に促され、恭弥の自室に向かう。
そう、利奈は真っ先に恭弥の元へと訪れた。
夕食が終わった時間帯なのもあって、いつもよりも人の気配が多い。食事時だったら待たされていただろうから、タイミングはよかったのかもしれない。
「相沢さんをお連れしました」
「通して」
ふすまが開いて、何日かぶりに恭弥を見た。こちらに顔を向けないので、端整な横顔が目に入る。
「お待たせしました」
廊下に膝をついたまま頭を下げると、恭弥がわずかに顎を引く。入れと促されている。
(うわ-、喋らないやつだ。めっちゃ怒ってるなこれ)
行きの飛行機搭乗直前にメールは入れたし、フランを引き取るための手続きを終わらせるまでのあいだに事情はあらかた説明したけれど、やっぱり機嫌は直らなかったようだ。
ちなみに、国際電話の費用が骸持ちだと知った恭弥は少しだけ笑った。携帯電話の通話料金よりも高いのかもしれない。
部屋に入るとふすまが閉められ、二人きりにされる。
夕食後のおやつを食べていたようで、恭弥の手元には半分に切られたまんじゅうがあった。お金持ちの家だと、まんじゅうは切って食べるものらしい。
食べ終わるのを黙って待つべきかと口を引き結んでいたら、やっと恭弥の目がこちらに向いた。殺意はないけれど、冷ややかな眼差しだ。
「相沢利奈、ただいま並盛に戻りました」
「それで首尾は?」
「もちろん」
でなければ、こうしておめおめと現れてはいない。
今回の骸との契約は、フラン獲得に参加することを引き換えに、ふたつ見返りが用意されていた。
ひとつは、道中でかかる費用を全額保証すること。
そしてふたつめは――
「クロームの転入は、六道骸の悪巧みじゃありませんでした」
今さらだが、利奈は並盛中学校の風紀委員だ。つまり、学校すべてを牛耳る組織の人間だ。転校生の情報も、担任教師より先に手に入る。
だからクロームが黒曜中学校から転校してくると知って、とても驚いた。しかも、手続きの翌日には転入してくるという性急さ。裏があると勘ぐって然るべきである。
(あのときは信号に骸さんいてびっくりしたなあ。ちょうどクロームのこと考えてたし)
つまりふたつめの見返りとは、クローム転入の真相である。
真相とはつまり、外面や外聞を弾いた答えだ。骸が自由の身になったからとか、クロームの実力では力不足だからだとか、そういった余計なものを除いて残る、最初の理由。
「六道骸は、クロームがこれからどう生きるか、自分の意思で決めさせるためにクロームを引き離しました」
霧の守護者代理という肩書きもあるが、クロームは骸の代理人である。
黒曜ランドから出られない骸の代わりに骸の意思を伝えたり、戦ったり、ときには骸を体に憑依させて戦うこともあったそうだ。
骸が自由になった今、クロームもまた、自由になった。今のクロームならば骸陣営とボンゴレ陣営、どちらでも好きなほうを選べる。
『でも、クロームは骸さんを選びますよ?』
帰りの機内で利奈は言った。
だれが見ても明らかだと思うけれど、クロームは骸が大好きだ。それが恋慕なのか尊敬なのか、はたまた刷り込みなのかは不明だが、クロームの一番は骸である。
『それでもです。クロームは未だ子供で、兵士ではない』
『そんなの――』
『僕が求めているのは兵士です。それで言えば、お前はすでに兵士ですね』
『……うん?』
突然呼び方が荒くなったことにまず引っかかったけれど、かまわず骸は続けた。
『目を見ればわかります。未来での戦いのなかで、お前は兵士として生きる覚悟を決めた。
生きる場所を自ら選び取った。そうでしょう?』
『……そ、そうですね?』
まったくピンとこなかったけど、確かに覚悟を決めた瞬間はあった。白蘭を殺す覚悟を決めたあのとき、非戦闘員ではなくなった。自分の意思で、境界線を踏み越えた。
つまり骸は、クロームにも同じ覚悟を望んでいるのだ。そしてクロームが骸を選ぶならば、彼に依存せずに生きられなければならない。
今のクロームはまだ、骸に庇護されている。Dとの戦いでも、骸と切り離されたことでクロームは大いに弱り果て、救出されるまでなにもできなかった。それでは骸とともに戦う仲間にはなれない。
だからここはあえて距離を取り、クロームに自分の意思で選ばせようと骸は考えた。今までの敷かれた道を歩く生き方ではなく、自分で道を作る生き方を選べと。
『クロームにはそのことを話してません。それも自分で考えなければいけませんから』
『じゃあ、クロームが気付かなかったらずっとそのままですか?』
『ええ』
どちらを選ぶか問えば、クロームは骸を選ぶだろう。だから、選択を迫ることすら決め手になってしまう。
もう片方の天秤になにを置いても、クロームは骸を選ぶに違いないのだから。
『だから利奈には、クロームを見守っていてほしいのです。あの子が自分で考えられるように、話を聞いてあげてください』
『そんなの、頼まれなくてもやりますよ』
『でしょうね。あらかじめ説明するつもりだったのに、わざわざ自分で報酬に入れるから』
『え、そうだったんですか?」
『だって――先に言わないと、お前はクロームを連れて僕の元まで乗り込んでくるでしょう?」
『バレてる』
そんなわけで、クロームは並中に転入することになったのだ。
前日に疑った全面戦争のための宣戦布告説は外れたが、まあ、学校を再び戦場にされたくはないのでそこは助かった。恭弥からしたら期待外れだろうが。
「すごいですよね。クロームのためにそこまで考えてたなんて」
「……どこも上は苦労するね」
「どういう意味です?」
またもやピンときていない利奈に嘆息しながらも、恭弥は報告を聞き終えた。そして、ようやく利奈に向き直る。
「で、ほかには?」
「はい?」
ほかもなにも、事前に用意していたのはこれで全部だ。しかし恭弥は、ゆっくりと、噛み砕くように続ける。
「二日も委員会活動をサボっておいて、成果はそれだけかい? 身を粉にして働くと宣言した、あの謝罪はパフォーマンス?」
「うっ」
(そ、そうきちゃうか)
思わぬ切り返しに、一瞬にして血の気が引いた。
委員会活動に専念すると言っておきながらの骸陣営への協力。強制だったとはいえ、この程度の成果では帳消しにはならないようだ。
(そんなこと言われたって半分以上飛行機だったし……! しばらくはフランの教育に専念するって言うからバトる話もないし……!)
こんなことなら、現金での報酬ももらっておくべきだった。しかし今さら遅い。
誤魔化すべく、やたら大きい紙袋を漁る。
「もちろん、お土産買ってきてますよ。パリで買った置物の――」
「ふん」
「エッフェル塔ーっ!」
饅頭の皿が、的確にエッフェル塔の置物を弾き飛ばした。畳を転がるエッフェル塔に罪はないのに。
「ないんだね」
「はい……」
打つ手はない。こうなるとまな板の鯉と同じだ。例によって、恭弥の無理難題を呑まされる。
「これからは僕に絶対服従してもらうよ。群れることは許さない」
「はい……」
他陣営との接触禁止令。
まあ妥当である。不可抗力の場合はどうすればという話だが、それを口にしたら今度は湯呑みが宙を舞うだろう。湯気が立っているのを確認して利奈は口を閉ざす。
「ついては、班から外れて僕についてもらう。至門生たちの騒ぎでいろいろと滞ってるんだ」
「つまり、秘書みたいな感じです?」
「下僕だよ」
「ええ!?」
もはや下っ端ですらない。
しかし反論できる立場ではなく、利奈は頭を低くしてその不名誉な称号を受け入れた。ここにきて、初めての奴隷扱いである。
ドアを叩いたときではなく、ドアを開いたときが分岐点