土曜日。午前授業。ホームルームも終わり、放課後。
一週間で一番みんなが盛り上がるなかで、一人だけ腰が重い。一目散に教室を出て行く生徒も多いなか、出したバッグに教科書を詰めることすら億劫がっていた。とはいえ、掃除係でもないのに居座るわけにもいかず、のろのろとファスナーを開ける。
「あれ、利奈も弁当か?」
一時的に取り出したお弁当箱が目についたようで、通り過ぎようとしていた武が声をかけてきた。着替える気満々のようで、もうベストの下のシャツのボタンが外れている。
「うん。今日は――今日も? このあと委員会があるから」
「そっか。俺もこれから部活、一緒だな!」
武がニカッと笑う。一瞬、部室での惨劇がよぎったけれど、あれは終わったことだ。
「一緒かなあ。最近、ずっと委員会漬けなんだよね」
自分のせいだけど、と脳内で唱える。骸と接点があることはもうバレているけれど、学校をサボってフランスに行ったことはだれにも言っていない。一般生徒としても素行不良である。フランス自慢がだれにもできないところが歯がゆい。
「んー、そっか。野球ならとにかく、俺も勉強漬けだと気が滅入るわ」
「テスト前?」
「そうそう。赤点取ったら部活行けなくなっちまうし、仕方ねーけど」
武は野球部期待の星だが、テストの成績はいつも赤点ギリギリだ。日頃の行いというか活躍の差というか、綱吉と違って叱られることはないが、それでもよく注意を受けている。学校的には部活動に専念してほしいものの、成績の悪い生徒をひいきするわけにもいかない。悩ましいところだろう。
「いやー、じつはさ。ヒバリさん怒らせちゃって。だからすごく仕方なくだけど、委員会頑張らなきゃなんだよね」
「ヒバリ、おっかねーもんな」
それはもういろいろな意味で。あと、さっきから同じくらいおっかない視線がこちらに複数向いている。武が名前呼びしたところからずっと。つまり、最初から。
継承式周りであれやこれやあって、武との絆は深まったけれど、端から見ればいきなり仲がよくなったように見えるだろう。付き合い始めたのかと探ってくる人もいたし、牽制する気持ちもわかる。以前の利奈だったら、いち早く察知して、それとなく距離を取っていただろう。
「そっちはどう? 水橋君、サッカー部の先輩と揉めたって聞いたけど」
「ああ、それなら問題ないぜ! 薫の言いたかったこと伝えたらちゃんとわかってくれたから」
「よかった。暴力沙汰になって退部とかいやだからさ」
「ならないって。あいつ、ちょっと口下手なんだよな」
「うーん、まあ、そうだね」
そういう問題ではなかった気がするけれど、当人たちからすればそうなのだろう。利奈は寛容に頷いた。複数の矢印を無視しながら。
(うん、やっぱりこっちのがいいや)
自然体で話すほうが、人目を気にするよりもずっといい。またいつなにが起きるかわからないし、友達とはできるだけ自然体で接したい。あれで最期になっていたらと思うとゾッとする。
それはそれとして視線は痛いけれど、下手に刺激しなければ危害は加えてこないだろう。風紀委員に喧嘩を売る気概があればの話だが。とりあえず、今回は穏便に終わった。
「利奈」
やっと席を立ったところで、クロームが声をかけてきた。武がいなくなるまでタイミングを計っていたみたいだ。まだ慣れていない教室で、落ち着かなさそうにバッグの持ち手を握り直している。
「クローム、さっきの数学大丈夫だった? 範囲違うって言ってたけど」
「う、うん。大丈夫そう」
転入するとそういう違いが厄介だ。利奈も覚えがある。なんなら、利奈ですらこの学校に転入してから一年も経っていない。
(去年の今頃は普通に中学生だったんだよなあ……ちょっと信じらんないなあ……)
未来であったことを除外したとしても、ほとんどまともな学生生活を送れていない。あまりの激動に呆然としてしまいそうだ。教科書の違いに文句を言っていたことさえ懐かしい。
(そういえば、至門生はどうだったんだろ。私と同じで、けっこう遠くから来たよね)
至門生は利奈が入院しているあいだに編入してきたから、その辺りはまったく気にしたことがなかった。授業態度から察するにも、SHITT・P!はSHITT・P!だし、炎真は炎真だ。どちらも先生から意図的に外されている。
なんとなくSHITT・P!の席に目を向けると、運良く――いや、この場合は運悪く、帰ろうとしていた炎真と目が合った。あちらが反射的に固まったから、こちらは反射的に眉を寄せる。そして、利奈のほうがツンと顔を背けた。
島での一件以来、炎真とは一回たりとも会話をしていない。つまり仲違いしたままで、冷戦状態だ。こちらからなにかしようとは思わないけれど、あちらからもなにもしてこないので平行線が続いている。そもそも、話しかけてこようとする気配すら感じられない。
(まあ? 私が怒ってるだけだけど? 炎真君はべつにこのままでいいのかもしれないけど? 私が勝手に怒って勝手に拗ねてるだけですけど!? もういいんじゃないの一生このままで!)
仲直りしたいのなら炎真側から働きかけるべきで、それがないということは、つまり、そういうことだ。なんなら、事の発端となったアーデルハイトのほうが仲を取り持とうとしている。学年が違うし委員会で対立した過去があるから、あからさまではないものの。
「利奈……?」
クロームの呼びかけに、利奈は眉間のしわを解いた。話しかけてこないくせにたまにチラチラ見てくる炎真なんて、気にしていられない。
「ううん、なにも」
「明日、十二時でよかった?」
「うん。ちょっと早めに行こっかなって思ってるけど、平気? 片付けたりとかするでしょ、あれ」
「大丈夫。待ってる」
「うん。また明日ね、クローム」
結局、今日も炎真は話しかけてこなかった。
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午前授業後に委員会がある場合、空き教室に集まって弁当を食べているのが恒例だ。でも、今回は一人なので応接室で食べることにした。食べながら書類に目を通せば時間も無駄にならないし、そのぶん早く家に帰れる。恭弥の許可も得た。
応接室のテーブルは低すぎて作業をするのには向いていないけれど、それは仕方ない。恭弥の下僕――は抵抗があるから秘書と心のなかで唱えさせてもらうが、恭弥と同じ部屋にいたほうがなにかと都合がいい。
(いつなにが起きるかわかんないし。いきなり拉致られたり、未来に飛ばされたり、ほんとにたくさん! それに、ヒバリさんが窓からいきなりどっか行っちゃったりもする)
巻き込まれ体質についてはたまに釘を刺されるけれど、目が離せないのはお互い様だ。今ならそのあとを追ってすぐに飛び降りられるものの、そこに至った経緯を知っているか知らないかでは、その後の対応が変わってくる。
とはいっても、最近はみんなおとなしいものだ。利奈が恭弥と歩いていようが、一人でいようが、ちょっかいをかけてくる人間はいない。いや、いなくなったと言うべきか。
(夏休みに襲ってきた人たちは全員病院送りになったし、なにもしてなかった人たちも濡れ衣でボコボコにされたし)
すべては利奈がリング争奪戦直後に行方不明になったことが原因となっている。
恭弥が未来に飛ばされるまでの一週間、都内の主要犯罪組織はすべて恭弥の襲撃を受けている。幸か不幸か、利奈の行方不明期間が二日にまで短縮したおかげで、被害は並盛町周辺の地域だけで収まった。――犯罪組織が生き残ったことを、幸とするのも変な話だけど。
善し悪しはさておき、おかげさまで利奈は毎日平穏無事に過ごせている。餌にする気満々だった恭弥は不満そうだが、草食動物を絶滅させた張本人なので諦めてほしい。
――と、応接室のドアが叩かれた。
返答を待つことなく開いたドアに目を上げるが、そこに人影はなく――利奈は自然と視線を落とした。
「チャオっす」
もうすっかり顔馴染みとなったリボーンである。
「リボーン君、おはよー」
恭弥も顔を上げた。
「やあ、赤ん坊」
挨拶はしたものの、ペンを握ったままだ。やや警戒しているようで、目が細くなっている。
利奈は利奈で、手に持っていたおにぎりを口のなかに押し込んだ。リボーンがわざわざやってくるときは。たいていなにか重要な用事があるときだ。
「食事中に悪いな。ちょっと話がある」
「ん、おけ」
咀嚼しながら手に持っていたラップを弁当箱に入れて、広げていた書類と一緒にわきに寄せる。利奈が移動する前にリボーンが正面に座ったので、利奈はそのまま恭弥を仰いだ。
「なんだい、話って」
恭弥の手元は止まっていない。明らかに面倒くさがってはいるものの、促す程度には関心がある。厄介事はごめんだけど、退屈だから刺激はほしいのだろう。リボーンはさっそく話を切り出した。
「お前たちに、俺のチームに加わってほしいんだ」
「え」
「……」
単刀直入な言葉に、二人して眉をひそめる。奇しくも反応が揃った。
利奈は面倒事への忌避感からで、恭弥はチームという単語への拒絶反応。D戦で無理矢理群れさせられたのを思い出したようで、右手をさすっている。
「なんのチーム? ボンゴレファミリー関連の?」
まさかスポーツチームではあるまい。とはいえ、守護者関連ならチームという言い方に違和感がある。綱吉ではなく、リボーン自身のチームというのも。
(あと、お前たちって言ったよね。しれっと私も入ってない?)
まさか、ヴァリアーでの秘密特訓がバレてしまったのだろうか。ヒヤヒヤする利奈を横目に、リボーンは続ける。
「ボンゴレは関係ねーが、まあ似たようなもんだな。俺がメンバーを集めるとなると、自ずとボンゴレ関係者になっちまう」
「メンバー?」
またもやいつもと雰囲気の違う単語である。
(なんか今日歯切れ悪いよね、リボーン君。いつもなら全部決定事項みたいに話すのに)
あまり乗り気じゃない話なのだろうか。ポーカーフェイスだから表情までは読み取れない。
「五日後、アルコバレーノ最強を決める戦いが始まるんだ。それで、俺の代わりに戦う代理戦争メンバーを集めてる」
(戦争!?)
物騒な言葉に利奈が身を引き、恭弥が前のめりになる。反応が逆になったが、これはどうやら厄介事だ。
「えと、アルコバレーノってなんだったっけ? 骸さんがリボーン君のことよくそう呼ぶよね」
言った瞬間、恭弥の指がピクリと動いた。マズいとは思ったものの、話の腰が折れるので気付かなかったふりをした。じわりといやな汗が滲む。
「アルコバレーノはイタリア語で赤ん坊って意味だ。俺含めて七人が虹のアルコバレーノ――虹の赤ん坊と呼ばれてる」
「あ、そういえばそっか、未来で」
やっと思い出した。未来から現代に戻るときに集まっていた赤ちゃんたちがアルコバレーノだ。守護者たちと似た並びだった。
「えっ、じゃあマーモンもそのバトルにいるの? 今度は敵?」
「そうなるな」
そうなるならちょっと参加は難しい。未来でお世話になったメンバーには含まれないものの、彼もチームを組むならヴァリアーメンバーが敵になるだろう。
(待って、なんかすごい並びにならない?)
ほかのアルコバレーノはまったく知らない子たちだったけれど、リボーン陣営とマーモン陣営だけでおなかいっぱいだ。リング争奪戦をもう一回やるようなものである。そもそも、なぜ彼らのなかで最強を決める必要があるのか。目的はなんなのか。
「やると決めたのは俺たちじゃねえ。俺たちはほぼ強制的に参加させられただけだ」
だからちょっと元気がないのか。
それにしても、だれからも一目置かれているリボーンを強制参加させた人物とは、いったいだれなのだろう。ボンゴレ九代目ボスのティモッテオならあり得るだろうか。でも、だとしたらここまで億劫そうなそぶりはしない気がする。
「だれが決めたの? 私の知ってる人じゃないよね?」
「ああ。おれも詳しくは知らねえ。名前も顔もな」
「ええ!? どういうこと、どんな人!?」
「そうだな……」
前のめりになって尋ねると、リボーンは考え込むように目線を上げた。核心を話すか話さないか、考えているようだ。そして話すと決めたようで、利奈と目を合わせる。
相変わらずつぶらな瞳だ。無垢で愛らしく――
「俺たち全員をこの姿に変えやがったクソ野郎だ」
発した音と内容に、なにひとつ似つかわしくなかった。