リボーンから衝撃的な事実を聞かされ、恭弥にしっかり釘を刺された次の日。つまり日曜日。利奈はクロームの住むアパートへと向かっていた。
(違います、これは違うんです。リボーン君からあの話聞く前に約束したし、友達の家に遊びに行くだけなので裏切りじゃないです!)
心のなかで言い訳を唱えつつ、重たいトートバックを担ぎ直す。友達が一人暮らしすると母に話したら、その子にあげてと大量に食料やら生活用品やらを用意されたのだ。母があんなにクロームを心配するだなんて思ってなかった。
荷物のなかには母の手料理も二人分あって、クロームの家で一緒に食べる予定になっている。ごはんは今頃クロームが炊いているはずだ。炊飯器は、京子の家で余っていた物を譲り受けたらしい。炊飯器なんて余ることあるのかと思ったけれど、うちも押し入れに使わない掃除機が眠ってるし、そんなものなのかも知れない。
(掃除機もクロームにあげちゃっていいんじゃないかな。これ以上持って歩きたくないけど)
リュックサックとトートバッグですでにいっぱいいっぱいだ。午後は恭弥のところに顔を出す義務があって制服だし、ぱっと見は修学旅行生に見えるだろう。
(骸さんに協力したせいで日曜まで学校行かなくちゃいけないし……今度会ったら追加報酬要求してやる!)
でなければ割に合わない。
クロームの借りているアパートは、未来の世界でみんなをかくまってくれた川平不動産が用意してくれた。店主はあの男ではなくおばあさんだったけれど、ハルをそうとうかわいがっているようで、事情も聞かずにほいほいと破格の物件を紹介してくれた。そうでないと、表社会の方法でアパートを借りるなんて無理だったろう。
(あの世界じゃ一瞬で爆破されちゃったんだよなあ……。私もひどい目に遭ったし)
爆破のタイミングで桔梗の仕掛けた罠に生命力を奪われ、財団職員に救出されるまでほぼほぼ絶不調だった。そのあいだも怨敵の人質にされるわ、怨敵に弄ばれるわ、散々だ。
(あそこで白蘭になにもできなかったのがなあ……。ああなるんだったら、花瓶の水でもぶっかけておけばよかった)
暗殺は失敗したが、泳がされていたのならばそれくらいはできたはずだ。いや、やるまえに桔梗に止められただろうか。ずっと手のひらで踊らされていたと思うと、はらわたが煮えくり返ってくる。
当時を思い出すだけでムカムカしてくるが、まだチャンスは残っている。この世界にも、白蘭は存在するからだ。それを絶望に感じたこともあるけれど、今となっては希望だろう。まだ仕返しするチャンスが残っていると考えれば、白蘭が存在する世界も受け入れられる。当然、存在しないなら、それに越したことはなかったけれど。
船で聞かされたときは激しく取り乱してしまったが、もう大丈夫だ。たいていのことは時が解決するというけれど、実際その通りらしい。そもそも、利奈が受け入れようが受け入れなかろうが、白蘭はこの世界に存在するのである。そう考えたら、否定するだけバカらしい。今もきっと、どこか知らない場所でソファに寝そべったりしながらお菓子を頬張っているに違いない。
――そんな利奈の予想は、ことごとく外れていた。
アルコバレーノであるユニに代理戦争を持ちかけられた白蘭は、ボンゴレの監視を振り払ってユニ陣営に加わっており、この日の朝にリボーンの代理である綱吉と接触を果たしていた。そしてこの日この時間、利奈も知っている場所で、彼はある人物を探していた。その人物が制服姿だったので学校付近で待ち伏せていたものの、なぜか学校から離れていったので追いかける羽目になり、現在やっと追いついたところだ。つまり、ある人物とは利奈である。
「学校行かないでどこ行くの?」
背後からかけられた声に、利奈の思考は急速に冷えていった。その声はけして忘れられるものではなく、その存在はけして許されるものではなく。
――白蘭の存在を告げられてからずっと、利奈はこの瞬間を予期していた。いつか必ず、邂逅するときが来ると信じていた。そしてどう行動するべきか考えたけど、答えは出なかった。
そもそも、自分がどんな感情を抱くのかすらわからなかった。最初に噴き上がる感情は怒りか、恐怖か、絶望か。最初に取る行動は攻撃か、対話か、逃避か。きっとどの選択も同じくらいの確率だったはずだ。
(でも、今は)
思考とは裏腹に、体は凍らなかった。髪の毛がシャラリと音を立てる。スカートが揺れる。腕章に光が当たる。眼差しが、仇敵を捉える。
「並中生へのつきまといや声かけは風紀違反だけど、なにか言い逃れはある?」
――そう、今の利奈は紛れもなく風紀委員だ。ならば、不審を取り締まらなければならない。
(なーんて、荷物重すぎて殺すのも逃げんのもできないだけだけどね!)
世は無情である。トートバッグはそのまま落とせばいいが、リュックサックが重すぎた。痛恨のミスというか、絶望的にタイミングが悪い。それを狙ったと言われても信じられるくらい行動に制限がかかった状態だ。攻撃も逃避もできないのなら、残る手段は対話のみである。
そんな事情を胸に隠しつつ、白蘭と向き合う。武から前もって聞かされていたけれど、確かに顔つきは変わっていた。十年前だから当然若いし、なにより、私服姿にとても違和感がある。
(すんごいカジュアルな恰好……首輪みたいなチョーカーつけてるし)
この時代だとまだ十代だろうか。若々しさが前面に出ていて、なんかすごく違和感がある。お父さんの若い頃の写真を見たときみたいな、なんともいえない感じが。
不審者に向ける眼差しを受けたにもかかわらず、白蘭は朗らかに笑んだ。
「よかった。思ってたより元気みたいだね。てっきり、問答無用で飛びかかってくるかと思ってたんだけど」
声音も違っていた。浮いたような白々しさがない。しかしそれはなんの保証にもならない。
「不審者に自分から近づくわけないじゃない。それで、なに。ボンゴレに捕まってたんじゃなかったの」
ジリジリと距離を取る。相手がその気になったらどうしたって逃げられないだろうけど、こういうのは態度が大事だ。昨日の怨敵は今日も宿敵。武には悪いが、迎合するつもりはない。
「べつにボンゴレに捕まってはいなかったよ。なんでも用意してくれてけっこう快適だったし――残念?」
「……」
(残念かって聞いてくるこの神経がいや! やっぱこいつ生かしておくべきじゃない!)
このときばかりは、ボンゴレが人道的な組織であることを恨んだ。そういえばミルフィオーレでも捕虜の扱いはよかったし、強大な組織ほど敵にも厚遇なのかもしれない。
「で、なんの用」
心が暗黒面に飲み込まれないよう、話を逸らす。一人でいるところを狙って来といて、まさか偶然とは言わないだろう。答えようと口を開いた白蘭は、しかし、なにかに気付いた顔で顎に指を当てる。
「んー……今思ったんだけど、君、僕がなに言っても信じないよね」
「当たり前」
「だよねえ」
世界征服を諦めてなくて、利奈を利用しに来たというなら言うのならば信じる。反対に、それ以外の答えはすべてでまかせだと思うだろう。とくに、危害を加えるつもりはないとかそういう言葉は。
「まあ仕方ないよね。自分のことだけど、僕の言葉は信用に値しないなと思うし」
他人事のように言ってくれる。実際、彼にとっては他人事だろう。だったらなにも言わずに去ってほしいところであるが、まだ去られては困る。
「いいから言って。並盛になにしに来たの」
「あっ、そっちは簡単だ。僕も代理戦に参加するんだよ」
「は……?」
代理戦といえば、昨日リボーンが言っていたアルコバレーノ同士の争いのことだ。知っているのが当たり前のように話す白蘭も、当たり前のように知っていた自分にも嫌気がさす。この場合、白蘭なんかに教えられなくてよかったと前向きに捉えるべきか。
(代理戦争に加わるってことは、どこかのアルコバレーノと手を組むってことだよね。じゃあ、やっぱり敵だ)
リボーンは代理戦争まであと五日と言っていたから、今日は四日前。ルールが発表されたかどうかは不明だが、開戦前に敵戦力を削いでおこうとしてもおかしくはない。なにせ、チョイスでの昔の約束を反故にしようとした男だ。
「私、参加しないけど」
「そうなんだ。僕のところは全員参加するよ」
真六弔花のことだろうか。この時代の彼らはお咎めなしだとティモッテオが言っていた。彼らは世が世なら一般人として――若干なにか言いたげだったが――普通に生きていたそうで、利奈も彼らに関しては恨みはない。
(ウソ、桔梗はちょっとある)
桔梗はどことなく白蘭に似ている。それに無罪判定されていたとしても、現在白蘭に協力するようならやっぱり全員敵だ。気配を探るが、それらしい気配はない。
「私を利用しようとしても無駄だから。ヒバリさんも不参加だし、私を人質にしたってヒバリさんは動くよ」
「え? ああ、そっか。心配しなくても、今回は敵じゃないよ。今日だって、リボーン君に同盟の打診をしてきたところだし」
「信用に値しない」
白蘭が言った言葉をすかさずねじこんだ。白蘭の言ってることが事実だとして、たとえ現時点で敵じゃなかったとしても、いずれ敵になるだろう。敵でなくても味方ではないだろう。少なくとも、白蘭が同じ陣営にいたら、白蘭を疑うことで無駄に体力を使う。敵であるべきだ。
「今度ばかりは本当だよ。そもそも、僕、君に味方だってウソついたことないじゃない」
「敵だったからね」
紛れもなく敵だったんだから当たり前だ。終始、味方みたいな態度で話しかけてきたけれど。
(無駄話ばっかして。また変なものつけにきたんじゃないでしょうね)
あのときの指輪は吉田が粉砕したが、同じ目に遭うのはこりごりだ。空けた距離はけして縮めない。白蘭側も近づくつもりはないようで、かぎりなく他人の距離で話し続けている。通りすがりのおじさんがこっちを見ていたけれど、気にしない。おじさんが白蘭の手先の可能性だってあるのだ。
話すネタがなくなったのか、白蘭は服のポケットに手を突っ込んだ。利奈が身構えると、取り出そうとする手を止める。
「んー……これ見せても利奈ちゃん怖がりそうだね」
「なに出すつもり?」
人を怖がりのように言うが、すべて身から出た錆である。白蘭が取り出すものなら、飴玉ひとつでも油断はできない。
「あげたいものがあるんだ。ほら、未来でいろいろあったでしょ? さすがにやり過ぎたなって思って」
「……」
「ほら、信じない」
自嘲するように笑うが、自業自得だ。だいたい、なにをしたって償えない。
(……山本君を助けてくれたのは、助かったけど)
それは白蘭の功績だが、贖罪とカウントしてもまだ足りない。彼が未来の白蘭とは違う存在だとしてもだ。この時代の白蘭は、ディーノやヴァリアーと同じく、未来の記憶を受け取っただけに過ぎない。だれも殺していないし、なにもしていない。
(でももう変わってる。ヴァリアーのみんなと一緒で、私の知ってる白蘭だ)
本来、この時代のヴァリアーメンバーは利奈と敵対していたはずだ。殺されかけたこともある。しかし現在、ヴァリアーは完全に未来の記憶そのままの人たちに変わっている。でなければ、継承式で利奈に話しかけたりもしなかっただろう。未来での出来事は、絶対になかったことにはならない。
(そもそも私白蘭嫌い!)
そして最後にものを言うのはやはり感情論だ。嫌いな人からの謝罪は受け入れないし、嫌いな人からのお詫びの品は受け取らない。簡単な話である。だからなにを用意されようが受け取る気はなかったが、白蘭が取り出したものを見て、利奈は目を丸くした。
「なにそれ」
いや、なにかはわかる。未来で散々見てきたものだ。手のひら大の青い箱。いや、匣。それと青い石のついたリング。最初になにも言わずに取り出されていたら、一も二もなく逃げ出していただろう。これを白蘭はあげると言ったのか。なんのために。
考え込みたいところだけど、いい加減、肩と腕が疲れてきた。リュックサックとバッグに目一杯物が入っている状態での立ち話は、思考力を奪う。
「それ、だれの?」
数々浮かんだ疑問のうちのひとつを口にすると、白蘭は優しく微笑んだ。贈り物にピンときていない子供を見るような眼差しで。そして答える。
「君のだよ」