利奈の瞳が揺れるのを、白蘭は万感の思いで見つめていた。相沢利奈が雨属性の炎を獲得する。数万、数億、八兆個の世界すべてになかった可能性だ。
(人を殺す覚悟ができたからこそ生まれた可能性。まさにイレギュラー)
ここまで来たらバグと言ってもいいだろう。白蘭というチートに当てられて発生したバグ。ならば、その後始末をするのは自分をおいてほかにない。
(炎の発現に関わったのは僕だけじゃないけど。ブルーベルの力がなければ、ここまでは育たなかっただろうし)
雲桔梗を押さえつけるためにブルーベルが注いだ雨の炎。体内を循環する同属性の炎に触発され、燻っていた死ぬ気の炎が一気に活性化した。雲桔梗を押さえつけられたときは疎ましさしか感じなかったが、改めて考えてみると偉業である。一しかなかった潜在能力を、一瞬で百まで伸ばしきったのだから。
(唯一僕が掌握できなかった世界。ここを起点にして、さらに世界は広がっていくんだろうね。世界は可能性に満ちていて、すべてを思い通りになんてできるわけなかったんだ)
「これじゃ、世界征服なんて無理だよね」
万感の思いを乗せた言葉に、利奈はただ怪訝そうに眉を寄せた。
匣とリングを渡そうと足を踏み出すが、利奈はそのぶん後ろに下がってしまう。あと何歩か近づけば背中が壁につくだろうけど、そうなる前に横に逃げるだろう。すでに片足に重心が寄っている。
(やったことがやったことだから仕方ないけど、困っちゃうな。綱吉君のついでなんて横着しないで、ユニちゃんがいるときに渡せばよかったか)
綱吉があまりにもあっさりした態度だったから楽観視していたけれど、彼女の反応が正しい被害者仕草なのだろう。ユニも明日には到着する予定だし、警戒を解くためにも、ここは一度引いてみせたほうがいいかもしれない。それに、協力するアルコバレーノがユニで、ユニとの関係も良好だと証明できればそれなりに――
(いや、確か僕を幼女趣味と疑ってたかこの子)
一瞬表情を落としそうになるが、ギリギリのところで堪える。
「じゃあ、また今度会ったときに渡すよ」
匣とリングをポケットに戻すと、利奈が露骨に力を抜いた。そういえば、やけに大荷物だ。パンパンに物の詰まったトートバッグからは、レトルトのカレーが覗いている。家出でもするところだったのか。
これ以上対話を試みても平行線だろうからと背を向けると、動揺したように利奈が声を張った。
「待って!」
(あれ?)
呼び止められるとは思っていなかった。驚きとともに振り返る。利奈は切羽詰まった顔をしていた。
「それ、私も使えるの?」
「使えると思うよ。自覚はない?」
考えるように黙り込む利奈。この表情だと、本人に心当たりはなさそうだ。彼女はボンゴレの戦闘員ではないし、もとの能力も低いから訓練すら受けていないだろう。炎の循環率は高いけれど、炎圧は弱い。――いや、あのときはもっと強かった。
(感情が高ぶると爆発的に伸びるタイプだ。未来の僕だったら、死ぬ直前まで追い込んで遊んだだろうな)
窮鼠猫を噛む。とはいえ、素質はないから匣ひとつ開けるのがやっとだろう。マフィアならせいぜい鉄砲玉だ。
「詳しくは君のお仲間に聞くといいよ。とくに、君のボスなんかは似た系統じゃないかな」
「ヒバリさんと?」
「そうそう、ヒバリちゃん」
利奈の口元がひくついた。たぶん、普段はもっと表情豊かに話すタイプだ。
「どうしても感覚が思い出せないんなら、僕のことを考えてみるといいよ。たぶん、それが一番力を出せると思うから」
「……殺意を込めろってこと?」
「強い想いは力になるからね。利奈ちゃんに協力できるなら、僕も嬉しいよ。嫌われた甲斐がある」
たとえば今なんか、簡単にリングに炎を灯せるだろう。野良猫の威嚇みたいなうなり声がかわいらしい。
次は受け取ってくれるだろうと、匣とリングを再度取り出す。利奈は壁に張り付きながらも、逃げるそぶりは見せなかった。ようやく損得を勘定する程度には冷静さを取り戻せたようだ。
(それでも隙あれば一撃を、なんて考えていそうなところは相変わらず)
瞳に策謀の色が滲んでいる。顔に一撃くらいならもらってもいいけれど、わざと殴られたところで機嫌は直らないだろう。ブルーベルもだけど、思春期の女の子はなにかとめんどくさい。
あと少しで手が届くというところで、利奈の瞳がきらめいた。しかし体を動かすそぶりはなく、何事かと神経を澄ませ――そういえば、追い詰められるほどに真価を発揮する子だったなと思ったところで、目の前の壁に影が増える。
「――っと」
「チッ!」
柄の悪い舌打ちは眼下の利奈から出たもので、その彼女の頭上をトンファーが走る。次に見えたのは青空とまぶしい太陽で、目を細めながらも危うげなく塀に足をつく。
「大丈夫? 怪我してない?」
地面に仰向けになった利奈に、塀の上から声をかける。予備動作なく体を落としていたから、体への負担は大きいだろう。ずり上がったリュックサックが枕みたいになっている。
利奈は不服そうな顔でリュックサックから腕を抜いて、負けん気強く立ち上がった。そして、せめてもの抵抗とでも言いたげに白蘭を指差す。
「不審者です!」
救援に駆けつけた恭弥に、利奈はそう告げた。どうやらわりと早い段階で、恭弥に向けて救援信号を出していたらしい。
(そっか。だからあのとき呼び止めたんだ)
呼び止められたことを意外に思っていたけれど、恭弥が到着するまでの時間稼ぎだったらしい。となると、その後の彼女の表情変化も違う意味を持ってくる。
「そんな恐い顔しないでよ、ヒバリちゃん」
にっこり笑いかけると、二人とも同じ顔で睨みつけてきた。恭弥にいたっては、早くも腕を構えている。腕に光るブレスレットは、この世界で生まれたバージョンアップされたボンゴレリングだろう。それを構えているということはつまり、ガチだ。
「ちょっと待って、今日はそういうことしにきたんじゃなくて」
「問答無用!」
「咬み殺す」
トンファーの先端から伸びた鎖が、足下を横薙ぎに飛んでくる。それを軽く飛んで、追撃を防ぐために空中に留まった。利奈は驚きに目を丸めて、恭弥はムッと唇を尖らせる。
「待ってってば。今僕と戦うのは懸命じゃないと思うよ」
「代理戦、この人も参加するそうです」
「……へえ」
利奈の言葉に恭弥が目を細める。
「でもやっちゃいましょう。どうせ裏切りますから」
「わあ、好戦的」
味方を得たからか、利奈はやけに強気だ。本人も仕込み針を握っている。恭弥も手を止める気はなさそうだし、この部下にしてこの上司ありと言ったところか。
「どうしよっかな。ちょっとくらい遊んでもいいんだけど。でも、ここで僕がやられるとユニちゃんが困っちゃうからなあ」
「え?」
狙い通り利奈が食いついた。
「参加するって言ったでしょ。僕、ユニちゃん陣営」
自分の顔を指差してにっこり笑うと、利奈があっけにとられた顔をする。
「ど、どの立場で……?」
「うん、僕もそう思う。でも、ユニちゃんのお母さんからのご指名だったし」
「ユニのお母さん……?」
「もちろんユニちゃん自身もOKしてくれたよ。ユニちゃん明日には来るから、会いたいなら迎えに来るけど」
そこでもう一回鎖が飛んできた。痺れを切らしたのか、それとも部下へのちょっかいを牽制してか。
「だから、敵じゃないってば」
「敵です」
「どっちでも同じだよ。目障りなハエは咬み殺す」
そう言って恭弥が塀に乗るので、白蘭はすかさず地面に降りた。これ以上は話ができなそうだ。
「じゃあ、そういうことだから」
「っ、もう二度と来ないで!」
「並中生へのつきまといは風紀違反だよ」
さっきも聞いた言葉が出てきて、思わず笑ってしまう。つくづく、面白い子たちだ。
――
白蘭を追い払い、クロームの家へとやっと辿り着いた。
約束の時間よりも遅くなってしまったので、荷物の整理よりも先に食事を始める。タッパーで持ってきたのは母が作った卵焼きに唐揚げ、そしてきんぴらごぼう。クロームがインスタントの味噌汁も用意してくれていたので、一汁三菜そろっている。
「それでそのままいなくなっちゃったの! 急に出てきて急に帰る! そんなのヒバリさんだけで十分だよ!」
文句を言いながらとモリモリご飯を食べる。ご飯は炊き慣れてきたところだそうで、ほかほかとおいしい。
「あの人、今この町にいるんだ……」
「そうみたい」
風紀委員の情報網には引っかかってなかったから、並盛町に滞在していないか、今日並盛町に着いたかのどちらかだろう。並盛町に滞在するようなら、居場所は把握しておきたいところだ。
(もう掴めてると思うけどね。ヒバリさんもさっさと行っちゃったし。今日は学校来なくていいって言ってたから、それはラッキーだけど)
迅速な報連相のおかげで、それなりに機嫌は取れたようだ。白蘭の参戦が判明したのもあって、代理戦争に関心を示し始めていた。そしてそれは利奈も同じだ。
(白蘭が参加するなら参加もありだよね。合法的にやれるし)
ルールによっては、白蘭に一泡吹かせてやれる可能性だってある。とはいえ、恭弥の様子ではまだまだ参戦にはほど遠いだろう。もっと決め手となる条件が必要だ。
きんぴらごぼうに箸を伸ばしたところで、浮かない表情のクロームに気がつく。
「あの人がいるの、心配?」
なんといってもすべての諸悪の根源だ。そんな人間がまた戦いに参加するのだから、不安に思ってもおかしくはない。
「ううん。そうじゃないの」
「なら?」
「……」
クロームが黙り込む。代理戦争について話したところからあまり反応はよくなかった。
「……ちょっと、変かも知れないけど」
「うん」
言葉がまとまらないのか、クロームはまだ口ごもる。クロームは気持ちを伝えるのがあまり得意でない。だからこちらからいろいろと汲み取ろうとしてしまうけれど、骸との約束があるのでクロームの言葉を待つ。クロームが、自分で考えて結論を出せるように。
「私、その話だれにもされてないの。アルコバレーノにも、ボスにも、骸さんにも。……私、霧の守護者なのに」
口を挟みそうになるのを、箸を置いて耐える。
「雲雀恭弥のところには、昨日、アルコバレーノが来たんでしょう? 私、ボスと同じクラスで、同じ教室にいたのに。そんなこと、一言も言われなかった。利奈に聞かされなかったら、戦いのことすら知らなかった」
リボーンはともかく、綱吉なら自らクロームを巻き込もうとはしないだろう。本当は自分だって戦いたくないだろうが、それはもう宿命だと思って諦めてほしい。
そしてリボーンがクロームに声をかけなかったのは、骸と同じ理由だろう。もしくは、骸の考えを察してクロームに成長を促しているのか。
(あー、全部言いたい。言いたいけど、言ってもクロームのためにはならないよね)
隠し事をするようで気が引けるけど、過程を飛ばして答えだけ口にしても意味はない。
(隠し事って言えば、ツナたちも京子たちにしてたよね。あれは普通にしょうもなかったけど)
あれは問題を後回しにしていただけで、保身にしかなっていなかった。巻き込んだあとに巻き込みたくないと言ったって手遅れである。
「クロームはさ」
姿勢を正してクロームを真正面から見つめる。
「クロームは、代理戦参加したい?」
「……」
クロームの眉が下がる。
クロームは優しい子だ。利奈と違って血気盛んではないし、できることなら争いには参加したくないだろう。でも戦いがいやなわけではなくて、戦えと言われれば、人一倍頑張ろうとする。これまではそれでよかったのだ。
「ツナはリボーン君の代理で戦うけど、骸さんはリボーン君のためには動かなそうじゃない。もし、骸さんが違う陣営の味方したらどうする?」
「え……」
これまでも、骸はボンゴレファミリーのためには動いていなかった。リボーンの呪いが解けたところで、骸に得はない。
「ほら、マーモンはヴァリアー所属だけど、フランの先輩に当たるじゃない」
「フランって……」
「ほら、この前、フランスまで迎えに行った子のこと」
「ああ」
秘密にするのも後ろ暗いことがあったみたいになるから、骸と行動を共にしたことはちゃんと伝えている。クロームはその日の朝、黒曜を出て行くようにと手紙で指示されたそうだ。前日に転入手続きされていたにもかかわらず。
(ひっどいよね。報連相どうなってんだか)
骸が懸念したとおり、先に話を通されていなければ、利奈は黒曜ランドで骸たちを待ち受けることになっていただろう。未来の記憶があるからか、行動を読まれやすくなっている。
「ツナの邪魔するために、骸さんがヴァリアーに協力する可能性もあるでしょ?」
ヴァリアーが部外者を受け入れるかどうかはわからないけれど、フランの親権で一悶着あったし、少しくらいの無茶なら通るだろう。
「あと、ツナたちには協力するなとか、クロームもヴァリアー陣営に入れとか。そう言われたらどうする?」
「……わからない」
クロームがきゅっと眉を寄せる。なんだか意地悪を言っているみたいだけど、骸たちはそういう集団だ。今まではボンゴレと契約していたから敵対することはなかったけれど、契約が解けたら敵に回ってもおかしくない。利奈だって、いつ骸の毒牙にかかるかわからないのだ。
(この前さっそくやられたけど。有無を言わさず利用されたけど)
利奈は問答無用で利用するが、骸はクロームにはそうしなかった。仲間だからこそ、クロームの意思を尊重しようとしている。クロームがリボーンの代理になったとしても、骸はクロームを見限ったりはしないだろう。間違っても即座に除籍などしない、いい上司である。報連相はしないけれど。
ちょっと雰囲気が重たくなってきたので、箸を取り直して味噌汁を啜る。インスタント味噌汁に入っている、輪っかの形の麩が地味に好きだ。
「私もどうなるかわかんないんだけどさ。そのうちどっちかから話来るかもだし、今のうちに考えとくといいんじゃないかな」
「……どっちを選ぶか?」
「選ばないって手もない? たぶん、エグい戦いになるよ」
すでに未来での最終決戦メンバーがほとんど揃っている。ここにさらに四勢力加わると考えれば――世界大戦が始まりかねない。
「そだ、エグいって言えば理科のテストなんだけど――」
選択肢を増やしたところで、話題を学校での出来事に移す。まだルールすら不明なのだ。二人でああだこうだうなったところで、なんにもならないだろう。
「なんか、こうやって食器洗ってると未来でのこと思い出すよね」
「うん」
肩を寄せ合って台所に並ぶ。クロームが洗ったタッパーを、布巾で丁寧に拭いていく。
「うちは食器洗っても拭かないから、拭くの新鮮だった。手が滑って皿割りそうになって」
「私も。食器使ってなかったから、洗ったりするの慣れなくて」
「あそこ台所ないもんね。あれ? あったっけ?」
「レストランが……でも、ガスが通ってないから」
「料理できないんだ」
「焚き火で焼き芋焼いたりはしたよ。犬がチョコレート温めようとして、全部溶かしてた」
「もったいな!」
食器の片付けを終えて、ようやく荷ほどきの時間だ。リュックサックの留め具を外して中身を覗き込んだ利奈は、ギョッとして飛び退いた。
「どうしたの!?」
無駄に勢いよく飛んだせいで、クロームまでびっくりしている。
(やってくれたなあいつ!)
触れるタイミングはなかったし、リュックサックはちゃんと閉じていたはずだ。それなのに、見覚えのある箱が入っている。探せば指輪も入っているだろう。すんなり帰ったように見せかけて、ちゃっかり目的を遂げていったのである。
__
アパートを出て、ため息をつく。中身を出し切ったリュックサックはぺしゃんこで、空のトートバッグを入れても羽のように軽い。それなのに、肩はずっしりと重かった。
(さーて、どうしよう)
この厄介な置き土産の処置をどうするか。もちろん突き返すつもりだが、利奈が持っていていい代物ではないだろう。
(仕方ないなあ……)
危険物は委員長に報告するのが規則だ。恭弥に渡すべく、学校へと向かった。
後書きの文を本文に組み込みました。未来の選択へのご協力、ありがとうございました。