昨日に引き続き、授業中にアラームが鳴ることはなかった。クラスに四人も敵がいるからそれはそれで助かるけれど、いつ始まるかわからない緊張感は精神衛生上よろしくない。授業にも全然集中できなかった。
「前回の持ち物検査の結果、まとめ終わりました」
「わかった。確認ファイルに入れておいてくれ」
今回の委員会業務は哲矢と二人でおこなっている。指示通りにファイルに用紙を入れて、机の上に戻す。哲矢と二人きりで業務をするのは初めてだし、主のいない机は空虚だ。
(アラーム鳴ってからディーノさんのとこ行けばいいのに。ヒバリさんもせっかちだなあ)
どうしてもディーノと戦いたいらしく、恭弥はディーノの周りをうろついている。
ディーノが恭弥の知り合いであることは瞬く間に知れ渡り、二人の関係については、すでに様々な憶測が飛び交っていた。そのなかにはほぼ正解に近いものもあるのだから、人の噂も馬鹿にできないものだ。最初に燃料を注いだのは自分だが。
作業が一段落ついたので、湯呑みに残っていたお茶を飲みながら哲矢の手元を眺める。手が大きいから、ボールペンがとても小さく見える。
「未来の知識あると、表書くの楽だったりしますか?」
「そんなピンポイントな知識はない。だいたい、会社で働いてるならそんなのパソコンでやってるだろう」
ごもっともなことを言いながら、するすると文字を書いていく哲矢。若干ぞんざいな扱いだが、彼がそんな態度を取るのはほかの風紀委員がいないときだけである。未来の知識を得たことで精神年齢が引っ張り上げられた結果、素でいるとキャラ崩壊を起こしかねないのだ。そして利奈も、ほかの風紀委員がいるときはこんな口の利き方はできない。哲矢が許しても、ほかの風紀委員は許さない。よくて鉄拳、悪くて鉄拳・詰問・制裁のフルコースだろう。
「帳簿とか上納金の監査とかいっぱいあるし、もういっそパソコンで全部やったほうがいいんじゃないですか。来年の部屋割り申請、PC室にしちゃいます?」
「却下」
またもやすげない返答がくる。
「だいたい、パソコン使える委員が何人いると思ってるんだ。教えてるあいだに書類が溜まっていくぞ」
「確かに……」
利奈を含め、風紀委員全員がまずパソコン操作を覚えなければならない。全員がPC室にミチミチに詰まっている光景を想像し、小さく噴き出す。少なくとも、不良の面目は丸つぶれだろう。今期に関しては、利奈が時間を惜しまず書類仕事に精を出している甲斐もあって、電子化の必要はなさそうだ。雑談を交えながら作業を続けていたら、応接室に恭弥が戻ってきた。まだアラームは鳴っていないのに。
「ディーノさんはどうしたんですか?」
「追い払われました」
端的に風が答え、恭弥がやや不服そうに眉をしかめる。
「車呼んどいて」
「はい、恭さん」
すかさず哲矢が席を立つ。恭さん呼びは改めなかったものの、風紀委員たちはすんなりと受け入れている。未来ではそれで定着していたのだから、早いか遅いかの違いだろう。
「車? どこ行くんですか?」
「ディーノのホテルです。仕事が終わったら、沢田綱吉たちと宿泊先のホテルで落ち合う予定だそうなので」
「ああ、それで追い払われてきたんですね」
「うるさい」
風がぴょんと恭弥から飛び降りる。定位置についた恭弥がファイルを手に取った。
「今日はこのままホテルに行くんですか? だったらクロームに連絡しないとなんですけど」
クロームは携帯電話を持っていないし、家に電話もない。例によって母が夕食のおかずを用意しているので、ホテルに直行するようなら、代わりに利奈の家まで行ってもらわないといけない。
「それは巡回中の風紀委員に頼めばいい。ヒバリさん、俺はこのまま並盛にいたほうがいいでしょうか」
「そうだね。僕がいないあいだに好き勝手されるのも癪だ」
ディーノの宿泊先も調べはついている。並盛町から離れた、超高級ホテルだ。なんと、ヴァリアーもそこに宿泊している。
(ホテルで鳴ったらすごい大惨事になりそうなんだけど……そこんとこ大丈夫なのかなあ)
暗殺部隊なのに、彼らの戦い方はとても派手だ。さすがに一般人を巻き込んだりはしないだろうけれど、建物の破損は避けられそうもない。
「それはそんなに心配しなくても。あちらにはマーモンがいますし、術士も多く抱えているでしょう。それに、そんなことを気にしていたらヴァリアーには勝てませんよ」
利奈の心配をあっさりと流す風。常識人じみていても、やはりアルコバレーノだ。
いや、風は水道管爆破偽装事件を知らない。ヴァリアーの事後処理が存外力押しなのを知らないのだ。当時現場にいた人のうち何人かはきっと、スクアーロのことを覚えているだろう。その人たちにとってのスクアーロは、水道管爆破で変にテンションが上がった銀髪ロング外国人という位置づけになっていると思うと、笑いがこみあげてくる。
「どうかしましたか?」
「いえ、なにも」
膝の上にいる風には、笑いを噛み殺したときの振動が伝わっていたようだ。送迎車にチャイルドシードがなかったので、風は利奈の膝の上に収まっている。風は体温が高く、重さもちょうどいいからなんだか眠たくなってくる。外もすっかり暗くなって、黄色い月がはっきりと見えた。重たいまぶたを持ち上げつつぼんやりと外を眺めていた利奈だが、お目当てらしきホテルが見えてきたところで目が冴えた。
「……ヒバリさん、ホテルってあれですか?」
「あれだね」
「どうかしました?」
先ほどと同様、太ももの強張りで変化に気付いた風が下から問いかけてくる。
「……あのホテル、私が未来で白蘭に監禁されたとこなんですけど」
「へえ」
「なんと!」
恭弥は興味がなさそうだが、風はホテルを見ようと助手席に飛びついた。帰り際に見ただけとはいえ、あんな豪華絢爛な外装、忘れるわけがない。
「とても豪華なホテルですね。白蘭といえば未来での敵ですが、どうして貴方が?」
「なんでですかね……」
骸がどうとか言っていた気もするけれど、あまり覚えていない。
「嫌がらせかも。その前にもミルフィオーレに捕まってて、めちゃくちゃ悪口言ったんで。あんま覚えてないんです、あっちの匣で体力奪われて……」
「それはそれは。大変な目に遭ってきたのですね」
いたわしいと言わんばかりに風が眉を下げる。こんなふうに心配されるのは新鮮で、どこから変わったんだっけなと利奈は記憶に思いを馳せた。いや、恭弥と遭遇してからそこはずっと変わっていないかもしれない。
車を降りて、ホテルへと入る。車内では膝上に乗せていた風を、今度は両腕で抱きかかえる。最初は恭弥の頭の上に乗ろうとしていたけれど、あれでは無駄に目立ちすぎる。
「ママー! お猿さん!」
小さな子供が恭弥の頭上を指差した。リーチは人の頭の上にいるのが好きなようで、おとなしく鎮座している。それはそれで注目を浴びるが、赤ちゃんを乗せているよりはマシだろう。風が頭の上に乗るのは歩くのにリーチの差――もとい、歩幅の差があったからだが、それを考慮したとしても、恭弥がよく許していたものである。ヒバードと同じ扱いなのだろうか。本当は大人だと知っているのに。
「ディーノさんの客室、何階ですか?」
「知らない」
「知ら、えっ!? 聞いておいてくださいよ、そういう大事なこと!」
このホテルに客室が何室あると思っているのか。エレベーターのボタンは三十七まであるというのに。
「まあまあ。キャッバローネのボスが泊まる部屋なら上層でしょうし、おそらく護衛も控えているでしょう。探すのにそんなに時間はかかりませんよ」
「じゃあ三十七階押しますね。もう」
三十七階を選んで、閉まるボタンを押す。クンと身体が引かれる感覚とともに、エレベーターが上昇する。
「ところで、どうしてそんなにディーノを狙うんです? 強者はほかにもいるというのに」
その疑問を口にできるのは風だけだろう。面識がなかったからこその直球発言である。でもそれは利奈も気になっていた。学校内でなら一番強そうなディーノを選ぶ理由もわかるが、放課後になってからも恭弥の狙いはぶれていない。
「あの人は、僕の師になったつもりの人だからね。僕には不要な存在だ」
僕の師になったつもりの人。わかりづらい呼び方だけど、ようするに、なにかにつけて師匠面するディーノが気にくわないということか。わかりやすく敵対しているあいだに、その関係に引導を渡すつもりらしい。
「それと、ここにはほかの獲物もいる。やたら気の多い風紀委員に、けじめを付けさせておかないと」
「へ?」
くるりと頭を動かすと、お前のことだと言わんばかりに恭弥に睨みつけられた。反射的に腕の力を強めてしまい、風を締め付けてしまう。風は身じろぎもしなかった。
(わ、わあ。ヒバリさん根に持ってたんだあ。初耳ー)
未来でのあれこれはすでに解決済みと思っていたが、利奈の気のせいだったようだ。昨日、レヴィから貰った武器を得意げに振りかざしてしまったのがいけなかったのかもしれない。
エレベーターという密室空間では逃げることもできず、利奈はぎこちなく笑みを浮かべる。当然、恭弥の表情が和らぐことはない。そして、無情にもバトラーウォッチが戦闘開始一分前を告げた。
「え、うそ!?」
エレベーター内では身動きが取れない。とりあえずかんざしを出そうとして、さっきの恭弥の眼差しに思いとどまる。恭弥は微動だにしていない。
最上階で、エレベーターの扉が開く。そして、扉の前には五人の男たちがいた。ヴァリアー幹部が勢揃いである。
「なに、お前も代理で参加してんの? ウケる」
ベルがいらないことを言うので、また恭弥の圧が強まった。
「どういうことだ、こりゃあ。わざわざやられにきてくれるとはなあ」
「渡りに船だね」
「エレベーターにヒバリだろう」
「まんまじゃない」
みな思い思いに喋っている。準備万端、闘志のみなぎった状態で。
(終わった。これは終わった……)
ただ一人、利奈だけが戦意を失っていた。実質五対一、しかもあっちはボスウォッチを持ったXANXUSの姿がない。かりに奇跡が起こって勝負に勝てたとしても、試合には絶対勝てない仕様となっている。
しかし、恭弥にとってはどうでもいいことのようだ。嬉々としてトンファーを取り出している。利奈としてはこのままエレベーターの仲に残って下に降りたいところだが、そうもいっていられない。渋々恭弥に続いて外に出る。
「久しぶりじゃないか、風」
利奈の腕のなかにいる風に、マーモンが尊大な態度で話しかけてくる。
「まさか、そんな恰好の君を見るとはね。しばらく見ないあいだに、えらく子供っぽくなったじゃないか」
「お久し振りですね、マーモン。元気そうでなによりです」
マーモンの皮肉をさらりとかわす風。
「降ろします?」
「いえ、このままで。私がここにいれば、バトラーウォッチが狙われづらいですから」
言われてみれば、風を抱いているおかげでバトラーウォッチが隠せている。アルコバレーノへの攻撃は禁止されていたはずだ。
(じゃあ、ボスウォッチ持ってる人はアルコバレーノを腕にひっつけてれば無敵なんじゃ!? ……ダメだ、負けないけど勝てない)
それに、ボスウォッチが守れても自身の身体は守れない。頭隠して尻隠さずとはこのことだ。
「ところで、どうするの? ボスには敵をかっ消せって言われてるけど」
言外に利奈の処遇を問うルッスーリア。あと数十秒で戦闘が始まってしまう。
「ハッ、そりゃもちろんボスウォッチ狙いに決まってるだろうが。わざわざ雑魚に戦力割く必要はねえ」
強い言葉を使いつつも、利奈を除外するスクアーロ。
「まあ、依頼者の立場からしても、ボスウォッチの破壊を優先してほしいかな。この戦いに全財産つぎこんでるわけだし」
「依頼者がそう言うなら従うしかないわねえ。私たち、プロだし」
仕事であることを強調して利奈を除外するマーモンとルッスーリア。
「う、うむ。お前たちが言うなら仕方ない。情がわいたとかではけしてないが、ボスに殲滅を命令されたわけでもないしな! 命が惜しかったらできるだけ離れていることだ、娘!」
利奈を省く流れにあからさまに喜色を滲ませるレヴィ。巻き込まれないように配慮してくれるのは嬉しいが、配慮が強すぎて恭弥がまた圧を滲ませている。残るはベルだが――
「ふーん。じゃあ俺もそいつ狙うのやめるわ」
「はい、うそ!」
もはや鉄板のネタである。利奈はベルに対してだけ警戒の姿勢を取った。ナイフを手に隠していることもお見通しである。
「もうベルったら。好きな子イジメはよくないわよっ」
「オッケー、こいつやったら次お前な」
「ちょっと、やるなら代理戦終わってからにしなよね」
「やるなら次の幹部候補ちゃんと見繕ってからにしろよぉ」
「……雲雀恭弥が貴方を戦いに参加させた理由がわかりました」
風が感慨深く口にしたところで、バトラーウォッチが開戦を告げる。
『今回の制限時間は三十分です』
長い。それだけあれば、どちらかのチームは敗退するだろう。そして負けの色が濃いのは、人数の少ないこちら側である。
「三十分か。とりあえず、ここだと狭い。部屋まで来い」
「僕はべつにここでもいいんだけど」
「そう焦るなぁ! 心配しなくても、ちゃんと三枚におろしてやるよ」
「そうそう、焦らないで。ホテルの従業員が来てしまっては一大事です」
見られるだけならまだマシだ。巻き添えで怪我でもさせたら目も当てられない。敵味方に宥められながら、彼らの部屋に入る。
「さあようこそ、私たちのスーパースイート空間よっ」
「う゛お゛ぉぉい! 気持ち悪い言い方すんじゃねえ!」
ようは高級ホテルの最上階、スーパースイートルームである。連れてこられただけあって、広々とした空間、高級感のあるインテリア、美しい調度品――
(よかった、全然見覚えない)
どうやら白蘭の部屋はスーパースイートではなかったようだ。部屋の広さも内装も全然違う。団らん用の空間にしては広すぎるが、バトルするにはうってつけの空間である。全員が武器を構え、相手を見据えた。
「さて、そろそろ――おっぱじめるかぁ!」
かくして、代理戦争二日目の戦闘が始まった。
おまけ:もしこの場でXANXUSに利奈を始末しろと命令されたら
スクアーロ:断って守る
レヴィ:引き受けて殺す
ルッスーリア:難色を示して見逃す
マーモン:引き受けて偽装する
ベル:引き受けて殺そうとはする
番外フラン:師匠を口実に断る