最高級ホテル最上階のスーパースイート。一階層まるまる一室というとんでもないゴージャス空間で戦いが始まる。向こうの指揮を執るのは、作戦隊長のスクアーロだ。
「まずは肩慣らしだぁ! リングなしでやんぞぉ!」
剣を構えるスクアーロ。スクアーロは剣を手に持たない。剥き出しの剣を、義手の甲に取り付けている。
「べつに使ってくれてもかまわないけど?」
「ハッ、一瞬で終わっちまったらつまんねえからなぁ!」
そう言って斬りかかったスクアーロを避け、恭弥がトンファーを上に打ち付けようとする。しかし、そこにメタルニーを突き出したルッスーリアが飛びかかり、恭弥は体をひねってその体重をいなした。そのがらあきの背中にレヴィが電撃を打ち込もうとするも、それは発射する前に動線から逃れた。
事前の宣言通り、三人は恭弥一人を狙っているが、ベルだけは始めの位置から動かず、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて利奈を見ていた。
「あっち行かなくていいの?」
「お前こそ、自分とこのボス守らなくていいのかよ」
そんなことをしたら、真っ先に戦闘不能にされるだろう。ヴァリアー相手に肉壁になれると思えるほど、面の皮は厚くない。
「それより、それズルじゃね?」
利奈が抱きかかえている風を指差すベル。アルコバレーノへの攻撃は禁止されているが、利奈のバトラーウォッチは風の小さい腕の下だ。
「すみません、この身体では抱えていただかないと移動が遅く。私もマーモンみたいに空を飛べればよかったのですが」
いけしゃあしゃあとそんなことをのたまう風。しかし、引き合いに出されたマーモンの姿が見えない。幻術で隠れているのだろうか。こっそりと近づいて時計を壊されたら大変だ。キョロキョロと辺りを伺うが、そもそも見えないのでは対処のしようがない。
(あっ、でもマーモンは戦っちゃいけないんだっけ)
アルコバレーノへの攻撃が禁止されているのと同じく、アルコバレーノからの攻撃も禁止されている。幻術での妨害も、攻撃に入るだろう。ひとまずは安心だが、状況は圧倒的に不利なままである。
「まあ、それならそれでいいけど? バトラーウォッチ壊せなくても、身体壊せば同じことだし、なっ!」
「っ」
ナイフが一本、壁に突き刺さった。刺さったナイフを見て、風が目を細める。
「ワイヤーが張られていますね」
「うん、ベルのナイフは全部そう」
ベルとは未来で何度か戦ったことがある。もちろん模擬戦だが、ベルは毎回自身のナイフを使っていた。大人げない。だから、ベルのナイフ投げの精度も、ナイフに張られたワイヤーの脅威も十分承知している。その上で断言するが、利奈が勝てる見込みはゼロだ。たとえここで命を投げ出したとしても、絶対に勝てない。それだけの実力差がある。
となると、残るは負けないこと――バトラーウォッチを壊されないことが目標となる。しかしここできついのが、遮蔽物のない空間とリーチの差だ。ベルの武器は言わずもがなのワイヤーつきナイフで、時計を壊すのに向いている。利奈の持つ仕込み針も投擲可能な武器ではあるが、一本しかないので一本勝負。しかも、外せばがら空きになってしまう。風のおかげで一発退場は免れたが、わずかばかりの延命処置に過ぎない。
いっそ部屋の外に逃げてしまえば時間稼ぎになるだろうが、直前の恭弥の言葉がそれを許さない。恭弥は利奈にケジメをつけさせると言っていた。つまり、ここで利奈が求められているのは、彼らへの敵対行為だ。
(わかってるけど無理だよー! 相手暗殺部隊なんだよ、もー!)
風紀委員長に抗議したいところだが、彼は彼で絶賛戦闘中だ。まだ両者ともに準備運動の段階だが、すでに利奈にはついていけないレベルになっている。
「おいおい、数に押されてるようじゃジリ貧だぞぉ! サシがお望みかぁ!」
「いらない。それよりもっと本気出してよ。なにを気にしてるかは知らないけど」
「ぬあ!」
放電し損ねたレヴィが恭弥の一撃を受け止める。
「ちょっとレヴィ、手を抜きすぎよ」
「うぬう! べ、べつに雷撃の勢いを調整しているわけではないのだからな!」
「なにあのキモい言い方」
大柄で小回りのきかないレヴィは、俊敏な恭弥からしたら恰好の的だ。しかし、その体格のよさで恭弥の攻撃を受け止め、当たれば麻痺確定の電気を込めた一撃を放つことで距離を取らせている。ほかの幹部との交戦中にも遠距離から電撃を飛ばせるので、なかなか厄介な敵であると言えるだろう。しかし、今は精彩を欠いている。
「お前なあ! あっち気にしてる場合じゃねえだろうが! どんだけチラチラあっち見てんだぁ!」
「ぬおお!? 違うぞ! 俺はただ、あいつがどうやってベルと戦うか気になっているだけで!」
「全然違くないじゃない!」
「ふざけないで」
恭弥が珍しく敵と同調している。タジタジになっているレヴィはなるほど、利奈がどうなるかを気にしているらしい。
「マジウケる。まあ、レヴィの武器じゃ俺のナイフは防げないだろうけど?」
「なんだと!?」
「そちら、あの方からの贈り物で?」
(ごめん風君、それ以上ヒバリさん煽らないで)
そんなつもりはないだろうけれど、重圧がきつすぎてそろそろ限界だ。とはいえこちらから攻めに行ったところでなので、八方塞がりである。
「お前もわかってんだろ? その針じゃワイヤーは切れない。長さもないから弾けない。俺を狙うには接近戦に持ち込むしかないけど、俺がそんなこと許さない。完全俺の下位互換じゃん」
ベルの言うとおり、これがナイフだったらやりようはあっただろう。夜の学校でも、ベルのナイフを得たことでワイヤーから逃れることができた。それを再現できればよいのだが、そのためにはベルのナイフを手に入れなければならない。
「ほらよっ」
「わっ」
投げられたナイフは利奈ではなく、右側の離れた壁に突き刺さる。利奈の顔の高さ、腰の高さ、膝の高さ、それぞれ三本。肉眼では見えないけれど、ワイヤーが張ってあるのは明らかだ。左側では恭弥たちが戦闘しているし、逃げ道はこれで塞がれた。
「どうする? 泣いて頭下げるなら一本くらい施してやってもいいけど?」
「だれが!」
それなら、まだ身体に刺さったナイフを使ったほうがマシだ。しかし、抗えば抗うほど機嫌がよくなるなんて、つくづくいじめっ子気質である。
「そのちゃらついたかんざしと交換でもいいぜ。王子のナイフに比べればガラクタだけど、雑魚相手に使うんなら後腐れないし?」
「ム!?」
聞き捨てならないとばかりにレヴィがこちらを見る。贈り物が強奪されようとしているのだから、それはそうだ。
「ガラクタとはなんだ! 聞き捨てならんぞ!」
「だってそうじゃん。王子のナイフのほうが百倍使えるし」
「装飾品とナイフで性能を競うのはナンセンスよ、ベル」
メタルニーとトンファーがぶつかりあって高い音を立てる。顔面狙いの攻撃を膝で受けるなんて、脅威の身体能力だ。そしてベルから受けた屈辱をぶつけるように、レヴィが両手の剣で恭弥を狙う、が、軽々と避けられる。
「利奈! かんざしの持ち手側を使え! ナイフを落とすくらいならそれで十分だ!」
「は?」
「え、あっ……はい! わかりました!」
言われてみれば、弾き落とすのが目的なら飾りの装飾を鞭代わりに使えば済むことだった。かんざしを持ち替えると、レヴィは力強く頷いた。
「テメエなにやってんだごらあぁ!」
「ぐふぁ!」
無防備なレヴィの腹部に、怒れるスクアーロの回し蹴りが沈み込む。一瞬吐く動作をしたもののレヴィはかろうじて耐え、何事かとスクアーロを睨み返した。
「貴様、裏切りか!?」
「テメエのことだぁ! なに敵に塩贈ってんだテメエはぁ゛!」
「……な、なんか、ごめんなさい……」
なにもしていないのに、勝手に向こうが仲間割れを起こしている。そして、委員長の反応を見るのはもうやめた。確認したっていいことはない。ただ、ベルは楽しそうである。
「あー、おもしれー。そんじゃ、レヴィも脱落しそうだし、そろそろ俺もあっち加わろっかな」
それはつまりこちらを終わらせるということである。
「べつに私をやってからじゃなくてもいいんじゃないかな、それ」
「でもお前を残しとくとめんどくなるだろ。お前、あのときのこと忘れないってよく言うけど、俺だって同じなのわかってる?」
それはいったいどの件だろう。あのあといろいろやったからどれがベルに根に持たれているかはわからない。隼人で煽った件だろうか。
ベルが投げてきたナイフを避ける。投げる動作が見えているから対処は容易だが、避ければ避けるほどワイヤーが張り巡らされてしまう。かんざしでワイヤーを払い落とそうとするも、ベルは巧みにワイヤーを緩ませ、それを阻んだ。そして次のナイフを投げる。
「二本あります!」
胴体を狙ったナイフを払おうとしたものの、風の言葉でギリギリ躱す。肉眼では一本にしか見えなかったけれど、壁に刺さったナイフのワイヤーには、もう一本ぶら下がっていた。
「ほ、ほんとに二本ある……」
「一本目のナイフに取り付けられたワイヤーにもう一本固定されていました。払うことを見越してのものですね」
「そのやり方、初めて見た」
つまり本気である。そうなると、防戦一方というのは本当に不利だ。諦めて逃げるにも、逃げ道はすでに摘まれている。いっそ恭弥のほうに逃げるという手もあるが、剣やら電撃やらが飛び交う空間に躍り出るのも自殺行為だ。そして、迷っているあいだにどんどんワイヤーが張り巡らされていく。ワイヤーで動きを封じてから時計を壊すつもりらしい。ウソ認定したあの言葉は、命は狙わないという意味だったのかもしれない。
(せめて壁のナイフが取れればいいんだけど……)
目には目を、ナイフにはナイフをで投げ返せればいいのだが、ナイフを取る隙をベルがくれるはずもなく。ちょっとでも手を伸ばそうものなら、そこめがけてナイフを投げてくるし、本当に戦い方がいやらしい。
「っ」
避けたはずのナイフが腕をかすめた。明らかに疲労が溜まってきている。
「息上がってんじゃん。そろそろ終わっとく?」
「……冗談」
時間は稼げている。二十分以上もったのだから、もう十分に働いただろう。
恭弥たちの戦いは激化しているが、今のところだれの時計も壊れていない。だが、時間がかかればかかるほど恭弥が不利になっていく。なにせ三対一、体力の消耗も桁違いだろう。ベルまであちらに行かせるわけにはいかない。だからできるかぎり引きつけておきたいが、そろそろ限界だ。それは腕のなかの風にも伝わっていた。
「もうダメだと思ったら言ってください。いつでも降りますから」
「わりとずっとダメ……」
風が腕から降りれば、バトラーウォッチが剥き出しになる。つまりいつでも脱落できるようになるが、ベルがそうあっさり倒してくれるとは思えない。
それに。利奈は風を抱え直した。
「でも、負けたくない。から、頑張る」
「わかりました」
気合いを入れ直して体勢を変えるが、しかし、それが命取りとなった。
「へ?」
踏み直した足の下に違和感を覚えたその瞬間、視界が大きく揺らいだ。落ちていたナイフのひとつを踏んづけてしまっていたのだ。瞬時にワイヤーを引かれ、ナイフの上に乗った足が滑る。疲労の溜まった状態では体勢を維持することができず、風を抱いていた腕が解け、かんざしが天を向く。
(やっば――)
転倒だけは避けようと受け身の姿勢に移るが、間の悪いことに、そこは恭弥たちの戦闘範囲であった。そして、利奈の持つかんざしは、銀で加工されている。そう、レヴィが懸念していたのはそれだったのである。閃光が走った。
「きゃああああ!」
銀は電気を通しやすい。レヴィの放っていた電撃がかんざしを通して感電し、利奈は甲高い悲鳴を上げながら床に倒れた。
「うぉ!?」
「なんだぁ!?」
突然の悲鳴に視線が集まるが、利奈に為す術はない。そして恭弥も急には動けない。
「シシッ。はい、おしまい」
とどめの一撃をベルが放つ。せめてもの情けとしてバトラーウォッチだけを狙った投擲だったが、その切っ先は宙を舞った。
利奈が体勢を崩してからベルがナイフを投げるまで、十秒あった。十秒あれば、それで十分だ。いや、正確には三分の延命だが。
「大丈夫ですか」
「……え」
見上げた先によく見る横顔がある。いや、見たことはない。恭弥がこんな穏やかな表情、するわけがない。
「……ふぉん……くん?」
痺れて呂律の回らない舌で問うと、風は優しく笑った。