なにはともあれ、これでやっと本題に進めるだろう。
綱吉が濡れたままだが、これ以上進行を遅らせると恭弥がなにをするかわからない。気の毒だけど、話が終わるまで我慢してもらう。
「ええっと、それで、俺たちが囮になるって話ですけど。具体的になにをすればいいんでしょうか」
綱吉はやたらかしこまっていた。逆鱗がどこにあるかわからない以上、下手に出るのが一番の安全策だ。少し前の自分を見ているみたいで、利奈の目が遠くなる。
「そうだね。囮は一人いれば十分だから、あとの二人は確保側に入ってもらおうか。咬み殺すのは僕一人で十分だけど、一斉に散られても厄介だし」
「あれ捕まえるのめんどくさいですもんね。お店に入られると損害が増えますし」
実感をもって同意すると、三人が一斉に利奈を見上げた。が、だれも掘り下げようとはしない。リボーンは苦いコーヒーを楽しんでいる。
「囮が一人と護衛が二人。場所柄、護衛は一緒に行動したほうがいいだろうな。
どうせヒバリは単体で動くんだろ?」
「まあね。人が群れてるところにいるのはごめんだから」
となると、恭弥と顔を合わせるのは、不良が姿を現したときだけになる。圧力を受けずに済むのは助かるが、指示が仰げないのは困りそうだ。
「その辺りは心配ねえぞ。ちゃんと連携が取れるように、インカムを用意しておく。
ほかにも必要そうなものはこちらで手配させてもらうが、いいよな?」
「かまわないよ。どう動くかもそっちに任せるから、相沢も好きに使って」
「え」
しれっと差し出され、目が点になる。
不良が出るまでは普通に遊んでいればいいだけとはいえ、こうも簡単に受け渡されると複雑だ。
「場所、どこにする? せっかくだから、夏休みにまだ行ってないところに行こうぜ」
「遊びじゃねえんだぞ! それに決めるのは十代目だ!」
「えええ、俺!? いやいやいや、そこはヒバリさんでしょ」
綱吉が機嫌を窺うも、恭弥は無反応だ。多少の騒がしさには目をつむることにしたらしい。
「なに言ってんだ、ヒバリはこっちに任せるって言ったんだぞ。ここはボスであるお前が責任を持って決めるべきだろ」
「俺、ボスじゃないし!」
「いえ、ボスはどう考えても十代目しか!」
「よくわかんねえけど、俺はリーダーなんて柄じゃないし、ツナでいいんじゃねえか? 獄寺もこう言ってるし」
(リーダー、沢田君なんだ……。どう見ても下っ端にしか見えないけれど)
しかし、だからこそ都合がいい。綱吉がいなかったら、話が進まない。
「あ、そういえば」
思い出したように綱吉が声をあげる。
「囮役って、だれがやるの?」
――その問いに疑念を抱かなかったのは、隼人だけだっただろう。
隼人を除いた四人の表情を見て、綱吉がさっと顔を青ざめさせた。
「え、お、俺!?」
「沢田君が自分じゃないと思ってたのがびっくりだよ……」
「むしろ、ほかにだれがやると思った」
「や、山本とか?」
苦し紛れに綱吉が呟く。
――話を聞いていなかったのだろうか。不良が襲うのは、気の弱そうな高校生だけである。
「だ、だって俺、高校生には見えないでしょ!? さすがに小学生には間違われないけどさ……」
「いや、俺も高校生に見られたことはないぜ? 野球だと高校生級? とかは言われたことあるけど」
自覚なしに、しれっと自慢が入る。
「山本君は無理だよ。だってどう見てもスポーツできる顔してるもん。それに、隣に並んだら私が浮いちゃう……」
「あ? おい、十代目を馬鹿にするつもりか? このお人はなあ、爪を隠す鷹なんだよ!」
「獄寺君、意味わかんないから!」
因縁をつけようとする隼人を、綱吉が腕を掴んで引き留めてくれた。とりあえず、隼人には絶対無理だろう。わざわざ隼人に絡む不良がいたら、それは無謀というものだ。
「で、でも、囮ってったって――こ、恋人のふりするんだろ? そんなの無理だよ!」
「大丈夫です! 十代目なら!」
「いや、そうじゃなくてさ。ほら、相沢さんだって俺なんかと一緒に歩いて、もし知ってる人に見られたら困るでしょ」
「気にしないで。そういう係だって諦めてる」
「潔い! と、とにかく俺には無理だよ! 絶対失敗するし!」
ここにきて綱吉が消極的だ。よほど囮役になりたくない理由があるようだが、言いたくはないようで、かたくなに首を振っている。これで相手が利奈だから嫌だとかいう理由だったら、立ち直れなくなるので、違う理由であってほしい。
「いいからやれ」
「ゴフッ!」
業を煮やしたリボーンに頭を蹴られ、綱吉がつんのめった。赤ん坊なのに、リボーンはやたら攻撃的だ。将来が心配になる。
「えと、そもそもなんだけど、私も大丈夫かな? 高校生、やれると思う?」
「無理だな」
「いけるんじゃね?」
そろそろと手を上げると、正反対の意見を同級生に告げられた。どちらがどちらかなんて、説明しなくてもわかるだろう。綱吉の意見も聞きたかったけれど、まだ頭を抱えて悩んでいるのでやめておく。
恭弥に聞くのも気が引けるのでリボーンを見ると、赤ん坊特有の読めない表情で見上げられる。口元が、にやりと上がった。
「心配無用だ。ちゃんと助っ人を呼んであるぞ」
「助っ人?」
「今から呼んでもいいか」
「いいよ」
恭弥が許可を出したと同時に、ドア越しにくぐもった声が響いた。
「その必要はないわ」
ドアが開き、抜群なスタイルの美女が颯爽と足を踏み入れる。
(が、外人さん?)
彼女が助っ人なのだろうか。
ピンクブロンドの髪をなびかせたその美女に引き付けられたが、次の瞬間、足元に転がってきた人物に、強制的に視線を剥がされた。
「う、ぐああっ……!」
「獄寺君!?」
なんの前触れもなく苦しみだした隼人に驚き、屈みこむ。歯を食いしばって脂汗を流す隼人は、痛むのかおなかを押さえている。
「獄寺君、おなか痛いの? 大丈夫?」
腕を掴んで呼びかけても返事がない。悪い物でも食べたのだろうか。
「ビアンキに援護を頼んだ。これで利奈のほうは大丈夫だ」
「話は聞かせてもらったわ。その子を大人っぽくすればいいんでしょう? 化粧なら任せてちょうだい」
(そんなことより、獄寺君……)
依然、隼人は苦しんでいるのだが、リボーンはお構いなしに話を続けている。日常的によくおなかを痛めているのだろうか。
「と、とりあえず、ビアンキ外に出て! じゃないと獄寺君がもたないから!」
「あら、ずいぶんな言い草ね。隼人、どうしたの? 夏バテ?」
「ひっ」
ビアンキが近づこうとすると、隼人は大慌てでソファの影に隠れてしまった。ずるずると這う姿に、普段の威勢は感じられない。
「まあ、照れちゃって。隠れてないで出てらっしゃい。せっかく会えたんだから」
「ストップ、ストップ!」
机の下を覗き込もうとするビアンキの前を綱吉が塞ぐ。よくわからないけれど、隼人はビアンキに会いたくないらしい。机の下で、ガタガタと体を震わせている。
「ほら、続きは外で話そう! 獄寺君にはあとで俺から伝えるから!」
「なによ、乱暴ね」
綱吉に背中を押され、ビアンキが強制的に退席させられる。リボーンもソファから飛び降りた。
「利奈と武も一緒に来い。これから二手に分かれて二人をプロデュースするぞ」
「え、でも獄寺君が――」
這いつくばる隼人を置いていくわけにもいかないだろう。不機嫌な恭弥がいるのだから、なおさら。
「よくあることだから気にすんなって。ちょっとしたら治るしさ」
「ほんとに? 相当辛そうだよ?」
「平気平気。じゃ、落ち着いたら来いよ、獄寺」
「……うっせー」
やっと返事できるだけの元気を取り戻したらしいが、声音がうめきと同類である。
足元でそんな声がするものだから、恭弥がより一層不快そうに頬を歪めた。
「ねえ、僕はいったいなんの茶番を見せられてるの?」
「おおお、お騒がせしましたー!」
半ば強引に応接室を押し出される。
恭弥と隼人の組み合わせには不安しか感じられないけれど、あとはなるようになってもらうしかない。
そして勢いに乗せられたまま二手に分かれ、ビアンキとともに空き教室へと放り込まれた。放り込まれたとしか言えないぐらいの押し込まれ方だった。だれかが呼びに来るまで、絶対に教室から出るなと言われるほどの念の押しようだ。
男子と女子に分かれたほうがいいとはいえ、初対面の人と二人っきりにされるとは。
いきなり雑になった扱いに不満を覚えながらも、ビアンキに身を委ねる。初対面の人と話すのは慣れているので、緊張はしなかった。
「え、獄寺君のお姉さんなんですか!?」
「そうよ」
隼人に姉がいたなんて。しかもその姉が、こんなに大人っぽい美女だなんて。
驚く利奈の頬を、ビアンキがパフで撫でる。
「あの子、昔からああなの。体が弱くてね。学校でも、倒れたりしてない?」
「いえ? 今日初めてああなったの見ましたけど……」
「あら、そう」
(獄寺君、体弱かったんだ……)
そのわりには喧嘩っ早すぎると思うのだが、実の姉が言うのなら、本当は体が弱かったのだろう。そのわりには威勢がいいけれど。
(にしても――)
化粧をしてもらっている特権として、ビアンキの顔を観察する。
垂れ目といい、厚めな唇といい、隼人とはあまり似ていない。髪の色はお互い染めているとして、顔にほとんど共通点がなかった。
(獄寺君はハーフだから、お姉さんもハーフだよね? だからそんなに似てないように見えるのかな)
ほかの国の人は、みんな同じ顔に見えるという現象がある。そういうことなのかもしれない。
「貴方、隼人とは仲がいいの?」
「そんなには。クラスは同じですけど、話すようになったのも最近で」
「ふふ、あの子シャイだから」
(シャイねえ……)
シャイという言葉で片付けるのは難しいけれど、姉のビアンキから見たらそうなのだろう。素直でないという点では、その表現でもいいのかもしれない。
目を閉じるように言われたのでつむると、ビアンキの指がまぶたを撫でた。目をつむったり、開いたり、唇を尖らせたり、笑ったり、思ってたより化粧は顔を動かすものらしい。
その間に取り留めのない話をして、ビアンキと交流を深めていく。ビアンキは弟思いのようで、会話の節々で隼人との思い出話を聞かせてくれた。人前で発表できるほど、ピアノが弾けるなんて知らなかった。
「リボーン君ってどんな子なんですか? 大人みたいな子ですよね」
ついでに、リボーンについても尋ねてみる。
あの恭弥が一目置いているほどの赤ん坊だ。綱吉の親戚であるという以上の情報が聞けるかもしれないと期待する利奈に、ビアンキはとんでもない情報を暴露した。こともなげに。
「ああ、私のフィアンセよ」
「へ?」
「式はもう済ませたわ。 さ、後ろ向いて」
ブラシを片手に促されて座り直した利奈は、数秒遅れで意味を理解し、勢い良く振り返った。
「フィ、フィア、フィアン――」
「動かないで」
「あ、ごめんなさい……」
たしなめられて姿勢を戻すけれど、頭のなかでは嵐が吹き荒れていた。
(許嫁!? フィアンセって言ったよね!? 式って結婚式のことだし――うん、リボーン君は結婚できないけど。え、あんなちっちゃいのにもう婚約者がいるの!?)
海外では珍しくもないことなのだろうか。外国だと未成年でも飲酒できる国もあるし、いろいろと進んでいるのかもしれない。
丁寧にブラシがけをされながら、脳内であれこれと思考する。いったい、何歳差のカップルなんだろう。
(……あれ? あっ、だから獄寺君が敬語なんだ! リボーン君、お姉さんと結婚するから!)
雷が落ちたような衝撃とともに、不自然だったところが一気に解決していく。
義理の兄にあたる人なのだから、敬語を使ってもおかしくない。むしろ、当たり前だ。
さらに、綱吉はリボーンの親戚だから、筋を通すために、綱吉にも敬語を使っているのだろう。そう考えると、いつも気になっていた不自然な上下関係にも説明がつく。
(なるほど、そういうことだったんだ。これじゃ沢田君も説明しづらいよね。うん。納得)
利奈が一応の――勘違いとはいえ、納得を終えたところで、教室のドアが遠慮がちに開いた。
「お、終わった?」
綱吉の声だ。
「うん、もう終わるよ」
「まだよ。髪をセットしてないわ」
「あ、そっか。ごめん、まだ終わって――」
体をひねった利奈は、驚きのあまり椅子から滑り落ちそうになった。背もたれを掴んでなかったら、危うかっただろう。それほどびっくりしたのは利奈だけでなく、ビアンキも虚を突かれた顔で固まった。
「ど、どう? 変……かな?」
照れた顔で髪をすく綱吉。その見違えた姿に、利奈は顔を輝かせる。
「すごい! すごいよ、似合ってる! どうしたのその髪!」
いつもはツンツンと無造作に跳ねている髪の毛が、ウェーブを描いている。それだけでまるで別人のように様変わりした綱吉に、利奈の驚きが止まらない。
みんなにやってもらったんだと話す綱吉は、照れくささからかいつもよりずっと声が小さかった。
「いつもと全然違う! あれ、背も高くなってない?」
「それはリボーンが用意した靴で……」
「え、全然わからない! すごい、すっごくかっこよくなってる! 獄寺君のお姉さんもそう思いますよね!」
同意を得ようとビアンキに話をふる。すると、ビアンキは手にしたブラシを強く握りしめ、キッと綱吉を睨みつけた。
「……やるわね」
「えっ」
「え、あの?」
グッと肩を掴まれ、椅子に座り直させられる利奈。なにやら、背後からものすごい重圧を感じる。
「プラン変更よ。これからとびっきりのいい女にしてあげる。ツナをギャフンと言わせてやりましょう」
「は、はい……?」
どうやら、綱吉の変わりようが、ビアンキの闘争心に火をつけてしまったらしい。
ブラシがけの手つきからしてもう本気だ。
(だ、大丈夫かな。やり直しになりそうな予感しかしないんだけど……)
いったいここからどう変化させられてしまうのかと怯える利奈だが、こうなったら、ビアンキにすべてを委ねるしか術はない。
待ちくたびれた男子勢が覗きに来るまで、利奈は沈黙に耐え続ける羽目になった。