マーモンの奥義、バイパー・ミラージュ・R。
相手の脳に作用する幻術であり、マーモンが定めたルールを破ると、自動的に肉体にダメージが入るというトンデモ仕様の幻術だ。そして今回マーモンが決めたルール――縛りは、自身の勝利を疑うこと。そして負けを認めるほど、敵を脅威に感じるほど、勝利への自信を失うほど、ダメージが大きくなっていく。
風が血を噴き出したのは、マーモンのこの能力をあらかじめ知っていて、その厄介さを理解していたからだろう。そしてそこを狙った縛りにより、ダメージを受けた。
そしてこの奥義には、もうひとつ厄介な特性があった。あまりにも強力な能力のせいで、術をかける相手がコントロールできないのだ。敵と味方どころか、自分自身すらも能力下に置かれるのである。しかも効果範囲は広く、なんとこのホテルのワンフロア分。つまり、ドアの外で覗き見していた利奈とディーノも、マーモンの術中なのである。さっそく流れた頬の血を舐め、利奈は顔をしかめた。
「大丈夫か?」
「痛くないです、ちょっと切っただけなので」
これは、傍観者気分でいた自分も対象だったという動揺へのダメージだろう。いつものことと言えばいつものことだったためにこの程度で済んだが、これからは動揺するだけでも命取りだ。ディーノもそれがわかっているのか、利奈を下がらせる。
「俺の後ろにいれば大丈夫だ」
ディーノは下に降りろとは言わなかった。それが悪手だとわかっているからだ。
不安というものは、原因から離れれば離れるほど膨らむものである。こうしているあいだにも最上階では――などと考えたが最後、自滅してしまう。それならばまだ、安全地帯で観戦していたほうがマシだろう。
「とりあえずこいつ、渡しとく」
「え、はい。……え?」
噛みつき亀のエンツィオをとりあえずで渡され、利奈はディーノの顔を二度見した。夜だからかエンツィオは眠っている。
「い、いざとなったらエンツィオで全部破壊しろってことですか?」
「ちげえよ。不安になったらそいつ見てろ、気が紛れるだろ」
「ああ、そっち……」
確かに、手のひらですやすやと眠るエンツィオは空気を和ませてくれる。勝敗とは関係ないことを考えていれば、バイバー・ミラージュ・Rにやられることもないだろう。とりあえず、このやりとりで肩の力は抜けた。
バトルは風とマーモン、恭弥とXANXUSの単体バトルになっていた。マーモンが風を幻術空間へと連れて行ったので、利奈たちが目視できるのは恭弥とXANXUSのバトルだけだ。そうはいっても二人のバトルは高レベルすぎて、利奈では目で追うこともできない。銃声や衝突音など、耳で音を遅れ聞くのがやっとである。
「ヒバリさん、互角に戦えてますね」
有効なダメージは与えられてないが、XANXUSの銃弾にも当たっていない。ヴァリアーのボスであるXANXUSと渡り合えている。
胸を撫で下ろす利奈を、ディーノは無言で見下ろした。XANXUSはまだ実力を出してはいないが、それを口にすることはなかった。いや、できなかった。話せばまた、利奈がダメージを受けるとわかっていたからだ。しかしその気遣いも、長くは続かない。
「マーモンの幻術が解けたぞ!」
勝負がついたのか、マーモンと風が再び姿を現した。勝ったのは風だったようで、自身の縛りを破ったマーモンが吐血する。
「マーモンが……!」
マーモンの作った縛りは自縄自縛だ。勝利を疑えばダメージが入り、そのダメージでまた負けを意識する、いわば負の連鎖である。止めるには思考を切り替えなければならないのだが、痛みがそれを許さない。
「マーモン! 今、気を失わせて楽にしてあげます!」
風が走るが、間に合わなかった。崩れ落ちたマーモンが致命傷を負ったわけではない。風が先に時間切れになったのだ。
「風さんが戻った!?」
「時間切れだ」
利奈は把握していないが、アルコバレーノが元の姿に戻れる時間は三分間。たった三分でヴァリアー幹部四人を倒し、マーモンを圧倒できたのは大きな戦果だが、ここで戻ってしまったのは大きな失態である。XANXUSと戦っている恭弥には、マーモンに割く余力がない。それをだれよりも自覚している風が、縛りによるダメージを受けた。
「あとはお前だけだ! 雲雀恭弥!」
風の呪解が終わったことで持ち直したマーモンが、恭弥に幻術を放つ。恭弥の体が足下から凍り、ボスウォッチを付けた腕がトンファーごと氷付けにされた。
「あ゛う!」
「利奈!」
恭弥の動きが封じられたと同時に、利奈の全身から血が噴き出した。制服に血が滲む。崩れ落ちそうになるのをディーノが支えようとしたが、利奈はそれを拒んだ。
「あっちを、ヒバリさんを!」
マーモンはボスウォッチを壊してと言っているが、XANXUSは恭弥を殺そうとしている。銃に炎を充填するXANXUSの姿に、恭弥の脳もダメージを受けていた。利奈が床に膝をつくと同時にディーノが部屋に飛び出し、銃声が鳴り響いた。そして、静寂。
(間に、合った?)
「利奈! こっちは無事だ!」
「……はあ」
どうやら間に合ったようだ。こうなっては戻るしかないので、よろよろと立ち上がる。縛りによるダメージで体中に切り傷ができたものの、傷のひとつひとつはそう深くない。それでも、傷口が服に擦れてジンジンと痛んだ。剥き出しの足からは血が流れている。
「おいおい、満身創痍じゃねえかぁ!」
傷だらけで再登場した利奈にスクアーロが叫ぶ。
「うわ、ほんとにボロボロじゃん。さっさと逃げてりゃよかったのに」
「うるさいな」
からかってくるベルに言い返すが、恭弥も同じことを言いたげにこちらを見ている。自分から離脱したくせに逃げ損ねてダメージを受けているのだから、それはそうだ。
(だってディーノさんに捕まったし。あんな奥義あるなんて思ってなかったし)
過ぎてしまったことは仕方ないとして、これで形勢は持ち直した。風は脱落してしまったが代わりにディーノが加わったし、これでまた二対二である。当然、自分は数に含めない。
「いいよ! だれが相手だろうが僕とボスのコンビでやっつけるまでさ!」
「下がってろ、マーモン」
「え!?」
「怪我人はすっこんでろ」
新しい傷はないけど、縛りのダメージでできた傷口からは絶えず血が流れている。マーモンも、それだけ追い詰められていたのだろう。
「ぼ、僕なら大丈夫! いけるよ!」
「るせえ」
マーモンの言葉をXANXUSは一蹴する。ベルにもからかわれ、マーモンは渋々ながら呪解を止めた。
(……部下の無茶を止めたりするんだ、あの人)
XANXUSの行動はかなり意外だった。今まで聞いていた人物像だと、死ぬまで戦え、でなければ殺すみたいな雰囲気だったが、負傷した部下を下がらせるとは。
「僕も一人で戦いたいから、貴方は黙って下がってくれる?」
一方、こちらのボスも同じようなことをディーノに言っていた。しかしこちらは心強い援軍を断っているだけの通常営業だ。そのくせさっきは利奈のリタイアを拒んだし、死ぬまで戦えはどうやらこちらの陣営だったようだ。
「ボス相手に一騎打ち望むとか、やべーねそっちのエース」
「知ってる」
「てかお前、まだバトラーウォッチ壊れてねえの? ボスに目をつけられる前にさっさと壊してやろうとしたのに」
(絶対にそんなつもりで狙ってなかったくせに)
ベルを軽く睨む。そもそもXANXUSは、利奈など一切意識に入れていない。部屋に倒れてる家具以下の興味だろう。だが、それがとてもありがたかった。この状況で敵意など向けられたら、いくら血があっても足りない。死を予感することはすなわち生物としての負けだ。マーモンの奥義でダメージを受け続けてしまう。
「ねえ、奥義ってまだ続いてる? 消えてる?」
念のために尋ねると、小さくなったマーモンが顔を上げた。小型化した影響か、傷口は塞がったようだ。
「まだ続いてる。でも、この体だから効果は弱くなってると思うよ」
「そっか、なら――」
「XANXUSが超強いってのは俺の思い過ごしかもな。――なんたって、ツナに負けたからな!」
「!?」
三人とも弾かれたように顔を動かす。なにがどうなってそうなったのかはわからないが、なぜかディーノがXANXUSに喧嘩をふっかけたのである。
この世界では、リング争奪戦でXANXUSが綱吉に敗北してからそう時間は経っていない。そしてそれが、プライドの高そうなXANXUSにとって、最大の地雷であったことは言うまでもない。先ほどまでの無気力な表情から一点、その顔が憤怒に染まる。いや、例えではなく、顔中に真っ赤な痣が浮かび上がった。
「ひぃいい! ――ぅあ!」
「あーあ」
またも利奈の縛りが破れ、顔から血が噴き出す。恐怖と痛みがないまぜになって、涙が出てきた。
「だからさっさと逃げてりゃよかったのに」
「なにあれ……」
「古傷。ガチギレするとああなんだよ、ボス」
「どういうこと……!?」
つまりディーノはXANXUSを本気で怒らせたということか。なんでそんなことをするのか。ヒンヒンと鼻を鳴らすも、XANXUSの怒りは増すばかりだ。ベスターが再召喚され、そしてすぐさま銃へと形態を変える。XANXUSの二丁拳銃がライオン――いや、ライガーの意匠へと替わった。
「かっ散れ!」
XANXUSの咆哮とともに放たれる憤怒の炎。ライガーの形をした炎が、恭弥の展開した球体を一瞬にして灰燼に帰した。恭弥自身は弾道から逃れたが、これでは球体をどれだけ展開したところで、無意味だろう。絶対的な力の差である。しかもXANXUSは、さらに攻撃範囲を広げるべく、攻撃の溜めに入った。両手の拳銃に、すさまじい炎圧が注ぎ込まれていく。
「おいおい、さっきの以上の大口径で放たれちゃ逃げ場なんてねえぞお!」
「ヤババ」
「あっ、待って!」
キレたXANXUSは、どうやらすべてをかき消すつもりらしい。恭弥どころか、この部屋どころか、このフロア全部。気絶している部下など、微塵も気にかけず。
ベルがレヴィとルッスーリアを助け起こしに行くので、利奈もそれに続いた。二人ともまだ意識は取り戻していない。
「なに、敵に塩贈んの日本の流儀?」
「あんなの当たったら無事じゃ済まないでしょ!」
それに三人ともバトラーウォッチは壊れているから、もう敵ではない。
ルッスーリアの体を支えるが、長身で筋肉質なだけあってずっしりと重い。レヴィなんてもっと重いだろうけれど、ベルはそこまで苦ではなさそうな顔で引きずってくる。
「ってか、お前はお前のボス気にしたほうがいいんじゃねえの? あれ当たったらマジで死ぬぜ」
「そっちは……」
考えても新たな出血は起きなかった。つまり、そういうことだ。それにディーノもついている。いくらなんでも、勝算なしでXANXUSを本気にさせたわけではないだろう。あとでとても怒るけど。
「こっちだよ」
浮遊能力を持つマーモンに従って、離れた窓まで二人を運ぶ。XANXUSの銃弾は外壁の装飾まで吹き飛ばしていたが、そのおかげで利奈たちが飛び移れる空間が生まれていた。
「せーのっ」
ルッスーリアをあいだに挟んで、ベルと同時に外へと飛び出す。一歩間違えばそのまま最上階の高さから落ちてしまうから心臓バクバクだったけれど、それは男三人分の重しがしっかりと支えてくれた。そして爆音と衝撃波が五人を飲み込む。ともすればマーモンが吹っ飛ばされるところだったが、それは四人が盾になったおかげで防がれた。
「うっわ、天井まで全部吹っ飛ばされてんじゃん」
ベルの言葉で顔を上げた利奈は、あまりの光景に目を見開いた。天井どころか柱や壁すべてが吹っ飛ばされていて、更地になっている。更地になったということはホテルの光源がすべてなくなったということで、星の光と周囲のビルの明かりしか照らすものがない。それでも、二人の輪郭ははっきりと浮かび上がって見えた。
(ヒバリさん、無事みたいだけど……学ラン飛んでった?)
恭弥の背後からXANXUSを見ている構図だが、恭弥の輪郭は白く、闇夜に溶けていない。だからこそ、無事が確認できているわけだ。
「時計も無事!? そんな!」
「ボスの右手に攻撃当たってるし。マジかよ」
「ほんと!?」
利奈の視力では捉えられないが、あのXANXUSに攻撃を当てられたらしい。
「……あら?」
「あっ、起きた?」
やっとルッスーリアが意識を取り戻した。それを見てベルが左腕を上げ、レヴィを床に落とした。剥き出しの床に額が打ち付けられ、くぐもった声が漏れる。
「まさか、あの攻撃くらってヒバリが生き残るとはなぁ」
「雲雀恭弥の攻撃から時計を守るために、XANXUSは弾の軌道を変えざるを得なかった」
「にしても、よくあの状況で時計守れたよな。俺はこれでマーモンチームが脱落すると思ってたんだが」
ディーノたち三人もうまく離脱できたようだ。そして、一段落ついたタイミングを見計らったかのように、バトル終了のアラームが鳴り響いた。