闇夜に佇むひとつの影。そのまま闇に紛れてしまいそうなおぼろげな輪郭を、肌を覆った包帯がかろうじて繋ぎ止めている。死に神のような出で立ちは、一度見たら忘れられないだろう。三度目でもゾッとする。
「な、なに? 挨拶に来たの?」
「そういう空気じゃなさそうなのな」
確かにそういう雰囲気ではなかった。手に持っているのも、挨拶用の菓子折などではなく、体に巻いた鎖の一部だ。相手が看守であることを考えれば、それがファッションでないことは明々白々である。
そしてこちらが声を掛けるより先に、復讐者はその鎖を綱吉へと飛ばしてきた。
「させるかよ!」
すかさず隼人が防御壁で綱吉を守る。そして、不心得者を睨みつけた。
「どういうつもりだ、テメエ!」
「……」
復讐者は答えない。答えずに、また鎖を握った。鎖の先端が袖口から覗き、刃物のように鋭い刃先が闇夜にきらめく。
「二人とも下がれ!」
武も刀を構え、後ろの利奈とクロームに警戒を促した。
「なに!? どういうこと!?」
バトラーウォッチを見るが、脱落しているので意味がない。しかし、綱吉たちの時計からもアラームは鳴っていなかったはずだ。会話していたとはいえ、さすがに三人分のアラームが鳴ったら、だれかは気付く。
(じゃあ戦闘時間じゃないのに戦いに来たってこと!? それって反則じゃない!?)
綱吉に当たらなかったとはいえ、さっきの攻撃は明らかに反則行為だ。それなのに、復讐者の時計から尾道の声は聞こえない。いや、そもそも――
「バトラーウォッチつけてない!」
復讐者の腕にバトラーウォッチはなかった。すでに時計を失っているか、あるいは失格覚悟の単独行動か。そう考える利奈だったが、隼人が即座に正解を弾き出す。
「この復讐者、代理者じゃねえぞ!」
「ええ!?」
利奈は驚愕した。
代理戦争は、代表者七名で戦う代理戦だ。つまり、ルールが適用されるのは各陣営七名まで。それ以外は代理ではないので、ルールに縛られることはない。そう、ルール上はそうなるのだが。
「ずっっっるー! それありなの!?」
反則だ。これはもう真っ黒だ。そんなこと言ったら、ヴァリアーが雷撃隊を放つことだってアリになってしまう。そもそもこれでは、七人を定めた意味がまるでない。
「いいから下がれ! 巻き込まれるぞ!」
騒ぐ利奈を押し込めるように、隼人が引き戸の前に立つ。
隼人の肩越しに見える復讐者がこちらに鎖を投げようとしたが、そこで動きを止めた。そして不自然に身をかがめたところに、綱吉のローキックが入る。
「なんだ!? 今なにを避けた!?」
「私の幻術……!」
隼人の疑問に答えたのはクロームだった。その腕には、見慣れた三叉槍が抱えられている。綱吉がこちらを向いた。
「そうか! あっちが奇襲なら!」
「クロームも戦える!」
目には目を、番外戦術には番外戦術を。これなら失格にならないし、クロームだけはバトラーウォッチを気にせずに戦える。数的有利に心理的有利も加わり、こちらが優勢になったところで、店の奥から声が聞こえてきた。
「んー? おーい、どうしたー?」
裏での仕事を終えた武の父が戻ってきたのだ。その瞬間、ここが住宅街にひっそりと佇む地元の名店、竹寿司の店先だったことを思い出す。
「ごめんっ!」
「わっ」
利奈は瞬時にクロームを外に押し出し、音を立てて引き戸を閉めた。途端に外の喧噪が遮断され、静寂が広がる。
「だれもいないのか? ……ん?」
カウンターにだれもいないのを訝しがって戻ってきた武の父が、引き戸の前に立つ利奈の姿を認めた。
「あんただけか。ほかの連中は、こんな時間にどこ行ったんだ?」
「あっ、えっと……」
引き戸越しにクロームの背中が見える。その影を隠すように背中を合わせ、武の父に向けてごまかし笑いを浮かべた。
「ちょっとみんな散歩に行くって……腹ごなしに」
「そうかい。お嬢ちゃんはいいのかい?」
「私、まだ食べ終わってなくて」
話してばっかりいたせいで全然箸が進まなかったが、今回はそれがさいわいした。
怪しまれないようにカウンターに戻り、もう一度箸を取る。外の戦闘音が一切聞こえないのは、クロームの幻術によるものだろう。ここで物音を聞きつけた武の父が外に出ていったら、大変なことになってしまう。
「おいしいです、このまかない丼」
「そうかい? ヘヘ、嬉しいね」
上機嫌に武の父が応える。カチャカチャと皿の鳴る音が聞こえた。今の利奈の役割は、何食わぬ顔で武の父の相手をすることだ。得意分野である。
「武はどうだい、学校では」
「人気者です。すごくモテますし」
「ほーん」
学校一の人気者と言っても過言ではないだろう。顔もいいし、性格もいいし、運動神経もいい。成績はやや悪いけれど、それでもマイナスにはなっていない。
「それで、あんたはどうなんだい? 倅とは」
にまにま笑いの父に、利奈はわざとむっとした表情を作る。
「お友達です」
「さっきのおとなしい子は?」
「お友達ですっ」
「悪い悪い」
武と話すようになったのは、腕章紛失騒動がきっかけだ。それまで話したこともなかったのに、武のほうから話しかけてくれた。風紀委員に入っていなかったら、あの出会いは存在しなかっただろう。
(ツナとも獄寺君とも、委員会活動で知り合ったんだっけ。よく考えたら、私がいろんな人と仲良くなってるの、だいたいヒバリさんきっかけでは?)
交流を嫌う恭弥の影響で交流が生まれているという、わけのわからない展開になっている。そもそも、風紀委員は他者に干渉する組織だ。干渉する以上、なにかしらの因果は生まれるだろう。だいたいは軋轢が生じているだけとはいえ。
「山本君、付き合ってる子はいないと思いますよ。山本君と付き合いたい子はいっぱいいますけど」
「はー!」
とんでもないとばかりに武の父が体をのけぞらせる。
「まっ、野球ばっかやってっからねえ、あいつも。最近はあの二人と一緒によく遊んでるし、楽しそうでなによりだが」
「あはは」
その武は今、戸を一枚隔てた向こう側で復讐者と交戦しているわけで。乾いた笑いしか出てこない。
「そういや、お嬢ちゃんとは病院でも会ってたな。あんときはお騒がせして申し訳なかったね」
武の父とは、武が手術を受けていた際にも顔を合わせている。至門生も大勢いたので、思い出すのに時間がかかったようだ。
「いえいえ、こちらこそお騒がせして――って、変ですね! 全然! 全然だいじょぶです!」
危うく口を滑らせかけた。
あの事件は、破損した備品による不幸な事故として処理している。病院を介したこともあって容態はごまかせなかったが、武が奇跡的な回復を見せたことで、事態の深刻化は防げた。あの絶望的状況からどうやって完治したのかも、ボンゴレが病院に説明をつけている。世界的権威のリボジャック医師が施術したとか、なんとか理由をつけて。
ガラリと戸が開いた。
利奈は一瞬身を固めたが、入り口を見た武の父の表情が変わらないので、すぐに体の力を抜く。
「お、戻ってきたな」
「お帰り! 散歩楽しかった!?」
すかさず散歩を強調して振り返る。入ってきたのは武と隼人だけで、クロームと綱吉の姿がない。
「おう、二人はどうした」
利奈より先に、武の父が尋ねた。黙っているしかない利奈を安心させるように、武が口の端を上げる。
「ちょっと明日のことで話があるってさ。小僧も一緒だぜ」
「小僧? だれ?」
「小僧は小僧だよ。ほら、リボーン」
「あ-」
「さんをつけろ! つか、十代目の家庭教師を小僧呼ばわりすんな!」
「そんなこと言ったって、小僧は小僧だろー?」
噛みつく隼人を、武は笑顔でいなす。
リボーンが赤ん坊でないことは、代理戦に参加している武も聞いているはずだが、扱いはとくに変わらないらしい。利奈なんかは、風をもう二度と風君などと気安く呼べなくなったというのに。
(大人の姿見てないのか。戻れること知ってるのかな、二人は)
とはいえ、リボーンが元の姿になっても、二人は態度を変えないような気がする。武はだれにでもフランクだし、隼人は元からリボーンを敬っている。さして違いは生まれないだろう。食べ終わったあとの器に箸を乗せる。
「……で、どうなったの?」
武の父の目を盗み、小声で話の続きを促す。つられて武も声を潜めた。
「小僧が来たら逃げてった。クロームが小僧にも代理戦参加したいって話したから、ツナ混ぜて話すってさ」
「逃げたんだ」
あの復讐者が代理者でないなら、リボーンだって反撃が可能だ。そして世界トップクラスのヒットマンが相手となれば、復讐者もさっさと引き下がるようだ。つくづく卑怯である。
ひとまず、だれも負傷することなく、バトルウォッチを壊されることもなく、奇襲を切り抜けられた。今のところは、それでよしとするしかない。あれが反則じゃないのは釈然としないけれど。
またもや引き戸が音を立てる。三人が戻ってきたかと振り返れば、今度はまったく予想していなかった人物が現れた。
「こんばんは。お邪魔しますね」
「風さん!?」
そこには風が立っていた。小猿のリーチも、風に合わせてお辞儀をする。
「ん? その子は?」
「あ、えっと――」
「私はリボーンの友人です。入ってもかまいませんか?」
「そりゃかまわないが、こんな夜遅くに子供一人で……」
武の父が呆れた顔をしている。クロームがさっきまで座っていた席を叩くと、風はおとなしくそこに飛び乗った。
「偶然?」
「いえ、リボーンに護衛を頼まれまして。ほかのチームの様子を見に行くと」
「ってことは?」
武も会話に参加してくる。席の離れている隼人は、そっぽを向いたふりをしながら全力で聞き耳を立てていた。
「どのチームも襲撃を受けています。どちらもかなりの損害が」
「そんな……」
今日の戦闘で、どのチームも疲労が溜まっていたはずだ。そこを突然襲われたのだから、被害が甚大になるのも仕方がない。
「我々にとって、闇討ちはそう珍しいものではありません。ですが、きちんとした取り決めがある勝負で、こんなに堂々と奇襲を掛けてくるとは。思いもよりませんでした」
「だって反則ですよ、こんなの。審判はなにも?」
「音沙汰なしです。いったいなにを考えているのやら……」
「胸くそわりいぜ」
よそを向いたまま隼人が鼻を鳴らす。
遅れて戻ってきたクロームの腕にはバトラーウォッチがつけられていたけれど、素直に喜ぶことは、もうできなかった。
__
クローム宅に帰り、順番にシャワーを浴びて布団に潜り込む。
一人用の布団だからちょっと狭いけれど、こうやって顔を寄せ合うのもお泊まりの醍醐味だ。近距離で顔を見られるのが恥ずかしいのか、クロームは鼻の上まで布団を引き上げている。
「なんか、疲れちゃったね」
「うん」
クロームの腕には、すっかり見慣れたバトラーウォッチが嵌められている。バミューダチームの反則行為を思うと、この時計はもはや枷と変わりない。参加資格を持っていないほうが有利だなんて、そんな馬鹿な話があっていいのだろうか。
(ほかのチームが反則したからこっちもなんて、そんなのはダメだけど。なんかずるいよなあ)
バミューダチームは転送能力を使えるので、拠点を並盛町付近に置く必要がない。だから、こちらから奇襲をかけることはできない。そこまで見越したうえで闇討ちしたのだとしたら、本当に卑劣だ。
「……明日、どうなるかな」
「どうだろう……」
うつらうつらと思考が揺蕩い始める。考えないといけないことは山ほどあるのに、全然頭が働かない。慣れない夜更かしに、体がついていけないのだ。あと一時間足らずで、日付が変わってしまう。
(……そういえば……なんでクローム、参加したいって言い出したんだろう……)
昨日までは、自分で言い出すほどの熱意はなかったはずだ。決意が固まったのは、病院で炎真と会ってからだったように思う。知人があんな襲われ方をして、黙っていられなくなったのだろうか。
靄がかった頭で考えてみても、似たようなことがポヤポヤ浮かび上がるだけで話が進まない。そのまま夢の世界へと足を踏み入れた利奈は、穏やかな寝息を立てて二日目の代理戦争を終わらせた。
『バトル開始一分前です』
すぐに訪れた三日目の始まりに、気付くこともなく。
ここで一章終了です。
この部は二章で終わり、そして長編完結となります。