新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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二章:代理戦後半戦
三日目:始まりは朝を待たず


_________

 

 

 

 初めて出会った日のことは、今でもはっきりと覚えている。

 

 あの日。そう、あの日は雨が降っていた。

 あのときの私は、ただ空を仰いで途方に暮れているだけだった。傘を買うことも、雨のなか走り出すことも考えられず、ただただ立ち尽くすばかりだった。

 

「ねえ、急いでる?」

 

 そんな私にかけられた、あっけらかんとした伸びやかな声。

 驚いて確認すれば、同じくらいの年の女の子が私を見ていた。まるで親しい人に向けるようなまっすぐな瞳が、私を貫く。

 

「……あ」

 

 そんな眼差しを向けられることに慣れていなくて、とてつもない恐怖を感じたことまで覚えている。

 

「急いでるんだったら、入れてあげよっか?」

「……大丈夫」

「本当に? べつに遠慮しなくてもいいよ」

 

 初めて会ったばかりなのに、彼女は私を気遣ってくれた。それがどれだけすごいことなのかを、私は知っている。私も、すごく勇気を出してそこにいたから。

 彼女が持っていたのは、水玉模様の青い傘だった。雲の上に広がっているはずの、きれいな空の色。

 

(……全部、覚えてる)

 

 何度も何度も、繰り返し思い返した記憶だ。かけがえのない記憶だ。

 

 ――それなら、これから見るものはすべて夢だ。それが夢であることを、クロームは知っていた。だってそんな記憶は、今のクロームには備わっていないのだから。

 

 固い足音が聞こえてくる。頬を流れた涙が顎を伝っている。

 ドアが開くと同時に部屋に明かりがついて、まぶしさにクロームは目を細める。

 

「まだそんなところにいたんですか」

「……骸様」

 

 スーツ姿の骸が部屋に入ってくる。クロームもスーツを着ていたが、ずっと同じ姿勢でいたために、すっかりしわが寄っていた。顔を上げると、倦怠感が頭を覆う。

 

「いつまでお前はそうしているつもりですか? そんなことをしていたって、利奈は戻ってこない」

 

 吐き捨てるような言葉に、ギュッとシーツを握りしめる。

 

 わかっている。わかってはいる。

 

 骸から見るクロームの姿はひどいものだった。泣きはらした瞳は空洞のように大きく、目元の皮膚は黒くくすんでいる。髪は乱雑に散らばり、頬の赤みは失せている。恰好は利奈が死んだときのままなのに、同じものはなにひとつとして存在しなかった。

 

「無駄に時間を浪費するくらいなら、もっとマシなことに使いなさい。仕事どころか、食事も摂っていないのでしょう」

 

 食べられるわけがない。だって、利奈がいなくなってしまったのだ。

 認めたくないと閉じこもって耳を塞いでいても、現実はなにも変わらない。部屋の外の時間は進み続けている。そんなことは、わかっている。

 

「明日、火葬が行われるそうです」

 

 平坦な声で骸が言う。あまりにも無機質に言うから、現実のことには思えない。

 

「お前は行かないほうがいい」

 

 その言葉に、初めて自主的に目を合わせた。骸の表情は、声音と同じくらい平坦だった。

 

「電話でも言ったとおり、損壊がひどい。僕と同等の術士なら、その気がなくても見破ってしまう」

 

 利奈は炎に巻かれて死んだ。全身に火傷を負った利奈を慮って、骸が幻術で修復したことを、クロームは知っている。

 しかし、言われなくてもクロームはその場に立ち会えなかっただろう。惨たらしい姿どころか、死んでいるという事実すら認めたくない。利奈の遺体を見たら、受け入れてしまったら、きっと正気でいられなくなる。

 

「とにかく今日は休養に努めなさい。明日からはちゃんと働いてもらいます。役に立たない人間に、価値はありませんから」

 

 ――そうだ。役に立たない人間に価値はない。価値がないから、追い出された。

 夢の意識に、現実の意識が混ざり込む。

 

「それとこれを」

 

 膝を抱えた足下になにかが置かれる。視線をずらしたクロームは、見覚えのあるそれに目を見開いた。利奈がよく使っていた髪留めだ。なんの変哲もない、どこにでも売っている市販品。

 

「形見分けに頂いてきました」

 

 震える指でそれに触ると、その指を、小さな手が包み込んだ。驚いたのはクロームだけではなく、骸も小さく息を呑んだ。骸の影に隠れていた少女が、今まで前に出てこなかった少女が、クロームに口を開く。

 

「忘れないで」

 

 そう言って、クロームの手を覆うようにして握りしめる。

 この少女は、骸が作った幻影だ。骸が救えなかった少女を模して作った、ただの影。骸自身がそう自嘲していた。クロームの目も少女を幻覚として捉えている。握る手に温度はない。それでも、その表情はまがい物には思えなくて。

 

「……うん」

 

 枯れかけていた涙がまた溢れた。

 

 そうだ。絶対に忘れない。彼女との思い出を。この痛みを。忘れずにいることだけが、今のクロームにできる最大の――

 

 

 

『バトル開始一分前です』

 

 

 

 単調な声が、あったはずの未来を断ち切った。クロームの意識が瞬時に覚醒する。

 

(……夢?)

 

 間違いなく夢だった。目の前には、穏やかに眠る利奈の寝顔がある。本物かどうか触って確かめたくなって、しかしクロームは伸ばしかけた手を引き戻す。

 

(バトルの、合図)

 

 暗闇のなかで、時計の文字盤が薄ぼんやりと光っている。バトル開始までのカウントダウンが始まっていた。

 

(行かなきゃ)

 

 利奈を起こさないよう、慎重に体を起こす。すっかり熟睡しているようで、まったく反応を示さない。帰り道でも眠そうにしていたし、ちょっとやそっとじゃ起きなそうだ。無理もない、今日の戦闘で疲れ切っているのだろう。

 恭弥がボスウォッチを破壊したので、利奈はもう戦闘には参加できない。起こしても、いたずらに体力を浪費させるだけだ。並中の制服は一式で壁に掛けてあったので、手探りでも難なく着替えられた。

 

『バトル開始。今回の制限時間は十二分です』

 

 アパートを出たところで、バトル開始の時間になった。

 十二分の制限時間。今日――いや、昨日の戦闘では三十分だから、その半分以下だ。こんな時間だし、本来ならば戦闘がないまま終わってもおかしくはない。しかし、ワープ能力のある復讐者たちの介入で、そんな希望はなくなった。

 

(あのお寿司屋さんなら、時間内に行ける。でも、ボスたちもどこかに向かっているだろうから――)

 

 闇討ちのときは相手が一人だったから路上でもなんとかなったけれど、今度は周りの住宅まで巻き込みかねない。復讐者は周辺住民など気にも留めないだろうから、それだけこちらが不利だ。綱吉は、周囲を巻き添えにすることをできるだけ避けるだろう。

 

(近くに公園があったはず)

 

 利奈と竹寿司に向かっているとき、大きな公園を見かけた。明日ここで風に太極拳を教わる予定なのだと、利奈が言っていた。それも、復讐者の襲来でお流れになった。

 

「っ」

 

 小走りに向かっていたクロームだったが、刺すような腹痛に足を止めた。しかし、止まっているわけにもいかないので、小股で歩き出す。

 

『――お前、内臓痛めてるだろ』

 

 竹寿司の前でリボーンに指摘されたのを思い出す。戦いに参加したいと言い出したときのことだ。

 

「え!? どういうこと!?」

「咳するときに、さりげなく腹を庇ってやがったな。俺の目はごまかせねーぞ」

「クローム!?」

 

 こちらを凝視する綱吉に、俯くことしかできなかった。生まれつきの頬の赤みのせいか、利奈にも気付かれなかったのに。

 

 リボーンの言うとおり、骸が幻覚で作った内臓は、日に日に機能不全を起こしている。

 利奈にはウソをついたけれど、本当は夕食も食べていない。胃もあまり機能していないのだ。

 

「そ、それって大丈夫なの!?」

「なわけねーだろ。クローム、お前もそれはわかっているな?」

 

 わかっている。どうなるかも、そして、どうしてこうなったかのかも。

 

「私が、このままじゃダメだって思ったから」

「どういうこと?」

 

 話についていけていない綱吉が、オロオロと視線を彷徨わせる。仕方ねーなと言いながら、リボーンが家庭教師モードに入った。

 

「クロームの内臓が幻覚でできていることは知っているな?」

 

 綱吉が頷いた。

 交通事故で損傷した内臓は、すべて骸の幻覚で補われている。その代償としてクロームは骸の手足として動いてきたが、Dの討伐後、それが変わった。牢獄との契約から解き放たれ、骸はもう、自らの手足を自由に扱える。

 

「じゃあ、骸が幻術解こうとしてるってことか!? いくら骸だって、クロームにそんなひどいことしないだろ!?」

「そうじゃねえ。解こうとしてるのはクロームだ」

「ええ!? なんで!?」

「……」

 

 クロームはうまく応えられなかった。

 そもそも、解こうという意識はない。骸を拒む理由なんてない。でも、心より先に、体が骸の関与を拒んでいる。

 

「言ってみろ。お前はどうしたいんだ」

「私は――」

 

 今まで、自分の意思で行動しようとしたことがなかった。人の望むとおりに動けなくて、見捨てられて。だから、人に言われたとおりに動いて、居場所ができた気になっていた。たとえそれが、未来でM.Mに言われたとおり、骸に利用されているだけだったとしても。それでもいいと、クロームは思っていた。だれにも必要とされずにいるよりは、ずっといいと。しかし、そんな甘えは、ほかならぬ骸によって切り捨てられた。

 

「このままで、いたくなくて」

 

 意識が変わったのは、代理戦争のことを利奈に聞かされてからだ。

 骸も綱吉も参加するのに、そのどちらからも打診はなかった。それがクロームの心に影響を与えた。命令されなければなにもできない自分に、初めて焦りが生まれたのだ。

 

「私、変わりたくて。頼ってばっかりでいたくなくて」

 

 骸を受け入れるだけではいけなかったのだ。声をかけられるのを待っているだけでは、なにも変わらない。

 焦りが募っていくのとともに、体が骸の介入を拒み始めた。それでも、どちらに進めばいいのかはわからなくて。なにもできないまま、ずっと立ち尽くしていた。そんなとき、病院で利奈の涙を見たのだ。

 

『――また前みたいに、友達が傷ついてるのになにもできなかったらって、考えてたの』

 

 しゃくり上げながら本音を話す利奈に、クロームの心は揺さぶられた。その言葉は、そのままクロームにも当てはまったからだ。

 なにもできずにいるあいだにも、時間は進んでいく。時間が進めば進むほど、できることは少なくなって、取り返しのつかないことが増えていく。このまま、なにもできないまま、なにもしないまま、すべてが最悪の結果で終わったら。すべてが、炎に包まれてしまったら。

 

「みんなが傷ついていくのに、なにもできないのはいやだから。私も、みんなを守りたいから」

 

 どうすればいいのかのではなく、どうしたいのか。人に命令されて戦うのではなく、自分の意志で戦うべきなのだと気がついた。

 戦うという行為は、奪うだけではない。守りたい者を守り抜くためには、ときには立ち向かわなければならない。そんなことは、綱吉がとっくの昔に背中で示してくれていたというのに。

 

「私を、代理人にしてください」

 

 リボーンの目をまっすぐに見つめる。戦士の顔になったクロームに、リボーンは口角を引き上げた。

 

「わかってんならいい。お前の居場所はお前が作れ」

 

 そう言って託されたのが、今腕に巻いているバトラーウォッチだ。

 

(戦わなくちゃ。みんなを守らなくちゃ。悲しませないように。苦しませないように)

 

 心臓が痛い。足に力が入らない。夜の空気は冷たくて、吸い込むたびに肺が痛む。

 それでも、前へ進まなければならない。戦えない人の想いも乗せて。叶わなかった、いつかの自分の想いも乗せて。大切な人たちを、守り抜くために。

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