かくして、世界の命運がかかったトゥリニセッテの継承は無事に完了した。
世界破滅の危機って言ったって、天変地異があったじゃないし、いまいち実感はない。
いつものようにツナが災難に巻き込まれて、ヒバリさんがかき回しにいって、私はそれに付き合わされただけ。それだけ。
そんなわけで、例によって例のごとく、私は膨大な後始末に追われていた。
なにせ、町全体が戦場だったのだ。風紀委員総出で最終的な被害確認を行っている。
パラパラとファイルをめくる。
修繕費用は戦闘を行ったチームが出しているけれど、やっぱりヴァリアーが飛び抜けて高額だ。最高級ホテルでバトルなんてするものじゃない。
スカルチームの費用は少なめだけど、宿がぐちゃぐちゃになったから、みんなでせっせと片付けをしているらしい。
襲撃したのはバミューダチームだけど、あの人たちも手が離せないから仕方がない。手を離したら、世界が終わってしまう。
バスのアナウンスが聞こえて顔を上げた。
正面から病院が見えてきて、口元が硬くなるのがわかる。
いけないいけない。冷静にならなくちゃ。
意識して唇を上に上げる。
病院に来るのはこれが初めてじゃない。
巨大おしゃぶりに力を注ぎすぎてぶっ倒れるという醜態を晒してからも、ヒバリさんに報告書を届けに何度も訪れている。今手にしている資料もその一部だ。
でも、今回の目的はほかにある。ううん、目的というか、標的というか。
だからこそ体は強張るんだけど、これはけして怯えてるからとかじゃない。もちろん。
最終日に負傷したメンバーは、そろいもそろって同じ病院の同じ階に入院させられている。
もちろん、風紀委員の手引きがあってのことだ。
こんな一筋縄に行かない人たちを別々の階に点在させたら、一般の入院患者に被害が及んでしまう。
その一筋縄にいかない人たちのなかに我らが風紀委員長も混ざっているわけだけど、もちろん異論はない。騒ぎを起こす側の筆頭だし。
いつもなら真っ先にヒバリさんの病室に行くところを、今回はとなりの病室に入る。
ノックはしたけど、返事は待たなかった。
声を聞いたら、衝動的に引き返したくなるかもしれなかったからだ。
「あれ、相沢さん!?」
「入江君」
見舞客が来ていたようだ。横にスパナもいる。
「にゅにゅ? だれだっけ、あんた」
ベッド横にはブルーベルもいた。
ブルーベルには監視された過去――未来があるけれど、ブルーベルは覚えてなさそうだ。っていうか、この前も会ったのに忘れられている。
セーラー服着てるけど、制服じゃなくて私服かな。ブルーベル、日本人じゃないし。
でもよかった、ブルーベルがいて。うんうん、ちゃんと用意してきておいてよかった。
私は手に持っていた紙袋をブルーベルに差し出した。
「これ、この前のお礼」
「この前?」
「……広場で炎わけてくれたお礼」
そうなのだ。炎の注ぎすぎて倒れたとき、雨の炎を補給してくれたのがブルーベルなのである。
おかげですぐに退院ができた。
近づいたら、ブルーベルに間近で顔を見つめられた。
フランと同じでわかりやすく子供になっている。目がキラキラだ。
「ああ! そういえば貴方、前にも炎わけてあげたわよね?
まったく、ブルーベルよりお姉さんなのに、ブルーベルより炎が少ないなんて!」
そう言われても、あんまりピンとこない。
炎の量は年齢で変わるものじゃないし、ブルーベルはマフィアの幹部だ。比べること自体間違っている。
そんなこと言ったら、ツナたちとも比べなきゃいけなくなるし。
うーん、それにしても。
そろそろ、なにも言わずにニコニコしている男が気に障ってきた。
こっちから話しかけるのを待っているみたいだけど、いっそこのまま帰ってもいいような気もしてくる。
とりあえず、ブルーベルに紙袋を渡す。
「なあに? お菓子?」
「ううん、アクセサリー」
ブルーベルが紙袋に手を突っ込んだ。
中身は銀色のヘアクリップ。
お菓子が一番喜ばれるだろうけれど、それだけは選べなかった。
お菓子が好きなのは、ブルーベルだけじゃない。
「髪が長いから、ヘアクリップにしてみた。お菓子の袋とか留めるのにも使えるよ」
「ふーん。まあ、いいわ。もらっといてあげる」
そう言ってブルーベルはヘアクリップを紙袋に戻す。
うーん、この反応は及第点か。
露骨にいらないと言われなかっただけ、よしとしよう。
そして本題だ。
入江君はもう胃の辺りを押さえている。
「話があって来たんだけど。今、時間ある?」
「もちろん」
小さく息を吸う。そして、ベッドの上の白蘭を見据えた。さすがにもう元気そうだ。
「この前のことなんだけど」
「広場でのこと?」
「それも。よかったね、死ななくて」
白蘭もスペルビさんと同じように心臓を貫かれていたはずだ。
「僕にとってはよかったよね。マーモンちゃんのおかげ」
それも知っている。
スペルビさんと同じで、白蘭もマーモンの幻術でできた心臓に生かされている。
もちろん、有償で。法外な金額だったし、そのまま貯金をなくしてどうしようもなくなってほしい。風紀委員に相談してくれれば、利子は付くけれどお金を貸すこともできる。利子は付けるけれど。
気分がよくなってきたところで、バッグから匣とリングを取り出す。
そのまま白蘭に襲いかかると思われたのか、入江君がギョッとした顔で前に出ようとしたけれど、それは白蘭が手で制した。
「それは僕があげたやつだよ」
「白蘭さんが!?」
「ううん、風紀委員で預かってた拾得物」
「習得?」
「落とし物」
スパナの疑問に答えながら、もう少し距離を詰める。
「聞いたよ。雨の炎の鎮静効果を僕に使ってくれたんだって? ありがとう」
お礼を言われても全然嬉しくない。
「それでかな? 気絶して病院に運ばれたのって」
「そうなの?」
「違う! おしゃぶりに注ぎすぎただけ!」
ダメだ、うっかり軽口に反応してしまった。怒れば怒るほど、白蘭の思い通りになるのに。
息を短く吐いて、気を取り直す。
「今日はこれを返しに来たの。リングはちょっと使ったけど」
「だからあげるって言ってるのに。あったほうが便利だと思うよー、僕は」
それはわかってる。リングと匣は持っていたほうが絶対に役に立つ。
でもダメだ。受け取るわけにはいかない。
だって、白蘭がこれを私に贈ろうとしているのは、未来でやったことの罪滅ぼしなのだ。
受け取った時点で白蘭の謝罪を受け入れることになるし、白蘭の罪滅ぼしに協力したことになってしまう。受け取れるわけがない。
「ねえねえ、それ、ブルーベルにちょうだい」
ひょっこりとブルーベルが話に入ってくる。
「いらないんでしょ? だったらブルーベルがもらっていいよね」
ブルーベルも私と同じ雨属性だから、ふたつとも使いこなせるだろう。実力差的にも、ブルーベルが持っていたほうが役に立つはずだ。
でも、白蘭は眉を下げる。
「あー、これはね。ブルーベルにはちょっと向いてないかも」
「えー、なんで! この女は使えるのにぃ?」
「その言い方やめて」
嫌味はべつにいいけど、この女呼ばわりは見過ごせない。
「うーんとね。ちょっと言いづらいんだけど、ブルーベルが使うと、たぶん壊れちゃうからさ」
「えー」
「え、壊れるようなやつなの、これ」
もらうつもりはなかったけど、粗悪品となると話が変わってくる。
どういうことだと睨みつけると、白蘭は入江君に視線をずらした。周りに助けを求めるとは姑息。
「正ちゃーん、お願い」
「僕ですか? ……もう」
入江君が眼鏡を直す。
「リングにはグレードがあって、一番上がランクA。
これはボンゴレリングとかマーレリングとかで、つまり別格の規格なんだけど、そのリングはたぶん、だいぶグレードが下なんですよね?」
「うん。あんまり高いと謙遜されちゃうだろうし、ほかの人から狙われるかもしれないでしょ?
それに、この時代ってリング自体が全然なくてさー。それでもけっこう苦労して探したんだよ?」
うん、苦労話はどうでもいいけれど、あえてランクの低いリングを用意したらしい。
高ランクのリングなんて持ってたら、すぐにろくでもないだれかに奪われる。それは間違いない。白蘭に読まれているのはムカつくけれど、言ってることは合っている。
「ランクの低い石は、炎の伝導率が悪いんです。匣に注ぐ炎が減れば稼働時間は短くなるし、効率も悪くなる。
それと炎の許容量が少ないから、この二人レベルが炎を注入すると、開匣と同時にリングが壊れかねない」
「っていうか、まず間違いなく壊れるね。
あえてランクが低いの使ってリングを使い捨てする人もいたけど」
「なんですかその化け物」
「むー、どういうこと?」
「ブルーベルが炎を灯したらすぐ壊れちゃうんだ。このリング」
「なにそれ! 使えなーい!」
なるほど。つまり在庫処分でもあるわけだ。
告白してないのに勝手に振られたみたいになったけど、そろそろこちらも振る側に回らせてもらおうか。
だから! どんな説明を受けたって! 白蘭から物をもらうつもりは! ない!
そう思ってリングと匣をどこかに置いて帰ろうとしたけれど、それは叶わなかった。
「いつまで道草食ってるつもりだい」
後ろからかけられた声に、ビクリと身体が跳ねる。匣が揺れて、手のひらから落ちそうになった。
しまった。時間を使いすぎた。
ゆっくり振り返ると、パジャマ姿のヒバリさんがばっちりとこちらを見据えていた。無表情なのが逆に怖い。
ヒバリさんが現れたことには驚いていない。
だってヒバリさん、この病室のとなりだし。もっと言えば、白蘭が寝ているベッドの壁の向こう側にヒバリさんのベッドがあるし。
だからさっさと突き返して退散しようって思ってたのに、いらない変な解説とか挟まれたせいだ。
バス使ったりして時間巻いたのに、無駄になっちゃった。
「で、それは?」
ヒバリさんの目が匣に向く。
「拾得物です。前に、この人が声かけてきたときに。ほら、ヒバリさんに電話かけたときの」
「ああ」
バッグに勝手に入れられていただけだけど、受け取った覚えがないのだから拾得物扱いで問題がないはずだ。
しかし、ヒバリさんは異を唱える。
「それは拾得物じゃない」
「え?」
「不審者が落としたものを、風紀委員の君が回収した。だから、それは押収品だ」
「おう……」
ヒバリさんのとんでも発言に慣れていない入江君が、こらえきれずに声を漏らす。
利奈も心のなかでうわあと呟いたところだ。
言われてみれば、リングはともかく、匣は匣兵器と呼ばれるだけあって兵器であり、押収する条件は満たしている。
となると、これはすでに白蘭のものでも私のものでもなく、風紀委員預かり。つまりは、ヒバリさんのものである。
「確認する必要があるな」
「どうぞ」
すぐに差し出す。
白蘭に突き返せないのは残念だけど、ヒバリさんのものになるなら、まあ、異論はない。
ヒバリさんがリングを指で摘まむ。
ブルーベルの炎量で耐えられないなら、ヒバリさんも無理だ。
あっ、違う。ヒバリさんの属性は雲だから、雨のリングは使えないんだった。
今度は匣を手に取る。
匣の開匣には同属性の炎が必要だから、これまた使えない。……うん?
ここで私は話の流れに気がついた。
これを開けるには、雨属性の炎を持ち、ランクの低いリングで炎を灯せる人が必要で――ここで開けるのならば、該当者は私一人しかいない。
「開けて」
ふたつまとめて返されて、私は思いっきり顔をしかめた。戻ってくるのが早すぎる。
「なに?」
「……いーえ」
白蘭が笑っている。
こうなると、低ランクのリングだってことも、白蘭の手の内のように思えてくる。
ヒバリさんは気にもしないで渡そうとしてくるし。
観念してリングを指に嵌める。
リングは二度目だけど、匣を開匣するのはこれが初めてだ。使っているのは何度も見たから、やり方はわかる。ようは、リングに炎を灯して、それを匣のふたからなかに注入すればいい。
前回の反省を活かして、炎をひかえめに注ごうとする。
でも、量が少なすぎたのか、リングにすら炎が灯らない。
そういえば、風さんが言ってたっけ。
私は炎の量が少ないから、匣使うのは不向きだって。
周りがバンバン使っているから感覚が麻痺していたけれど、みんな、そろいもそろって規格外の実力者ばかりだ。
だからこそ真似して炎を出し過ぎてぶっ倒れたりしたんだけれど、ここまで差があると歯ぎしりも出てこない。
仕方なく、全力でリングに炎を灯す。
一回くらいなら、全力を出しても大丈夫だろう。
憎くてたまらない人間が目の前にいるおかげで、前よりは炎の出力がよかった。青色の炎が、風もないのに揺らめく。
「えいっ」
思い切って匣に炎を注ぐ。
青色の炎が匣に飲み込まれて、なかから白いもふもふが飛び出してきた。
「メヘェ!」
「わっ」
「きゃあ!」
ブルーベルが歓声を上げる。
気の抜けた鳴き声とともに現れたのは、もっこもこの毛で覆われた、大きな羊だった。
「羊だー!」
ブルーベルがふかふかの毛並みに飛び込む。
雲のようなもこもこはブルーベルをしっかりと受け止め、メヘェとまた声を上げた。
「雨羊だよ。防御型の匣で、攻撃を吸い込むことができるんだ」
「きゃー、ふわふわ! わたあめみたい!」
ブルーベルは雨羊を気に入ったようだ。楽しそうに上に乗っている。
雨羊はというと、ブルーベルに乗られるのはいやじゃないらしく、のほほんとしている。
ううん、ぼーっとしてるし、ブルーベルに乗られていることに気付いてなさそうだ。匣を開けた私にすら興味がなくて、一向にこっちを向こうともしない。
そしてヒバリさんはというと、雨羊にまったく興味を持たなかった。
それもそうだ。防御型の匣なんて、ヒバリさんには必要ないのだろう。だから、ヒバリさんに雨羊は必要ない。だから、つまり、それで――
「その羊を押しつけられたの?」
ルッスーリアさんに頷く。
ヒバリさんが自分の病室にさっさと戻っちゃったから、私もすぐに病室を出た。そして帰ろうとしたのに帰れなくて、ヴァリアー部屋にやってきたのだ。
「匣の戻し方、聞き忘れて。羊連れて外に出られないし」
持ち主の識別はできるようで、羊は言わなくても私に着いてきた。
風紀委員の息のかかっている病院内ならともかく、外に羊を連れてはいけない。お母さんだってびっくりする。
「そのままでいいんじゃない?
注いだ炎が切れたら戻るし、戻るまでどれくらい時間がかかるか、知っといたほうがいいわよ」
プロらしい意見である。
言われてみればそれもそうだと、私はブドウを口に運んだ。
このブドウはボスのお下がりだ。
ブドウが食べたいとボスが言ったから用意したのに、一口食べて「まずい」と吐き出されたらしい。
なんか、皮が渋くていやだったらしくて。たぶん、皮ごと食べられるマスカットが食べたかったんじゃないかなあ。
今はお肉が食べたくなったらしくって、フィレ肉を焼いているところらしい。
ちょっと待ったらそのままそのお肉がこっちに来そうな気がしてるけど、ブドウのあとにステーキはいらない。
「どうしよう、これ。ヒバリさんは……あれだし」
本人というか、本羊を前にいらないと言うのはかわいそうで、言葉を濁す。
本羊はいい子だ。私のあとをきちんとついてくるし、動き回ることなくじっとしている。鳴き声がちょっと変わっていて、たまにメヘエって気の抜けた声で鳴く。
「どうしようって、ラッキーってもらっちゃえばいいじゃない。後衛なら、防御型の匣も役に立つわよ」
「でも白蘭のだし……」
「べつによくね?」
「あっ」
剥き途中のブドウをベルに奪われる。
「元がだれのだろうが物は物だし。殺した相手の武器使うのもざらだろ。
まっ、王子は御用達のものしか使わねえけど」
「敵の資源を奪うのと変わりない。匣もリングも、そう数があるものでもないからな」
レヴィさんもそう言う。
なんか、暗殺組織らしいなって感じだ。でも、言われてみたらそんなもんかという気もしてくる。
風紀委員で匣を使えるのはヒバリさんだけだし、私も使えればそのぶん組織としての力は上がる。私個人で考えるんじゃなくて、風紀委員全体で考えれば、得しかない。
羊かわいいし。もふもふだし。
そっと背中に手を置いてみるけど、羊の反応はない。
どうも感覚が鈍いようで、ずっとぼーっとしている。
「タダより高い物はないって言うけどね。
まあ、もっとむしり取りたいなら相談には乗るよ。今のところ僕の上客だけど」
ベルの頭の上でマーモンが言う。
そういえば、今のところ一番白蘭に痛手を与えてくれているのはマーモンだ。
恭しく剥いたブドウを差し出すけど、拒否された。
「みなさん、診察のお時間でーす」
病室に看護師さんが入ってきた。
目が羊に向いたけれど、私の腕章を見て、なんでもなかったように視線を戻す。さすが風紀委員御用達の病院である。
「あらかじめお伝えしましたが、今日は注射もありますので袖をまくっておいてくださいね。
あら?」
「スクアーロなら、売店に行っている」
XANXUSさんのお使いだ。病院の売店にワインなんてあるのかな。
「ではXANXUSさんから。調子はどうですか」
「……」
XANXUSさんが看護師に話しかけられてる。
なんか変な光景だ。見ちゃいけないような気がしてきた。
「おい」
「はっ。
この前同様、ボスへの点滴と注射は俺が受ける」
「あー、そうでしたね。はいはい」
はいはいでいいのかな、それって。
「前回は腕に刺しましたけど、貴方の腕、硬すぎて針がなかなか通らないんですよね。
今回はべつの血管でいいですか?」
「かまわん」
注射は苦手。人が刺されてるところもあまり見たくないし、そろそろ失礼したい。
「……手の甲も硬そう。もう顔でいいですか?」
「ぬっ!? いや、それは――」
「おい」
「はっ!
それでかまわん!」
怖い。絶対見たくない。早く帰りたい。
お医者さんに相談してくるとかで看護師さんが出て行ったから、私は強くルッスーリアさんの袖を引いた。
「ねえ、やっぱり羊しまいたい。この子連れて降りれないし」
「そう? じゃあ――」
ルッスーリアさんの言葉を切るように、となりで手が振り下ろされる。
首を捻ると、ベルの手が羊の毛に埋もれていた。
その手に握られているのは、見覚えのありすぎる特徴的なナイフ。
羊の背中にナイフが突き立てられている。
それがわかるまで、ちょっと時間がかかった。
「なん、ちょっと!」
ベルを突き飛ばそうとしたけれど、ひらりと避けられた。こういうときに実力の差を見せつけられるのがめちゃくちゃムカつく。
「ちょっと!」
「あら、毛も切れてないわね」
ルッスーリアさんがそう言うので、ナイフの埋もれているところを覗き込んだ。
ぱっと見は刺さってるように見えるけれど、沈み込んでいるだけで毛は全然切れていない。むしろ、じわじわとナイフが押し返されてくる。
「シシッ、しっぱーい」
「じゃない! なんでこんなことすんの!」
ナイフを抜いて後ろ手に隠す。
羊自身は刺された自覚もないらしく、まだまだぼーっとしている。本当にこれで兵器なのだろうか。
「戻したいって言っただろ。これが一番手っ取り早いって」
「早くない!」
距離を詰めようとするも、ベルはクルクル回るようにして逃げていく。
「刃物は通りづらいみたいね。打撃もあんまりだろうし。炎を帯びた攻撃なら効果あるかしら」
ルッスーリアさんはルッスーリアさんで冷静に分析を始めている。
そんなことより、本物の生き物じゃないからって、動物に刃物を突き立てるなんて正気じゃない。ベルがまともだと思ったことなんてないけど。
「もう! 普通に戻すやり方教えてって言ってんの! ベルは邪魔しないで!」
「うるさ」
「うるさくない! ほんとに――」
私の言葉は銃声でかっ消された。それと同時に、羊の身体が一瞬で消失した。
視界の端に銃を構えたXANXUSさんが映る。
「るせえ」
すみませんでした。
謝罪の言葉さえ許されない空気に、私は無言で荷物をまとめた。
っていうか、ベルのナイフが無傷だったのに、銃は一発って怖すぎる。
なんか赤い炎が見えた気がするし、絶対炎こもってた。殺意が強い。殺される。
「おい、俺のナイフ」
持ったままのナイフを見咎められた。わざとらしく無視をしつつ、病室の前で投げ返す。
ちゃんと目標どおりリンゴに刺さった。よし、今日は調子がいい。
ナースステーションまで行くと、よく知る人たちが集まっていた。
ツナたちと京子たち、それからアルコバレーノのみんな。未来で少しだけ接点のあったラルさんもいる。
なぜか未来で会ったときと見た目があんまり変わってないけど、ユキヒラさん……カワヒラさんだっけ? チェッカーフェイスの中身みたいな人もそのままだったし、そんな感じなんだろう。たぶん。
「やっほー」
「あっ、利奈!」
京子の腕には果物のカゴが抱えられている。
ぬいぐるみも入っているけれど、これはハルと作ったものだろう。相変わらずハルは裁縫が得意だ。
「お見舞い?」
「うん。利奈も?」
「どうせヒバリだろ」
獄寺君が私の服を見て言った。休みなので、みんなはもちろん私服だ。
「そっか、ヒバリさんもこの病院なんだ・・・・・・」
ツナが恐ろしそうに呟く。
この感じだと、ほかにだれが入院しているかは知らなそうだ。うん、知らないほうがいい。
「これから病室行くの?」
「そのつもりだったけど、ちょっと人数多いから、一回俺とリボーンで様子見に行くつもり」
確かに、この人数じゃ病室に入りきらなそうだ。病室の外に並ばなきゃいけなくなる。
「で、だれのお見舞い?」
「ディーノさんとバジル君。
えっと、またいろいろあったから」
ツナの目が泳ぐ。
わかってる。
さすがに世界の命運とかそういうのは二人に話さないほうがいいと私も思う。今回は巻き込んでいないわけだし。
「バジル君はまだ会ってないけど、ディーノさんはこの前見たとき元気だったよ。」
「そっか、よかった」
ヒバリさんに会いに来ている建前上、病室を尋ねたことはないけれど、たまたま偶然ばったり会うこともあるので、売店でよくお菓子を買ってもらっている。
そういうとき、高確率で疲れ切ったスペルビさんにも出会う。
「一階に喫茶スペースあるから、二人とも下に呼んだほうがいいんじゃないかな。
二人とも病室違ったし」
「そっか! それなら周り気にしなくていいね」
「はい! テイクアウトして、外でお話しするのもグッドかもです!」
うんうん、いい感じにみんなを避難させられそうだ。
未来で軽く会ってるとはいえ、ヴァリアーのメンツなんかは二人には刺激が強いだろう。機嫌の悪いXANXUSさんなんて、一生のトラウマになりかねない。
「じゃあね」
「うん、また」
一人で病院を出る。
しれっと混ざっちゃってもよかったのかもしれないけれど、今日はもう一回やらかしているし、これ以上ヒバリさんの機嫌を損ねるのは得策じゃない。そろそろお昼寝の時間だろうし。
陽の光が心地いい。
やけに清々しい気分だ。病院特有のあの匂いから解放されたからだけじゃないだろう。
振り返って病院を見上げてみる。
よく使っている病院だ。
不良を何十人送り込んだかわからない。
山本君が手術したのもこの病院だし、至門のみんなが入院したのもここだ。
そういえば、私もこの前入院したんだった。
まさか私だけ行方不明扱いになっているとは思わなかった。あのときは学校の勉強とかお母さんとお父さんへの言い訳とか、いろいろ大変だったなあ。
感慨深くなってきたところで前に向き直る。
まだまだ日も高くて、時間もある。家でご飯食べてからダラダラしてもいいし、外に出てもいい。そうだ、匣のこと、風さんには伝えなくちゃ。
「うおっ」
「なんだ!?」
背後から爆発音が鳴った。
振り返ると、見上げた病院の一室が破壊されていて、窓ガラスの落ちる音が耳に残った。何階のどの部屋なのかを思い出し、そして理解した私は片頬をつり上げる。
見つかっちゃったんだ、ツナ。
うっすらと見える炎の色。膨れ上がる炎圧。そして、今度はその階全体から爆風が広がった。
「うわあ!? テロか!?」
「病院が爆発した?」
「え、火事? 通報したほうがいい!?」
今度はいったいなにが爆発したことにするんだろう。請求書はヴァリアー宛でいいのかな、これ。
一周回って、逆に穏やかな気持ちで病室を見上げる。
ヒバリさんの病室も爆発していて、一斉にヒバードたちが飛び立っていくのが見えた。丸くて黄色いのがいっぱい飛んでいて、手を離したあとの風船みたいだ。
病室を埋め尽くすほどのヒバードがあそこにはいたけれど、たぶん巻き添えは食っていないだろう。ヒバリさんがなんとかしてくれているはずだ。
こっちにも何羽か飛んできている。大慌てだから、羽根も飛び散っていた。
舞い落ちる羽根が陽の光を受けて、まるで――まるで、天使の羽根のように見えた。
落ちてくる羽根を見上げていたら、ヒバードのうちの一羽が私を見つけた。こっちめがけて飛んできている。つられてみんなこっちに飛んでくるものだから、ちょっとしたホラーだ。つい笑ってしまう。
はいはい、わかってるって。
私は足取り軽く、病院へと歩き出した。