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雲雀恭弥は、風紀委員長であるらしい。
担任の先生に翌日尋ねてみたところ、そんな情報を得ることができた。
なにかしでかしたのかという問いにははぐらかしたけれど、先生の態度で、教師からも恐れられている存在だとわかった。闘犬どころではない、もはや地獄の番犬だ。
(風紀委員、か。じゃあ、屋上は本当は立ち入り禁止で、私が勝手に入っちゃったから注意――ううん! あんなの注意ってレベルじゃない!)
口頭で一言言ってくれれば済む話だ。だいたい、学校にトンファーを持ち込むこと自体が校則違反だろう。校則なんて知らないけれど。
しかし、恭弥の行為は正当であると認められているらしい。
この学校の風紀は風紀委員に一任されているらしく、多少、いや、どんなに荒い手段を使っても許されるそうだ。
あまりの独裁政権ぶりに疑問を抱いていると、先生が苦笑した。
「この学校だとそうなんだよ。転校生だから、わからないかもしれないけれどな」
――それを言われると、なにも言えなくなってしまうけれど。
私が並盛町に引っ越してきたのは、春休みに入ったばかりの頃だった。
父の転勤で引っ越すことになった私は、最後の最後の日まで転校なんてしたくないと泣き叫んだ。ずっと一緒だった大切な友達、大好きな町並み、それらを思い出にして知らない町で暮らすなんて、どうしても耐えられなかったのだ。
無念ながら、お父さんに無理やり車に押し込められてしまったが。
こうなってしまった今、新しい町でも頑張ろう、なんて殊勝な心がけは持ち合わせていなかった。私は新しい環境に馴染む努力の一切を放棄することにした。親に対する力いっぱいの抵抗である。
引っ越してきたばかりの頃は説得しようとしていた親も、今では諦めたように私のことを放置している。そして、私はますます荒むのである。
「そんでね、二人で噂のお店に行ったんだ。すっごく安くって、びっくりしたよ」
「えー! ズルイ、今度は私も一緒に誘ってよ!」
「みんなで行こっか。隣のクラスのも誘ってさー」
女子の声がやけに大きく聞こえる。
私の抵抗は学校でも継続されていて、人付き合いはまったくしていない。前の学校の友達が見たら、性格が変わってしまったんじゃないかと思うだろう。
自習時間の教室内は賑やかで、私は息苦しさを感じていた。
(一人になりたい)
先生のいない教室から出るのは、とても簡単だった。温度差を感じながら、ふらふらと廊下を歩く。
このまま家に帰ろうかなんて考えて、不良みたいで、一人笑う。笑って、肩を落とした。
(……わかってるけどさ、こんなことしても意味ないって)
――引っ越してから何ヶ月も経っているし、今更、元の町になんて戻ってはくれないだろう。仕事だって大事だし、もう両親にとってこの町は、新しい場所じゃない。居場所なのだ。
わかっていたって、揺れる感情は抑えられない。
意味もなくトイレで手を洗って、教室に戻る。他のクラスは静かだけど、私のクラスはずいぶんと騒がしい。
(……私なんて、いてもいなくてもおんなじ)
手にかけた扉を引けずにいると、偶然教室にいる男子と目が合った。きょとんとした顔の、背の高い――
「……っ」
いたたまれなくなって、私は逃げるように駆け出していた。
――
目の合ったクラスメイトが、身を翻した。続く足音は小刻みに遠ざかっていく。
三秒くらい、見つめ合っていただろうか。無理やり剥がされた視線に、なんだか置いて行かれてしまった気になる。
(今のは――相沢だったか)
クラスメイトの顔と名前はだいたい把握している。同じ教室で一学期近く過ごしていれば、話したことのない相手でも、なんとなく覚えてしまうものだ。
(なんで逃げちまったんだ?)
目が合ったから逃げたのだ。でなければ、背ける寸前に歪められた顔に、説明がつかない。
表情の意味はわからないが、彼女が逃げ出した理由が自分にあることに、困惑する。一度も会話した記憶がないのに、どうして。
「どうした、山本」
黙り込んでいるのに気付いた友達が、声をかけてくる。だれにも、相沢の姿は見えていなかっただろう。
「いや、なんでも」
「なあ、山本聞いた? 昨日さ――」
友達が、昨日あった面白話を、身振り手振りを交えて話す。それに相槌を打っている間に、いなくなった相沢のことは、いつのまにかすっかり忘れてしまった。
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(……また、ここに来てしまった)
うんざりした気持ちで、私は天を見上げる。
下に下にと下りていって、先生に鉢合わせしそうになって。反対に上へ上へと上がってきたものの、気付けば行き止まりだ。駆け下りてから駆け上ってきたものだから、足が震えている。
早鐘を打つ胸が縮こまっているのは、昨日の出来事のせいだ。屋上の扉を見ただけで、体が拒否反応を示している。
(授業中だし、いないはず……なんだけど)
荒い息を収めつつ、階段を上る。今度は慎重に段を上がっていくが、彼がいるかどうかは、扉を押してみなければわからない。
もちろん扉に手をかけるつもりはなかったが、教室に引き返すこともまた、できなかった。抑えようと努力していたけれど、もう涙は頬を伝い始めている。
(……ここなら、だれも来ないし)
屋上にいる怪物の存在が、私を守ってくれる。怪物がいる檻に近づく物好きなんて、私くらいだろう。奇妙な安堵を抱きながら、階段に腰を下ろす。
(絶対、変に思われたよね)
目が合った男子生徒の名前は覚えている。よりにもよって、クラスで一番のムードメーカーだ。だれにも言わないでくれていればいいけれど、そんなことより、涙の止め方を考えなければならない。
拭えば拭うほど落ちてくる仕組みなのか、制服の袖のシミが見る間に大きくなっていく。
(私、なにやってんだろう)
クラスメイトの視線にすら、怯えてしまうなんて。
こんなところで居場所なんて作らなくていいと思っていたけれど、やっぱりさみしい。だれかと話したいし、友達が欲しい。でも、そんなことをしたら、前の学校を忘れてしまうみたいで、抵抗していた私を裏切るみたいで、できない。
一人でいたいわけじゃないのに。こんなことがしたいわけじゃないのに。私はただ、戻りたいだけなのに。
だれにも言えない気持ちを涙に溶かしながら嗚咽を漏らしていると、わずかにきしむ物音が、後ろから聞こえた。
「なにやってるの」
息が止まった。
「さっきから音立ててたのは君?」
続けて投げかけられる背後からの声。
振り返りたくはないけれど、振り返らなければ待っているのは死である。私は観念して首をひねった。
昨日と同じく、剣呑な瞳をした恭弥が、扉に背を預けて立っている。
「……なんで、聞こえたの?」
まず疑問がわいた。扉はちゃんと閉まっていたし、泣き声だってあげていない。しゃくりあげる声だって押し殺していたし、たとえ扉が開いていたとしても、外まで聞こえるような音量ではなかったはずだ。
私の素朴な問いに、恭弥はけだるげに欠伸をこぼした。
「僕は、葉の落ちる音でも目を覚ます体質なんだ」
(すごい……っていうより、面倒そう)
そんな体質では、夜もろくに眠れなさそうだ。
しかし今、わりとさらっと、恭弥自身が授業をさぼって昼寝をしていたと暴露された気がするが、気に留めたほうがいいのだろうか。
反応に困る私を見ている目は眠たげに落ちているが、肌を刺す威圧感は昨日とさほど変わっていない。
「君ってさ」
「っはい」
「学習しないタイプ?」
「……はい?」
「昨日言ったばかりだよね、僕」
問答すら億劫なのか、やたらと文言を区切ってくる。
どうやら、制裁を加えるために、わざわざ昼寝を中断してここまでやってきたらしい。
「えっ、でも……」
「なに」
私はひたすら困惑していた。
「ここ、屋上じゃないですよね?」
――そう、ここは屋上ではなく階段である。目と鼻の先の距離とはいえ、階段は階段で、屋上は屋上だ。屋上に近づくなと言われていたらもう少し考えていたけれど、屋上に入るなとだけ言われたのだから、階段はセーフだろう。彼に文句を言われる筋合いはない。
もっとも、恭弥の耳がずば抜けて鋭いと知っていたなら、移動していたと思うけれど。
まさかそう切り返されると思っていなかったのか、恭弥は少し目を開き、それから唇を尖らせた。
「それが、僕の眠りを妨げておいての言い訳?」
「え!? あ、その、べつにそんなんじゃないんですけど!
ただ、言われたことはちゃんと覚えてましたよっていうか、だから見逃してくれると嬉しいですってだけで――」
「君、結構いい根性してるね」
紛れもなく皮肉である。でも、私の言い分にも一理あると認めたのか、組んだ腕を解きはしなかった。しかし、屋上に戻ろうともしない。
(邪魔だからさっさと帰れって意味だよね)
私も、自習中とはいえ授業を抜け出してきている身だ。おとがめなしで済むのなら、さっさと戻ったほうがいい。
「じゃあ、私は教室に――」
「今年の春に引っ越してきたんだって?」
どうやら読みが外れたらしい。浮かそうとしていた腰を沈め、私は頷いた。
「部活動、委員会への所属はなし。成績は並。問題は起こしていないけれど、素行は――」
刺さる視線を横に受け流す。
「――まあ、一般生徒の範囲内。群れにも所属していないし、模範生だ」
「アハハ……」
「それで、君が泣いてたのはどれが原因?」
いきなり涙の理由を指摘され、相槌が止まる。見えてないことにしてくれると思っていたけれど、見逃すつもりはなかったらしい。
答えられずにいると、だいたい察しはついているけどねと恭弥は息を吐いた。一人で屋上に出ようとしていたのが、もう答えだろう。
「僕も、個人個人の悩みはどうでもいいんだ。風紀さえ乱していなければね。
でも、そういう小動物が群れを作って増長するのは嫌なんだ。群れ固まってなければなにもできない雑魚たちがのさばると、ムカムカする。咬み殺したくなる」
声に険を孕ませながら、恭弥は私を見る。見ているのはおそらく、違うものだろうが。
「で、君は? 君も僕の憂鬱の種になるのかい?」
「……」
私は恭弥から顔をそむけた。座り直して、膝を抱える。
「……私は、そんなことできない。なにもできない」
このままじゃ、寄り集まるカラスにもなれないだろう。流されるのが嫌でふんじばっている私は、どこにも行けなくてただ膝を抱えている。
「私は、戻りたいだけ。もういたくないの、こんなところ」
膝頭を見つめながら呟く。思い出だけがきれいに輝いていて、学校にいても家にいても灰色で、つまらない。現実を受け入れてしまえば楽になれるとわかっていても、意地っ張りの私が邪魔をする。
「ほんとに、最悪。もう、こんな学校、大っ嫌――」
――私は、一番重要なキーワードを先生から聞き損ねていた。
雲雀恭弥の過剰なまでの愛校心を知っていたら、口が滑ってもこんな発言はしなかっただろう。でも、私は知らなかったから、一番言ってはいけない禁句を、いとも簡単に弾き出していた。
「ひっ」
背後で急速に膨らんだ怒気に気付く間もなく、私の体はぶん回された。襟首を掴んだ手に、力いっぱい壁へと放り投げられたのである。
跳ね返された私は、足を滑らせて勢いよく階段に打ち付けられたが、突き飛ばされなかっただけマシなのだろう。さすがに死ぬと判断されたのか、あるいは、突き飛ばすだけでは済まないほどの怒りを彼が抱いていたか。
(な、なに? 本当に怒らせた?)
痛みよりも混乱で身動きが取れずにいると、昨日とどこか似た構図で、恭弥の上履きが視界に入った。
「本当に頭が悪いんだね、君は」
声に込められた怒りは昨日の比ではない。押さえつけられてもいないのに、顔を上げられなかった。
「どうしようもないから、ひとつだけ教えてあげる。君がそうなってるのは、君のせいだよ」
(そんなの――)
「知ってるとは言わせない」
思考に被さる声に目を見開く。
「君がいた町のことは知らない。でも、たとえ君の町がどんなに素晴らしくても、僕は並盛が一番好きだ。それはどこへ行こうが、なにが起きようが、変わらないし変えるつもりはないよ。並盛は、僕の誇りだから」
「誇り……?」
「誇りさ。君も、君の町が好きなら、それを誇ればいい。僕も、人の考えまで洗脳するつもりはないよ。だけど、未練がましくしがみついているようじゃ、町に失礼だ」
確固たる信念を持った恭弥の声は、不安定に揺れていた私の心を掴んで、引きずり出す。過去にすがるのではなく、過去を誇る。そんな考え方、一度だってしたことがなかった。
「雲雀……先輩は、どうして――」
そんなに、この町を。そう続けたかった私の声を、チャイムの音がかき消す。
そのチャイムが鳴り終わると同時に、恭弥が身を引いた。
「じゃあ、僕も暇じゃないから。後は自分で考えて」
「え」
戸惑う私をしり目に、恭弥はあっさりと階段を下っていく。
あっけない解放に驚きながらも、私は痛む体をゆっくりと起こして立ち上がった。階段に打ち付けた足と腕がズキズキと痛む。
「……誇り」
私は、並盛町のことをなにも知らない。知ろうともしていなかった。でも、恭弥がここまで大切に思うなにかが、きっと存在しているに違いない。
(どんな、町なんだろう)
私はこの日初めて、並盛町のことを知りたいと思った。