これから向かう爬虫類館は、亜熱帯を意識した内装で、大蛇やワニ、大トカゲなどの迫力満点な爬虫類を臨場感たっぷりに眺められる施設らしい。毎度おなじみパンフレットにそう書かれている。
(爬虫類か。そんなに好きじゃないんだけどなあ)
薦められて決定したものの、利奈は爬虫類を好んでいなかった。
見るのもいやというほどではないけれど、近づきたいとは思えない。大きければなおさら。
(ヒバリさんも苦手だったり――とか。しないよね、しないな、うん)
パンフレットから顔をあげて恭弥の表情を確認するが、無だ。嫌がってもいないし、期待してもいない。恭弥にそんな弱点があるとは思っていなかったから、期待はしていなかったけれど。
(任務だし、仕方ないよね。蛇に触れとか、脱走したワニを捕まえろ! とかだったら絶対無理だけど。まっ、ヒバリさんが一緒だからって、そんな変な展開はないでしょ)
――自分の発想を否定する利奈は知らない。利奈が引っ越してくるほんの少し前に、この動物園でライオンの脱走騒ぎがあったことを。でなければ、ライオンの檻の前をのんびりした足取りでは歩けなかっただろう。
やたら真新しくなった檻に恭弥も目をやっているが、そこまで興味がなかったのか、そのまま目をそらす。
『リボーンちゃん、前方に高校生と思われる方々がたくさんいらっしゃいます! どうしましょう!』
『よし。さりげなく前を通ってそいつらを刺激しろ。手段は問わない』
『はい!』
『無責任なこと言うな!』
どうやら、ハルはノリノリで仕事をしてくれているらしい。
付き合わされている綱吉の心労を思うと素直に頑張れとは言えないものの、人数の多いあちらに当たってほしいという気持ちはある。しかし、慣れでいうと暴力沙汰が日常茶飯事になっているこちらのほうが有利だ。犯人たちはもれなく病院送りになるけれど。
とりあえず、新しい情報を恭弥に伝えなければ。
「沢田君たちの組が高校生を見つけたから、さりげなく刺激するそうです。沢田君いやがってたからそんなにしないかもですが」
「ちゃんとやってって言って」
すかさず眼鏡のつるを押す。
『ヒバリさんがちゃんとやってって言ってます』
『だそうだ。やらなきゃ咬み殺されるぞ』
『無茶言うなよ!』
『え、それヒバリさんに言っちゃっていいの……?』
『ちがっ、違うよ!? リボーンに言っただけだから! ヒバリさんにじゃないから!』
『だよね。びっくりした』
遊園地で一緒に遊んだおかげで、綱吉とはだいぶ気さくに話せるようになった。教室内ではおとなしい綱吉だが、友達の前だと面白いほど反応がいい。
『わざわざ十代目が行かなくても、俺が一発そいつらをのしてやればいいんじゃないっすかね。そのほうが早いと思いますよ』
『ダメダメ! 普通の人だったら大変だよ! 獄寺君が指名手配されちゃうって!』
『十代目……! 俺のことを思ってくれてるんすね! ありがとうございます!』
『そういうわけじゃないけど……』
『前に獄寺やらかしたもんな。次は出禁になるかもしれねえし』
前回になにをやらかしたのだろう。聞きたいような、聞いてはいけないような。直接言い合っているのか、そこで通信は途切れる。
そんな一幕のうちに、爬虫類館が見えてきた。リボーンが言っていた通り、爬虫類館は人気がないのか、前を素通りしていく人が多い。みんな同じ方向に足を進めていて、にぎわっている先には、ふれあい広場の看板が立っていた。そう、動物たちとのふれあいコーナーである。
爬虫類館が空いている理由が分かった。爬虫類コーナーとふれあいコーナーが並んでいれば、大多数の人はふれあいコーナーに向かうだろう。実際に子供たちなんかは爬虫類館に見向きもしないで走っていくし、この配置で決定してしまった人は、よほど商才がなかったのだろう。捕食者と被食者を横に並べるなんて。
(ふれあいコーナーじゃ駄目かな。ヒバリさん、気が変わってくれないかな)
作戦内容を考えれば、人が多いうえにカップルが行きそうなふれあいコーナーに向かうべきだ。作戦を盾にすれば、恭弥も拒絶はしないだろう。
しかし恭弥は、人嫌いで群れ嫌いの孤独を愛する風紀委員長である。人が少ない場所を望んでいた恭弥を無理やり連れて行ったらどんな反応をするかわからないし、変更には利奈の私情が大いに含まれている。個人的な感情で動物たちを危険にさらすのはためらわれた。ここは上司の要望を通すべき場面なのだろう。
そう決意した利奈は爬虫類館の扉に手をかけたものの、隙間から漂ってくるむわっとした熱気に腕を止めた。
「……」
真夏の炎天下に、亜熱帯地方を再現した展示に入りたがる人はいない。人が少ない理由がまたひとつ判明した。
「ヒバリさん」
「なに」
「……目的地変更って今からでも可能ですか?」
目線を合わせずに振り返った利奈に、恭弥が目をすがめた。
もっと早く言えという言外の圧力が突き刺さるけれど、すぐ近くにふれあいコーナーがあるのが悪い。楽しげな声がここまで聞こえてくる。
「で、どこに行くの?」
「あ、いいですか? だったらふれあいコーナー……に……」
「……」
「無理だったらいいんですけど……」
「……」
なにも言わないまま、恭弥が踵を返す。NGが出てしまったかとヒヤヒヤしたものの、恭弥が足を運ぶ先は利奈の望む場所だ。利奈は目を輝かせながら後ろに続く。
「うっわー、かっわいいー!」
もふもふとした動物が集合しているさまは、控えめに言っても天国だった。ウサギにヒツジ、モルモットにヒヨコと、触り心地が良くて瞳がつぶらな動物がそろい踏みである。
さっそく利奈はウサギを抱き上げ、ふかふかとした感触を楽しみながら膝に乗せた。人に慣れているウサギは、鼻先をひくひくと動かしながらも抵抗はしなかった。あまりのかわいさに頬が緩んでしまう。このまま連れて帰りたい。
(あっ、そうだヒバリさん)
危うく任務とともに恭弥の存在まで忘れかけた利奈は、慌てて辺りを見回す。
隅から探し始めたせいで見つけるのに間ができたが、恭弥は広場の中央にあるガラスケースの前に立っていた。後ろ姿だから表情は確認できないけれど、その背に不穏な空気は漂っていない。ひとまず胸を撫でおろす。
よくよく思い起こしてみれば、恭弥が群れている動物――ハトや猫などに危害を与えたことはない。彼が狩るのは人の群れだけだ。人間の群れは許せなくても、本物の動物の群れならば許せるのかもしれない。
恭弥がなんの動物を見ているのかが気になり、利奈はウサギを放して恭弥の背後に立った。できるだけそっと近づいたけれども、どうせわかっているだろう。グッと身を乗り出してガラスケースを覗き見る。
ガラスケースのなか、縦横無尽に動き回るふわふわした黄色い小鳥。ヒヨコだ。
ニワトリの子供であるヒヨコは、黒々とした瞳をぱちぱちと動かしながら、その小さな足でガラスケース内を走り回っている。手のひら大の鳥が元気いっぱいさえずっているさまは、見ている人から、かわいい以外の言葉を根こそぎ奪っていく。
「かわいい」
思わず口にすると、恭弥が半歩横にずれた。入る隙間がないから後ろにいると思われていたらしい。
恭弥に甘えて一歩進んだ利奈は、すぐさま腕を伸ばしてヒヨコの捕獲にかかった。
上から掴むとヒヨコが恐がるからと、係の人からは掬い取るように抱き上げてくださいと推奨されている。でも活きのいいヒヨコは、捕まえようとする人の手からすぐにすり抜けてしまう。ここだけふれあいコーナーではなく、ヒヨコ掴みコーナーになっていた。みんなゲーム感覚でヒヨコを捕まようとしている。
「う、逃げる、ああっ! よいしょ、それ、あー、だめだ、えいしょ!」
「楽しそうだね」
皮肉なのか、ただの感想なのか、恭弥がぽつりと呟いた。
やっきになって追い回して、なんとかおてんばなヒヨコを一匹手に入れることに成功した。
「やってやりましたよ、ヒバリさん!」
ふんと胸を張る。
「ここ、そういう場所だったっけ」
これは完全に皮肉である。
「だってすごく逃げるんですよ。ヒバリさん、捕まえられます?」
「おとなしいのを捕まえればいいでしょ。ほら」
「い、いとも簡単に……」
さすが恭弥とでもいうべきか、恭弥は一掬いでヒヨコを手中に収めてしまった。あまりの早業にヒヨコが困惑気味に首をひねっている。かわいい。
またもや顔が緩む利奈だったが、ヒヨコを見る恭弥のまなざしも、普段より幾分柔らかくなっているように感じられた。意外と動物好きなのかもしれないと思いつつ、それは胸に秘めて――
「こういう動物好きなんですか?」
秘めたはずの感想が、質問になっていた。
その瞬間、たれ目に矯正する眼鏡越しにも関わらず恭弥の目がつり上がり、利奈は本日最大のやらかしに自分を罵倒する。どう考えても、地雷だった。
「なーんて! だったらなって! ヒヨコかわいいですもんねー、ヒバリさんの持ってる仔もかわいいですし! なんでもないです、聞かなかったことにしてください、ちょっとその眼鏡のせいで見間違えたみたいです! アハハ、あー、かわいいなーヒヨコ」
わざとらしく自分のヒヨコを溺愛して場をごまかそうとするけれど、空回りしているのは否めない。じたばたするヒヨコをなだめながら恭弥から視線を外し、なんとかやり過ごそうとすること十数秒、その手はいきなり伸びてきた。
身構えてヒヨコを落としたりしないですんだのは、恭弥の動きが遅かったからだろう。伸ばされた両手の先にヒヨコが乗っているので、利奈は反射的に自分の両手を差し出した。そこに、ヒヨコが降ろされ、利奈の手のひらの上で二匹のヒヨコが対面する。
「どうだろうね」
恭弥の声を受け、利奈は顔を上げた。声を出そうと口を開けた。しかし――
『大変だ! ツナたちが連れて行かれた!』
切羽詰まった武の声が、利奈の思考回路を日常から非日常へと切り替えさせた。
『当たったかもしれない! みんなこっちに来てくれ!』
『場所はどこだ?』
『サイがいる場所だ! 水のなかにいる動物エリア!』
『わかった。ヒバリたちの組も、山本たちの組に合流しろ。わかったな』
「了――」
答えかけて言葉を止める。眼鏡のつるを押さないと、声が向こうに届かない。ヒヨコを手から降ろさないと。
「――」
名前を呼ぼうとした利奈の右耳に、恭弥の指が触れていた。先ほどとは比べ物にならないほどの速さで利奈の顔に触れた恭弥は、眼鏡のつるを押しながら自分の手の甲に唇を押し当て、言葉を吹き込んだ。
『了解』
恭弥の声が、イヤホン越しに耳に入る。
(……!? っ!?)
思考回路が断線した。
突然の超至近距離に固まる利奈などには目もくれず、恭弥が音もなく走り出す。恭弥の鋭敏な聴覚は、利奈の耳元で響いた音さえも拾い切っていたようだ。
『当たりみてーだな。ヒバリからもらった資料に一致する奴が何人かいる。隼人、まだ行くなよ。ツナが一発食らってからじゃねーと、こっちがボコボコにする理由がなくなる』
『クッ! 十代目、申し訳ございません!』
そんなー! と、綱吉が全力で叫んでいる幻聴が聞こえた。
通信を聞いてなんとか平常心を取り戻した利奈は、手にしたヒヨコをケースに戻すと、すでに姿のない恭弥のあとを追うために走り出した。
恭弥が動物好きかどうか聞く機会は、完全に失われてしまったのであった。