新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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四章:風紀委員長、なにがあったんですか
雨の邂逅


 雨はまだ降っていない。空を見上げて思うのは、そんなことばかりだ。

 憂鬱を体現するかのようなどんよりとした曇り空に、利奈は深いため息をついた。ため息をついたって、悪態をついたって、ここにはだれもない。応接室に、主の姿はない。

 机の上には書類が山積みになっている。これでも、一週間前に比べればだいぶ減ったほうだ。一週間前まではほぼ手付かずだったものが、少しずつではあるものの、処理されるようになってきたところなのだから。

 

(そろそろ、元通りになってくれるかな)

 

 近頃の恭弥は、校外を頻繁に出歩いていた。外に出て、手当たり次第に群れを咬み殺している。それだけならいつも通りに見えるだろうが、いつもと違うことを、風紀委員たちだけはわかっていた。もちろん、利奈も。

 彼は苛立っているのだ。苛立ちを周囲にぶつけている。そして、なにかを探している。もしくは、だれかを。

 

 ぼんやりと窓の外を眺めていた利奈は、チャイムの音で頬杖を解いた。ぼうっとしているあいだに、もう下校しなければならない時間になっていた。

 

 ――半月ほど前。並中生が次々と闇討ちされる事件が発生した。

 

 最初のほうは被害者が風紀委員だけだったので、これは並中風紀委員に対する宣戦布告だとか、今までの暴挙に対しての報復だとか、そんな噂が町内でひそやかに立てられたのを覚えている。

 風紀委員たちも当初はその線で調べたものの、町内の敵対組織をいくら洗っても犯人が見つけられなかったうえに、次第に風紀委員ではない生徒も襲われ始め、捜査は振り出しに戻った。それではと方向性を変え、並盛町の外へと捜査の手を伸ばしたら、隣町の黒曜町にある、黒曜中学校の生徒の仕業だと判明した。

 判明したと同時に恭弥が動き、この件はあっさりと幕を閉じる――と思われたのだが。

 

(雨、降りそうだな) 

 

 雨は降っていない。けれども、すぐにでも降り出しそうな空模様だ。傘をなくしてしまったから、雨が降ると困る。新しい傘を買えばいいのだけど、返しに来るかもしれないし――と考えたところで、ふと我に返る。

 

(……返すって、だれが?)

 

 傘はなくした。持っていかれた。なくなった傘が勝手に戻ってくるわけないのに。

 

 気を取り直して昇降口を出る。最終下校時間ということもあって、この時間にいるのは部活動をやっている生徒ばかりだ。集団のなか一人、足を進める。

 

 ――あの日から数日間、恭弥は戻ってこなかった。

 恭弥が敵を屠りに向かったあとにもかかわらず副委員長の草壁哲矢が襲われたため、最悪の事態が頭をよぎったが、恭弥は戻り、並盛町は平穏を取り戻した。――少なくとも、表面上は。

 

「もう、終わったよ」

 

 恭弥はただ一言そう言った。しかし、すべてが終わったわけじゃないのは、その目を見ればわかる。

 それを裏付けるように、戻ってきた恭弥は荒れに荒れた。学校にはほとんど寄り付かずに町を出歩き、手当たり次第に群れを咬み殺しては屍の山を積み上げた――のが、戻ってきてから一週間ほどのあいだの出来事。最近になって落ち着いてきたものの、それでも普段に比べれば負傷者は多い。

 

 今が夏休みでなくてよかった。夏休み真っただなかだったら、隣町の病院を足してもなおベッドが足りなかっただろう。

 

(ヒバリさんを襲った黒曜生たちは病院送りになったけど、主犯格のメンバーは全員逃亡して、消息も不明。ヒバリさんからはなにも話してくれないし、手詰まりだなあ)

 

 かといって、こちらから蒸し返して、恭弥の不興をわざわざ買うわけにもいかず。

 恭弥の調子が完全に元に戻ってから情報を得ようということで委員会内では話がまとまったけれど、事態が停滞している状況は、利奈にとっても好ましくなかった。今までがうまく行き過ぎたからか、こういう後味の残る終わり方はどうも落ち着かない。快刀乱麻・完全勝利・一件落着が理想である。

 

 校門前に差し掛かって、利奈はふと顔を上げた。前を歩く生徒たちの動きが、同じ場所で大きく乱れていたのだ。

 彼らはギョッとした顔である一点に目をやり、チラチラと視界の隅で窺いながら通り過ぎ、恐々と振り返って小声でひそめきあっていた。

 

 校門の前に他校生が立っていた。

 白シャツ姿なら他校生だとすぐには判別できなかっただろうに、彼は九月にもかかわらず冬服を着こんでいる。そのせいで、最終下校時刻過ぎに帰るわずかな生徒たちの注目を一身に集めている。

 注がれる視線に含まれているのは、興味、関心、好奇心――だけではない。人によっては、ギョッとした顔で足を止める人もいる。警戒の表情を浮かべる人も。

 

(わかっててやってるのかな。……だとしたら、だいぶ悪趣味だけど)

 

 利奈は眉をしかめる。

 普通の感性を持っていたら、あの格好で並盛中学校の校門前には立たないだろう。着替えるまでいかなくても、制服を脱ぐくらいの気遣いはあってもいいはずだ。あんな事件があったあとなのだから。

 

(――わざわざ、黒曜中の制服で来るなんて)

 

 不良同士の諍いで片付けられてはいるものの、黒曜生が並中生を襲ったのは紛れもない事実である。これが一般生徒の下校時間の出来事だったら、すぐさま風紀委員が追い出していただろう。こちらだってピリピリしているのだ。

 

 そんな利奈のモヤモヤした感情はさておいて、他校生はじつに涼しい顔をして佇んでいる。校門に寄りかかることなく、身じろぎをすることなく、堂々と。周囲の視線に気付かないはずがないから、よほど神経が太いのだろう。あるいは、注目を浴びることに慣れているのか。

 横顔でもわかる顔立ちの良さに、もしかしたら後者なのかもしれないと思ったが、苛立つ利奈にはどうでもいいことだった。さすがに風紀委員の名前を振りかざして追い出したりはしないけれど、不快なものは不快である。その制服に罪はないのだけど。

 

(あっ)

 

 待ち人来たり。そんな顔で、彼は背筋を伸ばした。すらりとした長躯に近くにいた女子生徒がどよめいたが、彼はそちらを気にすることなく歩いてきた。――利奈のもとへと。

 

「待ってました」

 

 横顔がきれいな人は、正面から見てもきれいな顔をしているものらしい。口元に浮かべられた笑みの意味のなさを考えながら、利奈は胡乱な目を向けた。

 

 ――こうなる可能性はちゃんと考えていた。

 並中生と問題を起こした黒曜生が制服――挑発する服装で訪れたのならば、目的は風紀委員と接触するためだろうと。

 それなのに引き返さなかったのは、今が最終下校時刻で、校内に数人しか風紀委員がいなかったためだ。思い過ごしであってほしいという願望も含まれてはいたものの。

 

「雲雀恭弥に会いに来たんですが、会えますか?」

 

 挨拶もそこそこに、男はそう言った。

 利奈は警戒心を隠さず、しかし表情には出さずに答える。

 

「風紀委員長はいません。いたとしても、会わないほうがいいと思いますけど」

 

 これは本当だし本心だ。恭弥の機嫌にもよるが、運が悪ければ黒曜中の制服を見ただけで戦闘モードに入る可能性もある。

 

「そうですか。せっかく会いに来たのですが」

 

 いないのだから仕方ない。時間的にもうすぐ戻ってくるだろうけれど、それをわざわざ伝える必要もない。彼の素性がわからない以上、下手に会わせるのは危険だ。――おもに校舎が。

 

「では、伝言をお願いできますか? 貴方は……風紀委員ですよね」

 

 念押しの視線が利奈の左腕に落ちた。

 この腕章だけが、利奈を風紀委員だと認識させる符号になっている。つまり、この腕章がなければ、だれも利奈を風紀委員だとは思わない。彼だって。

 

「わかりました、あとで伝えます。なんて言えばいいですか?」

 

 断る理由もないので、素直に応じた。

 

「そうですね……。僕が来た、とだけで十分でしょう」

 

 随分と簡素な伝言だ。他人には知られたくない話があるのかもしれないと頷きかけた利奈は、すんでのところで頭を止めた。

 

「あの、お名前は?」

 

(危ない危ない、大事なことを忘れるところだった)

 

 訪問者の名前を失念したら、引き継ぎ役失格だ。あとで恭弥に怒られてしまう。

 

「名前、ですか?」

 

 そこで彼はなぜか、おかしそうに唇を歪めた。おどけたような顔で微笑む。

 気安げな態度は初対面にしてはあまりにも馴れ馴れしく、不快感はないものの、利奈に違和感を抱かせた。――彼と会うのは、本当にこれが初めてなのだろうか。

 

 その疑問に拍車をかけるように、彼は自分の喉元に手を当て、人差し指で唇を撫でた。もったいぶるような動作はやけに洗練されていて、うっかり見惚れてしまいそうになる。

 一度見たら忘れない顔だ。一度見たら、忘れない。だから、会ったことなんて――

 

「貴方はもう、知っているでしょう?」

 

 後退りしたくなる体を理性で押しとどめる。風紀委員が逃げるわけにはいかない。

 

(なにを言ってるの、この人)

 

 緩く爪を立てるような声に、聞き覚えなんてない。紺色の瞳に、見覚えなんて。

 

 地面を突く音に、利奈は思わず視線を落とした。彼が、手に持っていたもので地面を突いたのだ。視線を逃すことに成功してわずかに気が緩んだ利奈だが、すぐにそんなことはどうでもよくなってしまった。

 

 彼の左腕に握られていたものは。彼が背後に隠していたものは。

 

「本当に、思い出せませんか?」

 

 ――水玉柄の、青い傘。

 

 雨が、降り始めた。

 

 

――

 

 

「うわー、降り出しちゃったか」

 

 自動ドアが開いたと同時に、利奈はうんざりとした顔で空を見上げた。

 店に入る前の薄い雲のまま、音を立てて大雨が降っている。天気予報は曇り、ところによって通り雨が降ると言っていたけれど、どうやら、ところに当たってしまったようだ。バーゲンをやっているからと、張り切って隣町まで遠征してしまったがゆえの悲劇である。

 

 念のために傘を持ってきていてよかった。せっかく、もらったばかりのお小遣いで買い物に来たのに、いきなり雨で台無しにしてしまうところだった。両手に荷物を持ちながら傘を差さなければいけないけど、そこだけは助かった。

 

 急な雨のせいで、店先では多くの人が利奈と同じように空を見上げている。この雨のなか、紙袋を持って家に帰るのは無謀だろう。通り雨だろうから、傘がなければ雨がやむまで店内で待つのが得策だ。傘を持つ利奈は、家に帰るために傘を開く。

 

(……ん?)

 

 潔く駆け出す人や、店内に引き返す人のなかで、同じ年頃の子がわかりやすく狼狽えているのが目にとまった。軒から顔を出して空模様を確認して、行くのは無理だと諦めて、でも帰らなくてはとまた空を仰いでいる。利奈と同じく、いや、利奈以上に多くの買い物袋を持っているから、この天気では帰れないだろう。

 切羽詰まった顔で何度も同じ仕草を繰り返す彼女に、利奈は自然と声をかけていた。

 

「ねえ、急いでる?」

 

 隣町で、知らない子相手だからこそできたのかもしれない。あとくされがないから、気兼ねなくお節介ができた。

 

「急いでるんだったら、入れてあげよっか? コンビニなら傘売ってると思うし」

 

 いきなり話しかけたせいか、女の子は面食らってしまっている。大きな瞳が探るように利奈を見ているけれど、もちろん面識はない。女の子もそう判断できたのか、間をおいてから、控えめに首を振った。

 

「……大丈夫」

 

 か細い声だった。雨音に呑み込まれてしまいそうなほど、小さな声。

 

「本当に? べつに遠慮しなくてもいいよ」

「だ、大丈夫。気にしないで……」

 

 今度は強めに首を振られる。

 おどおどとした態度からして、かなりの人見知りだったようだ。利奈に対して見えない壁を幾重にも張っている。

 

(んー、嫌がっているっていうよりも、とにかく断っておこうって感じだよね。控えめな子なんだな)

 

 もらえるものはありがたくもらっておく利奈とは違って、なんでも遠慮してしまう性格なのだろう。損をする性格でもある。

 

「でも急いでるんでしょ? 時間平気なの?」

 

 利奈の問いに、少女はわかりやすく黙り込んだ。早く帰らなければならない用事があるだろうという利奈の読みは当たっていたようだ。

 

「傘売ってるところまで送ってあげるって。いつやむかわかんないけど、傘あったら一人で帰れるでしょ?

 あ、でも私、ここ来たの初めてだ。売ってる店はわかんないから、それは教えて?」

 

 人見知りの子相手なので、利奈は普段よりかなり馴れ馴れしい態度を取った。押して押して押す作戦である。

 利奈の積極的なアピールに警戒心がほどけてきたのか、あるいは断るのも骨が折れると判断したのか、女の子はもう首を振らなかった。

 

「……えっと」

「よし、行こ。そうだ、名前は?」

「……」

「え?」

「……凪」

 

 伏し目がちに、彼女はそう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

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