骸が現れたその翌日から、風紀委員の見回り範囲が広がった。具体的に言うと、黒曜町付近が警戒区域に指定された。
並中生を襲ったあの事件のあとに、首謀者がわざわざ風紀委員長に接触しようとしてきたのだ。宣戦布告だと捉えて臨戦態勢に入るのが妥当というものだろう。
(例によって私はお留守番だけど――)
見回りに人手を割くぶん、事務や雑務がおざなりにならないよう、いつもより多く仕事をこなさなければならない。したがって利奈の仕事量が膨れ上がっていくわけだが、骸をあっさりと帰してしまった負い目があるので、文句は言えなかった。朝早くに登校して作業に手をつけないと、放課後に居残らなければならなくなる仕事量だ。
そこまでしないと片付かないのは、恭弥が仕事をおざなりにしていたことも関係するのだが、それを指摘できるほど利奈も豪胆ではない。せいぜい、いないところで軽口をたたいて、鉄槌を食らうくらいだ。
そんなわけで今日も、大会前の野球部員しか学校にいないような時間帯に登校している。朝食時だから、よその家の煮物や味噌汁の匂いに食欲を刺激されるのが悩みだ。おなかが空いてくる。
(……カレーの匂い。カレーも食べたいな)
できるだけ早く家を出たいからと、最近はおにぎりとサンドイッチばかり作ってもらっている。サラダも食べなさいという母の小言を流し続けたせいで、野菜ジュースがセットでついてくるようになってしまった。食べ終わってから一気飲みしているけれど、地味に苦行だ。
登下校の時間が変わった点については、風紀強化期間が始まって、委員会活動に使う時間が増えたからだと母には報告してある。見回りを強化した結果なのだから、出鱈目というわけでもない。
並中生が襲われた事件があったからすぐに納得してもらえたけれど、貴方も気をつけなきゃだめよという心配の言葉には、もう少しで噴き出すところだった。
風紀委員に入った時点でもう手遅れなのを、母は知らない。どうか、並中風紀委員の実態を知らないままでいてほしい。
にしても、早朝の通学路は驚くほど人がいない。ジョギングしてる人とか、犬の散歩をしている人とかはまれに見かけるけれど、いつもと違って本当にまばらだ。一人で行動している人ばかりだから、よけい寂しく感じられるのかもしれない。鳥のさえずりばかり聞こえてくる。
(野球部の人たち、夏休みからずっとこんな時間に学校来てるっていうけど――よくバテないなあ)
秋になって涼しくなってきたとはいえ、朝から夕方まで運動して、よく体がもつものだ。武はどんなに暑くてもケロリとしているイメージがあるけれど、ほかの部員はそうもいくまい。オーバーワークで倒れたりなんかしたら、元も子もないのに。
(意地でも立ち上がるだろうけどね。ヒバリさんも注目してるし)
意外に思われるかもしれないが、恭弥は野球部を応援している。とはいっても野球が好きなわけではなく、野球部の活躍によって並盛中学校の評判があがることを期待しているのだ。愛校心の塊である彼らしい理由ではある。
野球部にはぜひとも頑張ってもらわなくてはならない。野球部員たちにはなんの憂いもなくその日を迎えてもらわなくてはならない。そのために、異分子は排除しておかなければならない。
もしまたあんな事件が起こったら。その被害者のなかに、野球部員が混ざっていたら。今度こそ骸の命はないだろう。本当の意味で。
だからこそ、恭弥を殺人者にしないためにも、骸を被害者にしないためにも、風紀委員が総力をあげてたくらみを阻止しなければならないのだ。きっと、次に骸が姿を現すときこそが、新たなる戦いの幕開けなのだから。
「おはようございます」
――戦いの幕が上がったというにはずいぶんと爽やかに、スズメの鳴き声をバックに、そのときは訪れた。
「え、今?」
「はい、今ですけど……朝なので間違ってないのでは?」
あまりの驚きに素の声音を出した利奈の反応に、訝しみながら骸が答える。骸が歩いてきているのは視界に入っていたけれど、あまりにもありえない光景だったから理解が追いつかなかった。
(嘘でしょ!? こんな普通に来るの!? え、私たちの努力ってなに!?)
ある意味、一番逆撫でする形での再登場だ。奔走した風紀委員たちの労力を、もっとも単純な手で無に帰すやり方だったのだから。
「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。また会う機会もあるかもしれないと言っておいたんですから」
「言われてませんけど……?」
「おっと、これは前に言った言葉でしたね」
「前!? やっぱり会ったことあるんですか!? どこで!?」
「まあ、そんなことはさておきまして」
さらりと流して、骸は挑発的に微笑んだ。
「今回は、雲雀恭弥に会わせてもらえますね?」
(全然さておけない……)
利奈個人としては骸の発言を追及しておきたいところだが、風紀委員としての最優先事項は骸の捕獲、および連行である。機嫌を損ねて踵を返されても困るので、利奈は自分の欲求にとりあえず蓋をしておくことにした。
具体的には、前を歩いてもらうべく、手で先を譲った。通学路で利奈を待ち伏せできたのだから、学校への道筋くらい頭に入れてあるだろう。
(……なんで私の通学ルート知ってるのかは、聞かないけど)
帰宅する利奈を尾行すれば通学路なんて簡単に割れるだろうし、登校時刻も学校で張っていればおおよそ見当がつくだろう。
驚いたり怯えたりしたら、それこそ骸のペースにはまってしまう。ここは隙なく構えて様子を窺うべきだと、利奈は骸の背中を見据えた。
「どうして後ろを歩くんですか?」
「気にしないでください。こうやって歩くように指導されているので」
背後にいれば両手含めて全身が見えるから、隣を歩くよりもずっとリスクが低い。アクション映画でも、銃を突きつけて相手に前を歩かせているシーンがある。
「なるほど。僕が貴方に危害を与えると疑っているんですね。それで僕を後ろから見張っていると」
「そんな感じです」
「否定すると思ったんですけどね」
並中生襲撃事件の犯人がなにを言う。
そんなに恐いのでしたら両腕を拘束しておきますかとも提案されたけれど、それは断った。
人が少ない時間帯とはいえ、他校生を縛りあげて学校に連行していくさまを見られたら、また風紀委員の悪評が追加されしまう。それに、風紀委員に女子は一人しかいないので、利奈自身への悪評も増える。ほどけにくい紐の結び方は教わっているけれど、今回は使うべきではない。
そのあとも骸は気さくにいろいろと話しかけてきたけれど、口車に乗って機密事項を話してしまったら命がなくなるので、ほどほどに相槌を打つだけに努めた。骸も利奈程度が持っている情報などたかがしれていると思ったのか、探っている様子はまったくなかったけれど。
「荷物持ってませんけど、学校行く前に家に帰るつもりなんですか?」
気になったことを聞きながら、来賓客用のスリッパを渡す。下駄箱まで行くとほかの生徒の目に留まってしまうので、職員用の昇降口から人目を気にしながらこっそりと入った。
「そもそも、学校に行ける時間に帰してもらえるんですか?」
「うっ」
痛いところを突かれた。恭弥があのテンションのままだったら、学校に行ける身体で外に出してもらえるとは思えない。ひょっとしたらそのまま病院送りになってしまうかもしれなかった。
気まずさで目をそらすが、骸の攻撃は終わらない。
「だいたい、僕が学校に通ってるわけがないと、少し考えればわかるでしょう。あんな事件を起こした生徒が、おめおめと学校に通い続けられると思っているんですか? どうせ退学させられてますよ」
「そうでした……!」
あまりにも理路整然とした正論に、利奈は両手で顔を覆った。
普通の学生なら、他校生と問題を起こしただけでも停学させられる。次々に人を血祭りにあげていてもなんの罰も受けていない人がすぐそばにいるせいで、感覚が麻痺してしまっていたらしい。
「あれ、じゃあ、なんでまだその制服着てるんですか? もう黒曜生じゃないのに」
「これですか? 気軽に外を出歩くためのものですよ。学生が平日に私服でいると目立ちますから」
「なるほど!」
この辺りに私服で通える中学校や高校はないし、骸が小学生や大学生のふりをするのは無理があるだろう。しかしこの前は他校の制服を着ていたせいでかえって目立ったのだから、ままならないものだ。
「それに、この制服は気に入ってるんです。なかなか他校にはないデザインですからね」
「軍服みたいですよね。女子のもかわいいって聞きました」
「ええ、とてもかわいいですよ」
それは制服がだろうか。それとも、制服を着ただれかがだろうか。
いつのまにか気軽に雑談してしまっていたけれど、応接室が見えてきたので、利奈は腕章を摘まんで気持ちを切り替えた。ここからが本番なのだ。
「ここが応接室です。ヒバリさんに確認を取りますので、少々お待ちください」
「かまいませんよ」
骸はそう言いながら瞳を動かして周囲を確認する。逃げ道でも探しているのだろうか。
「先に言いますけど、振り返ったらいないとかはナシですよ。そしたら一生恨みますからね」
「クハハ、そんな手の込んだ嫌がらせはしませんよ。僕だって暇じゃありませんから」
「学校ないのに……?」
つい口から出してしまった言葉だが、骸が無表情になったので利奈は慌てて顔をそらして応接室のドアを叩いた。今度は絶対にいるはずだ。
「ヒバリさん、今、いいですか?」
「なに」
今回はすぐに返事があった。不機嫌ではなさそうだし、この前よりはまともに会話ができそうだ。そう考えて利奈は来客を告げようとしたが、そんな利奈の段取りはすぐさま水泡に帰した。
「おはようございます、雲雀恭弥」
――背後にいた人物に、体を押しのけられて。
(なっにしてくれてんの、この人は――っ!)
せっかく人が気を遣って穏便に事を運ぼうとしていたのに。
傍若無人な行いに目を剥く利奈だったが、それはおそらく恭弥も一緒だった。自分の領域を侵そうとする不届き者を排除すべく、机を踏み越えて跳躍する。
「おっと」
すぐさま骸はドアを閉めて盾にしようとしたが、それを読んでいた恭弥はトンファーから鎖を出して扉を強引に引き寄せ、その勢いも利用して骸の顎に一撃を浴びせるべく、腕を振り上げる。武器を持たない骸にその攻撃を防ぐ術はない――と思われたが。
「チッ」
骸が構えていた得物を見て、恭弥は舌打ちした。骸にダメージは与えられなかったが、盾となった得物は恭弥の攻撃に耐えられずに曲がっている。それなのに恭弥は、恨みのこもった瞳で骸を睨みつけていた。
「え、ええ?」
廊下にいた利奈は、一連の攻防の半分しか見えていなかったし、ほんの一部しか判別できていなかった。なので二人の駆け引きは一切わからず、目に見えていたものだけで状況を判断するしかできない。
一番単純な結末――恭弥がトンファーで攻撃し、骸がモップでそれを防いだという、結果だけを。
「それ、学校の備品!」
こんな隠しようのないもの、いつのまに用意しておいたのだろう。
利奈の疑問に答えるように、廊下のすみでロッカーが軋んだ音を立てた。利奈がドア越しに恭弥に声をかけている隙に、ロッカーから拝借してきたらしい。
(廊下見てたのって、このため!? たったそれだけで武器見つけたの!?)
恐ろしいほどの機転の速さである。おまけに、掃除用具のなかでもっとも耐久性のある、金属製のモップを選び取っている。
「出会い頭にずいぶんな応対ですね。ここではこれが歓迎の挨拶なんですか?」
「六道骸……!」
骸の涼しげな反応が気に障ったのか、恭弥は続けざまに何発も打撃を加えた。それらをすべて器用にモップで受け止めながら後ろに下がった骸が、歪んだモップに目を落とす。金属製とはいえ、床を水拭きするための道具なので耐久性は高くない。もう何発か食らったら使い物にならなくなるだろう。
「壊れてしまいますよ? 貴方、風紀委員でしょ」
「備品備品!」
利奈も慌てて叫ぶが、恭弥はまるで意に介さない。それどころか、トンファーを構え直してこう言った。
「僕が壊すぶんにはいいんだよ」
「ええ! ちょっと、雲雀さん!」
無慈悲な一撃を食らい、モップが真っ二つに折れる。しかし骸はモップをためらいなく手放すと、半開きになっていたドアから応接室に入っていった。恭弥もあとを追い、なぜかドアが勢いよく閉まる。
(た、大変なことになっちゃった……!)
応接室のなかから聞こえる破壊音に慄くが、放ってはおけない。利奈は意を決してドアを開けた。