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屋上――いや、階段での一件以来、私は誇りという言葉を胸の中に転がしていた。軽はずみな言動のせいで痛い目を見たけれど、なぜか気持ちはすっきりしている。ぐしゃぐしゃに絡まった心の糸を、すっぱりと切り捨てられたようだった。――全身に青あざを作って、お母さんの顔まで青く染め上げてしまったのは、悪かったけれど。
(誇り、かあ……)
恭弥は、後は自分で考えろと言っていた。彼に従うわけじゃないけれど、行動を起こさない限り、ずっと自分の内側に引きこもったままになる。
(手紙……書いてみようかな)
思えば、この町にきてからずっと、現実逃避にいそしんでばかりいた。友達に手紙でも書けば、少しは自分を見つめられるかもしれない。
そんな思いでチマチマと書き続けた手紙は、土曜日になって、ようやく書き上げられた。うっかり切手を用意し忘れてしまったたけれど、郵便局に行けばそのまま手紙も出せるから、問題ないだろう。
(ついでに、この町のいいとこ探しでもしよっかな。引きこもってたから、どこになにがあるか全然知らないし)
――ウキウキ気分で外に出た私は、ひとつ、重要な問題点を忘れていた。
学校の登下校以外、ろくに外に出てなかったから、気付けなかったのだ。自分が、筋金入りの方向音痴だったことに。そして、そんな人間が好き勝手に歩いて、目的地に辿り着けるわけがないということに。
「郵便局ってどこ……!」
家を出てから、一時間は経っているだろうか。行き方をお母さんから聞いていたにもかかわらず、私は郵便局を見つけられずにいた。
おそらく、言われたとおりに歩いていればすぐに辿り着けたのだろう。でも、ついつい知らない道に入り込んで寄り道をしているうちに、気付けば全く知らない場所に来てしまった。
「……さっきも、ここ来たよね?」
同じところをぐるぐると回っている気がして冷や汗が流れる。曲がる道を毎回変えてみているのに、なぜか来たような道に戻ってきてしまう。迷路だったら、壁に手を当てて歩けばゴールに行けるのに。
「ああもう! こんな町、本当に嫌い」
どこぞの委員長に聞きつけられればまたひどい目に遭うセリフを吐きながら、また歩く。今度は、思い切ってまっすぐに道を歩いた。曲がってだめならと半分自棄になっていたけれど、運よく人通りのある商店街に出られた。
(知ってるような、知らないような……もう歩くの疲れたし、無茶しないで一回学校に行こう)
すでに、二時間は経過している。やみくもに進んでも埒が明かないし、投函は諦めて、家に帰るのを優先しよう。問題は、学校がどこにあるのかがわからないというところだけど。
とりあえず、通りに沿って歩いてみる。――そこを直感で歩き出すのが、無自覚方向音痴なのである。
(あ、なんか学ラン着たすごい髪型の人がいる。……って、うちの学校だ!)
そう、風紀委員である。並盛町の制服は薄い黄色のブレザーなのに、なぜか彼らは黒い学ランを着用しており、しかも髪をがっちりとリーゼントに固めている。風紀委員自身が服装から風紀を乱している気もするが、これも認められているのである。
あのあと聞いた話によると、風紀委員は町のなかでも特別な存在として扱われているらしい。花見場所を風紀委員が独占していたとか、病院の院長が恭弥に頭を下げていたとか、黒い噂や目撃証言も絶えない。
(それがなくても、あんな怖そうな恰好している人たちとは、関わり合いたくないよね……)
どうやら彼らは町の見回りをしているようだ。風紀委員たちが視界に入ると、みんながみんな避けるように道を開けていく。私も同じように避けたけれど、ふと天啓がひらめいた。
(この人たちについていったら、学校に行けるんじゃ?)
並盛中学校の委員会として活動しているのなら、解散前には学校に戻るだろう。後ろをついていけば、道を間違わずに学校に辿り着ける。
――いつ学校に戻るかもわからない風紀委員の後を追うより、そこら辺の店で学校までの道を聞いたほうが早いのだが、道に迷ってへとへとになっていた私に、その選択肢は出なかった。まあ、道を聞いても間違える可能性があるから、正解になるかはわからないけれど。
とりあえず、気付かれないようにこっそりと三人の後を追う。三人とも同じ服装同じ髪型でほとんど見分けがつかないけれど、前だけを見つめて先頭を歩いている人が、あの三人の中では一番偉いのだろう。後ろの二人は、それとなく左右に視線を走らせている。
(あんなのに目をつけられたら怖いだろうなあ。雲雀先輩も恐いけど、こっちは見た目の恐さが半端ないし――)
「そこでなにしてるの?」
電信柱の影にいるところを見咎められ、呼吸が止まる。言い訳を考えながら振り返ると、恭弥の姿があって思考も停止した。
「ひ、ひひひ雲雀先輩」
「僕、そんな面白い苗字じゃないんだけど」
「うあ、えっと、雲雀先輩、こんにちは」
なんとか気を持ち直そうとするものの、この状況はかなりまずい。どうしてこの人は都合の悪い時に限って現れるのだろうか。
「だれかの尾行? ターゲットに見つからないようにするのはいいけれど、周囲から浮いてたら意味がないよ。もっとうまく隠れなきゃ」
「は、はあ」
「それより――」
恭弥がわざとらしく私の背後を見る。生きた心地がしなくて、私は拳を握り締めた。
「君が追ってるの、風紀委員だよね」
「い、いえ、そんなことは!」
「そうなの? ちょっと前から君の後ろにいたんだけど、ずっと彼らを見てたよね」
(私もつけられてた!?)
彼らを観察するのに夢中になっていたせいで、完全に後ろを見逃していた。真っ青になっている私を、恭弥は面白がって見つめている。
「風紀委員に興味があるの? それとも、なにか彼らに用があるのかい?」
「あ、いえ、全然」
「でも、いい根性してるよね。あれだけ痛い目見ておいて、まだ物足りないなんて」
「……!」
駄目だ、完全に遊ばれている。なんとか起死回生の一手を思いつきたいところだが、相手が並盛町の絶対支配者では勝ち目がない。
「ところで、それ、いいの? もうグシャグシャになってるみたいだけど」
「え?」
ハッとなって手を見ると、握りしめた拳の中で手紙がしわくちゃになっていた。
「わああ、やっちゃった!」
恭弥と対峙するプレッシャーで、うっかり両拳を握り締めてしまった。あわてて広げるが、一度ついたしわはもう取ることができない。
(やってしまった……! 封筒変えなきゃだめだよね……。ああでも、便箋も折れちゃってるだろうから、全部書き直さなくっちゃ……はあ)
結局振り出しで打ちひしがれる。
「切手が欲しいのなら、そこにコンビニがあるけど」
コンビニの存在もすっかり忘れていた。今となっては、手遅れだが。
「いえ、大丈夫です……書き直しますから」
「わざわざ書き直すんだ」
「友達に出す手紙だから……きれいな方がいいじゃないですか」
「前の町に?」
「はい」
肯定すると、恭弥はわずかに顔をしかめた。どうせまた、未練がましいとか、成長できてないとか言うのだろうと身構えていると、恭弥は思ってもいなかった提案を出した。
「なら、手紙に書く内容を増やしてあげようか」
「……はい?」
いきなりなにを言い出すのだろうか、この人は。
「言ってたでしょ。こんな町、大嫌いだって。その気持ちをそのまま手紙に書かれて、並盛町の評価が落ちるのは癪だ。だから、この町のいいところを僕が教えてあげる。
その手紙、僕が声をかけたから折れたんだろうし」
「えっと――」
原因は間違っていないが、なんというか、有難迷惑だ。恭弥の言う通り、手紙にはこの町で起きた出来事として恭弥の所業も書いてはいるが――まさか、透視したわけではないだろう。さりげなく手紙を後ろ手に隠す。
「言っておくけど、君に拒否権はないよ。決めたからね。その口から二度と並盛の悪口が出せないよう、これからたっぷり教え込んであげる」
「い、言い回しが恐い……」
どうやら、もう逃げ道はないようだ。ただでさえ歩き回ってくたくたなのに、厄介な人に捕まってしまった。
「雲雀先輩、見回りとか行かなくていいんですか? さっきの人たち、もう遠くに行っちゃいましたけど」
「そうだね。でも、こそこそと隠れて後をつけてる小動物がいたら、そちらを優先するのが妥当だよ」
「……」
「まあ、どうせ道に迷ったかなにかで、彼らに道案内させようとしていたんだろうけど」
「なんでわかったんですか!?」
驚きのあまり素のテンションで聞き返すと、恭弥はまじまじと私の顔を見つめ――
「……君、本当にバカなんだね」
呆れすら混じっていない声音で、そう結論づけた。
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並盛町の観光スポットでも回るのかと思いきや、並盛市役所や並盛中央病院など、公共施設を順に案内される。もちろん中に入ったりはしていないから、なんというか、引っ越し前の地元調査みたいな感じである。
「有名な場所なら僕が連れていく必要はないし、店なんていつでも変えられるからね。重要なのは、地域に根ざした場所だよ」
「そうですか」
(雲雀先輩が行く場所全部、壮大なお出迎えとお見送りがあったけど、突っ込まないぞ……!)
どれほど恭弥に影響力があるかを見せつけられている気分だが、本人にその気がなさそうなので、突っ込まないでおく。それに、場所の紹介をするつもりではあるようで、施設の説明は簡潔で分かりやすかった。――さらりと病院の地下に研究施設があると言われた件については、全力で忘れるつもりでいるけれど。
「ここは夏になると祭りで屋台が出るんだ。毎年盛況でね」
「雲雀先輩、祭りに行ったりするんですか?」
「毎年来てるよ。ショバ代の徴収があるし、祭りで騒ぐ群れを咬み殺せば、いいストレス発散になる」
「……なるほど」
祭りを祭りとして楽しんでいないことはわかった。ショバ代という単語は初めて聞いたけれど、とりあえず意味を調べないほうがよさそうな単語ではある。
(足疲れたな……。それに、おなかも空いたし。さっきからすごくいい匂いがしてるんだけど、ここかな)
フワンと薫るおいしそうな香りに、足が止まった。ガラス越しに、何種類ものパンが並んでいる。
「そこはパン屋だね」
言わずもがなのことを言いながら、恭弥も足を止める。
(どれもおいしそう。お金あったら買って行けたのにな。もっとお金持ってきてればよかった)
道すがら案内された郵便局で、既に切手を買ってしまった。
後悔しながらパンを眺めていると、店の店員がこちらを見て、体を強張らせた。恭弥の存在に気付いたのだ。すぐさま店の奥へと行ってしまった店員は、すぐさま店長らしき男性を連れて戻ってきた。来店を告げるための鐘が、けたたましく鳴り響く。
「恐れ入ります、ヒバリさん! 私どもが、なにか問題を起こしましたか!?」
中年の店長が、中学生の恭弥に頭を下げる。異様な光景に怯む私の横で、恭弥は興味のなさそうな顔をしていた。
「別に。その子が見てたから、止まっただけ」
恭弥の言葉で二人の視線がこちらに向く。まさか足を止めただけでこんなことになるなんて思ってなくて、私はしどろもどろに頭を下げた。なんというか、申し訳ない。
「で、ここ入りたいの?」
「え? いやあ――」
「どうぞどうぞ! こんな店ですがぜひ!」
「焼きあがったばかりのパンもございます、ごゆっくり!」
見ていただけだという隙も与えられずに、店の扉が開けられる。さらには、なにを思ったか恭弥が先に店に入ってしまった。居心地が悪いことこのうえないけれど、こうなっては入るしかない。
(お金ないのに。これじゃ冷やかしだよ……)
私は途方に暮れていたが、初めて入った店なのか、恭弥は店内を見渡している。パン屋にいる恭弥というのも、だいぶ違和感があった。
「さあ、こちらにどうぞ」
どこからともなく椅子と机が用意される。
「こちら、よろしかったらお飲みください」
「悪いね」
メニューなんてないはずなのにコーヒーが机に置かれる。
「メロンパンが焼きあがりました。ご試食どうぞ」
焼きたてのメロンパンがいくつも提供される。
(す、すっごくVIP対応……!)
「ほかにも好きなものを召し上がってください! お代は結構ですので!」
「コーヒーもおかわりはありますので!」
「あ、あの、おかまい、なく」
本当に、とんでもないことになってしまった。私はひたすら恐縮していたけれど、恭弥はまるでここが自宅であるかのようにくつろいでいる。こんな扱いにも慣れているのだろうけれど、こちらは生きた心地がしない。
「食べないの?」
「雲雀先輩は?」
「僕はいらない」
「じゃあ、頂きます」
食欲に負けて手を伸ばす。熱を持ったメロンパンは、頬張ると生地のモチモチさと外側のカリカリ具合が絶品だった。おいしさに頬が緩んでしまう。
(おいしーっ。今度絶対買いに来よう)
とりあえず、店員が私の顔を忘れてくれるまでは近づけないけれども。
「これ、すっごくおいしいですよ」
「そう」
甘いものはさほど好きでないのか、恭弥は関心を示さない。私が上機嫌でメロンパンを頬張っているあいだ、無言でコーヒーを啜っていた。
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「今日はありがとうございました」
結局、学校まで案内してもらってしまった。手紙を出しに行くとだけ行って出てきたから、帰ったらお母さんにあれこれ言われてしまうだろう。
「手紙に書くことは増えた?」
「はい。とりあえず、おいしいパン屋さんがあることは絶対書きます」
「君らしいね」
まだ三回目だけど、もうキャラを掴まれてしまったらしい。こちらは全く掴めてないが、とりあえず、恐いだけの人ではないことはわかった。今日は首を絞められても突き飛ばされてもいない。
(道がわからなくなったときはどうしようってなったけど、なんとかなってよかった。雲雀先輩のおかげかも)
恭弥と別れて、ホクホク気分で家に帰る。並盛町のいいところも、なんとなくわかってきた。これでもう、彼の手を煩わせることもないだろう。
(風紀委員の世話になるようなこと、私がするわけないけどね。非行に走るつもりないし、普通にしてれば問題ないし)
――しかし、そのときの私は、またもや思い違いをしていた。
自分にその気がなかったとしても、事件に関わってしまうケースはある。事件には加害者と被害者が存在して、被害者になる可能性はけしてゼロにはならない。
そしてこれから起こる事件が、私――相沢利奈と、風紀委員を強く結びつけることになるのであった。