翌日の早朝。まだ目覚まし時計も鳴らないような時間に、携帯電話の着信音が鳴り響いた。
昨日の疲れでぐっすりと寝入っていた利奈は、すぐには目覚めない。しかし着信音は絶えず鳴り続けて、とうとうまぶたを動かした。
「……」
いつもよりずいぶん早い時間に起こされた利奈は、寝起きの不機嫌顔でもぞもぞと布団から顔を出す。
カーテンを閉めきった室内はまだ薄暗く、空気もひんやりと冷たくなっている。朝の静寂を壊した件の携帯電話はベッド横、低いテーブルの上で、寒さに震えているかのようにブルブルと振動していた。寝る前に充電器に差しておいたおかげで、もうランプは点滅していない。
(……だれ? こんな時間に)
依然鳴りやまない電話に欠伸をこぼし、ベッドから滑り降りる。
知らない番号からの着信だけど、ほかの班にいる班員たちの番号はほとんど登録していないので、別段不思議でもない。
「もしもし」
もひもひに近い発音で利奈が応じると、電話口からホッとしたような声が聞こえてきた。
「利奈! よかった、ちゃんと無事だな!」
「……ディノさん?」
そういえば、ディーノの番号も登録していなかった。
「どしたんですか、こんな時間に」
言いながら時計を確認したら、まだ六時にもなっていなかった。よく起きられたものだと自分でも思う。
「ああ、悪い。いてもたってもいられなくてな。昨日電話したかったんだが、夜遅くにかけるのも悪いから朝にした。まだ寝てたよな」
「はい……」
やけに早口なのは、焦っているからだろうか。なにを焦っているのか考えながら、とりあえずカーテンを開ける。今日も雨の心配はなさそうだ。
「昨日の件で話がある。できるだけ早く学校に来てほしい」
「学校に……?」
「ああ。迎えの車はもう出してある」
「……ほんとだ」
窓の下、塀の向こうに見知った黒い車が停まっている。よほど火急な要件があるに違いないと、利奈はバッグに手を伸ばした。
(……あれ? 昨日の話って、もしかして――)
徐々に機能し始めた思考回路に、ディーノの声が差し込まれる。
「学校に着いたら、応接室に来てくれ。……例の指輪の話がしたい」
バッグへと目を落とす。件の指輪は、もうそこにはなかった。
__
今日出さなきゃいけない宿題を学校に忘れたからと、嘘をついて家を出た。
朝ごはんも食べないまま車に乗りこんでくるのは予測されていたようで、シートベルトをつけたら、サンドイッチとジュースが入ったコンビニの袋を運転席から渡される。おかげでまあまあ上機嫌になった利奈だが、応接室の戸を開けた瞬間、笑みは引っ込められた。
(うわ、すごく険悪な雰囲気……)
ディーノと恭弥は、向かい合わせにソファに座っていた。
恭弥が険悪な顔をしているのはもはや日常茶飯事だが、ディーノまでもが表情を冷たく凍らせていた。恭弥との戦闘時でも、ここまで硬い表情はしていなかったのに。
「思ってたよりも早かったな。いや、急かして悪かった」
戸惑っている利奈に気付いてか、ディーノは口元を少しだけ緩める。しかし雰囲気は変わらずで、利奈は曖昧に頭を下げた。
「大切な話があるんだ。そこに座ってくれ」
恭弥の隣に座るよう促されて、利奈は困惑しきりに恭弥のそばに寄った。
普段の立ち位置を考えれば、隣に座るなんて恐れ多すぎて遠慮したいのだけど、有無を言わせないディーノの態度に、縮こまりながら腰を下ろす。恭弥の反応はない。
「利奈。指輪は持ってるか?」
「はい、ここに」
ブレザーに手を差し入れて、ワイシャツの胸ポケットから指輪を取り出した。
あんなことがあったから、家に帰ってすぐにキーホルダーから外してある。
つけっぱなしだったらどんな反応をされただろうかと、怖いもの見たさで利奈は考えたものの、ひどく安堵した顔のディーノに、不埒な考えを打ち捨てる。そもそも、恭弥が怒るだろう。
机の上に置くように促され、二人に見えやすいように机の真ん中に置いた。恭弥は相変わらず指輪には興味がないようで、軽く一瞥しただけである。
「いいか。大事な話だから、心して聞いてくれ。
本来なら、一番最初に恭弥に伝えておかなくちゃいけないことだったんだ。……それに、利奈には伝えたくなかった。今も本当は言いたくない」
ディーノの表情は依然として硬い。知らない一面を見せられている気がして、落ち着かない。いや、落ち着かない原因はほかにあるのだけど。
「だが、言わなかったせいでお前を危険な目に遭わせた。俺の落ち度だ。許してくれとは言わないが、謝らせてほしい。すまなかった」
「そんな……」
悔恨の念を吐き出しながら頭を下げるディーノに、利奈は困惑してしまう。じわじわと罪悪感がこみあげてくる。
「いろいろ聞きたいこともあるだろうが、順を追って話させてもらう。俺たちがどういう人間で、あいつらが何者で、お前たちがなにに巻きこまれているのか」
そんな前置きをして、ディーノは顔を上げた。
「改めて自己紹介させてもらう。――俺は、キャバッローネファミリーのボス。ディーノだ」
覚悟を決めた顔で告げるディーノに、利奈はなにも言えなかった。
言えるわけがなかった。険しい顔でマフィアの話をするディーノに。葛藤しながら、ボンゴレファミリーのボス候補がだれかを告げようとするディーノに。
言えるわけもなかった。――その話、この前聞きましたなんて、そんなこと。
(ヒバリさんが一緒でよかった……。いなかったら、絶対リアクションでバレてた……)
恭弥が一切なにも口を挟まないので、利奈もそれに合わせている体で沈黙を通すことができている。
空気を読む読まないにかかわらず、利奈は悟られるわけにはいかなかった。
聞かされたからと言えばだれから聞いたか尋ねられるだろうが、そうなると、骸の名前を出さなければいけなくなる。それだけは避けなければならない。出したが最後、今度は骸たちに命を狙われるだろう。受けた恩を、仇で返してはならない。
「利奈、お前……知ってたのか?」
しかし利奈の都合など知る由もないディーノは、反応の薄さで気付いてしまう。部下をたくさん従えているだけあって、人の機微には敏いのだろう。
「あ……その……」
こうなったら、多少無理やりにでもごまかすしか方法はなかった。
リボーンは常日頃マフィアがどうのこうのと言っていたし、黒曜生との衝突やこの前の街中での騒ぎでも綱吉の名前は出ている。そのうえ、深夜にあった黒ずくめ集団との対決シーンを同級生が目撃していた。それらを結び付けて、真相に至る人もいるだろう。利奈にはできない芸当だが。
「――で、そうなんじゃないかなーって、思ってました。あ、でも、ディーノさんもマフィアのボスだったってのは初耳――じゃなくてっ、全然考えてなかったです!」
「……そうか。
ははっ、どうやら俺はお前を見くびってたみたいだな。それだけでわかったのならたいしたもんだ。さすが、恭弥の部下だな!」
「いえ……」
急場しのぎの言い訳のせいで、ディーノに優秀な人物であると思われてしまったのが心苦しい。さっきまで子供を見るような目だったのに、もう一人前の大人を見るような目になってしまった。大変心苦しい。
そして話は、やっと利奈の知らない――ヴァリアーの話に移る。
利奈はヴァリアーを別のマフィア組織だと思っていたけれど、実際はボンゴレファミリー内の暗殺部隊であり、ヴァリアーというのは呼称らしい。会社の営業部や総務部のようなものだ。
(暗殺部隊じゃ人前で口に出せないか。ヴァリアーって名前なら言いやすいし――って暗殺!? あの人たち殺し屋だったの!?)
さすがにそこまでは予想しておらず、頭が真っ白になる。
どうせ脅しだろうからと強気に出ていたけれど、今思えば、相当危ない橋を渡っていたようだ。千種たちが来なければ殺されていたかもしれないどころか、間違いなく殺されていた。
胸やけのような感覚を抱き、利奈は胸をさすった。
「ところで、ディーノさんは、どうやって昨日のこと知ったんですか?」
「ああ、ヴァリアーの守護者が、雲のリングを持った女を見たとか言っててな。それですぐさま部下をお前の家に向かわせた」
「え!?」
確かに一番に浮かぶのは利奈だろうけれど、まさか家までディーノの部下がやってきていたなんて。
「さすがに深夜にお前を呼び出すわけにもいかなかったからな。
家の外で様子を見てもらったが、家族が騒いでいる様子もないし、子供部屋だと思われる部屋に明かりがついたから、家にいると判断した。念のため見張りはつけておいたけどな」
「そうだったんですか……」
(……あれ。もしかして、ずっと車あそこに停めてたの?)
迎えの車を思い出す。
少し前に迎えに来たのだろうと思っていたけれど、利奈の無事を見届けるために、昨日からあそこにいたのかもしれない。ディーノとディーノの部下の気遣いに胸が熱くなる。
ちなみにその場には恭弥もいたらしい。
学校で戦いが行われていることを、恭弥は今まで知らされていなかったそうだ。
そのせいで、並中へと引き返そうとする恭弥を止めるための死闘が繰り広げられたものの、なんとかバトルへの乱入だけは避けられたという。ただ、相手側の部下は何人も屠られたそうだけど。
「ご、ごめんなさい……話したの私です」
情報を漏らしてしまった負い目を感じながらおずおずと白状すると、ディーノが苦笑した。
「あー……いや、言わなかった俺が悪いから」
「でも……」
言い募ろうとしたら、恭弥がスッと目を細めた。
「なんで君が謝ってるの。君はその人の部下じゃないでしょう」
「そうですけど……」
「けど?」
「部下じゃないです!」
これ以上この話題を続けると不穏な空気になりそうなので、話題を本筋に戻してもらう。
「それで、この指輪はいったいなんなんですか?」
「これは――」
利奈の予想通り、指輪はボンゴレファミリーのボスに代々受け継がれる、由緒正しき代物であった。――おもちゃ感覚でキーホルダーに嵌めてしまった件については、墓場まで持っていこうと思う。
「これはハーフボンゴレリングって言うんだけどな。同じ物がもうひとつあって、それを合体させるとボンゴレリングになる。
ボンゴレファミリーのボスになる男は、先代と門外顧問から指輪を譲り受けて、それでやっと正式な後継者と認められるんだ」
「それが、今は半分半分になってるんですか?」
先代ボスと門外顧問、その二人の意見が割れたせいで、ふたつは揃わなくなってしまった。
つまり、彼らの現状を簡単にまとめると、暗殺部隊のボスが、自分こそボンゴレファミリーのボスにふさわしいと言い出し、本来の最有力候補である綱吉に喧嘩を売ってきて、リングを賭けた熾烈なバトルを繰り広げている――ということになる。
(いや、それ勝っちゃダメなやつじゃない? 勝ったらもうマフィアのボスになる以外の道なくならない?)
などと思ったものの、裏社会というものは危険分子は根絶やしにするのが基本で、この勝負に勝つ以外に、綱吉が生き残る術はないそうだ。口頭で説明されたから実感なく利奈は受け入れてしまったけれど、綱吉には強く生きてほしい。
「それなのに恭弥にリングの在り処聞いたら、利奈に持たせたって言うんだもんな。あんときはみんなヒヤヒヤしたぜ」
「貴方が隠し事をしていたせいでしょ」
「だからってよ」
恭弥が指輪を利奈に預けたのは、どうやらディーノへの当てつけだったようだ。その当てつけの煽りを食らった利奈からすればたまったもんじゃないけれど、指輪の価値を恭弥が知らなかったのなら、情状酌量するべきなのだろう。もちろん、ディーノにも罪はない。
「それでそっちは? 利奈はどうしてあいつらに?」
「えっと……」
ここで話題を振られると思っていなかったので、利奈はわずかにたじろいだ。しかしそのうち聞かれるだろうと思っていたので、考えておいた当たり障りのない筋書きを口にする。
「指輪を持って歩いてたら、ベルって人に見つかって。それで、ヒバリさんのことを話せっていうから黙ってたら……首を絞められまして」
「なにっ!? それで、怪我は!?」
ディーノが身を乗り出したので、利奈は隣を見てからリボンを外した。
校則ではボタンを開けるのは禁止されていないけれど、今日の利奈は一番上のボタンまで留めている。なぜなら――
「……ちょっと、痕ついちゃいました」
「……っ」
顔を歪めたディーノに罪悪感を抱く。首元までボタンを留めて髪を垂らせば目立たないものの、入浴後に見つけたときは利奈もゾッとした。
「ほかにはだれがいたの?」
珍しく恭弥からも質問が飛んできた。不快そうな目線に促され、リボンを付け直す。
「ちっちゃな子がいました。フード被ってて、マント羽織ってて……えっとなんてったかな……お酒の名前みたいな。……なんとかモン?」
「マーモンだな。霧の守護者だ」
「あっ、それ! そんな名前の子! ……霧?」
さっきも雲の守護者という言葉が出てきていたけれど、守護者とはどういう意味なのだろう。
「リングはそれぞれデザインが違っててな。ボスのリングは大空で、ほかにも晴れとか雨とか全部で七つある。ボンゴレのボスと側近はそれぞれ、自分に合った指輪を持つ習わしなんだ 」
「へーえ。じゃあ、その指輪持ってる人が沢田君の守護者ってことになるんですね」
「……」
「あ、ヒバリさんは除いて!」
無理やり付け足すも、恭弥は不機嫌そうに頬杖をついてしまう。
戦いに釣られて勝負に乗っていたけれど、先にこの説明を受けていたら、絶対に引き受けてはいなかっただろう。リボーンもそれを見越してあえて煽ったに違いない。
「ヒバリさんは雲……じゃあ、あのベルって人は?」
「ベルフェゴールは嵐だ。試合は昨日終わってる」
「どっちが勝ったんですか?」
「……」
聞かなければよかったと、返ってきた沈黙に利奈は後悔する。
「あ、なら、ヒバリさんはいつ?」
「ヒバリはまだだ。試合のあとに次の対戦相手が発表される形になってるから、いつかはわからない」
「急に呼ばれる感じなんですね」
「僕はさっさとあいつらを咬み殺したいんだけど」
「まあまあ! 楽しみはあとにとっておくって言うだろ?」
「……ふふ、そうだね。それまでは貴方で退屈をしのいであげるよ」
「お、おう……」
複雑そうな顔をするディーノに、心の中でご愁傷さまですと頭を下げる。彼の生傷はこれからも増えていきそうだ。
そういえば、話がわき道にそれてくれたおかげで、千種たちに助けられたところまで話さずにすんだ。千種たちの名前も出せないから、人が来たらいなくなったとごまかすつもりだったけれど。
(お礼しとかないとなー。なにがいいかなー。お菓子でも買って持っていこうかな、放課後に)
もう恭弥を外に連れ出す理由はないだろうから、日誌を届けに行く必要もない。それならば、帰り道に多少寄り道しても、帰りが遅くなることはないだろう。
重大な話を聞かされたにもかかわらず、利奈はいつもどおりの思考回路でそんなことを考えた。