新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

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夕方のお茶会

 昼の学校に脅威はない。あるといえばあるのかもしれないけれど、日常化された脅威は脅威と呼ぶのにふさわしくないので、あえて除外する。今では、脅威と呼べるほどの畏れは抱いていないのだし。

 

 日常を踏み外すような真似をしなければ、夜の脅威も利奈を爪先に引っかけようとはしてこない。箸にも棒にも引っかからないような、取るに足らない利奈を歯牙にかけるほど、彼らも暇を持て余してはいないだろう。マフィアのボスであるディーノですらそう言っていたくらいだ。

 

 ――と判断するには、利奈はいささか、自分の行動に対しての認識が足りていなかった。特異点を勘定に入れ忘れていた。それを思い知ったのは昼と夜の境目、夕暮れどきの一幕である。

 

 起承転結の転を述べるなら――なぜか、利奈はホテルについていた。

 

(うん? ううん? な、なんでこんなことになったんだっけ?)

 

 拘束されたわけでも、脅迫されたわけでも、ましてや洗脳されたわけでもない。ただ、あまりにも自然な流れで連れてこられたもので、心が追いついていないのだ。

 危機感を抱いた覚えもあったけれど、シャマルに迫られたときに比べればほんの微細なもので、だからこそ、こんなに簡単についてきてしまったのかもしれない。それに、衝撃度でいえば、直前にハルと再会した出来事のほうが大きかった。

 

(そう、三浦さん。三浦さんに会ったんだ)

 

 ハルは夏休みの囮デート作戦のさいに知り合った子だ。

 あれ以来、顔を合わせたことがなかったから、思い出すのに少し時間がかかった。校門の前で彼女が出待ちをしていなかったら、道端ですれ違っても気付かなかっただろう。

 あちらもあちらで、利奈が話しかけるまでまったく反応しなかった。あのときは大人っぽくするために化粧を施されていたうえに髪型も変わっていたから、わからなくても仕方がないけれど。

 

 彼女が並盛中学校に来た理由を聞いた利奈は驚いた。なんと彼女は、綱吉ではなく、隼人たちのために差し入れを持ってきたというのだ。

 

「はひ!? ち、違いますよ!? 浮気とかじゃないですよ!?

 本当はツナさんに持っていこうとしたんですけど、今日はいつもよりデンジャラスな修行をするから絶対に来るなってリボーンちゃんに言われまして。

 ですが、せっかく作った差し入れですので、代わりにほかの皆さんに食べてもらおうと思って持ってきたんです。まだどなたか、いらっしゃいますよね」

「山本君は休みだけど、獄寺君はいたよ。……ただ」

「ただ?」

「……獄寺君たちの試合、もう終わってるのは知ってるんだよね?」

「へ? ……ええええ!?」

 

 どうやら、リング争奪戦の概要は知ってるものの、試合の順番や結果までは教えてもらえていなかったらしい。がっくりと肩を落とした彼女は、そのままトボトボと家へと帰っていった。

 

(ヒバリさんはまだだったけど、ヒバリさんに差し入れするつもりはないだろうしね……。

 あんなに叱られたんだし)

 

 ――まあ、そんなことが直前にあったのもあって、利奈は現在の状況を、ある程度冷静に受け入れてしまっていた。

 軟禁されてるわけでもなく、隔離されてるわけでもなく、いたって普通の――いや、むしろ厚遇されている。

 

 利奈はホテルにいた。ホテルのレストランの椅子に座っていた。椅子に座る利奈の前にはケーキがあった。そのケーキは自分で選んだものだけど、色とりどりのケーキを前に、利奈は茫然としていた。

 

「取りすぎじゃね?」

 

 正面のベルは行儀悪くフォークを振っている。その手元の皿には、利奈ほどではないにしろいくつかのケーキが乗せられている。

 

「こーいうのってやっぱ育ちが出るよな。その点、俺は王子だからバランスとか心得てるけど」

「取り方なんて自由だと思うよ。いくつ食べても値段が変わらないなら、食べられるだけ食べてった方がいいし。人のお金で食べるのなおさら」

 

 そういうマーモンは、ひとつしかケーキを取っていない。小さいから、あまり数は食べられないのだろう。

 

「……本当に、食べていいんだよね? あとでなんか要求とかあったりしない?」

 

 うまい話には裏があるという。

 この前奢ってあげた十円チョコ数枚の借りを返したいから――と言われてついてきたのはいいものの、まさかこんな高級ホテルのデザートビュッフェに連れてこられるとは思っていなかった。

 しかもベルと偶然――本人はそう言い張っていたから偶然にしておくが、レストランの前で鉢合わせて、気付けばこんな高そうな店に入ってしまった。

 私服だったら間違いなく逃げだしていただろう。制服姿でも浮いているというのに。

 

「お返しの見返りを求めるほど強欲じゃないよ。遠慮しないで好きなだけ食べて」

「ってか、ビビりすぎじゃね?」

「だって私があげたの、十円チョコだったし……お金で返してくれてもよかったし……」

「マーモン、超守銭奴だから。金渡すとかないって」

「人聞きが悪いよ、ベル。小銭を渡すより、こうしてご馳走したほうが喜ばれると思っただけさ。

 君だってこっちのほうが嬉しいでしょ?」

 

 マーモンに問われ、利奈は曖昧な笑みを浮かべた。喜びたいところだけど、相手の職業を考えたら発言をそのまま鵜呑みにはできない。マーモンが守銭奴だというのならなおさら。

 

「ああ、それなら心配には及ばないよ。ホテルの代金はヴァリアー持ちだから、僕の懐はまったく痛まないんだ」

「……それ、経費の不正利用になるんじゃ」

 

 ボソッと呟くも、そのあたりの概念はないのか、二人ともキョトンとした顔をしている。そもそもこんなホテルに泊まっている時点で羽振りのよい会社――もとい、部隊なのだろう。これくらいものともしないのならと、利奈はようやくケーキを口に入れた。

 

「おいしいかい?」

 

 フォークを口に入れた途端、固まった利奈を見て、マーモンが問いかける。

 

「……! っ! ……っ!」

「喋れよ」

 

 ベルからの容赦ないダメ出しを浴びながらも、利奈はケーキのおいしさに目を白黒させていた。

 

(なにこれ!? なにこのケーキ、今まで食べてきたなかでいっちばんおいしい……!)

 

 これまでのものとは格が違うとしか言いようがなかった。

 ムースは舌の上でしっとりと蕩けるし、ケーキの表面でツヤツヤ輝いていた赤色のソースは甘酸っぱさが際立っているし、下のスポンジ生地まで、舌の上でふわりと存在感を示している。百点満点で採点して千点をつけたくなるほど、別次元の食べ物だ。

 

「……すっごくおいしい!」

 

 ありあまる感動を一言に詰めて伝える。はっきり言って、この一口でお返しが成立してしまうほどの味だった。

 

「気に入ったのならなによりだよ。ほら、遠慮しないでどんどん食べて」

「うん!」

 

 こうなったら全種類制覇するしかない。

 警戒心皆無でケーキを頬張る利奈に、ベルは呆れ顔で肘をついた。

 

「こいつ、じつは別人じゃね? この前はあんなに警戒してたのに、普通に俺の前でケーキ馬鹿食いしてんだけど」

「どうだろう。まあ、神経が図太いのは間違いないけれど」

「今なら簡単に情報引き出せそうじゃん。なに聞いてもペラペラ喋りそー」

「そうだね。だからこそ最初に言質を取ったんだろうね」

 

 わりと失礼なことを言われているけれど、ケーキがおいしいからどうでもいい。どのケーキもおいしくて小ぶりだったから、ペロリと一皿平らげてしまった。

 

「お代わりしてくる。マーモンの分も取ってきてあげるよ、同じのでいい?」

「よろしく」

「しれっとマーモン呼び捨てにしてるし」

「ベルは? お代わりいる?」

「俺もかよ。んじゃ、適当に取ってきて。まずかったら殺す」

「どれもおいしいから平気だね。じゃ、行ってくる」

 

 今度はシュークリームやエクレアなんかにも手を伸ばしてみる。

 シュークリームは生地を横に割ったところにクリームが挟まれているし、エクレアなんて、チョコの上によくわからないトッピングがちりばめられている。わかるのは、どちらもおいしいに違いないということだけだ。

 

(あー、幸せ。まさかこんないいことがあるなんて! ベルに首絞められたときはもう二度と会いたくないって思ってたけど、こんなおいしいケーキ食べられるんなら別だよね。ケーキ食べ終わったら速攻で帰るけど!)

 

 利奈だって馬鹿じゃない。ケーキをご馳走になったからといって、彼らとの距離を詰めるつもりは毛頭なかった。本当に危ない人は、優しい笑みを浮かべて紳士的に近づいてくるものだ。だれとは言わないけれど、前例がある。

 食べ物を食べているおかげで今のところ会話をせずに済んでいるけれど、油断したところでポロっとなにかを引き出される可能性もある。こうなったら、ひたすらケーキを食べ続けるしかない。

 

 椅子に座り直した利奈は、いそいそとまたケーキを口に運んだ。高級ホテルのビュッフェだけあって、ケーキの種類は豊富で、同じケーキを選ぶ余裕はなさそうだ。甘いものは別腹というけれど、このままだと別腹がいっぱいになってしまう。

 幸せを顔に張りつけながらケーキを頬張る利奈だったが、その幸せは、突如現れた巨漢によってぶち壊された。

 

「ここにいたのか、マーモン」

 

 ぬっと背後から影が差したと思ったら、威圧感のある声が響いて背筋が凍った。

 

「どうしたの、レヴィ。こんなところに来るなんて意外だね」

 

 マーモンの声には牽制が滲んでいた。

 おそらく暗殺部隊の仲間なのだろう。ベルも姿勢を正そうとはしていないし、後ろの人がボスである可能性は低い。しかし、利奈の立場からしたら、相手がだれであろうと窮地に変わりはなかった。

 

「その顔でこんなとこ来んなよ。目立って雰囲気最悪になるじゃん」

 

 ベルが毒づいた。間違いなく、ボスではない。

 

「入り口からマーモンの姿が見えたからな。見物料を入れる銀行口座の番号を聞き忘れていた」

「わざわざ聞きに来るのがレヴィらしいね。そんなの勝手に調べてくれていいのに」

「……それで、こいつはなんだ」

「!?」

 

 ビクゥッと体が跳ねた。

 声だけで顔が想像できている。きっとものすごく怖い顔つきの人であるはずだ。その証拠に、周囲のテーブルの人がさっきからこちらを見ようとしていない。

 

「ああ、紹介しておこうか。この子は僕の情報屋の一人さ。あだ名はミル」

 

(ミル?)

 

 しれっと嘘をつかれたけれど、本名にかすりもしていないあだ名のほうが気にかかった。まだ名前を名乗っていないはずだから、もじられていたら恐怖を感じただろうけれど。

 利奈の視線に気づいたマーモンが、フォークの先で控えめに利奈の手元を指し示した。利奈の皿にはシュークリームとエクレア、それから――ミルフィーユが残っている。ザッハトルテだったら、ザッハになったのだろうか。

 

(と、とりあえず自己紹介――絶対恐い顔の人だけど、リアクションしないように……!)

 

 意思を強く固めて、利奈は体をひねった。そして思い切って顔を上げると、想像の何倍も厳つい顔の男に見下ろされていて、一瞬怯んでしまった。強面に耐性のある利奈でさえこうなのだから、普通の女性だったら悲鳴を上げるどころか、泣き出していただろう。

 威圧するような眼光の鋭さに、眉と口元につけられたピアスのあいだを通る長い紐。よく見たら下唇に稲妻のようなタトゥーまで入っているし、まったくもって忍ぶ気配が見受けられない。暗殺者というよりも、ただの殺人鬼の容貌だ。

 

「ミ……ミルです。初めまして」

「……レヴィだ」

 

 声が岩のように固い。ここまでマフィアらしいマフィアに会ったのは初めてで、どこか感慨深さまで湧き上がってくる。この顔でヴァリアーのボスじゃないというのが、とても信じられない。

 

「ミルは中学生に扮装してあいつらの情報を探ってる。でも学校には姿を見せてないそうだから、あまり有益な情報は得られてないね」

「そうか」

「ゲッ、おっさんも座んのかよ」

 

 隣の椅子を引かれ、利奈も内心で悲鳴を上げた。真正面でないだけマシとはいえ、こんな、今まで何百人も人を殺してきましたみたいな顔の人に隣に座られたくはない。――実際に殺しているのだろうから、なおさら。

 

「入ったからには食べていく。無駄金になるからな」

「じゃあ最初っから入んなきゃいいじゃん」

 

 ベルはだれに対しても同じ態度を取るらしい。いや、むしろレヴィに対してのほうが当たりは強いか。こんな強面の人によくこんな態度が取れるなと、自分のことを棚に上げて利奈はひやひやした。

 

「……いい? レヴィには幻術で君の姿を別人のように見せてるから、君はできるだけレヴィの気を引かないように黙ってて」

 

 レヴィがケーキを取りに席を立っている隙に、作戦会議が開かれる。ベルが言っていた通り、ケーキを選んでいる姿はとてつもなく周囲から浮いていた。

 

「そのケーキ食べ終わったら、なにも喋らなくていいからそのまま帰って。

 いい? 気付かれたら最後だからね」

「……う、うん」

 

 気付かれたらどうなるのかを聞きたくなったけれど、聞かなくてもわかっていることをいちいち聞くのも無意味なので、利奈は質問を呑みこんだ。あの顔は、躊躇いなく人を殺す。

 

「シシ、なんか面白くなってきた」

「ちょっかい入れたりしないでよ。ボスにバレたら僕たちだってヤバイんだからさ」

「わかってるって。俺があのおっさんの味方するとかないし」

「……」

 

 いまいち信用ならないけれど、今はベルの気紛れが悪い方に向かないのを祈るしかない。

 戻ってきたレヴィに視線を向けないようにして、利奈はオレンジジュースを飲み干した。

 

「それで、マーモン。お前の対戦相手はわかったのか?」

 

(いきなりその話題!?)

 

 利奈は反応してしまわないようにと苺を口に放りこむ。残るはシュークリームとエクレアだけど、これは手で掴んでもいいものなのだろうか。目立った行動を取るわけにもいかず、利奈はまごついた。

 

「粘写してみたけど駄目だったよ。妨害されてるみたいで」

「妨害だと?」

「敵も術者みたいでね。何度やっても結果は同じ」

 

(あ、この流れは……)

 

 話がよろしくない方向に進んでいるのがわかるけれど、口を開くわけにはいかないから黙っているしかない。そして、ここでちょっかいを出してくるのがベルだった。

 

「紙にはCDって出てたよな。CDってなんの意味だと思う?」

「CD? 知らんな。潜入しているこの娘には聞いたのか?」

「……まだだよ」

「なあ、お前はなんだと思う? ミル」

「……」

 

(この人は……っ!)

 

 こちらの事情を知らないレヴィに乗っかって、情報を引き出そうとしてくるなんて。マーモンもそれには気付いているだろうけれど、下手に庇うと怪しまれるからか、割って入ったりはしなかった。いや、もしかしたらマーモンもベルと同じ考えなのかもしれない。

 利奈はむすっとした顔で首を振ると、喋らなくてもいいようにエクレアを口いっぱいに頬張った。隣にレヴィがいるせいで、味がほとんど感じられない。

 

(まあ、どうせ全然心当たりなんてないんだけど。術者になんて、全然心当たりがないんだし)

 

 ――このとき、利奈は本気でそう思っていた。

 

「まあ、いいさ。相手がだれだろうが、本気を出した僕に勝てるわけがないからね」

「ヒュー、マーモンやる気満々」

「けして抜かるなよ。昨日はスクアーロのせいで足踏みすることになったが、今日こそはボスに勝利を捧げたい」

「とか言って、スクアーロがやられたから機嫌がいいくせに」

「ふん。所詮あいつはその程度だったというだけだ。ボスの右腕にふさわしいのはこの俺」

 

 どうもヴァリアーは仲間内でもギスギスとしているらしい。暗殺部隊で仲良しこよしやられてもびっくりだけど、人が甘いものを食べているときに生々しい話はしないでもらいたい。余計美味しくなくなってくる。

 あと、マーモンがこちらをしきりに窺ってくるのも気にかかった。機密情報を二人が漏らすのではと、ひやひやしているようだ。

 

 なんとか全部食べ切った利奈は、打ち合わせ通り、なにも言わずに椅子を引いた。レヴィの視線を感じるが、意識を椅子に集中させておく。

 

「タクシー呼んでおくから、ホテルの入り口で待ってなよ。報酬の話はまたあとで

 

 わずかに頭を下げて、レストランを出る。エレベーターに乗って一階まで降りて、ホテルを出て、タクシーの窓から暗くなった空を眺める。いよいよ夜の領分だ。

 

(……また会ったりするのかな)

 

 彼らが負ければ、そんな機会もあるのかもしれない。でも、彼らが勝ったら――勝ってしまったら、どうなるのだろう。昼と夜は、交わってしまうのだろうか。利奈の友人たちは、昼の世界に戻ってこられるのだろうか。

 

 タクシーから降りた利奈は、思考を一区切りするべく背伸びをした。

 まずは、夕食が食べられなくなった言い訳を考えなくてはいけない。満腹になったおなかをさすって利奈は家路を急ぐ。――夜の迫った、並盛町で。

 

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