新米風紀委員の活動日誌   作:椋風花

46 / 186
控えめな救世主

 転がるように階段を駆け下りて、ノックもせずに応接室のドアを横に押しのける。侵入者じみた音に恭弥が不快そうに眉をひそめたが、しかし、そんなことはどうでもいい。

 

「しつっ、失礼します! ディーノさんはカメで、プールが落っこちて大変で、だから来てください! 早く!」

「もう一回言って」

「ええっとえっと、カメがおっきくなった!」

 

 簡潔に伝えようとしたあまり、中身がなくなった。それでも、利奈の尋常ではない様子で緊急性のあるものと判断したのか、恭弥は問答をあきらめて立ち上がる。――校庭での叫び声がわずかに耳に届いていたのも、要因のひとつではあったのだろうが。

 

 かくして、恭弥を引っ張り出すことには成功したものの、自分が目にしてきたものの現実味のなさに、内心ではひそかに不安が渦巻いていた。

 なんたって、手のひらサイズだったカメが、まるでプールのほうが小さくなったかのように、急速に巨大化していったのだ。ディーノが仕掛けた手の込んだ悪戯なのではと、疑心暗鬼に陥っても無理はない。――もっともそんな現実逃避も、校庭での騒ぎで、いやでも現実に引き戻されたのだが。

 

「ま、また大きくなってる……!」

 

 もはやエンツィオの大きさは、動物の域を超えて恐竜レベルになっていた。プールの横幅に収まりきらなくなったのか、水面から体が半分はみだしている。湯船に浸かっているような恰好は、大きさが大きさだったら愛嬌を感じられただろうけれど、大きさが大きさだけにそんなゆとりもなかった。

 

「なにあれ、怪獣!?」

「ねえ、あれこっちに来るんじゃ――」

「お前ら、早く逃げろ! そこの馬鹿、近づくんじゃない!」

 

 突如出現した巨大生物に、学校はパニックに陥っていた。校庭の生徒は散り散りになってしまっているし、校舎の生徒は窓から身を乗り出してあれはなんだと騒ぎたてている。

 先生たちは生徒を誘導しようとしているけれど、みんなエンツィオが本当に本物なのかを気にしていて、避難ははかどっていない。

 

「避難訓練を徹底したほうがよさそうだね、一度」

 

 校庭の様子を見て、恭弥が呟く。

 この状況を想定した避難訓練は実用性がないのではと思うけれど、今まさに有事だったので、口には出さなかった。

 

 それにしても、あのエンツィオを目の当たりにしておいて、よく校庭のほうに意識を持っていけるものだ。今回くらいはさすがに驚くだろうと思っていたのに。

 

「あの、そろそろあっちに行きません? 私は行きたくないですけど、なんとかしないと学校がめちゃくちゃに……」

 

 プールには柵があるけれど、あの大きさなら簡単に乗り越えられてしまうだろう。放課後とはいえ、学校内には部活動をしている生徒が多く残っていて、とても危険な状況だ。エンツィオが動き出して学校を滅茶苦茶にする前に、なんとか動きを封じないと。

 

「それは飼い主がなんとかするんじゃない? あそこにいるみたいだし」

「え、どこに……? あ、ああ! いた!」

 

 上ばっかり見ていたから、エンツィオの足元にいるディーノにまるで気付かなかった。

 いや、気付けなかったのは、今まで彼がプールの中に沈んでいたからだろう。遠目でもコートがびしょ濡れになっているのがわかる。エンツィオに水の中に引き込まれたのか、それともプールサイドで足を滑らせたのか。――後者の可能性が高いのが残念だ。

 

 さらに周りを見てみたら、騒ぎを聞きつけたディーノの部下たちが、続々とプールのそばに集合していた。柵越しに様子を窺っている彼らの中には、屋上に置いてきたはずのロマーリオの姿もある。どうやら、恭弥を呼びに行っているあいだに追い抜かれていたようだ。

 駆け寄ると、ロマーリオは苦虫を噛み潰した顔で利奈を見下ろした。

 

「来ちまったか。危ないから離れてたほうがいいぞ」

「ロマーリオさんだって」

 

 ディーノの部下たちは、だれ一人として避難しようとしていない。それどころか、臆することなく、ずぶ濡れのディーノを囃したてている。

 

「……わりとこういうことあるんですか?」

 

 じっとりとした視線を向けると、ロマーリオはさらに苦々しい顔で目を逸らした。どうやら、一度や二度ではないらしい。どうりでみんな、慣れたような顔をしているわけだ。

 

「お前ら!」

 

 上から降ってきた声に顔を上げると、髪から水を滴らせているディーノが、鞭でエンツィオの足を指し示した。

 

「今からこれを巻き付けてそっちに投げるから、思いっきり引っ張ってくれ! とにかく水から出したい!」

「オッケー、ボス!」

「任せとけ!」

「引きずりこまれて水に沈むなよー、ボス!」

「うるせー!」

 

 彼らはワイワイと緊張感なく、しかし一糸乱れぬ動きで一列に並び出した。先頭のロマーリオがオッケーサインを出すと、ディーノはすかさず鞭をしならせた。

 水面からわずかに出ている後ろ足を縛り上げて、ディーノがこちら側に鞭を放る。それをロマーリオが受け取り、部下たち全員が力を込めて後ろに引っ張っていく。

 

(……大きなカブ?)

 

 うんとこしょ、どっこいしょ、みたいな掛け声がかかっていればまさしく童話そのものだったけれど、この場に響いているのは怒号のような雄叫びだ。黒服の男たちが鞭を引っ張っているという絵面もなかなかにシュールで、気迫に呑まれていなかったら笑い転げていたかもしれない。

 そして、それでもカメは――とはならず、片足を取られたエンツィオは、ものの見事にひっくり返った。甲羅が水面に打ち付けられ、水しぶきが飛んでくる。

 

「やりましたね!」

 

 歓声をあげてみるも、恭弥はまったくもって無表情である。

 

「それで、このカメはどうしてくれるの?」

「あ、聞いてきます!」

 

 ひっくり返ったものの、エンツィオが動きを止めるわけでもなく、むしろ、起き上がろうとしてジタバタと足を動かしている。そのせいで、ディーノの部下たちはいまだに鞭から手を離せていない。

 

「ディーノさん!」

「おお、利奈か! 危ないから離れてたほうがいいぞ」

「それ、さっきやりました! それより、そのカメは――」

「ああ、お前は見たことなかったか。

 こいつは俺のペットのエンツィオ。スポンジスッポンって種類で、水を吸うと巨大化して狂暴になるんだ」

「スッポン? カメじゃなくて? 巨大化――って、いくらなんでも大きくなりすぎじゃないですか!? おかしくないです!?」

「んー、まあそうなんだが。でも、あのリボーンがくれたカメだからな。なにがあっても不思議じゃねえよ」

「……えー」

 

 ディーノはとくに疑問を抱いていないようだけど、リボーンが関わっていれば、なにがあっても不思議ではないという理屈はどうなのだろうか。最近理科の授業で習ったばかりの、質量保存の法則が早くも覆されている気がする。

 

「えっと、じゃあこのカメはどうしたら小さくなるんですか? ヒバリさんが早く片付けろって言ってたんですけど」

「あー……」

 

 気まずそうに頭を掻くディーノに、利奈はいやな予感を覚えた。ひょっとして、完全に乾くまではこの大きさのままなのだろうか。

 

「いや、乾いたぶんだけ縮んでいく。でも、この空模様じゃな……」

 

 ディーノにつられて空を仰ぐ。太陽にはうっすらと雲がかかっていて、日差しの恩恵はあまり期待できそうにない。雨でないだけマシといった程度の空模様だ。

 

「時間、かかります?」

 

 プールの水を抜けば巨大化は収まるだろうけど、縮めるにはエンツィオの体を乾かす必要がある。こんな大きな生物、学校中のタオルを搔き集めて拭ったところで、焼け石に水だろう。

 

「せめておとなしくさせねえとな。このままじゃ、俺の部下が持たない」

 

 いまだにエンツィオが暴れ続けているから、ディーノの部下たちは躍起になって踏んばっている。下手したら、支点になっている柵が引っこ抜かれてしまいそうだ。

 

「なら、動かないようにすればいいんだね」

 

 後ろから聞こえた声に振り向くと、いつのまにか後ろにいた恭弥が、物騒な目をエンツィオに向けていた。聞き慣れた展開音を辿れば、見慣れたトンファー。

 

(……この人、エンツィオを殺す気だ!)

 

 ディーノも利奈と同じ感想を抱いたらしい。柵越しにアワアワと首を振っている。

 

「恭弥、落ち着け! こいつは俺の相棒なんだよ! だから、わかるよな?」

「風紀を乱すなら関係ない」

「落ち着け! 話せばわかる!」

「ワオ、あの亀喋るの?」

「そうじゃねえよ!」

 

 このままでは埒が明かない。ほかに解決法も見つからないし、多少乱暴でも、恭弥の力を借りてエンツィオをおとなしくさせるしかないのではないだろうか。エンツィオにはかわいそうだけど。

 どっちつかずに狼狽たえる利奈だったが、視界の端をよぎった白い欠片に目を瞠る。

 

(……え?)

 

 まさかと思い、勢いよく空を仰ぐと、天上から同じものが大量に降り注いできていた。

 

「雪? なんで、この季節に――」

 

 独り言とともに吐き出した息が、白く染まっていた。それを目にした途端、足元からとてつもない寒気が這いあがってくる。利奈は即座に腕を組んで身を震わせた。

 ディーノと部下たちも、突然の天候の変化に戸惑っている。ずぶ濡れだったディーノなんて、わかりやすく歯を打ち鳴らしていた。

 

「な、なんなんだ、いったい。どど、どうしてこんないきなり寒く……」

「ボス、風邪引くぞ! 服を脱げ!」

「いや、そんなことより見ろ! ボスのカメが動かなくなったぞ!」

 

 部下の言う通り、エンツィオの動きが緩慢になってきた。雪も水分のはずなのに、体の大きさは変わっていない。

 

「な、なんで? 死んじゃった?」

「寒さで動かなくなっただけでしょ。前に見たときも、同じように動かなくなってた」

「前にも!?」

 

 恭弥は以前にも巻き込まれたことがあったらしい。どうりで、エンツィオを見て平然としていられたわけだ。

 

(あれ、でもディーノさんとはこの前初めて会ったみたいなリアクションを……んん?)

 

 とにもかくにも、エンツィオが動かなくなったのなら、恭弥の出番は必要ない。

 つまらなそうな顔でトンファーをしまった恭弥に、ディーノと一緒に胸を撫でおろす。暴れん坊のカメ相手でも、動物虐待は気が進まなかったところだ。

 

「にしても、なんで突然雪なんて降りだしたんだ? 雨すら降りそうになかったのに」

「わかんないですけど、おとなしくなってよかったです。これで一件――」

「いったいどういうことなんだ、これは!」

 

 落ちが着かなかった。

 カメが動かなくなってようやく近づく気になったのか、運動部顧問の先生が揃ってやってきたのだ。彼らはエンツィオに怯み、黒服集団に怯み、それから雲雀恭弥に怯みながらも、一番害がないと判断したのか、ディーノに詰め寄った。

 

(一番駄目なとこ行った!)

 

 ディーノは黒服集団のボスなので、その選択は大間違いである。見た目は一般人と同じだから、先生たちが標的に選ぶのも無理はなかったけれど。

 

「貴方、いったいなんなんですか! 学校にこんな大きな生き物を持ち込むなんて!」

「そもそも、部外者がなんで校内に!」

 

 鼻息荒く詰め寄る先生たち。柵で隔たられてはいるものの、ディーノは冷や汗をかいていた。

 

「あ、ああ、悪い。これにはちょっと事情があって――」

「事情!? 事情ってなんだよ!」

「貴方のやってることは犯罪ですよ! だれか、警察に通報を――」

「ま、待ってくれ! 恭弥、なんとかしてくれ!」

「……」

「ヒバリさん、めんどくさがらないであげてください。騒ぎになっちゃいます」

「もうなってるよ」

 

 今や学校に残った全生徒、および職員の注目の的である。エンツィオがおとなしくなったことで、生徒たちの声が鮮明に聞こえてきて、頭が痛い。このままだと、もっと面倒なことになりそうだ。

 

「……どうしよう。なんとかならないかな、これ」

 

 ぽつりと弱音を吐いた、その時。

 

「任せて」

 

 だれもいないはずの右隣から、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「え……?」

 

 隣を確認する。だれもいない――いなかったのに、空間を縫って一人の警察官が姿を現した。

 

「教職員の皆さん!」

 

 警官が声を張った。すると、ディーノに詰め寄り、逆に黒服集団に囲まれてタジタジになっていた教師陣の視線が集まる。ほかの一同も。

 利奈はというと、なにもなかった空間から人が出てきた驚きで、腰を抜かしてしまった。

 

「大変お騒がせして申し訳ございません!

 じつはこのカメは、密輸入された絶滅危惧種のカメで、たったいま、そちらにいらっしゃる動物学者の先生の協力のもと、捕獲したところであります!」

 

(……はい?)

 

 おそらく、この場にいただれもが首をひねっていただろう。

 その間隙を縫って警官は教師陣に歩み寄り、すらすらと淀みなく、しかしどこにも真実の含まれていない虚言で彼らを説得してみせた。

 

(なに? この人なんなの?)

 

 ディーノたち一行も、どういうことだと目配せしあっている。しかし、警官のおかげで事なきを得たのは事実だ。警官の言葉を信じて頭を下げる教師陣を前に、密輸を追っていた国際組織の人風に胸を張ってみせる。意外と様になっていた。

 

「……利奈、あいつがだれか知ってるか?」

 

 やっとこちら側に回ってきたディーノが、へたりこんだままの利奈を引っ張り上げてくれた。

 

「いえ。……でも」

「でも?」

 

(さっきの声は……うん、間違いない)

 

 警官の出した指示で、校庭から人はいなくなっている。校舎からこちらを見ている人影もまばらになってきているし、もうだれも警官に注目はしていないだろう。

 だから利奈は、知り合いとは似ても似つかない後ろ姿に、遠慮がちに呼びかける。

 

「……クローム?」

「……」

 

 振り返った彼――いや、彼女は、控えめに視線を合わせてきた。

 

「……うん、私」

 

 警官が女の子になったことで、周囲からどよめきが溢れた。さすがの恭弥にもこれには驚いたのか、わずかに体を強張らせている。

 

 かくいう利奈も、ひそかに驚嘆していた。

 マーモンが同じような幻術を使っていたからもしやとは思ったものの、いまいち実感できていなかったのだ。なるほど、あのときはこんな感じになっていたらしい。

 

「どうして、ここに?」

「利奈に顔見せてきなさいって、骸様が……。昨日の試合を気にして、様子を見に来たら大変だからって」

「クロームが戦ってたの!?」

 

 どうやら、策士策におぼれたようだ。気安く訪ねてこられたら厄介だからと気を回したのだろうが、先回りしてしまっている。霧の守護者がクロームだったなんて、利奈はまったく知らなかったのに。

 

「学校に来たら、騒ぎになってて。利奈がいるのがわかったから、ここまで来たの。

 それで、あのカメをおとなしくさせたいって言ってたから、幻覚で雪を作って――」

「え、あれもクローム!?」

 

 そういえば、雪もやんでいるし寒さも感じない。エンツィオが眠っているから、もう幻覚は必要ないと判断したのだろう。

 

「利奈が、困ってたみたいだから。……迷惑、だった?」

 

 瞳を揺らすクロームにブンブンと首を振った利奈は、勢いあまって飛びついた。

 

「っ!?」

「ありがとー! ほんっとに助かったよ、どうしようかと思ってたの! ありがとう、クローム!」

「う、うん……」

 

 きっとクロームは困った顔をしているだろう。それでも、この感情を伝えきるにはこれしかないと、抱き着きながら飛び跳ねる。

 ふと視線を感じたと思ったら、恭弥がなんともいえない顔でこちらを見ていた。喉の奥で音が鳴る。

 

(うっ、怒られる!)

 

 いや、そもそも恭弥はクロームを知っているのだろうか。知らなかったとしても、クローム自身が骸の名前を出したのだから、ごまかしようがないのだけれども。

 

「その子、誰?」

 

 声はまだ、普通だった。感情を押し殺しての声なのかは判断しかねたものの、すぐさま手をあげることはないだろう。いや、なにもしていないうえに、窮地を救ってくれたはずのクロームに手をあげるつもりなら、身を挺してでも庇い立てするつもりだけど。

 

「……友達です」

 

 だから、なにかするつもりなら私を倒してからにしてもらいますと、身を離しながら牽制の眼差しを送る。

 恭弥はそれを意に介さないまま、クロームにも問いかけた。

 

「今の、全部君がやったの?」

「……ええ」

 

 ややかしこまった態度で、クロームが答える。すると、恭弥は小さく息を吐き出した。

 その場に緊張が走ったが、恭弥は足を踏み出さなかった。

 

「……助かったよ。茶番じみた馬鹿騒ぎにイライラしていたところなんだ」

 

(おおっ……! あのヒバリさんがお礼言った!)

 

 どうやら、骸の関係者であるという点よりも、騒ぎを治めた功労者という点のほうが勝ったらしい。恭弥が人にお礼を言うのは非常に珍しいことなのだけど、それを知らないクロームは控えめに頭を下げるだけだった。

 

「それじゃ、溜まってる仕事があるから僕は行くよ。相沢、後処理はよろしく」

「はい!」

「悪かったな、恭弥! 今度、埋め合わせするから!」

「……楽しみにしておくよ」

 

(あっ、ディーノさんが言質取られてる)

 

 修行が終わっても、戦いは続きそうだ。

 

 そのあと、利奈は恭弥の指示に従い、ディーノたちとともに事の後始末に尽力した。

 亀の甲羅干しを全力で手伝う日が来るとは思わなかったけれど、これはこれで貴重な体験ができたと考えるしかない。この一件のせいで爬虫類がより一層苦手になったのだけど、それはもはや、どうしようもないことだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。