傍観者ではいられない
走り続けた。ただただ走り続けた。
痛みから逃れるように、恐怖から逃れるために、必死になって走り続けた。
――全部が全部夢だったなら、どんなによかっただろう。死闘を繰り広げる彼らに当てられただけの、ただの悪夢だったなら、どんなに。
それでも、走るしかなかった。
夢の中での出来事だったとしても、できることなんてなにもなかったとしても、それでも、見捨てるという選択肢を選ぶことはできなかったから。
なにも選べない人間だったら、最初からこんな場所には立っていなかっただろう。
だから、最後のそのときまで選び続ける。――たとえ、だれにも望まれない結末が待っていたとしても。
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携帯電話の着信音で目が覚めた。寝落ちする直前まで見ていた雑誌には、くっきりと折り目がついている。頬を撫でれば、同じように線の跡が残っていた。
(……あーあ、寝ちゃった。寝るつもりなかったのに)
食後にゴロゴロしていたらこのありさまである。だらしない体たらくはさておいて、着信画面を確認する。
最近、電話帳にパスワードを設定することを覚えたので、風紀委員の電話番号と名前は全員分登録してある。そのなかの一人の名前であることを寝転がったまま確認してから、通話ボタンを押した。
「はい」
『相沢利奈ですか?』
(……んー?)
想像していたものよりもずっと高い声が聞こえ、利奈は首を傾げた。
中学生どころか、小学生みたいな声だ。声変わりをとうに終えた仲間たちの声とは似ても似つかない。
(弟、とか? でもそしたら私の名前なんて知るわけないし……なんだろう。それに、ほかの音が全然聞こえない)
質問に答えられずにいた利奈は、電話越しに伝わってくる静寂にまたもや違和感を覚えた。
風の音がしているから、外にいるのはわかる。しかしほかの人の気配がまったくしないのだ。時計を確認するが、時刻はもう夜の十時を回っている。そんな夜遅くに小学生が一人で外にいるなんて、どう考えても尋常ではない。そして、そんな利奈の予想は見事に的中した。
『相沢利奈ですよね? 違うのならば、ほかのお仲間の電話をまた拝借しますが、よろしいですか?』
「ええ……!?」
声に似合わない言葉遣いに脅迫され、思わず飛び起きる。その反応で利奈本人だとわかったのか、電話口から苛立ったようなため息が聞こえてきた。
『あいにく駆け引きをする時間がないので、単刀直入に話を進めさせてもらいますね。僕は六道骸です』
「骸さん!?」
これ以上驚かされたらベッドから落ちかねない。利奈はベッドから立ち上がった。
『はい。君に火急で頼みたい用件があったので、少々無理を』
「本当に骸さんですか? なんか声が――」
『時間がないと言ったはずです。いいですか、この電話を粉々に砕かれたくなければ、すぐに外に出てきてください。家人には見つからないように』
「……」
この情け容赦なさは骸に違いない。声が違っても、この抑揚のつけ方は骸のものだ。
『ついでにそちらの住所を教えてください。黙りこむのは勝手ですけど、どうせ千種と犬に聞けばわかることですから、隠しても無駄ですよ』
もはや脅迫の嵐である。
もってまわって勿体ぶった普段の様子と大きくかけ離れた性急さに疑問が膨らむものの、利奈は自宅の住所を告げた。
『では、通学路を歩いて学校に向かってください。僕も合流します』
「学校……? 学校って、今ヒバリさんが戦ってる学校に!?」
時計を見てみるも、まだ十一時前だ。昨日と同じ時間に試合があるのなら、これから試合が始まるところだろう。そんなところに骸と一緒に行ったりなんかしたら――考えるだけで恐ろしい。
「無茶言わないでくださいよ! そんなことしたらどうなるか――だいたい、なんでそんなこと!」
『ええ、僕もできれば彼らに協力なんてしたくはありませんよ。ですが、クロームの命がかかっているとなれば、話は別です』
「……クロームの?」
『説明は会ってからします。報酬も君が望む金額を用意します。とにかく急いでください、手遅れになるかもしれない』
「……」
『では、またのちほど。……言っておきますが、今回の試合は守護者全員の命がかかっています。もちろん、雲雀恭弥もね』
「っ!」
電話を切られた。言いたい放題言われて放心しそうになるけれど、そんな暇もないのだろう。考えるのはあとにして、利奈は制服に手を伸ばした。罠だろうがなんだろうが、恭弥の命を盾にされてはどうしようもない。
(……今ならまだ、ヒバリさんに電話できるかもしれないけど)
恭弥の場合、骸の名前を聞いただけで試合を放り出してしまう可能性があった。この最終決戦で戦力を削らせるわけにもいかないし、連絡は控えるべきだろう。骸が狙ってこの時間にかけたのかはわからないけれど、だれかに助けを求める時間はなかった。
(それに、クロームの命がかかってるって言ってた)
利奈を誘い出すための出まかせでなければ、骸がリング争奪戦にかかわろうとする最大の理由になるだろう。仲間の命がかかっていれば多少強引な手にもなるし、なにがなんでも助けようと思うはずだ。――今の利奈と同じように。
身支度を整えた利奈は、両親に見つからないように注意を払って家を抜け出す。指示通り通学路を早足で歩いていると、自転車のベルが聞こえた。振り返ると、自転車を漕いでいた小学生が地面に足をつけた。
「話が早くて助かります」
「……骸、さん?」
「はい」
疑問形になったけれど、骸だろうとは思っていた。電話の声の持ち主だろうということは、その見た目でわかっていたのだから。
(よくわかんないけど、骸さんが幻術で子供になってるって思っておこう。うん、不思議なことはだいたい幻術)
でないと、いちいち驚かなければならなくなってしまう。
そうとう頑張って自転車を漕いできたのか、小さな額には汗が浮かんでいた。住所を聞いてから、急いでこちらに向かってきたのだろう。無駄話をしている余裕はなさそうだ。
「それで、なんで学校に? 今日は最後の戦いですよね、今度こそ」
「ええ。真の最終決戦、大空戦の日ですよ」
――昨日の雲戦は雲雀恭弥の勝利だった。
にもかかわらずもう一戦行われる件について、詳しい事情は聞いていない。ディーノは学校に来なかったし、こちらから結果を聞く前に勝敗を教えてくれた恭弥も、本日の最終決戦に呼ばれているという旨だけ告げて、あとは黙り込んでしまった。
詳細を聞かずとも、なにかとても気に障る方法で延長戦を申し込まれたであろうことは、恭弥のふてくされた顔で見当がついた。おおかた、恭弥の行いにケチをつけて無理やり引き分けにしたとか、そんなところだろう。さすが暗殺部隊、やり方が汚い。
「そんなところに行ってどうするんですか? そもそも骸さんは人前には――あっ、だからその恰好」
「ええ。僕はあの場所から肉体を出すことを禁止されているので、苦肉の策で。精神までは縛られてませんでしたから」
「はー」
骸だからこそ使える屁理屈である。とすると、身体は本当に男の子のものなのだろうか。となると他人の身体を勝手に使っているわけで犯罪の匂いしかしないものの、突っ込むのも野暮だ。今日のところは気付かなかったふりをしておこう。
「それで、いったいなにを?」
「まだ詳細がわかってないのでなんとも。ただ、チェルベッロの動向を観察していた限りでは、守護者全員の命を危険に晒すルールを適用しようとしているようでしたから。ようするに、君は保険ですね」
「保険」
「守護者全員分の腕時計が用意されていて、そのなかには致死性の高い猛毒。そして学校のいたるところに設置されたポール。上には解毒剤を乗せるのにちょうどよい受け皿。どう考えても、ただの総力戦とは思えないでしょう?」
「……いっちばん滅茶苦茶なルールになりそうですね!」
(そもそも毒ってなに!? マフィアのボス候補とその幹部候補に毒を仕掛けるってなにがしたいの!? チェルベッロ、本当はボンゴレ潰すつもりなんじゃないの!?)
血で血を洗い、それでも立ち上がっているものだけがボンゴレファミリーにふさわしいとでもいうのだろうか。ヴァリアーはともかく、綱吉たちはまだ中学生なのに。利奈は早足で歩くのをやめて、小走りに駆け出した。
「おや、助けに行くつもりでいるんですね。てっきり臆して逃げ出すかと思ってました」
「そしたら記憶奪うって脅すんでしょ? それか体を操るか」
「……」
「図星なんだ!?」
どうせ拒否権は用意されていないのだから恐ろしい。恭弥とは違うタイプで脅威な存在だ。
「それに、ヒバリさんとかみんなの命がかかってるんなら――まあ、手伝えることは手伝いますよ。クロームだって、私の友達だし。昨日もすごく助かったし」
「……そうですか」
「学校、もうすぐです」
「では裏門へ。正門はポールが設置されているので目立ちます」
「了解!」
住宅街はいたって静かなままだ。またあのなんでもありな幻術のおかげなのか、それともまだ試合が始まっていないのか。こんな時間に外を走ったことなんてないから、なんだか夢のなかにいるような心持ちだ。
「……すみません、少し集中します」
そう言って骸が視線を下げる。通行人はいないから、多少前方に注意を払わなくても、危険はないだろう。
速度が緩まったので、息が上がってきた利奈はこれ幸いと早足に戻した。
「……どうやら、おおむね想像通りのようです」
骸が顔をしかめた。
「今、神経を麻痺させる毒薬が守護者に投与されました。三十分後には死に至る劇薬が」
「三十分!?」
携帯電話で時間を確認する。時刻は十一時ちょっと過ぎなので、このままでは日付が変わる前にみんな絶命してしまう。
「解毒するにはリングを時計に嵌める必要があるみたいです。なるほど、だからポールを用意したわけですね」
「ま、まさかその上に指輪を……?」
「ええ」
「いやいやいや……」
指輪は指に嵌めるものだと思ってたのだけど、海外では違うのだろうか。
「毒を投与された守護者がリングを取れるとは思えませんから、彼らの命はボスに握られたということですね」
「ボスって……」
(沢田君次第ってこと?)
頼りない綱吉の顔が浮かび、血の気が引いた。追い打ちをかけるように骸が続ける。
「彼は彼でXANXAS、敵側のボスと戦わなければならないので、すぐには動けないでしょう。片手間に倒せるほど、ヴァリアーのボスは安くない」
「えっとえっと、じゃあ、私はどうすれば? まさか、戦ってるところに行けってわけじゃないでしょう……?」
言いながらも語尾が震えた。なぜなら、それが目的で呼ばれたのだとわかってしまったからだ。
「もちろん、骸さんも一緒ですよね?」
「いえ、僕は校内に入れません。ほかにやることもありますし、なにしろこの姿ですから」
「嘘でしょ!?」
遠回しに死ねと言っているのだろうか、この人は。
骸が操っている体はなんの関係もない男の子の身体だから、危険に晒すわけにはいかないことはわかる。でもだからって、一人で戦地に乗りこめなど、受け入れられるわけがない。
「無理ですよ! だって、あっちの人たちもいるんでしょう!? そんなところに私が行ったってなんにもならないし、こ、殺されちゃうかもしれないじゃないですか!」
守護者ではないとはいえ、利奈は綱吉たちの級友であり、恭弥の手先だ。戦場で彼らが見逃してくれるとは思えない。
「落ち着いてください。毒で苦しんでいるのは敵も同じです。それに、君は運がいい」
そう言って骸がパーカーのポケットから小さな物体を取り出した。暗いからはっきりとは見えないけれど、手のひらサイズの黒い物体だ。
「……爆弾のスイッチかなにかですか?」
「いえ、爆弾そのものです」
叫ばなかった自分を褒めたい。裏門で叫んだりなんかしたら、関係者に気付かれかねない。
「君のするべきことはひとつだけ。これを校庭のポールに仕掛け、爆破するだけです」
「だ、だからそんなの――」
「それで、雲雀恭弥の命が助かります」
その言葉に、利奈は彷徨わせていた視線を骸の瞳へと向けた。そして、少年の目の色が骸と同じオッドアイになっていることに、遅まきながら気がついた。
「ひ、ヒバリさん? ヒバリさん、校庭にいるんですか?」
校庭と言ったら、フェンスを挟んだすぐ向かい側だ。すぐに目を凝らすけれど、やはり術が施されているようで、ここからはポールどころか恭弥の姿も見えない。
「なかに入れば君でも見えると思いますよ。
沢田綱吉たちは反対側にいるようなので、今なら戦闘には巻き込まれずに済むでしょう。さいわい、向こう側の雲の守護者はもう存在しないので、解毒を妨害されることもありません」
畳みかけるように骸は利点を述べる。それなら自分でも出来そうだと、利奈が考えるのを見計らってだ。
「欲を出せばクロームの解毒もお願いしたいところですが……相手側の守護者も術師ですからね。惑わされて敵側の守護者を助けかねませんし、そこはほかの守護者に期待しましょう。お人好しな彼らなら、クロームの命を見捨てたりはしないでしょうから」
「……信じるんですね。敵だったのに」
「クフフ、今も敵ですよ」
それでも骸は、彼らがクロームを見捨てはしないと信じているのだ。自由になった恭弥が、彼らを放ってはおかないということも。
骸にとって、これは賭けなのだろう。本来なら、真っ先にクローム救出を頼まれてもいいところだ。しかし骸は、利奈の最低限の安全も考えて、一番難易度の低い恭弥救出の指示を出した。
爆弾を渡そうとしてくる骸に、利奈は恐る恐る手を差し出した。思っていたよりも軽いけれど、それがかえって恐ろしい。
「ここから見張ってはおきますが、すぐに指示を出せるように電話をつないでおきましょう。念のため、爆弾の起動操作も僕がやります」
「……はい」
「雲雀恭弥を救出したあとは、すぐに校内から脱出してください。チェルベッロが取り押さえに来るかもしれませんが、おとなしくしていれば命までは取られないでしょう」
「……今さらですけど、これって反則になりませんか? 前みたいに負けになっちゃうんじゃ……」
「君はボンゴレの関係者じゃありませんから。偶然学校に入ったら雲雀恭弥を見つけ、事情を知らぬまま助けてしまったと言えば、なんとかなるでしょう」
(爆弾を偶然持ってる女子中学生がどこにいるんだろう……)
「心配しなくても、雌雄が決するまでXANXASは戦闘をやめませんよ。リング争奪戦などあくまで建前で、自分が継承者にふさわしいと誇示できればそれでいいんですから」
「……」
どうしてそこまでしてマフィアのボスになりたがるのだろう。そんなに焦って手に入れなければならないものなのだろうか。
(こんな馬鹿みたいなことやる人がボスになるくらいなら、弱くても沢田君がボスになったほうがいいに決まってる。うちもたいてい無茶苦茶してる人だけど、人の命を弄んだりはしないもん)
強者が上に立つのは当然の理だけど、それだけでは組織は立ち行かない。暴力で手に入れた玉座に意味はないのだと、綱吉がXANXASに示せれば。
(負けないで、沢田君。――私も頑張ってみるから)
もはや一秒たりとも無駄にできない。吐き出しそうになる息を吸って、利奈は学校への一歩を踏み出した。