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彼女たちの行動力には、目を瞠るものがあった。音楽室までついてきて知っている後輩を見つけると、呼び出して私の情報を探り、私が三年生に顔馴染みがいないのがわかると、放課後すぐに捕まえに来た。
「ちょっと、いいよね」
「……」
あのままでは済まされないとわかったいたけれど、まさか当日、それも直接に来るとは。心の準備ができていない。しかも、連れてこられたのは、漫画などでおなじみの体育館裏だ。
(それに、人数多くない?)
倍どころか、三倍はいる。一年生と二年生も混ざっていたが、彼女たちは見張り役なのか、少し離れたところで人目を窺っていた。この慣れた様子からすると、何度もこうやって後輩を呼び出しては虐めているのだろう。風紀委員たちの意味深な目配せの意味が、いまさらわかった。
(……逃げ場、なし)
体育館の裏なんて、呼び出しか告白でもなければだれも寄り付かないだろう。もう一度偶然に風紀委員が通りがかるのを願うしかないが――
「言っとくけど、風紀委員は今、見回りでいないから」
心中を読まれたか、先を越される。きちんと風紀委員の動向まで調べている念の入れようだ。彼女たちがどれだけこの行為を繰り返してきたかがよくわかる。
壁を背にして囲まれている状況というのは、なかなかに絶望的だ。もし、ほんの四日ほど前に、これと似た、それでいてもっと恐ろしい目に遭っていなければ、もう泣きだしていたかもしれない。
「さっきは風紀委員に邪魔されちゃったけどぉ……今回はそうはいかないから。たっぷりかわいがってあげるね、利奈ちゃん」
作った声が恐い。ぶつかった彼女は、かなりお怒りなようだ。あれだけでどうしてここまで怒れるのかとも思うけれど、多分、きっかけがあればなんでもいいのだろう。周りの上級生たちも、ニヤニヤと笑みを深めている。
「あのあと、風紀委員にプリント拾わせてたでしょ。私たち、ちゃんと見てたんだからね」
「え、なにそれ、聞いてないんだけど」
「うっわ、風紀委員に拾わせるとか……あんた、常識ないんじゃないの?」
「私たちと同じ部だったら、即でボコだからね」
――この人たちがいる部活動なら、仮入部もせずに逃げ出していたと思う。
体育館裏だから、体育館での足音ははっきりと聞こえている。キュッキュとこするような音は、おそらくバスケ部だろう。わずかに聞こえる打球音は、キーンと高く澄んでいる。こっちは校庭の野球部に違いない。
声でない音に耳を澄まして、私は現実逃避に勤しんでいた。
「ねえ、聞いてんの? あんた、生意気だって言ってんのよ」
「返事しろよ」
(どうせ、なに言ったって怒るくせに)
大人数いるとはいえ、相手は女子生徒だ。暴力を振るわれたりはしないだろうし、ここは彼女たちの気が済むまで、おとなしくしているしかない。下手に口答えして逆上させたら、今後の学生生活が終わってしまう。私はそう思って黙り込んでいたが、それで済むほど、現実は易しくもなかった。
「とりあえず、これからあんたの家に行って、お金持ってきてもらおっか。今日はあんたの奢りね」
(は?)
「うちら、利奈ちゃんのせいでおなかペコペコなんだよね。ケーキくらい奢ってくれるでしょ?」
「私、ハンバーガー食べたーい」
「うちはアイスかなー」
なにやら、とんでもないことを言い出し始めた。この人数に食べ物を奢り出したら、すぐに貯金までなくなってしまう。それに、一回で済むわけがない。
(ど、どうしよう、マジでやばくなってきた……!)
私が顔色を変えるほど、彼女たちは面白がる。ぐっと距離を詰められ、きつい香水の匂いが鼻についた。
――こうなっては、グズグズしてはいられない。一刻も早く、ここから逃げなければ。
「ちょっと、なに動こうとしてんの」
ほんの少し前に体重を預けただけで、体を押された。
やっぱり、逃げるなんて不可能だ。しかし私は、彼女たちに屈するわけにはいかなかった。こんなことで、この学校を――並盛町を嫌いになるわけにはいかない。
私は軽く息を吸い込んだ。
「――だれかっ!」
すぐさま腕を掴まれた。それを振りほどきながら、同じ言葉を繰り返す。体育館にも校庭にも生徒はいる。声を張り上げていれば、そのうちだれかの耳に届くかもしれない。
「だれか来て! 助けて!」
「うっさい、だれも来ないよ!」
「助けて! やめ、放して! この――!」
「いったい!」
敵意をもって足を踏みつけてやると、相手が悲鳴を上げた。しかし、すぐさまほかの上級生に蹴りを入れられてしまう。
「ちょっと手伝って! この子の口塞いで!」
「放して! 放してよ! いっ、いたたたたたた、このっ、なにその顔、かわいいとでも思ってんの!?」
「ちょっと、あんた今なんてった!?」
数人がかりで押さえつけられ、ずるずると体が沈み込んでいく。髪を引っ張られて悪態をついているうちに、地面に額を打ち付けた。それでももがくが、上に乗られてはどうしようもなかった。抵抗むなしく地べたに押さえつけられる。
「はあ、はあ、やっとおとなしくなった」
「ねえ、この子ヤバくない? 目がヤバいよ」
「ほんとだ、ヤッバ」
「これはちょっと、痛い目見てもらわなきゃダメみたいね」
「……やっちゃおっか」
(え、なにを?)
不穏な発言だが、頭を押さえつけられているので彼女たちの顔色が窺えない。近づいてくる足音と一緒に、ずるずるとなにかを引きずるような音が聞こえた。それがなんなのかわからないうちに、合図でもあったのか、上級生たちが一斉に飛びのいた。首を動かしてすぐ、正面に映る丸い銃口。
「なっ、な!」
大きく開いた口に、勢いよく水が放射された。
「キャハハハハハ!」
「すご、口に入った、うまいうまい」
口どころか、顔全体に猛烈な勢いで水を浴びせられる。どこから持ち出したのか、ホースで水をぶっかけられた。
夏間近の温暖な気候でよかった。冬だったら、命に関わっている。
(と、とんでもないことしてくるな、この人たち!)
水鉄砲から逃げようとなんとか身を起こすも、そうはさせるかと、すかさず手を足で払われる。水で泥になった土に、思い切り顔を打ち付ける。彼女たちが盛り上がる。
「ねえ、制服もびしょびしょにしちゃってよ。もうシャツとかドロドロだけどさ」
「やっぱ全身にかけなきゃね。下着までやっちゃって」
「えー、それはかわいそうだよ。家に帰ったら怒られちゃう!」
「そうだね。じゃ、もう逆らえないようにそろそろ写真撮ってあげよっか」
「――楽しそうだね」
キンキンと耳障りな嘲笑が渦巻くさなか、最後の声が一瞬で場を支配した。
――放水を受けていた私には声なんて聞こえなかったから、明後日を向いたホースと、静まり返った場の空気をよそに、喘ぐしかなかったけれど。
(だれか、いる?)
ポタポタと雫が落ちる髪の隙間から見えるのは、足だけだ。肌色の足が幾対もあって、その向こうに――黒い足が、もっとたくさん見えた。
(……だれ?)
うまく頭が働かない。地べたに横たわる私をよそに、彼――恭弥が続けた。
「バスケ部員から、体育館裏に女子生徒が集まっているって報告が来たんだ。
暇だったから僕も来たんだけど――いい群れを見つけたね」
距離があるにもかかわらず、恭弥の声は私にも聞こえた。それほどまでに、彼の存在は周りのすべてを飲み込んでいた。
「ち、違うんです!」
リーダー格、つまり利奈がぶつかった上級生が、真っ先に声をあげた。
さすがリーダー。あの恭弥相手に正面切って反論できるなんて、まともじゃない。
「この子が礼儀をわきまえないから、ちょっと反省させようと思っただけなんです。この子が反省しないから、ちょっとやりすぎただけで――」
「それ、この前転校した子にも同じこと言ってる?」
上級生の反論は、恭弥のたった一言で幕を閉じた。
いじめで転校までさせているのかと、ゾゾっと背筋に寒気がよぎった。
「君たちについては、いろいろと聞いているよ。大規模な群れを組んで、好き勝手やってくれてるみたいじゃない」
表情は愉悦に歪んでいるが、声は凍りつくほど冷えている。
「いつか尻尾を踏んづけてやろうと思ってたんだけど、なかなか見せてくれなかったからね。ずっと待ってたんだよ。
今日、やっと新しい獲物を見つけたところに出くわせた。――ご苦労様」
労われた風紀委員が、深く頭を下げる。大木だ。
「それにしても――」
恭弥の視線を受けて、上級生が一斉に左右に分かれる。そんな彼女たちの間を縫って、恭弥が歩いてくる。
その先にいた私は、口に入った土を手で拭いながら、身を起こした。
「君も懲りないね。この数日で、何回僕の前に出てきてると思ってるの」
「……今日は、雲雀先輩から来ましたけどね」
言い返すと、ギョッとしたように上級生たちが、無礼な女だという顔で風紀委員たちが、私を見た。
恭弥は気分を害していないようで、むしろ面白そうに目を細める。
「今までで一番ひどい格好だね。この前も変な格好してたけど」
「っ!」
道に迷っていた時の私服を言っているらしい。ボッと顔に血の気がのぼる。
「あれは、ちょっと家を出るだけだったから、適当な服着てただけです。
……それより、そっちいいんですか」
間抜けなやり取りの間にも、風紀委員たちは彼女たちを包囲していた。あとは恭弥の一言で、彼女たちの頭上にギロチンが取り付けられるのだろう。
「ああ」
恭弥は興味がなさそうな顔で彼女たちを振り返る。
尻尾を掴んだから、もう目的は達成されてしまったのだろう。彼女たちが相手では、トンファーを振るう意味もない。
「君はいいの?」
聞き返され、私は雫の落ちる前髪をかきあげた。
「なにがですか」
「僕に、頼みたいことがあるんじゃないかって」
背後では、上級生たちが身を寄せ合って震えている。とくに思い入れはないので、気の毒とも、ざまあみろとも思えないけれど、とりあえず、助かったことはありがたい。
「君が彼女たちをうまく苛立たせてくれたから、首尾よく捕まえられたよ。今なら、君の頼みをひとつくらい聞いてあげてもいいけれど」
「ええ……」
いきなり言われても困る。多分、彼女たちをボコボコにしてくださいとか、そういう負の頼みを期待しているのだろうけれど、私の口から言わせようとしないでほしい。そもそも、そんな回りくどい手を使わなくても、やりたければ勝手にやってくれればそれでいいのに。
そう思った私は不機嫌に顔を拭ったけれど、上級生たちが息を殺して私を見ているのに気付いて、ハッとした。
彼女たちの顔に、反省の色はない。むしろ、なにか余計なことを言ったらたたじゃ済まさないと、ドロドロとした負の感情を覗かせている。
ここで私が彼女たちを懲らしめてくださいと言えば、のちのち彼女たちから報復を受けることになるだろう。かといって、なにも言わずにいたら、またこっそりと同じことが繰り返されるに違いない。
彼女たちが改心しないのなら、私の身の安全は、保障されないのだから。
恭弥は、それがわかっているから、私に決定権を与えたのだ。
(で、でも、なんて言えばいいの? どうしたって私は恨まれるだろうし――)
「なに? 聞こえないんだけど」
まだなにも言っていないのに、私の声を拾うために、恭弥がしゃがみこんだ。
いや、違う。これは、私の話を聞くために屈んだんじゃない。私の反応を隠すための芝居だ。つまり、最初から私が頼む内容は決まっていて――
「え? ――風紀委員に興味がある?」
――言ってない。しかし、決定事項であることは、恭弥の目を見ればわかる。
上級生の嫌がらせから逃れるには、彼女たちには手を出せないほど遠くに――あるいは、高い場所まで行かなければならない。
そう、例えば、悪名高い風紀委員に所属するとか。
(……それ、しかないんじゃ、仕方ない)
わかりやすく広がる動揺の輪のなか、私は覚悟を決めて立ち上がった。恩人の決定事項ならば、従わなければならない。
「……とりあえず、話を聞かせてもらえますか。校舎の中で」
いつまでもここにいたくはない。それに、水を吸った制服が重くてたまらない。
「着替え、ありますか。なんでもいいので、お願いします」
私の頼みなんて、それくらいだった。